スポーツ若手育成システム研究会 フランス編 

January 08 [Tue], 2013, 15:13
「フランス編」2003/04/19/

 私がフランスのスポーツ界に興味を抱いたのは、フランス・ワールドカップでの成功、シドニー・オリンピックでの活躍などがきっかけです。サッカー批評に出ていたオセールの特集から、地域におけるスポーツクラブの充実もすばらしいと知っていました。しかし、日本が参考にしようとしているドイツの総合型のスポーツクラブに比較すると、フランスの情報は少なかったのが現状でした。そこで、海外に旅行するならフランスにも行きたいと思い、大学院1年の2001年1月にフランスに滞在した1週間を通して見てきたこと、またそのために下調べとして集めた資料、その後集めた資料を参考に、フランスにおけるスポーツ界の若手育成システムについて述べていきたいと思います。



(1)INSEP

 INSEPという組織をご存知でしょうか?日本語に訳すと、国立スポーツ学院といったところでしょうか。スポーツ省が管轄する国立のスポーツセンターです。日本で言う、国立スポーツ科学センターですね。この施設では2000年において、陸上競技やバレーボールなど、全国36の競技団体に所属する900人の選手を受け入れました1)。INSEPには最高400人まで生活できる住居施設があります。日本における国立スポーツ科学センターでは短期による滞在型であり、常駐型の施設ではないことからみても、国を挙げてのスポーツ政策の一環であることを感じます。実際、1996年のアトランタ五輪では、フランスが獲得した37個のメダルのうち20個をINSEPの選手たちが獲得しました1)。私が訪れた時は2001年でしたので、ちょうどシドニー・オリンピックの時のメダリストがポスターになっており、ドイエ選手(柔道で金メダル。篠原選手との決勝戦の記憶は鮮明です!)が中心になってるポスターをもらった時はどう反応していいか困りましたが…。

 INSEPは、単に国際大会で活躍が期待できる選手を育成するだけではなく、研究者レベルでの交流も行われています。日本からもコーチなどで行っている人はいると思います。私はアポなし(まあ見学したかっただけだし、当然といえば当然ですが)で見学しようとして行きましたが、国の機関であるため、入り口の門で呼び止められ、外に出て行くことに…。ただそれでは口惜しいので、英語の分かる人に質問してみました。

「ここに住んでいる選手はいくら払っているんですか?」

「それは生活費や学費のことを聞いてるのかい?」

「施設利用費も含めて、ここでの滞在、学費などにかかるお金です。」

「それなら、フリー(無料)だよ。国から出てるからね、金が。」

という話でした。聞いた途端に「本当?」って聞いてしまいましたもんねぇ。でも、サッカー選手として1人の子供を育成するのに年間約170万円かかるのに、個人負担は4万円ほどで、ほとんどはフランス・サッカー協会、プロ・リーグ連盟、青少年スポーツ省が分担する2)国ですからねぇ。今なら驚かないけど、当時はビックリしました。



(2)育成方法に関する歴史的背景

フランスのサッカー組織について簡単に理解しておきます。国際サッカー連盟(FIFA)とヨーロッパ・サッカー連合(UEFA)に属するフランスサッカー連盟は、ジュール・リメを会長として1919年4月7日に発足し、現在200万人の公認選手を擁します3)。フランスサッカー界で選手育成の施策が始まったのは、1972年のことです。ジョルジュ・ブローヌの指導のもと、全国的なサッカー技術指導部門が創設され、同時に国立サッカー研究所が生まれたのが1974年。フランスサッカー連盟は自主性に任せる方針を取り、各地に育成センターが生まれるにつれて、しだいに規模を増していきました。1982年と86年のナショナルチームのもたらした結果が、この政策の成果をある意味でよく表しています。86年のシーズン末には、44ヶ所に育成センターがあり、ハイレベルの選手の大多数がその出身者でした。しかし、1987年以来のフランスサッカーの低迷が、早期の育成方法について、反省を指導者たちに促すこととなりました4)。その反省を生かすために、フランスサッカー連盟の計画と目標が定められてきました5)。



1 入門段階

 −責任者の育成に力を入れ、入門者に対する若い段階での専門化を行い、質の高い教育を目指す

 ―大都市での若者の受け入れを活性化し、ストリート・サッカーのような才能を伸ばす目的で、5人制あるいは7人制サッカーのようなしっかりしたゲームとのつながりを持たせる

 ―競技会の優勝狙いを避け、クラブ内でゲームの実践を重視する



2 早期育成段階

 ―中等教育1年生と2年生のために、時間を調整した練習クラスを増やす

 −サッカー特設練習のクラスを増やす(現在97あるが、200にするのが目標)

 ―全国大会に参加するクラブ内に練成センターを創設する

 ―トレーニングの手段としてゲームや競技会を増やす。目標として、次のような大会を行う(13〜14歳児にはユース・サッカー選手チャレンジ選手権/12歳児にはアディダス・コカコーラ大会)

 −国立サッカー研究所の研究目標として、クレールフォンティーヌ国立技術センターのなかに、国立早期育成センターを創設する。

 −早期育成を担当する、全国レベルの技術局長のポストを新設する



3 養成期(16〜18歳)

 −センターでの受け入れ体制を整える

 −選手と一般教育者の育成(コーチ:週に15時間、技術専門学校を重視する。例としてナントFCのハイレベルスポーツ学校のようなタイプが考えられる)

 ―育成センターの教育者の専門家をいっそう進める



以上が、フランスサッカー連盟が早期の育成を実践してきた歴史的背景です。1987年以来の低迷が大きな転機となっていることに注目すべきでしょう。それでは次に、実際の取り組みについて詳しく理解していきましょう。



(3)フランスサッカー連盟の政策

 大衆的なサッカーの発展、サッカーエリートの選抜、管理運営者の養成。以上がフランスサッカー連盟の追求する政策の3つの主軸であります6)。サッカー底辺の拡大を目指すところも、サッカーエリートの育成を目指す所も、日本の強化方針と同じ部分があります。ただ決定的に違うところが、管理運営者の養成の部分と言えるでしょう。分かりやすく言うとコーチの養成。プロコーチとして働くためには、国家免許を取らなければならない、というところにこのコーチを重要視しているフランスの姿勢が見えるのではないかと思います。

 

(4)まとめ

フランスに関して言えば、この育成システムがフランス・ワールドカップの成功、ユーロ2000大会の優勝にも繋がったにも関わらず、2002年KOREA/JAPANワールドカップでは1次リーグ敗退という成績であったことは、それだけサッカーが難しいという一面ではあります。

これからも日本は、育成システムの充実に努める必要があるでしょう。サッカー人口の拡大に向けて、普及活動も促進していかなければならないでしょう。ワールドカップではより好成績を求められます。私たちにできることは、ただ温かく見守っているだけでしょうか?育成システムにおいて先頭を走っているサッカー界の現状を理解し、そして参加していくことこそ、私たちにできる最大限の協力ではないでしょうか。何も海外の真似をしようというわけではありません。海外には海外で普及したやり方、そして歴史があるのですから、単純に日本で真似できないでしょう。

私はこれまで、海外におけるスポーツ界の育成システムに関する資料を集め、整理してきました。一人でも多くの人が育成システムについて理解し、日本のスポーツ界はどこへ向かおうとしているのか、そして私たちにできることは何かを考えることこそ大事だと思うのです。

スポーツのさらなる普及と発展を願って。

2003/04/19/ 27歳の誕生日を前に 岩崎朋之





参考文献

1) エリック・コリエ「ル・モンド」紙記者http://www.ambafrance-jp.org/franceaujapon_jp/presse_actua_jp/labelfrnce/labelfrance_40/no40/1-23.html

2) Number,Plus,World Cup1,2001,June, p78〜79,黄金時代は「INF」が創った

3) R・トマ/J・シェノー/G・デュレ著,山下雅之 訳「フランスのサッカー」(白水社),p96

4) R・トマ/J・シェノー/G・デュレ著,山下雅之 訳「フランスのサッカー」(白水社),p104

5)R・トマ/J・シェノー/G・デュレ著,山下雅之訳「フランスのサッカー」(白水社),p105-106

6) R・トマ/J・シェノー/G・デュレ著,山下雅之 訳「フランスのサッカー」(白水社),p131



参考資料

1.R・トマ/J・シェノー/G・デュレ著,山下雅之 訳「フランスのサッカー」(白水社)

 第5章 フランスのサッカー組織

 国際サッカー連盟(FIFA)とヨーロッパ・サッカー連合(UEFA)に属するフランスサッカー連盟は、ジュール・リメを会長として1919年4月7日に発足し、現在200万人の公認選手を擁する。これら多数の選手たちの試合を導くためには2万人以上もの審判を活用している。フランスのサッカーというもののために働くボランティアは数万人を数える。技術スタッフは9000人以上の専門家(監督・コーチ、指導員、教育者、初心者向き指導者)からなっている。p96



 3.選手の育成

 フランスサッカー界で選手育成の施策が始まったのは、1972年のことであった。ジョルジュ・ブローヌの指導のもと、全国的なサッカー技術指導部門が創設され、同時に国立サッカー研究所が生まれたのが1974年。フランスサッカー連盟は自主性に任せる方針を取り、各地に育成センターが生まれるにつれて、しだいに規模を増していった。1982年と86年のナショナルチームのもたらした結果が、この政策の成果をある意味でよく表している。

 86年のシーズン末には、44ヶ所に育成センターがあり、ハイレベルの選手の大多数がその出身者であった。しかし、1987年以来のフランスサッカーの低迷が、以下のような早期の育成方法について、反省を指導者たちに促すこととなった。

 これらは次の3点に要約できる。

 A 6〜11歳の開始年齢を、デビュタン(6〜8歳)、プッサン(9〜10歳)、ピューピル第1年(11歳)の3つのカテゴリーに分ける。

 B 12〜15歳の早期育成をピューピル第2年(12歳)、ミニム(13〜14歳)、カデット第1年(15歳)とする。

 C 本来の養成期間と考えられる年齢を以下のように分ける。カデット第2年(16歳)、ジュニア第1年(17歳)、ジュニア第2年(18歳)、ジュニア第3年(19歳)

 この3段階に効果的に沿った形で、フランスサッカー連盟の計画と目標が今後数年にわたって次のように定められている。



1 入門段階

 −責任者の育成に力を入れ、入門者に対する若い段階での専門化を行い、質の高い教育を目指す

 ―大都市での若者の受け入れを活性化し、ストリート・サッカーのような才能を伸ばす目的で、5人制あるいは7人制サッカーのようなしっかりしたゲームとのつながりを持たせる

 ―競技会の優勝狙いを避け、クラブ内でゲームの実践を重視する



2 早期育成段階

 ―中等教育1年生と2年生のために、時間を調整した練習クラスを増やす

 −サッカー特設練習のクラスを増やす(現在97あるが、200にするのが目標)

 ―全国大会に参加するクラブ内に練成センターを創設する

 ―トレーニングの手段としてゲームや競技会を増やす。目標として、次のような大会を行う(13〜14歳児にはユース・サッカー選手チャレンジ選手権/12歳児にはアディダス・コカコーラ大会)

 −国立サッカー研究所の研究目標として、クレールフォンティーヌ国立技術センターのなかに、国立早期育成センターを創設する。

 −早期育成を担当する、全国レベルの技術局長のポストを新設する



3 養成期(16〜18歳)

 −センターでの受け入れ体制を整える

 −選手と一般教育者の育成(コーチ:週に15時間、技術専門学校を重視する。例としてナントFCのハイレベルスポーツ学校のようなタイプが考えられる)

 ―育成センターの教育者の専門家をいっそう進めるp104-106



 ヨーロッパ各国の青少年サッカー 国名,子供の開始年齢,年齢別カテゴリー,ゲームの形態が示されている表,p124-130



 第7章 技術スタッフ

 1 全国サッカー技術指導局

 大衆的なサッカーの発展、サッカーエリートの選抜、管理運営者の養成。以上がフランスサッカー連盟の追求する政策の3つの主軸である。

 この目的のために、同連盟には以下のような構成で、テクニックに関する指導局が設置されている。

 −全国サッカー技術指導局長1名(技術指導政策を策定し、その組織化と管理を担当する)

 ―全国コーチ8名(技術指導局長の補佐を行い、現場でのスポークスマンとなる。いろいろなナショナルチームの指導という役割も担う)

 −地方技術アドバイザー27名(青年スポーツ省官房よりフランスサッカー連盟に出向。スポーツ指導員2級国家資格を持ち、ナショナルリーグのレベルを担当。行政上は各地方の青年スポーツ監督局に所属)

 ―県技術アドバイザー62名(青年スポーツ省官房との契約により各地区を単位として活動。同じく2級国家資格を持ち、行政上は各県の青年スポーツ監督局に所属。技術アドバイザーは、地方であれ県であれ、次のような方向づけを基本として、地方または県単位で活動する)

 ―大衆サッカー(各クラブの訪問、少人数制サッカーの普及、各クラブでの広報集会を昼夜に開催)

 ―優秀選手の発掘(ピューピル、ミニム、カデットのチームや強化選手の研修を視察。地方あるいは県単位での選抜を監督。種々の協議会を組織し、国立サッカー研究所や「サッカー研究」部門や大学第一過程のサッカー授業への入学者選抜を組織する。ユースに対する国からの強化期間に参加し、才能ある若手を発掘して、情報センターおよび「サッカー研究」セクションに参加させる)

 ―育成と広報(若い技術担当者の研修を組織し実施する。オーガナイザーや初歩を教える担当者、第1級国家資格を持つ者などを対象とする/地方技術アドバイザーは第2級国家資格を持つ者の研修をリードする)。

 国家資格所持者の数やクラブ数、登録者数などの増加のため、現在、国家や連盟が解決しなければならない問題が生じている。サッカー教育に携わる者が9000人に達する状況の中で、基本的な枠組みはボランティアに頼っており、しかもその数を正確に把握することすらできない。教育者の質と、さらに難しいクラブの経営は、いつまでもボランティアに頼っていられなくなりそうな2大懸念であり、現にボランティア制度は深刻な危機を迎え始めている。スポーツに携わる職業は、多くのサッカークラブのような非営利団体組織にあって、これから必ず重要な位置を占めるであろう。その永続性を保証し、フランスの若者たちに受け入れの場と優秀な育成スタッフを提供するために。残された課題は、いかにして活動スタッフを確保するか、どの程度育成や組織化に携わるか、身分や新しい任務をどう整えるかである。おそらく確実に、ここ数年の間には、ボランティアを今のままいつまでも引き伸ばすことはできなくなり、新しいスタッフがこれにとって代わるであろう。



 2 技術スタッフの育成

 連盟の継続的な任務があるとすれば、それは技術スタッフの養成である。

サストル委員会は、サッカーのこの最重要課題を明らかにしようと努力した。すなわち、教育の質、初心者からいくつかの育成段階にいたる問題である。

これに関連して現在取得できる免許は以下のようになっている。



  1 連盟による免許

 a 若手技術スタッフ免許 − 15〜18歳の若者で、3日間の研修を終えた者に与えられる。その目的は、試合の管理、トレーニング、7人制あるいは5人制サッカーを知って、責任感をもらせることにある。その場合の研修は地域ごとに組織されている。

 b サッカー育成者免許 − この免許を取る最低年齢は18歳である。県の技術アドバイザーの指導下で各地区がそのための研修期間を組織する。育成者は週末にある研修で試験の準備を行い、青少年チームのマネージメントや未成年者クラブの管理責任について、必要な知識と適性を持つかどうか認定を受ける。

 c サッカー初心者免許 − 地方サッカー連盟により組織され、地方及び県の技術アドバイザーが責任を持つこの免許は、国家免許を申請するのにどうしても必要な橋渡しとなっている。その目的は、プッサン、ピューピル、ミニム、カデット、ジュニアというさまざまなカテゴリー全部のトレーニングである。サストル報告では、プッサンとピューピル・レベルの育成が質的に不充分であることが明らかになった。したがって、フランスサッカー連盟はこの初心者育成免許を2つに分け、少人数制サッカー、その競技者、特殊性がうまく組織させることを目的としている。免許が認められるのは18歳からである。研修には1週間が必要で、最後に試験が行われる。



  2 スポーツ教育者三級国家免許

 スポーツ教育者国家免許を取るには、どの受験者も共通問題(理論部分)と特定問題(サッカーを選択)を受け、合格しなくてはならない。この両科目は、学習の期間、場所、機関などの点で異なっている。国家免許なしで、あるいは部分的にしか取得せずに、報酬を得てサッカーを教えることは、違法である(1984年7月16日の法)。

 a 第一級特定国家免許、サッカー育成者資格

 受験の条件

 ―試験の行われる年の1月1日に18歳以上であること

 ―市民防衛救急国家免許を持つこと

 ―初心者育成免許を持つこと

 試験は、地方および県技術アドバイザーの責任のもとで地方サッカー連盟が組織する15日間の研修を経て、青年スポーツ地方監督局によって実施される。サッカー育成者免許を持つ者は、強化選手チームの手前のレベルまでのクラブチームをトレーニングすることができる。

 b 第二級サッカー国家免許、サッカートレーナー資格

 受験の条件

 ―少なくとも2年以上は第一級スポーツ教育者国家免許を持つこと(共通科目+サッカー特定科目)

 ―第一級スポーツ教育者国家免許試験において、平均点以上もしくは20点満点中12点以上を取得したこと

 ―第二級スポーツ教育者の共通科目をパスしたこと

 サッカートレーナー試験は、全国技術指導局と地方技術アドバイザーの責任の下、3週間にわたってヴィシーで行われる全国レベルの研修を経て青年スポーツ地方指導部によって実施される。サッカートレーナー資格を持つ者は、強化選手レベルから全国第三ディヴィジョンまでのクラブチームをコーチすることができる。

 c スポーツ教育者第三級国家免許(サッカー部門)、サッカートレーナー=インストラクター資格

 受験の条件

 ―少なくとも4年以上にわたって、第二級スポーツ教育者国家免許を持つこと

 ―第二級国家免許の特定科目試験で平均点以上もしくは20点満点中14点以上を取得したこと

 第三級試験は青年スポーツ省によって実施される。この試験はサッカーの組織に関する包括的な知識や次のような研修に際し受験者がどうであったかに関する全国サッカー技術指導局作成のレポートに基づいている。すんわち、トレーナー全国研修、ユース研修、地方教育者養成、トレーニング研修などである。このトレーナー=インストラクターの免許を持つ者は、第一および第二ディヴィジョンのナショナル・チャンシオンシップに参加するクラブのチームをコーチすることができる。p131-136



A.山本三春/ローラン・ランヌ著「フランスサッカーの真髄〜ブルーたちからのメッセージ〜」(本の泉社)



・「サッカーは、いまや欧州の文化になっています。この文化を欧州大陸にもたらしたのはイギリス海軍で、フランスには19世紀後半に伝えられました。1872年には、フランス初のクラブ、ルアーヴル(Le Havre)ACが誕生しています」

 ルエデ氏は淀みなく続ける。「フランスチームとしての最初の国際試合は、1904年まで遡ります。ベルギーのブリュッセルでした。以来長い歴史がありますが、真の革命は70年代から80年代にかけておこなわれました。当時の代表監督ジョルジュ・ブーローニュ(Georges BOULOGNE)が、若い世代の育成プランを実地に移したのです。それは程なく、ヴィシー(Vichy)の国立フットボール研究所(Institut National du Football=INF)創立という形で実を結び、やがて現在のクレールフォンテーヌに移動しました。ブーローニュは、一つの考え方に依拠して、あることを確認したのです。つまり、どこかで適度によく育ったいい選手を探し出してくるよりも、自分たち自身の手で育てた方がよい、という確信だったのです」p57



・フェラン氏「…。そしてサストル、ブーローニュ、サドゥールの最大の貢献…、それは育成センターだった。サストル時代の初めに、ヴィシーに育成センターが創設された。彼はクラブが参考にできる好例を示し、真の育成というものの重要性を証明したかったのだ。彼は、各クラブの育成センター監督たちを集めては、ヴィシーでいかに仕事しているかを見せた。こうしてクラブで主要な役割を担う育成指導者と監督の一群が形成されていったんだよ。

 さらにヴィシーと並行して、サストルは、コンセイエ・テクニック・レジオナル(Conseiller technique regional=地方テクニカルアドヴァイザー)、つまりCTRと、コンセイエ・テクニック・デパルトマンタル(Conseiller technique departemental=県テクニカルアドヴァイザー)、つまりCTDの網の目をどんどん作っていった。全国テクニカルディレクター(DTN)が推進する連盟のテクニック政策を、地方圏、県へと繋ぐ役目だ。さらに、クレールフォンテーヌを創設したのも彼だった」p66-67



・私たちはまたスタジアムまで戻り、トレーニングを終えたダニエル・ローラン監督の話を聞いた。オセールの若手の育成システムに的を絞った。

――育成の歴史を簡略にお教え下さいますか。

 ローラン氏「育成の必要性を自覚したのは、ジョルジュ・ブーローニュです。以来、D1の多くのクラブが徐々に育成センターを整備していきました。オセールに倣って整備したクラブもいくつかあります。オセールは小都市ですから、育成センターこそがハイレベルの選手たちを保障する要になるのです。ですからフランス中からの採用、宿舎、授業、トレーニングに多くの資力を注ぎ込み、何年もかけてその構造を構築し改善してきました」

 ――すると現在、地元イヨンヌ県出身の少年の割合は少ない?

