アーセン・ベンゲルの凋落=サイモン・クーパーのフットボール・オンライン。

September 28 [Wed], 2011, 3:28
アーセンベンゲルの凋落サイモンクーパーのフットボールオンライン年、モナコの監督だったアーセンベンゲルは、カメルーンでプレイする若いリベリア人選手に目をけていた。その名はジョージウェア。ベンゲルは毎週、彼にいて大いに気をそそられる報告を受けていた。とうとうベンゲルはスタッフを現地に送り込み、ウェアのプレイを視察させた。「まず悪いニュースですが、ウェアは腕を骨折しました」と、スタッフは電話で言った。「いいほうのニュースは、彼はそれでもプレイしたということです」ベンゲルは気に入った。ウェアはさっそくモナコにやって来て契約書にサインしたが、なぜか冴えない表情で座っていた。だってまだ1セントももらっていないんですと、ウェアは言った。ベンゲルは財布からフラン(当時のレートで約1万円)を取り出し、彼に渡した。プライベートでは話し好きなベンゲルは、ウェアの「契約ボーナス」のエピソードをよく冗談交じりに話す。今はリベリアで政治家になっているウェアによれば、このときベンゲルは彼にこう言った。「本気でやれば、きみはヨーロッパのベストプレイヤーになれる」「どうだか」とウェアは思った。しかしベンゲルは正しかった。年、ウェアは世界最優秀選手に選ばれ、そのトロフィーをベンゲルに贈った。このエピソードには、ベンゲルが偉大な監督になった理由が詰まっている。グローバルな目配り、選手の潜在力を見極める感覚、いい選手を安く手に入れる技。しかし、その偉大さはすでに薄れた。ベンゲルの率いるアーセナルは年を最後にタイトルをひとも手にしておらず、この夏には2人のスター選手をもっと裕福なクラブに送り出し、シーズン序盤にはマンチェスターユナイテッドに2−8という屈辱的なスコアで敗れた。アーセナルファンの多くは、もうベンゲルでなくてもいいと思いはじめているようだ。ベンゲルの凋落はフットボールに限らず、あらゆる分野で開拓者となった人々への警告でもある。年に日本のリーグからアーセナルにやって来たとき、ベンゲルは島国イギリスのフットボール界では誰も知らない知識を持ち込んだ。ワールドカップを見に行こうという監督がイギリスにはほとんどいなかった時代に、ベンゲルは世界のいたるところにいる才能に目配りしていた。リーグの監督をやっていたときでさえ、ベンゲルはミラまでよく出かけていた。そこでベンゲルは、ACミランの控えだった内気な若手選手と仲よくなった。名前はパトリックビエラ。彼は後にアーセナルの偉大なキャプテンとなった。そのころベンゲルは、ユベントスの若いウィンガーで、ベンチでくすぶっていたティエリアンリに、きみは本当はストライカーだと言った。「いや、僕はゴールを決めるタイプじゃないです」と、アンリは答えた。アーセナルに移籍したアンリは、クラブ歴代最多の通算得点をあげた。ニコラアネルカやセスクファブレガスなど、まだ代だった無名選手を見けたのもベンゲルだ。彼はイギリスのクラブに、国境を越えたスカウティングの大切さを教えた。ベンゲルは栄養学でも先駆者だった。彼はアーセナルの選手に、魚や野菜を中心とした日本式の食事をとらせた。チームバスの中では選手たちが「マーズバー(チョコレートバー)を食べたい」と叫んでいたかもしれない。経済学の学位を持ベンゲルは、イングランドのフットボールに統計を持ち込んだ。彼はどの選手がボールを何秒持っていたかといった細かい数字を調べた。ジウベルトシウバが放出されたのは、この時間がわずかに増えたためだ。ベンゲルがめざしたのはスピードのあるパスゲームだった。フットボールの究極の姿だ。この理想はベンゲルの率いるアーセナルで何度か実現された。とりわけ、一度も負けずにリーグを制覇して「ザインビンシブルズ(敗れざる者たち)」と呼ばれた年シーズンのチームである。ベンゲルは先駆者だったが、革命家ではなかった。たとえばアーセナルが採っていたイングランド伝統のあか抜けない守備には、しばらく手をけなかった。「私は変化をゆっくりと持ち込んだ」とベンゲルは言う。彼自身が言っていたことだが、ベンゲルの持最高の資質は経験のある人々の声に耳を傾けることだった。ベンゲルがめざした頂点はチャンピオンズリーグ優勝だったはずだ。彼はトロフィーにほとんど手をかけたことがある。年の決勝でアーセナルがバルセロナを1−0とリードしていたとき、アンリがGKと1対1になったシーンがあった。だがGKがこれを防ぎ、そこからバルセロナが逆転勝ちした。その1年後、アテネで行なわれたチャンピオンズリーグ決勝で、ベンゲルはACミランがリバプールを下してトロフィーを手にするのを見ていた。試合で指揮をとっているときと同じく、ベンゲルはときどき怒っているように見え、おとなしく座っていられないようだった。その後ミランの選手たちがメダルを受け取るのを見ながら、ベンゲルは言った。「これでわかっただろう。チャンピオンズリーグで勝には、ごく普通のチームでいいんだ」。鋭い数学者である彼は、一発勝負の大会では運が大きくものをいうことを知っていた。その運にベンゲルは恵まれなかった。やがて彼は先駆者にありがちな運命に苦しむ。周りが彼を真似しはじめたのだ。外国で優秀な選手を探すことも、栄養学や統計学を取り入れることも、他のクラブがやりはじめた。なかにはアーセナル以上に金をかけるところもあった。フットボールではたいてい、選手年俸の最も高いクラブが優勝する。アーセナルの年俸総額は、いまイングランドで5番目だ。多くの監督と違って、ベンゲルは手元にある資金しか使わない。クリスティアーロナウドの才能を見いだしたのはベンゲルのほうが早かったが、より高い移籍金を出して獲得したのはマンチェスターユナイテッドだった。アーセナルは金の使い方には慎重で、移籍1件ごとにたいてい利益を出している。メジャーリーグのオークランドアスレチックスのGMで、統計の活用などで野球界の先駆者だったビリービーンはこう言った。「ベンゲルを見ていると、(アメリカ人投資家の)ウォーレンバフェットを思い出す。彼のやり方は、まるでクラブをもう年所有しようとしているみたいだ」ベンゲルはエミレーツスタジアムへの本拠地移転も後押しした。最初は巨大クラブではなかったアーセナルが、今では世界のフットボール界で5番目の利益を上げている。しかし新スタジアム建設の負債があるため、短期的には支出を切り詰めざるをえない。しかもベンゲルは、優れた先駆者にありがちな別の問題も抱えている。彼はあまりに「彼らしく」なった。まともな批判に耳を傾けることもなくなり、個人的な趣味に走っているようにもみえる。フィジカルを軽視し、GKには関心を持たず、資金に余裕があるときでも優れた選手を安く買うことに喜びを感じ、ゴールより完璧なパスを追求する。ベンゲルがアーセナルで絶対的な存在になったため、誰も彼に意見を言えなくなったようだ。「うちは民主的なクラブではない」と、アーセナルの最高経営責任者イバンガジディスも言う。今季はベンゲルがロンドンで過ごす最後のシーズンになるかもしれない。アーセナルでプレイしたがる一流選手はほとんどいなくなった。ベンゲルがもうトロフィーを手にすることはないかもしれない。それでも彼がイングランドのフットボールを変えたことは間違いない。ベンゲルの栄光と衰退の物語は、さまざまな分野の先駆者にとって教訓となるだろう。(終わり)レズ
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