11月3日〜グループホームに入る事になりました。 

October 04 [Tue], 2005, 20:03
 新しい生活になります。 心配ところありますがでも、楽しいところもあります。
家族はなれてクラスは、花田養護センターの時からはなれて生活をしていました。
なれていますから、頑張ります。
花田養護センターの時は一日の生活は歩行器でした。たまにころんでしまいましたけれど、頑張って歩きました。
だけれど訓練土さんのPTの人は、ほそうぐをはいて歩いていました。
うちがわに入ってしまうから、PTでは最初に足をのばしてから訓練をやりました。

ルンバール(腰椎穿刺) 

September 18 [Sun], 2005, 15:34
ルンバール(腰椎穿刺)

1、 目的
くも膜下腔に穿刺針を刺入し、隋液の物理的・化学的・血清学的および細菌学的性状の検索を行い、各種疾患(特に神経系の疾患)の診断に用いる。通常は腰椎戦死を行う。
2、 適応
髄液圧の測定、髄膜炎の診断、くも膜下出血の診断、脊髄くも膜下腔の閉塞の診断
3、 必要物品
ルンバールセット、18G針、21G針、10tシリンジ、1%キシロカインゼリー、
スパイナル針、滅菌手袋、イソジン、滅菌試験管(2本)、エアーストリップ、
バスタオル、蒸しタオル
4、 手順
検査の目的、検査手順などを検査前に患者に説明しておき、お手洗いを済ませておくよう説明する。
@ 検査体位をとらせる。
    ・ 患者に背を丸めるよう説明し、膝と胸をひきつけるような姿勢をとってもらう。
    ・ 看護者は医師と反対側で患者の首と膝を支え、体位を固定する。
A 部位の消毒、穴あきシーツを掛ける。
  ・ 看護者はルンバールセットを無菌操作によって開き、消毒の準備をする。
B 局所麻酔、穿刺をする。
・ 術者にシリンジと18G針を渡し1%キシロカインをすってもらい、21G針を渡す。
・ 看護者は体位を固定し、患者に腰を引かないようあらかじめ声をかける。
C 初圧測定、髄液採取、終圧測定。
・ 初圧と終圧をメモする。
・ このとき、クェッケンステットテストを指示されることがある。クェッケンスッテットテストとは、脊椎くも膜下腔での通過障害が疑われるとき、腫瘍、脊髄骨折または脱臼等の診断に用いる。正常では両側頚静脈を圧迫すると髄液圧は急速に10mmhg以上に上昇し、圧迫を除くと速やかに戻る。これがこのテストにおける陰性となる。頚静脈圧迫によっても髄液圧の上昇がない場合はくも膜下腔の閉塞を考える。
D針を抜き消毒、エアーストリップをはる。
・患者に終了した旨を伝え、蒸しタオルでイソジンを拭き取り、衣服を整える。
E患者の観察をする。
・安静度を患者に伝え、その後の観察をする。終了後は枕はせず仰臥位の姿勢を、守ってもらう。

ゴールとは何か 

September 18 [Sun], 2005, 15:27
ゴールとは何か

 みなさんは今、何のために勉強をしていますか?とりあえずは、大学進学のためだと思いますが。そして、大学に入ることもしくは自分がなりたい将来の職業に就くことがゴールだと思っていませんか?
 私は今、看護師として長野日赤で働いています。看護師になったばかりで、国家試験に合格したときは、「やっと長年の夢が叶ったんだ」と実感しました。しかし、よくよく考えてみると(これが一番いいたいことなんですが)私の長年の夢であった「看護師になる」ということは、ひとつの通過点でしかないことに気づきました。つまり、国家試験に合格するまでは、私のゴールは「看護師になること」ではなくて、いつのまにか「看護師国家試験に合格すること」にすりかわっていたのかもしれませんね。
 さて、私がいつこのことに気づいたかというと国家試験に合格してからしばらくしてなんですけど。それまでゴールだと思っていた地点を通過してしまったわけですから、また新しいゴールが欲しくなるわけで。よくよく考えると、私が高校生のときや学生のときに思っていたゴールってゴールじゃなくてただの通過点でしかなかったのかもしれませんね。

大学に入ることがゴールじゃないこと 今夢がないのなら、大学に入って探せばいい。だから、そのために今やっていることは無駄にはならないし、大学の授業も無駄にはならない(と思う)(自分にやる気さえあれば)。 常に自分はどうなりたいのか考えることもいいんじゃない?

