メッセージ

October 12 [Wed], 2011, 18:50
いつも本ブログをご覧頂き誠にありがとうございます。

本格的な霊視鑑定や相談希望の方で、私が【改善には本格的な鑑定が必要】と判断した場合は有料での相談になりますので予めご了承下さい。


私へのメッセージを送る際は下記3点を守って頂ければと思います


1  正式な霊視鑑定の依頼希望か?

2 自己紹介(匿名で構いません)と相談内容を明記

3 私のブログを全体的に読んで頂けたか?


正式な霊視鑑定の依頼希望の方は、まず1〜3を私が確認した後に、メッセージ内で詳細なお話させて頂きます。

大変申し訳ありませんが、上記3点の記載がない方へのご返信が出来かねますので、予めご了承下さい。


私はアメーバブログでも同様の日記を書いてます。
http://ameblo.jp/sense-of-wonder520/

本格的な霊視鑑定をご希望の方は下記までお問い合わせ下さい。
info_destiny_hazuki■yahoo.co.jp 【■を@に変更下さい】

お祓い

July 04 [Mon], 2011, 17:51




先日、ある方の依頼でお祓いをしてきました

今からお話しする事が参考になればと思うので

今現在で自分の家族で起きてる事と似たような状況があれば私にお声かけ下さい


この家には高齢の両親と成人した子供の、4名が住んでます。妹は結婚して夫子供もいるため別の家で暮らしてますが、長男と次男は40歳を超えてまだ家に住み着いてる状況でした。依頼者は妹です。

両親は高齢で仕事もできず、経済的に辛い中で年金に頼って生きてますが、家に寄生する長男と次男も鬱病を患っており、しっかり働ける状況ではないようです。

まずは母親が更年期障害もあって心身が乱れ、父親も酒浸りで母親に暴力を振るう。鬱病の長男と次男は家に閉じ籠ったままで仕事もせず、いつ自害をするか解らない危険性がある。

こんな実家の状況を見かねた妹が心配になって実家に帰省すると

「お前だけ幸せになって親不孝者!」と狂気の沙汰で迫ってくる家族達。このままでは家族に死者が出てしまうと思った妹が私の元に相談に来ました。霊視鑑定をして直ぐに解りましたが、まず家が完全に呪われてます。住んでいはいけない土地に家を建ててしまったようです。築35年なので、かなり前の事になってしまします。

まず、こういった悪霊が一家に絡むと、その一族の繁栄を拒もうとしてきます。ここで解るように、この家族の血筋を受け継ぐ「男兄弟」が全滅してます。長男次男の繁栄を遮る事でこの一族の崩壊を狙ってる訳です。

妹は他家に嫁いでますから、もうこの家の人間ではないのです。息子達が結婚して子孫繁栄していかないと、この家の名字も途絶えます。そうやって悪霊というのは血族を滅ぼそうとしてきます。そして大抵は、地縛霊や未成仏霊という先祖が関係する場合がほとんどです。

この一家は先祖の墓参りも行かず、地縛霊が強い土地を選択して家を建ててしまい、そして私生活も乱れ、まさに悪霊の思う壺のような生活を何十年も続けて来たのです。ですから父親は酒に溺れ狂言を吐き、母親は更年期障害で悩まされ、息子二人は鬱病で精神を患い、早くして他家に嫁いだ娘だけがこの悪縁の難を逃れた訳ですが、妹も眷属ですから易々とはこの難からは逃れられません。

何故なら、実は実家の家族の不安もあって相談にきたと言いますが、この妹さんは自分の子供が原因不明の体調不良で悩まされてるという問題も重なって私に相談してきたのです。私は直ぐに察知しました。先にお話したように、この一家の血筋全てを途絶えさせようと悪霊は試みてきます。だから妹さんが産んだ子供達を滅ぼすつもりなんです。それでこの一族の血筋は現世で完全に途絶えます。それが悪霊の狙いです。

映画のような話に聞こえるかもしれませんが、これは真実です。本当に恐ろしい事なんです。世の中にはこの一家と似たような状況で知らず知らず悪霊や悪縁を抱えながら

「何だか私の人生はヘンだ・・・」と思いながら生きてる人が沢山います。悪霊というのはそうやってちょっとずつちょっとずつ蝕んできて、最後に破滅に向かうよう働きかけてきます。一族の全滅を狙ってくるのです。何故なら、自分達が繁栄できず苦しんで死んでいった魂の怨念というのはすさまじいものがあって、現世の人が幸せに生きる事が絶対に許せないのです。だからそれをメチャクチャにしようと働きかけてきます。

このご一家は崩壊寸前まで行きましたが、1ヵ月ほど前から私も本格的に鑑定なり祓いをして状況は落ち着いてきました。まだまだ油断はできませんが、最悪な事態は免れたと思ってます。

皆さん、こんな事がありませんか?

数日前、もしくは数週間前まで食べ物も喉を通らないくらい悩み苦しんでいたのに、気がつけば少し気持ちも楽になって「とりあえず今は気分も落ち着いてきたし、このまま問題解決するかも?」と言った何の根拠もない結論を出す時など。

これが悪霊や悪縁が絡んでる状態だと、こういった精神の乱れが定期的にやってきます。要は「気分が落ちたり上がったり激しい」のです。これは人の魂に巣食って精神の乱気を楽しんでると言えます。放置すると面倒になります。そして悲しい事に、こういう状況が続くと何故か人間は曖昧にしたり放置したくなるんです。

「また気分が落ち着くだろう」と思うから、その時を待って放置したくなるんです。こういった精神状態に陥る事が悪霊悪縁などの狙いですから、既に罠にはまってしまってるのです。悪霊の思う壺になって、それに慣れてしまう日常をその人間の魂に癖づけさせて、そして身動きが取れない状況になってから、最悪なシナリオで悪霊は動き始めます。本当に恐ろしく狡猾な相手ですから、普通の人には太刀打ちできません。

備えあれば憂いなしとも言います。今現在の生活で心当たりがある方は、この日記をお読みになって参考にして頂ければ幸いです。

負け癖を作ると破滅に向かう

June 28 [Tue], 2011, 18:50
人間には基本的な欲が3つあります。寝る、食べる、性行為です。これだけ満たされれば生物としては全く問題なく生きていけます。更にそこから人間独自の欲があります。

名誉欲や金銭欲です。そして人間はエゴイズムになりがちです。利己主義の事です。それらを制御するのが理性でしょうか。理性は強い意思と連結しないとコントロールできないものです。では強い意思とは一体どこからやってきて、どう作り出すんですか?という事になります。

よく、こんな事を言う人がいます。

「私だってそれが正しいのは解ってる。でも自分でもどうにもコントロールできない。だから悩んでるのだ」と。確かに、これは事実だと思います。嘘は言ってないのだと思います。ではこれが事実だととして、この人はその状況からどうやって変化させればいいんでしょうか?理性コントロールの方法を学ぶべきですか?それとも、何か宗教に帰依して出家でもした方が良いでしょうか?

