ポルター 

April 29 [Tue], 2008, 22:16
ガイスト




映画や舞台などでもそうだが恐怖物をやると関係者が怪我をしたり、なんらかの不幸が降りかかること多い。

そんな曰くつきの映画に騒霊現象をモチーフにした某作品が挙げられる。

主人公の少女を含めこの作品の出演者が次々と死亡。呪われた映画として、観る者に不安感を与える。

これに関して、単なる偶然の病死を映画の呪いとして
宣伝に用いられたという話もあり、特に3作目では過去の出演者に起きた不幸を前面に押し出して話題の材料にしている。

最近の恐怖映画では撮影中に起こった怪異、心霊写真が撮れた、霊が写りこんだ・・・・等を紹介し話題にするのはもはや常套手段といえる

変換 

April 18 [Fri], 2008, 23:03
変換機能便利ですよね・・・







携帯電話でメールを作成する時等に使う便利な機能の一つ、予測変換に関する話。

なおひと(仮名)にはかすみ(仮名)という彼女がいた。なおひとはかすみに
「かすみは土曜日どこに行きたい?」という内容のメールを作ろうと、か行のボタンを1回押した。

当然、愛しの彼女の名前が1番上にくる。「かすみ」を押すと次の予測が出てくる。1番上に表示されたのは「犯ス」だった。

驚いた彼はとりあえず1番上にくる単語を繋げていった。
すると「かすみ犯ス今日の5時」という文ができた。

自分が打った覚えが無い単語ばかり…。不安になった彼は、午後4時半の今、歩いてすぐの彼女の家に向かった。

「まだ5時前だし、だいたいこんなの信じるなんてオレはどうにかしてる」と信じながら、彼女の部屋の前に着くも、カギは開かず、返事も無い。

管理人に無理を言って開けてもらうと、首を吊って変わり果てた彼女の姿が。どうやら5時というのは午後ではなく午前のことだったようだ。

近くに置いてあった彼女の携帯を見てみると、
「ゴメンね」とだけ
書かれた彼宛ての未送信メールが表示されていた…

黒い服 

April 15 [Tue], 2008, 21:57
黒い服の人の話





UFOの写真や映像の所有者の元に現れるという全身黒尽くめの男達の噂

UFOや異星人の目撃情報を握る人間の前に現れて他言せぬように圧力を掛けるといわれ、その風貌は映画の「メン・イン。ブラック」のエージェントとほぼ同じ。

脅迫めいた圧力を掛けるだけではなく、テープや写真を没収するというケースもある。最も恐ろしいケースは新○袋で語られているように、黒服の男達が現れた直後に目撃者が謎の失踪を遂げてしまうというものである。

