零れ落ちていったものは・前 

2006年04月14日(金) 19時26分
 初秋の僅かに冷たさを帯びた風を浴びながら、読書をしていると足元に違和感を感じた。
 どこか温かくて、ふわふわとしたものが足元で動いている。
 自分に寄り添うコレが何かはすぐに想像できた。
 けれど、シーザーは認めたくなかった。
 それはシーザーにとって嫌いではないものの苦手な部類に入るものだからだ。
 出来れば見たくない、でも見なければコレを追い払うことも出来ない。
 たっぷり五秒間考えてから大きな溜息を一つ零すと、シーザーは本から顔を上げるとおそるおそる足元へと視線をやった。
 そこにはシーザーの想像した通りのものが、気持ち良さそうに身体を摺り寄せていた。
 トレードマークとも言える緑の風呂敷を今日も背負った、全体を茶色の毛で覆われたそれはビュッデヒュッケ城の人気者・コロクである。
「コロク!お前は何でしょっちゅうオレんとこに来るんだ!!」
 素早く両足を上へと上げると、コロクはくぅんと寂しそうに鳴きながら、シーザーの腰辺りにやってきて今度は鼻を擦りつけてきた。
「バ、バカ!!誰がオレに寄れっつったんだよ!?あっちに行けー!!!」
 シーザーの言うことに従うどころか更に強く鼻を押し付けてきたコロクから逃げるため立ち上がろうとした瞬間、コロクに真のご主人であり炎の運び手のリーダーであるヒューゴが駆け寄ってきた。

零れ落ちていったものは・中 

2006年04月14日(金) 19時25分
「コロク!!」
「ヒューゴ!コイツを早くどっかにやってくれ!!」
 主人を見つけたからか、それともシーザーを揶揄うのに飽きたからかコロクはあっさりとヒューゴの方へと走って行った。
 シーザーは自分から離れていく緑の風呂敷を眺めながら、安堵の溜息を零した。
 犬は一般的に賢いと言われているが、この城で飼われている五匹の犬はどうも学習能力がないらしい。シーザーにいくら追い払われても懲りずに懐いてくる。周囲の人間はどこをどう見ているのかその光景を微笑ましいと評するが、当のシーザーにとっては迷惑極まりない話だった。犬好きなら嬉しいかもしれないが、シーザーは犬が苦手なのだ。犬に好かれても全然嬉しくない。
 大体、戦時中の軍で犬が飼われているというのがそもそもおかしい話なのだ。
 コロクを抱いたヒューゴは無邪気な笑みを浮かべながらシーザーに近寄ってきた。
「ヒューゴ、取りあえずコロクをここ以外の場所へやってくれ・・・・・」
「おれ、ずっと抱いてるよ?」
 そう言いながらもヒューゴはコロクを反対方向へと放ってから、シーザーの隣に腰を下ろした。
 疲れた表情で去っていくコロクの後姿を見ているシーザーを見て、ヒューゴはおかしそうに笑い始めた。
「シーザーって本当に犬嫌いなんだね」
「嫌いというよりも苦手なんだよな・・・・」
 シーザーは燃えるような赤い髪をくしゃくしゃっと掻き混ぜながら、ぼそりと答えた。
 そう、嫌いなわけではない。
 小さな身体に愛らしい目で人懐っこい犬を可愛いとは思う。
 けれど苦手なのだ。
 どうしても受け入れることが出来ない。

