友だちの友だちは

2010年12月28日(火) 8時00分
80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。


三峡下りフェリーの二等船室は、
内装が板張りで、ちょっと昔の木造校舎みたいな感じでした。

殺風景ではありましたが、掃除もちゃんとできていて清潔でした

トイレには一応ドアも間仕切りもあり、掃除はゆきとどいていましたが、
コンクリートの床に、縦に一本の溝があるだけ、
それが間仕切りの前後の個室に、ず〜っとつながっているわけです。

多分、一日に何度か、片側から水をザーッと流すのでしょう

シャワールームもありました。
シャワーといっても、頭より少し高い場所に、お湯の出る普通の蛇口があるだけですが・・・

それでも、お湯はちょうどいい熱さで、水量も(一本の水ですが)充分でした


久しぶりに髪と体を洗って、下着も洗って、気分さっぱり〜

部屋に戻ろうとしたら、目の前をいきなり、関西弁が通り過ぎていきます

「日本人やっ
と思って、声をかけてみました。

わたしと同年代の女の子、三人連れで、関西弁です。

自己紹介しているうちに、三人のうちの一人が、
わたしの友人のゼミ仲間だということがわかりました


「友だちの友だちは、大親友や〜ん
と、無理矢理ねじこんでみましたが、とても気持ちのいい人たちで、すぐに親しくなりました。

彼女らは三人だったので、ツインの二等船室ではなくて、三等船室の乗客でした。

三等船室は、二段ベッドがふたつ入った、四人部屋です。

中国人女性がひとり同室だったらしいですが、

彼女らのあまりの「かしまし娘」ぶりに、
寝るとき以外は部屋に戻ってこない状態だったとか・・・


そして、このかしまし娘たちは、貴重な人材まで確保していたのでした

日本の某有名自動車メーカーから中国の大学に留学派遣された、二十代後半のサラリーマンです。
来るべき中国進出の足掛かりとして、中国語と文化風習を学び、コネを手に入れるのですね

春節休暇の個人旅行中に、かしまし娘につかまって、
体のいいボディーガード兼通訳兼パシリにされてしまったわけです

これはありがたい道連れだと、わたしも途中まで便乗させてもらうことにしたのでした


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。


三等船室のイメージです。 実際はもっと明るくてクリーンでしたが(笑)


三峡フェリー

2010年12月21日(火) 8時00分


80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。


さて、重慶で「なんちゃって中国人」になりかけながらも、
無事に三峡下りのフェリーに乗り込みました。

わたしの部屋は二等船室、窓の無い二人部屋でした。

船内にしては幅広のベッドが二台、
間の枕元に、小さなサイドテーブルがあるだけでしたが、
掃除が行き届いていて、ベッドの周りにはカーテンもあって、落ち着いて眠れそうでした

わたしの同室者は、最初の晩には乗ってきませんでしたが、
物静かな幹部党員らしき中年女性でした。

お互い昼間はほとんど部屋に居なかったので、筆談で2〜3度会話した程度でしたが

わたしは前泊だったので、最初の晩は独りで部屋を占領できました。
糊の効いた白いシーツと、思いがけずふかふかの布団が気持ちよかったです。

その夜は、とりあえず買い置きのビスケットをかじって寝ました

長江はあまりに静かでゆったりと流れていたので、
音も揺れも無くて、翌朝早くに船が出発したことも、全く気づきませんでした


上の地図の左端の赤い丸の重慶から出発して、
緑の丸の見所を経由して(といっても観光船でないので、通過のみですが)
地図の中央やや右寄りの赤い丸、武漢を目指します。

