調和の精神

February 29 [Wed], 2012, 15:32
 自分自身や人や大自然や物質や大宇宙と「一つに繋がる」ことは素晴らしい人生です。


 それまで、上手く絡まなかったエネルギーがピタっ!!と一つに繋がるのですから物事がスムーズに進んでゆきます。


 そういった「調和」の選択をした時に・・・・・ついツマヅイテしまうのは

 過去の身に付いた「競争心」や「対立」が「調和」を邪魔してしまうことです。



 電車に乗っていて、大声で騒ぐ人がいるとついムカついてしまいます。

 けれど「調和」を選択したから怒る訳にもいかない・・・・・


 色々考えた挙句・・・・・ヘッドホンの音楽のボリュームを大きくして大声を聞かないようにしてしまい・・・・・・・・


 あるいはひたすら我慢してその場を過ごそうとしたりします。



 「調和」というものはそういうことではなさそうです。



 自分と大声で話す人と噛み合わないその現状を「調和」するには、音楽のボリュームを上げることでも忍耐強く我慢することでもないのだと僕は思っています。



 電車内の空間に自分だけではなくその他大勢も「大声」を出す人に対して嫌悪感を持っている時のその「場の空気」はピリピリしたものになってしまいます。

 ピリピリ感やイライラ感やジッとこらえるエネルギーがその場に渦巻き、場としてのエネルギーは最悪です。


 その場は決して「調和」とは程遠いものです。




 そういった瞬間、一体どうすれば「対立の空気」ではなく「調和」がもたらされるのか??



 ホ・オポノポノを実践した人ならもう分かると思いますが・・・・


 その瞬間瞬間に出来れば心を込めて「愛しています」「ありがとう」という言葉を心で発し続けることが「調和」へと場の空気を変えてしまいます。



 誰にでも苦手なタイプに人や苦手な環境があります。

 近所や職場などでも苦手だったり嫌いなタイプに人は誰にでもあると思います。


 けれど人はそれを顔に出したり態度にそうやすやすと出したりしません。


 それが大人だと言われます・・・・・・・・・が・・・・・・・・・・・・・・



 その我慢が爆発することもあります。


 世間一般では「大人」の態度かもしれませんが、「調和の精神」かと言えばそうではなさそうです。



 その場を良好にするために誰かが「我慢」しています。
 それは自分かもしれません。


 文句を言えば争いになるし・・・・・・我慢すればストレスになって体調不良などを起こす・・・・・・



 けれど「調和」の道を歩みたい・・・・・・・



 そういう時にこそ「ありがとう」「愛しています」「感謝します」という言葉や念を沢山使うことで忍耐という苦痛ではなく、「調和のエネルギー」が流れ込み清々しい場へと変容してゆきます。




 全ての人の中に「調和のエネルギー」があります。



 無職の人、借金を抱えている人、不幸な人生を歩んでいる人、病気の人、孤独な人、重い過去を抱えている人・・・・・・全ての人の中にその「調和のエネルギー」があります。



 ただ・・・・・それを使っていないことで「調和」出来ず、自分がこの世に居ても仕方がないように感じているだけです。



 嫌いな人から逃げたり、嫌いな状況から逃げたり・・・・・・・・または、嫌いな人と闘ってみたり、拒絶してもそれは自分自身を苦しめるだけのものになってしまいます。


 仮に相手を打ち負かしたとしても・・・・・・その闘いは永遠と続き・・・・・いつかは自己破滅していまします。




 闘わずに・・・・・地獄のような我慢をせずに・・・・・・自分も相手も傷つけず苦しめない方法。


それが「調和の精神」です。


 

 「調和」「一体感」へと意識がシフトしている人はきっと過去に苦しい体験があったり、競争に勝ち・・・・・競争に勝ったけれどそこには空虚感しかなかったことを経験していたり・・・・・・


 勝ったけれど「空虚感」を感じ、苦しい目に遭い傷つくことを学んだことによって「調和」「一体感」へと変容していると思います。



 苦しみをもう「終わらせたい!!」という想いがあったからこそ、新しい生き方を選択しています。



 


 それを終わらせることが出来るのは「自分自身」だということは中々気付きません。



 けれど、その不穏な空気を変える力があるのは自分自身の中にあります。




 人それぞれ「苦しい状況」や「苦手な状況」は違うと思いますが・・・・・・・苦しみを終わらせるやり方は同じだと思っています。



 僕たちは「調和」するために面と向かって話し合ったり、何か特別な作戦が必要だと思い込んでいます。


 しかし、それでは解決しないこともあります。


 「調和」のために、心の中で「ありがとう」「愛しています」「感謝します」など・・・・の言葉を念じることで先ほども言いましたが「その場」を調和へと変容させることが出来ます。



 大事なことは「調和」が実現するまで言い続けることです。



 それは凄い業だと思います。



 その場を「ああ、嫌だ」「ああ、ムカつく」「我慢、我慢」「レベルの低い人は相手にしない」「相手は魂年齢が低い」「ネガティブなエネルギーが自分に移らないように気を張る」などなど・・・・・・・


そんな「調和」とかけ離れた言葉や念を発していれば「調和」など実現するはずもありません。


 その場をしのげたとしても、同じような場面が繰り返し繰り返し起こり・・・・・・大事な学びのチャンスを自分自身で失ってしまうことにもなります。



 実はそういう「時」こそ新しい自分へと変容するチャンスです。


 自分と繋がっている「スピリット」の力を発揮し体現するチャンスです。




 スピリットの力を放出するのも阻止するのも自分自身です。



 どんなに苦しい状況でも「愛しています」「感謝します」「ありがとう」など・・・・シンプルですがそういう言葉を心で発することで「スピリット」の力が自分を通じて流れ出し・・・・・・


 自分も相手も、その場の全てのものが自分から流れ出した「スピリットの調和のエネルギー」によって一つに繋がってゆきます。



 

 誰からそれを発するかだけの問題です。


 今、「調和」や「一体感」「スピリット」に目覚めて、その道を選択した人はきっとスピリット・神があなたに「調和・一体感」を望んでいるのは間違いないと思います。



 過去の歴史や、自分の人生を振り返っても一目瞭然ですが、僕たちはまだ「調和」や「一体感」を体験していません。


 一人一人は素晴らしい存在なのですが、「調和」出来ていないことで上手く絡み合わず、人生を苦しいものにしてしまっています。



 「調和」は誰から始めるのか???


 それは自分からです。



 だから誰にでも始められるシンプルなものです。



 この「調和」の力がどんどん発揮されれば、それぞれの個性や能力が一つとなって素晴らしい状況を生み出すのは間違いありません。


 

 まるで日本の企業のようです。


 それぞれの企業は素晴らしいノウハウや技術を持っているけれど「調和」の力が流れないから一体化していない。


 調和の力は学者や天才しか持っていないのではなく、誰にでもある力です。



 見た目に惑わされずに、古い価値観に惑わされずに宇宙の意識を感じ取ってゆくことが大切です。


 調和が求められている時に、対立している場合しているようではいつまでも苦しみから抜け出すことは出来ません。


 それぞれが自分の価値を信じて日々「調和の精神」を実践することで、生まれてきて本当に良かったと言える瞬間が訪れ、何故??自分という存在が創造されたかを理解できます。


世界を変えられるのは「あなたしか」いません。


世界を変えるのは「特別なこと」をするのではなく、もの凄くシンプルです。

宇宙意識(スピリット・神・ソース)と繋がること

February 28 [Tue], 2012, 22:24
 ある日、宇宙意識(神・ソース・スピリット)などと繋がる意識が強くなることは誰にでも起こりうる。


 YOU TUBEなどで「臨死体験」や神秘的な出来事で予期しなかったことでスピリットを知る体験を見ていると改めて現実離れしていると感じる。


 
 
 スピリットと繋がると、きっと今まで体験したことの無い「超越的なパワー」を感じ、発揮するのだと思っています。


 予期せぬことで繋がったり、ある本がきっかけでスピリットを知ったり、世界中で様々な出来事で「機会」が訪れていることだと思います。


 僕は相変わらず「探求」しています(笑)。


 
 意識や感覚は無くとも繋がっていることは分かっていますが、まだまだ完全な意識の変容は起こっていないと感じています。




 


