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2046 / 2005年07月17日(日)
穿ったみかたをしていた。へんに予備知識が入ってしまいなんとなく手がでなかった。
最初は、ウォン・カーウィイ監督のいままでの作品のオマージュかと思ったよ。
でも、そうじゃなくてレスリー・チャンへのオマージュなのかもしれない。どちらにせよ、ちょっとがっかりしてたね。キムタクの変なナレーションはあるしどうも馴染めなかったけど、後半はもう胸が痛くなってきました。

トニー・レオンのような男を野放しにしておいてはいけません。彼は心を置き去りにしてきているから、愛の代替え品は相手を孤独にしてしまう。飲み友だちぐらいにしておかなくちゃ、だめだよ。

前半の部分がどうもしっくりきませんが、最後はきっちり持っていかれました。監督、そろそろトニー・レオンのブリーフ姿はやめませんか。これ、わざとでしょ。いや、似合ってるからいいか。
 
   
Posted at 23:51 / ネコロビシネマ / この記事のURL
スターウォーズエピソード?「〜?、 / 2005年07月14日(木)
エピソード3を観たので早速まだ記憶があるうちに4〜みていった。ヨーダやオビワンの言葉の持つ深さが3を観たことでわかっていく。バックボーンがあってうまれる言葉は、それを知らなくても伝わるけど知っていればもっと感じとることができる。
ヨーダがいらちなルークにフォースを教えるのをためらう部分なんてまんまやん!
ヨーダにしてもジェダイの騎士を亡くしてしまった自分を悔いていたことだろう。だけど、そこに、固執がないのがジェダイなんでしょう。

その夜にどうやら地上波でエピソード6をやっていたらしい。私は出かけていたのだけど相方がみていて、最後にフォースのみの姿であらわれるヨーダやオビワンたち。このシーンが違っていたそうだ。私たちがみたのは20年ちかく前に作られた映画のLDでこちらはダースベイダーの中年の姿が最後のシーンに現われていた。だけど、放映されていたものは、アナキンだったらしい。

修正をかけたときにこのシーンを差し換えたものと思われる。
どっちがいいんだろう。。。。ジェダイの騎士であった頃の若きアナキン・スカイウォーカーとシスの暗黒面へ行き少しだけ残っていた善の心と息子ルークによってジェダイの騎士として死した中年になったアナキン・スカイウォーカー
わたしとしては、やっぱオビワンが若くないようにアナキンもあのジェダイの騎士としてしんだ親父でいて欲しい。

 
   
Posted at 11:38 / ネコロビシネマ / この記事のURL
you are No1 / 2005年07月13日(水)
R2ーD2の活躍なくして、スターウォーズは始まらない。どの場面でもええラインのサブになってます。
あまり饒舌ではないと思ってたけど、けっこう人間味のある行動をしてるやん。
R2ーD2はどうも忠犬。犬ぽくない?そしてエピソード3では彼を対等に扱っている。

お色直しもないままに、今度はレイアー姫の側近となり新たな旅への橋渡しをするんや。

R2ーD2よ 君こそ?宸Pだ! どこでもドアやタケコプターは出せないけどドラエモンよりも凄いよ。
 
   
Posted at 01:26 / しなぷすりんく / この記事のURL
ハンドメイド / 2005年06月23日(木)
バットマンビギンズを観てきた。財力にあかせたハイテク技術満載のバットマンスーツだが、ミシンで縫ったりエアースプレーで塗装したりするのは本人だった。あのスパイダーマンもそういえば自分で縫ってたっけ。ヒーローはその身を明かすことができないのでその衣装も誰かに頼めず手づくりしなくちゃいけない。

そう腕力だけでなく職人的な技術も必要だったりする。

日本のヒーローはどうだったっけ。タイガーマスクのマスクは職人まかせだった。パーマンは繕いは2号がしてくれていた。デビルマンは?あれはデビルマンが本来の姿なので衣装は不要だ。ガッチャマンも組織的で知れ渡っているので専属の衣装係がいそう。月光仮面はどうだったっけ・・・彼が裁縫してる姿ってみたことないけど、テーマソングから言えば自分で衣装を縫わないとダメだね。
 
   
Posted at 10:50 / しなぷすりんく / この記事のURL
飴チャンとタバコの共有 / 2005年05月05日(木)
火のついたタバコを回しのみするシーンがあった。タバコにはそれをとりまくものとの共有域ができ、タバコ自身が共有財産となっていく。
タバコを一本求める人にタバコを持っている者は、なんのためらいもなく渡してしまう。

この現象を考えていて、
飴チャンを持ち歩く女性もこの飴チャンという共有財産を介してコミュを作っているのだ。

両者の違いは、請うものと与えるものの差だけである。

そうなんや! 飴チャンはタバコというツールを持たないおばちゃんの為にあったんや!
ならば、禁煙者が増えるいま 男性もおばちゃんかし飴チャンをポケットにしのばせよう。