また黒服の男の正体はロボットだとか異星人だという説があり、人間とは思えないぎこちない動きをしていたり、地球の習慣に疎いという話もある。

この黒服の男達のルーツはアメリカの都市伝説上の怪人で、毒ガスを噴射して歩くマッドガッサーにあるとも云われ、黒尽くめの風貌には共通点が見られる。

防空頭巾の人 

April 14 [Mon], 2008, 21:46
防空頭巾の人
足を引っ張るのはやめ・・・・・




ある学校の体育の授業中に恐ろしい事件が起きた。

その日の授業は海での水泳の授業、女子と男子に別れて行ったのだが、そこで中学生の数十人、しかも女子だけが溺死するという痛ましい事件が起きた。

これは数少ない生き残った児童の話である。

授業が行われていた海は遠浅で、その日のは穏やかだった。岸からちょっとだけ離れたところで突如周りの女生徒が溺れ始めた。

すると自分の足が引っ張られた気がして、足元を見ると防災頭巾を被り、袴を履いた少女が自分の足を引っ張っているではないか。

他の女生徒の足にもそれらの少女が絡み付いているようで、足が付く遠浅の海で次々と溺れていった。

必死に泳いで岸に辿りついた彼女は難を逃れたがその後、海で見た亡霊に悩まされたという。

これは離岸流が発生したためだという説明がなされており、亡霊は恐怖のために見た幻覚とされるが・・・・

場所は×重県津市の三河原海岸という地で、以前に某「奇跡体験」番組でも取り上げられた。 今は遊泳禁止になってるとか。

一人かくれんぼ 

April 13 [Sun], 2008, 21:40
一人かくれんぼ
推奨はしません









今、若者達を中心にネット上において話題となっているのが、「ひとりかくれんぼ」という降霊術である。
この降霊術、もとは関西方面の子供達の間に流布していたものだが、今やネットを中心に空前のブームを引き起こしているのだ。
 
ことの始まりは2006年4月20日、2ちゃんねるの「オカルト板」にある「降霊検証実況スレ本館」に投稿された一つの書き込みであった。

この降霊術の具体的な方法を書き込んだ「当人」と、その呼び掛けに賛同した「他2名」が降霊実験に参加、この者達(他2名)に次々と怪奇現象が起きてしまい、その詳細(恐怖内容)が書き込まれるのである。
そのスレッドが話題となって次々に二次的検証者が現れ、以降2008年現在も拡大傾向にある。
 
二次的検証者の中には、実際に動画や音声(ゴトッといった雑音)をアップするものもいたが、中には「疑わしい」ものも多数混在しており、その信憑性については何とも言えず「不明」である。
 
【使用道具】
準備する道具として以下のものが必要。

●ぬいぐるみ(手と足があるもの)
●米(ぬいぐるみに詰められる程度)
●縫針
●赤い糸
●包丁やカッターなど鋭利な物
●塩水(コップ一杯ほど。天然塩が良い)

【実行方法】
@始めに、綿を全部抜きとった「ぬいぐるみ」に「米」と、一かけら分の「自分の爪」を入れ、赤い糸で縫い付ける。
A次に、ぬいぐるみに名前をつける。
B最初の鬼は〇〇(自分の名前)だよと、ぬいぐるみに向って3回言う。
C風呂場に行き、あらかじめ水を入れておいた風呂桶に人形を沈める。
※後から、水を入れても良い。
D一度、部屋に戻り、テレビは付けた状態にして、それ以外の「明かり」は全部消す。
E目をつむり10数えたら包丁を持って、再び風呂場に行く。
F風呂場に着いたら、「○○(ぬいぐるみの名前)見つけた」と言って包丁をぬいぐるみに刺し、「次は○○(ぬいぐるみ)が鬼」と言い、素早く部屋へ移動する。
G食塩水の入ったコップを手に持ち、押し入れ等に隠れる。
しばらくすると「降霊現象」が始まるとされる。

注意項目は以下の通り。
●家の外に出ない。
●テレビはつけたままにしておく。
●塩水も持って一緒に隠れること。
●静かに隠れる
●2時間を遊ぶ限度とする
●同居人がいる場合はやめておく(降霊中、同居人が家に入ってきてしまうと呪われるという)。
 
【終了方法】
終わらせ方も非常に重要であるという。
@先程用意した「塩水」をコップ「半分」だけ口にふくんだまま風呂場に行く。
※この時、何が見えても絶対塩水は吐いてはならない。
A風呂場から「ぬいぐるみ」をとり、コップにある残り半分の塩水をかける。
その後、口の中の塩水も吹き掛ける。
B吹き掛けた後は「私の勝ち」と3回言って終了となる。
C「ぬいぐるみ」は必ず「燃えるゴミ」として捨てなければならない。