どの方法にしても、一つだけ言える事があります。

【人間の変化には時間がかかる】という事です。人間の主体となる五欲は、遺伝子レベルで根強く組み込まれたものです。絶対にこれを無くす事はできません。それらと闘う必要はないのですが、上手にコントロールする必要があります。この根強い五欲に対して、一朝一夕でコントロール方法を手にできると思いますか?それは無理です。

そして悲しい事に、人間というのは輪廻転生として魂の癖(その人間の本質部分)は延々と受け継がれたまま生まれ変わります。だから過去世で自己制御できないまま亡くなった人は、現世でも自己コントロールできない魂の癖をもったまま生まれます。自己変革という宿題を先延ばしをしてるに過ぎません。

だから、現時点で自分の不甲斐ない部分に困り悩んでる人は、現世でその宿題を少しで改善方向に向かせないといけないのです。この3世観のない人間は今という時代にしか執着してませんから、自分という魂の存在を長い目で見れません。

人生は長い道のりです。何も修行僧のように五欲を断絶する必要もありません。何度も言いますが、五欲と上手に付き合い自己コントロールする事が何よりも重要になります。ここから非常に重要な話になります

例えばタバコを止めると言って止められない人。ダイエットすると言って直ぐにラーメンを食べてしまう人。日記を書く目標を立てて3日坊主になる方。人生の最大の宿題である「自己変革と成長」においても、こういう方は失敗をする可能性が高いです。簡単に言えば目的意思の薄さがあるからです。

何故なら、タバコを止めるための自己制御できない人が、人生における人間成長などは課題としてあまりにも難解になりいます。簡易な事から結果をだせない人が大きい事で結果は出せません。だから、もしご自分で「やる」と決めたら、それは絶対に遂行すべきなのです。もちろん、非現実的なチャンレジは別です。マラソンで世界一周をするとか、ボクシングで日本チャンピオンになるなどは無茶です。それは若い時から長い年月と常人以上の努力を重ねて達成する事です。

そうではなくて、日常の中で普通の方であれば誰だって可能な範囲の事を目標に掲げたなら、それは何がなんでも達成まで諦めない事です。そこで諦めたら何が怖いかご存知ですか?ダイエットを例にあげましょう。

太った人が運動して痩せる事が体に良いのは誰もが解ってる道理です。これは語るまでもありません。こういう人が痩せられなくて自分の体が害される事が怖いんじゃないです。「自分で決めた事」を常に断念し許してしまう負け癖を作ってしまってる事が怖いのです。これは恐ろしい事です。

知らず知らずにこの負け癖に侵されると、気がつくとそこから這い上がれなくなってしまいます。これが人生において何よりも怖い事です。自分に完全に負けてしまってるというよりも、もはや、勝ち負けの概念すらない状況に陥ってるという事は、人間としての目的意識や生きる価値を見出せなくなってる状況に近いのです。

まさに【寝る、食べる、性行為する】以外に興味がないという事でしょう。これでは動物と同じです。これに自分が好きな趣味が追加されて、好きな事だけやって生きるという堕落の人生となります。生活のために最低限の仕事をして、寝て、食べて、性行為を欲し、そして趣味をして適当に暮らす。一見、普通に生きてるように見えますが、人間という崇高な立場と可能性から見れば、これは単に「ある生き物が生きてるだけ」と同じです。

人間の欲をこういった観点から見ると、少しは生き方を変化させる参考になるかもしれませんね。

勇敢と勇気の違い

June 23 [Thu], 2011, 17:48
論語の中でこんな言葉があります

子曰く、徳ある者は必ず言あり。言ある者必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり、勇者必ずしも仁あらず。

人格が優れた人物であれば、その人が言う言葉はきっと優れているでしょう。でも良い事を言う者が必ずしも人格が立派であるとは限らない。人格者には必ず勇気がある。そして勇敢な者が人格者であるとも限らない。

深い考察洞察から発せられた言葉ですね。そして現代に生きる皆さんにも言える事です。


皆さんの周りには「良い事を言うだけの普通の人」と「良い事は言わないが、もしくは言えないが人格者である人」がいると思います。

それに、勇敢だが勇気のない人もいるはずです。勇敢と勇気は意味が違います。人は善と見える聞こえる事をしているからと言って、必ずしもその人が人格者である保証などはありません。ただもし神が天から全ての物事を見てるなら、本当の人格者は善の心によって行動をしますから、それは善行として徳が積まれます。

逆に、本当は汚い心を持ちながら善行を行っても、天が見るならその人には徳は積まれない事になります。絶対的な力で物事を看破してる神様が天からあなたの心の中を仮に見てるとするなら、本当の勇気と単なる勇敢に見える行動の違いは簡単に見抜かれ、そしてその徳の積む積まないもそこで決定されてます。

道端で誰も見てないから、、もしくは他の人も捨ててるからとタバコの吸い殻を捨てます。誰も見てないし誰も咎めませんが、それは当人がそう思ってるだけで、徳積みの観点で見れば、既に正当なジャッジはされてるのです。


勇気のある人とは一体何を指すか?

タバコの吸い殻を捨てた人に対して「ダメですよ!」と注意する人なのか?

いや、それは単に勇敢なだけの人ではないか?

