劇団四季での修業の日々…週7日働いて寝ずに台本書く

November 20 [Thu], 2014, 12:39




水戸芸術館芸術監督の高橋知伽江さん=4日午後、水戸市(桐原正道撮影)(写真:産経新聞)






 【話の肖像画】劇作家・翻訳家 高橋知伽江さん



 <社会人2年目で、それまでの優等生的な人生から脱皮。勤めていた大手シンクタンクに辞表を提出して、当時の劇団四季代表、浅利慶太さんの秘書兼演出助手の仕事に就いた>



 ちょうどそのころ、四季でもチェーホフをやっていたんですけど、かなり斬新な演出だったんです。採用面接では、「あの演出は何か違う」とか「私はただの秘書はやりたくない」みたいな生意気なことを言ったりしました。今思えば若気の至りですが、きっと「この子はおもしろい」と思われて採用されたんでしょうね。



 <演劇の世界は肉体的にも精神的にも厳しかったが、何より芝居がすぐそばにあることが幸せだった>



 当時は夜10時くらいまで毎日稽古をやっていた。秘書業務は6、7時ぐらいに終わるので帰ってしまうこともできましたが、私は稽古場に行って、毎日毎日、終わるまで眺めていました。おもしろくて。すると浅利さんから「そんなにいるなら、ちょっとやってみろ」と子供向けのミュージカルの台本の手直しを任されたんです。喜んで、張り切ってやりました。



 たった1、2行のせりふだけれど、目の前で俳優がしゃべってくれる,ボッテガヴェネタベルトスーパーコピー。完成している芝居を見るのもいいですが、稽古場でみんなで苦労して、試行錯誤して作品をつくっていく過程は、「なんて面白いのだろう」と思いました。そこからどんどん深みにはまっていったわけです。



 <入団から2年ほどして広報部門に移ったころ、劇団の命運を懸けた大仕事がやってきた。昭和58年、ミュージカル「キャッツ」の日本初公演だった>



 今でこそロングランが当たり前ですが、1カ月公演が最長の時代で、初めてのロングラン作品でした。できれば半年はやりたい、3カ月続かなかったら劇団は解散だ、みたいな。役者もスタッフも本当にみんな、人生をなげうつ覚悟で仕事をしていました。私は当時は広報でしたが、マスコミを呼んで元旦からキャッツのメークをした役者を初詣に行かせたり。今では考えられないようなすごいことをやっていました。



 その間の何カ月かは終電よりも前に帰ったことはなかったですね。つらかったけど、会社員時代のような不適合はなかった。そういう意味では、芝居の仕事は向いていたんでしょうね,ボッテガヴェネタベルトスーパーコピー



 <一方で、脚本家、翻訳家としての修業の日々でもあった>



 当時は台本を書くことだけを専門にして劇団にいることはできませんでしたが、勉強しようと思えばいつもそこに稽古場があったんです。修業というか、1カ月に1本、書くことを目標にしていた時期もありました。



 週7日、休むことなく夜まで働いて、寝ないで台本を書くという生活。そうして書いたものも、ほとんど使われることはない。30歳になる直前に、燃え尽き症候群のような形で一度、劇団を離れました,ボッテガヴェネタベルトスーパーコピー。(聞き手 緒方優子)