三本足のリカちゃん 

April 09 [Wed], 2008, 22:07
偶然の産物




機械の故障が原因で、偶発的に出来上がってしまった「3本足のリカちゃん人形」。

大半は市場に出回る前に工場で焼却処分されるのだが、どうゆう訳か出荷担当者のミスで一部の商品はアングラ市場に流通してしまう。

その日、ある女性がトイレから出て来ると、ゴミ箱の横に一体のリカちゃん人形が置いてあるのに気付く。

子供が放置したものだろうか…見るとドレスはかなり汚れていた。

その時、女性は「人形のスカート」の部分に「変な感触」があるのに気付いた。
スカートの中を覗き込むと、驚くことに「足が3本」もあるではないか。

お尻の割れた部分から「くの字型」に「ニュッ」と突き出た足を見て、彼女の全身は凍り付く。
瞬間、人形を放り投げてしまうのだった。

するとリカちゃん人形は立ち上がり、女性を睨みつけて、こう言った。

「わたしリカちゃん。呪われているの。わたしリカちゃん。呪われているの」と、まるでテープレコーダーが空回りするかのようになんども繰り返ししゃべるのだ。

女性は恐怖のあまり一目散に家に逃げ帰った。

ところがである。
家に帰った後も、女性の脳裏に「あの人形の声」が共鳴してきて、それが段々と強くなるものだから「錯乱状態」に陥ってしまい、とうとう近くにあったペンで鼓膜を突破ってしまうのである。