 ローラン氏「パリやリヨンのような大都市には、素質ある少年たちの裾野ができていますが、オセールのような地方都市では難しい問題です。オセールは人口38000人、イヨンヌ県の人口も30万人ですからね。従って私たちはフランス全土からいい選手を発掘しなければなりません。この発掘・採用が成功の鍵なのです。いい少年を採用するために全国を回る人材を確保し、同時にここでも発掘のための合宿を組織します。目的は14歳の少年を7、8人採用して、5、6年かけて育成し、20歳くらいで果実を収穫できるようにすることです」

 ――他のクラブとの違いは何でしょうか?

 ローラン氏「財政的に潤う大クラブと競うことは大変なことなんです。私たちは小都市で、予算も少ないし、特にスポンサーもない。でも常にいい運営がなされてきました。他のクラブとオセールの決定的な違いは、私たちが若手育成の質の高さに絶対的に依拠していることですね。今シーズンで見ても、オセールは、フランス選手権で最も平均年齢が低いチームです。たいてい平均年齢23歳以下です。そのためにギクシャクしたシーズンになった面もありますが、若い選手はまだ経験を積んで成熟する必要がありますからね」

 ――困難はどんなところに…。

 ローラン氏「今一番難しいのは、彼らをオセールに残すことです。あちこちからのオファーがすごいからです。若手はますますクラブに残らないようになってきています。昔と比べると大きな違いですね。以前は6、7年育成してきた選手たちの多くはオセールに残り、それがチームにもクラブにも安定をもたらしていました。その安定のお陰で大クラブとも堂々渡り合って、96年にはフランス選手権を制し、フランス杯も2度獲得し、しばしば欧州杯にも出場したのです。

 多額のお金が動くこの回路は、かなりの災いをもたらすと私は思っています。こうした傾向はここ数年でフランスにも入り込んでしまい、害も及ぼしています。グループのハーモニーが大切なのに、これがだんだん難しくなっている。私は現在多くの監督が、この大問題を抱えていると思います」

 手塩にかけて育成した選手が、どんどんビッグクラブにお金で引き抜かれる。確かにジレンマである。フランスはイタリアのようなビッグビジネス路線に一線を画して、独自の健全なサッカー文化を大切にしてきた。オセールのような良質のクラブが、お金という魔物を自在に操る大クラブに潰されていくとしたら、それは本当にフランスサッカーの危機なのかもしれない。p130-131



――CTR(地方テクニカルアドヴァイザー)の役割とは何なのでしょうか。

 コルフー氏「CTRはね、エメ・ジャケが勤めるDTNの全国政策を、地方に適用するのが役目なんだ。少年たちの育成と発掘、地方レベルの選抜、プレフォルマシオンセンター、学校におけるサッカー推進、地方でのサッカー、さらにはますます発展を遂げている女子サッカーもある。全ては全国テクニカル政策の一部だ。イルドフランスでは、これらを2人のCTRのもと、9人のCTD(県テクニカルアドヴァイザー)とともに組織するんだ」

 プレフォルマシオン(Preformation=前育成)も、フランス育成政策の大きな鍵である。15歳前後の非常に若い少年たちを集めて、基本テクニックを仕込み、早い段階からきっちりと育成するのが目的だ。

 ――普通、どのようにCTRになるのですか。

 コルフー氏「まず数段階のブルヴェ・デタ(Brevet d’Etat=国家免許)を取らなければいけない。しかもサッカーを完全にプレーできて、同時に少年たちのエデュカトゥール(指導者)経験を持っていないといけないんだ。資格だけでは駄目なんだよ。ある意味で模範的でなければならない。CTRはサッカーに関する地方圏レベルでのショーウインドーだからね」

コルフー氏はD2のプロ選手だったが、体育教師を務めながら地域の小クラブの面倒を見るうち、ジョルジュ・ブーローニュ時代に指導者として見出されたという。やがて彼はヴァルドマルヌ(Val-de-Marne)県のCTDになり、これを5年間こなした後CTRに任命された。

 ――全国レベルの政策はどのように立てられ、実行されるのですか?

 コルフー氏「現在では、全国政策は、エメ・ジャケを先頭に、彼が率いる11人の全国監督によって入念に練り上げられる。ひとたび諸目標が設定されると、フランス全土のCTRたちが招集されるんだ。そして1週間にわたってこの政策を徹底的に身につける。それが終わるとCTRたちは各地方圏に戻って、この政策を適用・実践するわけだ」

 ――まだ現場の感覚がよく呑み込めないんですが、たとえば1週間を例にあげると、CTRは具体的にどんな仕事をするのでしょう。

 コルフー氏「あはは。それはとても説明が難しいなぁ。70時間の仕事をする週もあれば、10時間しか働かない週だってあるんだよ。スケジュールによるからねぇ。たとえばサッカー国家資格のためのテクニカル幹部養成を例にあげると、7週間も講座が続くんだよ!地方圏レベルで給与を得ながら監督できるようになるための第一段階国家免許を取るのに、7週間!

 監督養成には、凄まじい段階があってね。まず連盟が授与する資格がある。これがまたいろいろだ。第一段階イニシアトゥール(Initiateur=入門指導者)と呼ばれる資格を取るのに、40時間くらいかかる。第二段階イニシアトゥールには、さらに40時間。それもテクニック、実践、児童に関する知識が必要だ。そのうえにはシニア選手指導者資格がある。これは、県レベルで最強豪クラスのチームをつくる、若い指導者たちに与えられる資格だ。

 この3つの資格を取って初めて第一過程と呼ばれるようになる。次には1日がかりの入試がある。グラウンドでプレーする実践があり、さらに筆記試験と面接試験だ。ここからやっと国家免許を取る準備が始まるんだよ」

 ――どんな人たちが受験するのですか?

 コルフー氏「受験者の多くは若者だよ。私に言わせれば、まだ若すぎるほどだね。監督知識が少ない。彼らは青年雇用者、クラブのエデゥカトゥール、現役の選手などだ。第一段階国家免許は、20歳以上なら何歳でも受験でき、3回まで挑戦できる。さっき説明した第一過程なら、18歳から受験できるんだ」

ここで言う「青年雇用者」とは、失業を減らすために政府が創出した雇用形態だ。70万人の青年が、5年間という制限つきだが学校や自治体などに雇用され、一定の役割を果たしている。それにしても、指導者養成は相当厳格な仕組みである。まだまだその上が続き、第三段階まである。この監督・指導者養成も、フランスが世界に誇るシステムだ。これがあるからこそ、優秀な監督が次々と育ち、フランスから欧州各国、アフリカ、そしてアジアにまで、世界中に羽ばたき、活躍しているのである。

 ――では指導者養成の他には、どんな仕事があるのですか?

 コルフー氏「県レベルでは、CTDたちが正確に発掘と選抜の仕事をこなす。地域のクラブから優秀な選手たちが、ディストリクトや地方リーグの選抜に選出されてくるわけだ。それがCTRの仕事に大いに役立っている。

 この選抜の仕事はね、まず地域クラブの選手たちを集めて、16人のベスト選手で各県チームを選抜するんだ。13歳、14歳、15歳の各段階だ。そして彼らをクレールフォンテーヌに集めて、さらに優秀な選手を選り抜き、今度は地方圏レベルの研修合宿をする。この時点で選手は計50人に絞られる。ここからさらに20人の選手がパリ地方チームに抜擢され、地方リーグ間トーナメントを戦うことになる。このトーナメントの中から、年齢ごとのフランス全国チームが選出されてゆくわけだ。15歳、16歳、17歳、18歳などのフランス代表チームだ。さらにフランスB代表チームやエスポワール(Espoir=希望)と呼ばれるU-21代表チームも、こうして選抜されるんだよ」

 ――あなた自身も少年たちの発掘に出かけるのですか?

 コルフー氏「ああ、出かけるとも。発掘の基準は、まずテクニックだ。テクニック面でボール支配がうまく、ボールコントロールができて、いい条件でボールを出せる選手だね。次がポジショニング。ライヴァルに対してピッチ上でどうポジションをとるか、ボールに対してどうポジションをとるか。プレーのセンスも非常に大切だ。フィジカル面の強さは3番目だね」

 ――あなたが育成・発掘した有名選手は?

 コルフー氏「選手たちはまず地域のクラブで育成され、次に優秀な選手を私が引き受けて完成させるのだよ。その上で言えば、私たちイルドフランスのリーグを通過して育った有名選手には、ニコラ・アネルカ(Nicolas ANELKA)、」ティエリー・アンリ、リリアン・チュラム、クロード・マケレレ(Claude MAKELELE)などがいるね」,p134-139



・やっと指定されたホテルが見つかった。大型バスと選手たち、関係者が見える。これは、UEFAが3年前から主催する欧州横断の競技会の1コマだった。アマチュア地方リーグ間で争う、クップ・デ・レジオン(Coupe des Regions=地方杯)と呼ばれるもので、この日は、パリ・イルドフランスのリーグチームと、ブルゴーニュのリーグチームの対決である。年齢は20歳から35歳までのシニアだ。私たちは、アマチュアの雰囲気を見ると同時に、現場で働く人々に出会い、インタビューしたいと思っていたのである。

 こうしたフランスサッカーの土台をなす地域、町、県、地方圏の組織網を、エメ・ジャケは「トワル・ダレニエ(Toile d’araignee=クモの巣)」と表現している。全国に張り巡らされてきたこのクモの巣があったからこそ、フランスは世界王者になれたのだ、彼は何度も強調しているのだ。そのクモの巣を担う人々には、どうしても出会う必要があると思った。ホテルに入り相棒とウロウロ探していると、程なく何人かが私たちをわいわいと取り囲んできた。日本人のジャーナリストは、相当珍しかったようである。皆でラウンジのソファーに座ると、すぐに座談会のようになった。

 アルセル・ブルダン(Marcel BOURDIN)氏は、スタッド・ド・フランスのあるセーヌサンドニ(Seine-Seint-Denis)県とパリの下町である18、19、20区をまとめるディストリクトの会長。同時にパリ・イルドフランスのリーグ副会長でもある。ジャンクロード・ルー(Jean-Claude LOUP)氏は、セーヌエマヌル(Seine-et-Marne)県北部のディストリクト会長で、やはりパリ・イルドフランスのリーグ副会長を兼務。カミーユ・ショキエ(Camille CHOQUIER)氏は、30年の経験を誇る監督で、アマチュア・フランス選手権を采配し、PSGの育成センター監督も15年務めた。やはり同リーグ副会長だ。そしてモハメド・ベルカセミ(Mohamed BELKACEM)氏は、パリの若きCTD。「モモ」の愛称で親しまれている。

 ――ディスクリクトの仕組みや活動はどうなっているのですか?

 ブルダン氏「ディスクリクトは基本的には県に対応しているが、人口によっては変則的にカヴァーするんだ。たとえばフランス中部の人口が少ない県では、2県で1つのディスクリクトに分かれているんだよ。その活動は、ディスクリクトのレベルで全てのサッカーを組織することだ。試合を組み、エデルかトゥールを養成し、つまり第1段階イニシアトゥール、第2段階イニシアトゥール、シニア指導者などの資格を与え、様々な行事を開催し、ディシプリンに関する諸問題も解決する、だが一番の仕事は資金集めかな(笑)。

 ――ディスクリクトは、財政的にはそう成り立っているのですか?

 ブルダン氏「登録選手たちから集めるお金と、クラブから集めるお金が、予算の30%だ。残りは補助金だよ。青年スポーツ省、都市問題省、地方圏議会、県議会。これらの補助金が70%を占める。だが補助金を得るには、プロジェクトを提出しないといけない場合もある。たとえばフェルナン・サストル基金からは、我々が提出したプロジェクトが認められて、年末に50万フラン受け取れることになったんだ。麻薬問題やドーピング問題について、研修や講演会のプロジェクトを立ち上げ、それが評価されて資金が入ることになった。まあ、常にアイデアを持っていなければいけないということだよ」

 ここがフランスの凄いところだ。7割が公的補助である。またフェルナン・サストル基金とは、98年W杯フランス大会の収益金を、下部のクラブやディスクリクトに配分するためにとられた措置だ。そこには、華々しい代表チームやプロクラブを潤すのではなく、地道な努力を重ねる地域のアマチュアサッカーをこそ振興させようとする、毅然とした政治的社会的意志がある。,p142-145



・ところで、フランスサッカーにとって、INFの重要性は?日本人もINFの重要性を知りたがっていると思うのですが。

 デュソー氏「フランス人が想像している以上に重要ですが、外国人が思っているほど重要でもないんです(笑)。外国では、私たちがあらゆる選手を育成していると思っているような印象を受けますが、実はそうではないんです。そんなことを言ったら思い上がりになってしまいます。私たちが自信を持って言える唯一のことは、すぐに結果を出せるような新しい構造を創り出し、正しいメソッドで仕事をしていると確信していることなんです。つまりクラブにもその方向で仕事をして欲しいと願っているわけです。間接的にクラブのためになるように、この形態の仕事へといざなうように、息を吹き込むようにしているんですね。これこそが、毎年選手たちを卒業させること以上に重要なのです」

 ――メソッドは、何に基づいているのでしょうか。

 デュソー氏「次の考察に基づいています。つまり15歳までの少年に、どんな素質を与えてあげるか。ここから自然と仕事が決まってくるのです。それは器官機能、すなわちテクニック面の仕事です。これは15歳前に獲得されるんです。その後の年齢で起こることは全て、力強さに由来する変化やその管理でしかありません。でも技の巧みさ、正確さは、15歳未満でないと駄目なんです。15歳前にこれを獲得していなければ、ハイレベルの選手にはなれません。

 テクニック面の仕事をしながら、フィジカル面の準備もします。有酸素能力も15歳前に発達させないといけないのです。ですから、かなり走り込む必要があります。体の諸器官の調整能力は、もう13歳未満にできていなければ駄目です。これらが私たちのメソッドなんです。発達させる素質にぴったり標準を合わせてプログラムを組むわけです」

 ――ということは、10歳くらいから始めないといけないわけなんですか?

 デュソー氏「そうです。10歳から12歳で始めるのが目標になりますね。でも彼らの通常の環境で、ですよ。その年齢で寄宿生活なんてことは論外です。ですから身近にクラブを見つける必要がありますね。両親が遠くまで出かけなくて済むような。でもクラブには入らないと。12歳でちゃんとプレーしていなければもう駄目で、プロになれる可能性はないでしょうね。

 クレールフォンテーヌに話を戻せば、重要なのは、選手たちが育成される環境に配慮することです。彼らの環境とは、その3分の1は学校です。だから生易しくはないです。全ては学校を中心に組織されています。

 また、もう1つの側面は、この年齢ではまだ親が必要だということです。クレールフォンテーヌでも、見ていてもよくわかりますが、理想は毎晩家に帰れることなんですよ。ただそれは無理ですから、毎週末に家に帰すんです。確かに最初の年は、この家族との断絶が難しい。アンドレなんか、ある少年が泣きながら親に電話しているのを見ましたよ。当然です。ですからこうしたあらゆる要因の間でバランスを取らなければなりません。どれも大切なので、どれかだけを優先するということはしないのです」

 このプレフォルマシオンセンターは、90年に創設された。デュソー氏が合流する以前、創設時からその育成を担ってきた。後に日本代表監督となるフィリップ・トルシエも一緒だった。フィーリョ氏には親友トルシエについて語ってもらうが、その前に、メレル氏に、もう少しプレフォルマシオンの話を聞こう。

 ――クレールフォンテーヌのプレフォルマシオンの考え方をお聞かせ下さい。

 メレル氏「以前はヴィシーにあったセンターが、1、2歳高い年齢の少年を対象に、フォルマシオン(育成)の概念に相当する活動をしていた。このヴィシーが各クラブの育成センターのパイロット役を務めたわけだね。これに対し、現在のクレールフォンテーヌは、プレフォルマシオン(前育成)でパイロット役を務める学院なんだよ。

 プレフォルマシオンでは、特にテクニック面を指導して正しいプレーを教えることに比重を置く。とは言え、トレーニングは相対的にグローバルだからね。プレーのテクニックを磨けば同時にフィジカル面も伸ばすわけだからね。ここの研修生たちは昼間中学に通い、通常クラスの生徒たちよりも少し早めに下校して、週末以外は毎日トレーニングを積めるようになっている。トレーニングは週5回。週末は自宅に戻す。また最初の2年間は出身クラブでもプレーし続けていいことになっている。ただし3年目はINFクレールフォンテーヌの名でチームを編成して競技会に参加するので、クラブに戻る機会は減る。3年目は15歳全国選手権を戦うんだよ。

 プレフォルマシオンセンターには、連盟の指導下にある公式なものが、計7つある。クレールフォンテーヌの他に、トゥールーズ、ブルターニュ、リール郊外、フランス東部、さらに東部に2つ、シャトール(Chateauroux)とヴィシーにあるんだ。だがプロクラブの中にも今では、育成センターの付属という形でプレフォルマシオンセンターができている。しかし問題は、プロクラブが才能ある若手をめぐって採用戦争を繰り広げてしまうことなんだよ」

 ――プロ選手になれると言える年齢は?

 メレル氏「小さい子の場合、ボールの触り方を知っている子はすぐにわかるんだ。13歳の子なら、上を行っているな、という子を簡単に見分けて発掘できる。だがプロになれるかどうかを知るには、少なくとも14、15歳まで待つ必要があるね。要するに子どもが成長を終えたときだ。ここで初めてプロになれるかどうか言える。私の受け持ち学年でいえば、この子はプロになれるチャンスがある、この子はなれない、というのがだいたいわかっているよ。

 ほとんどのプロクラブがパリ地方で発掘テストをするんだ。パリ周辺には非常に重要な選手たちの裾野があるからね。2、3年前から多くのプロクラブがこうしたことをするようになった。私たちを出し抜こうとするんだよ。場合によっては同じ年齢層の子を、私たちより早く手に入れようとする」

 ――13歳になったら、どんな子でもここに来て見てもらえるのですか?

 メレル氏「ああ、そうだよ。誰でもテストは受けられるんだ。今年は合計800人の子が来て、24人が採用された」

 ――発掘テストそのものは、どのように組織されているのでしょう。

 メレル氏「半日だね。以前は80〜90人の子どもを1日中かけてテストしてたんだが、半日で、より少ない採用にした。その方がよく見られるんだ。

 第1段階では、ボールで技をさせる。これで一定のテクニックの要素がわかるんだ。右足で100回、左足で100回リフティング、次にヘッドで100回だ。それなりにいい到達点にいる子はこれでわかる。第2段階はスピード。40メートル走だ。たとえばアネルカは、これを5・85秒で走った。第3段階にゲームがある。前半後半、15分から20分程度のゲームだ。自分のポジションでプレーする。

 これらのテストは特別ノートに書き込むことはないんだ。1つか2ついいプレーを見せた子の名前のところに、チェック印をつけるだけだ。後は経験でわかる。だいたい、ゲームに入って10分後には、4分の3の子どもをリストから消してしまう。

 最終的には、かなり素早く、採用できない子たちを見抜いてしまうね。すでに非常に筋よく育っている子もすぐにわかってしまう。難しいのは残りを見極めて、24人のグループを構成する他の子たちを選択することだね」

 ――その最終選考は誰が決定するのですか?

