ありがとう 

February 10 [Fri], 2012, 15:31
ブログを書き始めてもう6年くらいになると思います。

自分の感じたことや体験を今まで書いてきました。
その間に色んなことがありました。

亡くなった人、大震災、放射能、異常気象・・・・・・自分自身の体調不良や・・・・・・体調不良からの回復・・・・・・



 このブログでは人生の「問題」ばかりを取り上げて書き続けてきて、解決策を模索し・・・・・ホ・オポノポノやヒーリングコード・・・・その前はサプリメントや自然食や食事療法など・・・・・・


 または、土地の「気」を上げるための「埋炭法」や、体の「気」を上げるプルプル療法など・・・・・



本も数多く読んでブログに紹介してきました。





 
 自分の抱える問題を解決するために様々なことを学び・・・・・「自己否定」という自分の思考を認めて・・・・・ここで一つの区切りが出来たと思っています。




 話は全く変わりますが・・・・・「Glee」というアメリカのドラマをご存知ですか??

 有名なドラマだから知っている人も多いと思いますが、このドラマは僕の理想を描いています。だからもの凄く好きなドラマです。


 そして、大切なことを沢山学びます。



 どの分野でもそうなのですが・・・・・・・未来に希望を抱けない状況の中で、人に希望を与え、生きることの素晴らしさのメッセージを伝えるものを見ると、「Glee」の脚本家や製作スタッフやキャストを心から尊敬します。




 昨日も書きましたが・・・・・・僕は未来のことを考えることが出来なくなっていました。


 
 きっと大丈夫!!という確信のようなものもあります。

 が・・・・・・実際、生活している中で、2012年のマヤの暦や、放射能問題や今後の自然災害の予想などがあると、自分が頑張ったところでどうにもならない・・・・・・・という想いがあって・・・・・・きっと大丈夫!!という気持ちと、現実が・・・・葛藤を続けてきました。



 同じ状況に立たされながらも、多くの人は逃げ出さずに希望や目標を持って生きている姿を見ると自分自身がもの凄く恥ずかしいという思いで一杯でした。



 僕はこれから起こるかもしれない災害などがもの凄く怖かった。

 

 それは幼い頃に見た夢の影響もあります。
 
 街が崩壊して、まるで戦場のような光景を子供の頃にリアルな夢を見ました。


 また、地上が破滅し・・・・選ばれた人たちは地上から上空に浮かぶというリアルな映像を見たり・・・・・


 上空を埋め尽くすUFOのようなものが現れ・・・・・それを「敵」と地上では呼ぶけれど・・・・それは違って、上空のUFOは地球を救う為の存在だから騙されてはいけないという警告を受けたり・・・・・




 まだまだありますが・・・・・そういったことがあったので違う意味で「不安」と「恐怖」がありました。


だから、アセンションを最初知った時は・・・・ドキっとしたし、自分が感じたことを他の人がネットで言っているのを見ると動揺しました。


普通ってどういうものか分かりませんが・・・・・そんな話を誰かに話しても自分が異常でおかしくなったとしか思えず混乱しました。




 けれど・・・・色んなことを学ぶうちに・・・・・それが本当とか嘘とかということよりも・・・・・・「今」こうして生きていることの方が本当に大事なことだと思ったのです。




 僕が受けた恐ろしいイメージは「今」起こっているわけではない。

 それが本当でも嘘でも「今」はこうして社会も経済も人も動いている。


 こうして生活の恩恵を受けている。


 こうやって「生かされて」いる。



 ネガティブなイメージを払拭したり、決別するのは本当に難しいし、それを無碍にしたら何かとんでもないことになるのではという思いもありましたが・・・・・


 「今」・・・・「生きている」ことを何よりも最優先にして「感謝」していこうと決めました。



 世界は「自分自身」が想像していると言われます。


 その言葉を使うなら・・・・・・僕は「自分自身」で「大きな壁」を創り・・・・・自らがそのネガティブな想像に苦しんだだけだと言えます。


自業自得です。




 僕のような、SF映画的なイメージではなくても・・・・・それぞれの人がそれぞれ自ら創造した世界に「苦しんでいる」ことも知っています。



 僕のように自らのネガティブな創造にとことん苦しんで・・・・・ようやく自分が何を創造し自らを苦しめたのかを理解し・・・・・


 本当の意味で生きることを選択するのだと思います。



 

 僕は今まで自分自身の創り出した「ネガティブな創造」に執着して手放すことが出来なかった。


そして、それを自らが創造していたことをとてもじゃないけれど「受け入れ」「認める」ことが出来ずに、他の誰かの責任にしていただけだった。



 だから「Glee」というドラマの世界だけれど、あのような世界観を創造できる人たちを心から尊敬しています。


 また・・・・・多くのこの世界で生きる人たちの姿勢にも心から尊敬しています。


 バスケット選手時代に5回僕は脱走しました(笑)。

 今回も同じです。


 選手時代は厳しい現実に耐えられず、自信を失って、惨めになって逃げ出しました。


 けれど仲間が支え、何度もチャンスを監督に与えられて磨かれました。


 学生時代の小さな世界から、この社会という大きな世界に立たされて・・・・・・あの時と同じように逃げ出しました。



 けれど、本当に有難いことに支えがあり、生きていこう!!と決めました。


 ブログを読んでくださり、コメントしてくださった方がいたから、それも大きな支えになっていました。


 本当に感謝しています。



 諦めたり逃げ出すことも人生にはあります。

 でも人生は終わっていません。

 

 こうして「今」生きています。

 過去や未来ではなく・・・・・「今出来ること」に全てを注いでいきます。

信じること 

February 09 [Thu], 2012, 21:21
ネットでは大震災の予言や様々な噂や憶測が飛び交っています。
ニュースも日に日に「恐怖」や「不安」を抱く内容のものが流れています。


 今までネガティブな情報(噂)は無視していましたが、どんな内容か見てみました。


 政府やマスコミが隠しているという情報があったり・・・・人工地震を起こしたり・・・・・フリーメーソンのことだったり・・・・・


 そういった記事を読んでいると・・・・・・・


 もし仮に意図的にそのような被害を起こしているのならば・・・・何を得ることがあるんだろうか??


 同じ人間がそんな悪魔のような企てを起こすのだろうか??などなど・・・・・・



 人を信じることなど出来なくなるような精神状態になります。



 実際に数多くの地震なども起こっていて、皆、口には出さなくても「不安や恐怖」があると思います。




 世界各地でも政府の崩壊なども起こっている・・・・・・


 こういう状況の中に僕たちはいます。



 原因や真相などを追求する手もあります。

 僕はそういった頭が無いので追求したくても出来ないので・・・・・

 