と、ここで気がつきました、
あの赤壁(レッド・クリフ)も通っていたんだ

全然知りませんでした・・・一生の不覚っ


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。

フェリー乗り場

2010年12月14日(火) 8時00分
80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。

さて、重慶のフェリー乗り場に着きました

あまり整備されていない、石ごろごろの川岸に向かって、急な階段が下りています。
岸からはそれでも浮き桟橋が出ていて、大型船にも乗れるようになっています。

長江の水は、茶色というかヘドロ色というか、ものすごく汚くて、
ドロドロとのたうちながら流れているようでした

切符売り場は、吹き抜けの大きな体育館みたいなきれいな建物で、
壁には「人民を指導する毛主席」みたいな壁画が描かれていました。

広く何も無いガラ〜ンとしたホールを埋め尽くしているのは、切符を買う行列の人、人、人・・・

わたしもだんだん中国に慣れてきて、

このくらいだったら90分待ちかな〜
なんて、ぼーっと並ぶのが平気になってきていました。

そしてぴったり90分後、切符窓口に到達です

「武漢行き一枚
と言うと、外国人と見て、二等船室しかないということでした。

明朝発の二泊三日で118.4元(約4,736円?)ですが、
追加で8元(約320円?)払うと、今夜から停泊している船に泊まれるというので、即決です

あの頃の中国で、時々びっくりするほどきれいな英語をしゃべる人に出くわしましたが、
ここの切符売り場の女性服務員さんも、すばらしく流暢でした。
ホテルとか、空港とか、駅とか、かなりの教育を受けた人なんだなぁ、と思いました


切符を買って外に出て、船に乗れるまで2〜3時間ほど待つことになりました。

どでかい横断幕が、頭の上に吊ってあって、
代議員選挙の投票率が99.9%だった、みたいなことが書いてあったような、うろ覚えの記憶があります

石垣の上に座って、長江を眺めていました。

うららかな早春という感じの午後で、
水は汚くても、長江の雄大な景色は気迫に満ちて、胸いっぱい吸い込んでいつまで見ても飽きませんでした。

で、2〜3時間、何をしていたかって言うと、

石垣に座って、独りで長江に向かって、

歌を唄ってました・・・

知っている歌を片端から、ワンマンショー状態ですね

今から考えると、かなり「壊れて」いたのだとは思いますが、
当時の中国では、別に「変」な光景でもなかったように思います。


とにかく壮大な景色を前に、大声で唄って、ものすごく気持ちがよかったです

だんだん暮れていく長江の風景の色合いの変化がまた素晴らしく

坂になった重慶の街に、ひとつひとつ灯りがともっていく様も美しく

天秤棒やズダ袋を担いで、船着場の階段を上り下りする人たちを、うっとりと眺めていました。


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。


写真はイメージだけど、まったくこんな感じでした

重慶2

2010年12月09日(木) 8時00分


80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。


重慶は、三峡下りのための通過点のつもりだったので、実質半日程度の散策でした。

乾燥した北京から来ると、重慶はしっとりと暖かい空気で、
冬なのに「涼しい」と感じてしまうほどでした。

坂の多い街で、石やレンガ造りの建物、石畳、緑、曲がりくねった路地・・・

頭上には洗濯物、家の入り口に座り込んで、物を食べたりおしゃべりしたりする人、
間違いなく中国なのですが、ヨーロッパのどこかのような雰囲気がありました

そのときの日記には、何度も何度も「美しい」という言葉が書いてありました。

果物の種類も多くて、洋ナシを0.85元(約34円?)で買いました。

昼食用に買った肉まんは、二個で0.32元(約12.8円?)。

それから船の中での食糧として、ビスケットを1.55元(約62円?)で買いました。


他に日記に「買った」と書いてあったのは、
酸牛[女乃]0.31元(約12.4円?)、飲むヨーグルトですね。

当時の中国は、冷蔵庫があまり普及していなかったし、
生乳の産地からの輸送網もちゃんとしていなかったので、
牛乳よりも日持ちのする、酸牛[女乃]がよく売っていました

