ガールフレンズ

2009年07月09日(木) 10時46分
愛すべき人たちシリーズ・その15


ガールフレンズ



ユミコ、チカゲのほかにも、懐かしいガールフレンズがいた。
みんな元気でいるだろうか。
もう、すっかりオバチャンの貫禄だろうなあ。

■■ケイコ

ケイコとは小学校が一緒だった。
クラスではそれほど目立たない子だったが、
よく見ると黒目がパッチリした可愛い子だった。

6年生のとき、いきなりケイコからラブレターが来た。
僕はびっくりした。
何故かクラスメートが皆そのことを知っていて、
僕は随分冷やかされ、恥ずかしさがやがて怒りに変わり、
その矛先はケイコに向かった。
「変なコトすんなよ!」

ある日ケイコは思い余って僕の家にやってきた。
真剣に想いを伝えるためだったと思う。

玄関で出迎えた僕は、確か邪険な態度を取ったと思う。
少女の純情に応えてあげなかった。
情けない奴だ、今にして思えば。

ごめん!ケイコ。


■■マサコ

マサコは、近所に住む同級生だった。
中学1年でクラスメートだった。
集合写真を見るととっても美人で魅力的な子だ。
でも、家庭的には恵まれない子だった。

マサコの家は自転車修理屋だった。
ある日、僕の自転車がパンクしたので、
修理するためにその店に行くと、
マサコがニコニコしながら出てきたので、
僕はてっきり店番でもしているのだろうと思い、
マサコに自転車のパンク修理に来たと伝えた。

するとマサコは、ニコニコしたまま、
なんと、自分で僕の自転車のパンク修理をはじめた。
僕は驚いてその様子を眺めていた。
マサコは、慣れた手つきであっという間に
パンク修理をやってくれた。
「はい、おしまい。800円です」

立派に働いてるなあコイツ!
でも、僕はちょっと複雑な気持ちになった。


■■ミユキ

ミユキはとってもお勉強のできる、イイトコのお嬢様だった。
ピアノもとっても上手で、性格も明るい子だった。
小学校はずっと同じクラス。
そして、いつも僕とミユキは学級委員長だった。

6年生のときのTVちびっ子のど自慢。
ミユキはイズミと組んで全国大会に出場する腕前だった。
僕はミジメに予選落ちした。ガハハ。


有名な子役は、何故か大人の女優になると
外形的にもイメージが崩れ、全然ダメになってしまう場合が多い。

ミユキも?
小学校のときはすごく可愛くて輝いていたのだが、
中学に進むとだんだんと埋没しがちで、
高校も一緒だったが、何だかフツーの目立たない子になっちゃった。

地元で地味婚をキメた。おめでとう。



■■ユカリ

ユカリは中学3年のクラスメート。
短髪キャピキャピで、バスケ部の女子エースだった。
同じクラスのスポーツマン・ミハラくんとラブラブだった。
僕は普段ユカリとあまり接触はなかった。

あるとき、僕は何を思ったか、
冷やかしに突然ユカリをデートに誘ってみた。

最初は驚いていたユカリだったが、
意外にいそいそと出掛けてきた。

二人で、ぎこちない一日だけのデートを楽しんだ。
海辺の海岸をずっと歩いた。
楽しいひと時だったが、
その後、音楽テープを一度交換して、
淡い思いはすぐに終わった。

なんだかなー。

■■スミエ

スミエは中学2年と3年のクラスメート。
外見がとってもコケティッシュで、
(浅田美代子と天地真理を足して2で割ったような)
クラスの男子から人気ナンバーワンだった。

仲良しだったフナちゃんが、スミエの熱烈なファンで、
ラブアタックを繰り返していたが、
適当にあしらわれていた。

高校に進んでから、ヒマだった僕は、
フナちゃんに殺されるのを覚悟でスミエにアプローチしてみた。
スミエはあっさりOKしてくれた。

それから時々、スミエを家に呼んで僕の部屋で遊んだ。
スミエの家にも遊びにいった。
スミエのお母さんが丁寧に応対してくださった。

でも、これといって強い想い出を作らないままに、
スミエとは自然にまた疎遠になってしまった。

何してたんだろう、当時の僕は。
情けない奴だ。


チカゲ

2009年07月03日(金) 11時24分
愛すべき人たちシリーズ:その14


チカゲ ほのかな恋


■■お茶目でキャピキャピ

チカゲは中学1年のクラスメート。
お父さんの仕事の関係で各地を転々としている子だった。
その時も他の学区から転入してきたような記憶がある。

ちょっと小柄でショートヘアーで、
いつもキビキビと動く、活発な女の子だった。
テニス部で頑張っていた。
目が大きくて黒く、印象の強い顔だちだった。

転入生だったので最初は仲良しの友達がいなかったが、
自分からどんどん積極的に話しかけて
友達の輪を広げる努力をしていた。

■■ブラバン

音楽の授業で、ブラバンにみたてた楽器パートを
各自が選択して練習する授業があった。
僕とチカゲはたまたまドラムを選択した。

結構本格的な練習で、音楽の先生が基礎的な練習パターンを教えて、
技をクリアできるたびに、スティックの先のほうに
マジックで赤い輪を書いていく。
全部クリアできれば、赤い輪が3つとなる。
ちょうど船乗りのブレザーに階級章が3本線あるように。

タン・トン・タンタタ・トテチテタッタタ・・・・
猛練習を重ね、
3本線をクリアしたのは僕とチカゲだけだった。

「なかなかやるじゃん」と僕。
「面白いなー。結構コツあるよね」とチカゲ。

それからチカゲと仲良くなった僕は、
チカゲを意識するようになった。
チカゲも何となく僕を意識しているようだった。
でも、正式に付き合ったわけではなく、
ほのかな恋心だった。