 こういう状況だから「人を信じること」にしました。




 今までの人生は「人を信じる」ことが出来ない人生でした。

 神さえも信じることが出来ないことの連続でした。

 恐怖や不安の人生でした。


 そして・・・・2012年になって地球が明らかにおかしいと誰もが思う時代になって・・・・・・


 スピリットへ委ねることを学んで・・・・・・



 「自己否定の思考」だったことも学んで・・・・・



 だから今、信じようと心に決めました。




 もしかしたら、本当に誰かが多くの人を破滅させようとしているかもしれません。


 けれど、真実を学んで「全てが一つ」ということを受け入れて・・・・・


 もし・・・・それが本当であっても・・・・・怒りや不安や恐怖ではなく・・・・・信じることを選択しようと。



 マザー・テレサの言った・・・・・・人の「善」を信じること・・・・・を僕も自分の信念にします。




 そう信じたいのかもしれません。


 同じ人間がそんな血も涙も無い行為をするということを信じるのではなく、人の善を信じる人間になりたいと・・・・・・


 幼い頃から、どうしてこんなことが起こるのか??神は本当に存在しているのか?と嘆きたくなることが数多くあったけれど・・・・・


神(スピリット)を信じること・・・・・・・人を信じること・・・・・・


それが「自分自身を信じること」になると心から思ったのです。





だから今まで多くの時間迷ってきて、多くのエネルギーを「恐怖」や「不安」や「不信」に注いできましたが・・・・・・


 もうそういうことから決別して・・・・・・与えられた人生に没頭しようと決めました。



 そう思えたのは、厳しい不安や恐怖の中で生活している東北や関東の方が力強く生きている姿に僕は逆に力を与えてもらい目を覚ましてもらいました。


 僕は人間(自分自身)のダメなところばかり見て生きていました。
 同じ仲間が厳しい環境の中で必死に生きている姿に光を与えてもらいました。



 身近な人でもそうです。

 今でも不安の中にいる人でも「生きること」を放棄していません。


 絶望の中でも「生きている」素晴らしい仲間が沢山この世にはいる。




 だからもう何があっても恐れることよりも、信じることを選択し続けていきたいと・・・・・・・




 色んなことが起こると「自分自身」・・・・・「人」・・・・・・「神(スピリット)」を信じることが出来なくなります。



 こういう時代だからこそ・・・・・・・「今」・・・・・・信じることを心から大切にしたいと・・・・・・



 状況はよくないのですが・・・・・僕は変な奴だと思われるかもしれませんが感謝しています。



 こういう状況ではなかったら「信じる」ことすら分からないまま人生を生きていたかもしれないからです。



 目の前に沢山の「光」が存在している。

スピリットを受け入れる 

February 08 [Wed], 2012, 16:41
「自己肯定」という思考で生活すると・・・・・・色んなことに気が付いてくる。


 
 昨日のことですが・・・・・


 チベットの遠隔透視が出来る僧侶の記事を知り・・・・・・その僧侶は2012年について語っていて・・・・・


 どんなに困難が起こっても地球外からのサポートによって危機を回避するので安心だ・・・・・という内容のものでした。


 

 正直に言うと・・・・・難しくて中々実現できなかった「自己否定の思考」から「自己肯定の思考」への転換が理解できて、「自己肯定」を生活の中で活用していると・・・・・・


明るみになってきたことがあります。



スピリットや源(ソース)や神の(どんな言い方でもいいのですが)存在を自分は「肯定」していなかったことが分かってきました。



 今まで、色んな経験をしてきて・・・・・


 仕事をしている中で何度も限界を感じたり、人間関係の調和が難しく一つにまとまらなかったり・・・・・精神力にも限界を感じて無気力状態になったり・・・・・・



 インドへ行ったときに「自分のちっぽけな力では何も出来ない」ことを思い知ったり・・・・・


 自分の無力さや意志の弱さや何か素晴らしいことを成し遂げることなど・・・・・・人生はそう簡単ではないと感じたことで「巨大な壁」やそれを実現するには「大きな力」無しでは無理だという想いに囚われ苦しんでいました。


 
 そんな中で、「ヒマラヤ聖者の生活探求」という本は、自分の思考の限界を遥かに超えた内容で、その内容を知った時は胸が躍りながらも実際にその領域までいけるのかという「恐れ」も同時に起こりました。



 昨日会った友人が・・・・・勉強をしていて、これ以上頑張ったら頭がショートしてしまうと思ってセーブしてしまいそうになるけれど、人間の脳は実はそれ以上の能力があるんだよね・・・・・と語ったことに反応しました。



 
 今まで無意識だとはいえ「自己否定の思考」で生きてきて「制限」や「限界」だらけだったように思います。


 変な話ですが、自分が「限界」を感じた時に、「限界」を感じてしまう自分自身を「認め」「受け入れる」ことが出来ませんでした。


もっと自分は出来るはずだ、という気持ちがあったからです。
けれど現状は力がどんどん衰え・・・・自信を無くし・・・・・更に自分を受け入れることなどできずに苦しみました。




 けれど・・・・・「自己肯定の思考」に変えてからは、そんな自分を「認め」「受け入れ」ることでバラバラだったものが一つになってゆきました。



 「諦める」ということではなく、全てを受け入れる強さという言葉のほうがふさわしいと思います。



 目の前にいる人全てを受け入れ、過去や現在を全て受け入れ・・・・自分の弱さや無力さも受け入れることで・・・・・


 今までどうしようも出来なかった「霧」が晴れてきたという感覚です。







 「人」と「自分」との隔たりが無くなり、融合してゆくことで、自己の内面のバラバラだったものも一つに融合していくなかで・・・・・・



スピリットとも融合に意識が向かっていくことが自分でハッキリ分かります。




 スピリットの力がどんなものか今まで多くのことを学んできました。

イエスやブッダや聖フランシスコやマザーやヒマラヤ聖者などの愛の力を知り、その根源に神との一致を知っていても・・・・・・


 まだ、自分と「神」とは別の「分離」したものだということを知りました。



 ハッキリ言えば「神」を肯定していない自分を知ったのです。





 

 もうここまで来たらやるしかない!!という気持ちになっています。



 「神」を肯定することを選択しました。




 浅はかですが、こういう気持ちが芽生えました。


 僕は子供がいませんが、甥っ子姪っ子が5人います。

 そして「自己肯定」を知り、全ての人が一つということも受け入れました。


 自分がこの地球にいるのは、あと3・40年くらいかもしれません。

 今でも多くの命が誕生しています。



 そういった自分と一つの存在が、この地球で「自己否定」ではなく「自己肯定」という思考と「神と一つ」である愛の中で素晴らしい体験をして欲しいと心から思えるようになりました。



 今までは色んなネガティブな歴史や世界情勢や社会に危機や恐怖を抱いていました。


 そういう自分の思考を受け入れた上で、神を肯定しようと決めました。



 
 今までの自分は事あるごとに「神を批判」していました。

 酷い時には「神を否定」しました。


 他の人は「神の存在など無い」とさえ言い切りました。
 僕はそこまでなくとも、同じだったと思います。



 

 否定という思考は、恐怖・不安・苛立ち・怒り・憎しみなどのエネルギーですが、肯定は信頼・安全・思いやり・慈悲・許しなどのエネルギーです。




 神は自分の姿を模って僕たち一人一人を想像しました。

 「神」がいて「自分」がいる。

 僕たち一人一人は神の「鏡」でもあります。




 僕たちは目の前の相手を「批判」し「拒絶」し、競争し、闘ってきました。


 自分の存在も相手の存在も「神の鏡」だと知らずに。


 けれど神は「肯定」の存在です。


 ただ僕たちが「否定的」だっただけで、神は「肯定」そのものの「愛」の存在です。



 だから思ったのです。



 神を肯定することで「神と一致」することで本当の神の「鏡」として存在できると。




 目の前の相手や見に映る世界全て「受け入れ」「肯定し」・・・・・・神の存在を「肯定」することでバラバラだったものが1つになる。




 毎日の生活で心がけること・・・・・・それは全てを肯定すること。


 否定や肯定、暗闇と光、成功と失敗、金持ちと貧乏、病気と健康・・・・・・男と女・・・・・・・マイナスとプラス・・・・・・


別々のエネルギーが一つになった時にエネルギーが生まれる。


「自己肯定」の思考はそのバラバラだったエネルギーを一つにする。



頭に来るニュースやネガティブなニュース、日常で色んな人と出会いますが、「否定」を続けていけばバラバラのままです。


対立しあうエネルギーですが、自分自身の「自己肯定」という思考の選択によって必ず一つになると信頼しています。

愛へ導くサイン 

February 07 [Tue], 2012, 11:26
 「自己否定」という思考がどういった状況を創り出すか!!!ということを「認め」「受け入れ」・・・・・そしてそういった「自己否定」の思考さえも「愛する」ことが出来た時に僕たちは解放されます。



 やはり基本は「愛」です。




 目の前の「憎い相手」や目の前の「苦しい現状」を目の当たりにすると誰でも「逃避」したり・・・・・「否定」したり「拒絶」したくなるものです。


 特に現代はそういう傾向にあります。

 僕の知り合いの女性はよくどうしようもなく嫌な相手に対して


「シャッター」を下すと口癖のように言っていたし、自分からシャッターを下された相手は必ず不幸になると呪い系の言葉を発していました。



 自分の都合の悪い相手に「シャッター」を下せばどうなるか??