 メレル氏「3人全員で一緒に決めるんだ。これが、お互いが議論するいい機会にもなっている。最終的に45人のグループができあがるんだが、これを今度は3日間の合宿に召集する。

 まとめるとだね、まず第1段階は“ふるい落とし”。第2段階で再度見て、第3段階に残れるのが40〜50人だ。これを3日間の最終合宿に呼ぶわけだ。ここでは、もっと多くのテストをし、特にメディカル面のテストをするんだ」

 少年たちの姿が、こうしてだんだん生き生きと見えてきた。明晰な選手になるためには、勉強も欠かせない。サッカーもプロを目指す真剣勝負。連帯や団結も学ばなければならない。だがそれを乗り越えた少年たちは、鋼のように鍛えられて社会へと巣立つのだ。鉄は熱いうちに打つ。,p195-202



3)二宮清純,スポーツを「視る」技術,講談社,2002,育成システム,サッカー,

・英仏のユース育成システム

 ヨーロッパの例を見てみよう。

 2002年ワールドカップこそグループリーグで敗退したものの、近年、フランスがサッカー大国になった理由のひとつとして選手育成プログラムの成功があげられる。より詳しく述べれば、育成プログラムの柱は前育成段階トレーニングセンターと呼ばれる12〜15歳を対象にした国立サッカー研修所(INF)での指導、そして16〜19歳の選手を対象とする各クラブが個別に持つ育成センターでの指導――この2本から成っている。

 INFの主な仕事は、どこのクラブにも属していない、いわばダイヤモンドの原石を発掘、育成し、各クラブに送り出すこと。この機関の卒業生は、その8割が国内クラブの育成センターに進み、スキル、フィジカルに始まり、高度な戦術やメンタル面の重要性を叩き込まれることになる。いわばジュニアユース世代を対象とするINFとユース世代を対象とするクラブの育成センターが機能的に連結した結果が1998年のワールドカップ優勝、ユーロ2000優勝となって表われたのだ。

 もっとも、この制度に問題がなかったわけではない。対象をユース層からジュニアユース層に移したことで、若い芽へのきめ細かい指導が可能になったが、一方で弊害も生じた。12〜15歳の少年を家族から引き離すことに対して世間からの風当たりが強くなり、入所者はINF周辺の子供たちに限られるようになったのだ。

 そこで96年、フランスサッカー協会とスポーツ省、そしてフランスリーグは協力して資金を捻出し、全国6ヶ所にクレールフォンテーヌ同様のエリート養成機関を開設した。

 そこから、どんな選手が育ったか。91年にバロン・ドール賞にも輝いた、かつての点取り屋ジャン・ピエール・パパンがいる。そしてジュニアユース世代を対象とするようになった新生INFからはティエリ・アンリ(アーセナル)、ニコラ・アネルカ(マンチェスター・シティ)らが……。そしてクラブの育成センターからは、強豪クラブのナントひとつ例にとっても、ディデイエ・デシャン、マルセロ・デサイー、クリスチャン・カランブー(いずれも1998年ワールドカップ優勝メンバー)らが育っていった。

 隣国フランスの成功に触発され、従来のユース育成制度の見直しをはかったのがイングランドである。

 98年、フットボールアソシエーション(FA)のテクニカル・ディレクターを務めていたハワード・ウィルキンソン(元リーズ・ユナイテッド、U-21代表監督)が中心となってアカデミー制度がつくられた。これは8〜21歳の選手を地域の各クラブのアカデミーで一貫指導するというもので、いわばフランスのクラブが保有する育成センターのイングランド版。こちらは本家のフランスよりも対象年齢を低くしており、8歳の少年から指導にあたる。

 現在、プレミアリーグ所属のクラブを中心に、30以上のクラブがアカデミーを持っている。もっといえばアカデミーを持たないことには選手の発掘、育成は困難になってきたのだ。

 かつてイングランドにはスクール・オブ・エクセレンスと呼ばれるジュニア世代の育成システムがあった。この制度は、いわば“時限立法”のようなもので95年までの10年でその使命を終えた。全国各地に点在し、マイケル・オーウェン、ソル・キャンベル、アラン・スミスら現在のイングランドを代表する錚々たるメンバーが巣立っていっている。

 クラブに目を移すと、アーセン・ベンゲル率いるアーセナルは1999年、約17億円かけてフランスモデルの育成センターを建設した。また、これまでにロビー・ファウスラー、スティーブ・マクマナラン、スティーブン・ジェラードをはじめイングランド代表を数多く輩出してきたリバプールもアカデミーに力を注ぎ、1999年にはグラウンド10面を擁する施設をオープンさせている。,p115-118



4)http://www.ambafrance-jp.org/franceaujapon_jp/presse_actua_jp/labelfrnce/labelfrance_40/no40/1-23.htmlエリック・コリエ「ル・モンド」紙記者

 青少年・スポーツ省が管轄する国立スポーツ体育学院(INSEP)は、1945年に創設されて以来、フランス内外から高い実力を持ったスポーツ選手たちを受け入れている。ここでは選手がトレーニングと学業を両立できるよう、最適な環境が整えられている。INSEPの選手たちがオリンピックで活躍することで、国際的な名声も高まり、現在では40カ国と国際交流を深めている。

 アングロサクソン風のキャンパスが、ヴァンセンヌの森の中に広がっている。パルク・フロラル(花の庭園)やカルトゥシュリー*のほど近くに、赤いレンガの校舎が森の緑に映えている。1999年12月の嵐でなぎ倒された木々が、今でも一部の入口をふさいだままである。しかし構内では、被害の大きかったフェンシング練習場を除いては、すべての道路が元通りに復旧されて、ここを自転車で施設から施設へと移動していた選手たちも、ようやく普段の快適さを取り戻した。ここはイギリスやアメリカをモデルにした「カレッジ」でもなければ、「プライベート・スクール」でもないが、しかし「学生たち」はみなトレーニングウェアという制服を身に付けている。彼らは単に趣味や健康のためにスポーツをしているわけではない。スポーツは彼らの職業であり、INSEPは彼らを受け入れるトレーニング・センターなのである。

第二次世界大戦直後に、前進である国立スポーツ学院が創設され、1974年に現在のINSEPになった。その2年後の1976年、高い実力を持ったスポーツ選手の教育機関として、ここヴァンセンヌの爽やかな緑の中に移転してきた。1993年8月31日に公示されたハイレベルのスポーツとスポーツ施設に関する政令には、「個人として重要な記録や順位に達した選手、もしくは代表チームの正式メンバーとしてオリンピック競技や世界選手権に参加する選手は、エリート級に登録されうる」と明記されている。



受入れ教育施設

 全国の各種競技団体は、この条件に見合うような選手を、それぞれ独自のルートを通してピックアップし、毎年INSEPに入学候補者として推薦する。同学院のハイレベル・スポーツ学科主任カロリーヌ・カルパンティエは、「本校は入学した学生たちがより快適な生活を送れるように心掛けています。そのためにも、居住施設と練習・教育施設を一つの敷地内に統合するように努力しています」と語っている。

 西暦2000年の今年、パリ東部にあるこのスポーツ教育施設は、陸上競技やバレーボールから、スカイダイビング、アメリカン・フットボールに至るまで、全国36の競技団体に所属する900人の選手を受け入れた。INSEPには最高400人まで生活できる住居施設があり、「寄宿生」の平均年齢はほぼ27歳である。現在、最年少者は15歳で第3級(中学最終学年)の生徒だが、来年からは入学資格が第2級(高校一年)以上に繰り上げられる。最年長者は36歳のフェンシング選手エリック・スレッキーである。「彼はシドニー大会に向けて準備のトレーニングに励んでいます。練習相手もコーチも全員ここにいます」と、カロリーヌ・カルパンティエは説明している。彼はエペ種目の選手であると同時に、フレックスタイム制を適用される体育教師でもある。1988年のソウル五輪では団体優勝を果たし、さらに1992年のバルセロナ五輪では個人種目で優勝して、連続して金メダルを獲得した。練習では他の選手のトレーニング相手を務めたり、外国でINSEP代表の役割を果たすなど、彼はその名声とともに同学院のイメージアップに一役買っている。

 人気校となったINSEPは、現在多くなりすぎた「生徒」数を適正なレベルに抑える必要性に迫られているが、その一方で国際交流の面では目覚ましい発展を遂げている。今から10年ほど前までは、学院長の女性秘書の一人が国際交流を担当していた。「国際交流対策室」と呼ぶに相応しい部署が創設されたのは、1994年のことである。1997年に完全な部として独立。現在、40カ国との間に定期的な交流活動を進めている。この飛躍的な発展を遂げた理由は、ただ一つである。1996年のアトランタ五輪で、フランスが獲得した37個のメダルのうち20個をINSEPの選手たちが獲得したのである。INSEP国際交流部長ジスレーヌ・カンティヤンは、当時を振り返って次のように語っている。「バルセロナ大会の時にも、すでに反響はありました。しかし1996年のアトランタ大会をきっかけに、外国から数多くの代表団が本校の運営内容を視察するためにやってきたのです。訪れる方々は皆さん、ここにフランスの成功の鍵があると考えてらっしゃるようですが、実際のところはその一要素にすぎないのです」



国際的名声

 こうした訪問のほとんどは、フランス外務省が費用を負担している。ジスレーヌ・カンティヤンは先の話に続けて、「本校は外国のスポーツ学校から、姉妹校提携の話をしばしば持ちかけられます。ただし双務的な合意が結ばれない限り、こうした活動に出資できないので、時には対応に苦慮することもあります」と語っている。とはいえ、国際交流は単なる意見交換にはとどまらない。INSEPは外国との間に研究者レベルの人的交流も行っているのだ。ジスレーヌ・カンティヤンは、「研究の分野においては、数多くの交流が見られます。本校の研究施設からも、生体工学や生理学の研究者をはじめとする大勢の研究者が外国の施設を見学したり、外国から研究者を迎え入れたりしています」と指摘している。ここ数年はドーピング対策が、こうした国際交流の中心的な課題となっている。

 1999年、このヴァンセンヌの森にあるスポーツ教育施設は、外国から選手や技術指導者、研究者など合計290人を受け入れた。そのうち13人の選手がオリンピック連帯奨学金を受けている。彼らがここでシドニー大会に向けて日夜トレーニングに打ち込めるのも、フランスの各競技団体から快い同意を得たからである。真に賞賛に値するのはこうしたスポーツマンシップだろう。



エリック・コリエ「ル・モンド」紙記者

*ヴァンセンヌ城の旧弾薬庫で、現在は劇場として利用されている。

ホームページ:http://www.insep.jeunesse-sports.fr/ http://www.ambafrance-jp.org/franceaujapon_jp/presse_actua_jp/labelfrnce/labelfrance_40/no40/1-23.html

5)http://yoshimura.rivals.ne.jp/default.asp?sid=118&p=2&stid=8068776

世界最強の礎〜フランスの育成by:吉村 憲文date:2001 年 6 月 13 日( 水 )

 世界最先端に立つ世界王者・フランスの育成システム.その第2回はフランソワ・ブラキャールU−18フランス代表監督のインタビューを中心にリポート.その遠大なる計画に溜め息をつくばかりでは日本に明日はない.

 「それまではクラブチームの育成担当をしてきましたが,昨年エメ・ジャケ(98年W杯フランス代表監督)に誘われて協会の仕事に就くことになりました」

 彼はそう話すと,現在フランス協会が取り組んでいる育成システムについて懇切丁寧に説明を始めた.彼とはU−18フランス代表の監督であり,フランスサッカー協会技術委員の要職を兼ねるフランソワ・ブラキャール氏である.

 今や世界王者となり,コンフェデ杯でも憎いまでの強さを見せ優勝を果たしたフランス.しかしその礎は一朝一夕に生み出されたものではない.フランス国内で行われている育成システムは,プラティニ時代以降,世界のサッカーの傍流となりつつあったフランスを再びメインストリームに乗せ,今や黄金期を作り出そうとしている.

「専門教育は13歳から始まります.元々クレールフォンテーヌ(パリ近郊にあるトレーニングセンター)で始まった前育成段階システムを96年にフランス全土に拡げ,7つある国立サッカー研修所では週5回の練習と学校教育を行います.朝の8時から午後3時までは学校,その後5時半から約2時間の練習です.選手は全員が寮生活となります」

 氏によれば,現在フランス国内で行われている育成システムは13〜15歳までの<前育成段階>と16〜18歳までの<育成段階>がある.いずれも全国から選抜されたエリートは寮生活を送りながらサッカー漬けの生活を送ることになるのだが,

「前育成段階が国のセンターに入るのに対し,育成段階の選手は全国にあるプロのクラブチームの育成センターに所属することになります」
と言う.ナント,オーゼール,モナコなど選手育成で評価の高いクラブに選手自信の判断で属すことになる.

 ここで特筆すべきは

「前育成段階で必要となる費用は各クラブの年間予算の10〜15パーセント」の割合であらかじめフランスサッカー協会に供出されることが決まっていると言う.

 先日筆者はこのことをあるJリーグの監督に話した.すると

「それは到底今の日本のサッカー界では難しいこと.赤字のクラブはむしろ協会からお金を貰いたいくらい.フランスのようなシステムができるのは理想的ですが,現実には非常に難しい」

と率直な感想を述べている.また

「根強い学歴信奉のある日本で,サッカーだけの専門教育を受けるのには親の抵抗が大きいと思います.もしもサッカーがダメになったときにどうするのか.サッカーが人種差別や,階級社会から這い上がる方法のひとつになっているヨーロッパや南米とは日本は根本的に違いますからね.フランスのようなシステムを日本に導入しても,そこをどう埋めていけるかの問題も残るでしょう」の声もある.何もかもが日本とは違う.潤沢な資金を基盤にエリートを育て上げることによってフランスサッカーの基礎は作られていったのだと言う.ちなみに98年W杯で優勝したフランスチームでこのプロクラブの育成センター出身でない選手は22人中,3人しかいない.

「プロクラブの育成センターでは週に2部練習も含め6〜7回の練習が行われ,15〜16時間をサッカーに費やします.この年令では各選手のポジションに対応した戦術,連係プレーを修得すると同時に身体能力を上げる筋肉トレーニングを行います.さらに勝利に対するメンタル面での成長も大切な強化点です.また年令それぞれに15歳リーグ,16歳リーグ,17歳リーグといった具合に細かに質の高いリーグ戦が組まれています.同時に選手にはこのセンター内で学校教育を行い,高校卒業の資格を取らせることにもなっています」

 ただその一方でエリートのための育成だけでは,サッカー界全体のパイに対するニーズを満たすことはできない.

「週末にフランス全土では3万ものゲームが行われています.これはアマチュアの弱いチームからプロまで全部合わせてです.その中で小学校の時から子供達は自分のレベルに合わせたクラブに入ることができ,選手はそこで能力を潰してしまうことはありません」

 ここまで書いてきて,今回の分のスペースが尽きてしまった.しかしブラキャール氏の話はまだまだ終わらない.非常に多くの示唆に富み,そこまでしなければ世界のトップは狙えないのか,そう思わせるほど遠大なシステムにもうしばらく耳を傾けて貰いたい.http://yoshimura.rivals.ne.jp/default.asp?sid=118&p=2&stid=8068776



6)Soccer Clinic,2001.11,INF(フランス全国サッカー学院)の技術とトレーニング,p36-43

 8月13日から18日までの6日間,八王子サッカー協会が主催する「2001 クロード・デュソーサッカースクール」が開催された.講師に招かれたのはINF/フランス全国サッカー学院校長のクロードデュソー氏.フランス・ワールドカップ,ユーロ2000,コンフェデレーションズカップを制し,現在,世界サッカーの頂点に立つフランス代表の根底を支えているのが,サッカー学院に代表される青少年の組織的な育成システムである.サッカー学院では,どのような指導理念を持ち,少年選手の指導・育成を行っているのか.今回のセミナーでは,そのエッセンスが披露された.(斉藤和紀)



 INFの運営とトレーニング

 INF(フランス全国サッカー学院)は,パリから西に50km離れたクレールフォンテーヌにある.まずINFの歴史と現在のシステムについて,デュソー氏から話を聞いた.

「INFが設立されたのは1972年のことでした.発足当初は,フランス中央部のヴィシーにあり,全国から選抜された素質に恵まれた16〜19歳の選手を対象にした,プロ選手の育成センターとしてスタートしました.

 しかしフランスサッカー全体のレベルを向上させるには,もっと早い段階からの育成が重要であるという認識が高まりました.そこで,90年に現在のクレールフォンテーヌに移ると同時に,育成対象を13歳から15歳までとしたのです」

 現在,INFに所属する選手数は62人.全員が寮で寄宿生活を送りながら,トレーニングに励んでいる.

「所属しているのは,サッカー学院周辺の地方から選ばれた選手たちです.遠い地方から選手を選ばないのは,できるだけ家庭から近い環境で生活させたい,サッカーのために家庭環境を犠牲にさせたくない,という考え方からです.

 午前中は寮から学校に通い,午後はサッカー学院に戻って1日2時間のトレーニングを行います」

 サッカー学院への入学に際しては,毎年志願者を公募セレクションが行われる.学院側から選手をスカウトすることはない.

「セレクションには,地方の各クラブチームに所属する選手たち数百人が応募し,最終的に合格するまで計4回,延べ16日間に及ぶテストが行われる.最終審査には2日半費やされます.昨年も約800人の希望者がセレクションを受け,入学を認められたのは24人でした」

 普段のトレーニングは月曜から金曜日まで.入学して1年目と2年目は,週末になると一度家庭に帰る.最初の2年間は,サッカー学院に入学する以前の各クラブチームの一員として選手登録されているため,選手はそれぞれの所属クラブチームの選手として週末の試合に出場する.3年目になるとINFの登録選手となり,INFチームとしてゲームに出場する,という特徴がある.

 サッカー学院の指導スタッフはデュソー校長以下,コーチが4人,うち一人がGKコーチだ.学院の年間の運営費用は約800万フラン(1億2000万円).その大半はフランスサッカー協会が負担し,フランス・スポーツ省とフランス・プロリーグからも援助金が出ている.



 12歳からの3年で基礎技術を完璧に習得する

 サッカー学院では,12歳から15歳までを「仮育成」の時期と位置づけており,基礎技術のすべてをこの3年間で習得することが最低条件となっている.

「サッカー学院の3年間では,試合の結果よりもプレーの質を重要視しています.

 クラブチームではどうしても,育成と同時に,結果も求められています.そのため,青田買いや,できるだけ早く育てようという傾向が生じます.そうした弊害から少年たちを守り,時間をかけて素質を開花させることがサッカー学院の最大の目的です」

 入学当初は,GK以外のポジションは固定にしない.トレーニングやゲーム形式の練習を通し,選手自身が自分にもっとも適したポジションを見いだしていく,コーチはその助言をする,というのが学院の基本姿勢だ.

 1年目,2年目は,7対7,8対8といったミニゲームで,さまざまなポジションを経験させる.ミニゲームでは,前回やったときとは違うポジションをこなすことが前提となる.選手たちも,週末に戻る所属チームとは違うポジションに率先して挑戦する.左右両足で自由にプレーできるようになることも重視する.

「重要なのは,15歳までに基礎技術を完璧に身につけることです.16歳以降になれば,選手が自分の特徴を理解できます.それから自分の得意なプレーを伸ばしていけばいいのです.

 たとえば,ジダンは現在世界最高のドリブラーの一人ですが,彼が少年時代にコーチが『君はドリブラーになれ』と指導したわけではありません.彼は自分の力でそれを伸ばす努力をしたのです.

 自分のもっとも得意なプレーをするということと,技術が偏っているということは意味が違います.少年期までに土台となる基本が完成されていることによって,初めて誰にも真似のできない得意なプレーができるのです」

 これまで,INFの卒業生の80%がクラブチームとプロ契約を結んでいる.残りの20%は,指導者としてサッカーに係わる人,一般の職業につく人などに分かれる.

 現在プロ選手として活躍しているOBは数多いが,もっとも有名なのはフランス代表のアンリとアネルカだ.

「二人には,思い出がたくさんあります.

 アネルカは,どちらかというとやや手を焼かされた少年でした.才能は当時から申し分なかったのですが,必ずしも恵まれた家庭環境で育ったとはいえない部分がありました.また,自分でもプレーに自信を持っていたため,目を離すと練習で手を抜くこともありました.しかし,入学して1年を過ぎた頃から,このままではダメだということを自覚し,それからは態度が一変しました.

 アンリはまったく手がかからない,模範生でした.練習でも普段の生活でも,非常に真面目で,みんなのお手本となる選手でしたね.

フランス代表がクレーヌフォンテーヌの合宿所でトレーニングをするときは,二人とも必ず私を訪ねてくれます.また,子供たちにも気軽に声をかけ,励ましてくれます。学院の選手がホールに集まっているとき,アンリとアネルカが訪れると,会場はパニック状態になります.子供たちにとって,卒業生に大きな目標がいることは何よりの励みです.――」p36-38



7)Tarzan,362,2001

・結果には必ず原因がある.

 近年,フランスが世界最強国になった理由のひとつとして,選手育成プログラムの成功があげられる.より詳しく述べれば,育成プログラムの柱は前育成段階トレーニングセンターと呼ばれる12〜15歳を対象とした国立サッカー研修所(以下INF)での指導,そして16〜19歳の選手を対象とする各クラブが個別に持つ育成センターでの指導――この2本から成っている.

 INFの主な仕事は,どこのクラブにも属していない,いわばダイヤモンドの原石を発掘,育成し,各クラブに送り出すこと.この期間の卒業生は,その8割が国内クラブの育成センターに進み,高度な戦術やメンタル面の重要性を叩き込まれることになる.

 いわばジュニアユース世代を対象とするINFとユース世代を対象とするクラブの育成センターが機能的に連結した結果が”トリコロールの栄華”なのだ.要するに底辺を拡大,充実させたことが,三角形の頂点の引き上げに結びついたのである.

 このように,いわば”サッカー版・虎の穴”ともいえるINFは1972年,フランス中央部のヴィシーで産声をあげ,90年にクレフォンティーヌに場所を移した.