■■転校

その後チカゲは、2年ほど同じ中学に通ったあと、
またお父さんの仕事の関係で、転校してしまった。
確か岡山の方の学校だと聞いた。

2年からクラスが分かれていたので、
直接チカゲにお別れを言う機会もなく、
そのままになった。


■■再会

チカゲと思わぬ再会を果たしたのは、僕が19歳で
大学に入った夏休みのことだった。

自動車の運転免許を取るために、夏休み帰省していた僕は
地元の自動車学校に通っていた。
たいくつな時間だったが、免許のためには仕方がない。

ある日、教習所でフト周りをみていると、
どこかで会ったような女性がいるではないか。
「ん・・?見覚えがある女性だけど・・誰だっけ・・

電光が走った気がした。

「あっ!!チカゲだ!チカゲに間違いない!
今こっちにまた戻ってるんだ!」

急いで駆け寄った僕を、チカゲもはっきりと覚えていた。
でも、中学生のときのようなキャピキャピではなく、
少しはにかんだような、ちょっと大人びた様子だった。

■■束の間のデート

がぜん嬉しくなった僕は、あれこれとチカゲに話しをして、
家に遊びにくるように伝えた。
チカゲは、免許をとったら車で遊びに行くと約束してくれた。
当時は携帯電話などない時代だ。
マメに連絡が取れないので、家に連絡が来るのを
僕は首を長くして待った。

何週間かして、僕も無事免許をとった。
チカゲも同じような時期に免許をとったはずだ。

ある日、チカゲから電話が入った。
そして約束の日。
僕は玄関先に出てチカゲの到着を待った。
颯爽と(?)小型のマイカーで現れたチカゲ。
さっそく同乗した僕たちは、近所の海辺をドライブとしゃれこんだ。


■■短い夏

それから何度か、夏の間にチカゲとデートをした。
なぜだか、お互いの現状について詳しくは語らなかったが、
ともかく短い夏の間、チカゲに会って楽しい時間を過ごせれば
それで良かった。

夏休みが終わり、免許を取るという目標を達成した僕は、
東京へと戻った。

チカゲは、近いうちにまた身辺に変化がありそうなことを
少し憂鬱な表情で話してくれた。
僕はそれを詳しく聞かなかったが、
また休みに帰省したとき絶対会う約束をして、別れた。


共通の友人だったにっちんに、チカゲの消息をつかんでおいて
くれるように頼んでいたのだが、
しばらくして尋ねると、消息はよく判らないとのことだった。

チカゲの表情から、何となく不安なものを感じていた僕は、
それ以上立ち入って探ることはできなかった。

今頃どうしているかしら。
何だか、どこか遠い街で過ごしているような気がする。


ユミコ

2009年06月22日(月) 9時58分
愛すべき人たちシリーズ その13


ユミコ


■■おマセで生意気

ユミコは、小学校の頃から発育が良く、目立つタイプの子どもだった。
6年生の頃には、体育でランニングをすると、豊満な胸がユサユサと揺れて、
僕たち少年軍団は「おお、ユミコの走ってるの見てみい。ムネが揺れとるぞー」
「おー、スゲーなあ」
と、感嘆して眺めたものだ。

ユミコとは中学3年のクラスで一緒だった。
ユミコは結構、他のスポーツエリートとの噂などもあり、
僕は特に接触もなく、あまり関心もない存在だった。
時々何かで話しをするたびに、
「なんか高慢でやな奴だなー」という感じがして、
あまり好感は持っていなかった。

■■体育祭

中3の秋の体育祭。
僕は副委員長のよしんドンと組んで、
体育祭の華、「学級対抗リレー」に必勝の奇策をたてた。
アンカーの前の走者まで、運動部の男子で速い選手を集めて
大きなリードをとり、最後に女子で最速の陸上部の女子選手、アツコを
あてて逃げ切るものだった。

大いに盛り上がったが、最後の最後にアツコは
他クラスの快速男子に抜かれて2位となった。
僕たちは惜敗に脱力したが、アツコを慰めていると、フト、ユミコの視線が
僕に注がれているのに気がついた。

■■意外な告白

その後、ユミコに「あの時何か言いたいことがあったの?」
と聞くと、ユミコがいうには、
「アツコをかばったミッシャくんって素敵だと思った・・」
僕は意外な言葉に驚き、それからユミコを意識するようになった。

しばらくして、結局僕たちは付き合うことになった。

■■淡い恋

ユミコとは映画を観たり、家に呼んでダベッたり、
プレゼント交換をしたり、と、たわいない付き合いを続けた。
ユミコの家に行ったとき、大学生だったお姉さんに首実検をされた。
「ユミコにはかなわんわ!」とお姉さんが笑った。

ユミコは、高校進学にあたって、僕と同じ高校への進学を希望した。
実力的には厳しかった。
僕は、無理をしないよう1ランク下の高校受験を勧めた。
でもユミコは無理を覚悟で同じ高校を受験し、
何と、合格した。

■■スレ違い

高校に入ってから僕は、部活が忙しいこともあったが、
全県下から集まってきた秀才連中の間に埋没しがちで、
だんだんと視野の狭い高校生活を過ごすようになっていった。

ユミコとの間も知らず知らずのうちに疎遠になってしまった。
同じ中学の出身でユミコと仲良しのヨウコが、ある日僕に言った。
「最近ユミコと連絡してないでしょ。
ユミコ、どうしたのかと悩んでるわよ。
連絡してあげなさいよ!」
僕は何となくあいまいな返事を返したが、その後も
ユミコと連絡は取らなかった。

