Y子の思い出
2007.10.12
山陰の地方都市に生まれた私は、中学を卒業するまでは特に悩みもなく、のほほんと育った。剣道部では主力として活躍し、勉強もそこそこにこなす、いわゆる「優等生」だった。Y子とは、中三のとき初めて一緒のクラスになったのだが、Y子は小学校の頃からそれなりに目立つ女の子だった。と言うのも、他の子に比べてもひときわ体の発達が良く、体育の時間などには結構目立った存在だったのだ。それとなく見聞きする彼女の言動も、当時からどことなく大人びていて、また、同級生のカッコいい、スポーツ万能の男子と付き合っているとの噂も流れたりして、私は「目立つ子だなあ」という程度の感想を抱いていた。
中学最後の運動会を迎え、私はクラス委員としてチームをまとめる役割を果たすことになった。運動会の華は、何と言っても最終種目のクラス対抗選抜リレーである。私は、リレーチームのメンバーと奇抜な作戦を練り、必勝を期した。それは、男女混合のチームにあって、勝敗を決める最終走者(アンカー)に、敢えてN子という女子を起用するというものだった。女子といっても陸上部のエースであり、女子の中では脚力はナンバーワンである。アンカーにつなぐ前数人の選手に男子で最も早いメンバーを置いて、それまでに大きく他のチームと差をつけておき、その貯金を最後まで保って逃げ切りゴールするというものだった。
リレーが始まり、作戦どおりわがチームはトップを快走した。そしていよいよアンカー勝負である。他チームとはグラウンド約半周分もリードしている。「よし、勝てるぞ!逃げろ!N子!!」必死で声援を送る。ところが他チームは、定石どおりアンカーに最強の男子ランナーを温存している。案の定、他チームはそれぞれ、物凄い勢いで猛追を始めた。「うわあ、早い。」そして、みるみる縮まる差・・・。結局、ゴール直前で男子に抜かれ、優勝は逃したものの、それでも何とか2位に食い込んだのだった。湧き上がる歓声と溜息。アンカーのN子は、責任を一身に背負ったような泣きべそをかいている。「N子、よく走ったよ!お前のせいじゃないよ。仕方ない、仕方ない!」私はそう言って精一杯彼女を慰めた。
何だか私は一仕事終えたような脱力感で、競技が終わったグラウンドに悄然とたたずんでいた。その時、何だか熱い目線を感じて、様子を見ると、Y子の訴えるような眼差しがそこにあった。
(Source:京都新聞)
その日、三々五々に学校から帰る道すがら、たまたま私の100メートルほど前を歩いていたY子は、ずっと私を意識しているようだった。道が分かれる十字路で、Y子はまるで私との距離を測っていたように振り返り、遠慮気味に手を振るのだった。それに気づいた私は、つられるように小さく手を振り返すと、ふと、Y子との距離を身近に感じた。
それ以来、Y子をはっきりと意識し始めた私は、事あるたびにY子に対して、他の女の子に対するのとは明らかに違った、何故だかしかし、ちょっと意地悪な態度を取るようになった。廊下ですれ違っては、授業中にY子が行なう質問の内容について批判をしたり、掃除当番の時にはわざと取りまとめの役をやるよう頼んだり、Y子が自習しているそばで他の仲間と大きな声で雑談を始めたり・・・。
そしてある日、廊下の会談でY子とすれ違った私は、突然、Y子を呼び止めた。
「おい、Y子」
するとY子は、ちょっと戸惑ったような様子で、
「え?何、T君・・?」
ときいた。
私は廊下の登り方向から、下にいて私を見上げる形の位置にいるY子を見つめて、唐突に告げたのだった。
「あのさ、付き合うか?」
翌日、Y子は、手製のとても可愛いラブレターを用意して、私に直接渡してくれたのだった。そこには、「昨日はびっくりした、またいつものように怒られるのかと思った。でもとっても嬉しかった。だって、好きだったんだもの。ちょっと突然だったけど・・。これから、たくさんたくさんお話したい。」などといった内容のことが、思いを込めて書き綴られていた。
「Y子、運動会のリレーが終わったあと、俺のことずっと見てただろ?あれは意識しちゃったんだけどさ、何だったの?」