零れ落ちていったものは・後 

2006年04月14日(金) 19時22分
「ふぅん。コロクたちはシーザーのこと大好きなのに」
「お前、面白がってるだろ?」
 シーザーの言葉にヒューゴはからからと笑っているだけで答えない。
 絶対に面白がってる。
 呆れながらヒューゴを見ているシーザーをよそに、隣に座る少年は無邪気に問いかけてきた。
「嫌いじゃないけど苦手って、むかし犬に噛まれたことがあるとかそういうの?」
「・・・まぁ、そんなとこかな?」
 ヒューゴの問いを笑いながらやり過ごすと、コロクが去って行った方向から今度はヒューゴを探す声が聞こえてきた。
「ほら、探してるぜ」
「母さんだ、やばい・・・・ じゃ、おれ行くね」
「ああ、行ってこい」
 ひらひらと手を軽く振ってヒューゴを送り出すと、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
 シーザーは自分の掌を見つめて、小さな呟きを落とした。
「むかし、犬にでも噛まれたことがあるか・・・・」
 ヒューゴの問いは半分正解で半分間違いだ。
 確かに自分は犬に噛まれそうになったことはあるが、実際に噛まれたのはシーザーではなく、現在敵対勢力に属する実兄・アルベルトだ。
 シーザーを庇ったアルベルトの右腕には引き攣れたような傷跡が残り、それは一生消えることはないと医師から断言された。痛々しい傷跡を見て、シーザーは泣きながらアルベルトに謝罪した。声が嗄れるまで何度もごめんなさい、と謝り続けた。泣きじゃくるシーザーよりも、怪我を負ったアルベルトの方は酷く穏やかな表情を浮かべていた。いくら医師に手当てしてもらったとはいえ、痛みがそう簡単に消えるはずもないのに、アルベルトは柔らかな笑みすら浮かべて、シーザーが泣き止むまで何度も頭を撫でてくれた。
 犬を見ると思い出すのは今はもう遠い昔の優しい思い出だ。
 壊れるなんて考えもしなかったアルベルトとの日常と情を伝えてくれたあの温かな掌のぬくもり。
 犬はもう二度と掴むことができないかもしれないものを思い出させる。 
「だから、苦手なんだ・・・・」
 シーザーの力無い声は晴れた森の中へと吸い込まれ、跡形もなく消えてしまった。

最後に向かう場所 

2005年11月12日(土) 17時51分
 昨日まではまだ秋の温もりが漂っていたロックアックスの街も、一晩でがらりと装いを変えてしまったらしい。冷たい風が石畳の街を駆け抜けては、冬の訪れをロックアックスの民に告げていた。街を歩く誰もが首を縮こまらせ、足早に歩いていく。久々の休息日に街に買物に出かけてきていたカミューも、ぎっしり詰まった紙袋を両手で抱えながら、ロックアックス城への道程を辿っていた。
 城へと繋がる緩やかな坂道を歩いていると、小さな子供たちが大きな笑い声を上げながら、カミューの横を駆け抜けて行く。日はもう落ちかけている。友達と遊ぶ時間は終わり、彼らは優しく出迎えてくれる両親の元へ帰るのだろう。
 幸福そうな光景にカミューの口元を緩ませながらも、歩調をやや速めた。子供たちの幸せそうな顔を見ていたら、自分まで早く戻りたくなってしまった。子供とそう変わらない自分に呆れながらも、帰るべき場所を持つ喜びに大人も子供関係ないだろうと思い直して、先へ先へと進む。堅牢な石造りの城へは確実に近付いていた。

この距離がもどかしい 

2005年06月29日(水) 21時25分
 身体に触れることはなんて簡単なんだろう。
 ちょっと腕を伸ばせば、自分とは違う大人の男性に近い身体に触れることができる。
 触れた先から温かな体温が伝わってくる。
「和谷?どうかしたのか?」
「なんかゴミ付いてたように見えたんだけど気のせいだったみたい」
 本当はゴミなんて付いてなかったけれど、にっこりと笑って誤魔化す。こちらの笑顔につられたように伊角も笑い返してくれた。
 出会ってから2年。
 月日が流れると共に色んな距離が縮まった。
 最初の方こそお兄ちゃんと弟のような二人だったが、和谷が1組に上がり一緒に過ごす時間が増えていくにつれ変化していった。どことなくぎこちなかった雰囲気は消え、次第に仲の良い友達になり今では周囲にも親友と認識ぐらいにまで二人の距離は縮まった。
 だけど、そこまでだ。
 これ以上、距離を縮めることは不可能だと和谷自身、嫌になるほど分かっている。
 けれど、まだ期待を捨てきれずいるのも事実だった。
 物理的な距離を詰めるのは簡単だけど、精神的な距離を縮めるのはなんて難しいんだろう。   
 思わず漏れそうになる溜息を堪えながら、何も気付いていない伊角に小さく笑いかけた。