そういえば、私が職場の男性から飴チャンもどきを彼が食べていようがいまいがもらっていることがあり、その話をしたときに友人がもらいタバコみたいって言ってたのはこのことなのね。 
 
   
Posted at 23:02 / しなぷすりんく / この記事のURL
エイリアンVSプレデター / 2005年04月27日(水)
やっぱみちゃうでしょ
どちらが強いのかよりも一体どう絡めるのかが気になってました。プレデターは1よりも2の色が濃くでていてやっぱ「マサイの戦士」あたりが浮かんできます。強いか強くないかが明確な価値基準になっているあたりやね。お話はどこにも感情移入のしようがなくただただ娯楽的でフィルターをかけたようなマイルドさでした。

これをアメリカのテレビドラマあたりで時間をもっと延ばして展開していけば、ゲーム性のあるアクションものができるんじゃないかな。そう!バイオハザードみたいなゲームやね。

今回の主役度からいえば、エイリアンでなくプレデターに軍配を上げたい。
 
   
Posted at 23:17 / ネコロビシネマ / この記事のURL
「SAW(ソウ)」をみると / 2005年03月29日(火)
人間って極限になると痛点なんかなくなるのやろうなぁ
痛みよりも もっと 違うものに集中して感じなくなる。

これって すごくない?

勝手に押し付けられたルールだとしても
それを跳ね返すだけの 力を持っていないなら
それに従って 突破口を見つけるしかないやん

自分は痛くなくても、その状況を見せつけられると
痛く感じるねん 私の体 ちゃんと あるよね 
よかった。
 
   
Posted at 01:16 / しなぷすりんく / この記事のURL
「カナリア」をみると / 2005年03月14日(月)
予告の頃からこの映画のことを考えると井上陽水さんの「カナリア」が頭の中で45回転する。
お話はニルヴァーナというカルト教団へ出家した母とその子ども2人がそのカルト教団が崩壊した後にどうなっていったか、と言うもの。

帰りの電車に揺られながらも映画で流れていた「銀色の道」ではなくて「カナリア」だった。
映画の軸として「銀色の道」がだんぜん残っているはずなのに。

もしかしてこのタイトルは「カナリア」から?って考えているうちに電車の扉が開いた。
そして、気づいた。
あの鳥かごに入り毒ガス探知機にされていた黄色のカナリアだったんだ。
 
   
Posted at 19:18 / しなぷすりんく / この記事のURL
アンジェラの灰 / 2005年03月13日(日)
「成長する罪を自分で償う」
何処へいったって極貧は極貧。
極貧の中でも暗くならず、陽気さと笑いを持っているのはアイルランド気質かもしれない。階級分けされた世界はいまも変わらずあり、そこから抜け出すためのアメリカンドリームもころがっている。
のんびりと指を加えてたって誰も飴玉をほりこんではくれない。
子どもから青年へと成長していく主人公は、アメリカを目指す。

「アンジェラの灰」はイギリスから宗教によって追われたアイルランド移民がアメリカを目指す時代。貧しいものはより貧しく、生きるために違う土地へと旅をする。これって「怒りの葡萄」と同じじゃん。いつの時代でも、どんな場所でも変わってないわ

エミリー・ワトソンは、不思議な魅力がある。どんな姿であっても美しさを損なわない光りを放っている。
 
   
Posted at 22:54 / ネコロビシネマ / この記事のURL
半落ち / 2005年03月02日(水)
隠語で犯人の自供がすべてとれていない場合を「半落ち」という。

犯人の足跡をたどると、どうしてもわからない空白の2日間がうまれてきた。この間、彼はどこで何をしていたのか。それはどうも事件に深い関りを持っているようであった。

映画はたくさんのメッセージを伝えようとするとその時間の少なさにどれもが中途半端になってしまうことがある。この作品のメッセージは何度も繰り返されていた「誰のために生きているか」だ。
犯人である梶は妻に懇願され妻を殺害した。妻はアルツハイマー(認知症)で、とくに夏頃から悪化していたのだった。

原作にあった刑事同士の連帯感や足で地道に探した証拠という刑事物の要素は薄れている。だが、梶の持つ実直さは描かれていたと思う。後半では画面から溢れ出す空気に涙さえ滲ませてしまった。それは、映画の持つ伝えたいことがちゃんと届いたからだと思う。
ただ、愛する人を手にかけて自分も消える。とても美しく写るが、本当にそれでよいのだろうか。私にはどうしてもその疑問がぬぐえなかった。

「アイリス」と言う映画がある。アルツハイマー(認知症)を描いた映画で、当事者とその伴侶の愛を描ききり、とても深い夫婦愛であった。
 
   
Posted at 23:28 / ネコロビシネマ / この記事のURL
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