 それはもう想像がつきますよね。

 


 自分の都合の悪い相手や、自分の好まない状況に対して



「あなたのことは好きじゃないから、私の前から消えて!!」

あるいは・・・・・

「あなたが消えないなら私が消えるからもう2度と私に関わらないで!!」



という態度にはシコリが残るし、それは「愛」ではありません。


しかも・・・・・・その相手が自分自身の「自己否定」を映し出したのなら・・・・・・・

自分の存在を心の底から「忌み嫌う」行為となり・・・・・・その世界から抜け出すことが出来なくなります。




 そんな状況から抜け出したい!!のに、抜け出せないのはそういった「カラクリ」(もっとふさわしい言葉があると思いますが・・・・)を知らなかっただけです。



 そうと分かればこれからは「自己肯定」の嵐を吹き鳴らせばいい!!と思いませんか??



 もし・・・・・あなたが・・・・・こんな人だったら・・・・・・・


 オシャレな家具に囲まれて、立地の良い場所に暮らして、部屋はアロマなどを焚いて・・・・・・清潔感のある部屋・・・・・オシャレなファッション・・・・・美しいボディ・・・・・そういった状況を好み生活をしていると・・・・・・・




 突然・・・・・電話が鳴って・・・・出てみると、大嫌いな母親からの電話でクドクドと何時間もネガティブな話をされ・・・・・


 または・・・・・・不潔でルーズな男性と職場が一緒で耐え難い状況だったり・・・・・・・・





 または別の状況で・・・・・・



 自分はテキパキとした主婦で・・・・・・旦那さんがルーズで稼ぎも悪く・・・・・・・・耐え難い状況で・・・・・・離婚すれば解放される・・・・・


 こんな人ともう一緒に暮らせない!!


など・・・・・・・




 自分とは「正反対」の相手に嫌気が差し・・・・・・「願望」を打ち立ててそれを心から望むのに・・・・・・・それが叶わないと誰でも人生が嫌になります。



 その状況から抜け出したい!!!!と思えば思うほど・・・・・・

アリ地獄のようにドンドンと深みにはハマリ・・・・・・混乱し、動揺し、パニックさえ起こします。



 嫌で逃げ出せば逃げ出そうとするほど・・・・・・・影は自分から離れずどこまでも追いかけるように・・・・・・・・





 自分とは全く「正反対」の相手や状況。

 自分とは全く「別」の相手。

 

 そこが落とし穴だった。




 誰に習ったのかさえ分からないけれど・・・・・・相手と自分は「別」という幻想を僕たちは知らない間に「信じきって」いた。



 けれど、愛の世界では「相手と自分」は一つだとハッキリ言われている。



 人間とは恐ろしいもので・・・・・・それをどんなに素晴らしい人物が言っても・・・・・・それがイエスであっても、ブッダであっても、マザーであっても・・・・・・・聞く耳を持たずに「激しく抵抗」してしまいます。(自分のことですが)




 「豚に真珠」です。




 もし・・・・・本当の自分の世界で生きる覚悟があり・・・・・・愛の世界へ戻るなら・・・・・・・・



 目の前の「相手」や状況を「肯定」することです。




 自己否定が出来るなら「自己肯定」も出来るはずです。


 自己否定を嵐のように吹き荒らしたのならば・・・・・・「自己肯定」も嵐のように吹く荒らせばいい・・・・・・・



 そう思います。



 目の前の「拒否」したい相手を肯定すればいいだけです。


 

 どうやって???????



目の前の嫌な人は「自分自身」だと認める勇気が最初は必要です。

勇気を出して認めるのです。


この人は自分を映し出している・・・・・・と。






目の前にギャルが居て、品の無い言葉を鬼のように発していても・・・・それは自分自身だと認めるのです。



 人によって「嫌悪感」は違うと思うので・・・・・「嫌悪感」や「受け入れきれない」存在や状況があれば・・・・・・


相手やその状況は自分自身を映し出している・・・・・という「肯定」の思考を使うのです。



 そうすると面白い現象が起こります。




 もっと分かりやすく言えば・・・・・もしギックリ腰になって歩けないほどの痛みがあるときにも・・・・・・


 これは「自分の自己否定」がこうやって現れている・・・・・・自分の自己否定を教えてくれて「ありがとう」と感謝すると痛みが消えます。




 
 

 もし・・・・今、借金に苦しんで催促されて追い込まれていても・・・・・


 これは自分自身の内面の「自己否定」がこうやって姿を現して自分自身にメッセージを発し教えてくれている・・・・・・教えてくれてありがとう・・・・・・という「自己肯定の思考」を使えば・・・・・・・・



 今まで「否定され続けていた」自分自身が、そのメッセージに気付き愛してくれたことで満たされてゆくので終息に向かいます。




 赤ちゃんや子供だって同じですよね。



 お母さん、抱っこして!!

 お母さんにもっと優しくして欲しい!!という気持ちがあるのに・・・・


 ああ!!邪魔臭い!!あっちへ行ってよ!!


 ああ!!あんたって面倒くさい!!産まなければ良かったなんていう態度をされたら


泣きわめくか・・・・その愛して欲しいという感情を押し込めてしまうか・・・・・・親を恨むか・・・・・・親を拒絶していくか・・・・・・


 ですよね。




 それと同じことが起こっていると考えれば楽です。



 自分の中の「否定」されたものが、相手や状況という形で現れ・・・・・




 自分を「認めて欲しい」と・・・・・・






 だから、そういうことが分かってくるとちょっと笑えてきます。自分自身に。



 それでも「肯定せず」「否定し続ける」ことに何のメリットがあるのか??と(笑)。




そういう思考を身につけると、多少何かが起こっても肝が据わって今までのように動揺しなくなります。



 それはきっと相手や状況が自分とは「別の存在」だと思わず、自分自身だという認識があるからです。



 朝起きて・・・・・歯を磨いたり・・・・顔を洗う時に・・・・・・・鏡に映った自分の姿を見て・・・・・・


「恐ろしい!!!」と叫んだり・・・・・・パニックになったり・・・・・

怒りを感じて鏡を殴って鏡を割ったりする人はいないと思います。




顔色が悪ければ・・・・・「ああ、疲れが出ているのかな??」とか、「酷い顔をしてるな」とか・・・・・


「腹が出てきたな」とか・・・・・・



もしかすると・・・・・鏡に映った自分が嫌な人もいるかもしれませんが・・・・・それも目を逸らさず・・・・・その鏡に映った自分が「嫌」だという感情があれば・・・・・自分の中にある「自己否定」を教えてくれてありがとう・・・・と感謝すれば本当の自分の姿を発見できます。





 そういうことが習慣になると・・・・・段々とスピリット・今の自分を映し出す究極の存在へと意識が向かいます。


 今はまだ感覚的に言うと「平行的」な意識、ですが・・・・そこを脱却すると今の自分の存在の対極の源に意識が向かってゆくという感覚があります。


 まずは目の前に映る全てを「肯定」することが大事です。
 

 「否定」があるから「肯定」がある。

 「否定」を経験したからこそ「肯定」に向かう。

「自己肯定」の世界で生きる 

February 06 [Mon], 2012, 16:19
自分の内面の「自己否定」が人生で出会う人全てに鏡のように顕著に映ることを受け入れると・・・・・・・


 自分がいかに「愚かな行為」をしていたのか次々に分かってきた。



 
 昨夜、携帯に大阪から「マンションの購入」の営業の電話が掛かってきました。

 一歩的にグイグイ営業トークを推し進める相手にイラっときながらも話を聞いていましたが・・・・・・・夜9時という非常識な時間帯や携帯の番号(個人情報)をどうやって入手したのか??という部分にも不信感があり・・・・・個人情報を業者から買ったのでは??と聞くと、アッサリ「そうです」と答えて・・・・・・


