ダライ・ラマのお話とか*観想9

June 29 [Tue], 2010, 5:12

 
観想(テオリア)9
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さぁて、今日は久々ておりあ書いてみようかな。
なんか最後のから1週間か10日くらい経ってるか?
これといって特別というものもなく、それなりにいろいろあった日々でした。
ただ単に眠かったり、暑かったり、気が乗らなかったりだったのです。
乗らないと書けません。気分屋で困ります。そんな自分は大好きですが。
もう、夏ですねぇ(遠い目)

今日は帰り道にコンビニでルパン三世の単行本を見つけて、ちょっと立ち読み。
銭形警部とマフィアの娘との痛々しい大人の恋に計らずも泣けた。
「自首してくれ」ってなんだ!共に生きようって言えよ!
愚直で不器用なあんたには愛される価値がある。そんな昭和漢の悲哀と愛。
セツナミン全開です。

あ、あとさっきまで、変わったおうちで行われた、変わった人の集まりに参加してきました。(写真↑)
やっぱり似たような人が集まるね。楽しかった。

あ、あと先日ダライ・ラマに会って来ました。
来日記念の横浜講演。
なんだ、結構いろいろ毎日やってるじゃん。
でも、それ以前の記憶は忘れました。
昨日より昔のことになると結構あいまいになります。

そんなわけで、シャワーを上がって、筋トレして、徒然久々日記書き。
忘れてしまう前に何かを残さねば。



・・・



”筋トレかね”

(※しばらくぶりで忘れているかもしれませんが ”    ”部分は大にーちゃん、つまり僕のハイアーセルフの言葉です。以下内観対話が続きます)


いきなりそこからですか。
いや夏になりますし、しますよそりゃ。


”弛んだ体が気になるのかな”


弛んでません。まだ。
弛まないように絞っているのです。
多少は緩んできましたが、内臓下垂です、多分。筋肉をつければ上がります。
今日なんて、腹筋までしましたよ。割れますよそのうち。


”未だかつて、君の腹筋が割れたことなどないだろう”


なんてこと言うんですか。
そういうのさらさないでくださいよ。


”自分をさらすというのは、君にとっていいチャレンジだろうね”


ユーモアってことですか?自分を笑い飛ばす力ってこと?


”ユーモアは自分を笑う力ではないよ。
自分を含めた愛するものを笑う力だ。そしてかつ、愛し続ける能力のことをいう。
愛を持って自己と他者を慈しむときに、そこに愛のある笑いを見つける力のことだ。
笑いは最高の愛の表現になり得る。愛と笑いを同時に創造することができるのは、人間を含めた知性体に備わったギフトだ。
だからユーモア(humour)という。その語源はヒューマニティ(人間らしさ)と同じものだ”


笑いは本当に大事ですねー。
ダライ・ラマのお話を聞いていて、特に感じました。
笑いがなくても話はできるけど、笑いがあれば心を動かすのはとても容易になる。
心が動く、感動と笑いってセットなのかもしれませんね。


”法王の話を聞いて、他に何を思ったのかな”


コンパッション、慈悲の心について。
ダライ・ラマは、自分を攻撃してくるものにさえコンパッションを持ちなさいと仰りました。
ユダヤ人を超える数の虐殺と虐待が、母国チベットの同胞に今尚行われるなか、それでも慈悲の心を持つことを説くことができるのは、どういったことなのだろうと思いました。
今、彼以上にそれを説得力を持って語ることの出来る人はいないでしょう。
イエスも仏陀も同じことを説いた。多分、地上の多くのマスターも同じことを言う。

広い視野で見なさいと。
「彼らもまた、傷つき、望まぬ苦しみから逃れ、あえいでいる、幸福になりたい存在であることに目を向けて、慈悲の心を持ちなさい」と。

私はそうそう、右の頬をぶたれて左の頬は差し出せませんが、自分を被害者に置くことは、次の負の連鎖と輪廻を生むということは理解できます。
だからエゴを超えて、見ることを学ぶために、つまり慈悲の心を学ぶために、攻撃されているように見える経験が必要だったのかなと思います。
ただそう思えるためには、既に安全な心の居場所が必要で、いつもそう思えるとは限りませんが。