それでも声は止むことなく共鳴、ついに精神が崩壊してしまい精神病院に収容されてしまうのであった。

驚愕すべきは、彼女が今でも人形の声から逃避するために、細長いものを見つけては耳の奥を貫いているのだという……

廃墟での出来事 

April 06 [Sun], 2008, 22:44
廃墟は何があるか分からない




今から約10年前のちょうど今時期、夏が終わった頃、当時大学1年生だった僕は念願のクルマを手に入れて、毎晩のように友達とドライブを楽しんでいました。
その日も、友達5人で集まって雑談などしているうちに、「ヒマだから心霊スポットツアーにでも行こうか!」という話になり、僕の車に男5人で乗り込み、出かけました。
実際のところ、僕が心霊スポットに行ったのは、このときが最初で、そして最後でした。
なぜなら、この体験のあとは二度と、絶対に、そんなところへ行く気にはなれなかったからです・・・
このとき一緒に出かけた5人うち、3人(今井、中野、水谷)は地元の出身でしたが、僕と竹田の二人だけが地方の出身で、大学のあるその地域についてはまだあまり詳しくはありませんでした。
したがって僕は地元出身の3人に案内されるがままに車を運転し、人柱があるとされているトンネル、自殺者が後を絶たない滝など、心霊スポットを何カ所か回りました。
5人とも霊感とかそういったものは持ち合わせていなかったこともあり、特に変わったこともなく、僕としては少し期待はずれのような気がしていました。
程なく、中野が「次は、○○にある廃墟に行ってみない?」と言いだしました。
すると今井が突然焦ったように、「ち、ちょっと待ってくれ。俺、あそこだけは絶対に行きたくない。頼むから勘弁してくれ。」と言い始めたのです。
今井は、さきほど行った心霊スポットで、ヤバイとされている滝にふざけて立ちションをしたりするほど怖い物知らずな奴でしたので、不思議に思った僕達は理由を聞いてみました。
今井が言うには、「あの廃墟は本物だ。本当にヤバイらしい。ずっと昔に火事があって一家4人全員が焼死した家で、その後何度も取り壊そうとしたが、そのたびに事故などのトラブルが起きて、結局取り壊せないままになっている。
数年前に暴走族の数人がふざけてその家に火をつけたが、そこにいた全員が事故死している。」
と、ここまでは僕もよくあるネタ話だなーと思って聞いていたのですが、今井はこう続けました。
「浪人時代に俺の友達がそこに行ったんだ。そいつはそこで大変な目に遭った。そいつが俺に忠告した。『あそこだけは行かない方がいい』って。」
「大変な目」がどんなことは、いくら聞いても今井は教えてくれませんでした。
地元出身の中野と水谷も、「○○の廃墟」についての噂は聞いたことがあったらしく、「うん、あそこはヤバイらしいよね。やめとこうか。」などと言い出しました。
ところが、他の二人、つまり地元出身じゃない僕と竹田は、そんな話を聞いて俄然ワクワクしてきました。今までの心霊スポットが期待はずれだったこともあり、どうしてもそこに行ってみたくなったのです。
行きたい派の僕と竹田、行きたくない派の今井・中野・水谷でしばらくの間議論して、たどり着いた結論はこうでした。「その場所まで行くことは行くが、行きたくない派3人は車から降りない。どうしても家の中に行きたいなら僕と竹田だけで行く。」
僕たちはその廃墟に向かいました。
その廃墟は人里から少し離れたところ、うっそうと茂った草むらの奥の方に建っていました。
道端に車を止めると、背丈以上もある草むら(木々かも?)の向こうの暗闇に、その廃墟の2階部分がうっすらとようやく見えるほどでした。
つまり、その廃墟に近づくには、生い茂った草むらの隙間にわずかに残っている小径の名残?のようなものを10メートルほど奥にかき分けていかなければならなかったのです。
僕と竹田は車の中でもう一度3人を誘ってみましたが、3人は行かない、の一点張りでした。
仕方なく僕と竹田は二人で車を降り、「あいつら意外と臆病だよね。」「おー、ここはホントにけっこういい感じだぞー。マジで出そう。ワクワクするー。」などと言いながらその小径へと足を踏み入れました。
小径に一歩足を踏み入れたその瞬間、なぜか僕は言いようのない恐怖に駆られました。
小径を覆い尽くすかのように両脇から生い茂っている草、その奥の暗闇の中にうっすらと見える廃屋・・・
今まで感じたことのない、あまりの気味の悪さに僕は思わず足を止めてしまいました。
竹田も同じように感じたらしく、僕と竹田は小径の入り口で立ち止まったまま顔を見合わせ、話しました。
「ち、ちょっと・・・ヤバイな。」
「う、うん。ヤバイ。」
「どうする?やめる?」
