213  現実はいらなかった。幻想を追いかけていたかった。 

2008年01月20日(日) 22時05分
213  現実はいらなかった。幻想を追いかけていたかった。




今日も朝がくる。
僕は今まで何度目覚め、そして何度眠りについたことだろう。
睡眠時間は、時間は違えど、とっていることに違いはない。
義務教育という漠々としている鎖から解放された僕はさらに漠々とした鎖が巻きつけてある大学の中へと、自らの身体を現代に留めておくために、進学を決意し、今に至る。
世界とは、漠々としたものに過ぎない。僕の中の僕が、そう判断した。
肩書きという鎖。家族という鎖。血という鎖。空気という鎖。言葉という鎖。
人間はすべてにおいて鎖という鎖で、しかし見えることのない、いつでも逃れることのできるはずの鎖の中に、拘束されている。

僕はその中で拘束されている、ちいさな一つの物体にしかないことを、理解しようとしている。いや、正しくは『認識し始めて』いる。



今日も時間通りに起き、朝食をとらないまま、家を出る準備をする。今日も一コマ目から大学の授業がある。座学よりは実験を交えた授業の予定で先週は講義を終了した教授だったが、噂では身体を壊しているらしい。
そんな、小さな噂でさえもすぐに僕なんかの耳に電子化された情報として入ってくる。どんなに暇な日常なのだろう。噂話よりも大切なことがないからこそ、そんな噂が流れてしまうのだろうか。



ピンポーン


滅多に鳴らない呼び鈴が僕を呼んだ。まさか。間違えたんじゃないんだろうか。僕はそんなことを考えながら、玄関へと急いだ。1Kの小さな一人暮らしの家。玄関なんて近すぎるくらいで、耳が音の振動を感じとってからすぐに扉を開けることができた。
目の前に居たのは、同じクラスのアオイだった。よく手入れされた長い髪が男子の間でよく話しになる、いわゆる美人なほうへジャンル分けされるような、僕の友達。


「…やっほ。お迎えにきましたよ」
「……あれ。迎えくるなんて約束、したっけっか」

僕の頭の中にはそんな約束をした覚えはない。今時、小学生じゃないんだから。そんな言い訳がましい台詞が頭の中をよぎる。
珍しく、アオイはブーツにスニーカーという動きやすそうな格好をしていた。普段がスカートやパンプスなど、いかにも女と思わせる服装だった為か、新鮮というよりも不自然という感覚が大半を占めていた。

「今日さ、授業、サボろ。車借りてきたから、一緒にドライブしようよ」
「は?アオイ、運転できたっけ」
「免許ぐらい持ってる。早く、行こ。時間ないよ」

彼女が笑みながらいう、ただそれだけで、僕は得したような気分になった。彼女は僕の前ではよく笑う。
僕は財布と鍵だけを手にとって部屋を出る。僕しか住んでいないその部屋は、僕が一歩外に出ただけで、まるで冷たい牢獄のように生きるものの空気をなくした。
外はまだ冷たい、冬の風を漂わせていた。
車はまだ温かかった。きっと、彼女が乗ってきたからなのだろう。しかし、きっと借り物だ。彼女のいつもしている香水の香りが、この車からはしない。

「海、見に行こう。あたし冬の海好きなんだ」

僕の答えを待つ前に、彼女は車を発進させていた。他人の意見よりも自分の直感を大切にする彼女が、もっとも輝いていると感じられる瞬間が、僕は好きだった。
車の中は、季節を感じることなく、むしろちょっと暑いくらいにエアコンがかかっていた。時折空気を入れ替えするように窓を開けた。
ラジオが気楽な音楽と共に何一つ不自然さのない独り言を視聴者へと提供している。

「ねぇ、就職、どうする?」
「…考えたこと、ないよ」
「鎖の中で、また新しい鎖に縛られるのは嫌?」
「……」

彼女には、僕の頭の中にあった考えをすべて吐き出したことがある。それを覚えていたのだろう。
だが、よく考えれば彼女と出会えたことは大学という大きな鎖の中で抵抗することなく、自分も鎖の羅列の中に収まったからこそのものなのだと思った。

