麒麟です。 

March 10 [Fri], 2006, 23:48
麒麟のDVD「キリリン!」最高です。
「NEET」というコントが特に秀逸。
惚れ直しました。
unoのCMも素敵。

恋愛の末路 

July 24 [Sun], 2005, 17:40
唯一信じていたものがいとも簡単に崩れ去ったときの気持ちがどんなものかわかるだろうか。ましてやそれが自分自身であった場合の。
「私は彼を裏切ると同時に自分自身をも裏切ってしまったのだ。」
そう言ってしまえば綺麗かもしれない。けれど私はそんな言い方はしたくない。
「騙すよりも騙される方がいい。」だとか「裏切られた人よりも裏切った人の方が辛い。」だとか、そんなの有り得ないと私は思う。騙した側、裏切った側の都合の良い言い分だ。
罪悪感と喪失感、相手への同情から、自分を敢えて辛い状況に追い込みたいだけ。だってその方が罪が軽くなった気がするから。気持ちが楽になれるから。そこに陶酔が加わって、かのような台詞が生まれるのだ。
だけど現実は違う。騙され裏切られた人間の方が辛く惨めで悲しいに決まっている。私がどんなに涙を流し眠れない夜を過ごそうとも、彼が受けた悲しみには及ばない。
そして私はただ、恐怖に怯えている。悪女である自分に陶酔する余裕もないくらい、無様で不格好に。
何も、自分自身さえも信じることのできない空虚さと恐怖。きっと私も裏切られるのだ。だって私ですら、私自身が誰よりも信じていた私ですら、あんなに愛していて大切で大好きだった彼を、裏切ることができたのだから。

恋愛の末路 

July 23 [Sat], 2005, 23:50
人を裏切ったことがある。
そのときの私にとってかけがえのない、とても大切な人を。そして私のことを心から信じ、愛してくれていた人を。
私は彼のことが大好きだった。心の底から愛していた。私の世界は彼を中心に回っていて、彼がいなければ生きていけないと思っていた。彼と出会い愛し合うために自分はこの世に生まれてきたんだ、そう信じて疑わなかった。
彼が大好きだった。愛していた。何よりも大切だった。彼さえいれば他に何もいらなかった。
けれど、それらはすべて過去形。今の私にその気持ちはもうない。確かにそう「だった」記憶だけが鮮明に残る。
恋愛感情というものがいかに儚く脆くそして「有限」であるかということを、私は身をもって証明してしまったわけだ。自分自身に対して、とてもわかりやすく。
あとに残ったのはとてつもない罪悪感と喪失感。時がたち罪悪感は薄らぎ、喪失感は恐怖へと変わる。
自己愛の強すぎる私にはただ恐怖だけが残った。
私はとてもいいかげんだし現実的だ。飽きっぽいし根気もない。この世に「絶対」も「永遠」も有り得ないってことはちゃんと知っていた。
だけど、私の、彼に対する愛だけは、絶対で永遠だと信じていたのだ。たとえ彼の私への愛がそうでなくても、彼が私のことを嫌いになって私の元から去ろうとも、少なくとも私の愛だけは、そう信じていた。

笑ってほしい。 

May 15 [Sun], 2005, 16:47
人に笑ってもらえると、嬉しくなる。
「笑いを取りたい」という大阪人魂もあるのかもしれないが、その笑いは「笑わせている」でも「笑われている」でも構わない。
とにかく私の言動によって、相手に笑って頂きたいのである。勿論相手は老若男女問わない。
私の人生の意義、生きがいのひとつ、と言っても、過言ではないかもしれない。
今日も明日も、みんなに笑ってもらえるよう、私は人と会い、動き、喋る。

 

May 13 [Fri], 2005, 20:24
あの人がいなくなっても、私は笑うことができた。
友達と話しているときとか、テレビを見ているときとか。写真を撮るときはにっこりと笑顔になったし、愛想笑いだってバッチリだ。
けれどあの人がいなくなってから、私は泣いていない。
涙が出るほどの感情の昂りを私に与えられるのは結局あの人だけだったのかと、今更自覚した。