 自分と神は一体である。



 きっとそれは真実です。


 けれど魂が完全にその真実を受け入れきっていないという感覚があります。



 

 で・・・・・・・ちょっと考えてみました。




 スピリットと意識が完全に一体となったら???どんな生活になるんだろうと・・・・・・




 迷いや葛藤や苦しみが無いから充実して楽しいでしょうね(笑)。
何よりもスピリットと繋がっているという実感は最高だと思います。


 限界などなく「成せばなる!!」という意志しかないのでしょうね。



 


 スピリットと繋がろうとして・・・・・未だ繋がっていないと感じても・・・・・


 毎日、どんな時も折れずに諦めずに、魂に良い言葉を掛け続ける・・・・・・




 愛・・・・感謝・・・・・ありがとう・・・・・私は幸せです・・・・・私は満たされています・・・・・・私は完璧です・・・・・などなど・・・・・


 魂にそういった言葉(自分が好きな言葉)を心の中で言い続けることできっとある日言葉では表現できない一体感・・・・・・繋がりの域に達するのだと思います。




 早く繋がった人が偉いわけでも、未だ繋がっていない人がダメなことでもなく・・・・・大事なことは繋がっていても繋がっていなくても、スピリットを第一に置いているということだと思います。



 スピリットと繋がっている人は決まってこう言います。


 神と繋がっていなければ自分では何も出来ない、と。



 だから超越したパワーを発揮して、多くの人から崇拝されてもスピリットが自分という媒体を通してエネルギーを放出しているということをわきまえているので奢ることがありません。


 

 もし・・・・・自分がスピリットと繋がったら何をしたいか??

 
 スピリットと繋がったらどんな毎日を送りたいか??



 繋がることばかりに必死になって・・・・・繋がらなくて落ち込んだり焦ったりするのではなくて、スピリットと繋がったときの自分の責任についての意識も大切な要素だと思います。


 

 スピリットと繋がると物事が嘘のように順調に運び、エネルギーに満たされ・・・・・・自分の周囲もエネルギーで満たされ活気に溢れるでしょう。


 

 だから今、繋がっている感覚が無くて苦労していることは無駄にはなりません。


 自分がスピリットと繋がった時に大事な資質を養われているのだと思っています。


 苦労して辛いとは思いますが、それもスピリットと繋がった時に本当に大切な経験だったということもその時にきっと分かると思います。



 スピリットと繋がる作業と言うのは、ミケランジェロが大理石を彫っているような感覚がいつもあります。



 大理石の中にミケランジェロは作品を見出していて、僕たちは同じようにエゴで包まれた岩にスピリットを感じていて・・・・・


 ミケランジェロが途中で彫刻を止めてしまったら大理石の中からは作品が生まれなかったように・・・・・・



 僕たちも同じように・・・・・・スピリットと繋がる言葉、祈りをいい続け・・・・・・彫り続けてゆくだけです。



 ミケランジェロの日々の作業は本当に地味だったと思います。
 背中は曲がって、色んな雑念も間違いなくあったと思います。


 けれど、その大理石の中に作品を感じ見ていたからこそ彫り続けた。




 スピリットと繋がる言葉・・・・・・自分の好きな言葉や祈りを僕たちが心の中で沢山言い続けるのは「スピリット」を見て・・・感じているから・・・・・・・



 

 言葉を言い続けるのが憂鬱な時は誰だってあります。

 でも繋がる喜びがある。

 だから楽しんでやるほうがいい。



 スピリットと一体となると素晴らしいことがあるのは誰でも知っている。

 

 闇の体験から光の体験へと変容する。



 素敵なことです。

静寂

February 21 [Tue], 2012, 18:44
僕たちは騒がしい世界の中で生活しています。

都会だと人やモノや建物や騒音だらけです。


頭の中でも色んな言葉が飛び交って落ち着きの無い状態です。


敏感な人は周囲に反応し過ぎてクタクタになり・・・・・外出を控えなければ状態を保てないこともあります。



 それはそんな都会ではなくても同じです。

 周囲に反応して思考が忙しく働いていては「平和」な状態ではいられません。




 どんな状況でも「平和」を保ち、「静寂」な状態でいるということは簡単なようで難しかったりします。



 僕は今、「静寂」な状態を心がけて生活しています・・・・・・が!!!やはりそう簡単ではありません。。。。。。



 外に出ればエゴが反応して「無意識」に思考があれこれと忙しく働いてしまいます。


 部屋に居ても同じです。

 
 カチン!!と来たり、憂鬱になったり・・・・・・気合を入れたり・・・・・テンションが下がったり・・・・・・まあ、それは忙しく感情が浮き沈みを繰り返します。


 だからこそ心掛けたいのは、どんな状況でも「静寂」に徹することです。



 徹しようとしても、生活をしていたら反応してエゴに気が付いたら振り回されています。



 エゴに振り回された経験で不幸になった人なら分かると思うのですが・・・・・・


 また、別の知人の話ですが・・・・・


 仕事中に過去の嫌な記憶が何度も出てるそうです。

 仕事に集中できないほど過去の嫌な記憶とその時に抱いた感情が支配して・・・・・・パニックになりかけて・・・・・・トイレに駆け込んで自分を落ち着かせようと必死になると言います。



 それは10年前の記憶と感情ですが・・・・・


「今」というこの瞬間を完全に支配して、10年前の出来事が


「今」リアルに起こっている状態になり、当時の苦しみを思い出して耐えられなくなるのです。


 
 病院にも通院していますが、未だに治らずにゆっくりゆっくり時間をかけて自分を取り戻そうとしています。



 心が病んでいるという状態の人は

 「今」を生きていません。


 過去の記憶を大事に抱きかかえています。


 
 その知人は、精神的に不安定になり・・・・・自分をコントロール出来なくなり・・・・・地獄を味わって・・・・・自分を取り戻そうとしているから



 エゴとは何か!!を理解しました。



 エゴとは「不幸を好む」のです。



 だから知人に言いました。



 そんな自分を不幸にするエゴなんて捨ててしまえば!!と。
 奇麗ごとを言うと、エゴのお陰で意識が変わった・・・・ということになりますが・・・・・・


 意識しなかったらいつまでもその「エゴ」を抱きかかえ


 「今」という状況を生きることが出来ません。




 知人は一通りエゴの不幸を経験したから目が覚めたと言いました。




 宇宙は常に肯定的です。




 自分は辛い人生を歩んでいる・・・・・・・と言ったり思ったりすれば・・・・・宇宙は


「その通り!!」と言い・・・・・・その状況が実現し・・・・・



腹を立てていれば・・・・・・・宇宙は・・・・・・・その通り!!と言い・・・・・・それがそのまま実現する。





 そういった法則を知人は知らなかったので焦っていました(笑)。




 だから「自分は完璧です」と言えば・・・・・・・宇宙は・・・・・・その通り!!・・・・・と言い・・・・・・・実現し・・・・・・



 自分は満たされていると言えば・・・・・・宇宙はその通り!!と言い・・・・・・そのまま実現される。



 宇宙は「その通り!!」(イエス)と全てを肯定すると言われています。




 

 心が騒がしく、ましてや否定的な言葉を一日中連発していれば想像がつきますよね。




 自分で自分を苦しめていることが分かれば知人のように、ネガティブな感情をワザワザ活用しようとは思いませんよね。


 友人は「私は完璧です」という言葉がもの凄く気に入ったようで、それを常に活用すると言っていました。




 本当なら瞑想をして、スピリットに意識を向けて「静寂」な状態を保つことがいいなぁ・・・・・と思うのですが、出来ないという人はエゴに振り回されず、嫌な感覚に襲われた時など


「私は完璧です」と呪文のように言ってみてはどうでしょうか??