本当に勇気ある人とは、そういった哲学を頭だけで理解せず、行動に移せる人の事を言います。だから勇気ある人格者は、誰が見てなくても、道理として間違った事は絶対にしません。そしてそういった事をしてしまいそうになる弱い自分を戒め、自分という敵と真っ向から闘い続ける事ができる強い意思と精神力がある人。それが勇気ある人格者と言います。自分に厳しく人に優しく。


敵は外に非ず。全ては内なる自分です。でも多くの人間は自分の弱い心に大敗を重ねます。

皆さんは自分の胸に手を当てればお分かりのはず。一番解ってるはずです。

誰が見てなくても、見てますよ。自分との闘いからは逃げられないのです。それが人生というもの。

逃げられないのだから観念しなさい。自分の弱さと闘いきるために人間はこの世に生を受けてます。

この根本法則を魂に刻み込みましょう。

それが幸せになるための一番の近道だからです。

男女という関係

June 20 [Mon], 2011, 18:25

皆さんは散歩をしますか?散歩は気分転換にもってこいです。

この季節は梅雨時期ですから、雨も多く蒸し暑くなりますが

真夏に散歩するよりはまだ良いかもしれません






雨が地面を濡らし、地熱で蒸発した水蒸気がまた空へと昇って行く。

その時に我々の鼻先をスッと香る独特の匂いがあります。

雨に匂い?土の匂い?木々の匂い?アスファルトの匂い?石の匂い?

現代は何でも科学で証明しようとしますから、きっと調べれば何かの科学物質なりが

人間の鼻先を刺激してるのでしょう。

でもそれを知ると驚きもありますが、味気無さも出ますよね。

人間というのは、知りたがりです。そして知って幸せになるなら良いですが

知る事で不幸になる人もいます。

それは「気の持ちよう、考え方次第」なのです。知る知らないが人間の幸不幸を決定しません。


よくあるお話しとして、浮気の疑いある彼の携帯電話を見てしまって後悔をする女性やヒステリックになって我を失う女性

または、彼女の携帯電話を当然のごとく見て、少しでも疑いがあれば徹底的に彼女を追い込む暴力的で余裕のない惨めな男性

厳しい言い方をさせて貰えれば

「どちらも醜く愚かな姿」です

人間というのは嫉妬の塊です。それは弱い生き物だからです。何故嫉妬するか?自分が傷付きたくないからです。依存してる相手に、もしくは自分のモノのように独占してる相手の予期せぬ行動によって、自尊心を傷付けられる恐怖が嫉妬という心に変わります。嫉妬が強い人は「弱い人間」の証拠です。嫉妬のエネルギーは理不尽な行動を平然と許します。だから醜い姿をさらけ出します。そしてそれは、必ずと言って良い程、当事者間にだけ見せます。外部に見られる事の恥じや恐怖があるからです。

「惨め、情けない、恰好悪い」などの中途半端なプライドだけは残ってますから、外部の人間に男女間で起こる醜い姿を見せられないのです。それを意図的にやってるという意味では狡猾と言えます。DVや虐待、ストーカー行為などが外に漏れにくいのはそれらが原因です。狡猾に外の顔と内の顔を使い分けるプロでもあります。

でも、これはどんな人間にもあり得る落とし穴であって、気を抜けば直ぐにこういった愚かな恋愛や結婚生活を犯してしまいます。こういう恋愛や結婚生活は必ず破滅しか待ってません。【嫉妬に狂うは身を滅ぼす】覚えておいて下さい。必ず自分の身と魂を滅ぼします。

話しは戻りますが、人生において重要な事は「知る」事でもなく「知らない」事でもありません。理想は知りながら強い自分を保てる事です。知ると言うのはそれだけリスクがあるのです。知らぬが仏とは良く言ったものです。

知ろうとも知らぬとも「自分を信じ相手を信じる心」があれば、知る知らないは関係ないのです。そして知る事で自分の予期せぬ結果だったとしても、それに憤慨する事も嫉妬することもありません。どんな結果であっても、それを受け入れて(受け入れるは悪行を許すとは別の意味です)自分のスタンスで決断をして次の道を歩む事が出来る人間は強い人間です。罪を憎んで人を憎まずなんて言葉もありますよね。ただ、許す許さないも重要ではありません。要は【あなたはその現実に対してどう次のステップへと進みますか?進めますか?決断できますか?】という事なのです。常に自分の決断と強さの確認を天から確認されてると思って下さい。

彼が、彼女が浮気をしてました。それを知りました。浮気をしていた事が問題ではありません。何故なら、それが悪い事か良い事かなどは議論するまでもない事だからです。悪いに決まってます。重要なのは、それを知ったあなたが、その相手に対して「どう対応できるか?」という事なのです。これが全てです。嫉妬の鬼となって醜態をさらけ出しますか?そんな相手を選択したあなたの方も悪いのでは?皆さんには私の言いたい事は解るはずです。

逆に、彼が、彼女が、浮気をしてる事実を知りませんでした。「知らない事が問題」ではありません。知ったら相手に対して鬼のような形相で問い詰めて追い込みますか?それならば、知らないままで居た方が賢明です。そして知らずともいつもと変わらず、相手に誠心誠意を持って、思いやりを持って、優しさを持って相手に奉仕して下さい。相手からの「心服」を得られます。本当に縁がなければ、相手から離れていきます。

相手がこうしたから、私も仕返しをする。相手が私を愛してくれないから私も他の男と遊ぶ。相手が私に時間を費やしてくれないから、私も時間を費やさない。

いつまでそういった子供のような精神性で恋愛と結婚生活を続けるおつもりですか?

何度も言いますが、恋愛にしても結婚にしても、表面的には相手のためであって、実際は相手のためじゃありません。結局は自分のためなんです。自分が強い人間になるために、自他共に奉仕をする。相手が奉仕をくれなくても奉仕をする。それは相手のためにやっているように見えて、結局は自分のためになるんです。

でも世間の恋愛や結婚への概念は逆なのです。「自分ばかりが奉仕すると損するじゃないか?」という恐怖心と闘いながら恋愛や結婚生活をしています。現代の両親でさえ、過保護になり自分の娘や息子の将来を不安視して、相手へ奉仕精神を求めます。「よろしく頼むな?」と。逆であるべきです。自分の娘息子にこそ、相手への奉仕を必ず忘れるなと叱咤激励して送り出すべきなのです。

誰だって奉仕して欲しいのです。みんな同じ気持ちなのです。あなただけじゃないのです。あなた中心に世界は回ってないのです。

であればです。

「自己成長のための行動が、結果的に相手のためにもなり自分のためにもなる」という哲学を持って日々恋愛や結婚生活をできることが【強い人間の証拠】であって、最大のテーマなんです。

ここで勘違いしないで下さい。自他共にです。他だけの奉仕破滅型の人がいます。特に女性に多いです。これはダメです。「彼が幸せなら私はどうなっても良い」なんてフレーズを言う方が居ますが、それは間違ってます。