 面識が無く何処の会社かもハッキリと聞き取れないのに高額のマンションを営業して買ってもらおうというその浅はかな考えにも呆れていたので・・・・・・

 
 ブログに鏡の法則を書きながら、すっかりそれを忘れて相手を「拒絶」しました。


 電話を切った後・・・・・頭が痛くなってきて・・・・・冷静に会話のやり取りを思い出し・・・・・・


 あれは自分の姿をあらわしたものだということを受け入れ・・・・・振り返りました。



 

 すると、理由は何でアレ・・・・・僕は結果、「相手を否定し、拒絶した」のだということは間違いないことを認めました。



 
 どんな理由でアレ・・・・・相手を「否定」し、「拒絶」するということは


 相手の「存在」を抹消する行為にもなる。


 それは「自分の存在」をも認めず抹消することと同じになる。





 自分という存在を知るために「鏡」(相手)がいる。

 相手の存在を消す・あるいは消したいということは、自分自身の存在も消したいということになる。


 相手の存在を「肯定」するということは、自分の存在を「肯定」することになる。




 僕の「愚かな間違い」は・・・・・・


自分が何度も母親やこれまで出会ってきた人に存在を「否定され」・・・・自分がその「苦しみ」や「辛さ」「地獄」を味わっているのに・・・・・・




それを他の相手に同じように「存在を拒絶」し、同じ苦しみを味あわせている・・・・・・ということを知り・・・・・・愕然としました。



 自分が一番「拒否」をされることがどんなに苦しいか分かっていながら・・・・・・・相手に同じ苦しみを与えてしまうなんて・・・・・・






なんて愚かなことをしたんだ・・・・・・




辛いけれど、その自分も受け入れました。



そうすると、最悪だったマンションの営業の人に、自分の「自己否定」を気付かせてくれたことへの感謝に変わりました。




その瞬間に「頭の痛み」は消え、穏やかな気持ちになりました。




 その後にTVで日出町の幼児殺害事件の報道があり・・・・・


 母親が殺害したことが判明したという内容に怒りを覚えました。




 けれど、その瞬間に・・・・・・これも自分の鏡だと思考を変え・・・・・




すると、祖父との想い出が出てきました。




 祖父は僕がまだ幼い頃、僕を抱きながら戦争の話をしてくれました。

 祖父は興奮して当時の話をし・・・・・意気揚々と相手国の兵士を3人打ちj殺した・・・・・ということを僕に話しました。


 子供ながら、それを聞いたときに嬉しそうに話している祖父が怖いと思った記憶が蘇ってきました。



 祖父が戦争とはいえ3人の人間を殺した・・・・・その遺伝子の記憶が僕にも受け継がれている・・・・・・・



 祖父が3人の人を殺しても・・・・・・絶対にいけない行為ですが・・・・・僕は祖父を拒絶は出来ない・・・・・・



 なのに・・・・日出町の幼児を殺害した女性を僕はとっさに「拒絶」した。


 拒絶した理由は、「大事な幼い命を殺した」から・・・・・


 そういう理由で僕はその母親を「拒絶」した・・・・・・・ことにすぐに気が付き・・・・・・



 もの凄く激しい抵抗が起こったけれど・・・・・僕はその女性を「肯定」しました。


 「子供を殺害した」ことを肯定したのではなく・・・・・・子供を殺したけれど・・・・・その女性の「存在」を「肯定」しました。



 僕は今世では「殺人」などしていません。

 だからどんな気持ちで「殺人」を犯したのか??は全く理解できません。


 だからと言って、殺した人の「存在」を否定することは別の問題だと思ったのです。



 僕たちの先祖は「人を殺した経験」が無いとは誰も言えません。


 僕たちのDNAの中にそういった記憶がある可能性があります。


 もし、アセンションをするというのなら・・・・・そういった過去の記憶を「許し」「認め」「受け入れる」ことではないかと思います。



 最近になって、ホ・オポノポノのヒューレン博士の行なってきた行為は本当に正しいことだっと思っています。



 ヒューレン博士が勤務した病院は殺人や犯罪を犯した人が収容されていて・・・・・・博士は、そういった人たちに


「ごめんなさい」

「許してください」

「ありがとう」

「愛しています」とひたすら言い続けました。



その博士の行為が人々を解放し、きっと博士も解放されたのだと思います。




収容された殺人犯や犯罪者を博士は自分とは「別」の存在ではなく、自分自身だということを理解していたのだと思います。


そういった人たちの存在を「肯定」することで、その人たち、そして博士自身も「本当の自分」に立ち返ったのだと。



マザー・テレサもきっと同じだったと思います。


見捨てられた人・貧しい人たちは「自分自身」であり、拒絶をしてきた人たちをも自分自身と見なし「愛した」のだと思います。




アセンションが起こり・・・・・この世界が「調和」と「平和」の世界になるとしたら・・・・・・僕たちはきっとヒューレン博士やまざー・テレサと同じ「自己肯定」の思考によって愛の中で生きることが出来るのだと思います。




 自分は相手とは「違う」。



 その考えから脱却し、自分と相手は「同じ」というこれからの思考にシフトチェンジを自然の流れで行なうのだと信頼しています。



 


僕も分からないのですが・・・・・・「自己否定」というものは母親から「否定」されたことから始まったのか??という思いはありますが・・・・・


きっと・・・・もっと大昔からあったようにも感じます。



マイナスがあればプラスがある。

「自己否定」があるから「自己肯定」がある。



長い・・・・長い時間僕は「自己否定」という世界に居ました。


 「自己否定」の世界とはどんなものだったかを経験し・・・・・


 これからは「自己肯定」の世界で生きたいと心から思います。




 「自己肯定」の世界は・・・・・どんな存在も「肯定」する世界です。



 いかなる時も「否定」ではなく「肯定」という業を使うのです。


 僕たちのほとんどが「自己否定」という創造の世界で今まで暮らし体験をしてきました。


 けれどこれからは「自己肯定」という創造の世界で愛の経験をする時がもう始まっているのだと思います。


 
「否定」は自分自身の「存在」を認めない行為です。


 もっともっと「肯定」という素晴らしいエネルギーを使い自分の存在を認めてゆきましょう。

愛を受け入れる 

February 05 [Sun], 2012, 18:54
 目の前の世界を変たいなら、自分の内面を変えればいい。


 そう言われても、一体自分の何をどう変えればいいのか全く見当も糸口も見当たらないことがある。


 僕は・・・・・「自分が正しくて、相手が間違い!!」という強い「信念」に気が付けたことから変化が起こった。



 人と人が争い反発するのはお互い


「自分が正しくて、相手が間違い」VS「自分が正しくて、相手が間違い」という「思考」の持ち主同士が向かい合った時に起こる。


 

 その「自分が正しくて、相手が間違い」という「信念」が自分の人生を破滅させている。



 



 また・・・・・・・



 過去や現在において、人生は嫌なことばかりで耐えられない!!と思っている人や、現在、精神的な病を抱えている人、外に出ることが嫌で人と接することが嫌だったり怖かったりする人は・・・・・