「でも行きたいよな。」
「うん。行きたい。」
「やっぱ、二人だから怖いんだよ。あいつら連れてこようよ。」
そうして僕らはもう一度車に戻り、再度3人を説得にかかりました。
3人はやはり行きたくないの一点張りで、車中の説得は相変わらず平行線のままでした。
僕たち二人が車に戻ってから10分ほど経った頃でしょうか、僕はふと、あることに気が付きました。
室内灯がついてる・・・
僕は当然のように、半ドアを疑いました。
当時の僕のクルマはホンダのシビックで、ご存じの方もいると思いますが、
当時(現在もかな?)のホンダ車には、運転席のメーターパネルの中に各ドア&トランクの開閉状態が図で表示されていたのです。
そこで、僕はそれを見てみると、助手席のドアが開いている表示が出ていました。
僕は助手席に座っていた今井に、「そこのドア半ドアになってるから、ちゃんと閉めて。」と言い、今井も、「あ、そう。」と言いながら、一度カチャッとドアを開けて、バタンと閉めました。室内灯も消えました。
しかし、そのときはまだ誰も気づいていませんでした。
その場所で車を降りたのは運転席に座っていた僕と、後部座席左側に座っていた竹田だけだったこと、一番怖がっている助手席の今井がドアを開けるわけがないことを・・・
ドアのことなどあっという間に忘れ、僕たちは再び車の中で行こう、行かないの議論(説得)を繰り返していました。
そしてさらに数分たった頃、僕はまた気づきました。
また室内灯がついてる・・・
表示を見ると、また助手席。
終わりの見えない議論に少しイライラしていたこともあり、僕は今井に少し強めの口調で言いました。「おい、さっきちゃんと閉めてって言っただろ。」
「え?ドア?お前何言ってんの?俺さっきちゃんと閉めたよ。」
「だってそこ、まだ開いてるぞ。」
今井はおそるおそるドアノブを引くと、明らかに半ドアの「カチャッ」という軽い音とともに、ドアは開きました。
今井は急いでドアを閉め、「ちょっと待ってくれよ、おれさっき閉めたよね?カチャッて開けて、バタンってちゃんと閉めたよね?みんな聞いてただろ?」
一同、「うん・・・。聞いてた。」
考えてみると、僕は室内灯が消えたのも確認していたのでした。
全員が今起こったことを反芻するために黙りこくった、その時でした。
それは聞こえてきました。静かに、しかしはっきりと力強い声で。
全員が今起こったことを反芻するために黙りこくった、その時でした。
それは聞こえてきました。静かに、しかしはっきりと力強い声で。
「・・・てよ・・・き・・てよ・・」
明らかにこの世の物とは思えない、おそらくは中年の女性と思われる声で、それは私たちに呼びかけていました。
「聞こえた!?」「今の聞こえたよね!?」「今の何!?」「逃げよう!」
僕はもうパニックになり、とにかく一刻も早くそこを離れなければと思い、ハンドルを握り、ギアを入れ車を発進させようとしました。
そこで、気づいたのです。また、室内灯がついていることに。
しかし、今度は半ドアではありませんでした。
横を見ると、なんと、今井がドアを開けて車を降りようとしているのです。
「おい!今井!何やってんだ!早く乗れ!行くぞ!」僕は叫びました。
「おい!今井!何やってんだ!早く乗れ!行くぞ!」僕は叫びました。
すると今井は、意外なことに驚くほど冷静な顔でゆっくりとこちらを振り返りました。
それは本当に何事もなかったような顔でした。
目がうつろとか、薄笑いを浮かべているとか、そのようなことは全くなく、普通の、無表情な今井の顔でした。
しかし、僕にはそれが逆に不気味に感じられました。
「俺、行かなきゃ。」今井は言いました。
「はぁ!?」
「俺ちょっと行かなきゃ。先帰ってて。」
「バカお前何言ってんだ!帰るぞ!早く乗れって!」
ところが今井はそのまま何も言わずドアを閉めてその廃墟の方へ歩き出してしまいました。
僕らはもう完全にこれはヤバイと思い、全員車を降りて今井を止めに行きました。
僕たちに取り押さえられた今井は、意外なことにそれほど抵抗もせず、きょとんとしたまま車へと引きずり戻されました。
僕はすぐに車を発進させ、帰途につきました。
車中で誰かが「今井、大丈夫か?」と問いかけると、今井は普通に「うん。」と答えていました。すこしボケーっとした様子でした。
何となく、誰もが先ほどの出来事にはもう触れたくないような雰囲気になり、僕らは口数少なく、コンビニに寄って、僕の家に帰りました。
まだすこしボケーッとしたままの今井のことは心配でしたが、誰かの冗談に微笑む様子も見られたので、そのまま5人で雑魚寝しました。
次の朝には、今井はすっかり元通りの今井に戻っていました。