二人で幸せにならないと意味がないのです。そして片方がその誠心誠意ある恋愛や結婚生活に応えてくれないなら、それは自ら離れて下さい。または、縁がないという事で向こうから離れていきます。依存しないで下さい。そんな人間に依存する価値はありません。だから常に恋愛も結婚も相手に依存せず、自分のプライドにも執着せず

、互いの幸せを信じて自分のために相手に奉仕する事に脇目も振らずに信じて行動を続ける事なんです。そこで予期せぬ事を知ってしまったら、予め決めておいた自分のスタイルで次のステップの選択を決断して下さい。別れるも良しです。許してチャンスをあげるも良しです。浮気なんて誰だってするから別に気にもしないとあしらうも良し。


「その時、あなたは強い自分で居られますか?強い自分で相手に対応できますか?」が大切です。

嫉妬と醜態をさらけ出すのは高校生や20代前半の若い恋愛時で経験済みとしておいて欲しいです。いつまでも感情的で子供のような男女関係では成長がありません。

相手がどうだこうだと言ってる以上は、良い恋愛も結婚生活も不可能でしょう。

どうせなら、相手に一言いわせてあげて下さい

「あなたのような思いやりがあって気の効く、人の事を考えられる人間とお付き合いしたのは初めてです」と。

それくらい言わせる覚悟で恋愛も結婚も取り組むのです。その方が「遣り甲斐がある」というもの

今現時点で、そういった恋愛や結婚生活を送ってない方は、私に騙されたと思ってチャレンジしてみて下さい。

得る物が宝石のようにあるはずですから。

現代風の胆識を持ちましょう

June 15 [Wed], 2011, 17:44

昨今は胆識ある人が少ないです。

皆さんは武士道という言葉をご存知でしょうか?

教育者でもあり思想家であった新渡戸稲造さんの武士道は有名です

これは日本人の道徳観や倫理観を体系化してものですが、今でも日本人に根強く植え付けられてます。

その中で「胆識(たんしき)」を重んじる面がありますが、これは人生の中で非常に重要な部分をしめるものです。

胆識とは、見識あっての決断と行動力を指しますが、胆識の必要性は人生においていかなる場面でも必ず求められるものです。これを持ち合わせない人は有意義な人生を送れない事が多いです

一時や断続的であれば胆識をもった生き方が出来る人はいますが、これを常に継続的に持つのは日々の鍛錬が必要です。鍛錬とは何を指すか?になりますが、これも考え方次第で鍛錬にもなり、無駄にもなります。

例えば、少し話は変わりますが、日本人の教育というのは欧米に比べて後ろ向きです。というよりも、形式的なのです。実は、これは武士道の精神性が深く根付いた事による「マイナス面」だと私は思ってます。武士道は忍耐や辛抱、調和など、自他共に勝つ強い精神性を重んじますから、どうしても形式的にある側面があります。

学校で算数を教える時に、日本では「1+1=2」と教えます。欧米では「2になる数式を答えなさい」と教えます。違いが解りますか?

欧米では「自分の頭で応用的に考える力」を養う教育方法なのです。でも日本は、全体的に無難な形で形式を覚える事で社会に順応する、調和する可能性を高めるという教育指針なのです。

これはスポーツでも同じです。昨今は変わってきましたが、以前の日本のスポーツ界では、巨人の星のアニメのような影響もあってか「根性論」による指導が多かったのです。例えば昔の水泳など、体に重りを付けて、50mを全力で泳がせる事でパワーをつけさせようとする練習や、体に負荷をかけて忍耐させ肉体を物理的に強化させようとする。根性をつけようとする。でも欧米は違います。プールも向こう側から選手を長いゴムで引っ張って

「いかに早いスピードで自分が泳げているかというイメージと感覚を味わせる」という練習方法です。

発想の逆転です。人の肉体は脳に支配されてます。そして様々な経験をする事で脳に刻まれます。それが教訓となり、次のアクションの原動力ともなります。

「イメージを持たせる。感覚を持たせる」これは非常に重要な事です。何でも根性論で「頑張れ!」と教えてもダメなものはダメなのです。昔はそれで通用しましが、今はそれだけでは通用しません。何故なら、教育にしてもスポーツにしても、そして人間として交流も、世界的に柔軟で多岐に渡るスタイルが確立してきてるのです。ですからその変化に順応した胆識や武士道精神を活用しないと、古いままで終わってしまいます。

ただ勘違いしないで下さい。時代が変わっても哲学の根本は変わらないのです。武士道は確かに素晴らしい。日本人がもつ礼節や倫理観などは世界一だと思います。けれども、これからの時代は柔軟性がないとダメです。根本に揺るぎない哲学を持ちながら、柔軟性ある生き方を試みる。柔軟性ある胆識をもって生きる。これが混沌として乱れた現代を謳歌して生きるための秘策と言えます。

人生は行動が全てです。見識を持って判断し、勇気を持って行動す。これが人生の全てです。この前後関係に言い訳があたっり、躊躇や迷い、そして常に人の責任にしたり後悔癖のある人間に人生の女神は微笑みかけてくれません。

見識は努力という名の教学も必要ですが、生き様によっても磨かれます。日々、見識を磨くには「見識ある人の傍に自分の身を置く事」や「本などを読んで勉強をすること」です。そして、それらをヒントに勇気を持って行動を起こす事です。これらが相互で連携して、見識が増して経験によって行動力も更に磨かれるのです。

一人で活字と睨めっこしたり、行動もせずに家であれこれと考えたり、人の意見にいちいち左右されて迷ったり、そんな事をしていても永遠に胆識は備わりません。まさにそれこそ時間の無駄というものです。

教学と行動は一体であって、行動と教学も一体、どちらだけでもダメで、どちらか一方だけが抜きんでてもダメなのです。両方のバランスがあって胆識が強化されます。おそらく、私のこの日記だけはまだ解釈に困る方や理解できない人、消化不良な感覚に陥る人もいるかもしれません。

それが私の言う「考えてるだけじゃ答えはでない」という事なのです。だからこそ、そういう人には行動が必要です。行動をするプロセスの中で、理解していくのです。よく私に相談のメッセージが来ますが、結果的に行動に起こせない人のパターンは似てます。そして言い分も似てます。だから私は決まってこう言います。

「行動するもしないもあなた次第。信じるも信じないもあなた次第。全てはあなたがどう決断するか次第です。そしてそれを今直ぐ決断し行動しないなら、明日も同じでしょう。そして数年後も同じ人生。だから迷い考えてるよりも、まずは今、この瞬間から決断と行動を起こしなさい」と。