 対象をユース層からジュニアユース層に移したことで,若い芽へのきめ細かい指導が可能になったが,その一方で弊害も生じた.12〜15歳の少年を家族から引き離すことに対して世間からの風当たりが強くなり,入所者はINF周辺の子供たちに限られるようになったのだ.

 これでは何のためのエリート養成機関かわからない.そこで96年,フランスサッカー協会とスポーツ省,そしてフランスリーグは協力して資金を捻出し,全国6ヶ所にクレールフォンテーヌ同様のエリート養成機関を開設したのである.いわば”サッカー版・虎の穴”の全国展開である.

 そこから,どんな選手が育ったか.ヴィシー時代からは91年にバロン・ドール賞にも輝いた,かつての点取り屋ジャン・ピエール・パパンがいる.そしてジュニアユース世代を対象とするようになった新生INFからはティエリ・アンリ(アーセナル),ニコラ・アネルカ(パリ・サンジェルマン)らが…….

 そしてクラブの育成センターからは,強豪クラブのナントひとつ例にとっもディディエ・デシャン,マルセロ・デサイー,クリスチャン・カランブー(いずれもワールドカップ’98優勝メンバー)らがいる.

 ちなみにナントが育成センターを設立したのは1973年.70年代後半には数ヘクタールの広さを持つセンターが建設され,90年代に入ってからはセンター内で学校教育も行われるようになった.

 所属する選手たちはセンター内で寄宿生活を続け,サッカーのトレーニングを続けながら学業も両立させていく.授業料,生活費に始まり,スパイクなどの用具類はすべてタダ.彼らはこの”虎の穴”で,文字どおりサッカーエリートとしての教育を受け,スーパースターへの階段を一歩一歩,駆け上がっていくわけである.

 隣国フランスの成功に触発され,従来のユース育成制度の見直しをはかったのがイングランドである.

 98年,フットボールアソシエーション(FA)のテクニカル・ディレクターを務めているハワード・ウィルキンソン(元リーズ・ユナイテッド,U-21代表監督)が中心となってアカデミー制度がつくられた.

 これは8〜12歳の選手を地域の各クラブのアカデミーで一貫指導するというもので,いわばフランスのクラブが保有する育成センターのイングランド版.こちらは本家のフランスよりも対象年齢を低くしており,8歳の少年から指導にあたる.

 現在,プレミアリーグ所属のクラブを中心に,30以上のクラブがアカデミーを持たないことには選手の発掘,育成は困難になってきたのだ.

 かつてイングランドにはスクール・オブ・エクセレンスと呼ばれるジュニア世代の育成システムがあった.この制度はいわば”時限立法”のようなもので95年までの10年でその使命を終えた.全国各地に点在し,マイケル・オーウェン,ツル・キャンベル,アラン・スミスら現在のイングランドを代表する錚々たるメンバーが巣立っていっている.

 クラブに目を移すと,アーセン・ベンゲル率いるアーセナルは99年,約17億円をかけてフランスモデルの育成センターを建設した.また,これまでにロビー・ファウラー,スティーブ・マクラナマン,スティーブン・ジェラードをはじめイングランド代表を数多く輩出してきたりリバプールもアカデミーには力を注ぎ,99年にはグラウンド10面を擁する施設をオープンさせている.

 さらにいえば,劇的なフリーキックでイングランドを極東でのワールドカップに導く立役者となった攻撃的MFデービッド・ベッカムは16歳のときにユース育成プログラムに定評のあったマンチェスター・ユナイテッドと契約をすましている.ベッカムのユース時代の仲間にはガリーとフィルのネビル兄弟,ニッキー・バット,ポール・スコールズらがいる.

 栴檀は双葉より芳し――というわけだ.p70-71



8)http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/jphome/voyageJpreport.htm


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Clermont-Ferrand大学区のEPSとSTAPSの現状

フランス教育学会第18回大会発表資料

2000年3月、Chamalières市内の学校とClermont-Ferrandの一つの大学を訪問して実施した現地調査の結果について報告する。特に地方都市における、学校体育にかかわる Projet d’établissement の実態ならびに大学の STAPS の研究・教育体制について、 わずか1日半のスケジュールで垣間見た事実と収集した資料によって紹介する。クレルモン・フェラン大学区は中央山岳群 Massif central に位置する Auvergne地方の4つの県、 Puy-de-Dôme, Cantal, Allier, Haute-Loireをカバーしており、シャマリエール市はオーヴェルニュの 首都クレルモン・フェラン市に近接する温泉とパスカルの生まれた町で有名な歴史の古い小都市である。シャマリエール市に向かったのは、特に教育行政上の特色などを調査して選んだというわけではなく、たまたま友人の在住する町であったという偶然にすぎない。訪問先についても、すべて友人があらかじめアポイントしてくれていたものであった。国民教育相のウエッブで調べると、クレルモン・フェラン大学区の就学人口は第1段教育121362 、第2段教育110208、高等教育39234、継続教育18200、学校教育施設は小学校1595、コレージュ・リセ・職業リセ309、 大学2と一つのIUFMといった、1998年度の数字が紹介されている。大学区の全国比較データでは、少ない就学人口と高い学業成績と教育費といった特徴が認められる。


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シャマリエール市立 Montjoly学校

 モンジョリー小学校では、体育専科教員が1名採用されていて、10名の市スポーツ指導員と協力して、5つの枠(火午前、火午後、水午前、木午前、木午後)に13の授業を展開している。【OHP資料】これは1999年度第2学期の事例である。

 この学校では、学習指導要領が定める「芸術教育・体育」週6時間に対して、体育に2時間半の時間配当を行っている。この2時間半の時間数は、1時間半をクラス別体育指導、残り1時間をプールでの授業に当てている。

 市内の小学校はどこでもこのように時間配分しており、市のConseiller Pédagogique de Circonscription(CPC) が作成した「市体育要領」こそがこの場合Projet d’établissementということになるのではないか。そして、そのなかでの体育の構造化は、CPCの働きにかかっているということであり、シャマリエールの小学校に関する限り、このCPCの機能は順調だとのことであった。

 Puy-de-Dômeを市の観光の目玉にしているシャマリエール市は温泉の町を印象づけるスポーツ施設として Centre aquatiqueと称するオリンピック級のメインプールを擁する大規模な総合水泳施設を持っており、これが学校体育にも活用されている。驚いたことに、水深は150cmのままで、特に小学生用に調節することなく使用していた。

 小学生たちを引率してくる教師がプールサイドの椅子でじっと(居眠り?)している間に、市の水泳指導員たちがクラス(能力別)に分かれて指導をしていた。このような授業風景は、フランスの小学校体育のひとつの特徴的な事例であろう。少なくともシャマリエール市の場合、市の財政はフランスの小都市の中では裕福な市であり、各小学校がその体育授業をスポーツ指導員に委託しており、学級担任教師は体育の実践指導は全くしていない。

 Projet-d’établissementなるものは、小学校段階では、学校別に作成されることはない。それは、以上の現実をみても理解できる。Projet-d’établissementは市の裁量によって、人事や施設との兼ね合いを考慮して作成されており、これを現実的に運用し、指導内容に関して改善の働きかけを行うのは、 Conseiller Pédagogique de Circonscriptionと呼ばれる、学校現場の教育実践の指導・管理を担当する指導主事のような役割を果たす人物によって担われている。 Conseiller Pédagogiqueは教育職であり、視学官のもとで教師の資質向上を任務とするが、本務に支障のない限り、視学官の行政職の任務を補佐することもある。1985年1月22日付省令では、8種のカテゴリーを定めているが、そのうち一般CP、体育CP、音楽CP、造形CP、言語・地方文化CP、教育工学・教育資料CPの6種のCPが視学官のもとに配置されることを定めている。CPCは国家レベルの教育目的を学級運営に反映させるための仲立ちと、現場教師一人一人のさまざまな教育実践上の問題の相談役という立場にある。

 シャマリエール市の体育担当CPCの一人と面接し、質問してみた。職務は会議や学校巡回、スポーツ団体との折衝など非常に多忙な様子で、常に分厚いファイルを抱えて市内を飛び回っているといった印象であった。

 小学校カリキュラムにおけるtransversalitéの概念であるが、体育がこの面で果たす役割については、たてとよこの関係があって、特に体育が教科内容において重視されているわけではないということだった。

小学校の3つの学習期で達成目標とされている力(compétence)としては、

横断的(transversale)な力、態度、時間空間の基礎的概念、学習方法、

言語習熟、

各教科独自の知識と学習方法

の3つのタイプが挙げられている。各教科独自の知識と学習方法での横断的目標のうち、体育科に関しては、第一学習期を特に世界の中で活動する領域に重点化したかたちで、表1のような内容が掲げられている。この表から、体育の横断的目標への貢献は、体力ではなく運動学習能力ならびに社会的行動能力に関するものであることが分かる。


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:体育科独自の知識と学習方法

第一学習期

世界の中で行動する

この学習期では、子どもは活動に取り組む中で自分の行動を構築する。次第に自分の活動の結果を知り、追求した努力と獲得した効果を比較する。

子どもの力はさまざまな空間の中で道具を用いずにあるいは用いて、自分にとって意味のある、全面的に参与できる場面で発達させられる。

つぎのことができなければならない

・自分の意図あるいは環境の促しに応答してできるだけ幅広い活動要素、走る、登る、投げる、跳ぶ、滑る、落ちる、引く、押す、操作するなど、できるだけ幅広い活動要素の目録を活用できる

・身近な整備された環境の中で、すすんで安全に活動を実行する

・他者と共に音楽なしあるいは音楽をつけて身体表現の活動、ならびに理解できる簡単なルールを尊重しながらに参加する


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第二学習期

体育

この学習期では、子どもは自分の活動を分析しながら行動を構築する。自分のやりかたと自分の活動の結果の関係を確立する。自分の活動計画を修正するために、これらの関係を理解する。

子どもの力は、次第により効果的かつ経済的な活動計画の中で、さまざまな身体的環境の中で発達しなければならない。子どもが基礎的知識を構築し活用するのは、活動の中で活動を通してである。

この学習期の終わりには、生徒はつぎのことができなければならない

・日常的活動より複雑な活動の実現。たとえば、ひとつないしたくさんの障害物の上を走り、跳ぶ、あるいは要素的活動の組み合わせなど

・こうした活動の実現の中で、移動、持続時間、速度の概念を把握する・供給すべき努力の強さとからだに及ぼすその効果、自分の限界の配慮を評価する

・課題の難しさ、予期される危険との関係で行動する

・他者との関係でルールにしたがって行動し、チームの中でいろいろな役割を果たす

・個人ないし集団の活動に参加し、他者に自分の感情や情緒を伝える


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第三学習期

体育

この学習期では、子どもは実現すべき活動を予測して、自分の運動行動をより方法的に調整し、洗練化させ、発達させる。提示された、あるいは自分で考えた活動の戦術の中から最も効果的なものを選ぶ。

子どもの力は、知識をもたらすことができる学習、および活動計画を具体化できる学習の場の中で、スポーツ的ないし非スポーツ的な身体活動によって発達しなければならない。

この学習期の終わりには、生徒はつぎのことができなければならない

・自分の活動の中で、すでに獲得された習熟の精密さによって最大の活動の容易さを表すこと

・スポーツ的身体活動・表現の実践の中で効果的に自分の知識・認識を活用すること

・集団的活動に参加し、さまざまな役割を果たすとともにルールを尊重すること

・個人ないし集団の計画に参加し最善のパフォーマンスを目指して自分の実践レベルを評価すること


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Collège Teihard de Chardin 

 この中学校の校門は、出発前に日本でコンピュータのウエッブで目にしたものであった。朝8時半過ぎに訪れると、学校長のラヴァストル氏みずから校門にたち、さみだれ的に遅刻して校門に駆け込んでくる生徒を呼び止めては、何か書類のようなものを提示させていた。これは簡単なやり取りで終わるものであったが、日本の校門事件のようなことをつい想像してしまったが、門扉というものがついていない、しゃれたデザインの校門である。しかし、そこには一種の規律維持のための学校管理者の仕事といった意識がくみ取れた。「毎日このように校門に立つのですか?」とたずねると、「週一日程度です。毎日はやっていられない。」とのこと。

 校長室の扉の前に2、3人の生徒が校長の来るのをまっている。そこでも一人、親が病気のためサインがもらえなかった生徒がいて、その理由を聞いてから学級へ戻すといったチェック業務をしていた。

 Projet d’établissement についてたずねると、1996年6月18日付省令の体育の目的に関する数行の規定をあげたのち、この学校の体育の展開を説明する文章を綴った書類の写しを手渡してくれた。その内容を検討してみると、ここでも体育の展開は県のスポーツ課との連携によって、スポーツ・クラブを盛んにする方向であるように思われた。

 1984年7月16日付スポーツ基本法により、第二段教育のすべての教育機関にスポーツ・クラブを設置することを義務づけられ、すべての学校スポーツ・クラブは、1986年3月13 日付政令によって制定された学校スポーツの全国事務局である全国学校スポーツ連合(UNSS)に加盟するようになった。

 ティヤール・ド・シャルダン校のProjet d’établissementである「スポーツ・クラブの教育的役割に関する Projet-d’établissement」は学校長と県UNSS事務局の間で取り交わされた書面のかたちをとっている。活動内容としては、クライミング、体操、水泳、バレーボールの4つのCompétences spécifiquesをUNSSの目標に沿って「枠づけ」(encadrer)することだと唱われている。そして、その手段として

1.社会的、道徳的価値に向かう具体的機会を提供すること

2.安全、連帯、責任、自立、健康をめざす教育に協力すること

3.団体生活への参加を促すこと

の三つを掲げている。

 他方、「スポーツ・クラブの教育計画は完全に、本校のProjet-d’établissementの一部をなし、その主要目標のひとつは、市民性の教育」である

スポーツ若手育成システム研究会 イングランド編 

January 08 [Tue], 2013, 15:12
「イングランド編」2003/04/09/

 イングランドには、『スポーツ・イングランド』という組織がある。これは以前スポーツ・カウンシルと呼ばれていた組織である。政府からの助成金や,企業からの協賛金,年額約2500万ポンド(約50億円)を運用し,サッカーに限らず様々な種目に関して,優秀なコーチの育成や,才能ある選手がスポーツに専念できるよう,助成金を割り当てる役目を負っている1)。このようにスポーツに対する支援体制がしっかりしているイングランドであるが、サッカーの若手を育成する組織が整備されたのは意外にも新しい。



1980年代初頭:16歳以上の選手はトップチームの見習いとなり、サッカーの練習に明け暮れるが、トップに上がれない選手もいるわけで、サッカーを止めた後に路頭に迷うケースが多かった。



1984年:イングランドサッカー協会は、ヨーロッパ、特にオランダの教育システムの影響を受け、「FA ナショナルスクール・オブ・エクセレンス」というサッカースクールを設立する。スクールは、将来のイングランド代表となるべきユース世代を育てることを目的とし、ロンドンの北西、シュロプシャー州にあるリリシャル・ナショナル・スポーツセンター内に創られた。この「FA ナショナルスクール・オブ・エクセレンス」は全寮制。生徒たちは、イングランドのトップレベルのコーチによる指導を受ける一方、近くの学校に通って一般の学校教育も受ける。こうしてプロのサッカー選手として成功できなかったとしても、ほかの道に進むことができるように配慮されるようになった。

 スクールのあるリリシャル・ナショナル・スポーツセンターは、もともとスポーツ競技全体のレベル向上を目的に設立されたものだが、8面におよぶ天然芝のサッカーグラウンドがあるなどサッカー施設も充実していた。それに専門のトレーナーがウエイトトレーニングの指導をしたり、スポーツ科学者が体力測定やアドバイスを行ったり、医師やフィジオセラピスト(メディカルトレーナー)がケガの予防とケアをした。

日本の例で強引に例えれば、福島のJヴィレッジの敷地内に、東京の国立スポーツ科学センターのスタッフがいるような感じかなぁ…。20年近く前だからすごい充実振り!



1980年代後半:イングランドのプロチームの多くは、ユース世代の育成組織を「センター・オブ・エクセレンス」と名づけ、ハイレベルなサッカー教育を行うようになる。そして、それらの中には、先ほど説明したイングランド・サッカー協会の「FA ナショナルスクール・オブ・エクセレンス」の影響を受け、一般の学校教育も受けられるようにするところもでてくるようになった。

 また、人材の発掘・育成を推進するプロジェクト「サッカースター」および「フットボールチャレンジ」が始動している。これは、前者が少年を、後者がユースを対象としたプログラムで、従来のように各クラブ、各地域で独自の視点でまちまちに選手を育成するのではなく、FAとして一貫したコンセプトを築き、一定の視点を持って若手の発掘・育成を行うというものである。現在、日本で推進されているナショナルトレセンのシステムと似ている。

 これらのプロジェクトを実行するには、一定レベルの視点を備えた指導者が多数、必要になってくる。そこでFAは、同時に指導者育成にも力を注ぎ、資格取得コーチを育てた。サッカーの母国イングランドで資格取得のための指導者育成が本格化したのが80年代後期とは、我々には奇異に思える。もちろん、それまでにもFA公認の指導者は育成され、資格が発行されていたが、それはあくまで一部プロフェッショナルに限られていた。そのため、ユースなど育成年代までは資格保有の指導者が行き渡らなかったのである。

 この動きと平行して、各クラブの下部組織でも改革が推奨された。先ほど紹介したリザーブチームによるリーグ戦はその1つである。

 また、その下のユース年代に計画的な育成プログラムを導入することも推進されている。これまでイングランドのユースはアプレンティス(徒弟)制度の中、トップ選手の付き人的仕事を勤めながら自ら技術を盗んでいくという、日本の職人に似た環境の中でしか育てられなかった。しかし、現在はユースに対しても資格保有の指導者がFAのマニュアルをもとにした指導を行うようになり、計画的、効率的な育成が進められている。その成果が示されているのがプレミアではリーズでありマンチェスターUなのである。もちろん、ディビジョン1以下でも状況は同じで、ユースチームを計画的に強化しているチームは各レベルで好成績を上げている。



1998年:フットボールアソシエーション(FA)のテクニカル・ディレクターを務めていたハワード・ウィルキンソン(元リーズ・ユナイテッド、U-21代表監督)が中心となってアカデミー制度がつくられた。これは8〜21歳の選手を地域の各クラブのアカデミーで一貫指導するというもので、いわばフランスのクラブが保有する育成センターのイングランド版。こちらは本家のフランスよりも対象年齢を低くしており、8歳の少年から指導にあたる。

 詳細は以下の引用4)を参照して欲しい。



 イギリスでは伝統的にスポーツは学校で行ってきた。これは日本の体育制度が英国の制度から学んできたことでも分かる通り。この点は大陸のドイツ、イタリアとはまったく向きを異にしている。ドイツ、イタリアではスポーツは町のクラブで行うもの、学校は勉強するところ。現在でもスクールスポーツというものは、プロ養成の意味からは存在しない。しかしイギリスでは、この併存型がいまだに続いているのである。

 まず、息子が6歳になったら、つまりプライマル・スクールに入ったら、どこでフットボールをするのか、選択肢は2つ。1つはその学校のフットボール・クラブに入るか、自分の住んでいる町・村のクラブのフットボール・チームにジュニア部門があれば、そこに入るかのどちらかである。この時期にうまくなるかどうかはまったくの偶然性で決まる。その学校に資格を持ったコーチがいるかどうかによるであろう。しかもそのコーチが子供をステップバイステップに伸ばしていこうとするコーチなのか、試合に勝つことしか考えていないコーチかに分かれるところは、日本も英国も大同小異。

 では、プロのチームのクラブにはどうやったら入れるのか。92年にプレミアリーグが発足するまでは、14歳になるまではプロチームで練習生になることはできなかった。当時の制度では、14歳になった時にクラブ、学校の校長先生、親と本人が契約すれば、アソシエイテッド・スクールボーイとしてプロチームの練習に参加することができた。といっても学校に通いながら、学校でもプレーしながらの特別措置であった。だから週2回夜練習に参加し、夏休み等に合宿練習できる程度でしかなかった。マンチェスターUのデビッド・ベッカムなどもその一人であった。

 この学校とプロ・フットボールの矛盾に気がついたFAのテクニカル・ディレクターのハワード・ウィルキンソンは、98年より”Charter of Quality”を発表。イングランドのユース育成に関してのガイダンスを実施し、21世紀のイングランド・フットボールを世界のトップにすべく全面的な革新を行った。

 ウィルキンソン氏は、公立校からラッボロ大学を出たインテリで、プレイヤーとしてもプロで活躍、コーチとしてノンリーグからプロのノッティンガム・カウンティ、シェフィールド・ウエンズデイを歴任し、そしてリーズでプレミアリーグ優勝を勝ち取り、現在のリーズのユース制度を確立した。今シーズンは彼の育てた若いプレイヤーたちが、プレミア首位を走る活躍に貢献している。

