家族のありがたさ・協力扶助の大切さ 

April 21 [Fri], 2006, 22:44
もうすぐ、JRの福知山線事故がおきてから1年になる。あの事件がおきたことは、大学の友達が携帯電話のメールで、友達のメールから知ったところから始まった。その後に、すぐテレビで事故の様子を伺いにいったことを印象的に覚えている。あまりにも、その悲惨な結末に、どのようなことを考えればいいのかもわからず、ただ呆然とテレビの前に突っ立っていただけだった。
このような事故の背景で浮き彫りになったのが、JRの体質であるが、なによりも大切なのが家族を失ったものの悲しみであることは言うまでもない。家族を1人、亡くすことは本当に神経を使うことであろう。ただ、人間は、最後に頼ることが出来るのは家族なのであろう、ということは痛感することが出来る。もちろん、病気になって、直してもらえるのは医者だけなのであるが、医者と看護婦だけでは人間はもつことが出来ない。精神的な支えが、勝るのである。家族―それは、最初から最後までなくてはならないものであり、その途中段階での協力・扶助というのは欠かせないものになるだろう。

真春日和  春の色 

April 19 [Wed], 2006, 15:51


はーい。はーい。
下の写真は、料理の途中段階の「料理」です。で、なぜか、写真をどのようにいれるのかが、まだ分かっていないので、せっかく作った料理の写真も入りません。
かなり、お久しぶりのブログなのではりきっていたら、この有様です。が、比較的時間に余裕のある今ブログをマスターしていきたいですね。

(無題) 

March 10 [Fri], 2006, 4:11
何で、ヤプログさん、ブログを打てないよ、インできないんです。 今日はいろいろ考えましたが、私、入れれば大学院の研究員になるか、多分フリーターになるかもしれません。逆に、正社員でも、変な会社?将来と時間を、その会社にあげることは、やはり私の気質上難しいでしょう。 自分を認めてくれない会社に、頭下げてまではいるのはプライドが許せないし、いままで払ってきた学費上そんなことはできない。 あ、変な会社とか、みてるわけじゃないけど今はいいが、ベンチャーで一生お世話にもなるなんて、やはり考えられない。 履歴書で落とされるなら、その会社とはそれまでだしそんなに落ち込んでもない。 行政しょしを、一途に勉強するか、今年は。 ただ、目標は下げません。やりたいことはやります。ただ、それを企業に焦点をあてるのはやめよう、と思っただけだ。 私は、雇われて捨てられる人間ではない。人間扱いしない企業ならないほうがましだ。 だが、家族を犠牲にしてまで自分のやりたいことをするのはや
めよう。一番の理解者は家族だ。企業なんかじゃない。
結果的に、就職活動をせず、卒論に没頭できた私は幸せだ、そう思う大学生活のまま終わろう。 いまは企業を視野にいれるのはよそう。 これからサウンドスケープの本を読んで、朝まで過ごすよ

社会的責任を知らしめる 

February 24 [Fri], 2006, 21:10
時間に規制される経験が、何年間かあってもよいか、と思った。

だからこそ、わかるやりたいことがうまれる可能性があるし、規制されているからこそ、規制されない仕事のために勉強していく量が増えることもある、と。

とりあえず、は社会的責任を知って、上司との折り合いも覚えて、どれだけ厳しいのかということを知ることが、自分には必要なのかもしれない。
ということで、遅ればせながら、明日行こう、本気になって職を探していこうと、はりきっています。

なんの学校に通っても、最終的には、仕事だから・・、必要不可欠な経験なんだ。
はりきるぞ。

もちろん、サウンドスケープの勉強は進めていきます。
ふたつとも、甘くないです。
覚悟していきます。


映画『RIZE』を鑑賞して。 

February 22 [Wed], 2006, 18:41

今日は、レディースデイもあって、『RIZE』には、女性が多く見にきていた。
小さな、館内は、満員だった。

内容は、アメリカのサウスセントラル地区の貧困に犯された人間が、一人の若者が生み出したクランプダンスを通じて、毎日の生活から解放され、自分を表現するといったもの。
印象的だったのは、「ヒップホップは商業的になって、しまって、みな同じような真似をしているだけ。ぼくらは、自分自身がアートを表現する表現者で、これまでにないおどりを踊る。僕らにしかできない踊りさ。」みたいな内容。