誰もが

「怖い、不安、出来ない」

そう思ってるのです。その中で勇気と決断を持って行動を起こしたモノが人生を勝ち取ります。失敗などは当然なのです。失敗しながら行動するのです。人生=失敗ですから、失敗しないように考え込むなんて事は愚者のする事。人間は自分が窮地に立つと単純な道理が解らなくなってしまうのです。だからこそ日頃から胆識ある生き方をしないといけません。沢山の方が胆識を持って生きる事を私は願います。

話し合う事の大切さ

June 10 [Fri], 2011, 19:42

頭の良い人や人生経験がヘンに長い方は、話し合いをせずに物事を完結する事がよくあります。それは、話さなくても結論が大凡の形で見当がつくという事なのでしょう。けれども、果たしてそうなのでしょうか?特に男性の方に多いです。男性は意地やプライドが高いですから、妻や彼女の話しをしっかりと聞かずに決断を強引に下す方が多いです。頭ごなしに決めつけたりするのは心の中で男尊女卑の精神があるからです。「女の癖に生意気を言うな」と本音では思ってるのです。これは大変な過ちです。もちろん、その逆も然りです。女性が男性を小馬鹿にするのも同罪です。「大して給与も良くないのに情けない男が何を偉そうに言ってるのよ」なんて思ってる妻や彼女も沢山いる事でしょう。

こういった「相手を蔑む態度」は、それは事実でもしてはいけません。必ず自分に同じ形で跳ね返ってきますし、そういう態度や思考で生きてる人は、それが目に見えなオーラとして周りに人間に察知されてます。それは攻撃的で厭らしい態度ですから、けして人に良い印象を与えません。

「事実だから言ってもいいじゃないか?」と言う人も沢山いるでしょう。そういう方は自信家で結果主義、合理的な人です。では私は思います

「事実を全て事実であるとハッキリ相手に伝えて、相手が変わるなら良いが、その通りになりますか?」と。

ダメなものをダメと言って、相手がそれをすんなりと受け入れて変わってくれるなら何も苦労などしません。事実を事実として相手に訴えて、それを武器にたたみ掛けて相手が変わるならいくらでも畳みかけましょう。けれども現実はそうはいきません。特に、夫婦や長い付き合いの男女関係になると、権力のある側がこういったスタイルで相手をねじ伏せます。そして言われた側は元々が気が弱かったり、饒舌に言い返せなかったりなどするタイプなので、その発言を一方的に受けて、そして悲しみ、自己嫌悪に陥り「自分はダメな人間なんだ」と思って、その相手に振り回される。けれども言ってる側の発言はけして間違ってないから、言われた方は受け入れざるを得ないのです。

何度も言いますが「その合理的な理屈を相手に言って打ち負かした事で何の意味がありますか?それで相手が変わるなら何度でも打ち負かしなさい」と言いたいのです。

相手を打ち負かす人は自分に溺れてる人が多いです。優越感に浸らないと自分の自信やスタンスを保てない弱い人間でもあります。もしくは協調性がないので、合理的に物事を言う事で自分を正当化して自己納得し「俺、私は悪くない。正論を言ってる。その通りにできてない相手が悪いのだ」と必ず自己暗示してます。

今日の日記の【話し合う事の大切さ】ですが、これは夫婦や長い付き合いのあるカップルなどに向けた日記です。必ず、この日記にあるような経験をした、された事がある人は沢山いるはずです。自分の過去や今を良く見てみて下さい。

夫婦や結婚を考えたカップルというのは、解りきってる事でも、そしてそれが間違った事でもあっても、あえて二人でじっくりと話し合う行為、時間が必要なのです。答えが出ない話し合いかもしれません。けれども大切なのは、そういった話し合いをするという時間を設ける、割くというスタイルが重要なのです。

いわゆる「頭が良く饒舌で仕事も趣味も何でも出来る人」は、こういった行為を省略したがります。それは話す前から結論が見えてしまってるからです。けれども、何も結論を求めて話し合うのではありません。「そのプロセスを互いに実感する為に話し合う」という意味での【話し合いが大切】という理解が必要です。

おそらく、今の40代以上の男性などは耳が痛いでしょうね。妻に対してこういったスタンスで望んでる日本の男性はかなり少ないはずです。「話って何だよ?またそれか?面倒臭いな」というスタンスばかりでしょう。そして妻側にも問題があります。そういった発言をしてしまいたくなるような扱いを日頃から夫にしてるのです。例えば、ちょっとした事で小言を言ったり、女性らしい思いやりなどが少なかったりなど、知らず知らずに夫を精神的に窮地へ追いやってる妻も沢山います。

男性女性に限らず、まずは「どうして話し合いが必要なのか?」という事を根底から見直しましょう。話し合いには二つの意味があるのです

「物事を解決するために建設的で答えの出る合理的な話し合い」

「二人で時間を共有し、気持ちを確認し合う為の単なる話し合い」

この二つです。そして、後者のパターンの方が夫婦やカップルにとっては重要なのです。けれども、昨今では前者のパターンの話し合いをする夫婦やカップルが多いです。特に中年以降の夫婦やカップルに多いです。それと、やはり男性が多いです。


今の世の中の男女全てに私は言いたいです。本当に大切な話し合いとは

【二人で時間を共有し、気持ちを確認し合う為の単なる話し合い】

を沢山行って下さい。これをしないと、必ず心のすれ違いが出て、しなくても良いような喧嘩が勃発します。

そして、実はこういった事の重要性を女性は本能的に知ってます。だから女性は話し好きなのです。男性へのおねだりも上手だし、機嫌を伺ったり、相手の様子を見たりするのも頻繁に行うのです。心と心が通った時間を過ごす事で安心したいのです。距離感を確認したいのです。これを怠る夫婦やカップルが別れるのです。

こんな簡単な方程式を忘れてしまっては損ですから、常に意識をして日々を生きましょう。

一流とは

June 06 [Mon], 2011, 20:37

「彼は一流の選手だ」

「彼は一流の弁護士だ」

「彼女の料理は一流だ」

色々と、一流という表現の使い方がございます。恐らく、世間一般の方には「自分と一流の結びつき」に関しては他人事でしょう。意識すらしてないかもしれません。それは一流というものが、あまりにも自分とかけ離れたものだと知らず知らずに自己認識してるからです。

何事も、一つの事に対して「一流」と言われるまで成す人は大した者です。それはそれで尊敬出来ます。がしかしです。一流である事自体が凄いんじゃありません。本当に一流な人は「自分を一流である」とは思ってません。