 この制度の骨子は次の通り。

1. 従来あった学校、スクール・オブ・エクセレンス(地域の優秀選手のトレーニングセンター)、アソシエート・スクールボーイ、クラブ・ユースシステムを変更、8歳から21歳までの選手を地域のプログラムの“アカデミー”として一貫指導し、将来のイングランドの中核選手を生み出す。

2. 現在は学校との併存で行っているが、来シーズンからは一度アカデミーに登録すると、アカデミー以外でのプレーはできなくなり、併存型は存在しなくなる。

3. 費用はすべてプロクラブチームが負担。8歳から16歳までの義務教育期間は、U-8〜U-12は、週2回練習、1回試合、U-12〜U-16は、週3回練習、2回試合

4. U-17〜U-21は、スカラーシップ制をとり、3年間のフルタイム。トレイニーとして、毎週木曜日は昼間、さらに週2〜3回夜間コレッジに通い、資格(教育)を取ることを義務づける。クラブが21歳(つまり大卒の年齢)まで責任を持って教育する。

5. U-8からU-11までは8人制、U-12より上が11人制とする。8人制はGK1人、BK2人、MF3人、FW2人で行う(マンチェスターUの例)

6. 今まであったFAスクールは、このアカデミー制の発足と同時に廃止する。このFAスクールは一つしかなく、全国より選抜した14歳、15歳の16名、計32名の選手をリリシャル・スポーツセンターに合宿させ、2年間地元の学校に通わせながら、FAコーチにより徹底したフットボール英才教育を行っていた。

7. アカデミーがまだ実現していない地域では、スクール・オブ・エクセレンスを存続させ、アカデミーができるまでの養成期間とする。

この制度は、ひとつには学校との併存型育成に限界を見出し、イタリア、ドイツのユースシステムの良さ(学校とは切り離したフットボーラー養成機関としてのクラブ)を採用しながらも、勉学の方にもシステムとしてクラブ側から積極的にアプローチするためのものであり、これも学校併存型の変形といえるだろう。

 イギリスではスポーツは、国民生活の一部となっているが、まだまだ教育熱心な国柄も残っている。学校の勉強とスポーツ、フットボールとの関係は、永遠の課題として単純に割り切って考えられるものではないというのが、イギリス人のスポーツ観であり、教育観なのであろう。



2001年末以降:38のクラブがイングランドサッカー協会の基準を満たしたユース世代の育成機関を持っている。リバプールを始め、サッカー批評でも特集が組まれたサンダーランド、マンチェスター・ユナイテッドなどは有名だろう。



 一方で、エリートコースから外れてしまった選手たちはどうすればいいのだろうか。イングランドサッカー協会は、こうした選手たちにも再度チャンスを与えられるような環境が必要だと考えられている。なぜなら、イングランド全体のサッカーのレベルを向上させることが、その最高峰であるプレミアリーグを強化し、さらにはイングランド代表を強化する、と考えられているから。そうした中で活躍しているのが「ボーイズクラブ」2)と呼ばれる青少年育成のためのスポーツクラブである。同様の活動として、「JJBスポーツセンター」3)も存在する。こうした環境を日本でも実現して欲しいと私は願っている。その思いを代弁してくれるかのような文章3)を引用し、イングランドの育成システムに関するまとめとしたい。

 こうして、名もない少年の段階からトップクラブのリザーブまで、フットボールでステップアップするチャンスはあらゆるシーンに用意され、そのあらゆるゲームにさまざまなレベル、カテゴリーのスカウトたちが目を光らせ、プレイヤーは身の丈に合った場所で能力が発揮できる環境が整っている。だからイングランドのフットボールのゲームは、どれひとつとってもプレイヤーにとって無意味なものはなく、その1つひとつが常に高いモチベーションを持って望む価値を持っているのだ。

 こうした環境こそ「トップレベルを支える底辺」というのだろう。日本では底辺の普及とは現在のところ、社会人から少年までのチーム数、プレー人口が増えることに止まっている。これから先、私たちが工夫しなければならないことは何か。少なくとも、日本のサッカー関係者はまず、マンチェスターFAが埋もれた若者に対してアクションを起こし、公の予算を引き出したように、自らがサッカーを愛する者として、あらゆることに対して主体的に行動を起こすことから始めてはどうか。無理は承知である。しかしJリーグもW杯招致も、誰もが無理と思うところから始まったのである。



参考文献

1)ロングパス―サッカー誕生から英国プレミアリーグまで,林信吾,新潮社,2000年,p20

2)渋谷英秋「イングランドにサッカー留学するための本」(中経出版)p46-53

3)サッカー批評issue06,2000,双葉社,フットボール風土記,永井洋一,p64-71

4)サッカー批評issue06,2000,双葉社, プレミアリーガーはこうやって誕生する!クラブと学校の併存型プレイヤー育成事情,伊藤庸夫,p86-91

5)二宮清純,スポーツを「視る」技術,講談社,2002,育成システム,サッカー,p115-118

スポーツ若手育成システム研究会 ドイツ編 

January 08 [Tue], 2013, 15:11
ドイツ編 2003/04/05/

 ドイツサッカーに関しては、湯浅健二氏が最も詳しい日本語での情報を提供しているように思える。詳しいことを知りたい場合は、湯浅健二氏のホームページを見て頂きたい。

 日本が目指す総合型の地域スポーツクラブのモデルとして有名なドイツでは、至るところにスポーツクラブが存在する。地域とスポーツの融合がスポーツクラブなら、選手やコーチの養成を担っているのが『スポーツシューレ』である。なぜ強化のための機関ができたのか?それには、ちゃんと理由がある。理由として、1.1964年東京,1968年メキシコオリンピックでの西ドイツ選手の不振,2.1972年ミュンヘンオリンピック開催決定,の2点が挙げられている.その際,当時の東ドイツの青少年スポーツ,それと1960年からオーストリアで導入されたスキーのトレーニングを重点的にした学校が模範とされている.その主旨としてタレント発掘,効果的なトレーニング方法の導入,そしてそのトレーニングを行うために必要な条件の設置というものがあった.これらをもとにしてドイツでは2つの違うシステムが出来上がったのである・一方は全寮制,一部寮制のSportbetonte Schulen,他方は他の学校と提携という形を取っているスポーツ寮(これらの違いは組織的なものから生じる.前者は学校が主体で,後者はスポーツが主体)である.そして国から多くの援助を受けているのは前者のほうである.しかし両タイプともスポーツのエリート学校として捉えられている.このような学校がドイツ国内に50程度あり,約3000人の生徒が通っている.(Training Journal,No257,p26,2000,加藤貴志)

 このような歴史的背景を持つ『スポーツシューレ』。負けて初めて、強化が必要なことを知るのは万国共通なのかもしれない。こうして50年近い歴史を持つ『スポーツシューレ』であるが、さすがに日本のJリーグがモデルとしただけあって、長所がいっぱいある。

 ハイレベルなコーチ育成。少年少女に未来の選択肢を多く与えること。こうして築かれた’70年代の栄光であったが、’90年代は沈黙していたと言われるほど不振に喘いでいた。そこで近年、ドイツ監督に就任するはずだったクリストフ・ダウム氏は「フランスのクレールフォンテーヌをドイツにも作ろう」と計画した。この計画はダウム氏が就任しなかったことで計画の実行が危ぶまれたが、少しずつ計画は進んでいる。

  それについては、現ドイツ代表コーチで、プロも含む全コーチ養成コースの総責任者であるエアリッヒ・ルーテメラーが、次のように補足してくれた。彼とは、ダウムと話した数日後に、私の母校でもある、ケルン国立体育大学で会った。

「ケルンのセンター計画は進んでいないけれど、その他のユース育成プログラムは進展しているよ。クラブが立ち上げた育成センターだけではなく、全国300ヶ所以上で行われる選手セレクションシステム(日本で言うトレーニングセンターシステム)も機能している。でも一番大事なのは、ゴールデンエイジと呼ばれる6〜8歳から14歳までの子供たちに対する正しい指導なんだ。その年齢で、テクニック的な感覚のほとんどが養われるからな。まあ、昔はストリートサッカーがあったわけだけれど……。とにかく、その年齢の子供を専門に教えるコーチの養成も手がけているんだよ。やっとその第1期生が卒業したところだ。たしかにオレたちは’90年代は眠っていたけれど、これから、どんどんと優秀な選手が出てくるはずだよ。そう、’70年代のようにね」,p79(Number,No.570,ドイツを揺らせ,文藝春秋,2003,クリストフ・ダウム“失われた10年”を乗り越えて,湯浅健二=文,p77-79)

 一流のクラブチームのように集中的な指導を受けられないことが、唯一といってもいいほどの欠点ではあるが、『スポーツシューレ』に対する評価はやはり高い。

 日本の若手育成システムとしてのナショナル・トレーニングセンターは約20年の歴史を持つが、50年の歴史を持つ『スポーツシューレ』、そして100年以上の歴史を持つスポーツクラブから、日本のスポーツ界が学ぶべきことは多いと感じる。すぐに真似をできるわけではないが、日本の今の社会に適応した形で振興プランを立てることは、クラマー氏が日本サッカー界の成長に貢献した時の教訓そのままである。真似をするのではなく、独自の計画を立てること。大事なことだと思う。

参考資料

1)サッカーの話をしよう3,大住良之,NECクリエイティブ,1997

「ドイツではね,スポーツシューレでクラブ関係者のための運営の講座があるんですよ」

こんな話を小川武朗さんから聞いたのは,95年夏のことだった.

 都内で建設コンサルタント会社を営む小川さんは,千葉県内で少年サッカーチームのめんどうを見ながら自らもボールをける「草サッカーマン」.よく行くドイツのスポーツシューレ(スポーツ学校)には,以前から強い関心をもっていた.

 95年3月,出張中にドイツで心筋梗塞を起こし,入院,手術のために3ヶ月も滞在しなくてはならなくなった.そのときたまたまお世話になったのが,ビュッテンブルグ州のサッカー協会の役員のお宅.小川さんは「これ幸い」と,しっかりスポーツシューレの研究をしてきたという.

 Jリーグの川淵三郎チェアマンが30年前に見て感激し,日本にプロリーグをつくるときの理想系となったことで知られるスポーツシューレ.ドイツでは各州のサッカー協会が運営している.

 スポーツシューレはプロから少年までいろいろなスポーツチームの合宿の舞台となるだけではない.サッカーのB級コーチ資格所得コースや審判の養成コースなどの講座を年間通じて開講している.そしてとくに小川さんの興味を引いたのが,州内4400もの「中小スポーツクラブ」関係者を対象としたクラブの運営方法とマーケティングの講座だったという.

 ドイツの町には,人口がわずか500人でもかならず存在するスポーツクラブ.町が土地を提供し,クラブ会員の会費で運営されている.スポーツシューレがそのためのコーチ養成機関になっていることは知られている.だが「クラブ運営」のコースがあるとは,まさに晴天の霹靂だった.

 それぞれのスポーツクラブが地域の人々の生活を豊かにするためには,しっかりと運営され,活動を充実させなければならない.だからそれに携わる人々に適切な「指導」を行う――.ごく論理的なことだが,日本にはこうした発想はこれまでまったくなかった.

 豊かな自然に囲まれたスポーツシューレにたたずんで,小川さんは日本とJリーグのことを考えた.

 「Jリーグの理念とは,地域のスポーツのリーダーとして,スポーツシューレの役割を果たすことではなかったか.ところが今のJリーグのクラブは,自分のことで精一杯だ」

 「地域に豊かなスポーツの文化を築きたい」というJリーグの「理念」に動かされ,全国でJリーグを目指す動きが出ている.なかには大金を投じてJリーグにはいることだけを目指す例もあるが,「地域に根ざすスポーツクラブ」という理念の「本質」を見抜き,それに賛同して動きはじめている地域も少なくない.

 Jリーグは,そしてそのクラブは,こうした動きにこれからどう対応していくのか.「クラブづくりをするなら,私たちがノウハウを持っていますから,どうぞ使ってください」と胸を張って言えるものは,残念なことに現在のJリーグにはない.

 先週,小川さんはJリーグにひとつの提案をした.Jリーグとクラブが地域のスポーツクラブを対象に,こうした研修プログラムを実施するためのプランだ.

 一方Jリーグは,4年目の開幕を前に「理念」を再度告知し,地域スポーツのリーダーの役割を明確にしていく方向だという.小川さんの提案は,この方向性を具体化するものにほかならない.

今後のJリーグの動きに注目したい.p56-59

2)「湯浅健二のサッカーホームページ」

「2006」へ向けたドイツ再生への道・・その3「ドイツでも、ユース世代まではしっかりと育っているんだよ。もちろん、テクニック的な課題はあるけれどもナ。それでも、ユース世代がおわる18歳になってからが問題なんだ。彼らが自分たちの能力を発展させる場が十分に提供されていないんだよ。これはもう構造的な問題としかいいようがないネ」
 ドイツ代表チームのヘッドコーチ、ミヒャエル・スキッベが、端正な顔に暗いしわを寄せて語っている。そこは、2001年7月にドイツのベルリンで開催されたフットボールコーチ国際会議のステージの上。何人かのエキスパートたちが参加してパネルディスカッションが開かれた。タイトルは「2006(ドイツワールドカップ)への道」。ユース世代をどのように発展させていくのか・・というのがメインテーマである。
 三日間にわたって開催されたフットボールコーチ国際会議は、ドイツフットボールコーチ連盟が主催している。ボクもその正式会員だ。テーマは、プロクラブにおけるコーチの「現実的な仕事」、あるプロクラブ(SCフライブルク)が実践する科学的なトレーニングシステム、サッカーにおける「スピードとパワー」の科学的な意味、戦術的なトレーニングとスピード&パワートレーニングの効果的なクロスオーバー、実践的なシュートトレーニング、ゾーングループによるディフェンス、攻撃における個人戦術のトレーニング等々、多岐にわたる。
 国際会議については、大まかなところを現地から順次レポートした。筆者HP、「湯浅健二のサッカーホームページ」のトピックスコーナー(ドイツ便り)を参照していただきたい。
 その最終日に行われたパネルディスカッション。参加したのは、ミヒャエルの他、ユルゲン・レーバー(ヘルタBSCベルリン監督)、エデュアルド・ガイヤー(FCコットブス監督)、二部から返り咲いたレジェンドクラブ、メンヘングラッドバッハの監督、ハンス・マイヤー、エアリッヒ・ロェーテミュラー(ドイツサッカー連盟コーチ養成コース責任者)、「J」のレッズで活躍した、ご存じギド・ブッフヴァルトなど。熱い議論が交わされた。
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 「いまドイツサッカーに求められているは、戦術的なアスペクトじゃなく、一対一の強さなんだヨ。個人的なテクニックというテーマに集約されるんだろうが、それを、ユースの世代から、常に、効果的にトレーニングしていかなければならないんだ・・(ハンス・マイヤー)」
 ハンス・マイヤーは、「当時」の東ドイツ出身プロコーチ。「システム(戦術)」にこだわりすぎる「ステレオタイプ・サッカー」が決定的なネックだった東ドイツ(当時の共産圏)でほとんどのサッカー人生をおくった彼だから、その発言に新鮮な意味合いがあったわけだが、冷静に考えてみれば、「だからこそ・・」と言えないこともない。要は、反面教師。彼は、東ドイツ当時から、官僚的な「育成システム」に大きな疑問をもちつづけていたということだ。フムフム・・。このことはボクにも言える。ボクにとってドイツサッカーは、今でも大いなる反面教師なのである。
 ドイツのサッカーは、たしかに強いけれど、決して美しくはない。個人のクリエイティビティー(創造性)を抑制してしまうサッカー・・。戦術にこだわり過ぎるサッカー・・。ドイツの現場レベルにおいて、多くのコーチが抱えている問題意識だ。そのことは、国際会議で知り合ったコーチ連中たちとのコミュニケーションでも明確に感じられた(彼らの多くは地方サッカー協会でのリーダー的な存在)。ただ「全体的な入れ物」が硬直しているために、「創造的な破壊」まで進展させるのが難しい。そして、プロの頂点である「ブンデスリーガ」では、そのクリエイティビティーを外国人プレーヤーで補填する・・
 要は、育成ステージ(段階)のトレーニングにおいて、戦術(組織プレー)と個人の創造性のバランスがうまく取れていないということなのだが、まあ、このテーマについては別の機会に譲るとして、ここでは、ユースの育成に関してドイツサッカーが抱えている、より大きな「構造的」課題に絞ってハナシを進めていくことにする。
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 ミヒャエル・スキッベが言っていたように、たしかにドイツでも、ユース世代は着実に育っている。そのことは「U17」とか、アルゼンチンにおける「U20」のドイツ代表を見ていれば分かる。そこでは、「個人」のインプロビゼーション(即興性)でも、ある程度のレベルにある若手を見かける。ただ、それ以降については・・
 ミヒャエルは、今回のアルゼンチンでの「U20世界選手権」から帰国したばかりだったのだが、「むこうでは、アルゼンチンやブラジルの代表コーチ連中と、本当に深いところまでディスカッションしたんだ。国によって・・というか、文化背景によってメインテーマが違うということを実感したネ。それでも、彼らのトップリーグが、若手の才能を伸ばすという意味で、うまく機能していることだけは確かなことなんだよ。それに対してオレたちのブンデスリーガでは・・」と、問題定義をするのである。
 リーグのブランドネーションは、構造的に共通の課題をかかえている・・。このことについては、既に何度もコラムのテーマとして取り上げた。イングランド、イタリア、スペイン、そしてドイツ。この四カ国が、フットボールリーグの「世界的」ブランドネーションである。昨今の「テレビマネー」もそこに集中する。だから各クラブは、こぞって外国人を「買収」し、クラブを強化しようとする。彼らは、自国の「若いポテンシャルタレント」を横目でチラチラ見るだけだし、これまでは、若手強化のために投資しようとする姿勢にも「本気」が感じられなかった。
 対する、フランス、オランダ、はたまたポルトガルなどの「選手輸出国リーグ」は、しっかりと、自国の若手が発展するための「場」として機能している。今回参加していたフランスやオランダのコーチ連中がほくそ笑むこと・・
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 ドイツでも、若手育成のためのシステムはかなり整備されているし、今年度から、ブンデスリーガクラブが主導で、育成システムの改善に年間2000万マルク(約11億円)を投じようとするプランが動きはじめてもいる。とはいっても、それで「能力を発展させる可能性」が大きく開かれるようになるというわけでもない。
 そのテーマについては、パネルディスカッションに参加した「現場コーチ」たちも口を濁すだけ。彼らにしても、今日の糧を得るためにチームを「手っ取り早く強化する」しかないのである。
 「とにかく、18歳になってユース世代を卒業してからが問題なんだよ。そこから選手たちは本当の意味で伸びるんだけれど、それから23歳くらいまでの間に、本当の意味で、常にトップレベルの環境に身を置くことが大事なんだ。そこで、3部や4部リーグでプレーしなければならないようでは、お先真っ暗だよな・・」。ミヒャエルが、口角泡を飛ばす。
 たしかに、今回のU20代表チームの選手たちの何人かは、ブンデスリーガトップチームにピックアップされている(契約することができた)。ただ出場機会に恵まれないという現実には変わりはない。現在では、ブンデスリーガに登録されている選手たちの約半数が「外国人」。また今シーズンから、「EU以外の外国人登録枠」も、これまでの「3人」から「5人」に積み増しされるなど、若手にとって状況は、より厳しくなっているのである。
 とはいっても、最後は「プレーヤーの質」が問われるという原則は生きている。「才能」さえあれば、どんな厳しい状況でも頭角を現してくるということだ。ベルリンのダイスラーや、レーバークーゼンのバラックなどの若手代表選手のように・・。ただ逆に、質を向上させたり、それを証明するための「場」が限られているなど、「システム的な間口」が狭くなってきていることも確かな事実であり、その影響は、今後数年のうちに「より」明確に現れてくるに違いない。
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 ボクは、ここで結論を出せるなどと思い上がっているわけではない。ただ、「リーグブランドネーション」の若手プレーヤーたちにとって、状況がどんどんと厳しくなっているという現実を、また何とか良い方向へもっていこうと努力している現場コーチが多数いるということを記録しておきたかった。
 どんなセクターであれ、社会のシステムというものは、常に「自由」と「規制」の間を揺れ動いている。自由にすぎたときは規制方向へ、また逆に、規制が強すぎるときは自由方向へ、それぞれ「自然の成り行き」として揺れ戻しがあるものだ。

3)Soccer Magazine,2000,No.773

・イングランドもそうだ.プレミアシップに注ぎ込まれる金だけじゃどうしようもないことに,かれらも気づいただろう.育成センターや教育システムを確立して,若手の育成に力を入れるべきだってことにね.(SM,2000,Vol.773,p7)ジダン

・今日のフランスサッカー隆盛の起源をたどれば,70年代初頭に始まる若手の育成に行き着く.1部・2部に所属するすべてのクラブに,育成センター設置を義務づけ,組織的な育成を行ったところから,第一歩は始まった.(SM,2000,No.773,p12)

・フランスサッカーの成功は,ジョルジュ・ブローニュが70年代に始めた若手の育成によるもので,ほかの何ものでもない.育成システムこそフランス成功のカギだ.(SM,2000,Vol.773,p19)

・ 「何とかストリートサッカーを補わなければ・・・」

 ドイツ国際コーチ会議が,旧東ドイツのエアフルト市で開催された.主題は「ユースサッカー」.ワールドカップ,欧州選手権で惨敗したどいつサッカーを再生するための,唯一の希望である.また,2006年ワールドカップがドイツに決まったことでも盛り上がった.最初の講演者,ミュンスター大学のコッホ教授が「まず技術の向上ありき・・・,発育過程での心身のバランスをこうりょすることも重要・・・」などの一般的な論を展開していたとき,彼の声が急にトーンアップした.「ストリートサッカーを・・・」というくだりにんったときだ.たぶん彼も,ユースサッカーでのオーバーコーチングを憂慮しているのだろう.子供たちの創造性の発展にブレーキをかける,「形にとらわれる」教え過ぎ(過度の規制)を・・・.