「あたしね、世界の鎖の話、好き。だけど貴方はマイナスに考え好きだと思うんだ。…ほら、人とのつながりも、鎖の連鎖のようなものじゃない」
「…同じことを考えていたよ。君とも、その鎖のおかげで出会うことができた。……だけどさ、僕はどうしても、それが無かったら、って考えてしまうんだ」
「……なかったら、どうなるのかな?」
「世界は、崩壊する。世界は、鎖という冷たい秩序によって崩壊を免れているんだから」
「じゃあ、鎖と秩序はイコールでつながっている?」
「…鎖の意味は秩序だけじゃない。色々ある」
「色々?」
「……名称、肩書き、血筋、法律、…とか、色々」
「言葉も?」
「もちろん。それらすべてが言葉によって成立している」
「じゃあ、鎖は言葉で表せるものだけに当てはまるの?」
「いや、違う。言葉に表せないものもある」

僕は窓を開けた。もう、海は目の前まで来ていた。
反対側の見えない、真っ平な水平線が目の前に広がりつつある。
少し急なカーブを曲がりきれば、きっとそれは見えてくるだろう。僕も、何年ぶりなんだろう。

「………その鎖から、逃れてみたい」
「…え?」

あまりにも小さい声だった為、僕は何を言っているのか、はっきりと聞き取ることができなかった。
僕が聞き返した直後、彼女は目の前を指差して見せた。

「海だよ、海!結構時間かかったなぁー…」

家から出て、2時間後ほどのことだった。
海岸ではなく、海に面した高い崖の近くに車を止めた。駐車場もなく、誰かがその場所を管理しているような跡もない。車にキーをつけたまま、僕らは車を降りた。
激しい気温差が、僕の肌を撫でていく。
彼女の髪が髪のCMみたくサラリと冷たい風になびいた。

「…あたしね、死のうと思う」

僕は、突然の告白に彼女を振り返った。

「秩序、鎖、もう嫌になっちゃった」
「どうして?」
「疲れたんだ。すべてに。…死んだら、すべての鎖から開放されるかな。法律、秩序、大学、血縁、世界、そして…肉体。今日で、さようなら、だよ」
「…どうして、急に?」
「君の言ってる世界に興味がでて。もしかしたら、鎖から開放されたら、新しい世界があるんじゃないのかなって」
「……でも、駄目だ。君はひとりじゃない…僕が、いる。まだ、早いよ」

少し焦った。
まさか、彼女がそんな風に考えているなんて思ってもいなかった。それも、僕よりも先を見てしまっている。
何故か僕の中では先を見てはいけないような気がしていた。だから今まで彼女のように死を考えることがなかった。
僕は、死以外に鎖から逃れる方法を見つけようとしていたのに、彼女は死を束縛を解く方法として考えてしまっていた。

「…死以外に、開放される方法があるかもしれない。それを、見つけよう」
「じゃあ、君がそれを見つければいいんだよ。あたしは、死でそれができるかどうか実験してみるから。…で、きみは、きみが見つけた方法でやってみて、そこであたしと出会えたら、成功だよ」
「それじゃだめなんだよ。確率が…」
「ゼロに近いかもしれない?…でも、ないわけじゃないんだよ」

彼女は視線を車へと向けた。
運転席に乗り込み、エンジンをふかす。

「今日、海に来た意味わかる?」
「死ぬために?」
「…そう。きみに、あたしの意思を伝えてね。きみはあたしがどこへ行ったのか分かる、唯一の存在になるんだよ」
「……違う。違う。…アオイ、きみは…」
「ありがとう、名前、呼んでくれて。久しぶりに、呼んでくれたね」

彼女は笑みを浮かべた。それから、車体に身体を入れ、扉が閉められた。ロックが掛けられる音で僕は凍り付いた。
ヤバイ。これは、確実に。
彼女は死ぬと思っていない。
世界を縛り付けている見えない鎖から逃れるために、死というゲートを越えればいいと思っている。
だが、現実に残るのは、確実な死のみだ。
僕はそれを理解していて、そう、わかっていたから。