”よい理解だ。慈悲は愛の最高の形の一つだ。”
あなたの言う、より大きな視野の中、在り方の中に自分を拡げていく試みだ。
そのとき、あなたの存在の場所が、愛に変わる。
愛とはスペース、本当の意味で拡大した自己のことだ。
それは肥大したエゴとは別のものだ。

エゴは種の殻のようなものだ。
愛や慈悲の心は、種に備わった、大樹の可能性と生命そのものだ。
未だ見ぬ、大樹の梢の広がり、風のそよぎと葉音、それがもたらす木陰と、そこに憩う多くの生命の安らぎを想い描きなさい。
種には無限の可能性がある。それがもたらす恩恵は、一つの種からは想像も出来ない広がりと連なりをもたらす。

あなたを攻撃してくるものは、炎の玉のように見えるかもしれない。
落ち着いて、もう一度、受け止めなおしてみるがいい。
慈悲を持って見て、受け止めるとき、それは触れられぬ炎の玉ではなく、守るべき、慈しむべき光の玉になる。

人の魂を見たことがあるだろうか。
あなたはあるはずだ。慈しみを持って他者に触れる時、そこに存在の根源、魂の本質ともいうべき、独特の光の色を見たことがあるだろう?”


あります。ヒーリングの個人セッションをするときに、とくにクラニオのような静かなワークをしているときに、不意にその人の本質の光に出会って見えるときがあります。


”それが命の本質なのだ。
誰もがそれぞれの光を持った、輝ける存在だ。例外はない。
蝋燭の灯りが、どんなに暗くても部屋の隅々まで行き渡るように、宇宙とお互い同士の光には継ぎ目がない。
あなた方は宇宙の完全な調和から、決して切り離されることはない。

ただエゴがそれをさえぎり、孤立させる。
自分は誰にも理解されない、どこにも繋がっていないという。

エゴは種の殻のようなものだと言った。
もちろん、種にはある時期までは殻が必要だ。
自分が何であるかを知り、何のためにあるかを知り、そしてそれを望み、自ら開くまでは、未熟な大樹の可能性は、守られねばならない。
そして然るべき時、然るべき場所にやがて種は根付くだろう。
そのとき、種は自ずから開く。自らの殻を破り、大地に根ざし、広がり成長を始める。

自ずから、然るべき時に、然るべき様に。
だから「自然」に従えば、宇宙と繋がった愛である自己を否定できない。
愛とは宇宙、そのスペース、その広がり、その在り方、それ自身だからだ。

エゴだけが、種である自分自身を守ろうとする。
しかしそれは自らが、自己の本質を守るための殻であるということに気がつかないだけなのだ。
それを手放して、より巨大な可能性である自分を許すとき、殻をやぶり、大地に根を伸ばし、芽吹くことができる。

それが、慈悲の心を持つことであり、愛である自分を許すことだ。
自己を拡げ、その可能性と成長に自らを委ねることだ。

生の在り方は、花も人も樹も虫も同じだ。
そのエッセンス、在り方の全て、それ自体が目的だ。

自己を作り上げる必要はない。
ただそこにあるものを感じきることが、生きることだ。

そして同じ光が、他者の、他の生命の中にもあると想像することだ。
それらは同じテーマで作られた、別の作品のようなもの。そのそれぞれが個性的で美しい。
花の一つ一つを愛でるのが容易いように、人のそれぞれの中に、愛すべき生命の光を想いなさい。
自己を超えて他者を見、慈しむことができるようになれば、それが慈愛を持って見るということだ。

自分にはできないなどと思わないように。
あなたの中には、未だ見ぬ大樹の可能性がある。
全ての種は、可能性を育み、愛によって生み出された。
いつか、あなたも次の種を育み、生み出すだろう。
そうやって、宇宙は巡り、受け継がれ、成長してきた。

あなたはその連なりの最後の一部、最後の一つだ。
伝え、育み、広げ、与え、繋がり、交流し、分かち合い、創造しなさい。
一粒の種には無限の可能性があるのだから。
その連なりに憩う、あらゆる未来の歴史を想像しなさい。


ありがとう。

愛しているよ  ”


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