被災地の今〜七十七銀行女川支店

August 24 [Fri], 2012, 11:47
女川町に入り、高台の病院から下にある横倒しビルを見に行った所、向かいの更地に臨時の供養台があり何気なく目にした所こんな言葉が七十七銀行女川支店、被災者行員12名に捧げますどんな出来事があったから知らないけど、とにかく犠牲になったという事だけは理解できたので、手を合わせました。
できるだけ震災ニュースには敏感になっていても、まだまだ知らない事実が一杯あるんだな。
ちなみに僕の持っている仙台銀行口座は女川支店で作りましたが、津波で資料等が流されたようで新たな口座開設を勧められました石巻支店で。
後日、ネットで地元の河北新報の記事を検索して、声を失いました。
記事は以下に掲載しました。
殉職行員のご冥福と行方不明者の方々の発見を心より祈っております。
東日本大震災による津波で行員4人が死亡、8人が行方不明となっている七十七銀行女川支店の合同慰霊祭が31日、仙台市青葉区の仙台国際センターで行われた。
犠牲者と行方不明者の家族や同行の行員ら約1900人が出席した。
全員で黙とうした後、氏家照彦頭取が職員の安全を守るべき立場として、このような結果を招いてしまったことに心からおわびする。
二度と繰り返されることのないように風化を防ぎ、災害対策を強化していくと追悼の言葉を述べた。
犠牲者と行方不明者の12人の家族のうち、2家族は出席しなかった。
このうち長男24が行方不明になっている男性52は気持ちの整理がつく前に、一方的に開催され不本意だと話しており、この日も女川町で捜索を続けた。
慰霊祭では当初、家族側の代表者があいさつする予定だったが、話を聞くのがつらい家族もいる七十七銀などの理由で取りやめとなった。
女川支店では震災当時、14人が勤務していた。
このうち支店長ら13人が避難した屋上で津波に流され、1人は海上で救助された。
なぜ屋上に避難したのか一部遺族が検証と建物保存求める銀行側判断誤りなし主張七十七銀行女川支店で多数の行員が津波の犠牲になったことをめぐって、一部の遺族が支店にとどまらせた判断に誤りがあったのではないかと検証を求めている。
銀行側はやむを得なかったとこれ以上の検証には否定的。
支店建物の取り壊しについても銀行が早期に進めたい意向なのに対し、一部遺族側は検証には保存が必要と反対している。
女川支店は2階建てで、海岸から約100メートルの距離にある。
昨年3月11日、津波は地震発生から乱交30分余りの午後3時20分すぎに到達した。
七十七銀によると、当時は地震後に帰宅した1人を除く13人が支店内におり、同3時すぎに高さ約10メートルの屋上に避難したとみられる。
ただ1人、海上で救助された行員への聞き取りでは、地震直後に外出先から戻った支店長が津波の前兆で潮が引いている。
片付けは最小限にして逃げるぞと呼び掛けたという。
支店長は屋上に避難することを、仙台市の本店に電話で伝えていた。
一部遺族が問題にしているのは、高台にある地域の指定避難場所の女川町立病院に避難しなかった刀B
長男健太さん当時25を亡くした大崎市の会社員田村孝行さん51は病院までは歩いて数分。
なぜ支店に残ったのか、納得できないと語る。
これに対して七十七銀は、同行の緊急時災害対策プランには女川支店についてただちに指定避難場所または屋上など安全な場所に避難するとあるとし、判断に誤りはないとしている。
田村さんら検証を求める一部遺族は、昨年12月に家族会を組織。
これまで計9回、銀行側と話し合ってきたが、議ヘ平行線をたどっている。
建物の取り壊しに対する一部遺族の反発も根強く、姉の美智子さん当時54を失った仙台市の会社員丹野礼子さん54は現場での検証が不可能になる。
調査が終わるまでは保存すべきだと話す。
七十七銀の津田政克取締役人事部長兼罹災りさい者支援室長は最初の大津波警報では津波の高さは6メートルとされ、支店長は屋上なら大丈夫と考えたのではないか。
多数が犠牲になった道義的な責任はあるが、検証は考えていないと説明。
建物に関しても町から早期取り壊しを求められている。
建物を見るのがつらい遺族もいるとしている。
2012年04月01日日曜日
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