「T君が、N子を優しくなぐさめてたから感動してたのよ。あの場面って、正直言ってN子がつらい、損する役割だったじゃない?もちろんわざと仕向けたんじゃないことくらい皆知ってるけどさ、結果的にああなって、クラスの女の子は心のどこかで彼女に軽いジェラシーを感じたりしてたから、N子がT君に厳しい言葉を言われることを暗く期待したりしてたのよね。」
「ええ?そんな。あそこでそんなひどい事言う訳ないじゃんかよ」
「そうよねえ。女の子って嫌ねえ。」
「そういえばY子は普段、N子とあまり仲良くない感じだもんな?見てると。今思いついたけど」
「ふふっ、そうかもね。でも、あれで何だか吹っ切れた感じになっちゃって、T君にはまいった、って思っちゃったのよ」
「そうか。で、その思いがこっちに伝わって、それから俺がY子を意識するようになっちゃって、・・・か。なんだか面白いね」
「そうね!でも素敵なきっかけだったのね、お陰でこうして、好きな人とお付き合いすることになったんだもんね!」
それから交際を始めた二人は、お互いを自宅に招いて家族に紹介したり、映画を観たり、公園に行ったりと、楽しい期間を過ごしていった。Y子の自宅では、大学の休みで東京から帰省していた姉が私を首実検にかけた挙句、「うーん、Y子には負けたわ!」と言って笑ったものだった。私の自宅では、ピアノを習っているY子に、音楽の教師をしている父親からの入れ知恵でモーツァルトをリクエストして、薀蓄をたれる真似事などをした。当時大ヒットしたギャング映画を一緒に観に行ったときなどは、マフィアの親玉が自分の愛馬の首を切られてベッドに入れられて絶叫するシーンでY子が気持ち悪くなり、映画館を出て何とか気持ちをなだめて、苦笑しあったりした。それなりに幸せな時間だった。
秋が過ぎ、冬を越して、私たちは高校進学のための受験シーズンへと突入した。私は、県内上位の進学校へと進むのに大きな問題はなかったのだが、Y子はボーダーライン上にあった。色々と相談するなかで、Y子は周囲の薦める「安全策」である、第二ランク群の高校を受験するのだと思っていた。万一不合格になると、地方ではめずらしい私立の高校に行くか、高校浪人をするかのどちらかを選ばなければならないのである。それは大きなリスクに思えた。しかし結局、Y子は、私と同じ高校にチャレンジするという。
心配になった私が真意をたずねると、Y子は、「わたし頑張ってみる。失敗するかもしれないけれど、どうしてもTくんと一緒の高校に進みたい!」と言うのだった。
私は祈るような気持ちで合格発表を待った。
4月初め、やや遠い場所にあるその高校へ自転車通学をする時に、毎朝、Y子を誘って一緒に登校するのが日課となった。Y子は、見事に合格したのだ。
高校に進むと、私はあらゆる面で大きなカルチャーショックに襲われた。今まで、同じ市内の狭いエリアで和気あいあいとやっていたのが、いきなり県下全域から、優秀な同級生が集まってきている。同じ県内でも、微妙に言葉使いや訛りが違った。当然細かい習慣や行動も異なったりする。下宿に住まう者もいる。私は、こうした新たな環境の中に置かれて、周りの同級生とどう伍していくべきか、かなり大きなプレッシャーを感じたのである。部活も、そのまま剣道部に入ったが、ここでも県下の強豪がズラリと肩を並べていた。第一、地元の国立大学に団体戦で軽く勝ってしまうのである。幸い、技術で遅れをとることはなかったものの、部内では高いレベルの競争があり、また、先輩との付き合い方などにも神経を配る必要があった。ここでも先輩は異人種に見えた。勉強のレベルもはるかに高い。最も衝撃を受けたのは数学の授業であった。論理展開を証明する論述方式の設問には、当初全くついていけず四苦八苦した。遅れを補うため、特別に補習塾にも通うようになってしまった。
そうこうするうちに、私はだんだんと、Y子との距離が遠くなっていくのを感じた。連絡を取らない日が多くなった。自然と、朝の登校にいっしょに誘うのも途絶えてしまった。
そんなある日のことだった。