■■さらば灰スクール

部活も辞めた僕は、つまらない高校生活を過ごした。
3年になる頃だった。
ユミコが高校を中退したと、人づてに聞いた。
気がつかなかった自分が情けなかった。
何度かユミコの家の前まで訪ねていったが、
玄関のチャイムを鳴らす勇気がなかった。


大学を卒業し、東京で就職してからも、
高校から同期会の案内状が届く。
名簿も同封してある。
そのたびに、ユミコがいないか探すのだが、
名簿には記載されていない。


いつか、どこかで会えないかと思う。
でも、ユミコのことだ。
どこかで幸せな家庭でも築いているに違いない。

野球部ミムラ

2009年06月19日(金) 11時31分
愛すべき人タチシリーズ:その12


野球部ミムラ



■■コワモテ

ミムラくんとは中学2年で同じクラスだった。
当時(14歳)は札幌オリンピックのスキー・ジャンプで、笠谷幸男選手はじめ
「日の丸飛行隊」が金・銀・銅メダルを独占し、大ブームとなっていた。

ミムラくんは、厚紙と輪ゴムなどを上手に使い、ミニミニ・スキージャンプ台を
こしらえて、5円玉をジャンプ選手にみたてて台から発進させて
ジャンプ競技大会を考案し、クラスメートに喝采された。
僕も、その見事な出来栄えにうなったものだ。

ミムラくんは丸坊主で、野球部の4番サード。
バリバリの主力選手だった。
目がくりくりと大きく、色は浅黒く、見るからに精悍そのものの
マッチョマンだった。

街で見かけるとほとんど「大人」と変わらない風格で、
超コワモテの右翼だった。

お兄さんがちょうど高校の野球部に在籍していて、
見事甲子園に出場した。
兄弟そろって、野球小僧だった。

■■リスペクト仲間

ミムラくんは生活の中心を野球に置いていて、
クラス仲間との付き合いも、野球部の同級生を
取り巻きのように従えて、威風堂々といった趣だった。

カタブツなので、軟弱なことは大嫌い。
女の子にも興味がなく、強い男としか付き合わない感じだった。

そのころ僕は、剣道部のエースで、市の大会のチャンピオン常連だったため、
ミムラくんはなんだか僕にすごくシンパシーを感じていたらしい。

クラスの半端な男友達には目もくれないのに、
僕にだけは、「ミッシャくん、ミッシャくん」といってなついてきた。

僕はちょっとミムラくんが怖かった(?)ので、
あまり接近しすぎないように注意しながら、適当な距離感で
付き合っていたが、
色々とハナシを聞いていると、ものすごく純朴で、素直な少年だった。

「僕は絶対に、アニキと同じ高校に進んで、絶対に甲子園に出るんだ!」
と、ミムラくんは心に誓っていた。

■■幻の甲子園

ミムラくんは、きんたやにっちんと同じ工業高校に進んだ。
念願の、お兄さんと同じ高校だ。
もちろん、野球部に入った。
当時その高校は県下でも最右翼の強豪校で、
巨人軍に入ってストッパーとして活躍した、角選手は
僕たちの1学年上の先輩だった。

角選手が3年生のとき、つまりミムラくんが2年生のときには
優勝候補筆頭だったが、残念ながら県大会の決勝で敗退した。
角選手は当時、地元では怪物のような存在だった。


最上級生になったミムラくんは、
野球エリート街道をまっしぐらに進み、
キャプテンになった。
高校でも4番サードだった。

最後の夏の甲子園大会県予選。
僕の高校は名門校で、かつて甲子園でも準優勝したことのある
文武両道の高校だった。

在校生は母校の応援に駆り出された。
順調にいけば、準決勝あたりでミムラくんの高校と激突するはずだった。

その前の試合。
僕は、ミムラくんの高校を応援にでかけた。
応援席で僕はミムラくんに、
「おーい、この試合、絶対勝って、うちとやるんだぞー!」
と声援を送った。

ミムラくんには唯一の欠点があった。
それは、「プレッシャーに弱い」ことだった。

試合が硬直していると、ミムラくんはガチガチとなり、
チャンスで凡退を繰り返した。

試合は劣勢となり、終盤にさしかかった。
そして、とうとう最終回の攻撃。
得点差を考えれば、もはや逆転は不可能な状況だった。

ミムラくんの現役最後の打席を迎えた。
ランナーなし。絶体絶命。

僕は、なぜだかひらめいて、
センターのバックスクリーン後方の席へと移動した。
直感で、「ミムラはここに大ホームランをかっとばす」と思ったのだ。

もはやプレッシャーはない。
最後の打席、思い切って打席に集中し、実力を出し切ると
思ったのだ。


すると、案の定。
ミムラくんのバットが一閃した瞬間、
僕は、打球が僕の近くに飛んでくることを確信した。

見事な、バックスクリーン越えの大ホームランだった。
「ミムラ、遅いよ・・。お前、プレッシャーに弱いなあ」
僕はひとりでつぶやいて、球場を後にした。


ミムラくんは、その後も野球道の探求を続けた。
県内の有力な企業にはいり、ノンプロ選手として活躍した。

高校最後のホームラン、
ボールがスタンドに落ちた瞬間、その場から立ち去った僕だったが、
あのホームランボールを拾ってあげておけば良かったかな、と思う。



★筆者のお気に入りサイトです。是非お立ち寄りください★

■ トビウオ通販 ☆ 激安ショップ
ダイエットに!黒流痩茶が目玉です。

  ⇒ http://tobiuo001.obunko.com/

■ カナダワインのお店 ☆ アイスワインのピリー
カナダアイスワインやブルーベリーワインの専門店です。

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/

■ 健康ソムリエ ☆ ブログ
サプリメントではない自然食材にこだわったお勧めの健康ブログです!