ゴール 

May 11 [Wed], 2005, 22:56
恋愛の行き着く先はいったいどこなのだろうか。
結婚か?セックスか?独占か?相手の子を産むことか?はたまた心中か?
いったい何を目的に進んで行けばいいのだろう。
どこに辿り着けば私は満足するのだろう。
私は、どこに行きたいのだろう。

狂気の私 

May 10 [Tue], 2005, 23:15
正気と狂気の狭間に立たされる瞬間が、たまにある。
とんでもない失敗をしてしまったときとか、ハプニングに巻き込まれたときに、というわけではない。
何気ない毎日の中で、それは突如訪れる。ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる場面で。

たとえば川沿いを歩いているとき、携帯電話(今の私にとってとても大切な、なくてはならないものであるはずの)を川に投げ捨ててしまったらどうしよう、と、思う。

たとえば研修の講義中、しんと静まり返った教室の真ん中でお行儀よく話を聞きながら、今ここで急に立ち上がってわけのわからないことを叫び出してしまったらどうしよう、と、思う。

たとえば仕事で接客中、大事なお客さんを相手ににこにことはきはきと応対しながら、目の前のこの男を(勿論理由なんて何もないのに)ぶん殴ってしまったらどうしよう、と、思う。

たとえば駅のホームで、ちょうど通過電車が入って来ようとしたとき、今線路に飛び込んでしまったらどうしよう、と、思う。

たとえば私の家で、となりですやすやとよく眠っている恋人を愛おしく見つめながら、この人を殺してしまったらどうしよう、と、思う。

狂気の衝動が私の頭を一瞬よぎり、正気の私はその度に背筋がぞっと寒くなる。
私は今の立場を守りたい。変な人扱いされたくないし職場を追われたくもない。携帯電話は本当にすごく大事だし、勿論死にたくないし恋人を殺したくもない。
だけど、もしいつか、ほんの一瞬でも、狂気の私が勝ってしまったら?

そう考える度、恐ろしくて夜も眠れなくなる。

リセット 

May 09 [Mon], 2005, 1:24
なにもかもリセットしたくなるときがある。
今自分が置かれている状況が、これまで自分のとってきた数々の行動が、自分の周りの何もかも、自分自身さえもが、いやになってしまうときがある。
何か重大な失敗をしたときやとんでもないハプニングに巻き込まれたときにそう思う、というわけではない。
その感情は何気ないときにふと、衝動的に湧き上がる。

井上荒野さんの「しかたのない水」の中に、かつて好きだった男の名を呟いてしまう、という癖を持つ女性が出てくるお話がある。
この話を読んで私は心底びっくりした。
まさに私がそうなのだ。

「リセットしたい」衝動にかられたとき私は、心の中で何度も、かつて大好きだった男、或いは現在愛している男の名を繰り返す。
なんて節操のない。
とにかく、助けてほしいのだろう。男に。

なんとも救いようのない女である。

つまづく石 

May 08 [Sun], 2005, 3:05
最近流行りの「ブログ」なるものに、ついに手を出してみた。
タイトルの「つまづく石」は、私の大好きな江國香織さんの「ホリーガーデン」から引用。
ちなみに江國さんも、この言葉を大好きな尾形亀之助さんの詩から引用されている。

「つまづく石でもあれば、私はそこでころびたい」

私が「ホリーガーデン」を初めて読んだのはまだ十代の頃。
大学1年生、怖いものなしの頃である。
その頃の私は、この言葉の意味が全くわからなかった。
今だって本当にわかっているのかどうかわからない。
けれど、ころんでしまいたいと思うことが、とても多くなった。
つまづくための石をほしいと思うことが。

私をこの言葉と、「ホリーガーデン」と、江國香織さんと、
出会わせてくれたのは当時私が大好きだった人だった。

「つまづく石でもあれば、私はそこでころびたい」と、
思えるようになった今、あの人と出会っていれば、
私とあの人の関係は、何か変わっていただろうか。
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