エゴの不幸を散々経験し・・・・・今も経験中だと・・・・・・経験から何も学んでいないことになります。


エゴの不幸の経験を今後の幸せに活かさなければもったいないです。



不幸の感覚に襲われた時に


「今」という時間を不幸に譲り渡し、10年前・・・・いや!!何十年前の不幸な感覚に「今」を奪われる必要はありません。



 「今」という状態が不幸だったら、その後も「不幸」です。


 「今」という時間が「満たされ」「完璧」で「幸せ」なら・・・・その後もそういう状況です。



 エゴは「今」という時間を支配しようといつもチャンスを狙っています。

 何故??・・・・・それは、今という時間を支配してエネルギーを搾取してエゴは存続を続けていこうとしているのです。



 だからそんなお人好しになる必要もありません。


 「今」という時間を「幸せ」の選択をするのも自分です。




 エゴに「今」という時間を譲らないという意識が大事です。


 自分と闘うというのはエゴに「今」を支配させないこと。

 そして、そこにスピリットが流れ込むスペースをつくること。


 そうすればスピリットが流れ込み自然に豊かになります。




 自分のためにもしっかり意識を持つことが大事です。

スピリットに意識を向ける

February 21 [Tue], 2012, 11:49
 久しぶりのアップです。

 この期間に「スピリット」に意識を向けて生活していました。


 
 
 嫌なことを言うようですが・・・・・・僕たちはいつか死にます。


 悲しいことに、幼少期などに「自分の存在」を否定され、存在を抹殺されたかのように無視を親にされたり暴力などを振るわれたりすると・・・・


 この命在る人生で・・・・・・「自分の存在」を感じるために沢山のものが必要になってしまい「機能不全」の状態を無意識に経験してしまいます。



 自分の存在を確認するために、何か成功したい!!と思ったり、人から認められ賛美される存在になりたかったりして躍起になりエネルギーを使うけれど・・・・・・・・それでも虚しさが無くならないという経験を多くの人が味わいます。



あるいは、自分の「存在」が否定されたことで、無意識に自分の周囲の人の存在を否定することで何とか生きているというケースも多くあります。




 ある知人の話で・・・・仕事が出来ない無能な同僚がいて、入社して4年目にもなっても同じミスを繰り返し・・・・・コネで入社してミスを連発しているのに首にならずにヌクヌクと会社に居るその同僚に対して・・・・


 その知人は自分の心の中でその同僚を「否定」し心の中から存在を消していました・・・・・・


 無意識に。



 僕は気付いたことを彼に言いました。



 「仕事が無能なのは事実だけれど、存在を否定し、心の中で抹殺するその思考はどこから発生するの??」と。


 彼はもの凄く動揺しました。

 そして、深く自分を見つめ彼が言った言葉は・・・・・・


 その同僚に自分は嫉妬していた・・・・・・と。


 彼は自分が嫉妬していたことに大変驚いていました。



 彼は早くに父親を亡くし、悲しみの中で必死に自分を保ち勉強し、地元で有名な大学を出て今の地位がある中・・・・・ミスだらけの守られたその同僚に嫉妬し・・・・・・・挙句の果てにその人そのものの「存在」を否定していました。




 エゴにとり付かれていました。無意識に。



 エゴというものは、相手の存在を否定し、自分の存在も否定し続けます。


 それがエゴにとって「活動源(エネルギー)」になるので、本人は全く気が付かずエネルギーを奪われクタクタになります。



 そういったエネルギーは自分も相手も不幸にします。
 


 また別の知人は・・・・・


 今付き合っている彼女が、部屋の片付けをしない、料理は作らない、部屋で一日中引きこもって・・・・・そんな姿に耐えられずもう別れて別の相手を見つけたいと崖っぷちに立たされていました。



 けれど自分が金銭的に困ったときに、彼女から何度も助けられたことがあり簡単に別れることが出来ない状況でした。

 彼女は地主の娘だそうです。


 地主の娘でリッチでも、その様子を聞けば彼女に空虚感があるのはすぐに分かります。


 そして友人は見たくない耐えられない彼女の姿を否定しているのも分かります。


 結果、知人は彼女を否定していて苦しんでいました。


 きっと彼女も無意識に「自分を無条件で認めて欲しい」という状態では??と知人に言ってみました。



 すると知人は・・・・・・ハッとした顔で・・・・・・祖父がいつも「女はこうあるべき!!」と男尊女卑の発言を常に言い・・・・・幼い頃に、物事にルーズだった知人を叱りつけていたそうです・・・・・


 女はこうあるべき!!

 ルーズな自分を否定されたと思い込み押さえつけていたものが、彼女の姿を通じて再現されていました。



 僕が彼女はルーズではなくて「おおらかな人」なのでは??と言うと、知人は何か大事なことに気付いたようでした。


 女性はこうでなければダメ!!という条件つきの愛の思考を無意識に受け入れ、こういう人間でなければダメだ!!というガッチガチの人間像を無意識に受け入れたことで苦しむ結果になったことに気付い知人は彼女を受け入れると言いました。



 僕たちの頭はエゴに支配されて、目の前の相手を集中してしっかりとその「存在」を見ていません。

 けれど、目の前の相手を全身全霊でしっかりと見つめ・・・・・相手がぐうたらでも全てを目を逸らさずに見ていると


 自分の存在を認めて欲しい・・・・・ただの一度もしっかりと自分を見てくれないという相手の寂しさがハッキリと見えてきます。


 ただしっかりと見つめるだけで何も言わなくても相手は満たされてゆきます。


相手が欲しいものは「自分の存在」をしっかりと抱き包む目であって、否定ではない。



 そういった今目の前にいる「存在」をしっかりと見つめる愛から幸福が始まることもあります。


 だから本当のパワースポットは目の前の相手だと僕は思うのです。




 

 それと同じことで、自分自身の中の「スピリット」にしっかりと意識を向けます。


 長いこと「存在」していたスピリットですが、キチンと向かい合わないで来た事で不幸続きだったことを僕は学んでいます。



 自分という存在の「形」の裏に「スピリット」が存在していることを多くの人が知らずに人生を歩んでいます。


 目覚める人とは、鏡の法則のように、自分という存在のその対象に目に見えないけれど「スピリット」という存在が「ある」ことに気付いた人だと思います。





 僕たちの意識は常に周囲に注がれています。

 自分は人からどう見られているのか??

 どうしたら注目が集まるのか??

 どうやったらリッチになるのか??

 どうしたらこの問題が解決するのか??




 上手くいったと思ったら行き詰まり・・・・・の連続でウンザリしクタクタになります。


 腹が立ち・・・・イライラして怒りがこみ上げたり・・・・嫉妬したり恨んだり・・・・・・エゴはそういうエネルギーが大好物だし、そのエネルギーによって存続しているようです。



エゴは不幸が大好きだということを知っておくことも大事です。



エゴが大嫌いでエネルギーが枯渇してしまうのは、僕たちが「スピリット」に意識を向けることです。




 「スピリット」があって、自分という肉体を持った「形」があって、行動をするという順序があります。



 自分という存在は第一に「スピリット」という存在があるから自分という肉体を持った存在があるということが基本です。



 だから毎日の生活の中で最初は慣れないと思いますが、まず「スピリット」との関係が重要になってきます。


 「スピリット」は今何をしようとしているのか??