映画の内容は、だいたい理解できる範囲内で終わったのだけれど、何がすごいか、といったら物語のないものから、物語るところ。
つまり、ノンフィクションだから、ある程度予想できる結末なんだろうけど、だからこそ、妙な衝撃を感じて、ふつうにある生活が、こんな映画という芸術にかわると、こんなふうになるのだ、と改めて気付かせてくれた作品だった。
だからこそ、内容に、フィクションにはない感動を覚えたし、アーティストではない人間が、普段の生活で物語をつくる主人公であるところが彼らは、立派なアーティストだと感じたのであった。

こういうように、今までにないものを、つくりだす創始者のピエロはすばらしいけれど、また、こういう映画を撮る人間もすばらしい。
両者に価値のある映画だとおもった。

見ているだけの私たちにも、受動ではなく、ポジティブな要因を自らくりだすことのすばらしさをもらったように思う。

ただ、クランプダンスを見て、ダンサーの人たちが、「僕もクランプダンスをしたい。」とコメントしていたのであるが、否定するわけではないけれど、日本人からあの絶妙な心のそこから響くようなダンスができるかといったら、むずかしいように思える。
なら、自分流のダンスを生み出してほしい。

結局、この映画は、そのような部分を伝えたかったんじゃないかな、と私的には考える。

日本の企業に渇! 

February 21 [Tue], 2006, 19:37
仕事探しなどをしてて、つくづく感じることがある。
本当に、これらの仕事は、社会にとって、必要なんだろうか。仕事をみれば、その国がわかるんだと思うけれど、とびついてやりたいと思う仕事って、結構限られている。

なんかの、キャンペーンガールだったり、雑務、掃除、オペレーターだったり。
新卒でも、本当にやりたい仕事についている人は、どれくらい?

もし、日本人が、求めるもののレベルが高ければ、なくてもいいんじゃない?って思わない仕事が多くないだろうか。
伝統工芸など、(多くなくても)こういう職業につく人のほうが、やりがいが十分にある。
いわゆる、その人だからこそ、だせるようなクリエイティブな仕事。


日本人の消費行動の矛先は、やりたくない仕事(本当に、大切なんだろうかと考えらてしまうような)の多さに向けられているような気はしないだろうか。

というよりも、今後の自分の動向が心配である。
最近、自分病になってしまっているけれど、大学ぼときに、内向的でありすぎたのか、どうしても企業のために貢献するという感覚に、妙な苛立ちを感じてしまい、企業のために貢献するなんて、生きている意味ないじゃんと思ってしまう。

仕事って、その人の人生の大部分を占めるわけじゃん。
やりたくない仕事なら、やらなくてもいいと本当に思うんだよね。

企業のペースに、あわせる・・・、それって、非生産的だよ。
個人が企業を動かすんだよね。

企業が個人を動かすの?
未来を考えると、楽しくなる。そんな国にならないの?
ちょって、世界一周にでかけてきます!っていう、アグレッシブな人材を育てようよ。



ビッグイシュー面白い、それ以上に販売員の輝きに魅せられる 

February 21 [Tue], 2006, 0:24
今日からは、ブログを毎日書くだろうなあ(笑)

この前、某駅の横を通り過ぎるときに、おじぎをしてくれる人がいるなあ、と思ったらビッグイシューの販売員さんであった。
私におじぎをしてくれる人なんて、数える人しかいないのに(笑)

あー、前にビッグイシューを買ったときに、一人で突撃インタビューをしたときがあって、そこで少し無礼な質問もしながら、恥ずかしそうに答えてくださっていたのが印象的だった元クリーニング屋さんのおじさん。
あのときは、ホームレスさんなんて、いってしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、こうして向こうから、挨拶してくれたら、たとえ、客の立場であってもすごくうれしいことだ。
なんか、普通のセールスじゃない、かといって支援でもない複雑な気持ちで、

