雨と、太陽と、まだらにやってくる日であった。(最終回) 

2006年07月27日(木) 9時54分
 7月27日
 午前中、銃剣術であったけれども、さぼっていた。雨と、太陽と、まだらにやってくる日であった。班内がきわめてのんびりしている。寝台の上で、『コント横町』を読んでいた。こんなのんびりさが、うれしいほどだから、いまの生活は、かなり窮屈なものであろう。去年の今ころは、これ以上ののんびりした生活をしていた。久居で、毎日、将集の当番をしていた。毎日、本を読んで、なんにもしなかった。
 十三時からの午睡も、気持ちよく寝た。午睡がすむと、ただちに銃剣術であったが、便所へにげて、寝た。くさいところで寝た。帰ってきて、班内でまた寝た。トマトが上った。うまい。玄妙な味であった。
 ひぐらしが鳴いて夕方がきた。
 今夜、おそく、水戸へ行った連中が帰ってきて、班内は、またうるさくなる。

夜は、のんびりと、乾信一郎の『コント横町』を読んで寝た。 

2006年07月26日(水) 9時35分
7月26日
 水戸行きで、中隊の大部分が出て行った。出てゆくのと前後して、ぼくは、中隊長の家へ公用に出た。家は安食にあった。飛行場を半分まわったところで、つまり、ここから向い側になる。奥さんは高峰三枝子そっくりとかで、見てやろうといきごんでいた。ごくろうさんと云うイミで、アメダマを九つくれた。十人なみであった。吉沼まわりで帰ることにきめた。松林の中で、男が二人タバコをすっていたので、そこで、休ケイした。十一屋書店へよって、カミソリの刃と門馬直衛氏の『楽聖の話』と云う本とを買った。カルピスとカボチャをごちそうしてくれた。
 帰ったら、午睡の時間であったので寝た。班内も五、六人で静かでよい。夜は、のんびりと、乾信一郎の『コント横町』を読んで寝た。途中でふき出すような、おかしなものであった。

水戸行きの射撃にのこることになり、そのかわり、二十八日の衛兵に立つことになった。 

2006年07月25日(火) 9時25分
7月25日
 水戸行きの射撃にのこることになり、そのかわり、二十八日の衛兵に立つことになった。

経理室当番を下番した。 

2006年07月24日(月) 10時36分
7月24日
 経理室当番を下番した。

広井がまたきて、手相の話をしだした。 

2006年07月23日(日) 19時59分
7月23日
 ネムの木は、伊勢では珍しいが、ここではざらにある。野にも山にもある。営内にも、いくらもある。いま、その花が咲き出している。ゆめのような花である。
 そこへ、大竹がきた。「竹内古兵どの、血液型の検査しに来いって」「いたいかい」
 B型であった。
 こんなときこそ、ことばをつつしまねばならぬ。サイパンがやられたと云って、コウフンして、申しわけなし。切腹しておわび申そうなどとは、笑止というより、はらだたしい。おちつけ。あらぬことを口ばしるな。
 広井がまたきて、手相の話をしだした。手相を科学的に説明しようと云うのである。ホウセンカの茎が赤ければ、その花も赤いように、そこに相関性があると云うことから、手相と頭脳との相関性を云うのである。なっとくのゆきそうな説明である。そして、ぼくのを見てくれたのだが、みる定石として、被看者の過去の行跡を、たとえば、両親がないと、女のことでは、なかなかなやむたちで、それが一度ならず、二度あり、二度目の方がはげしかったとか、心臓の弱いこととか、そんなことを云いあてて、相手に手相を信じさせて、おもむろに、未来をかたる。
 五十歳までは生きる。安心した。一生物資にはめぐまれる。金持ちの家へ養子にゆく。女房がやりてで、本人は、好きな仕事をやってる。道楽は食道楽。子供は六人、末の男の子で、すこし苦労する。一年以内に、死にぞこないに会う。と云うのは、どう云うイミか。とにかく、死にぞこなう。そこで、精神的に人間が変わる。結婚は、マンキの後、二年。それと、前後して、君の華々しい時代がくる。世間的にも名声をハクすると云ったふうであった。