 ユース年代で最も重要なことは,彼ら自身が主体になってプレーを心底楽しむことだ.子供たちが興じる「遊び」,ストリートサッカーでは,基本ルールの下,自ら工夫を凝らして楽しもうとする.それこそが,彼らの創造性を発展させるための最重要ポイント.

 ただ,社会が豊かに,複雑に発展するなかで,ストリートサッカーを見かけることがまれになっている.そんな現状だからこそ,日常のトレーニングにおいて,ストリートサッカーの「エッセンス」を補わなければならないのである.

 基本的な技術や戦術の練習を除いたゲーム形式トレーニング(ハーフコートでの7対7マッチが有効)では,監督は基本ポジションと,攻守の考え方(最小限の戦術=規則)だけを決める.そして子供たち自身がグラウンド上で自由に工夫するように仕向け,リスクへチャレンジする勇気を与える.

 ヒントはどんどん出すが,それを消化し,応用するのは彼ら自身.「やらされる」のと,自分主体で「やる」のとでは,効果に雲泥の差が出るのも当然なのだ.チーム内で「何で最後までマークしないんだ!」とか,「何でパスをもらうために走らないんだ!」という声が出始めたら,しめたもの.そうなれば,失敗をステップに自由なサッカーを心から楽しむことで,進歩スピードも格段にアップするに違いない.

 子供たちは「天才」だ.彼らの学習能力は無限なのである.ただ,学習プロセスは,限りなく自分主体でなければならない.規制(戦術)を最小限に抑えることで,自らの決断によるチャレンジが彼らの血となり肉となる.そして本物の自信を形づくる.

 それが,特に少年サッカーでは決定的に重要な意味を持つのである.(SM,2000,No.773,p125)

4)Training Journal,No257,2000

・スポーツと選手を育てるシステムづくり(Training Journal,No257,p26〜32,2000)

・まず初めになぜこのSportbetonte Schulenが設立されたのかをを述べてみたい. その設立理由として,1.1964年東京,1968年メキシコオリンピックでの西ドイツ選手の不振,2.1972年ミュンヘンオリンピック開催決定,の2点が挙げられている. その際,当時の東ドイツの青少年スポーツ,それと1960年からオーストリアで導入されたスキーのトレーニングを重点的にした学校が模範とされている.その主旨としてタレント発掘,効果的なトレーニング方法の導入,そしてそのトレーニングを行うために必要な条件の設置というものがあった.これらをもとにしてドイツでは2つの違うシステムが出来上がったのである・一方は全寮制,一部寮制のSportbetonte Schulen,他方は他の学校と提携という形を取っているスポーツ寮(これらの違いは組織的なものから生じる.前者は学校が主体で,後者はスポーツが主体)である.そして国から多くの援助を受けているのは前者のほうである.しかし両タイプともスポーツのエリート学校として捉えられている.このような学校がドイツ国内に50程度あり,約3000人の生徒が通っている.(Training Journal,No257,p26,2000,加藤貴志)

・すべてのSportbetonte Schulenは根本的に基本的財政支援によって援助されている.ちなみにドイツスポーツ支援基金がどれくらい支出しているかというと,年間約3.2million DM(1億6000万円),39施設がこれの対象となっており,計1100人の選手がその対象となっている.(Training Journal,No257,p27,2000,加藤貴志)

5)WSG,World Soccer Graphic,1999,Vol.68

・サッカークラブのあり方を考える.p54-63

・Jリーグの目標,ドイツのスポーツシューレ,p58-59

 近年,ドイツはスポーツの振興に力を入れてきた.30年代にはうら若き乙女がジムでエクササイズをするなど考えられなかったことだ.

 それが今では,スポーツは学校教育の一環として取り入れられ,子供たちは一週間に一度体育の時間を楽しむことができる.おかげで彼らは18歳までにたくさんのスポーツを経験し,その中で選択することが可能になったのだ.特別なクラブに在籍する前に,彼らは自分の意志でそれを選ぶことができる.これが,ドイツの学校教育の中におけるスポーツのあり方である.

 一方,ドイツのスポーツクラブ(学校教育とは異なる)は,他の欧州のクラブの例に漏れず,総合スポーツクラブである場合が多い.バイヤー・レヴァークーゼンを例にあげれば,現在ブンデスリーガで活躍する名門のサッカーチームのほかにもスケートやアイスホッケークラブがあり,トレーニングセンターではたくさんの子供たちが多くの選択肢とその可能性を模索できる.選択肢がたくさんあることで,子供が“押しつけ”によりスポーツをすることがなくなるため,このシステムには親も非常に好意的だ.つまり,ドイツでは,スポーツクラブのレベルでも頻繁にスポーツの課外活動が行われているのである.

 もちろん,その選択肢の中で,最も人気が高いのがサッカーであることは言うまでもない.現在ドイツサッカー協会に登録している人数はドイツ全体の人口の約15分の1にあたる550万人と言われ,その周辺は広い.確かにビッグクラブの場合だとトップチームへの門戸は狭まるが,アマチュアでプレーを続けることも当然可能で,つまり,自分に合ったレベルでプレーできることも特長となっている。実はこれが,ドイツがサッカー大国である所以なのだ.

 そして,そのための重要な役割を果たしてきたのが,有名な「スポーツシューレ」だった.このシステムが誕生したのは今から50年前のこと.隠れた人材を発掘し,それを埋もれさせないために,地方にまで網の目を張ったのである.シュルスウィク・ホルンシュタインを中心に北部一帯に90以上のセンターを構えるこのシステム.実は前述したように,このシステムが完成する以前からブレーメンやハンブルガーSVといったトップクラスではユースシステムを有していて,若き才能にもチャンスは与えられていた.しかし,そういった有名チームに入団することは,どうしても普通の子供,特に郊外の子供にとっては高嶺の花だったのだ.それがスポーツシューレの確立によって,地方でチャンスも貰えずに才能を無にしていた子供たちが活路を見出すことができるようになったのである.

 そのスポーツシューレの功労者でもあるジェファーソン氏は語る.「我々は才能ある少年少女を見出し,まず各クラブに登録させる.そして週に一度はその子供たちをシューレの特別トレーニングセンターに集めてレッスンを施す.これは子供たちにとってかなりのアドバンテージなはずだ。レベルを上げた子供たちがそこで再び集い,お互いが刺激し合い,さらにシューレが招聘した優秀なコーチのもとで最高の教育が受けられるのだからね」.

 ハイレベルなコーチ育成.これもシューレが進めているプロジェクトのひとつだ.ジェファーソン氏は続ける.「我々はスポーツシューレにおいてコーチの養成も担っている.3週間の講習に対して250マルクの授業料を支払いライセンスを取得する.このシステムはバケーションを浪費せずに済む期間に設定され,非常に効率的だ.これまでも,延べ1500人ものコーチを輩出している.彼らはプロの指導ではなくともシニア,ジュニアをケアする重要な仕事を任されている」.

 シューレはハード面でも良くオーガナイズされている.滞在するためのホテル,整備されたピッチ,会議室まである.専任コーチが自宅からシューレに通えない場合には滞在も可能で,万全の体勢をとっている.

 デュイスブルクにあるドイツ最大のスポーツシューレでは,1年に一度,1週間に及ぶ若年代のロングトーナメントが開催され,この大会にはドイツサッカー協会もスポンサーとして参加している.ジェファーソン氏は以下のように説明を加えている.「我々の役目はタレントを発掘してそのつぼみを開花させることだ.でも,我々のミッションはそこで終わり.門戸を開いた後はクラブが彼らを全面的にケアしてプロスポーツ選手となるための教育,生活を保障する必要がある.もちろん全員がプロになれるわけではないが,やはりできる限りのことをしてあげたいと考えている」.

 少年少女に未来の選択肢を多く与えること.スポーツシューレではこれを理念にしているため,もしプロになれなかった場合の“保険”もしっかりと確立されている.ブンデスリーガのプレーヤーの多くは欧州の普通の大学生よりも教養があると言われているのは,決して偶然の産物ではないのだ.

 スポーツシューレは基本的に協会からも企業からも独立したシステムである.そして,ブンデスリーガの観客動員数が充実しているのも草の根の努力を惜しまないスポーツシューレのおかげだと言う声もある.最近ではアマチュアである3部リーグでさえも意外にもスタジアムは埋まっているのだ.ウリ・へーネスも,シューレのような地道なスポーツ振興を行ったことがリーグに熱狂をもたらしたことを報告している.

 「ここ5,6年でリーグは急速に状況を取り戻してきた.おそらくこれは,イタリアやイングランドと比較しても遜色ないだろうね.それは下部組織の充実により国内に情熱が戻ってことが大きいんだ.もちろん,外国でプレーしていた有名選手が戻ったことも影響しているけどね」.

 最近の代表チームの不振は,危惧されていたほどの悪影響をブンデスリーガに及ぼしてはいない.それも,スポーツシューレが現在,代表,ブンデスリーガと二人三脚でその根底を形成していることが大きく関与しているだ.もっとも,シューレは家族密着型でユースの試合は観客というよりは親戚や友人が参加する,地域コミュニティーに近い役割を託されている.この役割は意外に大きく,次世代へのバトンタッチ的ミッションを担っていると言っても過言ではない.

 もちろん理想的に見えるシューレにも欠点はある.例えば一流のクラブチームのような集中的な指導は,スポーツシューレでは受けられないのも事実だ.しかし,クラブのスカウトによって評価を受けなかった子供が,シューレの指導で大化けする可能性は十分にあり,また,彼らにそのチャンスを与えている(しかも学業の妨げにならずに)という点で,スポーツシューレに対する評価はやはり高いのだ.

 タレントを広く発掘し,より多くの花を咲かせる.ドイツのスポーツシューレが底辺で果たしている働きは計り知れない.あれだけ期待されたドイツ代表は94年に続き,またもワールドカップで失態を演じた.それでも,底辺がしっかりしているドイツが,世界屈指のスポーツ大国かつサッカー強国であることに変わりはない.(Dumas),p58-59

6)Number,564,J’S 10 YEARS 1993〜2002,日本サッカー黄金の10年,2003,文芸春秋

・杉山茂樹「ドイツ・オランダの育成システムに学ぶ」(Jリーグアカデミー海外視察密着レポート),p93-98

 

・Jリーグアカデミーの一行を乗せたバスは、晩秋から初冬へ移行するドイツ、オランダ両国を所狭しと駆けめぐった。至る所に点在する緑のピッチは、鮮やかな紅葉にデフォルメされ、車窓越しによく映えた。ドイツはその数約5000。オランダの場合は約1万。1000の域に達したばかりの日本から訪れた指導者には、眩し過ぎる景色だった。

 日本サッカー協会がセントラル・トレセン制度をスタートさせたのは’70年代後半。それに改良が施されたのは’90年代前半。そして2002年、今度は10周年を迎えたJリーグが、日本型育成システムの確立を目指すための新規事業として、Jリーグアカデミーを開設した。ドイツ、オランダへの研修は、その第1弾ともいうべき活動である。,p94



・見る、そして聞く。当然そこにギャップは潜む。1860ミュンヘンで、テクニカルディレクターを務めるターナー氏は、まずクラブの育成予算についてこう説明した。

「クラブの年間予算は3700万ユーロ(約44億円)。育成の予算はそのうちの10%」。3700万ユーロは、日本の物価水準に照らせば70億円に相当する金額だそうで、つまり、その10%は7億円相当に値する。名古屋グランパスの市ノ瀬秀樹氏はこう言って舌を巻く。

「ウチはJリーグの中では育成費が多いといわれているが、それでも1億5000万円。そのうち土地代が3000〜4000万円を占めるので実質は1億円強に過ぎない」と。この後に訪れたレバークーゼン、アド・デンハーグ、フィテッセ、フェイエノールト、PSVの各クラブも、育成費は年間予算の8〜10%を占めていた。,p94

7)Number,No.570,ドイツを揺らせ,文藝春秋,2003

・クリストフ・ダウム“失われた10年”を乗り越えて,湯浅健二=文,p77-79

 「だからこそドイツは、クリエイティブな選手を育成するために、包括的なプランを練らなければならないんだ。オレは代表監督就任が決まってから、すぐにそのプランに取りかかった。代表監督は、ドイツサッカー全体に対しても責任を負うというのがオレの考え方だったし、サッカー協会も協力を約束したんだ。そして取り組んだのが、フランスのクレールフォンテーヌをドイツにも作ろうという計画だった」

 フランスのビシーに本拠を置くサッカーの殿堂、クレールフォンテーヌは、フランスサッカーの中枢である。コーチ養成コースだけではなく、フランス全土から集められた優秀なユース選手たちが寄宿し、サッカーだけではなく、勉学もともにする。そこで選ばれた者だけがプロへの階段を上っていくのである。ジダン、アンリも、そこの卒業生だ。

「それをケルンの郊外に建設することが本決まりになったんだよ。選手の養成だけではなく、コンピューターを駆使して、ドイツ全土の情報を蓄積し、選手たちの日々の変化を克明に記録する。もちろんコーチ同士の情報交換の中枢としても機能する」

 一度言葉を切ったダウムは、より包括的なプランについても語りはじめた。

「もちろん、ソフト的な振興プログラムも具体的に描いたよ。特に、学校スポーツの見直しが大事だと思った。眠った才能の宝庫だからな。そこへ、クラブと連携してコーチを派遣したり、各州の文部省に対し、より多くサッカーの授業を取り入れるように働きかけたり、サッカー協会との連携で、元ドイツ代表の有名選手たちをドイツ全土の学校へ派遣したりするんだ。そうすれば、生徒たちも、よりサッカーに対して目を向けるようになるに違いない。だが計画は頓挫してしまった。残念だな……」

 ダウムの声が、ちょっと沈みがちになる。

「それでもクラブが運営する育成センターは既に機能しているし、基本的な振興プラン自体は動いているはずだ。優秀な人材はいるから、何とかなるとは思うけれど……」

 それについては、現ドイツ代表コーチで、プロも含む全コーチ養成コースの総責任者であるエアリッヒ・ルーテメラーが、次のように補足してくれた。彼とは、ダウムと話した数日後に、私の母校でもある、ケルン国立体育大学で会った。

「ケルンのセンター計画は進んでいないけれど、その他のユース育成プログラムは進展しているよ。クラブが立ち上げた育成センターだけではなく、全国300ヶ所以上で行われる選手セレクションシステム(日本で言うトレーニングセンターシステム)も機能している。でも一番大事なのは、ゴールデンエイジと呼ばれる6〜8歳から14歳までの子供たちに対する正しい指導なんだ。その年齢で、テクニック的な感覚のほとんどが養われるからな。まあ、昔はストリートサッカーがあったわけだけれど……。とにかく、その年齢の子供を専門に教えるコーチの養成も手がけているんだよ。やっとその第1期生が卒業したところだ。たしかにオレたちは’90年代は眠っていたけれど、これから、どんどんと優秀な選手が出てくるはずだよ。そう、’70年代のようにね」,p79

・デッドマール・クラマー「サッカーを愛する日本の諸君へ」,p96-97

 東京オリンピック終了後の5つの提言

1.代表チーム強化のために、国際試合の経験を数多く積むこと。

2.高校から代表チームまで、それぞれに十分な数のコーチを置くこと。

3.コーチ育成の制度を確立させること。

4.トップチームが参加するリーグ戦を組織すること。

5.芝生のグラウンドを数多くつくること。

スポーツ若手育成システム研究会 イタリア編 

January 08 [Tue], 2013, 15:10
イタリア編 2003/03/19/

 イタリアはU-21のヨーロッパ選手権で3回連続優勝するなど、若手育成にはヨーロッパでも定評があると言われている1)。イタリアのユースサッカーの概況はイタリアサッカー研究1)に詳しいので、そちらを参照して欲しい。イタリアではレッジーナを除いて、スタジアムは公共機関の所有である。このため、練習場は質素であり、スタジアム内のグランドは1面しかないことが多いため、ユースチームは同一グラウンド内でトップチームと練習、というわけにはいかないのが実情である。この意味で、裕福なクラブを除いては、施設面でハンデを背負っていることが分かる。ただし、どこのクラブでもユースの育成に関しては熱心にやっている2)。人数は各クラブが各年代合計で150人程度を抱えている2)。

選手の選抜については、14歳以下は近隣の地域からしかプレーヤーを取ってはいけないことになっている。それ以上の年代では、イタリア全土から選手を集めているが、イングランドやフランスのクラブのように外国からも若いプレーヤーを集めることはほとんどない。遠い町からやってきた少年たちに宿舎を与え、教育にも責任を持っているのは当然だが、ユースの選手用の宿舎まで用意しているクラブは、イタリアではほとんどないようである。

 スタッフとしては、ユース部門全体の統括責任者がおり、各年代別の監督、コーチがおり、GKコーチなどは全体に1人か2人がついているのが普通だ。ただ、現在、世界の多くの国でやっているように、サッカー協会が指導内容について細かい支持を出すようなことはなく、各クラブで独自に強化を行っているという(全体の連絡は頻繁に行っているようだが)。

 このように、施設という面でも、育成の内容でも、イタリアの若手育成システムはヨーロッパの最先端を行っている国々(たとえば、オランダ、フランスなど)に比べていささか立ち後れているようなのである2)。

 若手育成に熱心なチームとして、パルマACを挙げることができる。1998年8月に完成したスタジアムは、20歳以下のユースチームとトップチームが隣のピッチで練習できる。15歳以上の少年たちにかかる費用は、宿舎も与える場合で1人あたり年間に約2000万リラ(1リラ=約0.055円)にのぼるが。これをクラブ側は将来に対する投資と考えているそうである3)。パルマにおける「サッカー・スクール」の充実はイタリアでは例外的である。

 イタリアでは6歳から16歳の選手が65万人登録され,8000のクラブ組織が存在し,3万のチームがある.そのうちの2200のクラブは少年指導を専門に行っている.また,6歳から12歳までサッカー普及を目的としたサッカースクールは6000ある.このなかでイタリア協会の資格を持ったコーチ2万人が指導を行っている.(Soccer Clinic,2000,5,p99)

・直接,青少年に関わる問題であるが,過大な親の期待である.親は莫大な金を稼ぐセリエAの選手になってもらいたいと息子に期待する.このため年少の頃から専門的な指導を親自身で行ったりコーチに求めてしまう.中学年代で教えるようなことを小学生の低学年に教えたりして子供はサッカーからストレスを受けるようになっている.子のことが原因で16歳でサッカーをやめる数は3万人に上る. これらの問題を解決するためにイタリア・サッカー協会はアクアチェトーサで実際に6-12歳の子供約450人を集め,専任コーチが選手育成プログラムを研究しながら,親の教育も含めて少年にどのような環境を与えるのがよいかを模索している4).親の過剰な期待が問題となることもあることを理解しておきたい。

 では子供はどのような気持ちでサッカーを続けたらいいか、イタリア代表で活躍するトッティの言葉を借りてまとめとしたい。

「プロ選手になるには,非常に多くの幸運を必要とするんだ.いつも冷静に,そして特に小さな頃は遊びのつもりでプレーすることが大事だよ.」5)





参考文献

1)http://www.geocities.com/Colosseum/Midfield/1013/giovanile1.html

2)サッカー批評,07,2000,双葉社,カルチョの神話,セリエA幻想と見えてきた現実,後藤健生,p18-31

3)サッカー批評,07,2000,双葉社,カルチョの神話,パルマAC、イタリア・サッカー界への挑戦,後藤健生,p33-43

4)Soccer Clinic,2000,5,p99

5)WSG,World Soccer Graphic,1999,Vol.68,p7





1)http://www.geocities.com/Colosseum/Midfield/1013/giovanile1.html

inchiesta sul mondocalcio
イタリアサッカー研究(2)