  ⇒ http://ameblo.jp/kenkous/entry-10229236884.html

カワツくん

2009年06月13日(土) 9時18分
愛すべき人たちシリーズ その11


カワツくん



■■早熟の天才

カワツくんとは、小学校のときにずっと一緒だった。
カワツくんはちょっと舌足らずにしゃべる癖のある、いつもハキハキと活発で、早熟なこどもだった。

4年生の頃だったか、当時クラスでアマチュア無線の免許をとるのが流行っていた。
カワツくんはクラスでも早い時期に無線の免許をとり、「JQjQ,こちらJQXooo」などと盛んに交信をして楽しんでいた。
僕は、面白そうだとは思ったが、自分で免許をとるまで熱中しなかった。
カワツ君の家に遊びにいくと、立派な無線機に囲まれた設備があり、ヘッドセットをつけて交信するカワツくんはとてもカッコ良かった。

■■快活男児

カワツくんは運動神経も良く、勉強もできる、クラスの中心人物だった。
僕も対抗しようと色々頑張ったが、だいたい何をやっても、カワツくんにだけはかなわなかった。

みんなが夢中になった草野球で、カワツくんは小柄だったけれど要のポジションであるキャッチャーを進んでやり、チームの司令塔という感じだった。
カワツくんのおとうさんが野球経験者で、確か資格を持った野球の審判員だったこともあり、カワツくんは野球のルールにも詳しく、発想も進んでいた。

ある試合で、カワツくんとチームが分かれ、僕がファーストをやっていたときのこと。
1塁ランナーで出たカワツくんが、すごく大きなリードを取った。
「これはけん制で絶対アウトだ」と思った僕は、自信満々でピッチャーからのけん制球を受けた。
はい、楽勝タッチアウト。と思った次の瞬間、カワツくんは2塁に向かって猛ダッシュしていた。
僕は呆然と見送っていた。
やられたー。こういう作戦もあるのかー。スゲーなあ。

■■音楽コンクール

6年生のときのこと。
当時、有名なテレビ番組で、「ちびっこのど自慢」というのがあった。
大手食品メーカーがスポンサーについている、高視聴率番組だった。

その番組が地元にやってきて、収録をすることになった。
クラスから、歌の上手なこどもたちが進んでエントリーした。
ミユキちゃんやイズミちゃんといったピアノの上手な子たちに混じって
僕とカワツくんもエントリーした。

父親が音楽の先生だった僕は、結構歌には自信があった。
父親のアドバイスで、予選会で僕は「僕らはみんな生きている」を歌ったが、
緊張であがってしまい、サッパリだった。もちろん予選落ちである。

カワツくんも同じ予選会で歌った。何を歌ったのかは覚えていない。
僕は、どうせカワツくんも落っこちるだろうとタカをくくっていた。

結果発表があった。
一次予選で落ちたのは僕だけだった。
カワツくんも二次予選に進んだ。
僕はすごーく恥ずかしかった。

結局、カワツくんは二次予選で涙をのんだ。
ミユキちゃんとイズミちゃんは最終予選で合格し、何と全国放送にオンエアされた。


■■違う道

カワツくんとは同じ学区だったので、中学に進んでも当然同じだった・・はずだ。
ところが、中学に入ってから、何故だか、カワツくんの印象が全くない。
あれれ?

いや、確かに同じ中学だったはずだ。
休憩時間の陣取り合戦や、バレーボール遊びなどのときに一緒だったような気がする。
でも、ほとんど印象がない。
なぜだろう。
今にして思い出しても不思議だ。

部活動の印象もない。
放課後に行き来した記憶もない。

でも、転校したとかいう話ではない。


高校に進むとき、久しぶりにカワツくんの消息を聞いた気がする。
高校は、レベルで言えば「2番手群」の公立高校に進んだと聞いた。
やはり地元にいたのは間違いない。

早熟なカワツくんのことだ。
何か、色々と思い悩み、考えたに違いない。

そうだ、おぼろげに思い出した。
バンド活動をやっていたような気がする。


その後、これも風の便りに、
大学も一応、東京六大学の野球が一番強い大学に入ったと聞いた。


小さい頃から人より発想の進んだ子だったカワツくん。
早熟路線を大人になっても突き進んでいるに違いない。


★筆者のお気に入りサイトです。是非お立ち寄りください★

■ トビウオ通販 ☆ 激安ショップ
ダイエットに!黒流痩茶が目玉です。

  ⇒ http://tobiuo001.obunko.com/

■ カナダワインのお店 ☆ アイスワインのピリー
カナダアイスワインやブルーベリーワインの専門店です。

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/

■ 健康ソムリエ ☆ ブログ
サプリメントではない自然食材にこだわったお勧めの健康ブログです!

