大きな余震は来るだろうか

April 17 [Sun], 2011, 15:16
今回の激甚震災は今までとは桁が違う。余震の数も圧倒的だ。宮城県沖から余震域が南下してきている。次、クラスの余震が来るとしたら、おそらく今自分が住んでいる辺りだろう。千葉県沖かもしれないし、千葉県直下かもしれない。プレートの境を考えると、http://www.tele-phonn.com/telh/東京直下も助ェにあり得る話だ。長野、静岡と大きな余震があったけれど、それより桁違いに大きい余震が来る気がしてならない。今回の地震で東北の友達は生きているのだろうか名前も忘れてしまったけれど車の仲間が宮城の前高田で公務員をやっていた。福島にいる親戚は原発の被害から逃れているのだろうか。それもわからない。こんな時、自分は根っからの悪人だと思う。首都圏も東北と同じ痛みを味わえばいいと考えてしまう。そうして右往左往している人間をみて、楓ハ上は神妙な顔をして心配しているように見えても、心の深い所では嘲笑あざわらっている。何もかも壊れてしまえと思っている。そして散々軽蔑を込めて嘲笑ちょうしょうした後、自分も死んでしまえと思ったりする。こんな事態になってしまって、被災された方々の様子や顔、言葉をテレビで見ていると、何故か人の温かさを感じるのに、風評被害を作り出してる首都圏の人間に悪意を持ってしまったりする。僕はそんな自分がとても嫌で、実際に被災地に行って、肌で臭いで手の感触で、その痛みを味わってこなければならないと思っている。せめて友達がいるはずの宮城まで行きたいと思っている。けれど往復の燃料が足りない。満タンでも片道しか入らない。だからガャ潟投ハを用意して往復分の燃料を積んで行こうと思ってホームセンターにガャ潟投ハを見に行ったら棚は空っぽ。何故何故首都圏でそれを必要とするんだろうネットでも品切れで買えなくて、オークションであり得ない価格で取引されている。そういう部分でも人のいやらしさに吐き気がする。ガャ潟唐ヘポリ容器などは溶かしてしまうから、金製でなくちゃならない。金製のものなら何でもいい訳じゃなく、ある程度の強度を持ったものじゃなければいけない。ガャ潟唐ェ揮発して膨張するからそれから一人で行くには距離がありすぎるので、燃料の他に自分の車を運転出来る人とペアで行かなくちゃならない。それでも今はやっぱり現地を見なければいけない気がする。テレビの画面越しでは絶対にわからない。体験しなければわからない。ガレキの山を歩いて痛みを噛み締めなければわからない。放置されている遺体を見なければ悲惨さは感じ取れない。うちあげられて腐った魚の臭いでゲロを吐かなきゃわからない。焦げた臭い、ガスの臭いで気分が悪くなって動けなくなってみなければわからない。それでも多くの人間に対してみんな死んでしまえと思うなら、自分は本当の悪人だとわかる。それで感じ方が変わるなら、悪人では無いかもしれない。さて、どうしたものか誰か一緒に行ってくれますか
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