この まずしい記録を わが やさしき姉に おくる

2006年01月01日(日) 22時10分
この日記は、(昭和)19年の元旦からはじまる。
しかしながら、ぼくがこの筑波へきたのは、18年の9月20日であったから、
約3月の記録がぬけているわけである.。
この3月がぬけていると云うことは、どうも映画を途中からみるようで、
たよりない気もする。と云って、今さらその日々のことをかくこともできない。
ざっとかく。
 9月19日、夕方土浦は雨であった。北條の伊勢屋旅館へとまった。
とおいところへきたと思った。
 20日朝この部隊へきた。兵舎が建っているだけで、なんにもなかった。
毎日、117(部隊)へ飛行きがとんでいた。
毎日、いろんな設備が出来て行った。
 3中隊へかわったけれども、1週間で2中隊へもどった。
毎日、演習であった。1月ほどたつと、重きかん銃へまわった。
分解はん送で閉口した。
 西風が吹きはじめて、冬であった。
 敏之助応召の電報がきた。3泊もらって帰った。
11月28日。土屋、中井、野村が、そのとき明日の入隊をひかえていた。
まったく、いい具合に会えた。野村を送った。
東京の大岩照世の家によった。久しぶりの東京であった。
 筑波山腹で2泊の天幕露営があった。ぼくは炊事にまわった。
 水戸へ、3日つづけて、射撃にいった。
夜おそく帰って、朝2時におきて、また出かけるのであった。
2時間ほどしかねむれないのであった。
下旬になると、富士の滝ヶ原へ廠営にでかけた。
学校へ行っているころ、2度きたことのあるところである。
1週間富士山をみてくらした。18年が、おわった。
1月1日
 拝賀式で外出がひるからになった。大谷と亀山と3人で吉沼へ行った。十一屋でてんぷらとすきやきを喰った。たかいので、びっくりした。
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竹内浩三の代理人五月会
 「筑波日記」は戦没詩人竹内浩三が1944年1月1日から7月27日まで一日も休むことなく書き続けた日記です。今年は生誕85年になります。偶然1944年と2006年の曜日が一致しているので、日記をつけるように公開していくことにしました。思いたったのが3月30日でしたので、三月遅れで毎日2日分づつ公開していければ、5月半ばには追いつくでしょう。追いついたら、一日ずつ、同じ日付で更新していくようにします。
2006年03月31日(金) 22時22分
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