憎しみは活力を与える 

November 28 [Wed], 2007, 9:07
2006年、大切な人が自ら命を断った。
悲しかった。悲しいという感情を通り越すと、人間は狂うんだ。
何故、時間が戻らないのか、何故、あの子が戻って来ないのか、何故、もう居ないのか、分からなかった。分からなかった、と、過去形にするにはまだ時間が必要かもしれない。
「完全な無になりたい」と言葉を残したが、それは無理だ。
無理だよ。
僕が居ても駄目だったのかい。
永遠の存在になるべくして逝ったのかい。
それとも、前の恋人のことを想いながら?
故人を相手に苛々する僕は罪人かい。
故人。嫌だ。
もし君が帰ってくるなら、そんな望みを叶えてくれる存在があるのなら、
僕は命の半分をやってもいい。
半分で足りないなら、もっとやる。
会いたい。会いたい。会いたい。
僕は愚かな、生きている人間だから、物質的なものしか信じ切る事ができないんだ。
「出会ったばかりのあなたが、今までの誰よりも一番理解してくれているよ。」
あの子はそう言ったじゃないか。
それなのに、疑いを向ける僕はただの人間だ。
僕が朽ちれば、悲しむ人がいるだろう。
正直、それは知ったことではない。本当に、申し訳ないと思うのだけれど。
ただ、あの子の母親が、あまりにやつれ切った顔に変わったんだ。
僕は母さんを、あんな風にしたくない。
うちの母親は、もっともっと潰れてしまうだろう。
強い女性だけれど、僕が死んだら彼女の精神も死ぬだろう。
僕は、母さんの生きる理由なんだ。
僕が居るから、母さんは生きているんだ。
「完全な無」になんて、なれるものなら僕だってそうなりたいよ。
でも、無理なんだよ。分かってくれよ。
分かっていたかもしれないね。
だけど、もう駄目だったのか。
「お母さん、ごめんね」って思いながらも、死んじゃったのか。
ちゃんとお洒落もしてたじゃんか。笑ってたじゃんか。
僕も同じだ。面白いことがあれば笑うし、ピアスのバランスなんかをいつも気にしてる。
なんで?なんで?

後遺症 

November 28 [Wed], 2007, 8:49
頭が重い。
先週の僕は、摂取したものが医薬品でなければドラッガーと同じだった。
市販の鎮痛剤、風邪の総合感冒薬、坑鬱剤。
坑鬱剤に関しては3錠摂らないと僕の望む効果は得られなかった。
罪の意識は皆無だ。
仕事に対しても意欲的になれた、というか、「悩み」と言える全ての事柄が脳内から消え去る。
特別楽しい気分になるわけではないが、簡単に言えば「どうでもいいや」と思えるようになる。
実際、1週間が経過したわけだが、僕にとってはせいぜい2,3日間にしか感じていない。
ただ、薬効が切れた後が善くない。
激烈な倦怠感。同じ「どうでもいいや」の、意味が真逆だ。
なにもかもやめてしまいたい。捨ててしまいたい。逃げてしまいたい。
結局、再び精神科に足を運ぶことになった。
具合が悪いというよりは、服用する錠剤がなくなったからだ。
いわゆる「ラリる」「トぶ」ことが目的じゃない。
必要なんだ。
黙ってくれ。
そうでないと僕は、本当に死んでしまう。

あの子が欲しい 

November 06 [Tue], 2007, 9:49
最早、『錠剤を飲む』という行為そのものに依存している。

これは昨夜遅くに友人とメールでやりとりをしていた最中にふと気付いたことだ。
精神的にも肉体的にもとても疲れていた。

子供の頃は昼寝する時間さえ惜しまれて、
高校を卒業する頃まで、毎晩のように徹夜して好きな作業に没頭していた。
方や学校では寝てばかりで、『授業を受ける』その気が端から無かったのだと思う。
寝るか、空想するか。

僕が『寝る』ようになたのは、社会に出てからだ。

単純に、学校とは違って責任のある『仕事』をするべく、脳と体を動かす回数が劇的に増えたこと、それと対人によって知らず知らずのうちにストレスを抱えていたからだろう、と思う。
対人によるストレスは、人間ならば誰しも得るものだ。僕が特別なわけじゃない。
特別な部分があるにしても、それは僕の責任(勝手)であって。今更、どうしようもないことだ。

精神科に通うようになったのは2年半か3年前くらいからだ。
正確には、今は通ってはいない。

自分でも気が付かないくらいごく自然な効果を得られる処方薬に、僕はすっかり堕ちていた。無理矢理に断ち切ったのは、つい先月のことだ。

しかし、長いこと常用していたものを急に止めることは予想以上に苦しかった。
キッカケはどうでもいいが、僕はいわゆる『オーバードーズ(OD)』の常習者だった。
初めて一錠も摂取しなかった夜、言い様のない恐怖感と不安、同時に悲しみがまるで形を持ったかのように全身を覆った。心ではない、身体を覆ったのだ。幽霊にでも遭遇したかのような様子であったと思う。ひたすら怯え、震え、呼吸が乱れ、涙が溢れ、不定期に強い動悸が訪れる。
2時間程それらと奮闘したが、結局、頓服を飲んだ。すると30分もしないうちに安堵が訪れ、眠気が舞い降り、気付けば12時間が経過していた。


昨夜、改めて実感し直したのである。
僕は、錠剤を飲む『行為』に、依存しているのだ。


先日、実家に帰った際にどうやら薬を忘れてきたらしい。
服用を止めてから3週間ほどが経ったのちに、限界を感じていただけあって、かなりのショックを受けてしまった。どこかに一粒くらい、落としてはいないだろうか・・・とまで期待しながら探したが、無い。
絶望の前に僕は、いつか内科で処方された眩暈の薬が残っているのを見つけ、飲んだ。

それで、気休めが得られたのである。

構わない。それも、仕方の無いことだし、別に悲しくも無い。




生きてる 

November 06 [Tue], 2007, 9:09
B面でもA面でもどっちでもよかった。
混沌、闇、悲しみをインターネット上に曝け出したことはある。
世界中が繋がれていて、不特定の人々が見る場所で、僕は喚いた。
その行為はひょっとして無差別な暴力だったかもしれない。
気分が悪くなった人もいるはずだし、
僕を知る人ならば裏切りや深い悲しみを与えただろう。
心身の傷口を見せつけた、それでいて否定という愛情を拒んだ。
同情や先入観の種を撒いてしまうクライシス・コールを発することはやめた。
だから、これは僕の個人的なノートであり、
共感が欲しいとか、心の暴露とか、そういうものでは無い。
僕が生きている記録を、現代に於いて最も使い勝手の良いツールのひとつである「ブログ」を利用して記しておこうと思う。





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