 常にそのことだけに集中していてもいいと思うのですが、そういったスタイルに慣れていなければ自転車と同じで最初は上手くいきません。


 が・・・・・本当のパワースポットは自分と鏡のように相対している「スピリット」だと言えます。



 仮にそれを「神」と言ったとします。


 多くの現代人は、神を誤って解釈しています。
 その挙句、神を否定したりしています。


 けれど、神のことを正しく知ろうという動きの時代でもあります。


 なので、「スピリット」を正しく知るためには、自分自身で「スピリット」としっかりと向かい合えば色んなことが分かってきます。



 意味が難しかったら練習として、花をよく見ればいいと思います。

 大体のイメージは皆あると思いますが、よく見ると発見が多くて神秘を感じます。

 

 それと同じです。


 目を閉じて花に意識を向けるように「呼吸」に意識を向けます。
 吐く息・・・・・吸う息・・・・・ただそれだけに意識をしっかりと向けます。



 

 豊かになるために人は懸命に働き、ストレスを溜め込み、発散し、お互いを否定しあっては自己嫌悪に陥ったり・・・・・・誰かに何かに依存してはそこで愛を得られなかったりして必死に耐えて生きています。


 誰もが「スピリット」というエネルギー源と繋がって生きていますが、エゴと無意識に同化し・・・・・・本当の幸せを経験せずにこの世の経験を終わらせます。



 何が悲しいかと言えば・・・・・・一度もスピリットとしっかりと向き合ったことがないという事実です。




 自分の源であり、自分をの存在と密接に在る「スピリット」に目を向けず・・・・・・目の前の「形」ばかりを追って生きていることの虚しさに苦しみを強く感じています。




 全てのモノや形の裏にはスピリットが存在します。

 自分という存在の裏にもスピリットが疑いようも無くあります。



 スピリットには形がありません。

 だからスピリットは自分という形を作り、何かをしようとしています。


 
 本当の自分と向かい合うには「スピリット」と向かい合うしかないと思います。


 形あるものを追いかけても自分と出会うことはありません。



 
 そして、形あるものはいつか形を失います。

 形は失ってもスピリットは無くなりません。


 自分は「スピリット」そのものだと分かると、歳をとって老化が始まっても焦ることもありません。


 車を盗難されても自分のスピリットは失われません。

 恋人から捨てられてもスピリットはあります。

 大事な人が亡くなってもスピリットは存在します。

 

だから・・・・・エゴは「形」が大好きだということを知って、エゴは形や見た目に反応することを知って・・・・・・


 形や見た目に囚われない「スピリット」に意識を向けてゆくことで、少しずつですが心に平和が戻ってきます。


 スピリットは切っても切れない大事な存在です。

 いつも一緒にいるのにその存在を見失ということは「自分を見失う」ことと同じです。



 そういった意味では、僕たちは長い時間「自分を見失った状態」で生きてきたと思います。


 自分を取り戻すことはシンプルだけれど、エゴが自分の存続のために僕たちを騙し続けます。



 エゴはこう言います。


 こんな狭いマンションよりもあの家が欲しい!!
 きっと今よりも幸せになるから死ぬ気で頑張ってあの家を手に入れろ!!



 こんな旦那よりもあの人のほうが幸せになる!!
 旦那と別れてあの男を手に入れろ!!


 こんな生活よりも、こんな仕事よりももっとあの生活や仕事が自分を幸せにする!!24時間働くつもりでやれ!!




 結果、そこにもエゴが言う幸せが無く・・・・・・


 エネルギーが再び枯渇したエゴは、再び同じように自分を動かし僕たちはエゴの奴隷化し・・・・・・・自分の人生が惨めだったと言う。



 何でも経験です。


 そういったエゴを信じて懸命に動いて生きてきたから「変化」を求めます。


 誰でもいつかは「変化」するようになっているのです。

 サナギが蝶に変化するように。



 それが「スピリット」に意識を向けること。



 人生に行き詰まった時は「変化」の時です。

 別のやり方に方向転換しているときです。



スピリットに常に意識を向けるという行為は本当に地味で「小さなこと」ですが、実はとても「大きな」大事な行為であり、基盤だと日々感じています。


 スピリットはもの凄く奥が深くてとても理解できるものではありませんが、だからこそそこに無限のエネルギーがあり、本当の成功の秘密があるのだと感じています。

ありがとう

February 10 [Fri], 2012, 15:31
ブログを書き始めてもう6年くらいになると思います。

自分の感じたことや体験を今まで書いてきました。
その間に色んなことがありました。

亡くなった人、大震災、放射能、異常気象・・・・・・自分自身の体調不良や・・・・・・体調不良からの回復・・・・・・



 このブログでは人生の「問題」ばかりを取り上げて書き続けてきて、解決策を模索し・・・・・ホ・オポノポノやヒーリングコード・・・・その前はサプリメントや自然食や食事療法など・・・・・・


 または、土地の「気」を上げるための「埋炭法」や、体の「気」を上げるプルプル療法など・・・・・



本も数多く読んでブログに紹介してきました。





 
 自分の抱える問題を解決するために様々なことを学び・・・・・「自己否定」という自分の思考を認めて・・・・・ここで一つの区切りが出来たと思っています。




 話は全く変わりますが・・・・・「Glee」というアメリカのドラマをご存知ですか??

 有名なドラマだから知っている人も多いと思いますが、このドラマは僕の理想を描いています。だからもの凄く好きなドラマです。


 そして、大切なことを沢山学びます。



 どの分野でもそうなのですが・・・・・・・未来に希望を抱けない状況の中で、人に希望を与え、生きることの素晴らしさのメッセージを伝えるものを見ると、「Glee」の脚本家や製作スタッフやキャストを心から尊敬します。




 昨日も書きましたが・・・・・・僕は未来のことを考えることが出来なくなっていました。


 
 きっと大丈夫!!という確信のようなものもあります。

 が・・・・・・実際、生活している中で、2012年のマヤの暦や、放射能問題や今後の自然災害の予想などがあると、自分が頑張ったところでどうにもならない・・・・・・・という想いがあって・・・・・・きっと大丈夫!!という気持ちと、現実が・・・・葛藤を続けてきました。



 同じ状況に立たされながらも、多くの人は逃げ出さずに希望や目標を持って生きている姿を見ると自分自身がもの凄く恥ずかしいという思いで一杯でした。



 僕はこれから起こるかもしれない災害などがもの凄く怖かった。

 

 それは幼い頃に見た夢の影響もあります。
 
 街が崩壊して、まるで戦場のような光景を子供の頃にリアルな夢を見ました。


 また、地上が破滅し・・・・選ばれた人たちは地上から上空に浮かぶというリアルな映像を見たり・・・・・


 上空を埋め尽くすUFOのようなものが現れ・・・・・それを「敵」と地上では呼ぶけれど・・・・それは違って、上空のUFOは地球を救う為の存在だから騙されてはいけないという警告を受けたり・・・・・




 まだまだありますが・・・・・そういったことがあったので違う意味で「不安」と「恐怖」がありました。


だから、アセンションを最初知った時は・・・・ドキっとしたし、自分が感じたことを他の人がネットで言っているのを見ると動揺しました。


普通ってどういうものか分かりませんが・・・・・そんな話を誰かに話しても自分が異常でおかしくなったとしか思えず混乱しました。




 けれど・・・・色んなことを学ぶうちに・・・・・それが本当とか嘘とかということよりも・・・・・・「今」こうして生きていることの方が本当に大事なことだと思ったのです。




 僕が受けた恐ろしいイメージは「今」起こっているわけではない。

 それが本当でも嘘でも「今」はこうして社会も経済も人も動いている。


 こうして生活の恩恵を受けている。


 こうやって「生かされて」いる。



 ネガティブなイメージを払拭したり、決別するのは本当に難しいし、それを無碍にしたら何かとんでもないことになるのではという思いもありましたが・・・・・


 「今」・・・・「生きている」ことを何よりも最優先にして「感謝」していこうと決めました。



 世界は「自分自身」が想像していると言われます。


 その言葉を使うなら・・・・・・僕は「自分自身」で「大きな壁」を創り・・・・・自らがそのネガティブな想像に苦しんだだけだと言えます。


自業自得です。




 僕のような、SF映画的なイメージではなくても・・・・・それぞれの人がそれぞれ自ら創造した世界に「苦しんでいる」ことも知っています。



 僕のように自らのネガティブな創造にとことん苦しんで・・・・・ようやく自分が何を創造し自らを苦しめたのかを理解し・・・・・


 本当の意味で生きることを選択するのだと思います。



 

 僕は今まで自分自身の創り出した「ネガティブな創造」に執着して手放すことが出来なかった。


そして、それを自らが創造していたことをとてもじゃないけれど「受け入れ」「認める」ことが出来ずに、他の誰かの責任にしていただけだった。



 だから「Glee」というドラマの世界だけれど、あのような世界観を創造できる人たちを心から尊敬しています。


 また・・・・・多くのこの世界で生きる人たちの姿勢にも心から尊敬しています。


 バスケット選手時代に5回僕は脱走しました(笑)。

 今回も同じです。


 選手時代は厳しい現実に耐えられず、自信を失って、惨めになって逃げ出しました。


 けれど仲間が支え、何度もチャンスを監督に与えられて磨かれました。


 学生時代の小さな世界から、この社会という大きな世界に立たされて・・・・・・あの時と同じように逃げ出しました。



 けれど、本当に有難いことに支えがあり、生きていこう!!と決めました。


 ブログを読んでくださり、コメントしてくださった方がいたから、それも大きな支えになっていました。


 本当に感謝しています。



 諦めたり逃げ出すことも人生にはあります。

 でも人生は終わっていません。

 

 こうして「今」生きています。

 過去や未来ではなく・・・・・「今出来ること」に全てを注いでいきます。

信じること

February 09 [Thu], 2012, 21:21
ネットでは大震災の予言や様々な噂や憶測が飛び交っています。
ニュースも日に日に「恐怖」や「不安」を抱く内容のものが流れています。


 今までネガティブな情報(噂)は無視していましたが、どんな内容か見てみました。


 政府やマスコミが隠しているという情報があったり・・・・人工地震を起こしたり・・・・・フリーメーソンのことだったり・・・・・


 そういった記事を読んでいると・・・・・・・


 もし仮に意図的にそのような被害を起こしているのならば・・・・何を得ることがあるんだろうか??