  ⇒ http://ameblo.jp/kenkous/entry-10229236884.html

くんちゃん

2009年06月10日(水) 11時25分
愛すべき人たちシリーズ その10

ワタナベのくんちゃん



■■衝撃デビュー

ワタナベのくんちゃんは、中学2年生のときに外部から転校してきた。
お父さんが自衛隊で、仕事の関係で転勤が多かったためだ。

くんちゃんの転校デビューは衝撃的だった。
体育館で全校生徒が集まって行われる朝礼の後、先生が解散を指示して、何となくザワザワとその場に留まっていると、いきなりくんちゃんが、体育館の演壇に飛び乗って、ヤクザ映画でよく見る「仁義」のポーズを決めながら、演壇に備えてあったマイクに向かって、挨拶を始めたのだ。

「お控えなすってーい!手前生国と発しまするところお、xxでござんす!名前はワタナベのクニオと申しやす」
皆がびっくりして、くんちゃんの態度と顔をまじまじと眺めていると、くんちゃんはいたずらっぽい笑顔でニッコリと微笑んで言った。
「よろしくなー!」

■■遊びの天才

くんちゃんとは中学2年でクラスが一緒だった。
くんちゃんは勉強は苦手だったが、ものすごく活発で、性格が底抜けに明るい奴だった。
部活動は柔道部か何かにちょっとだけ在籍していたと思うが、すぐに辞めて、帰宅部ならぬ、放課後エンジョイ部のような活動を楽しんでいた。

僕は部活で忙しかったが、くんちゃんたちと遊ぶのがとっても楽しくて、なるべく一緒に参加するようにしていた。
放課後というよりも、部活の後の夜の遊びといった方が正確だろう。

夜の遊び仲間は、リーダー格がくんちゃんで、同じくお父さんが自衛隊員だったフナちゃん、それと熱血きんたと、大秀才・カゲヤマのボンちゃんが主なメンバーだった。
そのうち書くことになるが、ボンちゃんは理解に苦しむ大秀才で、現役で東大に合格したのにこれを蹴って、一浪して京大に入りなおした変わり者だ。もちろん実話である。

夜になると仲間で誰かメンバーの家に上がりこんでは遊びに興じた。
当時刺激的だったのは、フナちゃんの必殺技、コーラの一気飲みだった。
当時はコカコーラがまだ新鮮な飲料で、フナちゃんの部屋には赤いコーラの空き缶が所狭しと並べてあった。

僕は、「コーラを飲むと歯が溶ける」と親に言われていたのを真に受けていたため、「コーラは苦手だ」といって飲まなかった。くんちゃんは、いつもふなちゃんと一気飲みの速さを競っていた。

他にも色々な遊びを楽しんだはずだが、なぜかあまり細かい記憶はない。
でも、いつもいつも、心の底から楽しそうに笑う、くんちゃんの底抜けの笑顔は鮮明に記憶に残っている。

あと、なぜだかくんちゃんの家にだけは一度も誰も行かなかった。
くんちゃんも、決して家族の話はしなかった。
何か事情があったのだろう、でも当時は誰も何も詮索はしなかった。

■■進路


中学3年ではくんちゃんたちとクラスが別れ、卒業・進学の季節を迎えた。
何と、くんちゃんとふなちゃんは、中卒で自衛隊に入るという。
僕は驚いた。
そんな進路もあるのかー。スゲーなあ。自衛隊かー。

卒業間近の頃、一度ふなちゃんのお父さんに出会ったことがある。
そのお父さんは、ふなちゃんとくんちゃんと僕たちに、自衛隊についての心構えなどを語っていたような記憶がある。



■■除隊

自衛隊に入ったくんちゃんとふなちゃんは、僕たちが高校に進んでから、自衛隊の休みには帰省していた。時々、僕はふなちゃんの家でふたりの自衛隊での体験談を聞いた。

くんちゃんは、自衛隊では丸坊主なので、それが恥ずかしいらしく、カツラを買って被っていた。
「丸坊主じゃ恥ずかしくて町を歩けねえよ」と寂しそうに笑っていた。


またしばらくして、何かのときにくんちゃんが自転車で町を流しているのに出会った。
僕が声をかけると、何だかくんちゃんは僕を避けるように妙な愛想笑いをくれると、そそくさとどこかへ行ってしまった。


しばらくして、くんちゃんが自衛隊を辞めたことを人づてに聞いた。
僕は、素直に、自衛隊というのは想像以上に過酷な組織なんだろうな、と思った。



★筆者のお気に入りサイトです。是非お立ち寄りください★

■ トビウオ通販 ☆ 激安ショップ
ダイエットに!黒流痩茶が目玉です。

  ⇒ http://tobiuo001.obunko.com/

■ カナダワインのお店 ☆ アイスワインのピリー
カナダアイスワインやブルーベリーワインの専門店です。

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/

■ 健康ソムリエ ☆ ブログ
サプリメントではない自然食材にこだわったお勧めの健康ブログです!

  ⇒ http://ameblo.jp/kenkous/entry-10229236884.html

関西4姉妹

2009年06月04日(木) 11時16分
愛すべき人たちシリーズ その9

関西4姉妹


■■都会やなあ〜
長女のクミ姉ちゃんは僕の4つ上、次女のヒロコ姉ちゃんは2つ上、三女のハルミは1つ下、四女のユウコは3つ下。確かそのくらいの年代で、尼崎で生まれ育った、僕の父親のお兄さんの娘たち、つまり従姉妹である。
物心ついた子供の頃からずっと、夏休みにはどちらかの家族がどちらかの家族へ小旅行で遊びに行き来する、とてもワクワクする間柄だった。
僕は、毎年、夏休みにこの従姉妹たちに会えるのがすごく楽しみだった。
ちなみに、僕の田舎は鳥取の米子である。