日本の駅構内の牛乳スタンドみたいに、その場で立ち飲みします。

まともな食事がほとんどとれなかった旅行だったので
「これさえ飲んでいれば、栄養的に大丈夫
と自分自身に言い聞かせながら、看板を見つけるたびに飲んでいました。

元々ヨーグルトは大好きなので、おいしかったですね〜


それから、お茶0.03元(約1.2円?)。
これも立ち飲みです。

あのころ、一番てっとりばやい商売だったのではないかと思います。

道端に段ボールやビニールを敷いて、その上にお茶の入ったガラスのコップを並べて売るのです。
ゴミが入らないように、皿とか割れたガラス片とかで蓋がしてありました。

生水は飲めないし、ペットボトルもジュースも売っていないし、喫茶店も無いので、
よく買って飲みましたね。

大中とかで売っていた、厚地で大きい中国のガラスのコップは、熱湯を注いでも大丈夫
コップに直接茶葉をぶち込み、上からお湯を注いで、葉が沈んだら飲みます。


三峡下りのフェリーは、夜に重慶を出発予定ということで、
早めにチケットを買うべく、午後一番にはフェリー乗り場までやってきました

そしてお約束の、切符売り場の長蛇の列に並んだのでありました。


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。

重慶

2010年12月03日(金) 8時00分
80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。

上海蘇州杭州北京ときて、
いよいよ中国旅行も後半戦に突入です。

パンと水と文庫本をかかえて、硬臥の上段に潜んで二泊三日、
ようやく重慶に着きました

四川省重慶は、中国内陸部の古くからの大都市です。

長江に面し、三峡下りの船が出発するところでもあります。

重慶の駅から、まずまっすぐに中国旅行社に向かいました。
できればその日に出発の、三峡下りのフェリー切符が買いたかったのです。

中国旅行社は、地球の歩き方に載っていたとおりのビルの中にありました。

看板も、三峡下りのポスターも貼ってありましたが、
部屋の中は、机や棚も空っぽで、引っ越した後のようです

困ってうろうろしていたら、3〜40代の人民服の男性が、ラーメンを食べながら歩いてきました。

このころって、道を歩きながら食事をする人を多く見かけた気がします

丼や弁当箱もありましたが、
一番多かったのは、蓋付きホーローマグでインスタントラーメンを食べながら歩く人でしたね

で、その人に筆談で聞くと、親切にも一緒にあちこち探してくれました

ラーメン食べながら・・・

わたしが三峡下りのフェリーのポスターを指さすと、
フェリー乗り場に直接行って切符を買えばいい、と教えてくれました。

というわけで、長江沿いのフェリー乗り場に歩いて行きました。


重慶の街は坂が多くて、
石やレンガっぽい建物と、石畳の道が、どことなくヨーロッパを思わせる趣がありました

途中で、店の表のセイロで蒸している肉まんを買って、
食べながら歩いて行きました。


百貨店と書いてある建物があったので、入ってみましたが
・・・何もない

殺風景な、田舎の公民館の資料室みたいに、
薄暗い蛍光灯の下に、ガラスケースが並んでいるだけでした。

何が売っていたのか、ほとんど覚えていませんが、
目を引くようなものが無かったのでしょう。

チューインガムが、封を切って一枚ずつのバラ売りとして、
ガラスケースの中に、大事そうに並んでいたのは印象に残っています。


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。


写真はイメージです

硬臥で二泊三日

2010年10月12日(火) 8時00分
80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。

大抵のものは手に入るし、宿には仲間もたくさんいるし、
北京はとても居心地がよかったのですが、

俺は行かなくっちゃ、いけないんだ〜

留学生に、学割料金で買ってもらった切符があるのです。


というわけで、北京から重慶まで、二泊三日の鉄道旅行です

長距離列車には、硬座(硬い椅子席)、軟臥(コンパートメント寝台車)、硬臥(蚕棚のような寝台車)の三種類の座席があります。
(無座という、連結部分の床などに座り込む切符もあるようですが・・・

硬座で二泊三日は、身も心も壊れそうだからパス。

軟臥は高いし、バックパッカーとしての矜持からパス。

というわけで、硬臥です。

硬臥のイメージです。


三段のむき出しのベッドが、ずらりと並んでいます。
クッションの悪い、ビニール張りの寝棚に、毛布が置いてあります。

虫がいた、という話もありますが、幸い2月の厳寒期だったせいか大丈夫でした。
車内は、暑いくらいに暖房が効いていたので、意外と快適でした


切符を買うときに
「どこがいい
と留学生に聞かれたので

「最上段っ
と答えました。

最下段にすると、運と度胸があれば、現地の旅行者と友達になったり、
昼間は椅子のように座ってすごせて楽だったりしますが、

一人旅行で、運が悪いと、
自分が寝ているのに、上の段の人が勝手に座席代わりに座ったり、
荷物を触られたりして無用心でもあると聞いていたので・・・

最上段は、座って背中を伸ばすことも出来ない高さしかありませんでしたが、
少なくともプライバシーは確保できました。

案の定、同じ区画の人たちは結界張って、わたしを完全無視だったし、
通路にある座るスペースも、いつも占領されていて、
三日間、最上段で、ほとんど寝たきり状態でした

時々トイレに行ったり、車掌さんにお湯をもらったりして、
あとは本を読んだり、荒涼たる景色を眺めたり、ひたすら寝たり・・・


通路にはスピーカーがあって、昼間はよく音楽が流れていました。
「北国の春」なんかもかかっていましたね〜


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。

長城バスツアー2

2010年10月05日(火) 8時00分
80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。

ようやく吹雪と厳寒の八達嶺を抜け出して、
次は明の十三陵へと、ツアーバスは向かいました

雪が止んで、陽射しも少しだけ出てきました

明の十三陵とは、明の時代の皇帝のお墓のうち、13が集まった場所です。
この中で当時公開されていたのは、
第14代万暦帝(1563年〜1620年)とその皇后が葬られている定陵だけでした。