 同じ人間がそんな悪魔のような企てを起こすのだろうか??などなど・・・・・・



 人を信じることなど出来なくなるような精神状態になります。



 実際に数多くの地震なども起こっていて、皆、口には出さなくても「不安や恐怖」があると思います。




 世界各地でも政府の崩壊なども起こっている・・・・・・


 こういう状況の中に僕たちはいます。



 原因や真相などを追求する手もあります。

 僕はそういった頭が無いので追求したくても出来ないので・・・・・

 


 こういう状況だから「人を信じること」にしました。




 今までの人生は「人を信じる」ことが出来ない人生でした。

 神さえも信じることが出来ないことの連続でした。

 恐怖や不安の人生でした。


 そして・・・・2012年になって地球が明らかにおかしいと誰もが思う時代になって・・・・・・


 スピリットへ委ねることを学んで・・・・・・



 「自己否定の思考」だったことも学んで・・・・・



 だから今、信じようと心に決めました。




 もしかしたら、本当に誰かが多くの人を破滅させようとしているかもしれません。


 けれど、真実を学んで「全てが一つ」ということを受け入れて・・・・・


 もし・・・・それが本当であっても・・・・・怒りや不安や恐怖ではなく・・・・・信じることを選択しようと。



 マザー・テレサの言った・・・・・・人の「善」を信じること・・・・・を僕も自分の信念にします。




 そう信じたいのかもしれません。


 同じ人間がそんな血も涙も無い行為をするということを信じるのではなく、人の善を信じる人間になりたいと・・・・・・


 幼い頃から、どうしてこんなことが起こるのか??神は本当に存在しているのか?と嘆きたくなることが数多くあったけれど・・・・・


神(スピリット)を信じること・・・・・・・人を信じること・・・・・・


それが「自分自身を信じること」になると心から思ったのです。





だから今まで多くの時間迷ってきて、多くのエネルギーを「恐怖」や「不安」や「不信」に注いできましたが・・・・・・


 もうそういうことから決別して・・・・・・与えられた人生に没頭しようと決めました。



 そう思えたのは、厳しい不安や恐怖の中で生活している東北や関東の方が力強く生きている姿に僕は逆に力を与えてもらい目を覚ましてもらいました。


 僕は人間(自分自身)のダメなところばかり見て生きていました。
 同じ仲間が厳しい環境の中で必死に生きている姿に光を与えてもらいました。



 身近な人でもそうです。

 今でも不安の中にいる人でも「生きること」を放棄していません。


 絶望の中でも「生きている」素晴らしい仲間が沢山この世にはいる。




 だからもう何があっても恐れることよりも、信じることを選択し続けていきたいと・・・・・・・




 色んなことが起こると「自分自身」・・・・・「人」・・・・・・「神(スピリット)」を信じることが出来なくなります。



 こういう時代だからこそ・・・・・・・「今」・・・・・・信じることを心から大切にしたいと・・・・・・



 状況はよくないのですが・・・・・僕は変な奴だと思われるかもしれませんが感謝しています。



 こういう状況ではなかったら「信じる」ことすら分からないまま人生を生きていたかもしれないからです。



 目の前に沢山の「光」が存在している。

スピリットを受け入れる

February 08 [Wed], 2012, 16:41
「自己肯定」という思考で生活すると・・・・・・色んなことに気が付いてくる。


 
 昨日のことですが・・・・・


 チベットの遠隔透視が出来る僧侶の記事を知り・・・・・・その僧侶は2012年について語っていて・・・・・


 どんなに困難が起こっても地球外からのサポートによって危機を回避するので安心だ・・・・・という内容のものでした。


 

 正直に言うと・・・・・難しくて中々実現できなかった「自己否定の思考」から「自己肯定の思考」への転換が理解できて、「自己肯定」を生活の中で活用していると・・・・・・


明るみになってきたことがあります。



スピリットや源(ソース)や神の(どんな言い方でもいいのですが)存在を自分は「肯定」していなかったことが分かってきました。



 今まで、色んな経験をしてきて・・・・・


 仕事をしている中で何度も限界を感じたり、人間関係の調和が難しく一つにまとまらなかったり・・・・・精神力にも限界を感じて無気力状態になったり・・・・・・



 インドへ行ったときに「自分のちっぽけな力では何も出来ない」ことを思い知ったり・・・・・


 自分の無力さや意志の弱さや何か素晴らしいことを成し遂げることなど・・・・・・人生はそう簡単ではないと感じたことで「巨大な壁」やそれを実現するには「大きな力」無しでは無理だという想いに囚われ苦しんでいました。


 
 そんな中で、「ヒマラヤ聖者の生活探求」という本は、自分の思考の限界を遥かに超えた内容で、その内容を知った時は胸が躍りながらも実際にその領域までいけるのかという「恐れ」も同時に起こりました。



 昨日会った友人が・・・・・勉強をしていて、これ以上頑張ったら頭がショートしてしまうと思ってセーブしてしまいそうになるけれど、人間の脳は実はそれ以上の能力があるんだよね・・・・・と語ったことに反応しました。



 
 今まで無意識だとはいえ「自己否定の思考」で生きてきて「制限」や「限界」だらけだったように思います。


 変な話ですが、自分が「限界」を感じた時に、「限界」を感じてしまう自分自身を「認め」「受け入れる」ことが出来ませんでした。


もっと自分は出来るはずだ、という気持ちがあったからです。
けれど現状は力がどんどん衰え・・・・自信を無くし・・・・・更に自分を受け入れることなどできずに苦しみました。




 けれど・・・・・「自己肯定の思考」に変えてからは、そんな自分を「認め」「受け入れ」ることでバラバラだったものが一つになってゆきました。



 「諦める」ということではなく、全てを受け入れる強さという言葉のほうがふさわしいと思います。



 目の前にいる人全てを受け入れ、過去や現在を全て受け入れ・・・・自分の弱さや無力さも受け入れることで・・・・・


 今までどうしようも出来なかった「霧」が晴れてきたという感覚です。







 「人」と「自分」との隔たりが無くなり、融合してゆくことで、自己の内面のバラバラだったものも一つに融合していくなかで・・・・・・



スピリットとも融合に意識が向かっていくことが自分でハッキリ分かります。




 スピリットの力がどんなものか今まで多くのことを学んできました。

イエスやブッダや聖フランシスコやマザーやヒマラヤ聖者などの愛の力を知り、その根源に神との一致を知っていても・・・・・・


 まだ、自分と「神」とは別の「分離」したものだということを知りました。



 ハッキリ言えば「神」を肯定していない自分を知ったのです。





 

 もうここまで来たらやるしかない!!という気持ちになっています。



 「神」を肯定することを選択しました。




 浅はかですが、こういう気持ちが芽生えました。


 僕は子供がいませんが、甥っ子姪っ子が5人います。

 そして「自己肯定」を知り、全ての人が一つということも受け入れました。


 自分がこの地球にいるのは、あと3・40年くらいかもしれません。

 今でも多くの命が誕生しています。



 そういった自分と一つの存在が、この地球で「自己否定」ではなく「自己肯定」という思考と「神と一つ」である愛の中で素晴らしい体験をして欲しいと心から思えるようになりました。



