引越し 

2005年11月05日(土) 22時16分
引っ越しました。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

http://www.geocities.jp/am_0200/

ゆずれないところ 

2005年10月28日(金) 0時58分
例年スケジュール帳が店先に並ぶ頃になると、なんとなくわくわくする。予想もつかない先のことを想像するのは、いつだって楽しい。

でも、義務のように毎年購入していたのだけれど、あまり活躍していなかった、というのが実のところ。

ところが、2005年は違う。それはもう大活躍で毎日一緒。「決まった時間に同じ事務所へ通う仕事」を辞める、というのはこういうことか、と妙なところで納得してしまう。いろんなことを掛け持ちしているし、そうやって掛け持ちしているから当然会う人の数も増えて、約束も増える。書いておかないと忘れてしまいそうだ、という危惧の念を抱いたのは今年が初めてかもしれない。

今年の手帳はなかなか良い。コンパクトだし、この10月末現在まだヨレヨレ感もない。無駄なページがない。ゴム付なのでページがばらつくこともない(これは非常に大事な要素)。小さなポケットが裏表紙の内側についていて、切手やなんかがちょっとだけ挟める。

それで、じゃあ2006年版もそろそろ出たかと思い、見に行ったら、なんだか今年はちょっとメルヘンないでたちだったのでがっくり。毎年同じものを作って欲しい。

しょうがないな、と最近はスケジュール帳コーナーがある度に探すのだが、なかなか条件に合うものがない。
・ コンパクトである(薄い)こと。
・ ページがばらつかないようになっていること(ゴム付が望ましい)。
・ 月ごとのページと週ごとのページがあること。
・ 無駄なページがないこと。
・ カバーは染みが付かない素材であること。
・ カバーと手帳本体は一体となっていること(が望ましい)。
・ ぺたぺたするような透明カバーではないこと。
・ 事務的過ぎないこと。うるさい柄の表紙ではないこと。
・ 赤(が望ましい)。

今日、上記の条件を満たす手帳を発見。でも、クリーム色、紺、黒、ピンク、とあって赤がない。周りを見ると同じ製造元と思われる似たようなシリーズの手帳が数種並んでいて、色は前出の色に赤を加えた5色展開。これは変だと、店員さんに尋ねると、私が欲しい手帳に限って赤は発注しなかったとのこと。結局、手帳一冊、お取り寄せしてしまった。それもどうかと迷ったが、来年も今年同様手帳が大活躍するだろうから、ここは妥協せずに選択しようと思い直す。

なんてったって365日毎日一緒なわけなので。

東京静脈 

2005年10月16日(日) 1時29分
今年、まだ太陽が照りつけていた頃、森ビル内の森都市未来研究所で開催中の「都市の模型展」を見た。

人の爪ほどに小さくなったビルが、ぐわっ、と部屋いっぱいに広がる東京の模型。
なじみの場所のはずなのに、上から見ると、どこがどうなのかあまりピンとこないからおもしろい。

その会場で、「東京スキャナー」と「東京静脈」という二つの映像作品が上映されていた。
「東京スキャナー」のほうは空撮で、ぐいっ、ぐいっとめまぐるしく東京上空を移動していく。思わず引き込まれて見入ってしまう。素直におもしろい。東京に遊びに来た人はこれをみるといい、なんて思った。特に炎天下の夏なんか。涼しく楽しく東京をぐるり。

そして「東京静脈」。
神田川の水上を静かに淡々と移動していく。首都高速の下を通ったり。
普段は電車から見下ろす川を視点に、こんどは東京を見上げる。
でも会場では雑音の中で集中して鑑賞できず、見終えた後もしばらくこの「東京静脈」のことが気になってしょうがなかった。
タイトルに惹かれた。

そして今日、注文したその「東京静脈」のDVDが届いた。10分程度の作品で、何回も見た。アングルを変えてみることができるので、変えてみたりしてまた数回。
そしてこれから先も、時間を空けて、思い出して、また何回も見ると思う。

gecko 

2005年10月01日(土) 2時19分
やもりへの思い、すこし。


意味はさておき、geckoはcicada (セミ)と並んで響きの好きな英単語。
なかなか口にする機会がないけれど。

***
7、8年も前のこと。
沖縄で一度、夜、薄ピンク色のヤモリに出くわしたことがある。
そのころは、ヤモリなんてあまり見たことがなかったので、
(仙台でヤモリを見たことはあっただろうか)
ヤモリというのは、こんなかわいい色なのか、くらいにしか思わなかった。
しかし、その後二度とそんな色のヤモリなど見かけたことはなく、
今となっては、その光景すら消えてしまいそうな、頼りない記憶になってしまった。
幻のさくら色のヤモリ。

***

夜はゆっくりと
すべてを無名にしてゆく
空は無名
部屋は無名
世界は無名
うずくまる二人は無名
すべては無名の存在の兄弟
ただ神だけが
その最初の名の重さ故に
ぽとりと
やもりのように二人の間におちてくる

(谷川俊太郎「沈黙」より)





おととい、ぽとりと落ちてきた神様。

応援キット 

2005年09月28日(水) 20時43分





母の幼馴染であり、私の敬愛する友人でもある方から小包が届く。

「美人の日本語」、「日本語なるほど塾6・7月号」、それに大豆やひじきやいわしの缶詰もごろり。ここ数ヶ月、会う機会が全くなかったけれど、涼しくなってきたし、久しぶりにどこかに誘おうかな、なんて思う。