僕が小学校高学年の頃だったか、当時の尼崎は工業地帯で、スモッグがひどかった記憶がある。
従姉妹の家の小さな池を覗くと、表面にうっすらと工場排煙が溜まっていた。

でも、鳥取の田舎から出てきた少年にとっては、尼崎はものすごい大都会だった。

鮮烈な思い出がある。
中学1年か2年の夏休みに尼崎に行ったとき、今では世界ブランドの「カップヌードル」が新発売となり、尼崎で発売されていた。
当時、同じ商品は米子では売っていなかった。
ものすごい衝撃を受けた僕は、確かカップヌードルをカバンに詰められるだけ詰めて、興奮して持って帰ったものだ。

■■夏の日本海
従姉妹が尼崎から米子に来るときは、たいてい2人ずつ交代で来た。
中学1年のその夏、米子に来る順番は次女のヒロコちゃんと四女のユウコだった。

父は、毎年かならず従姉妹を近くの海に海水浴に連れ出した。もちろん僕も一緒だった。
父や叔父は海育ちの「カッパ」で、魚をモリで突きにいけばあっという間に大漁だった。
天然のウニやサザエ、アワビなども取り放題だった。

僕たち子供が浅瀬で海水浴を楽しんでいると、特に目をかけていたユウコが、海にもぐりながら言った。
「ねえ、お兄ちゃんって呼んでもいい?」
なんだかとっても可愛い告白で、ドキドキした。

家に戻ってスイカをかじっていると、何を思ったのか、父親が言った。
「あのなあ、念のためにいっとくけどな、いとこ同士は結婚しちゃならんだぞ」
何で釘を刺されたのかよくわからないが、何かを感じていたのだろうか。


■■別れのつらさ
夏休みの交流はたいてい3日くらいだった。
いつも、久しぶりに会うときはお互いに緊張してギクシャクしているが、子供だからすぐに打ち解けて仲良く遊んだ。3日が過ぎて判れるときは、本当に名残り惜しく、寂しく、悲しかった。

ユウコとヒロコ姉ちゃんから手紙が来た。お別れを惜しんでという可愛いレターだった。

クミ姉ちゃんは僕より随分大人の感じだった。
ハルミは活発で頭の良い子だった。

四姉妹とも、長じて、それぞれに一旦は幸せな家庭を築き、紆余曲折を経て人生の経験と貫禄を増していった。
色々な苦労もあった。
大変な時期も過ごした。
もちろん僕もだ。


■■熟年
四姉妹はすでにそれぞれ熟女になった。
黄昏に映える年代である。
複数の子供を育て、人生を捧げた。
そして、まだまだ現役・青春まっしぐら(のつもり)である。


田舎の少年にとって、都会育ちの姉妹たちに接するのはものすごく眩しい経験だった。
女性を見るとき、四姉妹との比較を基準にするのは仕方がないことだ。

まだまだ、十分勝負できまっせ、上玉でっせ、おねえちゃんたち。



★筆者のお気に入りサイトです。是非お立ち寄りください★

■ トビウオ通販 ☆ 激安ショップ
ダイエットに!黒流痩茶が目玉です。

  ⇒ http://tobiuo001.obunko.com/

■ カナダワインのお店 ☆ アイスワインのピリー
カナダアイスワインやブルーベリーワインの専門店です。

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/

■ 健康ソムリエ ☆ ブログ
サプリメントではない自然食材にこだわったお勧めの健康ブログです!

  ⇒ http://ameblo.jp/kenkous/entry-10229236884.html


よしんドン

2009年06月02日(火) 10時59分
愛すべき人たちシリーズ その8

よしんドン


■■クソガキ
よしんドンは、小学校の頃からクソガキだった。本名はヨシミと言った。
隣村の学区から通っていたが、近所でも名うてのワルだった。
勉強は普通だったような気がするが、スポーツは万能で、野球をやらせてもサッカーをやらせても中心選手だった。
小学校5年くらいの時だったと思う。
皆でサッカーをしていて、僕はサッカーは全く下手くそだったのだが、たまたまうまくボールを蹴って、ゴールインしたので大喜びしていると、それを見ていたよしんドンが「へっ。何をオーバーに喜んどるの。バッカじゃねー?」と言ったので、僕は随分傷ついた。

■■反抗
野球をやらせても4番ピッチャーだったよしんドンだが、あまりにワンマンだったので、皆に煙たがられていた。
僕は野球も下手くそだったが、日頃の特訓が実り、レギュラーで9番ファーストかセカンド、という感じのポジショニングだった。
ある日、レギュラーのキャッチャーだったカワツくんがたまたまいなかったので、僕がかわりにキャッチャーをやった。僕はよしんドンとバッテリーを組むのが嫌だったので、2番手エースのアシワくんをピッチャーに指名し、よしんドンをショートに入れた。
するとよしんドンはなぜかふてくされ、ショートの守備位置に座り込んでしまった。

僕たちがそれを無視して試合を続けていると、ふと、よしんドンが立ち上がり、僕めがけて猛然とダッシュしてきた。
「ゴラア!怒ったぞーっ」
僕はよしんドンに組み伏せられた。でもよしんドンは殴るかわりに僕のフトモモをつねっていた。
僕はびっくりして、怖くなり、メソメソと泣いてしまった。

■■変身
よしんドンには結局嫌なイメージばかりが残った。
そして中学3年になったときだった。
久しぶりによしんドンと同じクラスになったのだ。

僕は最初、「嫌だなあ」と思い、なるべく近づかないようにしていた。
ところが、どうもよしんドンの様子がおかしい。
いや、おかしいというよりも、まず第一に、ものすごく静かで、落ち着いていた。
中学ではよしんドンはハンドボール部に入って活躍していたのを知っていたが、あまり興味を持って付き合っていたわけではなかった。