世の中には、生まれ持って一流の素質を兼ね備えた人がいます。よく「彼は頭が良く遺伝子が良い」などと言いますが、そんなものは人生の奥義では何の役にもたちません。所詮は生身の人間です。どんな一流の人間であっても、知らず知らずに一流ではない沢山の人達の支えと眼に見えない力のお陰で一流になれてるのです。自分一人で一流になったかのような慢心な人は一流ではありません。

「彼は優しく、完璧で一流だ」なんて評価を沢山の方からされてる人を見ると、私はこう思います。

「人間というのは一方から見れば好かれ、一方からみれば憎まれる。人間の評価とは常に好評と悪評がついて回るものであって、全くの悪評がない人間というのは、その人がいかに日頃から周りに対して狡猾で計算高く振る舞ってるかという証拠でもある」と。

一流とは、人並み外れた事を出来る者であって、そして人並み外れた「未完成な人間臭さ」を出す人を言います。優秀すぎる人は不自然なのです。私の相談者の中には自分を嫌悪して卑下する方が沢山います。それは、常識として認識されてる「優秀な人間」の指標から自分が外れてるからです。いわゆる完璧を目指そうとしてるのです。完璧な人間を私は見た事がありません。ただし、【完璧を装ってる人間】は数知れず見てきました。

一流とは【人間は完璧になれない道理を知った上で、完璧を目指そう諦めず努力を惜しまない人】の事です。

世間には、生きてる時にやたらと騒がれ、死んだとたんに忘れ去られる人と、生きてる内には目立たないが、死んだ後に偉くなる人がいます。臨終の後、その人間がどう評価されるか?が最大のテーマです。

私は、今現在も苦労してる方に、悩んでる方に、必死で生きようと、必死で現状を打破しようと孤軍奮闘してる方に言いたい。

「人間として一流であるか否かは、生前に解るものではありません。そして有名であり常人ではない偉業を成し遂げた者が一流である訳でもありません。それぞれの能力で、それぞれの環境で、それぞれの立場で、どれだけ全力で生きてるか?生きたか?によって一流の庶民の称号が臨終後に得られます。」

今はその称号を得るために、皆さんは人生を毎日必死で生きてる段階なのです。だから、日々の苦しい生活の中で【自分は不幸だ】とか【自分は才能がない】とか【自分は最悪な人間だ】という結論を出さないで下さい。まだ人生が終わってないのに結論を自分で出さないでください。

確かに、あなたの今までの人生は、そして今の人生も辛い人生かもしれない。今にも逃げ出したいかもしれない。でも、私はあなたが人生における庶民の一流者であると信じたいです。そして、そうなれる可能性を秘めて事を知ってます。だから今起きる事柄だけで結論を出さずに、人生を長い尺度で見て生きて下さい。臨終の時に、一人の庶民として、人間として生ききったという一流の称号を得ましょうよ。

それが人生を一流に全うするという事です。辛い事ばかり続くのが人生じゃありません。

勇気と行動の先には、必ず大きな変化があります。お忘れなきように。

衣食住は女性の全て

June 03 [Fri], 2011, 18:39


先日、1年越しで霊視鑑定をしてきた方のお自宅へ始めて行ってきました。互いのスケジュールの問題なども重なり、中々会う事はできず、やっとの思いでお会いする事ができました。私は基本的に相談者と会うという事はありません。私が会うという事は、それだけ状況が酷い事を指します。表現するのに抵抗がありますが、近日にも死人が出てしまうくらい状況が酷い人には会う事にしてます。


実は、この写真のご自宅を持つ方ですが、1年前に私へ始めて相談を持ちかけてきた時から、事故でご主人とお子さんを失い、そしてその数ヶ月前にも事故でご両親と立て続けに亡くしたという状況でした。彼女は仮名としてCさんとしておきますが、Cさんは家族全てを失った状態でしたので、放心状態というか、死人のような心と魂で私に泣きついてきました。ただ無心で泣きついてくるという事は、まだ無気力ではないという事です。まだ生きたいという魂の叫びがある証拠でもあります。それだけが救いだったのかもしれません。


こんな表現もヘンですが、彼女は失う者を失いきってしまったので、もうそれ以上失うものがないのです。だから残された彼女の人生、どういった未来を作り上げるべきか?が私の中で焦点となってました。過ぎてしまった過去はどうにもできません。そして亡くなった人を蘇らせる事もできません。だから、彼女が今後どう生きるか?が非常に重要になります。


霊視鑑定をしていく中で私がどうして気になる事がありました。それは彼女の住まいです。土地柄です。そして先祖から関わる縁が問題に感じました。何かに縛られてるというか、雁字搦めにされてるというか、とにかく悪因を感じるのです。これは先祖代々からの問題であると私は直感しました。


私は何度も「そちらのご自宅にお伺いしたい」という事をCさんに伝えたのですが、頑なにそれを拒否するのです。最初は、プライベートな領域なので私も無理強いはしませんでした。相手が嫌だと言ってるのですから、無理強いはできません。


それから数ヶ月経って、Cさんも少し心に落ち着きを取り戻し、大丈夫かな?と油断していた矢先です。いきなり泣き叫びながら私に連絡がありました。「先生!もう耐えきれません!私はずっと嘘を吐いてました!先生、家に来て下さい!!」と。


以前からCさんのご自宅に最大の問題があると私は思ってましたから「とうとうこの時が来た」と思い、直ぐにCさんのご自宅まで向かいました。ご自宅の外観を見た瞬間に全てが解けました。ハッキリと聞こえるのです。「この家に関わる者は全て抹殺する」という声がです。「絶対に生かさない。絶対に繁栄させない。」という声が聞こえました。


よくよく霊視すると、まずこの辺りの土地は、江戸時代末期の大地主で大富豪だった者の土地で、死刑囚を使った医学的な研究や解剖などを政府と結託して行っていた場所のようです。大地主は政府に土地貸しという名目で違法的な人体解剖の場所を提供し、政府から莫大なお金を貰い、もし非人道的であると世間などにバレた時は、政府はその土地と解剖の関係性を否定して逃げるというような計らいの中で人体解剖が行われてきたようです。



