最近は 

2005年09月06日(火) 15時33分

 全然、本が読めていません。読書日記も全く更新できない状態。
 近いうちに復活します。それまではAmeba Blogの方でちょこちょこ更新します。

たんたかたん 

2005年08月22日(月) 17時47分
 
 お酒をのむのってすきだよ
 たんたかたん、を飲んでたら誰かに渋いって言われたよ
 お湯わり、水割り、ロック。
 地味な女だって言われるよ
 聞こえないフリしても、体は小刻みに揺らいだり
 背伸びするより、しゃがんで砂に文字を連ねてる
 誰かに頭をなでられたいときは
 甘えてみたりする
 
 彼に会うときだけお洒落
 

腑抜け文学論bR-さながら祭りの日のように- 

2005年08月22日(月) 17時27分
 なるほど、この都会にも、人々は生きるためにやって来るが、ぼくには、人々が死ぬために来るとしか思えない。

 「マルテの手記」 リルケ

 家に帰ってくると、お気に入りの音楽を聴きながら、現実逃避の毎日。これじゃあダメだ、と思っていても体からは力がわかない。そうやって本から遠ざかること一ヶ月。重い腰をあげさせたのは、-さながら祭りの日のように-というタイトルの本だった。

 「リルケ」という響きは甘美だ。けれど、この詩人の著作を紐解いたことはなかった。時折図書館の片隅にある朽ち果てた詩集を手にとってはみるものの、数行読んではそっと本棚に戻すということを繰り返した記憶はあるけれど。

 作品に触れるということは、その作家の人生に少なからず関わる事だ。だから自らの感受性が乏しいときは、その作家の生涯に触れてから作品に触れることは、理解を促進することはあっても、妨げることはない。

 この本ではリルケやゲオルグがいかにして「ことば」を獲得するに至ったかを克明に描写しようと試みている。著者である西田英樹さんのこの挑戦は、成功している。

 畳にねっころびながら、ぼんやりとしている私でも、目を見開かずにはいられない好著である。

深夜二時 

2005年07月12日(火) 16時53分
 身体の中が空っぽになる。自分が誰だっていい気持ちになる。映画を立て続けに2本みて、ちょっと世界のことについて、深く考えてるような気持ちになる。それでも、明日はイズミヤがパン祭りだから、どっさり買わなければ、だとか、今日シュウマイの解凍に失敗して、お弁当のとき、ハシでつついてもどうにもならなかったけれど、空腹のあまり食べてしまった侘しさだとか、結局家中のコンセントを抜いて節約するような毎日がいつまで続くのかなっていう、そういうどうしようもなさから、逃避したいのだ、ケッキョク。

ある作家さんからの手紙 

2005年06月28日(火) 13時19分
 家に帰ってくると、ポストに一枚の葉書きが入っていた。誰からだろう、と不思議に思いながら、宛名を読んだ。最近では、葉書きをもらうことなんて、珍しいことだからだ。宛名を読んでみて、びっくりした。信じられなかった。夜の暗がりが、目に錯覚を映し出しているんじゃないか、と思った。もっと良く見るために、葉書きを高く掲げて、街灯の光にかざしたりした。そしてはっきりとわかった。これが幻じゃないってこと。葉書きを送ってくれた人は、なんと漫画家の志村志保子さんだった。三匹のネコ、可愛い、とてもセンスのあるポストカード。

 以前、クッキーに載っていた志村志保子さんの漫画「女の子の食卓」シリーズを読んで、あまりにも気に入ってしまったので、お手紙を出した。忙しいだろうし、返事が返ってくるなんて、想像すらしていなかった。
 だから嬉しかった。ちゃんと直筆でメッセージが書いてあったし、あの素晴らしい作品を生み出す手が、この文章を、私のために書いてくれたのかと思うと、二倍嬉しかった。

 実は、志村さんに手紙を書いた際、一枚のMDを一緒にいれた。私が気に入った「マカロン」の話を読んでいると、自然と頭の中に流れてくる音楽があったからだ。少し、押し付けがましい気もしたけれど、この作品にぴったりだと思ったので、その一曲を贈ろうと思った。

 その一曲は、スガシカオさんの「風なぎ」。アルバム「TIME」の最後に収録されている曲だ。スガシカオさんの声は、とても切実で、胸がぎゅっとなってしまう。その声で、別れの切ない歌をうたう。

 じん、としてしまう。その、じん、とする感じが志村さんの漫画に、ぴったりと寄り添った。

 志村さんはMDを喜んでくれたので、とてもほっとした。

 手が届かないくらい、遠いところにいる人から、手紙が届くっていうこと。それはとても素敵な出来事だった。

 志村さん、ありがとう。

セックス調査団A 

2005年06月07日(火) 9時32分
 続き→この映画は、知識人が集まって、セックスについての討論会を行うというストーリ−です。そこに参加するのは大学を首になった元教授、画家、映画監督、作家などです(皆、男性)。