 「自己否定」という思考があり・・・・・・その「自己否定」の思考が人生にリアルに表面化していると言っていいと思う。



 「自分自身の中の許せないこと」があり・・・・・・自分では気が付くことも無く意識などせず全く分からなくても・・・・・・



 そういった思考があれば、相手を通じて・・・・・状況を通じてハッキリと現れてくる。




 

 そういった「法則」を聞いたこともない時は「??????意味が分からない」と思います。僕もそうでした。



 実際の生活で・・・・・・母親がいつもネガティブな話ばかりしてウンザリしたり・・・・・・・


 友達が「鬱」(うつ)になり、毎日のように連絡して「苦しい」と言われ・・・・・段々と自分も憂鬱になりそうになり、相手との連絡が嫌になったり・・・・・・


 車のタバコの吸殻のを平気で捨てる人を見て憤りを感じたり・・・・

 マナーを守らない人がいたり・・・・・・常識を守らない人などを見たりして怒りを感じ・・・・・・


 それが次第に・・・・こんな人たちはこの地球から居なくなればいいのに!!という想いが出て、そんな自分の想いに自己嫌悪したり・・・・・




 そんな時に・・・・・・そういう人たちは「あなた自身を映し出す鏡ですよ」と言われようものなら・・・・・



 「冗談じゃない!!自分と相手が一緒の訳が無い!!」と激怒する人もいると思います。




 「常識を守る自分」VS「常識を守らない相手」の関係です。

または・・・・「常識を守る自分」VS「ルーズな相手」です。
 


 でもよくよく考えてみると、本当に自分は「常識」を完璧に守っているのか??



 
 自分に対して暴力的な態度・攻撃的な態度をする、あるいは陰湿な無視をしたり拒絶的な態度をとられた時・・・・・


 自分はそんなことをしない!!!と言ったとしても・・・・・・

 自分は本当にそういう要素が無いのか??を胸に手を当ててみれば思い出すことが沢山あるはずです。




 僕の場合、こういったブログを書きながら・・・・・・


 肉体労働系の人がコンビニなどで携帯で大声で喋りながら買い物していたり・・・・・・・元ヤンキー風のお母さんがタバコを吸いながら子供を抱いていたりしてる姿を見るとムカつきます。



 そういう瞬間・・・・・・「自分はそんなことをしない。ああいう人間にはなりたくない!!」と相手を否定し拒絶します。



 「自分は正しくて、相手が間違っている」という無意識の思考が働き、相手に対して拒絶するエネルギーを発します。


 その発したエネルギーはブーメランのように自分に返ってきます。



 元をただせば・・・・・・「自分自身の嫌いな」「受け入れたくない」要素があるからです。





 そんな時・・・・・自分自身を振り返ります。




 そうすると・・・・・・母親とバトルをした時に・・・・・僕が怒りを爆発させ・・・・・その姿を見て母親が恐ろしいと身の危険を感じたといわれたことがあります。


 また、教員時代の教え子からも「恐ろしかった」と言われます。
 


 
 そういった人たちに、僕は自分の暴力的な要素や破壊的な要素を無意識に見出し・・・・・・・自分自身を許せないでいたことも分かります。



 彼らの要素を見たときに・・・・・・自分の要素が彼らを通じて映し出している・・・・・なんてそういう思考は今まで全くありませんでした。




 けれど・・・・・・自分の要素全てが「相手を通じて」現れるというこの世の法則は真実だと受け入れました。





 そうして始めて、自分を愛することはどういうことか??が分かってきます。






 「相手」ではなく・・・・・自分と別の「存在」ではなく・・・・・自分と相手が「一つ」だということが自分の「思考」になった時に・・・・・



 そこから「愛」が発生します。


 愛が発生するということは「相手」が怖くなくなります。

 
 怖いのは「自分の本当の姿」を受け入れきれないからです。







 暴力的な人が自分自身・・・・・・

 ルーズな人が自分自身・・・・・・


 人を欺く人も自分自身・・・・・・


 

 そんなことは無いと思って生きてきた人にはショックだと思います。



 自分はそんな人間ではないと。





 けれど・・・・・そういう相手と話し合った時・・・・・自分と同じように相手も傷ついている場合がほとんどです。


 形は何であれ・・・・・・・同じ傷を持っていること・・・・・その同じ傷を持っている人と完璧なほど出会うことは圧巻です。



 同じ要素を持ったもの同士が引き合い・・・・・相手を認め・受け入れ・許すことで・・・・・・



 自分自身を許す・・・・・・すなわち「本当の愛」を体験する。






 他のアセンションの情報などを見ていると、思考の変化が起こるのだと思っています。


 自分自身をムチ打ち・・・・・否定する思考・・・・・・

「自分は正しくて、相手が間違い」の思考から・・・・・・

「自分と相手は同じ」だという思考に変化する・・・・・



 

 自分でもそういう風に変化して「どうなっちゃんてんの!!!」とビックリですが・・・・・




 そういう思考の変化は「恐怖」が無くなり・・・・・心が穏やかになります。



 それはそうだとも思います。


 以前の自分なら、そんな考えは受け入れきれないから「激しくその思考に抵抗」し・・・・・・クタクタになります。




 鏡は自分自身を映し出します。



 そのあなたが嫌で嫌で仕方がない人は・・・・・・あなた自身を鏡と同じように映し出しているのですよ・・・・・・



 と言われても納得がいきませんよね。




 けれど・・・・・・自分を知る一番簡単な方法は・・・・・目の前にいる相手を判断せず否定をせず修正などせず・・・・・目を逸らさずにただ見つめるだけです。


 そして、この人は自分そのものだと「素直」に受け止めることです。



 それがまだ分からない時はこうなります。



 「あんたのそういうところがイラつくんだ!!そういうところを直せ!!」と。

 または「あんたのそういうところがムカつく!!死んでくれ!!」と。



 

 それは自分自身に言っている言葉です。

 口に出さずとも心の中で思ってても同じです。



 自分自身が嫌いで仕方ない!!
 自分の存在を絶対に許さない!!と声高らかに宣言しているのです。



 自分自身の存在を認めようとしないから、災難が起こります。
 当然のことです。



 自分はこの世に居ても仕方がない存在と自分自身で追い込みます。




 滑稽ですが・・・・・・これが事実です。





 人生を素晴らしいものに変えるのは難しくありません。


 
相手を全て受け入れることをは自分を受け入れることです。


相手への批判や否定を止め「認め」・「受け入れること」が、自分自身を肯定すること・・・・・・つまり愛がそこに発せいします。


 愛は愛を引き付けます。



 愛のエネルギーの中で生きることが出来ます。





 もし・・・・・心当たりがあるなら実践してみてください。

「自己否定」から「自己肯定」 

February 03 [Fri], 2012, 16:33
  自分の「思考」が「自己否定」であればどんな状況が生まれるか??


 病気であったり、人間関係が悪化し争いごとばかりだったり、いつもお金に困ったり、仕事が失敗ばかりだったり・・・・・そのうちに最悪「自殺」したり・・・・・


 「自己否定」が思考にあるということはそういう状況を生み出してしまう。


 自分の思考が「自己否定」な人は、その「同じ自己否定の要素」を持った人と引き合う。


 目の前の「嫌いな人」「受け付けない人」「生理的にダメな人」・・・・


それは旦那さんかもしれないし、奥さんかもしれない。
または父親や母親かもしれないし、兄弟姉妹かもしれない。

友人・知人、もしくは会社の同僚かもしれない。




 その人たちは自分の「自己否定」と同じ要素を持った人たちで、自分と同じ傷を抱え・・・・・


 自分の「自己否定の思考」・・・・つまり、自分が見たくも「受け入れたくも」「認めたくも」ない・・・・・自分の心の奥底に「封印した」ものを映し出しているとしたらどう思うだろうか??



 何故??その相手が「嫌い」なのか??