添えられていた手紙の終わりに。

夏のつかれる秋です。
体調をくづさず、次へステップ ジャンプしてください。
オリンピック じゃなく スロー スロー でね。

夢か現か 

2005年09月25日(日) 21時14分
突然、近くでワウワウ〜、と聞こえたので、また猫が喧嘩かな、いや、やけに近いな、なんて思ったら、発信源はベッドの上で丸くなって寝ていた我が家のトト。あまりにはっきりとした声になったので、本人もびっくりして目を覚ましたようだ。そして半信半疑の私。思わず見つめ合う。これは寝言か?トトと暮らし始めて5年近く経つけれど、初めて聞いた。

照れ隠しなのか何なのか、ウンニャ、なんて言ってみながら前後に伸びを始めた。そして前後の伸びをしながら近づいてきて、膝の上でしばしの間、寝なおし。

そういえば、今日の夕方、隣の空き地で大きな真っ白い猫と真っ黒い猫が大きな声を張り上げて、派手に喧嘩をしていた。ベランダから首を伸ばして様子をうかがうトト、私、それに階下の住人。その喧嘩、疑似体験してきたか。




喧嘩をすると腹がへるのだ。

経過報告 

2005年09月23日(金) 12時29分
今年の6月、梅酒とさくらんぼ酒を仕込んだ。飲めるようになるのは12月頃からか。

ということで、あるのは分かっているけど、そうそう頻繁に様子をみるわけでもない。今のところ、どうも存在感が薄い。

プルーン酒を作ったという友人の話で、お、我が家の果実酒達はどうなったかな?とチェックしてみる気になった。



6月初め。
(左は、ブランデーベースの梅酒)




で、ただいま約4ヶ月経過。

3:1:1 

2005年09月22日(木) 1時55分
夜、近所のスーパーへ行く途中、馴染みのノラ達に出くわしてしまった。

「猫にえさをやるな!
 死んだ猫は誰が始末するのだ!
 犬のフンは飼い主が始末すること。」

と書かれた看板が目立つ路地。

なんか後ろめたい思いがするけれど、挨拶しないわけにはいかないし。
結構みんなにかわいがられているらしい。私がしゃがみ込むと、なんだなんだと近づいてくる。中には片手に乗るような手のひらサイズの子猫も。にーにー、となきながらおとなしく撫でられている。

ノラ猫問題、賛否両論あるところだけど、やっぱり目の前にしたら、がんばれよ、と言いたくなる。

スーパーに行ったら、どうしても猫のえさコーナーが気になってしょうがない。
さんざん迷ったあげく、お惣菜コーナーでチキンカツ購入。
えさ持ってたら、確信犯だと思われるかもしれないし。近所の「人」とも仲良くしていたい。

「通り過ぎようと思ったんですけど、ついつい...」
なんてセリフも用意して、腹ペコ達の待つ路地へ。

一声かけると、お、帰ってきたか。で、何買って来たの?と近づいてくる。
路地のご近所さんに3切れ。

帰ってきて、我が家のトトにも1切れ。わたしも1切れ。

今夜のチキンカツの黄金比。

無事帰宅した迷いインコ 

2005年09月21日(水) 7時05分
盛岡で、迷子になったセキセイインコが自ら住所と名前を話し、無事帰宅したという。

いいニュース。

記事に直接リンクがはれないみたいなので...
www.asahi.comの「社会」記事一覧で見つかると思います。

いつか、そんなこと 

2005年09月21日(水) 1時38分
学生の頃、演劇の理論の授業中に、「演劇の未来」というようなテーマでディスカッションになったことがあった。

主な論点は、演劇vs映画・テレビで演劇は生き残れるか、ということ。
終わりのないテーマ、でもおもしろい時間だった。みんなそれぞれ意見があるわけで、しかも熱い思い入れがあるから私がその議論に入り込む余地は無し。

私は演劇はこれからもずっと続いていくと思う。
理由は単純、今までも続いてきたから。
演劇の起源はいつになるのか、そもそも演劇って何さ、なんてことにもなるんだろうけれど、3万年も昔から(儀式的)演劇があったといわれていて、それが今後途絶えるなんて信じられない。


学生の頃から、(時たま忘れられつつも)常に頭の片隅にあるのは、他言語の話者が演じていても通訳や字幕の要らない演劇はいかにして可能になるか、ということ。

言葉を一切カットしてしまう、というのもひとつの法か。「水の駅」をはじめとする台詞のない作品シリーズ(太田省吾)もある。関心があるわりには演劇事情に疎いので、単に私がよく知らないだけで、きっともうどこかで誰かうまいことやってるんだろう。でも、今すぐに、とはいかなくても、私がおばあさんになる頃までには、何かひとつ自分でもやってみたい、という思いがある。

日本語教室で、今、作文の授業を担当していて、先週からは「友達」というトピックで取り組んでいる。その手始めとして、私の学生時代の演劇科の友人の話なんかを写真と共に話してみたら、なかなかいい反応がかえってきた。

役者は意外と身近なところにいるかも...なんて企んでいる。