は、この秋からグループホームに入る 世話人さんと、お友達とすむ始める最初は世話人 

September 03 [Sat], 2005, 11:06
私は、この秋からグループホームに入る 世話人さんと、お友達とすむ始める最初は世話人さんとやって行けるか心配ところもありますが、頑張りたいと思います。
グループホームは、世話人さんは4人います。入る人たちは4人です。
世話人さんたちはやきんもあるから、昼間は3人だけいるます。
母が入院している時からグループホームの話しが、お姉ちゃんが聞き始めました。
最初は私入るのは、反対だったですが、どうして反対だった言うとそれはグループホームが何んかわからなかったでした。
父と、兄はグルーブホームは、反対でしたが兄は、一人では出来ないからしょうがないって言っています。
11月になったらオープンです。
母が入院中時に、(マイステップ)の池田さんが私の家まで、来てグループホームの事を話しに来ました。
でも、私はこう思いました、いつかぱ父はなくなるから、兄と姉はけっこんをするから、私はそろそろ家を出て行きたいと思いました。
母がなくなってしまいましたその大きいと思います。
去年の8月26日の日になくなりました。
子供は兄と姉は休みがとって、実家に行きました。
おわかまで、私はお和歌車椅子だとむずかしいです。
従兄弟の子供がおんぶをしてくれました。
車椅子は跡から兄か・父持って来ます。

長野のアパートにいた時 

August 02 [Tue], 2005, 15:06
お姉ちゃんと、お兄ちゃんは高校は長野の学校にいきました。それでアパートにすみ始めました。その時に兄は、パイトの帰りにじこにやりました。父におこられました。
母は、いたけれど、こしのエルニアをしていましたから、花田養護センターの迎えは、母は車の運転はしないで、父がしました。
私のことろおろしたりあげたりは、父がやりました。 私の迎えはだい2と・だい4の金曜日の夜の7時頃に迎えが来ました。センター連絡帳と・学校の連絡帳読んだのは、母と、姉が書いてくれました。 兄と、父はやらかったでした。
母が入院をしました。その時のお母さんやくが姉だった入試頃の時だったから、私のめんどうは一番上に見てもらいましたが、私はないてしまいまはした母のところに行きたいと思いました。兄と、姉にかまってもらいました。
あそびました。

長野のアパートにいた時 

August 02 [Tue], 2005, 15:04
長野のアパートにいた時
家のお兄ちゃんが、高校の時パイクを乗って、じっこをした。親におこられていました。
家の父はおこつたらこわいです。土曜日夜におこられていました。
私と、姉はちがう部屋に行って遊んでいました。
母は、日赤の病院に、入院をしていましたこしのヘルニヤのおべをしましたがしっぱいをしてましたので、しみん病院もう一回おべをしました。
私の迎えは、だい2と・だい4の金曜日の夜の7時に迎えが来ました。父この時に、日赤に行きました。
母に会いに

つづき 

July 31 [Sun], 2005, 14:23
東京ディズニーシー
早かったでしたので、眠かったから車の中で眠ました。
おとなむけと思いました。

つづき 

July 31 [Sun], 2005, 14:21
京ディズニーシー
早かったでしたので、眠かったから車の中で眠ました。
おとなむけと思いました。

東京ディズニーリシート行きました。 

July 24 [Sun], 2005, 10:58
私と、姉は4時におきましたが、市川さんの家族と待ち合わせは、4時30分に待ち合わせだったでしたが、家のほうは4時におきて玄関のところでまっていましたがなかなかこなかったから5時30分に来ました。
姉が、グループホームに入る前にどっかに行きたいネって行っていましたがなかなか2人で行くのはあぶないし、姉に一人やらせるとってもむりですから、市川さんの車で行きました。市川さんのだんなさんと、おくさんと、中学1年生の、けい君と一緒に行きました。こうそく乗りました。ついたのが11時につきました。まずは、ついたらお昼ご飯を食べました。それから乗り物に乗りました。フト−ムラィダーハアシと、ブローフィシレズイタクラ乗りました。
けっこう楽しかった。
車椅子で乗り物は2つしか乗れる物がなかったでした。
6時55分に車に乗りました。家についたのが夜の10時30分につきました。

兄が東京の専門学校に行っていました 

May 31 [Tue], 2005, 14:33
下諏訪町から東京に行ったほうが早いから私は、花田養護センターに送って行きました。
母と、父は東京に行きました。車でこうそくを使って、行きました。
花田養護センターの看護婦と、看護しと、保育しさんたちと一緒に遊んだり、まんがのピデオを見たり、散歩に行きました。
夜はシーツプランコをしましたり、2回と、訓練の職員方いるところです。夜の時間たいはPT、OT,ST,心理の職員がいました。散歩に行った時話しをしました。学校ではないほうのおべ頃3回に行きました。
南等は、6時〜夕飯ご飯だった介助しょの人が、私たちご飯のセットをしましたけれど、お昼ご飯の時メニューにメンが出たら、全介助職員が一人で皆のところを見て最後のことろを、食べさしてもらていました。
食べて終わったけど、職員がちょっとまっているほうが大かったでした。
学校の先生方お願いをしてもらってご飯介助をしてもらっいました。本当はいけないけれど、病棟の職員のたちの手がたりなかったでしたけど、学校の先生方のお昼休みがなくなってしまいのます。
お昼のメン手伝ってくれました。柏尾さんと、柴田さんと、倉沢さんと、山本さんと、方に介助をやってもらいました。
とても食べ良かった。
中学部頃から右手の緊張が出てました。
首の緊張はなかったでした。