自己責任 

April 05 [Sat], 2008, 22:38
注意                        
この話の良くない噂を耳にしたので
何があっても自己責任ですので
その事を理解したうえでご覧ください
まぁ有名ですので知っている方もいるかと思いますが・・・
見る人は追記をご覧ください

津山30人殺し事件 

April 05 [Sat], 2008, 22:34
恐怖の連続殺人
 



wikiより
事件発生以前
犯人の都井睦雄(とい むつお)は1917年3月5日、岡山県苫田郡加茂村大字倉見に生まれた。早くに両親を肺結核で亡くし、姉とともに祖母の元に引き取られた。6歳の時に一家(祖母・姉・都井、戸主は都井であった)は祖母の生まれ故郷の貝尾部落に引っ越した。

都井家にはある程度の資産があり、畑作と併せて比較的楽に生活を送ることができた。 都井の祖母は自身の体調の不良等を訴え、都井に家中にいることをたびたび要求した。 そのため、都井の尋常小学校(当時義務教育)への就学は1年遅れ、就学後たびたび欠席を余儀なくされたが、成績は優秀だった。 その後担任教師に岡山市内の中学校(旧制)への進学を勧められたが、 祖母に反対され断念せざるを得なくなった。

都井は尋常高等小学校を卒業後、すぐに肋膜炎を患って医師から農作業を禁止され、無為な生活を過ごしていた。最初の肋膜はすぐに快方に向かい、補習学校(後に青年学校に改組)に入学したが、姉が結婚した頃から徐々に学業を厭い、家に引き篭もるようになっていき、同年輩の人間と関わることはなかった。また、その一方で、自身が子供向けに作り直した小説を近所の子供達に読み聞かせて、彼等の人気を博した。さらに、近隣の女性達とこの地域での風習でもあった夜這い等の形で関係を持つようになっていった。

しかし、都井は事件の前年、1937年に徴兵検査を受けた際に、結核を理由に丙種合格(実質上の不合格)とされた。その頃から、都井はこれまで関係を持った女性たちに、都井の丙種合格や結核を理由に関係を拒絶されるようになる。(当時は甲種合格で徴兵される男性をもてはやす風潮が女性たちにあった。)

同年に狩猟免許を取得して津山で2連発猟銃を購入。翌年はそれを神戸で下取りに出し猛獣用の12番口径5連発ブローニング猟銃を購入。毎日山にこもって射撃練習に励むようになり、夜な夜な猟銃を手に村を徘徊して近隣の人間に不安を与えるに至る。一説には、最初に猟銃を購入したのは、関係を求める際に相手の女性に拒ませないためで、村人を襲撃することを念頭においてのものではなかったとされている。また、徴兵されなかった都井へ対しては村人の迫害があり、護身のために銃を所持したとの見方もある。だが猛獣用の猟銃に買い換えた時は、すでに自宅や土地を担保にあらゆるところから借金をしており、犯行への準備を進めていた。そんなある日、都井が祖母の病の治療のため味噌汁に薬を入れているのを、祖母自らが目撃し「孫に毒殺される」と大騒ぎして警察に訴えたことで、家宅捜索を受けて猟銃一式すべて押収されてしまう。その際、押収されたのは、猟銃一式の他に、日本刀、短刀、匕首などで、猟銃免許も取り上げられた。

この一件により凶器の類はすべて失った都井だが、知人を通じて猟銃や弾薬を購入したり刀剣愛好家から日本刀を譲り受けるなどの方法により、再び手元に凶器を集めていった。

そして、以前懇意にしていたもののその後都井の元から去り、他の村へ嫁に行った女性が村に里帰りしてきた1938年5月21日の深夜、犯行が行われた。


[編集] 事件
都井は事件の数日前から実姉など数名に宛てた長文の遺書を書いていた。更に自ら自転車で隣町の加茂町駐在所まで走り、難を逃れた住民が救援を求めるのに必要な時間をあらかじめ把握しておくなど(当時、西加茂村駐在所の巡査は出征で欠員中だった)犯行に向け周到な準備を進めていたことが後の捜査で判明している。

1938年5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾部落のみを全面的に停電させる。しかし村人たちは停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や原因の特定などを試みることはなかった。

1938年5月21日1時40分頃、都井は行動を開始する。詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、頭には鉢巻を締め小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。首からは自転車用のナショナルランプ(手提げハンドルとブラケットがついている前照灯にもなる懐中電灯)を提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持った。

まず都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧で刎ね殺害する。その後、近隣の住人を約1時間半のうちに次々と改造猟銃と日本刀で殺害していった。被害者たちの証言によると、この一連の凶行は極めて計画的かつ冷静に行われたとされている。 「頼むけん、こらえてつかあさい」と足元に跪いて命乞いをする老人に都井は「お前んとこにはもともと恨みも持っとらんじゃったが、嫁をもろうたから殺さにゃいけんようになった」と言って猟銃を発砲した(重傷を負い後に死亡)。しかしある宅の老人は返り血に染まった都井の姿に脅え、逃げることも出来ずに茫然としていたところ「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と言われ見逃されたという。またある宅でも、その家の主人が「決して動かんから助けてくれ」と必死に哀願したところ都井は「それほどまでに命が惜しいんか。よし、助けてやるけん」と言い残しその場を立ち去っている。