 今までは色んなネガティブな歴史や世界情勢や社会に危機や恐怖を抱いていました。


 そういう自分の思考を受け入れた上で、神を肯定しようと決めました。



 
 今までの自分は事あるごとに「神を批判」していました。

 酷い時には「神を否定」しました。


 他の人は「神の存在など無い」とさえ言い切りました。
 僕はそこまでなくとも、同じだったと思います。



 

 否定という思考は、恐怖・不安・苛立ち・怒り・憎しみなどのエネルギーですが、肯定は信頼・安全・思いやり・慈悲・許しなどのエネルギーです。




 神は自分の姿を模って僕たち一人一人を想像しました。

 「神」がいて「自分」がいる。

 僕たち一人一人は神の「鏡」でもあります。




 僕たちは目の前の相手を「批判」し「拒絶」し、競争し、闘ってきました。


 自分の存在も相手の存在も「神の鏡」だと知らずに。


 けれど神は「肯定」の存在です。


 ただ僕たちが「否定的」だっただけで、神は「肯定」そのものの「愛」の存在です。



 だから思ったのです。



 神を肯定することで「神と一致」することで本当の神の「鏡」として存在できると。




 目の前の相手や見に映る世界全て「受け入れ」「肯定し」・・・・・・神の存在を「肯定」することでバラバラだったものが1つになる。




 毎日の生活で心がけること・・・・・・それは全てを肯定すること。


 否定や肯定、暗闇と光、成功と失敗、金持ちと貧乏、病気と健康・・・・・・男と女・・・・・・・マイナスとプラス・・・・・・


別々のエネルギーが一つになった時にエネルギーが生まれる。


「自己肯定」の思考はそのバラバラだったエネルギーを一つにする。



頭に来るニュースやネガティブなニュース、日常で色んな人と出会いますが、「否定」を続けていけばバラバラのままです。


対立しあうエネルギーですが、自分自身の「自己肯定」という思考の選択によって必ず一つになると信頼しています。

愛へ導くサイン

February 07 [Tue], 2012, 11:26
 「自己否定」という思考がどういった状況を創り出すか!!!ということを「認め」「受け入れ」・・・・・そしてそういった「自己否定」の思考さえも「愛する」ことが出来た時に僕たちは解放されます。



 やはり基本は「愛」です。




 目の前の「憎い相手」や目の前の「苦しい現状」を目の当たりにすると誰でも「逃避」したり・・・・・「否定」したり「拒絶」したくなるものです。


 特に現代はそういう傾向にあります。

 僕の知り合いの女性はよくどうしようもなく嫌な相手に対して


「シャッター」を下すと口癖のように言っていたし、自分からシャッターを下された相手は必ず不幸になると呪い系の言葉を発していました。



 自分の都合の悪い相手に「シャッター」を下せばどうなるか??

 それはもう想像がつきますよね。

 


 自分の都合の悪い相手や、自分の好まない状況に対して



「あなたのことは好きじゃないから、私の前から消えて!!」

あるいは・・・・・

「あなたが消えないなら私が消えるからもう2度と私に関わらないで!!」



という態度にはシコリが残るし、それは「愛」ではありません。


しかも・・・・・・その相手が自分自身の「自己否定」を映し出したのなら・・・・・・・

自分の存在を心の底から「忌み嫌う」行為となり・・・・・・その世界から抜け出すことが出来なくなります。




 そんな状況から抜け出したい!!のに、抜け出せないのはそういった「カラクリ」(もっとふさわしい言葉があると思いますが・・・・)を知らなかっただけです。



 そうと分かればこれからは「自己肯定」の嵐を吹き鳴らせばいい!!と思いませんか??



 もし・・・・・あなたが・・・・・こんな人だったら・・・・・・・


 オシャレな家具に囲まれて、立地の良い場所に暮らして、部屋はアロマなどを焚いて・・・・・・清潔感のある部屋・・・・・オシャレなファッション・・・・・美しいボディ・・・・・そういった状況を好み生活をしていると・・・・・・・




 突然・・・・・電話が鳴って・・・・出てみると、大嫌いな母親からの電話でクドクドと何時間もネガティブな話をされ・・・・・


 または・・・・・・不潔でルーズな男性と職場が一緒で耐え難い状況だったり・・・・・・・・





 または別の状況で・・・・・・



 自分はテキパキとした主婦で・・・・・・旦那さんがルーズで稼ぎも悪く・・・・・・・・耐え難い状況で・・・・・・離婚すれば解放される・・・・・


 こんな人ともう一緒に暮らせない!!


など・・・・・・・




 自分とは「正反対」の相手に嫌気が差し・・・・・・「願望」を打ち立ててそれを心から望むのに・・・・・・・それが叶わないと誰でも人生が嫌になります。



 その状況から抜け出したい!!!!と思えば思うほど・・・・・・

アリ地獄のようにドンドンと深みにはハマリ・・・・・・混乱し、動揺し、パニックさえ起こします。



 嫌で逃げ出せば逃げ出そうとするほど・・・・・・・影は自分から離れずどこまでも追いかけるように・・・・・・・・





 自分とは全く「正反対」の相手や状況。

 自分とは全く「別」の相手。

 

 そこが落とし穴だった。




 誰に習ったのかさえ分からないけれど・・・・・・相手と自分は「別」という幻想を僕たちは知らない間に「信じきって」いた。



 けれど、愛の世界では「相手と自分」は一つだとハッキリ言われている。



 人間とは恐ろしいもので・・・・・・それをどんなに素晴らしい人物が言っても・・・・・・それがイエスであっても、ブッダであっても、マザーであっても・・・・・・・聞く耳を持たずに「激しく抵抗」してしまいます。(自分のことですが)




 「豚に真珠」です。




 もし・・・・・本当の自分の世界で生きる覚悟があり・・・・・・愛の世界へ戻るなら・・・・・・・・



 目の前の「相手」や状況を「肯定」することです。




 自己否定が出来るなら「自己肯定」も出来るはずです。


 自己否定を嵐のように吹き荒らしたのならば・・・・・・「自己肯定」も嵐のように吹く荒らせばいい・・・・・・・



 そう思います。



 目の前の「拒否」したい相手を肯定すればいいだけです。


 

 どうやって???????



目の前の嫌な人は「自分自身」だと認める勇気が最初は必要です。

勇気を出して認めるのです。


この人は自分を映し出している・・・・・・と。






目の前にギャルが居て、品の無い言葉を鬼のように発していても・・・・それは自分自身だと認めるのです。



 人によって「嫌悪感」は違うと思うので・・・・・「嫌悪感」や「受け入れきれない」存在や状況があれば・・・・・・


相手やその状況は自分自身を映し出している・・・・・という「肯定」の思考を使うのです。



 そうすると面白い現象が起こります。




 もっと分かりやすく言えば・・・・・もしギックリ腰になって歩けないほどの痛みがあるときにも・・・・・・


 これは「自分の自己否定」がこうやって現れている・・・・・・自分の自己否定を教えてくれて「ありがとう」と感謝すると痛みが消えます。




 
 

 もし・・・・今、借金に苦しんで催促されて追い込まれていても・・・・・


 これは自分自身の内面の「自己否定」がこうやって姿を現して自分自身にメッセージを発し教えてくれている・・・・・・教えてくれてありがとう・・・・・・という「自己肯定の思考」を使えば・・・・・・・・



 今まで「否定され続けていた」自分自身が、そのメッセージに気付き愛してくれたことで満たされてゆくので終息に向かいます。




 赤ちゃんや子供だって同じですよね。



 お母さん、抱っこして!!

 お母さんにもっと優しくして欲しい!!という気持ちがあるのに・・・・


 ああ!!邪魔臭い!!あっちへ行ってよ!!