「久しぶりです。最近どうですかあ。」と尋ねると、
相変わらず、はずかしそうに

「まあ、ぼちぼち売れているよ」と答えてくれた。
気をつかっているところが、とても、魅力的で本当に真摯な人だなあという印象を受けた。

「今、寒いですから、お体に気をつけてくださいね。」
というと、目をキラキラさせて、
「ありがとうございましたーー。」
って。
ふと、おもった。ビッグイシューの販売員さんは、読んでいるのかな。ビッグイシュー。
この雑誌は、手に持つだけで、楽しくなる。
気分が明るくなる、そんな雑誌だ。
多分、読んでいるのだろう、キラキラしながら売っているそんな姿を横目でみていると、ビッグイシューが好きなんだなあ、このおじさん。とそういう感じがした。

ホームレスであるとか、そういうのを抜きに、なぜ、ビッグイシュー販売員を見るたびに、ファンキーな気分になるかといったら、もう彼ら自身がファンキーな気分で売っているからなんだろう。
本当に、他の販売員も同じ。

読んでほしいから、売る。
買ってほしいから、売る。
その中で、本当に、自分が気にいっているものを売る人はどれくらい?
人間が輝きだす原点は、どんな状態のときでもある。
それは、自分の心が決めるもの。
そのようなものに出会うまで、人間は、常に貪欲でありつづける。

ビッグイシューをつくっている人たち、本当に心からリスペクトします。
人の役にたてる仕事は最高だ。

学問が、すべての人にいきわたるように。 

February 20 [Mon], 2006, 23:52
パソコンが、いつでもどこからでも見れるようになった。LANカードのおかげで。
大学を卒業しようとしているときでも、何かと家族の人にお世話になって、周りのことをやってもらっている。
なんか、大学入るときなんかは、とにかく自立してみたいと勢いあまったこともあったのに(しかし、あまり放出する金額の割りには、得ているもののほうが少ない罪悪感にさいなまれ2ヶ月で自宅に出戻り)今になって、家族がいとおしく思うのは、自分勝手もこの上ない。(笑)

しかし、この頃思うのは、高校を大学のような学問の場所にしてもいいのじゃないのか、ということである。高校のときは、数式を覚えたり、単語を覚える毎日を課せられていて、それは良いと言われている高校に限ってそんなんである。で、ランクが下(こういう言い方もよくない)の高校は、不良やとにかくこの頃から落ちこぼれといわれる子供たちがいる。
それは、親の子供に対する教育への熱意がものづごく影響するものだ。
ここで、疑問に思うのである。

なぜ、16やそこらで、落ちこぼれなくてはならないのだろうか。それは、人によっては楽しい高校生活をエンジョイする学生もいるが、高校時代の勉強に意味を見出せない学生も少なからずいる。

暗記ももちろん大切なのかもしれないが、それ以上にその時期の子供が必要としていることって、ひとりひとりの視野を広げてあげて、その子がもつ滞在能力をその子自身がひきだせるような環境つくりが必要なんじゃないだろうか。

今考えてみると、大学を卒業した先生が、高校教師になっつているのが大半であるとおもわれるが、高校時代に学問の話を聞いたことがない。
まったく記憶にない。

というのも、私が大学にいって、それまで最悪にせまかった視野(惣菜のコロッケ、からあげのことしか頭にない!?)が抜群に広がったからだ。
自分から、勉強したいと思ったから、楽しくできたこと。

そういう授業をしているのかな。

思うのである。日本が、学歴社会じゃなければ、どんなに解放的な国になっているんじゃないかと。
短絡的ではあるが、子供たちに未来を。
暗記じゃない、知識でもない、想像力、創造力を。

なんか、日本のシステムに息苦しさを感じてしまう・・、のは私だけ?

侍ジャズを聴きながら、日本型ジャズ、韓国、アメリカ進出おめでとう!!

でも 

February 11 [Sat], 2006, 17:46
が、一歩外にでれば治安ので悪化を感じる。 あんまり、いい感じしないなあ

錦湯につかる 

February 11 [Sat], 2006, 17:30
錦湯最高。地域社会で癒された。今日は前に、古本屋があった。で、そのあと錦市場でコロッケをたべた。また行きたい。