イタリアのユースシステム(1)
サッカースクールからプロ予備軍までの道のり

日本でJリーグがスタートして4年。いわゆる「興行システム」としてのプロサッカーはともかく、頂点としてのJリーグを支える裾野の部分にあたる選手育成のシステムは、まだ十分に整備されているとはいえないように思われます。高校、大学のサッカー部に選手の供給を頼るという構造は基本的に変わっていないからです。
もちろん一朝一夕に変わるものではないし、日本の場合、スポーツが学校体育を基盤 に発展してきたという特殊な事情もありますが、長期的な視点に立ってプロサッカーの繁栄と日本サッカー自体のレベルアップを考えたときに、ユースセクション、つまり選手育成システムの充実は避けて通れない課題であることは間違いありません。

プロサッカークラブのユース育成システムではオランダのアヤックスAjaxの事例が有名ですが、イタリアのシステムにも、見るべきところは少なくないように思われます。なにしろイタリアは、U-21のヨーロッパ選手権で3回連続して優勝しているくらいで、若手育成にはヨーロッパでも定評があるのです。プロだけで128チームもあるイタリアのサッカークラブは、どこも自前のユースセクションを持っており、年間数千万円から多いところでは数億円をこの分野に投入しているほどです。

では、イタリアではどのように選手を育てているのでしょうか。このテーマはそれだ けで1冊本が書けるくらい幅広く深いテーマなのですが、ここではとりあえず、2回に渡って、イタリアのユースサッカーの概況と、プロのユースセクションの現状について取り上げてみたいと思います。


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イタリアサッカー協会は、ユースセクションを年齢(2歳刻み)によって6つの段階 (カテゴリー)に分けています。

 6-8歳:プリミ・カルチPrimi Calci(=はじめてのキック)

 9-10歳:プルチーニPulcini(=ひよこ)

 10-12歳:エソルディエンティEsordienti(=デビュー)

 13-14歳:ジョヴァニッシミGiovanissimi(=ジュニア)

 14-16歳:アリエーヴィAllievi(=生徒)

その上の16-18歳のクラスは、クラブのレベルによって、プリマヴェッラPrim avera(セリエAとB)、ベレッティBeretti(セリエC)、ユニオールス Juniors(アマチュア)という3つのグループに分かれており、それぞれ独自のリー グ戦を戦っています。プリマヴェッラとベレッティはプロの二軍的な位置づけであり、いわばエリートクラスにあたります。

現在、イタリアの18歳以下のサッカー人口は約55万人。そのうち半数以上の約30万人は14歳以下(ジョヴァニッシミまで)であり、14〜16歳(アリエーヴィ)が約20万人、17〜18歳(プリマヴェッラ/ベレッティ/ユニオールス)はぐっと減って5万人弱となっています(その理由はあとで述べます)。
以下、年代を追って、イタリアの選手育成のシステムを見ていくことにしましょう。


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6-12歳:プリミ・カルチ/プルチーニ/エソルディエンティ

イタリアの子供たちがサッカーを始めるのは、普通7〜8歳あたりから。ほとんどの 場合、イタリア全国に3000近くあるサッカースクールScuola di Calcio(元プロサッカー選手が経営するものも少なくない)に通います。
かつては、子供のうちはいわゆるストリートサッカーで遊び、12〜3歳からクラブで サッカーを始める、というのが一般的なパターンでしたが、この10年、サッカースクールがブームになってその数が一気に倍増し、構図が変わって来ました。今では、8〜12歳の少年たちのうち、およそ6人に1人はスクールに通っている勘定です。実際、プリミ・カルチという低年齢のカテゴリーができたのはそう昔のことではありません。

これらサッカースクールの指導者はもちろん全員イタリアサッカー協会公認のコ ーチライセンスを持っています。これなしでは、サッカースクールといえども、指導者として活動することはできないからです。
また、指導者一人当たりの生徒の数は、多くても30人を超えることはありません。練 習は週に2〜3回、この年代ではあくまで、遊びながらサッカーを覚え、プレーを楽 しむことが目標です。

それでも、本当に優秀な才能は自ずと見えてくるもので、すでにこの時点で もうプロのクラブのスカウトが始まっています。セリエAやBの多くのクラブ のユースセクションはこうしてスカウトされた少年たちで占められるようになるわけ です。
また、セリエC以下のクラブ(アマチュアも含む)もほぼ例外なくユースセクション を持っており、セレクションやスカウト活動を行っています。

ちなみに、イタリアでは(というよりヨーロッパでは)、クラブのユースセクション はチーム単位であり、1チームの人数は20人前後に制限されます。そうでな いと、ひとりひとりをじっくり観察し、育てることができないし、チームにいてもプ レーするチャンスがないまま終わってしまうからです。
イタリアのサッカーコーチに、日本では1チームに30人も40人も選手がいる、プロも そうだし、ユースのクラブでもそうだ、というと「マンマミーア。それじゃあちゃんとした指導なんてできるわけないじゃないか」といって驚かれます。でもその通りですよね。

 12-16歳:ジョヴァニッシミ/アリエーヴィ

サッカースクールはエソルディエンティ(10〜12歳)までが対象であり、その後は、うまい子はそれなりのレベルの、そうでない子は普通の地元のクラブのユースセクションに進みプレーを続けるという具合に、徐々に選別が進んでいくことになります。
ほとんどの場合、遅くてもこの年代までには、才能の発掘は終わっているといってい いでしょう。将来性のある選手の大部分は、もうプロクラブのユースセクションに取 り込まれてしまいます。逆に言えば、サッカー選手としての基本的な能力は、14, 5歳までで決まる、ということです。

この年代になると、個人の技術だけでなくチームの戦術も教えるようになり、また少 しづつ筋トレなども採り入れられてきます。メニューの内容が、少年の身体的成長過程に合わせた、無理のないものであることは言うまでもありません。
エソルディエンティ以上になると、シーズン中、毎週土曜日には試合が行われます。 アリエーヴィまでの3クラスは、通常州単位のリーグ戦で、州の枠を超えて戦うのは 、練習試合を除けば、シーズン末の全国大会(各州リーグのチャンピオンで争われる)のみ。
この時期の目標は、あくまでも「将来に向けていい選手を育てること」ですから、試 合の結果よりも、練習で教えたことをどれだけ消化し、実戦で活かせるかが、指導の ポイントになります。日本のように、中学校の大会で優勝するために、選手の将来も考えず、無茶な猛練習を強いる、というようなことは、まずあり得ません。

こうして、アリエーヴィの年代になると、プロを目指してサッカーを続けようとする 選ばれた選手と、好きでプレーを続けるその他の選手とは、かなりはっきりと分かれることになります。

 16-18歳:プリマヴェラ/ベレッティ(/ユニオールス)

ジョヴァニッシミ、アリエーヴィの計4年間を経てその上のレベルに進む16歳という 年が、イタリアのサッカー少年にとっては「選択の年」になります。

学校との関係でいうと、16歳は高等学校の2年目と3年目の境目であり、ちょうどデ ィプロマDiplomaという高等学校卒業資格取得を目指し、高校を止めずに勉強を続けるかどうかという選択の時期と重なります(イタリアでは、高校を卒業するのは同世代のうち半数程度)。またそれ以上に、この年代は、何かと他の分野(恋愛、ディス コetc)に興味が出てくる年頃でもあり、いろいろと「誘惑」も多くなってくるわけです。
その一方で、ここまで順調な道を歩んできた「できればプロになりたい」選 手たちにとっては、この段階でどこかのプロクラブのプリマヴェッラかベレッティに残れるかどうかが最大の関門です。この関門を通過できなければ、プロへの道はぐっと狭まることになるのです。

この関門を通過できればよし。ボーダーライン以下にいる選手たちは、将来の見通し とのかねあいもあり、否応なく選択を迫られる時期になるわけです。
実際、多くのプロクラブがディプロマを取るまで勉強を続けるためのサポート体制を 敷いている(一部のプロクラブは、高校卒業を選手に義務づけています)にもかかわ らず、プリマヴェラ/ベレッティに残ることのできた多くの選手が、このあたりで勉強を続けることを断念して、サッカーに「賭ける」という選択をします。

しかし、ここからプロのサッカー選手までの道のりは、まだまだ長いのです。この年 代までサッカーを続ける約5万人のうち、プロ予備軍とも言えるプリマヴェラとベレッティに残っているのはわずかに数千人。しかし、ここからプロになれるのは、 ほんの100人程度に過ぎません。

次回は、このプリマヴェラ/ベレッティに的を絞って、プロまでの道のりを眺めてみ たいと思います。いくつかのチームには(通訳の仕事のついでに)取材もしていますので、乞うご期待。

http://www.geocities.com/Colosseum/Midfield/1013/giovanile1.html



2),3)サッカー批評,07,2000,双葉社,カルチョの神話

・セリエA幻想と見えてきた現実,後藤健生,p18-31

 ユベントスの現在の年間収入は2500億リラ(約140億円,1リラ=約0.055円)に達する。ペイパービュー・テレビからの放映権料および全世界でのグッズの売り上げのおかげである。6年前には収入の60%を占めていた入場料収入は今ではほんの15%に過ぎなくなっている。

 このように裕福なユベントスだが、練習場は意外と質素である。ユベントスがトレーニング・グラウンドとして使っているのは、1980年代までホーム・スタジアムだったスタディオ・コムナーレだ。

 1990年のイタリア・ワールドカップでスタディオ・デッレ・アルピが完成してからは、この古いスタジアムが、ユベントスとトリノのトレーニング・グラウンドとして使われているのだ。交通の便もいいし、スタンドが付いているのでファンが見学するためには絶好だとはいえ(トレーニングは、原則としてファンにもメディアにも公開で行われている)、老朽化したコンクリートのスタンドに囲まれての練習風景は世界有数の金持ちクラブには似つかわしくない。

 また、スタジアム内にはグラウンドはもちろん1面しかないから、ユースチームは道路を隔てて反対側にある4面のサブ・グラウンドを使っている。スタジアムの1面を含めて計5面のフィールドがあるので量的には問題はないが、ユースとトップチームが隣り合ったピッチで練習することはできない。

 ユース育成担当部長のピエトロ・レオナルドは言う。

「新しいチェントロ・スポルティヴォ(スポーツ・センター)を近い将来作る計画があるので、それができればトップチームとユースが隣のグラウンドで練習することができるようになるはずだ」。

 だが、事はそう簡単ではないようだ。90年に作られたスタディオ・デッレ・アルピにも多くの問題があると言われており、チェントロ・スポルティヴォ建設とスタジアム建設とスタジアム問題が密接に絡み合ってきているらしい。

 ベッテガ副会長が言う。

「デッレ・アルピの問題点というのは収容人数が多すぎること、周りに陸上競技のトラックがあること、管理費がとても高いことかな。ユベントスは年間85億リラ(約4億7000万円、1リラ=約0.055円)もの使用料を市に払っているんだよ。イタリアでは、市からの助成金なんて考えられないしね。それで、デッレ・アルピを利用して、スタジアムとチェントロ・スポルティヴォを作りたいという希望があるんだが、市の許可がおりないんだ」

 デッレ・アルピを改修して、ショッピングセンターやホテルなどを併設したスタジアムにしようという計画なのだが、氏の許可を得られる見通しがないというのだ。,p23



 立ち後れている若手育成

 イタリアでは現在セリエC1にいるレッジーナを除いて、スタジアムは公的機関の所有である。

 これは珍しいことではない。イングランドやスペイン、ポルトガルでは、ほとんどのすべてのスタジアムはクラブが所有しているが、ドイツでもフランスでも、スタジアムはほとんど市の所有だ。

 しかし、ユベントスなどの裕福なクラブなら、独自にスタジアムを建設することはできないのだろうか。イングランドなどでは、スタジアム内(スタンド下)のレストランや宴会場は人気が高く、ほとんどフル回転で営業できるので、現在ではスタジアム自体もクラブにとっては貴重な収入源になっている。

 だが、ベッテガ副会長は言う。

「自分たちの所有スタジアムを持ちたいというのは、単なる“夢”なんだよ」

 ユベントスに限らず、施設という面では、イタリアのクラブは他のヨーロッパ諸国に比べて見劣りがする。トレーニング・グラウンドにしても、素晴らしい施設が整っているのはACミラン、インテル、ローマ、ラツィオなどしかないのだ。たとえば、フランスでは所有者はクラブであったり、市であったりするが、どこのクラブでもトレーニング施設のみならずユース部門の選手の宿舎付き施設を持っている。

 他国に比べてイタリアの施設が貧弱になってしまった理由としては、多くの関係者が「イタリアの伝統」と言うだけだったが、『ガゼッタ・デロ・スポルト』のロ・プレスティ記者は「第2次世界大戦後のイタリアというのは、財政的に貧しくて、スポーツ施設の整備に予算を割けなかったんだ。そのせいだろう」と言う。

 もちろん、どこのクラブでもユース育成は熱心にやっている。イタリアでは10歳から19歳まで2歳ごとの区分けになっており、19歳以下が「プリマヴェーラ」、17歳以下が「アリエヴィ」、その下が「プルチーニ」といったように、名前が付けられている。そして、ほとんどのクラブが各年代のチームを1つは持っているのだ。人数は各クラブが各年代合計で150人程度を抱えている。

 選手の選抜については、14歳以下は近隣の地域からしかプレーヤーを取ってはいけないことになっている。それ以上の年代では、イタリア全土から選手を集めているが、イングランドやフランスのクラブのように外国からも若いプレーヤーを集めることはほとんどない。遠い町からやってきた少年たちに宿舎を与え、教育にも責任を持っているのは当然だが、ユースの選手用の宿舎まで用意しているクラブは、イタリアではほとんどないようである。

 スタッフとしては、ユース部門全体の統括責任者がおり、各年代別の監督、コーチがおり、GKコーチなどは全体に1人か2人がついているのが普通だ。ただ、現在、世界の多くの国でやっているように、サッカー協会が指導内容について細かい支持を出すようなことはなく、各クラブで独自に強化を行っているという(全体の連絡は頻繁に行っているようだが)。

 このように、施設という面でも、育成の内容でも、イタリアの若手育成システムはヨーロッパの最先端を行っている国々(たとえば、オランダ、フランスなど)に比べていささか立ち後れているようなのである。,p24



・パルマAC、イタリア・サッカー界への挑戦,後藤健生,p33-43

 コレッキオのチェントロ・スポルティヴォは1998年8月に完成したばかりの、まだ真新しい施設だ。芝生のフィールドが5面と人工芝のフットサル場が1面。それに、トップチーム用とユースチーム用の2棟の建物があり、ここには会議室、監督室、ジム、サウナ、理学療法室、更衣室などが備えられている。総面積は8万平方メートルある。

 これだけの施設があるから、20歳以下のユースチーム「プリマヴェーラ」はいつもトップチームの隣のピッチで練習できる。トップチームと同じグラウンドで練習することは、若手育成にとっては大事なことだ。そのためにも、この新しい施設は重要だ。,p34



 15歳以上の年齢層では全国からプレーヤーが集まってくる。現在も150人のうち約35人が南部など他の地域からパルマに来ているが、そうした他地域から来ている少年については、市内に宿舎が与えられ、教育も市内の高校と協力してクラブの責任で行う。もちろん、サッカーのトレーニングに関しては、7チーム150人の少年たちに対して、10人のコーチと2人のGKコーチ、そして1人のフィジカルコーチという万全の態勢だ。そうしたものを含めて、少年たちにかかる費用は、宿舎も与える場合で1人当たり年間に約2000万リラ(1リラ=約0.055円)にのぼる。だが、クラブはそれを将来に対する投資と考えているのだという。,p38



 ボッターロが特に強調して説明したのは「スクオラ・カルチョ・パルマAC」というプロジェクトについてだった。スクオラはイタリア語で「学校」。つまり、「パルマ・サッカー・スクール」といった意味である。

 これは、イタリア全土の少年サッカー・クラブを「パルマAC」の傘下に起して組織化していこうというもので、1990年に始まった。イタリア全土だけでなく、フランス、アメリカ、カナダ、ガーナ、コートジボアールも含めて、現在約300のクラブが加盟している。

 各地の少年クラブはパルマACに加盟料を払い、トレーニングについての指導を受けなければならない。パルマACは、そのクラブの指導方針をチェックし、教育方針が一致するチームしか加盟させない。

 たとえば、メンバーが20人いたとすれば、最強メンバーの11人だけを試合に出すのではなく、全員に出場の機会を与えなければならないし、ただ試合に勝つためだけの指導をしていてはならないなどの条件があるのだ。各チームの監督に対しては、指導書や指導ビデオを配布して、そうした方針を徹底させる。さらに、各地域ごとにコーディネーターを置くほか、2人のコーチが巡回指導をしている。さらに、各地の「サッカー・スクール」加盟クラブ同士の大会を開き、20チームで全国大会を開いたり(外国チームも招待する)、夏季キャンプなども行っている。

 各地の少年クラブは、パルマの「サッカー・スクール」に入ることによって、多くの利点がある。たとえば「パルマ」の名前を冠することによって、会員数を増やして収入を増加できるし、プロ・コーチの指導を受けることができるようになる。

 子供たちにとっても、セリエAのパルマと同じユニフォームを着けて試合ができるし、全国のどこに住んでいる少年でも、トップクラスのコーチの正しい指導を受けることができるなど利益が大きい。

 一方、「サッカー・スクール」プロジェクトはパルマACにとっても数々のメリットがある。

 前述のように、イタリアでは14歳以下の選手を近隣州以外から連れて来ることはサッカー連盟の規則によって禁止されているのだが、「サッカー・スクール」の組織を全国に展開することによって優秀な選手をあらかじめチェックしておけば、15歳になった時点で優秀なプレーヤーをパルマのユース・チームに引き抜くことができるわけだ。

 実際、パルマACのアリエヴィ(17歳以下のユース・チーム)のうち80パーセントのプレーヤーが「スクール」出身だし、これまで45人の「スクール」出身者が各段階のイタリア・ユース代表に入ったことがある。95年にパルマから各年代のユース代表に入った6選手のうち「スクール」出身者はなんと5人を占めた。

 現在では約300の少年チームが「サッカー・スクール」のプロジェクトに参加しており、参加している少年の数は5万6000人にものぼる。これらの少年やその両親、家族、そして指導者を含めれば、十数万人の人たちがこのプロジェクトに参加し、パルマに対して何らかの帰属意識を持っているということになる。彼らのかなりの部分は将来パルマACのファンになるだろうし、また、パルマットに対してよりよい企業イメージを持たせることもできるのだ。

 この1990年に始まった「スクラオ・カルチョ」のような活動は、イタリアでは唯一のものだ。パラマットの利益の社会還元であると同時に、パルマACにとっても、パルマットにとっても十分に投資に見合う利益をもたらしており、さらにパルマットの企業戦略の一環にもなっているのである。

 パルマットが全面的に経営参加しているとはいっても、パルマACも独立採算の企業である。クラブの収支はどうなっているのだろうか。

1990年代は、ケーブルテレビやペイパービューの方式の衛星テレビなどの発展で多額のテレビマネーが転がり込んだこと、さらに各種のグッズの販売の伸びなどで、イタリアに限らず、ヨーロッパ各国のサッカー・クラブの収入は大幅にアップした。

 セリエA全体の収入は90-91年に2兆7000億リラだったものが、98-99年シーズンには3兆1000億リラに上昇した。入場者数は1010人から939万人に下降しているのだから、収入の増加は入場料収入以外によってもたらされたものだ。他の国のリーグの収入と比較すると、96-97年シーズンにイングランドのプレミアリーグに追い抜かれたが、現在でもドイツのブンデスリーガ、スペインのリーガをしのいで、ヨーロッパ各国のリーグの中で2番目に収入の多いリーグとなっている。

 パルマの場合は、伸びはさらに急だった。93-94年に618億リラだった収入が98-99年シーズンの実績で1292億リラと倍増。その後、収支は赤字となっていたが、98-99年には選手の移籍金なども含めて7億リラ以上の黒字を計上。99-00年シーズンの見通しではさらに収入を増やして、経常収支でも黒字を出すことも目論んでいる。,p41-42



4)Soccer Clinic,2000,5,p99

・イタリア・サッカー協会が直接運営するサッカー学校,チェントロスポルティオアクアチェトーサ(ローマ)で少年育成についての講習を受けた.この学校はイタリア・サッカー協会が全国で唯一直接運営するサッカースクール.オリンピック委員会の中にありスポーツの研究を行っている.ローマの中心から北へ車で約10分.(Soccer Clinic,2000,5,p98)

・イタリアでは6歳から16歳の選手が65万人登録され,8000のクラブ組織が存在し,3万のチームがある.そのうちの2200のクラブは少年指導を専門に行っている.また,6歳から12歳までサッカー普及を目的としたサッカースクールは6000ある.このなかでイタリア協会の資格を持ったコーチ2万人が指導を行っている.(Soccer Clinic,2000,5,p99)

・直接,青少年に関わる問題であるが,過大な親の期待である.親は莫大な金を稼ぐセリエAの選手になってもらいたいと息子に期待する.このため年少の頃から専門的な指導を親自身で行ったりコーチに求めてしまう.中学年代で教えるようなことを小学生の低学年に教えたりして子供はサッカーからストレスを受けるようになっている.子のことが原因で16歳でサッカーをやめる数は3万人に上る. これらの問題を解決するためにイタリア・サッカー協会はアクアチェトーサで実際に6-12歳の子供約450人を集め,専任コーチが選手育成プログラムを研究しながら,親の教育も含めて少年にどのような環境を与えるのがよいかを模索している.(Soccer Clinic,2000,5,p99)

5)WSG,World Soccer Graphic,1999,Vol.68,p7

・トッティ:プロ選手になるには,非常に多くの幸運を必要とするんだ.いつも冷静に,そして特に小さな頃は遊びのつもりでプレーすることが大事だよ.日本ではフィジカルトレーニングをあまりしないと聞いたけど,僕は小さな地区のクラブに入った5歳の時からフィジカルトレーニングを受けていた.もちろん小さな頃はマシーンは使わないけどね.マシーンを使ったトレーニングは15,16歳からで,個人別のメニューはそれより前から行っていた.p7



・サッカークラブのあり方を考える.p54-63



・イタリアの場合 イタリアでサッカーが始まったのは19世紀の初頭と言われ,母国から派遣されて仕事に従事していたイギリス人によってクラブが結成された.そして最初に創設されたクラブは1893年,ジュノアに誕生したサッカー&クリケットクラブだった.その後同じようなクラブがイタリア北部の大都市トリノやミラノに,イギリス人によって設立され,次第に広まっていく.もちろん当時のイタリアで,一般労働者がスポーツに割ける時間など皆無であったことは否めない事実で,つまり,これらのクラブはほとんどが上流階級たちによるものだった.