サイパンがやられ、東条内閣がやめになった。 

2006年07月22日(土) 6時25分
7月22日
 やすみであった。下士官室にあった『紅白うそ合戦』と云う、佐々木邦の本を読んでいた。この人は、よくまァ、こんな同じ題材ばかり、あきずに書いているものだと感心した。
 大学生、会社員、重役、社長、そんなことばかり書いている。そこへ、広井がきて、映画のはなしになった。なにが一番よかったかと云うので、「パリ祭」と云うと、ぼくのひざをぽんとたたいた。
 雨になった。ひるから、ひるねをした。広井がきて、中隊へ帰って、面白い人物を発見したと云って、きみのことを川端と云う、これもまた話のわかる男にはなすと、川端は、君のことを前から知っていたそうだと云った。川端て、知らんなァ、顔見たら知っているかもしらんが、はなしは、おもしろくなってきた。雨がひどくなっていた。雷も鳴り出した。
 ところで、話はかわるが、サイパンがやられ、東条内閣がやめになった。一体これはどう云うわけか。「政治に拘わらず」と勅諭に云われているし、ぼくは、もともと、政治には、ぜんぜん、趣味のないおとこで、新聞などでもそんなことは、まったく読んだことがなかったから、そう云うことに口をなさむシカクはないのだけれども、東条と云う人は、あまり好きでなかった。山師のような気がしていた。そして、こんどやめたと云うことも、無責任なことのように思えてならない。

ひぐらしがふっている夕方であった。 

2006年07月21日(金) 20時00分
7月21日
 ねむくてやりきれない。ひぐらしがふっている夕方であった。
 当番室の入口のところへイスを出して、タバコをすいながら、ひぐらしのけしきをながめていると、広井と云う三中隊から来ている本部の当番が、竹内さん、何を考えておられるかなと、肩をたたいた。話してみると、はなせる。絵の話などをしていた。あしたのやすみは、ゆっくり話をしようと云って、帰って行った。
 のみがひどくて、なかなか眠れなかった。

ああ戦争は気の毒な人々を何万となく製造しながらすすんでゆく。 

2006年07月20日(木) 10時31分
7月20日
 ひまをみて、エミール・ウテッツの『美学』を読みだしたが、難解だ。美学などと云うものはたいてい難解で、その上つまらないものが多い。
 岡安の伯母さんからハガキがきて、松島博の召集のことをしらせてあった。姉からはなんとも云ってこないが、姉も気の毒である。しかしながら、こんな気の毒は、日本中どこへ行ってもざらにあることで、ああ戦争は気の毒な人々を何万となく製造しながらすすんでゆく。

「将軍と参謀と兵」で、これはすぐれた映画であった。 

2006年07月19日(水) 11時24分
7月19日
 西にはしり、東にはしり、茶をわかし、炎天のもと、汗みどろ。
 経理室当番である。きょうから、十三時から十五時まで午睡を行うことになった。当番も寝よと云うが、寝る場所もないし、そう云っておきながら、ちょっと酒保へ行ってきてくれぬか、スイジへ行ってこいと云うのだから、寝るわけにもまいらぬ。
 あちこちまわっている途中、宮城島信平に出会うと、どうや、ビジイかなどと、英語まじりで云う。信平はロスアンゼルス生れであるから、英語をまぜて、ぼくにはなしをする。うん、目がラウンドや。
 きょうもまた映画であった。漫画でチャップリンのような男が戦争に行くはなしで愚劣きわまりなかった。
 「将軍と参謀と兵」で、これはすぐれた映画であった。
 「母なき家」で、こんなつまらない映画もめずらしい。途中でみるのをやめて、当番室にかえって、蚊にくわれていた。

夜、本部のうらの車庫で映画があった。 

2006年07月18日(火) 10時28分
7月18日
 やりたくなかったので、朝の剣術はやめた。
 かけ足で、汗であった。
 ひるから、宮城島信平のアトをついで、経理室当番に上番した。
 夜、本部のうらの車庫で映画があった。まず、パラマウントのマークが写し出されたのでびっくりした。ポパイであった。”I YAM WHAT I YAM" と云うのであった。その次が「暖流」であった。
 中井利亮からたよりがきていた。
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