 それは自分の心に閉じ込め「抑圧」し「封印」したものが目の前の相手に「映し出され」ていることにほとんどの人が気付かないと言われている。



 ほとんどの人が「封印」しているのは「心の傷」だと思う。



 心の傷が旦那さんや奥さんや家族や友人など・・・・・信じられないかもしれませんが、同じ傷を持った人と出会うようにプログラムが組まれている。


 だから・・・・・相手は「他人」ではなくて「自分自身」。




 僕も多くの「同じ傷」を持った人たちと出会いました。

 その中でも強烈に印象に残っている体験は・・・・・


 インドのマザー・テレサの見捨てられた赤ちゃんを保護している施設を訪問した時に・・・・・

 ある一人の赤ちゃんが僕の右手の小指を赤ちゃんとは思えないほどの力で「ギュッ」っと握り締しめられた時・・・・・


 その施設に行かなければよかった・・・・と、後悔するほどもの凄く苦しくなりました。


 赤ちゃんが自分に愛を求めていると強く感じました。
 けれど、自分は何もしてあげられない・・・・と、自分を責めました。



 赤ちゃんだけではありません。教員時代の生徒達も愛を求めていました。教員を辞めた後も、愛を求める人や存在に多く出会いました。


 僕は怖かったのです。


 愛を求める人達が「自分自身の姿そのもの」だということを受け入れることが出来なかったのです。


 

 愛を求めても愛を得ることが出来なかった体験を思い出してしまうことが辛くて・・・・・・僕は次第にそういう人たちを避けてきました。



 けれど・・・・・・避けても避けても・・・・・この世界の法則は徹底されていて・・・・・


 逃げ回っても、部屋に押しかけてきたり・・・・・

 猫が飼い主に捨てられ餌を求めてきたり・・・・・・

 

 何故わざわざ自分の住む場所で猫が捨てられるのだろうか??

 何故、身を隠しているのに捜し求めて人が来るのだろうか??と謎に苦しみました。




 縁があった人、猫も含め・・・・・・そういった存在が僕に教えてくれていました。



 僕の中にある「自己否定の思考」を。



 僕は色んな状況や人から逃げました。
 それは「嫌だから」です。

 何が嫌かというと・・・・・自分の抑圧してきた感情が現れるからです。


 

 そんなネガティブな苦しみよりもポジティブな世界のほうが良い。
けれど自分の中の「自己否定の思考」がある限り、何をやってもうまくはいきません。



 僕は自分自身を「嫌って」いた。

 自分は愛される価値など無く・・・・・自分自身を愛することさえ分からなかった。



 そういった出会いによって僕は知らず知らずに「自分の認めたくないもの」を相手に見せられていた。




 行き着くところ・・・・・・誰かに愛されたいではなく、自分自身を愛することを学んでいた。



 
 それが顕著に分かってきたのは病気になってからです。

 それまで何だかんだいって頑張れた体が突然思うように動かなくなりました。


 食事さえも喉を通らなくなり・・・・・前にも書きましたが、一週間食べ物が喉を通らなくなりパニック寸前でした。


 その時に、本能というか・・・・・必死に病院を探し、それを解決してくれるお医者さんを探しました。


 そのお医者さんが見つかって、治療を受け30分後には定食をぺロッと平らげました。





 けれど、まだその時でさえも僕は何も気付いていませんでした。
 自分の奥底にある「自己否定の思考」を。






 




 「自己否定」があるなら「自己肯定」もあります。

 

 「自己否定」は自分という存在を自らムチを打ちトコトン傷つけ・・・・・最後は殺そうとします。


 「自己肯定」は自分をいたわり、自分という存在を認め全てを受け入れるという寛容さがあります。




 僕は自分を殺そうとしてきました。

 きっとどこかで間違った「思い込み」をしてしまったのでしょう。



 人からの攻撃や人への攻撃は「自己否定の思考」そのものです。


 相手が憎いのではなく・・・・・自分が憎いのです。
 相手が嫌いなのではなく・・・・・自分が嫌いなのです。



 人は一人では生きてゆけません。

 それは自分を映し出す鏡が無いと・・・・・本当の自分が分からないからです。






 この世界で生きるのが嫌な人は・・・・・この世界が自分の嫌な面を映し出し教えてくれています。


 自分の嫌な面を映し出す世界ですが、自分の良さも映し出すのもこの世界です。



嫌いな相手をいじめたり、無視したり、悪口や批判するなら・・・・それは自分の嫌な面を攻撃し、自分自身をボロボロに痛めつける「自己否定の思考」です。



 「自己肯定」は相手と自分は「別の存在」ではなく、一つの存在で・・・・・・・相手の嫌な面は自分自身の抑圧された感情だと認め、自分と同じ傷を持ち、自分と同じように愛を求めていることを知り、相手を受け入れ理解する。


 そうすることで相手は他人ではなくなり、そこに愛が生まれる。



 僕たちは「愛を知る」ために、不幸を選択しました。
 
 

 今まで自分と相手は違う存在と思い込んで生きてきました。
 その結果がこれです。


 僕たちはまだまだ本当の愛を知りません。


 「自己否定」の時代から「自己肯定」への時代・・・・・・
 素敵な世界へと移行しています。


 愛は一人では成しえません。
 相手の存在があるからこそ生まれます。


 目の前の相手は自分自身です。
 自分を愛しましょう。





 僕たちは「自己否定の思考」の時代によって多くの人が「同じ傷」を抱えています。
 「心の傷」を持ったもの同士がお互い傷つけあっても虚しいだけです。


 お互いの「傷」に早く気付いて、お互いの傷を認め合って共に分かち合えばきっと否定ではなく肯定が生まれます。

愛の選択 

January 31 [Tue], 2012, 13:42
もし、大きな地震があって・・・・・街が崩壊し、今までの「快適」な生活が出来なくなったとしたら・・・・・

人は失って初めて分かる時が人生である。


 僕達は知らず知らずのうちに「勘違い」してしまう。

 隣町までいく時、車を使ったり電車や自転車やバイクなどを使う。

 そういう乗り物が無ければ歩くか走ってゆくしかない。


 
 今の世の中ほとんどがそうだ。


 テクノロジーの発展で自分自身が万能な存在だと勘違いしてしまっている。


 大型の地震などによって・・・・・テクノロジーを使えなくなった時に・・・・・自分の力と向き合い・・・・・・テクノロジーの力を自分の力と勘違いしてきたことを思い知り・・・・・・住宅・家具・電化製品・車・電力・石油・などなど・・・・・・勿論、人に対しても


「感謝」がなかったことを心から反省することが出来る。




 起こって欲しくない地震です。


 けれど、自分たちの生活を無言で支える機械やエネルギーなどの「有難さ」を知り、自分たちの傲慢さを反省する大きな体験でもあります。



 だから、そういうことにならないように先人達が「感謝」の大切な意味のメッセージを送り、多くの存在を支えるエネルギー達もあらゆるメッセージを僕たちに送っている。



 失って初めて知ることがないようにと・・・・・




 アシュタンガ・ヨガを始めて痛感するのは、自分の肉体をほとんど遣っていないなかったことです。

 YOU TUBEなどで検索したら分かると思いますが圧巻です。


下手をすると「脳」ばかり働かせ、脳ばかり刺激して肉体への刺激・運動が減少して頭でっかちになって「勘違い」してしまう落とし穴があることを知りました。



 体を動かさず儲けている人がいれば、それだけ多くの人が動いているということです。人だけではない。

 エネルギーや機械も動いている。

 残念なことに、それだけ多くのものや人が動いているにも関わらず・・・・「感謝」のかの字も無く傲慢にしていれば「引き潮」を経験して多くのものを失っても仕方がありません。


 逆に多くのものを失って、原点に戻れたことに感謝すべきです。





 発展途上の国に行った人なら誰でも分かります。
 もの凄く不便です。

 だから感謝の心が日本人よりも強くあります。




 多くの快適さを手に入れたとき・・・・・・・僕たちはその快適さに比例するように「感謝の念」を持たなければならなかった。



 けれど・・・・・実際どうでしょうか??