その後も都井の凶行は続き、最終的に事件の被害者は死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)、重軽傷者3名にのぼった。死者のうち5名が16歳未満である。計11軒の家が押し入られ、そのうち3軒が一家全員が殺害され4軒の家が生存者1名のみとなった。押し入られた家の生存者たちは、激しい銃声と都井の怒鳴り声を聞きすぐに身を隠すなどして助かった。また、2名は襲撃の夜に村に不在だったため難を逃れている。

そして約一時間半に及ぶ犯行後、都井は隣の部落の家を訪れて遺書のための鉛筆と紙を借りようとしたが、家人がその異様な風体に驚いて動けない状態だった。だがその家の子供は以前から都井の話を聞きに来ていた縁から顔見知りであったため、その子供に頼み鉛筆と紙を譲り受けた。この時、都井は去り際にこの子供へ「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけている。その後、3.5km離れた仙の城山頂に登り、追加の遺書を書いた後、猟銃で自殺した。

都井の遺体は翌朝になって山狩りで発見された。猟銃で自らの心臓を撃ち抜いており、即死したとみられている。


[編集] 事件後
都井は遺書の中で、この日に犯行を起こす決意をしたのは、以前都井と関係があったにもかかわらず他家に嫁いだ女性が貝尾に里帰りしていたからとしている。しかし、この女性は実家に都井が踏み込んで来たときに逃げ出して助かり、逆に逃げ込んだ家の家人が射殺される場面もあった。他にもかねてから殺すつもりの相手が他所へ引っ越したり他者の妨害にあったりして殺害することができなかったことと併せて、都井は「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」として反省している。また、同じく遺書には、真っ先に祖母を手に掛けたのは「後に残る不びんを考えてつい」と書かれている。

この事件は、前代未聞の惨劇として、ラジオや新聞などのマスコミがセンセーショナルに報道した。一部には当時は日中戦争の真っ最中であり、報道管制が敷かれたという説もあったが、そのような事実はなかった。

この事件が貝尾部落に与えた影響は大きく、前述のように、一家全員が死亡したところもあれば一家の大部分を失ったところもあり、部落の大部分が農業で生計を立てているため、かなり生活が苦しくなったとされている。さらに、都井の親族であり、都井から襲撃を受けることのなかった一家が、企みを前々から知っていて隠していたのではないかと疑われ、村八分に近い扱いを受けたともいわれている。

また、当時の識者の間では、警察の取締りの不備を強く批判するものが多かったが、中には、1913年にドイツで起こった「ワグナー事件」との類似性を指摘し、都井の自殺を惜しんで「ぜひとも医学上の研究対象にすべきだった」との声もあった。

事件後、犯人の都井が警察による取り調べを受ける前に自殺し、さらに多くの被害者が亡くなったため、生存者による証言しか残っていない。しかし、生存者のほとんどが亡くなった被害者の誰かしらと親類関係がある状態で、すべての罪を都井にかぶせるようなものが多いという意見もある。さらに、都井が死亡した以上、例えば都井と関係があったと噂される女性でも本人が否定してしまえば確認する方法はなく、事実関係が不明な部分も多く残った。また、この事件は発生から70年近くが経った現在でも現地ではタブー視されているとされている(例えば1975年に刊行された『加茂町史』では、本事件について「都井睦雄事件が発生した」という記述にとどめられている)。