 ああ!!あんたって面倒くさい!!産まなければ良かったなんていう態度をされたら


泣きわめくか・・・・その愛して欲しいという感情を押し込めてしまうか・・・・・・親を恨むか・・・・・・親を拒絶していくか・・・・・・


 ですよね。




 それと同じことが起こっていると考えれば楽です。



 自分の中の「否定」されたものが、相手や状況という形で現れ・・・・・




 自分を「認めて欲しい」と・・・・・・






 だから、そういうことが分かってくるとちょっと笑えてきます。自分自身に。



 それでも「肯定せず」「否定し続ける」ことに何のメリットがあるのか??と(笑)。




そういう思考を身につけると、多少何かが起こっても肝が据わって今までのように動揺しなくなります。



 それはきっと相手や状況が自分とは「別の存在」だと思わず、自分自身だという認識があるからです。



 朝起きて・・・・・歯を磨いたり・・・・顔を洗う時に・・・・・・・鏡に映った自分の姿を見て・・・・・・


「恐ろしい!!!」と叫んだり・・・・・・パニックになったり・・・・・

怒りを感じて鏡を殴って鏡を割ったりする人はいないと思います。




顔色が悪ければ・・・・・「ああ、疲れが出ているのかな??」とか、「酷い顔をしてるな」とか・・・・・


「腹が出てきたな」とか・・・・・・



もしかすると・・・・・鏡に映った自分が嫌な人もいるかもしれませんが・・・・・それも目を逸らさず・・・・・その鏡に映った自分が「嫌」だという感情があれば・・・・・自分の中にある「自己否定」を教えてくれてありがとう・・・・と感謝すれば本当の自分の姿を発見できます。





 そういうことが習慣になると・・・・・段々とスピリット・今の自分を映し出す究極の存在へと意識が向かいます。


 今はまだ感覚的に言うと「平行的」な意識、ですが・・・・そこを脱却すると今の自分の存在の対極の源に意識が向かってゆくという感覚があります。


 まずは目の前に映る全てを「肯定」することが大事です。
 

 「否定」があるから「肯定」がある。

 「否定」を経験したからこそ「肯定」に向かう。

「自己肯定」の世界で生きる

February 06 [Mon], 2012, 16:19
自分の内面の「自己否定」が人生で出会う人全てに鏡のように顕著に映ることを受け入れると・・・・・・・


 自分がいかに「愚かな行為」をしていたのか次々に分かってきた。



 
 昨夜、携帯に大阪から「マンションの購入」の営業の電話が掛かってきました。

 一歩的にグイグイ営業トークを推し進める相手にイラっときながらも話を聞いていましたが・・・・・・・夜9時という非常識な時間帯や携帯の番号(個人情報)をどうやって入手したのか??という部分にも不信感があり・・・・・個人情報を業者から買ったのでは??と聞くと、アッサリ「そうです」と答えて・・・・・・


 面識が無く何処の会社かもハッキリと聞き取れないのに高額のマンションを営業して買ってもらおうというその浅はかな考えにも呆れていたので・・・・・・

 
 ブログに鏡の法則を書きながら、すっかりそれを忘れて相手を「拒絶」しました。


 電話を切った後・・・・・頭が痛くなってきて・・・・・冷静に会話のやり取りを思い出し・・・・・・


 あれは自分の姿をあらわしたものだということを受け入れ・・・・・振り返りました。



 

 すると、理由は何でアレ・・・・・僕は結果、「相手を否定し、拒絶した」のだということは間違いないことを認めました。



 
 どんな理由でアレ・・・・・相手を「否定」し、「拒絶」するということは


 相手の「存在」を抹消する行為にもなる。


 それは「自分の存在」をも認めず抹消することと同じになる。





 自分という存在を知るために「鏡」(相手)がいる。

 相手の存在を消す・あるいは消したいということは、自分自身の存在も消したいということになる。


 相手の存在を「肯定」するということは、自分の存在を「肯定」することになる。




 僕の「愚かな間違い」は・・・・・・


自分が何度も母親やこれまで出会ってきた人に存在を「否定され」・・・・自分がその「苦しみ」や「辛さ」「地獄」を味わっているのに・・・・・・




それを他の相手に同じように「存在を拒絶」し、同じ苦しみを味あわせている・・・・・・ということを知り・・・・・・愕然としました。



 自分が一番「拒否」をされることがどんなに苦しいか分かっていながら・・・・・・・相手に同じ苦しみを与えてしまうなんて・・・・・・






なんて愚かなことをしたんだ・・・・・・




辛いけれど、その自分も受け入れました。



そうすると、最悪だったマンションの営業の人に、自分の「自己否定」を気付かせてくれたことへの感謝に変わりました。




その瞬間に「頭の痛み」は消え、穏やかな気持ちになりました。




 その後にTVで日出町の幼児殺害事件の報道があり・・・・・


 母親が殺害したことが判明したという内容に怒りを覚えました。




 けれど、その瞬間に・・・・・・これも自分の鏡だと思考を変え・・・・・




すると、祖父との想い出が出てきました。




 祖父は僕がまだ幼い頃、僕を抱きながら戦争の話をしてくれました。

 祖父は興奮して当時の話をし・・・・・意気揚々と相手国の兵士を3人打ちj殺した・・・・・ということを僕に話しました。


 子供ながら、それを聞いたときに嬉しそうに話している祖父が怖いと思った記憶が蘇ってきました。



 祖父が戦争とはいえ3人の人間を殺した・・・・・その遺伝子の記憶が僕にも受け継がれている・・・・・・・



 祖父が3人の人を殺しても・・・・・・絶対にいけない行為ですが・・・・・僕は祖父を拒絶は出来ない・・・・・・



 なのに・・・・日出町の幼児を殺害した女性を僕はとっさに「拒絶」した。


 拒絶した理由は、「大事な幼い命を殺した」から・・・・・


 そういう理由で僕はその母親を「拒絶」した・・・・・・・ことにすぐに気が付き・・・・・・



 もの凄く激しい抵抗が起こったけれど・・・・・僕はその女性を「肯定」しました。


 「子供を殺害した」ことを肯定したのではなく・・・・・・子供を殺したけれど・・・・・その女性の「存在」を「肯定」しました。



 僕は今世では「殺人」などしていません。

 だからどんな気持ちで「殺人」を犯したのか??は全く理解できません。


 だからと言って、殺した人の「存在」を否定することは別の問題だと思ったのです。



 僕たちの先祖は「人を殺した経験」が無いとは誰も言えません。


 僕たちのDNAの中にそういった記憶がある可能性があります。


 もし、アセンションをするというのなら・・・・・そういった過去の記憶を「許し」「認め」「受け入れる」ことではないかと思います。



 最近になって、ホ・オポノポノのヒューレン博士の行なってきた行為は本当に正しいことだっと思っています。



 ヒューレン博士が勤務した病院は殺人や犯罪を犯した人が収容されていて・・・・・・博士は、そういった人たちに


「ごめんなさい」

「許してください」

「ありがとう」

「愛しています」とひたすら言い続けました。



その博士の行為が人々を解放し、きっと博士も解放されたのだと思います。




収容された殺人犯や犯罪者を博士は自分とは「別」の存在ではなく、自分自身だということを理解していたのだと思います。


そういった人たちの存在を「肯定」することで、その人たち、そして博士自身も「本当の自分」に立ち返ったのだと。



マザー・テレサもきっと同じだったと思います。


見捨てられた人・貧しい人たちは「自分自身」であり、拒絶をしてきた人たちをも自分自身と見なし「愛した」のだと思います。




アセンションが起こり・・・・・この世界が「調和」と「平和」の世界になるとしたら・・・・・・僕たちはきっとヒューレン博士やまざー・テレサと同じ「自己肯定」の思考によって愛の中で生きることが出来るのだと思います。




 自分は相手とは「違う」。



 その考えから脱却し、自分と相手は「同じ」というこれからの思考にシフトチェンジを自然の流れで行なうのだと信頼しています。



 