荒野の真ん中でバスが止まって、車掌さんが
「さぁ、行って来い
という手振りをするので、みんなでぞろぞろ降りました。

この頃には、わたしが外国人だということも分かっていたので、
「何時にバスは出発するのか
と中国語もどきで書いた紙を出したら、「@時@分」と書いてくれました


白と茶色の砂ぼこりだらけのボコボコ道を歩いて行くと、
なにやら巨大な、石で出来た動物の像がたくさん並んでいました。

でも、どれも打ち捨てられて朽ちた雰囲気で、「廃墟」という言葉が浮かびました。

どうやらこれが墳墓の参道に当る「神道」という場所だったようで、
今では、柳の美しい並木道となっているのですから、全く驚きです

定陵のイメージ写真です。


定陵は地下墳墓で、ひんやりとした石の階段を下りて行きます。

「地下宮殿」と呼ばれているそうですが、本当に大きなものです。
5つのホールから成っていて、アーチ型の天井は9.5mも高さがあるそうです。

すべすべとした大きな石が、すき間無くぴったりと合わされていて、
お墓というよりは、博物館かホテルか、さもなければ本当に宮殿という感じです。

ただ、こんなに広い空間なのに、なにか圧迫感がするのは、
ここが地下だからでしょうか、それともやっぱりお墓と思うからでしょうか。

定陵は、発掘というよりは、文化大革命の時に紅衛兵によって様々な副葬品が略奪され、
万暦帝と皇后の遺体は、焼かれてしまったとも聞きます。

だからこんなに、がら〜んとして荒れた雰囲気だったんですね


この後、すぐ近くの十三陵水庫(ダム)も見学しました。

外国人観光客であるわたしは、ダムを見てもさほど嬉しくないのですが、
中国人にとっては、国の偉大なる発展の証のひとつなのだと思います

荒涼とした景色の中で、満々と水をたたえたダムは、それなりに美しかった記憶があります。

北京オリンピックでは、この十三陵水庫がトライアスロン競技会場になったとか〜


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。

長城バスツアー1

2010年10月04日(月) 8時00分

これは確か1999年に再訪したときの写真です。

80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。

さて、いよいよ旅行前半のハイライト、長城バスツアーです

といっても6元(約240円?・入場料別)の中国人向けツアーですから、
朝、集合場所に行ったら、何が何やらという間にバスに押し込まれて出発〜

車両は、日本の昭和40年代の田舎の乗り合いバスみたいな感じで、
座席のビニールシートが破れて、中のスポンジがはみ出していました。
窓ガラスにはヒビが入っていましたが、幸い割れてはいなかったので、
マイナス10度近い外気が吹き込んで来なかっただけでも、ありがたいことかと・・・

途中で一回トイレ休憩がありました。

石を積んで作った小屋の中に、石炭ストーブがひとつ。
その奥に、一応男女に分かれてニーハオ・トイレ。
小屋の床は全部土間です。

トイレを済ませた人が、ストーブの周りで暖をとっていると、
近在のおばちゃんが、ゆで卵を売りにきました。
もちろん食事無しのツアーですし、この先食べられる所も無いので、
買っている人がおおかったですね

バスでだらだら坂道を登っていくうちに、吹雪っぽくなってきました。

そういや、長城ツアーバスが雪道でスリップして崖から落ちたって言ってたなぁ
などと、窓ガラスのひび割れを眺めながら、わびしさを噛みしめているうちに、
ようやく万里の長城・八達嶺に到着しました。