 僕も含め「勘違い」した人間の集団になっています。



 

 近年になって沢山のメッセージが広がり、自分自身を改め・・・・・
「感謝」することの大切さに気付き始めた人も広がっています。



 失わずに気付けることは本当に素晴らしいことだと思います。





 人間や機械だけではない。
 目に見えないエネルギーも多くあり、その繋がりによって世界が成り立っています。


 

 愛することが分からない人も多くいます。

 「感謝」することも分からない人もいます。




 好きな音楽が聞けて、快適な便所があって、清潔な環境があって、お店に行けば欲しいものが陳列してあって・・・・・


 感謝が分からない・・・・・というのだから重症です。



 あちこちで地震が起こり、危機的状況でもまだ・・・・・・獣のように

・・・・・・・

 あいつが憎い、ムカつく・・・・・悪口や批判を言い・思い・・・・・

 暗い気分に浸っったり・・・・・・的外れな感情や行為を繰り返す・・・・




 今すべきことは「感謝」では??



 



 獣のような世界になってしまいましたが・・・・・・

 その世界も変化します。


 「感謝の念」に目覚めた人が増え・・・・・臨界点を越えたときにオセロの黒が一気に白に変わるように変化します。




 今、一体何が起こっているのか不安な人はそういうことだと思っていいと思います。


 今の自分に出来ることは????


 それは感謝です。




 今まで色んなものに支えられて生きていたこと。
 こうして今「存在」していること。

 それは自分ひとりだけの力ではなかったことに気付いて・・・・


 心から「感謝」することです。


 その感謝が繋がりとなります。




 獣が叫んでいます。

 獣が行き場を無くしています。


 

 僕たちは多くの繋がりの中で生かされています。



 だから感謝することというのは常識です。





 それがすぐに出来なくても恥ずかしくはありません。
 慣れなくてぎこちなくても「ああ、そうなんだ」と思ったのなら毎日感謝をすると決め・・・・・・・やり続けることが大事です。





 目に見えないエネルギーや目に見えるものが僕たちの「感謝の念」によって一致します。

 
 そういった意味では僕たちは「チーム」であり、「大家族」でもあるのだと思います。





 どんなに自分がちっぽけだと感じても、自分の気が付かないところで多くのエネルギーに支えられています。


 感謝をしなくていい人など一人もいません。



 



 出来たら・・・・・・・その全ての根源であるエネルギーに日々感謝を捧げてゆくことが望ましいです。



 自分の中の「根源」に感謝の念を送ることは、自分と「根源」(源)間にある全ての存在にも感謝の念が伝播します。




 イメージしにくいなら大きな会社をイメージしてみます。

 自分は大きな会社の社長と思ってください。


 社長が会社の方向を決定して、社員が働き、物資が集まり加工し・・・・商品が生産され・・・・・・お客さんに購入してもらう。


 儲かって利益を得て・・・・・・愚かな社長は自分の力と傲慢になり、社員を奴隷のように扱い、利益を財産やゴルフや飲み食いに贅沢をする。



 ゴルフや財産や飲み食いが悪いのではなく、それだけ多くのものを得ただけ全てに感謝することが常識です。



 関わったすべての存在のお陰で自分のお陰だけではない。



 そんなリーダーがゴロゴロ出てきたから社会は混乱し、学ぶべきリーダーの不在が全体の低下に繋がった。


 イエスが行なったように・・・・・全ての人の足を洗える精神の人であることが大事です。



 そういった意味では、そういう存在に成長することは「苦しみ」を伴います。


 人を見下すのではなく、「愛を与える」こと。

 どんな状況でも「愛を選択する」ということは苦痛を伴います。


 しかし、苦痛の先のには「新しい自分」がいます。




 そういう意味では全ての人がリーダーであり、社長の存在だと思います。





 日々、苦しいかもしれませんが「愛を選択」してゆきましょう。

 あらゆるものに感謝することが苦痛でなくなるためには日々努力を続けてゆきましょう。



 悲しみや失望感よりも「愛を選択」しましょう。



 その毎日の「愛の選択」が積み重なってゆけば素晴らしい世界を必ず体験できると信じます。



僕たちは「愚かな選択」をしてきましたが、今から「愛の選択」をし本当の豊かさの世界の中にいましょう。

つぼみが咲き始める 

January 30 [Mon], 2012, 16:00
 2012年、計画通りに動き始めた。

変化の予兆や、予告が語られてきて・・・・・動き始めた。


日々、スピリットに集中して・・・・・表面的な混乱や内面的な混乱があっても、学んできたことを実践して「感謝」と「慈悲」と「愛」の精神をしっかりと持つことが大事です。



 地球意識も今回強い意識を持って変化し、宇宙の意志が地球に流れ込み一致するのだと思います。


 恐らく今までの意識を通そうとしてもムダだと思います。
 圧倒的な力と変化には抵抗できないでしょう。

 そういった無駄なエネルギーを捨てて、この変化の波に乗って一致すればいいと思います。


 


 今までの「支配」が終わり、新しい世界の始まりです。

 恐れを捨てて、先が見えなくても「流れ」を信じていればいいと思います。




 
  


 何かが突然起こったとき・・・・・僕達は「いきなり突然」と予兆も無しにとつい言ってしまいますがそれは違います。


 花がいきなり咲くことなどありません。

 土があって、苗を植えて、水や太陽の日を浴びて、ツルが伸びてつぼみが出来て・・・・・咲きます。


 全てプロセスがあって「その時」が来ます。


 だから何であれ・・・・突然何かが起こることなど無い。



 僕達は「線の上」にいます。


 振り向けば「過去」の道があって、前を見れば「未来」の道があって・・・・・今僕達はその線上にいて「経験」を積んでいます。


 その線上の体験の一つとして「アセンション」があると言われてきました。


 だからそれが事実かどうかは断言できませんが、いづれにせよ過去を振り返っても「変化」は続けてきました。


 変化を続けてきて今が本当によくなったのかどうかはそれぞれの価値観で違います。


 けれど良い悪いではなく「変化」してきました。


 だからこれからも「変化」することは、歴史上そう驚くことではありません。


 

 長年、僕達は「夢」がありました。


 誰も争わず、誰も苦しまず、互いに愛し合う世界で生きたいと。





 それを諦めた人も沢山います。


 現実はそんな世界じゃないと。




 でも・・・・・・愛のエネルギーは止まることがありません。

 愛が消えることは絶対にない。


 この変化で僕達は「愛」に目覚めるでしょうか??