「ちょっとT君。最近どうしたの?Y子とあまり連絡とってないらしいわね。Y子、心配して落ち込んでるわよ。たまには連絡とってあげなさいよ。Y子、T君と一緒に行けるからって精一杯背伸びして頑張って、この高校に来たのわかってるじゃない。」
「うん・・。そうだね、連絡してみる。最近ちょっと色々と余裕なくてさ」
私はその時、やはり同じ中学から高校に進んだ、Y子と仲の良いA子からの忠告も、何となく上の空で聞いていた。
数日後、それでも一度はやはり連絡するべきだと思い直した私は、久しぶりに自宅にY子を招くと、言った。
「Y子、ごめん。最近Y子に連絡してないよね。何だか余裕なくて、さ。」
「それは・・いいんだけど。最近、どうしたの?」
「自分でも良くわからないんだけどね、何だかまとまらなくてさ。」
「・・・そう。もう、わたしのこと思ってくれてないのかな」
「・・・・・」
「もう、会わないの?」
「そんなつもりはないんだけど、ちょっと色々とすっきりしなくてさ」
私は、まったく要領を得ない答えを繰り返すばかりであった。Y子ときちんと話をするつもりでわざわざ自宅に呼んでおきながら、自分が情けなくもあった。
言葉にならない思いを伝えようと、そっとY子の手を握ってみた。するとY子は戸惑いながら言った。
「・・・T君の気持ちが、私、よく判らなくなった。」
あっけない幕切れだった。その後、私からY子に連絡することはなくなってしまった。Y子からの連絡も当然、途絶えた。それから私は、次第にY子のことを気にすることが少なくなり、やがて、意識から消えていってしまった。
それから私は、目先の学校生活に追われ、大学受験準備に追われながら、思春期独特のモヤモヤの中に引きずり込まれて、出口のない航海を始めた・・。
当時学校で流行ったキャッチフレーズに、こんなのがあったのを思い出す。「さらば、灰スクール」。
結局、一浪した挙句、東京の大学に進んだ私は、上京すると、東京という大都会で、またしても様々なカルチャーショックを経験することとなった。だが、さすがに高校時代とは異なり、「東京」という巨大都市での生活は覚悟の上京だったため、また、大学のサークル仲間の多くが地方出身者であったことも幸いし、それなりに慌しくも楽しい下宿生活を送ることとなった。授業には出ずに、音楽サークルと麻雀に熱中し、それなりに多くのアルバイトも経験し、また少しの恋愛もした。当時の大学生にありがちな、学生生活を適度にエンジョイする、ごく普通の学生であった。
大学を卒業すると、民間企業のサラリーマンとなり、やがて結婚し、子供を三人もうけて、平凡な生活を送ることとなった。
いざ就職となった時、私は田舎に戻ることは考えなかった。田舎にはあまり多くの就職口がないのが第一の理由であったが、何となくつらい思い出が多い高校生活の記憶をフラッシュバックするのが嫌だったことも、戻りたくない大きな理由として、モヤモヤと心の中にあったことは間違いない。
その後、年齢を重ねていく中で、折にふれて、ふとY子との、短く、しかし楽しかった淡い思い出が、懐かしく思い出されることが多くなった。
「あの時、何故、あんな形で二人は終わっちゃったんだろう」
「Y子、どうしてるだろう」
「一度会いたいけど、会ってくれないだろうな。今更そんな虫のいいハナシなんかないさ」
「たぶん、もうとっくに結婚して、落ち着いた家庭を築いているんだろうな」
「まだずっと田舎にいるのかな」
「住所もそのままなのかな」
東京暮らしがすっかり長くなった私は、最近では田舎に帰るのもままならず、また、幸い実家に同居する弟家族に日々のことを委ねられるのをいいことに、法事がらみで何年かに一度帰省するのが関の山となってしまった。
ある日、会社から戻って何気なく、毎日の習慣でポストを覗くと、卒業した高校の同級生から、何十年振りかで高校の大規模な同窓会をやったという知らせが届いていた。何でも、学校設立○○周年にあわせて、当時の同級生全員を対象に、盛大な同窓会を実施したようである。その知らせの中には、同級生の氏名と、現在の連絡先や職業などが記載された分厚い名簿が同封されていた。