「やめろっ!!お前、僕なんかの言葉を信じちゃ――」

激しいエンジン音とともに車体がゆれる。運転席の窓ガラスを叩きながら何度も彼女の名前を呼んだ。
彼女は、嬉しげな笑みを浮かべただけで、クラッチを上げた。僕は発進した反動で尻餅をつき、車から離れてしまった。
車は躊躇うことなくスピードを上げ、きっとギアも最大まで上げきっていたんだろう。
僕が立ち上がる前に、車は崖の向こう側へと消えていった。
数秒後、遠く重い音が、耳の鼓膜を振るわせた。





彼女は、先に旅立ってしまった。








世界の鎖の向こう側へと。








車で来た道のりを、歩いて帰る。なんて遠い道のりなんだろう。
僕は、絡み合う鎖の中から抜け出そうとした。その結果、こんな場所で、ひとりで、身を温めるものもなく、そう、ひとりで帰路についている。
朝、僕の隣で笑っていた彼女はもう、世界の鎖から、僕よりも一足早く抜け出してしまった。
僕も、後を追って、世界の束縛から逃げてみようか。
彼女と共に、束縛から解放された世界を見に行くのもいいかもしれない。
僕は、彼女のためなら、今なら、何でも出来るような気がした。
誰かのために何かをしようなんて思ったことがなかった。
だから、今ほど頭をフル回転させて考えているなんて、初めてかもしれない。いや、もしかしたら、頭なんて完全に停止していて、僕じゃない僕の脳みそから送られた電気信号を、僕が解読して読んでいるだけなのかもしれない。
空中を飛び交う電波と変換されなければ理解できない電気信号。
僕には、そんな勇気は無かった。彼女を助ける勇気。彼女を止める勇気。彼女と共に束縛から解き放たれる勇気。
でも、なくて正解だったのかもしれない。僕のすぐ横を、赤いランプと耳障りなサイレンを鳴らしたパトカーが通り過ぎていった。
誰かが見つけたのだろう。無駄な束縛の世界から先に抜け出してしまった彼女の抜け殻を。僕は、それを引き上げる勇気さえもなかった。
僕のポケットの中には、家の鍵と財布が入っていた。彼女の車には、何も残していない。
彼女と彼女の車、いや、彼女の抜け殻と、どこかから借りてきた車は警察の手によっていずれ引き上げられるだろう。
世界をぐるぐると締め付けて、今もなお解けることを考えようともしない世界の束縛の一部でしかない警察が、まるで自分たちが正義かのように、抜け殻を引き上げるのだ。
そのうち、もしかしたら僕にも声がかかるのかもしれない。
その前に、僕はもう一度行き先を見直してみようかと思う。
世界中を埋め尽くす鎖の束縛に、どこかしら光が見える抜け穴がないのかどうか。この肉体を保ったまま抜けることの出来る穴を探しにいってもいいかな、とぼんやりと考えてみる。
そう考えている間に、何度も僕の隣をフロントライトを煌々とつけた車が何台も通り過ぎてゆく。
空が雲で白み、雪でも降ってきそうなほどに寒い。朝になったら、霜柱がでいていたりするのではないのだろうか。ふと考え、僕は地面へと視線を落とす。
足元の草は既にキシキシと音を立てるほどに霜と共に固まり始めていた。
その視界のなかに、白いふんわりとしたものが入ってくる。雪だ。僕は子供のように空を見上げ、舞い降りてくる雪を追いかけた。
突如僕の身体が白いライトで照らされ、パトカーとは違う、耳を貫くような音が振動として鼓膜を振るわせる。
音がだんだんとスローに聞こえ、明かりが身体に熱を与えてゆく。身体に感じる凄まじい衝撃。
その瞬間、僕は唐突に理解した。
僕も鎖の中から抜け出す時間が来たのだ。
他の道を探す時間がなかったことを後悔する時間も無く、僕の視界はテレビの電源が切れるように、ブツッと光を失った。







次の日、新聞には自殺と思われる女性の記事と、交通事故で意識不明の男性が運び込まれたという記事が小さく載っていた。
数ヵ月後、男性は意識が回復しないまま、植物状態になったと、とある大学で噂になった。








僕は世界の鎖がら逃れることが出来ないまま、現実にも戻ることができなくなってきてしまった。








213  現実はいらなかった。幻想を追いかけていたかった。

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