第二次世界大戦があり、空爆などで日本の土地区画なども曖昧になり、Cさんの曾お爺さんからこの土地に住むようになったようです。こういった背景があるので、この土地で家族を営み、幸せに生活をして子孫繁栄をしていく事をこの場で亡くなっていった無数の亡霊が許さないという事なんです。写真の家に絡む蔓を見て頂ければ解ると思いますが、これはただ枯れてるのではありません。植物のゾンビのようなもので、枯れて死んでるようで、実は延々と死なないゾンビのような蔓なのです。この家と土地に関わる人を全て抹殺するという警告です。


実は、この話しを他人事と思ってると痛い目に遭います。私は今日、たまたま自宅の外観の蔓に関して表現してますが、家というのはその家族の子孫繁栄を助ける生活の基礎部分です。衣食住とよく言いますが、人間が生きて子孫繁栄するには衣食住の中でも住というのは非常に重要な部分です。住は家族を形成する場なのです。家族の団欒を作る場です。家族の結束を高める場です。


この住という家の内部も含めた環境を汚したり、壊したり、もしくは住居内の物の配置や窓や扉の位置、これら配慮が欠ける事で大きな災いを既に呼び込んでるご家庭も多々あります。でも、それがそういった問題から来てると知らずに生きてると、今回のCさんのように、全てを失い、そして全て最悪な事が発生してから「実は、こういう事だったんです」となっても、もう人生は巻き戻せません。絶望の中で悲しみ生きていくしかないのです。


私は風水などは統計学だと思ってるので、風水が何かを救うとは思ってませんし、私のような霊媒師から言わせれば風水や占いなどは遊びのようなものです。ただ、私は観点が違います。どう観点が違うか?


「どうして統計学で遊びのようなものだと私が軽視するものに、世の中の多くの女性は魂を捧げるかのようにそれに影響され、没頭するのだろうか?」という観点でしか私は見てないのです。


風水や占いが重要なんじゃないです。どうしてこうも、世の中の女性に限り、何か吸い込まれるように、一つの法則性に従うかのように、風水や占いなどに興味を示すのか?という疑問視点を持つ事がポイントです。


それは簡単です。母なる大地である女性、子孫繁栄に欠かせない母体を持つ女性には、理屈を超えた人間の第六感や魂がそういった不可思議なものに反応するのです。男性が女性のふくよかな胸やお尻に興味を頂き、女性が男性の逞しい肉体に興味を持つのと同じです。生理的なものなのです。


女性というのは、雌というのは、「我が血筋は、我が魂は子孫繁栄のために安全を確保しないといけない」という本能があります。これは笑い事ではなくて、本当にそういうものなのです。先ほど私は衣食住と言いました。よくイメージして下さいね?


衣・・・ ファッションに女性は過剰反応しますね?

食・・・ 料理や美食、健康などを女性は過剰反応しますね?

住・・・ 風水も含めて、自宅購入など女性は過剰反応しますね?


そして、こういった私生活をしっかりと作れる経済力や包容力のある異性を欲し、占いなどで自分の素敵なパートナー探しを必死でしますね?そう、恋愛相談がそれです。


女性が何故、占いや風水などに、引き寄せられるように興味を示し、そしてそれを本気で信者のように信じるか?理由は簡単なんです。理屈を超えた魂の反応なんです。男性には中々理解できないのです。それは、男性は母体を持たないからです。


今現在、ご自宅が汚れきってるとか、先祖から家が曰くつきとか、庭や物置が汚れてるとか、家が壊れたままとか「住環境」を整備しない事によって問題が起きてる事はよくあります。


「何か、いつも我家は問題が絶えない」とか「身内は常に不幸な事が多い」など、一度自分の身の回りをしっかりと見て下さい。答えは、そこにあるかもしれません。

礼儀とは?

May 31 [Tue], 2011, 23:32

日本人とその他の文化が違う人種間では、いわゆる生活モラルや礼儀などが違います。

例えば、日本では粗品というのがありますが、意味合いとして、お近づきの印として渡す際に、まだ人間関係も出来てない間柄で高価な物を渡したりするのは「傲慢でいやらしく失礼に値する」という価値感から粗品があります。

逆に中国では、お近づきの印として粗品を渡すと、本当に嫌な顔をされます。それは「今後仲良くしていこうと言う時に、自分の評価は粗品程度なのか?」と思うからです。相手に対して想う気持ちは同じなのに、その表現の仕方を間違えただけでとんでもない結果になるのです。

私は礼儀とは一体何のか?を考えますが、現代風の言葉、もしくは現代の若い人でも解釈できるように噛み砕いて話しをすれば、礼儀とは、それは「自分が相手にして貰って気分が良い事」だと思います。そして礼儀がない人というのは「自分が相手にされた時に嫌だな」と思う事です。

昔ながらの堅い礼儀は、時代が新しくなり文化も風習も価値感も多様化されてますから、古い礼儀主義は捨てて、先ほどに言った「自分がされたら嬉しい事」を礼儀としてひと括りにしてしまった方が現代的です。


では「自分がされたら嬉しい事」って何ですか?

一言、これにつけたさせて下さい

「自分がされたら嬉しい、人間にとって普遍的な事」です。

礼儀がない人はこの逆で

「自分がされて嫌な気分になる、人間にとって普遍的な事」です。


例えば友人と3人で飲みに行きました。

いつも自分だけ多めに会計を払わされてるとします。

「気分良いですか?」

仮に、残りの2名は内心でこう思ってるかもしれません

「いつもこいつには仕事を無償で手伝ってるんだから、これくらいは奢って貰わないと」と。

両者の立場で見てみると、確かにどちらにも言い分があり、何とも制裁し難い状況です。

問題なのは、どちらの立場であっても「自分がやられて嫌な事」をしてるのです。


もし仮に、仕事を無償で手伝ってるなら

「仕事を無償で手伝ったのだから奢ってよ?」という一言と許可、そして実際に奢って貰った時に

「本当においしかった!ありがとう!嬉しかったよ!」という一言を大袈裟でも良いから言う。

これならば、奢った人も気分を害しません。そして奢って貰った二人も、もし逆の立場だったら、そう言って欲しいはずです。

「仕事を手伝ったんだから奢るのは当然だ」という態度では礼儀がないという事になります。けれども、こういう礼儀のない人はかなり多いです。

「〜してやったんだから、当然」という考えは地獄餓鬼畜生の発想です。そんな狭い心で生きてると必ず自分の他で同じ事を思われ、そして同じ事をやられます。

「奢って貰えるなんて仕事を手伝った甲斐があった。良かった良かった」と思えるくらいの境涯じゃないといけません。

恩着せがましい人間というのは地獄、餓鬼、畜生の境涯であって、こういう人は何事にも固執し、嫉妬深く礼儀に欠けます。礼儀ある人の性根とは「心遣いや思いやりの言葉、偽りのない対応」がない事を指します。