 今まで偉人達が覚醒した「愛」に僕達も目覚めることが出来たら本当に嬉しく思います。



 「スピリット」を信じて、日々の努力を怠らず、変化の波に乗る。

宇宙の中心 

January 27 [Fri], 2012, 18:09
 以前買っていて、まだ読んでいなかった本が家具にぶつかった拍子に「バサ」っと落ちてきました。


 「人生を切りひらく200の金言」川辺秀美=編訳でした。

 空海(弘法大師)の言葉を編訳したものですが、その中でも目を引いたのは

「中区に佇み以て玄覧し、情志を典墳にやしなふ。」

宇宙の中心に静かに坐って深く見わたし、古典の叡智から教えをいただく。


 


 この言葉にハッとしたのは、中学の頃、バスケットの監督から言われた言葉で・・・・・・


 中学一年の入部したての頃、練習の進行も何も分からない時に、コートの端っこで準備運動をしていて時に監督が、


 「良い選手はコートのど真ん中でストレッチするんだよ!!そんな端っこでする選手は一流にはなれない!!」と、いきなり叱られました。


 言葉の力は凄いもので、僕はその意味が感覚的でしたが分かりました。

 その言葉通り、先輩方に気を遣いながらオドオドとコートの真ん中に進んで覚悟を決めるかのようにど真ん中でストレッチをしました。


 その時のことは今でも鮮明に覚えています。


 監督の指示とはいえ・・・・・下っ端のペーペーがコートの中心でストレッチするには相当な度胸が必要でした。


 コートのセンターサークルに近づくまで頭が覚醒されたようにモウロウとなっていました(笑)。


 空海のこの言葉を知った時に、あの時と同じ感覚がありました。


 「そうなんだ!!瞑想する時はそうすればいいんだ!!」と単純にスルッと体に言葉が入ってきました。



別に一流とか特別なものを求めているわけではありません。


ただ・・・・・こうやって日々、迷ったり満たされなかったり、見つけたような気がしたり・・・・・陽炎のように情熱が冷めたりを繰り返しながら・・・・

ヒーリングコードやスピリットに委ねる宣言を日々繰り返している中で、もっと理解したい!!という気持ちはあります。


その為には、自分・・・・・私の中の私・・・・・・私の中の私・・・・・

自分の中の「中心」に意識を向ける以外にはないと思っていて・・・


突き詰めれば・・・・・・自分の中の「神」のことをもっと知りたい!!という想いがあります。




 僕がもの凄く知りたいのは「神のこと」。

 「神と一つになること」です。



 なので、「宇宙の中心に坐る」ということはとても大事だと感じたのです。



 あの時と同じです。


 こんな自分がシャーシャーと図々しく「宇宙の中心に坐って」ヒンシュク者ではないかと??




 けれど最近こう思うのです。


 好き嫌いはあるだろうけれど、レディー・ガガのいじめのエピソードは有名ですが・・・・・・・

 ガガは確かに人と違っていたと思います。

 人と違ったエネルギーを発していたのは間違いありません。

 
 そこで、酷いいじめにあって・・・・・・自分が存在することに不安を覚え苦しみます。


 しかし、母親のアドバイス(言葉)によって、ガガは内なる自分・・・・・本当の自分を表現することに成功しました。


 彼女の「Born This Way 」を聞いたことがある方なら、その歌詞の素晴らしさに神性を感じると思います。



 当時は誰もガガがそのような表現をするなんて本人すら思っていなかったと思います。




 自分の中の「本当の自分」を表現することは「恐怖」でもあります。

 全ての人が同じだと思います。


 心の深い部分で「本当の自分」を押し込めて・・・・・それを表現し行動することをためらい恐れています。



 それは誰の責任でもなく・・・・・・・自分自身の責任で問題です。


 ガガのようにゴミ箱に捨てられるようないじめにあって、ネガティブですが劇的ないじめにと母親のアドバイスによって「本当に自分への道」に通じることもあります。




 皆、誰もが胸の奥に抱えている。

 それは過去のトラウマでもない・・・・・・

 自分を見失った苦しみでもない・・・・・


 「本当はこうしたい!!」という想いがある。




 
 その「想い」を放出すると、ガガのように歌とファッションの表現になるように・・・・・・・それを「行動」を起こすと言われる。


 もし・・・・ガガがいじめに屈して、自分を偽り・・・・・あのような行動を取らなかったら「Born This Way 」という名曲は生まれなかったし、その歌で魂を揺さぶられ目覚める人もいなかったと思います。



 
自分の中の自分・・・・・・私の中の私・・・・・・私の中のスピリット・・・・・私の中の神・・・・・・



 すぐ近くにあるのに近すぎて見えない・・・・・・・



 


 エネルギーは毎日自分自身に流れてきています。

 例えば、肥満体の人・・・・・・

 1日に朝食・昼食・おやつ・夕食・間食などで食べ物を摂取し、それに見合った行動や運動をしていないから太ってしまいます。


 摂取した分だけ動けば太ることはありません。


 食べるだけ食べて・・・・・・運動なんか嫌い!!
 確かに運動は楽ではないしキツイです。


 でも、大事なことは食べた分動けばいい。


 運動も「表現の一つ」と思えばいい。
 だからどの運動で摂取したエネルギーを表現しようと考えると楽しくなる。


 自転車かもしれないし、お金をかけたくないならジョギングだってある。ダンスでもいいし、肉体労働なら一石二鳥です(笑)。


 自分のエネルギーをどのように使えばいいのか??
 それを自分に問うことも大切な作業です。



 だから粘り強く自分の中の自分・・・・・・・私の中の私・・・・・私の中のスピリット・・・・・・・私の中の神・・・・・・言い方は何でもいい・・・・


自分と相対している自分の中心に存在しているものに問うのです。


自分の中心と一致した時に、僕達は「自由」になれます。




自分の中の自分と繋がるときは多くのものを捨てなければなりません。



部屋の中で目を閉じる時・・・・・・・邪魔が入ります。

こんなことして「超宗教じみてる!!」という感覚だったり・・・・・

ヒーリングコードをしている時も・・・・・こんな馬鹿げたことして状況が変化するのか??と疑問に思ったり・・・・・


時間がない!!!と言いつつ・・・・・バラエティー番組やドラマを見入っていたり(笑)・・・・・・



結局、素晴らしい方向に向かうチャンスがあっても自らそのチャンスを閉ざしている。


で・・・・・・・ネットで姓名判断を見たり・・・・・自己表現をしている人を見て落ち込んだり・・・・・・人生を変えられなくて憂鬱になったり・・・・


でも、大丈夫です。

七転び八起きの精神で、七回転んでも八回起き上がればいいから問題なしです。





 何を自分は迷っているのか??

 何を葛藤しているのか??

 何が原因で悶々としているのか??



 それは内なるエネルギーを「あなた」がキチンと放出(表現)せずにいるから肥満のようになっているだけです。



 偽の自分ではなく「本当の自分」を生きている人は、スッキリ爽やかに人生を生きています。


 偽の自分はろくなことがない。


 誰もが「本当の自分」を放出したいはずです。


 そのためのヒーリングコードであったり、瞑想であったりするのです。



 自分にとって「善い行い」は必須です。
  
 
 僕も同じで、どうでもいいようなプライドが邪魔したり、よこしまな考えが邪魔したり・・・・・・無駄なものを大掃除するだけでクタクタになった時期もあります。



 酷い時の偽の自分は・・・・・・部屋で例えるとゴミだらけの部屋です。


 食べた食器はそのまま、ゴミを捨てずに溜め込んで・・・・・部屋は空気の入れ替えなど無しに異臭が漂う・・・・・


 肥満と同じで、食べたら片付ける・・・・を毎日しておけば部屋は綺麗なままです。汚れたら掃除をする。


 食べたまま・・・・・汚れたまま・・・・・面倒くさくなって「傲慢」になり堕落して・・・・・・悪い環境に慣れてしまい・・・・・・


 元の状態を忘れてしまう・・・・・・・


 ただ忘れてしまっただけ。




 瞑想やヒーリングコードは全く同じです。

 心の大掃除です。

 最初だけ確かに大変です。


 食べ物を放置していてカビだらけで触りたくも無いイメージのものを掃除する感覚もあります。


 けれど、知らなかったにしても・・・・・それは誰も片付けられません。
 自分で片付けるしかないのです。


 大変でも必ず綺麗に出来ます。




 そうやって片付いた時に「本当の自分」が見えてきます。



 僕の場合、実際には部屋は綺麗です。部屋を掃除するほうが楽です。

 心の掃除は本当に大変でした。
 でも、決断して掃除して良かったと心から思います。


 
 心の掃除などは40日が一つの目安だと聞きました。
 

 心の部屋が綺麗になって「中心に坐って」自分をもっと知りたいです。
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