よしんドンは、黙々と勉強に励み、また部活に励む、何だかすごく大人でいい奴に変身していた。
僕は毎日その姿を見るにつけ、当惑を通り越して、だんだんと親近感を覚えるようになった。

■■絆
僕は小学校から中学校までお決まりのようにずっと学級委員長だったが、中学3年の2学期には、よしんドンは皆に推されて副委員長になった。
僕とよしんドンは、運動会行事などを一緒に企画・運営し、何かと相談する仲になった。
放課後、よしんドンの家に遊びにいくことも多くなっていった。僕たちは、だんだんと仲良くなり、信頼を深めていった。

よしんドンの家は決して裕福ではなかった。
高校進学の進路について話していると、「俺んちは貧乏だからさ、普通高校には行けないんだ。だからせめて、勉強うんと頑張って、高専に行きたいと思ってる」と言った。
高専は公立の教育機関で、学費は確か育英資金で賄える制度が充実していたと思う。

高校の合格発表と同じく、地元の高専の発表があった。
よしんドンも見事に合格した。

僕はお互いの健闘を祝ってよしんドンと会った。
よしんドンは高専の建築科に進み、将来は建築士になると笑って言った。

爽やかな大人の笑顔だった。


★筆者のお気に入りサイトです。是非お立ち寄りください★

■ トビウオ通販 ☆ 激安ショップ
ダイエットに!黒流痩茶が目玉です。

  ⇒ http://tobiuo001.obunko.com/

■ カナダワインのお店 ☆ アイスワインのピリー
カナダアイスワインやブルーベリーワインの専門店です。

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/

■ 健康ソムリエ ☆ ブログ
サプリメントではない自然食材にこだわったお勧めの健康ブログです!

  ⇒ http://ameblo.jp/kenkous/entry-10229236884.html

モリさん

2009年05月30日(土) 17時17分
愛すべき人たちシリーズ その7 

モリさん

■■万能選手
モリさんは、ちょっとだけ離れた近所に住む友達だった。
小さい頃から運動神経も良くスポーツ万能で、頭も性格も良い、皆から愛されるタイプだった。
草野球をやっても上手で、大体サードで3番というポジションだった。
モリさんは、大きな農家の次男坊だった。
ちょっと小柄で、可愛いサルに似た風貌を持っていた。

■■剣道部

中学でモリさんは剣道部に入った。
僕は経験者入部だったが、モリさんは初心者入部だった。
サッカー部でも野球部でも、モリさんならすぐに活躍できるのに、基礎の仕込みに時間がかかる剣道部では大変だな、と思った。
当時は剣道部は親のステータスが高かったので、親の意向があったかも知れない。

でも、さすがにスポーツ万能のモリさんは、日々めざましい上達を続けた。
中学の剣道部は年配のショージ先生が顧問を務めていたが、何となくいい加減な指導ぶりの先生で、部員はあまり言うことをきかず、先輩たちと技の研究などを自由に、自発的にやるような気風だった。

モリさんも独自で自分のスタイルを身につけていった。
かなり強くなったが、ちょっとピョンピョン跳ねるような、一風変った剣道スタイルだった。

■■ライバル
団体戦ではモリさんが先鋒、僕は中堅を務めた。
市の公式戦では、2年の夏の個人戦でお互いに決勝まで勝ち進んだ。
キャリアの差を活かして僕が貫禄勝ちしたが、モリさんの猪突猛進スタイルに最も苦戦したことを良く覚えている。

高校も、僕とモリさんは安全圏で第一志望の高校に進んだ。
卒業する中学の同窓会では、モリさんが会長で僕が副会長に選任された。

■■明暗
高校でも、僕とモリさんは剣道部に入った。
県下から有数の剣の達人が集まってきた。
県大会でいつも上位に進むライバルたちが、続々と入部した。壮観だった。

その中でも僕は上位レベルだった。
モリさんは中堅どころの位置づけだったと思う。
高校一年生の時に、僕たちメンバーは地元の国立大学の剣道部に遊びながら楽勝した。

僕は、ちょっと陰湿な上級生とソリがあわず、2年の時にフト、魔がさすように、部活に行かなくなった。
当時、国士舘剣道部出身のイワガキ顧問先生なども心配してくれたが、きかなかった。

モリさんは、最後まで「思い直して練習に出てこいよ!」と諭してくれた。
・・僕がクダクダとしているのを、「困った奴だ」と、あしらいに難儀している様子にも見えた。

■■その後
高校3年の時、剣道部は県大会を勝ち抜いてインターハイに進んだ。
僕は休部したままだったが、登録選手扱いになっていた。
何の実感もなかった。

モリさんは、高校でもまっすぐに伸びて、剣道部でも団体メンバーを張り、勉強も素晴らしかった。
現役で慶應の工学部に進んだ。

僕は現役で早稲田に落ちた。
一浪してリベンジを果たしたが、つらい浪人中、常に「モリは現役慶應だぞ!」と捲土重来を誓った。


モリさんは、大学では、念願だったらしいサッカー同好会に入って伸び伸びとサッカーを楽しんだ。
一度、モリさんの独身寮に遊びに行ったときに、サッカーボールと戯れる身体能力の高さにあらためて驚嘆したものだ。
僕は、「なんだあ、モリは今更、ようやくやりたかったサッカーを始めたんだな。最初からやっていれば凄い選手になったのに」と率直に思った。
僕はジャズサークルでドラムをやった。どうでもいいけど。