「そういう事が大切だと解ってるんですけど、どうしても恥ずかしくて言葉と行動に移せない」という人も居ますが、人間は言葉や行動で示してくれないと解らない生き物です。ですから、思っていても行動に移せないのであれば、それは何もしないのと同義です。

日本には【礼儀作法】という難しいイメージがありますが、そんな難しいイメージが先行するから若い人にも毛嫌いされてしますのです。ですから親は子に礼儀を教える時には


「自分がやられて嫌だなと思う事を自分がした場合は、それは自分が礼儀知らずな人間である証拠。そして自分がやって貰えると嬉しい事を相手にしてあげれば、それは自分が礼儀正しい人間である証拠なんだ」と教えれば良いのです。

常に「自分がそうされたらどう思うだろうか?」とか、尊敬できる人を思い浮かべて

「あの人がこれをされたらどう思うだろうか?どう言うだろうか?」という事を考える癖づけを子供に徹底させるのが親の役目なのです。そしてそれが礼儀ある社会作りに貢献する事になるのです。

礼儀正しい人が集まる社会はとても気持ち良い社会です。タバコのポイ捨てなどで街が汚れてる姿を見て気分が良い人はいません。タバコを捨てる人だって、自分の部屋が汚れていれば「汚いな、嫌だな」と思うのです。そう思うなら、タバコを捨てた自分は礼儀のない人間であると自己反省すべきです。

更に言うと、人から物を貰っても感謝や挨拶をできない人というのは、それは自分もそう他の相手からされてきたという事も考えられます。幼少から物を貰っても「ありがとう」という挨拶をしないといけない環境になかったとか、後は自分が相手に物をあげた時に、「ありがとう」という言葉をかけて貰った事がないから、自分も人から物を貰った時に「ありがとう」が言えない、いや、ありがとうの必要性を知らないのです。

これは一例ですが、他に様々なところで【礼儀知らずな自分】をさらけ出して生きてる人がいます。これは人間としての【生き恥じ】でもあります。心当たりある方はそれらをよくよく考えて日々を過ごして下さい。

礼儀のない日々を送れば、その送った分だけ全部自分にマイナスとして跳ね返ってきます。それが今なのか、10年後か、それとも20年後か、必ず戻ってきます。それだけは自信を持って言えます。必ず自分に戻ってきます。戻ってきて泣きを見る前に、今からその分を他で清算する礼儀ある生活を送って下さい。これは宇宙規模の因果で見ても真理なのです。
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  • アイコン画像 ニックネーム:葉月
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1965年12月7日の東京(八王子)生まれ。幼少で親に捨てられ施設で育つ。兄弟や親戚はいません。小さい頃から苛めにあう。年頃になり自分が性同一性障害であることを認識する。社会に適応するために無理にOL
として働くが続かずに辞める。それから夜の世界に入る。金目当ての男に騙され借金地獄。酒とクスリで体もボロボロ。病気で入院。自殺未遂も数回あり。


26歳の時、自殺しようと心に決める。施設でお世話になったたった一人の身内とも言うべき先生に死ぬ前に会いに行くがそこで何故か先生の友達の宝徳さんという70歳くらいのお坊さんを紹介されお告げを貰う。


私の人相なり手相なり、霊気をササっと感じ見ただけで今まで私の半生をズバリ当てらる。私の今までの苦悩は、私がこれから人を救う道に入るための試練だったという事を宝徳さんから言われる。私には強力な人を救う力があると言われる。


確かに、小さい頃から不可思議な体験を何度もしている。人が死ぬ瞬間を予知できたり、ちょっとした未来が見える事も多々あった。自分が自殺をしようとした時、何故かいつも神々しい光に包まれた優しそうな男性?女性?ハッキリ覚えてないが「止めなさい」と言われ救われた事が何度もある。。



宝徳さんから言われた内容 ※少し忘れた事もあります。。何せかなり前なので。。

「あなたは死ねませんよ。死のうとしても死ねません。宿命があなたを死なせません。あなたの人生が今まで苦悩に満ちた人生だったか解りますか?それは苦労する事で、人を導く心を養うための試練だったんです。苦しみ、悲しみを知らない人間に人は救えません。あなたは人を救う宿命を背負ってます。あなたはまだ人を救える領域に入ってないが、修行を積めば人を救えます。一般的なイメージの修行ではなくて、人相、手相、霊の世界、あらゆるモノを勉強して、あなたの能力をあなた自身が理論的には解釈できるような勉強、努力が必要。それから始めてあなた本来の力が発揮される。あなたには私が経験した事のない物凄い霊力を感じるし、人を導けるエネルギーが溢れ出てます。でもそれをコントロールするためには裏づけとなる学が必要になります。まだ若いので、そういった勉強をしながら、本当に人を導ける人間になりさい。必ずなれます。」


初対面の宝徳さんにいきなりこんな事を言われたのにも関わらず、私は驚きと不安が入り混じりながらも、次の瞬間には「なるほど」と思いました。今まで経験して来たこと、小さい頃からの不可思議現象、予知能力など、様々な記憶や経験と照らし合わせ、あまりに合致しているので、怖くなるのと、その反面、使命感のようなものが出てきて「とにかくやらなければ!」と思い発起しました。


それから、何かに取りつかれるように必死で勉強し、そして沢山の人も霊視し、手相、人相、易学全般も物凄い勢いで勉強しました。


今の私が人を救える人間なのか解りませんが、今まで霊視、占いを通して、人生のアドバイスをし、不幸のどん底から這い上がり素敵な人生を送られている多数の方々、そしてブログに詳しい私の友人の助言もあり、「今までの経験と記録を綴って他の不幸な沢山の人達を救ってあげるべきだ」という声が上がり本ブログを書く事になりました。私の成長過程や、私の不思議体験、またリアルで起っている事や相談者の実話など、日々の日記として綴り記録し、皆様のお役に立てればと思います。


また、私への感想、相談などはメッセージで直接受けております。コメントなどでの質問や相談に対して心無い悪戯などがあっては悪影響がありますので、コメント欄は伏せてます。なお、毎日沢山のメッセージがありますので、対応しきれない事もあります。返答に遅れることがありますのでその際はご了承下さい。
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