杉沢村 

April 04 [Fri], 2008, 22:40
              ■最初に■
杉沢村伝説は「津山30人殺し事件」が都市伝説化したものです

今回は杉沢村についてです





地図から消された村・・・杉沢村。今から50年ほど昔、青森県八甲田山系の裾野に杉沢村という小さな村があった。ところがある日のこと、この村に住む一人の男が突然発狂して住民全員を手斧で殺害、犯行後男もまた自らの命を絶ってしまったため村には人が一人もいなくなってしまったのだ。この事件により村として成立しなくなった杉沢村は、事件を覆い隠そうとする自治体によって密かにその存在を抹消された。地図の上から名前を消され、青森県の公式記録の中からも名前を消され。廃墟と化した杉沢村にはそれ以来近づくものはなく、50年の歳月が静かに流れていった。ところが・・・ いかに青森県が真実を隠蔽しようとしても、人々の記憶までは消せるものではない。杉沢村の事件は地元の老人たちによって語り伝えられ続けていた。一説では作家の横溝正史はこの杉沢村の事件を伝え聞き、その話をモデルにして「八つ墓村」を執筆したとも言われている。杉沢村の事件は地元の住人にとっては言わば公然の秘密であったのだ。ある日のこと、青森県の山中をドライブしていた3人の若い男女が道に迷い、山奥にある古ぼけた鳥居の前にたどりついた。鳥居のすぐ下には大きな石が二つあり、そのうちの一つはドクロのような形に見える。運転手の若者はこの時、昔聞いたある噂のことを思い出した。ドクロ岩のまつられた鳥居が杉沢村の入り口であるという噂を。男たち二人は車から降りると「恐いからやめようよ」といやがる女を連れだし、杉沢村を探検してみることにした。鳥居をくぐり100mほど杉林の中を歩いて行くと、不意に3人の前に空き地が広がりそこに4軒の古びた廃屋が姿を現した。そのうちの一軒の家に3人が足を踏み入れると、その家の内壁には大量の乾いた血の跡がある。男たちが背筋に寒いものを感じたとき、連れの女性が突然こう叫びだした。「ねえ、絶対に何かおかしいわ。人の気配がするの!」驚いた3人が慌てて廃屋の外に飛び出すと、確かに彼らを囲むように大勢の人がいる気配を感じる。3人は大急ぎで車へ向かい走り始めた。ところが、どうしたことだろう。どんなに走り続けても、なぜか車のもとへたどりつくことができないではないか。広場から車までの距離はほんの100mほどであったはずだし、道も一本なので迷いようがない。それなのに、3人は行けども行けども杉林の中から抜け出すことができないのだ。いつしか3人ははぐれてしまい、女性一人だけが長い間走りつづけた後にどうにか車まで戻ることが出来た。幸い車のキーは刺したままになっている。彼女は助けを呼びに行こうと運転席に乗り込み、車を発進させようとキーを回した。ところが、なぜかいくらキーを回してもエンジンがかからない。彼女は泣き出しそうになりながら何度も、何度もキーを回し続けた。その時・・・「ドン、ドン、ドン!」突然車のフロントガラスから大きな音が鳴り響いた。見ると車のフロントガラスを血に染まった真っ赤な手が激しく打ちつけているはないか。いや、フロントガラスだけではない。車の前後左右の窓に無数の血まみれの手が現れ、一斉に窓ガラスを突き破るかのような勢いで叩き始めたのだ。彼女は恐怖でその場にうずくまると、やがて意識を失ってしまった・・・ 翌日の朝、地元のとある住人が山道の途中で、血の手形が無数につけられた車の中で茫然自失となっている彼女の姿を発見した。彼女の髪は恐怖ためか一夜にして白髪と化していたという。病院に運び込まれた彼女はそこでこの恐怖の体験を物語った後、突然姿を消してしまった。これ以後彼女の姿を見たものはなく、彼女の連れであった二人の男性もまた姿をくらましたままである。 呪われし悪霊の村・杉沢村。ここに足を踏み入れたものに、命の保証はないのだ。





次回はその津山30人殺し事件です
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