■■落差
大学を卒業すると、モリさんは東京で大手電機メーカーに就職した。
職場結婚をして、幸せな家庭を築いた。

一度、僕も家族を連れて横浜のモリさんの自宅に遊びに行った。
何となく、眩しい家族だった。
あまり共通の話題がないことに気がついた。
いや、モリさんはどことなく僕と一線を引いている感じがした。
その後、あまり会うことはなくなってしまった。


あのモリさんのことだ。
周囲に慕われて、成功した人生を歩み続けているに違いない・・。


★筆者のお気に入りサイトです。是非お立ち寄りください★

■ トビウオ通販 ☆ 激安ショップ
ダイエットに!黒流痩茶が目玉です。

  ⇒ http://tobiuo001.obunko.com/

■ カナダワインのお店 ☆ アイスワインのピリー
カナダアイスワインやブルーベリーワインの専門店です。

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/

■ 健康ソムリエ ☆ ブログ
サプリメントではない自然食材にこだわったお勧めの健康ブログです!

  ⇒ http://ameblo.jp/kenkous/entry-10229236884.html

愛犬ゴン

2009年05月29日(金) 11時14分
愛すべき人たちシリーズ その6 (番外編)

愛犬ゴン

■■もらい犬
ゴンは、僕が小学校6年生のときにもらわれてきた、日本犬系の雑種だった。
近所の友達・オオガミのカッちゃんの家で子犬が9匹生まれ、欲しい人に分けてくれるというので、もらいにいった。9匹の中から、じっくりと毛並みや顔つき、元気さなどを吟味して決めた。
あとの8匹はその時もらい手がなく、僕とカッちゃんと、一緒に遊びに来ていたイワちゃんの3人は、カッちゃんのお父さんに言いつけられて、処分に出かけた。
可哀相なことをしたものだが、当時の田舎ではそれが当たり前だった。

ゴンは、すくすくと成長した。
主食は、家族が残したご飯に味噌汁とサカナの骨など、たくましい雑食だった。

■■イケメン
僕はゴンを厳しく躾けた。
ゴンも僕に絶対服従だった。
ゴンは柴犬に似て、耳がピンと立った「イケメン」だった。

高校に入り、2年で剣道部を辞めてしまってからは、僕は「帰宅部」となった。
ひたすら受験だけを目指す、つまらない高校生活だった。
唯一の息抜きは、帰宅後のゴンの散歩だった。
散歩コースは、家から近くの海までの片道1キロほどのコースと決まっていた。

ゴンはいつも、父がこしらえた犬小屋の上に乗って、威風堂々あたりを見おろしていた。
そして、夕方僕が学校から帰ってくると、必死のパフォーマンスで散歩を訴えるのだ。
鎖につないで自転車に乗って走ると、ゴンはおそろしい猛スピードで僕を引っ張った。

■強くて女にモテモテ
ゴンは、とっても強くて女にもてる奴だった。
いつものように海の近くの松林で鎖を放し、自由に遊ばせていると、10頭ほどの野犬に囲まれたことがあった。
僕がおののき、どうしたものかとオロオロしていると、ゴンはしばらく低く唸っていたかと思うと、野犬の群れのボスとおぼしき犬に挑みかかり、喉元に噛み付いた。
そのボス犬がキャンキャンと悲鳴をあげると、群れの野犬はくもの巣を散らすように逃げて行った。

メッチャかっこ良かった。

ゴンは、女(メス犬)にもモテモテだった。
ちょっと気を許していると、近所のメス犬が、入れ替わり立ち替わり、ゴンの犬小屋のそばにやってきては、愛の交歓を始めるのだ。
それを発見すると、家族は急いでひしゃくに水を汲んで、ソノ行為中にまさに「水を差して」止めるのが常だった。クンクン泣くメス犬とゴンは、滑稽だった。

犬は飼い主に似ると言うが・・。??

■■別れ
僕は高校を卒業すると、大学受験に失敗して、単身上京して東京の予備校に入ることとなった。
東京に行ってしまうとゴンとはお別れだ。
世話は父親に頼んだが、ゴンの全てを把握しているのは僕だけだったので、とても不安だった。

一浪後に志望大学に合格した僕は、毎年の夏休みと正月には帰省して、ゴンとたわむれた。
ゴンはその度に死ぬほど尻尾を振って甘えてくれたが、気のせいか精気がなく、痩せていったようだった。
父親に聞くと、蚊を媒介したフィラリアに罹ったり、色々だったようだ。
何とか措置して一命はとりとめたらしい。

■■大往生
大学3年生の秋だった。
父親から連絡があり、「ゴンが死んだよ」と言われた。
僕は、その知らせを淡々と聞くしかなかった。
12歳のときに貰われてきて、22歳のときに死んだので、ちょうど10年の命だった。
人間で言えば70歳くらいだろう。

冬休みに帰省すると、ゴンの墓参りに行った。

ゴンが大立ち回りを演じた、海の近くの松林にその墓はあった。
父親が葬ってくれたのだ。


僕はそれ以来、ペットというものを一度も飼っていない。


2009年07月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
トビウオ
» 哀悼。超ナイスガイ・伊良部投手 (2011年07月31日)
一ノ瀬貴子
» 哀悼。超ナイスガイ・伊良部投手 (2011年07月31日)
一ノ瀬貴子
» 宮里藍ちゃんも!おめでとう、なでしこに続いた。 (2011年07月25日)
トビウオ
» 「なでしこ革命」 空前の盛り上がりやー!! (2011年07月25日)
一ノ瀬貴子
» 「なでしこ革命」 空前の盛り上がりやー!! (2011年07月25日)
トビウオ
» またツイッターか。どうかしてるよ (2011年07月24日)