 自主的課題さま この距離がもどかしい

たったの一歩、おおきな一歩 

2005年06月16日(木) 19時33分
 「・・・悪かった」
 感情を一切遮断したような声で一言謝罪すると、カミューは呆然と立ち尽くすマイクロトフを残して、石畳の路を駆け抜けて行った。
 夜目にも鮮やかな赤い騎士服の後姿をただ見送っていたマイクロトフは、その姿が暗闇に完全に紛れてしまってから、カミューの辿った道を追いかけ始めた。寒さで足が縺れそうになりながらも、闇の向こうに消え去ってしまったカミューに追いつきた一心で走り続けた。 
 自分がなぜこんなにも必死になってカミューを追いかけているのか、マイクロトフ自身もよく分かってはいなかった。
 カミューに追いついたときに言うべき言葉をまだ見出せずにいるのに。
 何を話しても元のような一緒にいて居心地が良い友人関係には戻れないことだけは分かっていた。
 それにカミューだってただの友人という関係に戻りたいとは思っていないはずだ。友人という関係に満足しているのなら、何もかもを諦めたような目でマイクロトフに想いを告げたりしなかったはずだ。
 二人の関係は大きく変わってしまったのだ。
 それが良いことなのか、悪いことなのかはマイクロトフにはまだ判別ができないけれど。
 これから先、カミューとの関係がどう変わってしまうのか不安を抱えつつも、マイクロトフは少しでも早く追いつけとばかりに、前へ前へと突き進んだ。   
  *
 自主的課題さま たったの一歩、おおきな一歩

その手をとって 

2005年04月24日(日) 15時43分
 紅葉のような白くて小さな手を取ったときの感動を一生忘れない。
 一目で異邦人と判別できる蜂蜜色の髪と琥珀色の瞳のせいで、良くも悪くも目立っていた自分に差し出された温かな掌を、最初は疑わしく思った。どうせ、好奇心や憐憫の情からの行為なのだろうと。
 そんな自分の心の内を読んだかのように、少年は白い頬を林檎みたいに真っ赤に染めて、ただ一言友達になりたいと大きな声で告げてきた。
 「友達」という言葉にくすぐったさを感じながらも、無意識のうちに差し出された手を強く握り返していた。
 少年は握り返された手の力強さに僅かに驚いたものの、すぐさま花のような笑みを浮かべた。

 これから十数年後に再び彼らはお互いの手を取ることになる。
 それは友愛の情からではなく、もっと深くて愛おしい想いからの行為だが、それはまだまだ先の話だった。
 *
 自主的課題さま その手を取って

待ち合わせ、五分前 

2005年02月18日(金) 21時05分
 待ち人で溢れ返るこの場所で、見知った顔が視界に飛び込んできたのは偶然だった。 
 癖の強い茶色の髪に零れ落ちそうなほど大きな瞳の持ち主は、しきりに辺りを見回している。まるでその姿は好奇心旺盛な仔犬のようで、無意識に口元が緩んでしまった。
 院生仲間である彼とは居住地区が違うために、棋院以外で会うことなどほぼない。研修もないただの休日に会うなんて、奇跡にも近い偶然だった。
 誰かを待っている様子だったので、彼も待ち合わせのためにここにいるのだろう。声を掛けようとした刹那、不意に思いとどまった。
 彼は院生仲間の女の子たちからの人気も高いが、本人は彼女なんていないと言っている。本当は院生仲間には内緒にしているだけで、彼女がいるのかもしれない。
 一歩踏み出した足を元に戻し、見つからないようにこっそりと視線を彼へと向ける。そわそわと落ち着きない様子でまだ辺りを見回している。その態度でただの友達との待ち合わせではないと予感が強まった。
 同じくらいの待ち遠しさで彼の待ち合わせ相手の登場を期待していると、やって来たのは自分もよく知っている相手だった。
 プロ顔負けの実力を持つ、心優しい院生仲間。
 やって来た彼は待たせた詫びをしているらしく、手を合わせて数回頭を下げている。待っていた彼は悪戯っこのような顔して応対している。
 その光景と相手がやって来たときの彼の笑顔を思い出して、二人の関係を不思議なくらい簡単に理解してしまった。
 二人が会った瞬間に浮かべた表情は、ただの友達に向ける笑顔ではなかった。
 それはとても大切な人間にこそ相応しい、まるで花が綻ぶような笑みだった。
 *
 [自主的課題]さま 待ち合わせ、五分前