「へえ、大々的にやったもんだな。とても参加する気にはならないけど・・。でも、懐かしい名前もたくさん出てくるなあ」
当時を思い出しながら、面映い気持ちで名簿をパラパラとめくっていて、Y子のことを思った。
「そうだ。Y子は今どうしてるんだろう、ちょうどいい。このリストで大体確認できるな。よし、Y子、Y子、と。」
名簿は、当然ながら女子の場合、旧姓と現姓がきちんと併記されている。それは当然の配慮である。多くの女子は結婚して、姓が変わっているのだ。
「うわあ、同級生同士で結婚した奴らが多いなあ。全然知らなかったし、気がつかなかったな。へえ、彼らもか。まあいいや。Y子・・。あれ、名簿に乗ってないな・・?」
何度見返しても、旧姓の欄にも、またそれらしい住所にも、Y子の名前はなかった。

(Source:明善大)
<まさか・・。中途退学してしまったのか?>
<そんなことすら、気づかなかったのか?在学当時に?>
慌てて誰かにY子の消息を尋ねようとして、連絡できない自分がそこにいた。
しかし、何とか連絡して、せめて消息だけでも確認しなければ。そして、もし一度会うことが出来たなら・・。
私は、今更ながらにぼんやりと責任を感じた。
それから今日に至るまで、私は結局、何もできないままでいる。そして、Y子のことに思いを馳せている。
おそらくY子は高校を中退したのだろう。名簿を確認していて、仲良しのA子の名前も見当たらないことに気づいた。更に、当時とても仲の良かった、同じ中学出身者の多くも、名簿に名前はあるが、現住所や職場などがブランクのままの場合が多いことにも気づかされた。
私たちの、旧市内でのほほんと育ったメンバーの多くは、ひょっとすると、高校という大きな舞台で、それぞれにカルチャーショックに見舞われて、苦い思い出をこしらえてしまったのかも知れない。いや、それとも、それは単なる私の思い過ごしだろうか。
真相はわからない。
でも、Y子は、きっと地元で、幸せな家庭を築いているような気がする。考えてみれば、高校−大学−就職だけが人生ではない。過酷な勝負を続けるのは一握りの連中で充分だ。Y子はきっと、地元でしばらくの間、何かの職業に就いたあと、家族か親戚、あるいは職場の勧める縁談を通じて、良縁を得たのに違いない。
今度、帰省する機会があったら、それとなく、Y子の実家を通りがかってみることにしよう。通常ならとっくにどこかへ嫁いでしまっている筈だが、非常に低い確率だけれど、彼女が実家で家庭を築いている可能性はある。あるいは、法事のシーズンに家族連れで実家に戻っているところに出会うかも知れない。
家の中から楽しそうな団欒の声が聞こえてくると、その中心にはすっかりおばさんになったY子が、大きく成長した子供の様子に気を揉みながら、デンと構えているに違いない。当然ながら、中学―高校にかけての青春時代のほんの短い一時期を、私に振り回されたつらい思い出など、すっかりと忘れ、日々の生活を送っているに違いない。
私がその様子を外から窺っていると、気配を察して玄関から出てきたY子は、私に気づいてくれるだろうか。おそらく、しばらく考えて思い出すのだろう。そして、迷惑そうに言うだろう。
「あら、・・・。ひょっとして、Tさんでしょうか?あらあら珍しいですね、今頃。ご無沙汰どころではありませんわねえ・・。どうされたんでしょうか、突然に?何かご用ですか?」
私はきっと、深い感慨を覚えながら、言うだろう。
「あ、いや、全く失礼いたしました、突然に、ご連絡もせずにウロウロとしてしまいまして・・。いや、ちょっと法事があり帰省しておりましたもので、近くまで寄ったついでに、ふと、今どうしていらっしゃるかな、と思いまして・・。お元気そうで何よりです、本当に。いや、大変失礼いたしました。早々に失礼いたします。ごめんください」
私は、そそくさとその場を立ち去るだろう。当時のとても懐かしい、そして大切なY子との思い出は、何も言わずにずっと心の奥にしまいこむことを誓いながら。そして心の中で叫ぶだろう。「Y子、あの時はごめん!でも、幸せそうな姿を見ただけで本当に良かった。どうか、いつまでもずっとこのまま、幸せでいてください」と・・・。