 さらに部外者が加わります。書記係として雇われた女性二人です。討論会を行う際、女性二人はなぜかエロなコスチュームに着替えることを強要されます。そして立派な椅子に座らされます。

 私はてっきりストーリー的に、討論会から乱交になるものだと考えていました。18禁作品は、そういうものだと考えていたのです。でも違いました。寸止めなんです。最後の10分でそれらしい流れになるものの、あれっ?て感じは否めません。セックスについての考察も、予告編で煽っているわりには、浅いし、かといってエロが爆発しているかといえば、そうでもなく、なんとも中途半端な感じ。文献では観念的なエロを、映像作品では現実的なものを取り入れようと思っていたのに。。がっかりしたのだけれど、ちょっと勉強にもなったし、まあいいやって感じです。

セックス調査団@ 

2005年06月07日(火) 9時11分
 「セックス調査団」という映画は、もちろん18禁です。TSUTAYAで働いていると、旧作がすべて無料で借りられます。なのでCDや映画を普段からよく借ります。

 私が大学で研究しているテーマは「エロティシズム」です。主にサド、バタイユ、ジュネから、彼らに影響を受けた三島由紀夫、金原ひとみ、まで網羅的に考察しながら、現代のエロティシズムとは何か、というところまでいけたらいいな、と思っています。なので文献を読むだけではなくて、18禁の映像作品も何か観なければ、と考えていました。でもこれは建て前みたいなもので、研究を盾に、この際18禁作品を網羅してやろう、という気持ちがあったのも、嘘ではありません。

 バイト中、ビデオを返却しながらずっと考えた結果、前から気になっていた作品-ついこの間までミニシアター系のランキングにはいっていた-「セックス調査団」という映画を借りることに決めました。続く→

腑抜け文学論bQ−文学と悪B(ジョルジュ・バタイユ)− 

2005年05月31日(火) 12時24分
 続き→私達は行動する。そして行動の結果、言葉を発する。しかし論理は言葉を使って、思考する。最初に言葉ありき。そこにそもそもの差異があるのだ。

 ジョルジュ・バタイユさんが書かれた「文学と悪」という本も、その論理としての悪に言及している。ただでさえ、悪を論理的に語ったものを読むことは困難なのに、バタイユさんの文章は特殊なので、さらに難しい。普通、私達は本を読む場合、ブロックをひとつずつ積み上げるイメージで思考を展開していく。しかしバタイユさんの文章の場合、積み上げること自体できないのだ。そもそもブロックが蜃気楼で、遠くにぼんやりとした完成した建物の姿がある。だから読み手は戸惑うし、その意味をつかみとることが、なかなかできない。

 しかし前述したとおり、悪を単一の概念として捉えるのではなく、無数のものと考えることが重要なのだ。そう考えると、バタイユさんの掴みがたい悪を読み取ることもまた、それ自身が世界を読み解く鍵のひとつになるんじゃないかなって思えたりするのだ。

 私にできることは、腑抜け文学論bQの冒頭で書いたように、疑う姿勢を持つこと。当たり前だと思っていた事実を、もう一回ゆっくりと考え直してみる習慣をつけること。それだけ。なんかね、バタイユを読んでいると、そんな気分になったんです。

腑抜け文学論bQ−文学と悪A(ジョルジュ・バタイユ)− 

2005年05月31日(火) 12時07分
 続き→悪を単一の概念として捉えることはできない。そして欲しいワンピースを頭の中で思い描きながら友達ときゃあきゃあしている間にも、世界はとんでもないことになっている。現実もまた、ひとつのようで無数にあるのだ。

 悪を考える場合、それを三つに分けることができる。自分にとっての悪、他者にとっての悪、論理としての悪だ。

 「論理としての悪」の場合、それは痛みや切実さを内包することは難しい。つまり自分がハンマーで殴られるのと、―つまり悪というのは、諸概念の求めるけーきばいきんぐ的な反復性、この場合のテクストにおける諧謔は−みたいな小難しいわりに何の意味も持たない文章とは、そもそも持っている意味が全然違うということだ。続く→

腑抜け文学論bQ−文学と悪@(ジョルジュ・バタイユ)− 

2005年05月31日(火) 11時48分
 悪ってなんだろう。白は天使で、黒は悪魔、それってなぜ?ハリウッド大作やディズニ−は善VS悪が大好き。簡単に悪を創造してしまう。そして何の疑いもなく受け入れてしまう。それって恐くない?

 普段、自分が常識だと考えていることでも、それはちょっと違ってたってことがよくある。それは育った社会的環境の問題っていうのが、一つある。そしてメディアの選択も重要になる。新聞ひとつとっても、朝日と産経の物事の捉え方は全然違う。こういう風に、日本という国ひとつとっても、無数の考え方があるのだ。これを世界レベルまで広げると、とんでもないことになる。こうやって考えてみると、悪というものを単一の概念として考えることは不可能に近いことがよくわかる。続く→
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