僕も分からないのですが・・・・・・「自己否定」というものは母親から「否定」されたことから始まったのか??という思いはありますが・・・・・


きっと・・・・もっと大昔からあったようにも感じます。



マイナスがあればプラスがある。

「自己否定」があるから「自己肯定」がある。



長い・・・・長い時間僕は「自己否定」という世界に居ました。


 「自己否定」の世界とはどんなものだったかを経験し・・・・・


 これからは「自己肯定」の世界で生きたいと心から思います。




 「自己肯定」の世界は・・・・・どんな存在も「肯定」する世界です。



 いかなる時も「否定」ではなく「肯定」という業を使うのです。


 僕たちのほとんどが「自己否定」という創造の世界で今まで暮らし体験をしてきました。


 けれどこれからは「自己肯定」という創造の世界で愛の経験をする時がもう始まっているのだと思います。


 
「否定」は自分自身の「存在」を認めない行為です。


 もっともっと「肯定」という素晴らしいエネルギーを使い自分の存在を認めてゆきましょう。

愛を受け入れる

February 05 [Sun], 2012, 18:54
 目の前の世界を変たいなら、自分の内面を変えればいい。


 そう言われても、一体自分の何をどう変えればいいのか全く見当も糸口も見当たらないことがある。


 僕は・・・・・「自分が正しくて、相手が間違い!!」という強い「信念」に気が付けたことから変化が起こった。



 人と人が争い反発するのはお互い


「自分が正しくて、相手が間違い」VS「自分が正しくて、相手が間違い」という「思考」の持ち主同士が向かい合った時に起こる。


 

 その「自分が正しくて、相手が間違い」という「信念」が自分の人生を破滅させている。



 



 また・・・・・・・



 過去や現在において、人生は嫌なことばかりで耐えられない!!と思っている人や、現在、精神的な病を抱えている人、外に出ることが嫌で人と接することが嫌だったり怖かったりする人は・・・・・


 「自己否定」という思考があり・・・・・・その「自己否定」の思考が人生にリアルに表面化していると言っていいと思う。



 「自分自身の中の許せないこと」があり・・・・・・自分では気が付くことも無く意識などせず全く分からなくても・・・・・・



 そういった思考があれば、相手を通じて・・・・・状況を通じてハッキリと現れてくる。




 

 そういった「法則」を聞いたこともない時は「??????意味が分からない」と思います。僕もそうでした。



 実際の生活で・・・・・・母親がいつもネガティブな話ばかりしてウンザリしたり・・・・・・・


 友達が「鬱」(うつ)になり、毎日のように連絡して「苦しい」と言われ・・・・・段々と自分も憂鬱になりそうになり、相手との連絡が嫌になったり・・・・・・


 車のタバコの吸殻のを平気で捨てる人を見て憤りを感じたり・・・・

 マナーを守らない人がいたり・・・・・・常識を守らない人などを見たりして怒りを感じ・・・・・・


 それが次第に・・・・こんな人たちはこの地球から居なくなればいいのに!!という想いが出て、そんな自分の想いに自己嫌悪したり・・・・・




 そんな時に・・・・・・そういう人たちは「あなた自身を映し出す鏡ですよ」と言われようものなら・・・・・



 「冗談じゃない!!自分と相手が一緒の訳が無い!!」と激怒する人もいると思います。




 「常識を守る自分」VS「常識を守らない相手」の関係です。

または・・・・「常識を守る自分」VS「ルーズな相手」です。
 


 でもよくよく考えてみると、本当に自分は「常識」を完璧に守っているのか??



 
 自分に対して暴力的な態度・攻撃的な態度をする、あるいは陰湿な無視をしたり拒絶的な態度をとられた時・・・・・


 自分はそんなことをしない!!!と言ったとしても・・・・・・

 自分は本当にそういう要素が無いのか??を胸に手を当ててみれば思い出すことが沢山あるはずです。




 僕の場合、こういったブログを書きながら・・・・・・


 肉体労働系の人がコンビニなどで携帯で大声で喋りながら買い物していたり・・・・・・・元ヤンキー風のお母さんがタバコを吸いながら子供を抱いていたりしてる姿を見るとムカつきます。



 そういう瞬間・・・・・・「自分はそんなことをしない。ああいう人間にはなりたくない!!」と相手を否定し拒絶します。



 「自分は正しくて、相手が間違っている」という無意識の思考が働き、相手に対して拒絶するエネルギーを発します。


 その発したエネルギーはブーメランのように自分に返ってきます。



 元をただせば・・・・・・「自分自身の嫌いな」「受け入れたくない」要素があるからです。





 そんな時・・・・・自分自身を振り返ります。




 そうすると・・・・・・母親とバトルをした時に・・・・・僕が怒りを爆発させ・・・・・その姿を見て母親が恐ろしいと身の危険を感じたといわれたことがあります。


 また、教員時代の教え子からも「恐ろしかった」と言われます。
 


 
 そういった人たちに、僕は自分の暴力的な要素や破壊的な要素を無意識に見出し・・・・・・・自分自身を許せないでいたことも分かります。



 彼らの要素を見たときに・・・・・・自分の要素が彼らを通じて映し出している・・・・・なんてそういう思考は今まで全くありませんでした。




 けれど・・・・・・自分の要素全てが「相手を通じて」現れるというこの世の法則は真実だと受け入れました。





 そうして始めて、自分を愛することはどういうことか??が分かってきます。






 「相手」ではなく・・・・・自分と別の「存在」ではなく・・・・・自分と相手が「一つ」だということが自分の「思考」になった時に・・・・・



 そこから「愛」が発生します。


 愛が発生するということは「相手」が怖くなくなります。

 
 怖いのは「自分の本当の姿」を受け入れきれないからです。







 暴力的な人が自分自身・・・・・・

 ルーズな人が自分自身・・・・・・


 人を欺く人も自分自身・・・・・・


 

 そんなことは無いと思って生きてきた人にはショックだと思います。



 自分はそんな人間ではないと。





 けれど・・・・・そういう相手と話し合った時・・・・・自分と同じように相手も傷ついている場合がほとんどです。


 形は何であれ・・・・・・・同じ傷を持っていること・・・・・その同じ傷を持っている人と完璧なほど出会うことは圧巻です。



 同じ要素を持ったもの同士が引き合い・・・・・相手を認め・受け入れ・許すことで・・・・・・



 自分自身を許す・・・・・・すなわち「本当の愛」を体験する。






 他のアセンションの情報などを見ていると、思考の変化が起こるのだと思っています。


 自分自身をムチ打ち・・・・・否定する思考・・・・・・

「自分は正しくて、相手が間違い」の思考から・・・・・・

「自分と相手は同じ」だという思考に変化する・・・・・



 

 自分でもそういう風に変化して「どうなっちゃんてんの!!!」とビックリですが・・・・・




 そういう思考の変化は「恐怖」が無くなり・・・・・心が穏やかになります。



 それはそうだとも思います。


 以前の自分なら、そんな考えは受け入れきれないから「激しくその思考に抵抗」し・・・・・・クタクタになります。




 鏡は自分自身を映し出します。



 そのあなたが嫌で嫌で仕方がない人は・・・・・・あなた自身を鏡と同じように映し出しているのですよ・・・・・・



 と言われても納得がいきませんよね。




 けれど・・・・・・自分を知る一番簡単な方法は・・・・・目の前にいる相手を判断せず否定をせず修正などせず・・・・・目を逸らさずにただ見つめるだけです。


 そして、この人は自分そのものだと「素直」に受け止めることです。



 それがまだ分からない時はこうなります。



 「あんたのそういうところがイラつくんだ!!そういうところを直せ!!」と。

 または「あんたのそういうところがムカつく!!死んでくれ!!」と。



 

 それは自分自身に言っている言葉です。

 口に出さずとも心の中で思ってても同じです。



 自分自身が嫌いで仕方ない!!
 自分の存在を絶対に許さない!!と声高らかに宣言しているのです。



 自分自身の存在を認めようとしないから、災難が起こります。
 当然のことです。



 自分はこの世に居ても仕方がない存在と自分自身で追い込みます。




 滑稽ですが・・・・・・これが事実です。





 人生を素晴らしいものに変えるのは難しくありません。


 
相手を全て受け入れることをは自分を受け入れることです。


相手への批判や否定を止め「認め」・「受け入れること」が、自分自身を肯定すること・・・・・・つまり愛がそこに発せいします。


 愛は愛を引き付けます。



 愛のエネルギーの中で生きることが出来ます。





 もし・・・・・心当たりがあるなら実践してみてください。