神様がいるとしたら 

2005年02月11日(金) 21時02分
 マチルダの民は信心深さは都市同盟一と言われている。
 ロックアックス城下にも幾つもの教会が存在していて、民は休日の朝になると熱心に通いつめ、司祭の言葉に耳を傾ける。
 ロックアックスで生まれ育ったマイクロトフもまた例に漏れず信心深く、騎士団に入団後も城内に建てられた教会へと足繁く通っているのだから、大したものだとカミューは密かに感心さえしていた。信心深いマイクロトフに対して、カミューは信仰心というものを持ち合わせていない。それはカミューが目に見えない神ではなく、自然を崇拝するグラスランドで生まれ育ったのが主な原因なのかもしれない。
 すでにグラスランドで過ごした年月よりも、マチルダで暮らした日々の方が長くなってしまったが、未だにカミューの中に信仰心は芽生える気配はない。
 信仰心が生まれるどころか、神に対する不信感ばかりがカミューの中で募っていく。
 唯一無二の親友に友情以上の感情を抱いている人間を罰することしない怠慢な神の存在を、カミューは信じることはできなかった。
 それとも。
 神を信じることが出来ないから、大切な親友にこんな思いを抱いてしまったのか。
 どちらにしても、マイクロトフが信仰する神は自分を救ってはくれない。
 これだけは確かだった。
 *
 [自主的課題]様 神様がいるとしたら

心揺らす・前 

2005年01月10日(月) 16時18分
 和谷にとって伊角に名前を呼ばれることは好きなものの一つだった。
 初めて伊角に名前を呼ばれたときのことは今でも鮮明に覚えている。
 まだ院生になったばかりの頃、2組在籍の和谷にとって1組上位の伊角は文字通り、雲の上の存在だった。
 対局をしたことはおろか話したことさえなかったが、同じ空間にいれば声くらいは自然と耳に飛び込んでくるので、話し声くらいはもちろん聞いたことがあった。
 でも特別印象に残る声だとは思わなかった。
 すっと入ってきてすっと消えて行く、そんな大勢の人の声と同じ印象しか持たなかった。
 けれどちょっとしたきっかけから雲の上の存在は身近な人になり、親しげに自分の名前を呼ばれるようになってから、和谷は初めてその声の心地良さに気付いた。
 高過ぎずかと言って低いわけもない柔らかくて優しい声音で呼ばれると、自分の苗字が誇らしくさえ思えるくらいだった。
 話しているときの声も好きだったが和谷の一番のお気に入りは、やはり自分のことを呼ぶときの声音だった。
 もっとあの声が聞きたい。
 そんな単純な理由から和谷は子供っぽい悪戯をしてみたり、呼ばれていることに気付いてもわざと聞こえない振りをしたりしてみたりした。そうして伊角に自分の名前を必要以上に呼ばせてみたりした。
 自分でも子供っぽいことをしていると分かっていたし、止めなければいけないことだということを和谷は勿論分かっていた。
 そう思ってはいても院生研修に行き、会って名前を呼ばれれば嬉しい。そしてまた伊角に小さな我儘と言ってみたり悪戯を仕掛けたりしてしまう。
 そんな自分に小さな自己嫌悪を感じながらも、結局は止めることの出来ない日々は何時しか和谷の日常となっていった。
 その日は突然やってきた。
 何時もと変わらない院生研修の朝だった。市ヶ谷の改札口から掃き出された人の波から抜け出した和谷の先に見慣れた人の姿があった。
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