勇んで外に出ると、あたりは横殴りの雪で真っ白です

目の前に、ねずみ色の大きな石の壁がありました。

何これ
と思っていたら、みんなその中に入っていきました。

わたしも寒かったので、雪を避けるつもりで石壁の中に入ったら、
それが万里の長城だったんですね〜

壁の上にあがったら、石畳の広い通路が左右に伸びていました。

っていうか、それが長城の上の部分だったわけですが、
吹雪で、視界5メートルほどでは、石畳の通路にしか見えません

前後左右、真っ白で極寒の中、風にあおられながらも少し歩いてみました。
たぶん右側の女坂・・・

景色が見えなくたって、長城の大きさが感じられなくたって、少しは歩かなきゃもったいないですもん。

つるつる滑る石の坂を上ると、やっとひとつめの狼煙台です。

中でしばらく風を避けて休んだのですが、そこでギブアップ
Uターンして戻りました。


小さな暗い売店があったので、のぞいてみました。

お土産らしいものは、粒子の粗い絵葉書だけ。

他に売っていたのは、トイレットペーパーと袋入りインスタントラーメン(中国製)だけでした。
しかも、これは貴重品らしく、ガラスケースの中にうやうやしく飾られていました

これはもちろんお土産、ではなくて、
売店の裏のトイレで使うための紙と、
昼食のためのラーメン、
なんでしょうね・・・


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。

北京で地下鉄に乗る

2010年09月28日(火) 8時00分
80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。

北京にも地下鉄がある
というので、乗ってみました。

どこへ行きたいわけでもなかったので、一駅だけ・・・

路線は、大体こんな感じでした。
京都駅から北大路まで一本しかなかった、初期の京都地下鉄みたいなもんです。



中国の地下鉄は、

ホームにシャンデリアとかあって宮殿みたい、とか

あっちこっちに「革命戦士の像」が飾ってある、とか

車両の中には毛沢東の肖像画がかかっている

なんてことはありませんでしたが、
防空壕や核シェルターの意味はあったかも・・・

とりあえず、特に個性も無い、ごく普通の地下鉄で、
新しいので、東京のよりずっと綺麗でした。

料金は記録していないので、いくらだったか覚えていませんが、
さほど人は乗っていなくて、楽々座れました

当時はぜいたく品の位置づけだったと思われ、
幹部やお金持ちでなければ、地方から来た観光客が乗るものだったようです。


だから、
下りのエスカレーターの乗り口で、
怖くて足を出したり引っ込めたりして、なかなか乗れない人民の皆様が団子になっていました

エスカレーターの降り口では、
降りるタイミングを失敗して、ばったりと倒れ、
その上に次々と折り重なるように、後ろの人も倒れこんで・・・

阿鼻叫喚の地獄絵図、とはこのことかと思ったりしました


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。

北京一応観光2

2010年09月25日(土) 8時00分
80年代後半に中国に行った、へタレのバックパッカーのお話です。

で、同宿の男子と故宮見学したあと、
人気の包子店があるから、行ってみようという事になりました

なるほど、店の外まで行列です。
(って、当時の中国ですから、何にでも行列なんですけれど

やっと食券売り場までたどり着きましたが、糧票を出せと言うのです。
糧票(食糧配給券)が無いと、外国人専用の高級レストランか、道端の買い食いしか出来ない時代でした。

彼が中国語ができたので
「我[イ門]是外国人、没有糧票(外国人だから糧票は無い)
と言うと、服務員はそのまま食券を売ってくれました。

ここで押し問答して、面倒になるのを嫌がったのでしょうね、きっと

上海の小龍包よりも、ふたまわりほど大きいの包子がいくつか、蒸篭に入って出てきました。
あまり精製されていない感じの粉の、グレーの厚ぼったい皮の中に、肉っぽいものがぎっしり詰まっていました。

熱々で、結構美味しかったです。
現地の人が並ぶだけのことはあるなぁ・・・と


そのあと、西単の店で、ゼリーを食べました。
日記には「パーラー」と書いてあるけど、どんな店やな

合成着色料の緑やオレンジの派手派手しいシロモノでしたが、
味は、日本のスーパーで三連パックになっている安っぽいゼリーと同じで、充分美味しかったです。

0.7元(約28円?)って、他の物価を考えると高かったと思いますが。


天安門の近くで、氷糖葫芦(びんたんふーるー)の屋台が出ていました。
真っ赤なサンザシの実を、そろばん玉のようにいくつも串刺しにして、飴をかけたものです

初めて見たものだったのですが、どうしても食べたくなりました。

「お腹に虫が湧くから、やめた方がいい
と、男子大学生に止められましたが、振り切って食べました。

甘酸っぱくて、お祭で売っているリンゴ飴に似た味で、大好きになりました


虫は・・・
四半世紀たった今でも大丈夫なので、大丈夫だったのだと思います


なにせ古いことでもありますので、思い違いや事実誤認もあるかと思いますが、ご容赦ください。

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