 最初のトーナメントとされているのが,1898年にトリノのフィラデルフィアで行われたトリノのクラブ3チームとジュノアによる4チームの対抗戦.これを制したジュノアが,初代チャンピオンとなっている.しかし工業で栄えたイタリア北部と違い,南部においてこのような上流階級のスポーツが栄えるにはかなりの時間を要し,1920年代までは北部と南部に分けてそれぞれのリーグ戦を行い,優勝チーム同士が決定戦を行うという方法が採用されていた.

 そして国内統一リーグが始まったのは29−30シーズン.その後は第二次世界大戦による休止があったにせよ,現在世界最高峰と言われるセリエAは,この時から着実に歴史を積み重ねてきたというわけである.

 しかしながら,セリエAが現在のような興隆を極めるまでには,かなりの時間を要したことは言うまでもない.特にリーグ創世記は,大きな産業のない南部のクラブは常に厳しい経営を迫られ,実際に財政難により破産したクラブも少なくない.

 例えば現在セリエAの南部の雄とされるローマも,当時財政難で喘いでいたローマのアルバ,ローマン,フォルチトゥードという3つのクラブが合併して危機を乗り越えたチームなのである.もちろんこの3チームは,当時ローマ地区で激しいライバル意識を持って競い合っていただけに,合併当初はさまざまな揉め事があったことは事実.しかし時間がそれを解決し,現在ローマ市内で70%のファンのシェアを誇るほどまでのビッグクラブに成長していったのである.

 近年でも財政難に襲われ倒産や合併を強いられたクラブは存在する.しかしイタリアの場合,クラブ組織とは言いながらもほとんどのケースはオーナーからの出資により運営されているため,経営危機と言うよりは,オーナーの懐が冷え込めばそのクラブは倒産,あるいは合併という選択を強いられ,逆に新たなオーナーが登場すれば,再び蘇るという図式になっている.

 最近話題になっているのは,港産業の不振によりジュノアとサンプドーリアが合併し,他都市に対抗できるビッグクラブが誕生するという噂だ.もちろん両者の対抗意識を考えれば,容易ではないと思われるが.(Keiji Ueshiba)p56

スポーツ若手育成システム研究会 オランダ編 

January 08 [Tue], 2013, 15:09
オランダ編 2003/03/18/

 人口1500万人ほどの小国であるオランダが強化に成功している要因として、@サッカー人口の底辺への広がり、A豊かな育成組織、B指導者の充実、という3つを挙げることができる。特に指導者の充実に関して、育成方法の充実1)2)が挙げられる。トータル・フットボールを世界に知らしめたクライフが在籍したアヤックスは、特に若手の育成に定評があり、日本のサッカー関係者が最も関心を示して2)いる。

「プレーする」ことと「教える」ことは全く別である.だから,優れた選手であることと優れたコーチであることは別の能力が要求される.それがライセンス制度の原点である.

 優れた指導者の育成システムには,ライセンス制度と並んで,コーチング・プログラムが重要な役割を果たす.オランダサッカー協会では,『コーチング』という育成指導書を作成している.子供たちの発達段階および心理学に基づいて作成された,指導者のための指導書である.この指導書には,年齢ごとの練習方法,評価基準,留意点が明示されている2).

 指導者を育てるための十分な体制が大切だということで、日本でもライセンス制度を充実させようとしている。ただし、育成システムによる問題点があることも、オランダの事例から私たちは学ばなければいけないだろう。それは、教科書的な優良選手3)は増えても、過去の選手を越えるような選手は生まれないということである。また、完成品となっているため、あらゆる状況をも打破しようとするような強さを持たず、脆さが出る場合があるということである。これはワールドカップやその予選で苦戦を強いられたフランスやオランダが、そのわずか2年前のEURO2000では活躍していたことを考えると分かりやすいだろう。

 子どもの頃からの指導体制をきちっと整えておくことは大切なことで、日本サッカー協会が率先して行うべきことであるといえるだろう。同様に、スポーツ全体に関していえば、日本体育協会が指導体制の充実に努めることが大切なことである。ただし、実際の指導者は、その教科指導指針などの指導者のための教科書だけを教えるのでなく、プラスアルファのことを指導できることが重要となってくると私は考える。個々の指導者の創意工夫が、現場で求められるプラスアルファの部分であると思われる。



参考文献

1)ロングパス ――サッカー誕生から英国プレミアリーグまで,林信吾,新潮社,2000年

2)糀正勝「オランダサッカー強さの秘密」(三省堂)2000年

3)サッカー批評,13,2002,双葉社,ファンタジスタ受難の時代,永井洋一,p51-61



1)ロングパス ――サッカー誕生から英国プレミアリーグまで,林信吾,新潮社,2000年

・オランダ・サッカーの台頭について特筆すべきは,指導者の育成方法である.たかだか人口1500万人ほどの小国が,ヨーロッパのサッカー界に覇を唱えたのは,優秀な指導者なくして強い集団はあり得ない,ということが,どこの国よりもよく理解されていたためである.

 AからDまでの4段階に分けて,厳しい教育カリキュラムを組,サッカー理論のみならず,スポーツ医学や心理学に至るまで,徹底的にたたき込まれる.誰でも(つまり,元プロ選手でも)最初はDクラスからスタートして,優秀な成績をあげた者のみがCクラスに進める.その上で,少年チームなどでコーチとしての「実習」を行い.結果を出した者だけがBクラスに進める,という具合になっている.Dクラスでコーチとしてのトレーニングを受け始めた者が1000人いたとして,プロ選手を教えることができるAクラスに進めるのは20人もいないという.

 こうして育成された指導者達が,世界各国のサッカーを徹底的に研究して,伝統的な発想にとらわれない,斬新な戦術理論を生み出したのだ.p141-142



2)糀正勝「オランダサッカー強さの秘密」(三省堂)2000年

・オランダサッカーの組織

 オランダ・サッカーリーグ

 オランダサッカーは,プロリーグとアマチュアリーグから構成されている.プロリーグは,プレミアリーグ(18クラブ)と一部リーグ(18クラブ)からなり,自動入替が行われる.その下にサテライトの全国リーグ(12クラブ)と地域リーグ(南・北各12クラブ)がある.アマチュアリーグは,全国リーグ(84クラブ),一部リーグ(108クラブ),地域リーグ(約2000クラブ),サテライト(約15000クラブ)から構成される.



・優れたサッカー環境

 オランダサッカーの強さの秘密は,なによりもサッカー人口の底辺への広がり,豊かな育成組織,指導者の充実にある.オランダサッカー協会は,子供たちの育成活動に最も力を入れている.プロのクラブはもちろんのこと,アマチュアクラブでも芝生のグラウンド,クラブハウス,ライセンスを有する指導者等,素晴らしいスポーツ環境が整備されている.こうした優れたスポーツ環境が,オランダのトータル・フットボールを支えている.



・オランダの育成組織

 子供たちは地域のクラブに所属して,ライセンス指導者のもとで楽しく育成されている.Fユーゲント(6〜8歳)から始まり,E(8〜10歳),D(10〜12歳),C(12〜14歳),B(14〜16歳),A(16歳)まで,発達段階に合わせて指導を受ける.特に優れた能力をもつ選手は,上の年齢の子供たちと一緒に練習したり,試合に参加することもある.12歳までの子供たちはそれぞれの地域大会に,12歳以上の子供たちは全国大会に出場する.

 指導者のライセンス制度は,ユース指導コーチ,アマチュア指導コーチ(資格3,資格2),アマチュア・プロアシスタントコーチ(資格1),プロコーチ(プロ監督)等に分かれる.オランダサッカー協会は年間計画に従い,プロ・アマの指導者交流を積極的に行っている,またオランダサッカー協会公認のコーチング指導書を作成し,統一した指導を行っている.



・オランダの育成指導者

 オランダの多くのプロコーチは,まずユースの指導者として実践的な経験を積んでいく.その上にアマチュアコーチ,プロコーチのキャリアを築いていく.日本のように,現役を終了したばかりのスター選手が,すぐにプロチームの監督になるようなことは極めて稀である.なぜなら,選手として自分でプレーすることと,コーチとして選手を指導することは異なり,まったく別の能力を必要とするからである.

 元日本代表監督のオフトは,オランダサッカー協会のユース指導者としての実績がある.また,日本のサッカー関係者に知られているアヤックスの育成責任者コ・アドリアンセ氏は,1997年からオランダ・プレミアリーグのヴァイムU監督に就任し,最初のシーズンに前年の15位から第5位へと大躍進を遂げた.昨年は第2位となり,ヨーロッパ・チャンピオンリーグに進出を果たした.オランダならではの指導者の成功物語である.

 オランダサッカーの強さの秘密は,全国各地で活動するスポーツクラブと底辺への広がりである.またオランダサッカー協会を中心に,全国的に統一された組織力と指導力である.これもまた統一された組織で戦うトータル・フットボールの1つの具体的な展開である.p68-70



・オランダサッカー協会

オランダサッカー協会はユトレヒト郊外のザイストにある.周囲は森に囲まれた静かな環境だ.近くにはサッカー協会が管理する芝生のグラウンドが2面あり,ユースのトレーニングや指導者講習会の会場として使用されている.周辺には総合スポーツセンターや研修のための宿泊施設も完備されている.p71



・オランダサッカー協会アカデミー

 またオランダサッカー協会アカデミーという組織がある.オランダサッカーに関する全ての教育部門を統括しており,サッカーの普及,子供たちの育成,指導者養成,国際交流等の幅広い活動を行う.オランダサッカー協会がいま最も力を入れている活動が,指導者の育成である.サッカーの普及,子供たちの育成には指導者が最も大切な役割を果たす.またよい指導者を育てるためには,全国統一した指導プログラムが必要である.そのためアカデミーでは,『コーチング』というオランダサッカー協会公認の指導書を出版している.同時に,ユース指導用の公式ビデオテープも作成した.こうした国をあげての戦略的な育成活動が,オランダのトータル・フットボールの原点であり,サッカー王国オランダを支えている.p73



・指導の基本はコミュニケーション

 プロチームの監督や代表監督にも,ユースコーチやアマチュアコーチが子供たちに教えるときと同じように,分かりやすい説明が求められる.言葉だけではなく,視覚的に明示したり,身体的動作で示すことも必要だ.また全ての選手が完全に理解するまで説明を繰り返す,辛抱強さが求められる.どの世代を教える場合でも,指導の基本はコミュニケーションである.



・優れた指導者を育てる

 「プレーする」ことと「教える」ことは全く別である.だから,優れた選手であることと優れたコーチであることは別の能力が要求される.それがライセンス制度の原点である.

 優れた指導者の育成システムには,ライセンス制度と並んで,コーチング・プログラムが重要な役割を果たす.オランダサッカー協会では,『コーチング』という育成指導書を作成している.子供たちの発達段階および心理学に基づいて作成された,指導者のための指導書である.この指導書には,年齢ごとの練習方法,評価基準,留意点が明示されている.1対1,5対2,4対4など,日本のサッカー指導者になじみの深い練習方法も登場する.



・「TIC」は基本コンセプト

 すべてのコーチングは,原則的として「TIC」というコンセプトで統一されている.「T」はTechniqueを表す.サッカーをするのに必要な基本的技術のことである.どんなに小さな子供でも,ボールと遊ぶために必要なある程度の技術を学ぶ.

 「I」はInsightを表す.試合では状況に応じて何が適切で何が不適切な行動か理解する洞察力が必要である.洞察力は,経験とサッカーに関する知性によるところが大きい.

 「C」はCommunicationを表す.この場合のコミュニケーションとは,選手と試合に関するあらゆる要素との相互作用を意味する.味方選手とのコミュニケーション,敵チームの状態,ボールやフィールドの状態,もちろんスタッフやコーチとの相互作用も含んでいる.

 オフト監督がユースの選手を教えるように日本選手に徹底させた「アイコンタクト」や「コーチング」は,まぎれもなくこのコミュニケーションの重要性を指摘した表現であった.

 コーチは子供たちの年齢に応じて,サッカーの基本となるTICを段階的に教えていく.まず5〜7歳では,方向・スピード・精度などに関する「T」を重点的に指導する.ボールに対する感覚,ボール・コントロールを身につけ,ボールと仲良くなることが目的だ.

 7〜12歳では,簡単な試合を通して基本的な技術「T」と洞察力「I」を向上させる指導が行われる.目標は,あくまでも基本的な技術の向上である.

 12〜16歳になると,「TIC」をバランスよく指導する.ラインやポジションごとの役割,チームワークを学ぶ.ミニゲームから11人で試合を戦えるレベルに達することが目的だ.

 16歳以上ではチーム戦術を学び,個人技術アップとチーム力の強化を目指す.このように,子供たちの発達段階に合わせた指導がとても重要なのである.p76-78



・オランダのクラブ経営

 オランダサッカーの伝統は,革新的な組織である.オランダサッカー協会を中心として,地域のクラブが健全な経営を行っている,オランダの全人口1500万人に対し,サッカー人口は100万人もいる.クラブ数は約2万に達する.どのクラブにも緑の芝生のグラウンドと清潔なクラブハウスが整備されている.そしてなによりも指導者が充実している.p89



・アヤックスの育成哲学

 育成に大切なこと

 日本のサッカー関係者が最も関心を示しているのが,アヤックスの育成システムである.アヤックスのユース育成組織は,すでに100名以上のプロ選手を国内外に送り出している.

 アヤックスの育成システムは,基本的にプロチームの下にアマチュアの育成組織がある.8歳のE2から始まり,18歳のA1まで年齢別に構成されている.E2(8歳)からB2(15歳)までは,練習が週2〜3回,試合が週1回行われる.15歳までの子供たちにとっては,家庭と学校が生活の中心となる.子供たちの能力と興味は多様であり,それぞれの発達段階に応じて必要なことを学んでいく.早過ぎる鍛錬や多すぎる練習は,子供たちの肉体的・精神的成長を阻害することもある.16歳からは肉体的にも一段と成長し,プロ選手の可能性が試される.B1(16歳)からA1(18歳)では,練習回数も週4回に増え,試合は週1回行われる.各クラス16名で指導が行われ,公式リーグに参加している.p92



・家庭とクラブと学校の関係

 アヤックスでは,選手のセレクションについても,オランダ全土から集めるのではなく,アムステルダムを中心に半径15キロメートル以内を一つの基準として行う.この年代の子供たちにとって,常にクラブと家庭と学校とが一体になり,円滑なコミュニケーションをとることが重要だと考えるからだ.こうしたアヤックスの育成哲学は,アムステルダムの地域社会や学校でも,全面的に支持されている.

 アヤックスの育成哲学は,Jリーグの理念にとってもまた日本の将来のスポーツクラブにとっても重要な提言である.クラブを中心とした地域スポーツが,学校スポーツを超えるということは,単にクラブが学校に代わって「スポーツを行う場所」を提供することではない.クラブや学校や地域と連携し,スポーツ活動と学習活動を共有し,あるいは相互交流していくことでなければならない.p95-96



・アヤックスのTIPS

「美しくかつインテリジェンスのあるサッカーを通して子供たちの人格を形成する.8歳のE2からスタートして18歳のA1までの10年間で,このアヤックスの原則を子供たちに学ばせる.10年という長期的なカリキュラムの中で,子供たちの能力を最大限に発揮させる.そのために,毎年1チーム16人の選手を選考し,全部で10クラスを編成する.160人の選手が,アヤックスの共通のプレースタイルを学ぶわけだ.」

 アヤックスでは,子供たちの能力を伸ばすトレーニングの基本コンセプトを「TIPS」と表現している.「Tはテクニック(技術)を表す.Iはインテリジェンス(洞察力)を表す.Pはパーソナリティー(人間性)を表す.Sはスピード(速さ)で,アヤックスのプレースタイルの特徴を表す.指導者もまたクラブの共通目標を明確に認識して,日常の指導に実践しなければならない.」p99



・フィジカル・トレーニング

 ヤンボールの指導により,アヤックスのあらゆる年代の選手が,常に相手より速く,より機敏になった.アヤックスではフィジカル・トレーニングは三段階で行われる.最年少のグループはまずランニング・トレーニングを行う.U-16以上のチームはサッカー・エアロビクスと筋肉強化運動.トップチームではフィジカル・コーディネーションとスピード・トレーニングを行う.アヤックスの才能ある若手選手も,最初に新しい動きを学ぶときには筋肉が緊張しているため動きがぎこちない.しかし定期的に練習すると緊張が消え,少ないエネルギーで動けるようになる.この練習は絶えず繰り返すことが成功の鍵だ.p101



・育成が革新の生命線

 ナイジェリアのFIFAユース大会の準優勝,オリンピックへの連続出場等の活躍は,長い間の高校サッカーとJリーグのユース育成の成果である.日本サッカー協会では『強化指導方針2000年度版・ポスト2002年』を作成している.この指導指針を,多くの指導者が相互確認し,議論し合って,具体的に実践することが大切である.この「強化指導指針」が日本サッカーの「ジャパン・ビジョン」であるならば,日本サッカー協会とJリーグと地域の指導者が一体となり,日本全国の子供たちの指導・交流をより統一的に展開できる.統一的な指導と育成が,日本サッカーを確実に革新する.p189



・もうひとつの2002年

 日本サッカーにとって,指導者育成が大切だと繰り返し提言されてきた.同時に指導者の生活をサポートすることもまた,これからの育成強化の大切な課題となるだろう.2002年に学校週休2日制度がスタートする.地域には子供たちの豊かなエネルギーを受け入れる新しい受け皿が必要である.各地のスポーツクラブやスポーツ少年団の運営を積極的に支援し,スポーツの底辺を広げることが,最終的には日本サッカー全体の強化につながる.

 そして世界との距離を縮め,世界と互角に戦うための最もシンプルで効果的な戦略は,全国各地に無数の芝生グラウンドを造ることである.足元にぴたりとボールをトラップさせ,味方の足元に鋭いパスを繋げるためには,芝生のグラウンドで練習することが最も効果的だ.全国各地に緑の芝生のグラウンドを造れば,日本の子供たちの技術は一段と進歩する.

 2002年はワールドカップ開催だけが目標ではない.「学校週休2日制」のスタートは,21世紀の教育システムや日本のスポーツ文化の在り方を根本的に問い直すだろう.189-190 



3)サッカー批評,13,2002,双葉社,ファンタジスタ受難の時代,永井洋一,p51-61

 無個性化をさらに推進する整然とした計画された育成システム

 強く速いオランダの選手のほとんどは、アヤックス主導による計画的な選手育成システムの中でエリート養成されている。テクニックもスキルも、最新の指導理念によって超一流に仕上げられている。それはフランスも同じで、ローティーンのころから優れた素材が計画的に訓練され、トレーニングセンターから羽ばたく選手たちはみな、インターナショナルレベルに達している。若手の育成をベースにした強化という点では、この2国は大きな成功を収めた国として世界中に認知され、手本となっている。

 確かにそうした育成システムの成功は、サッカーの進化に寄与したといえる。日本の育成システムにも、これらの国の優れた点が導入されている。しかしそれらは、思わぬ副作用も生んでいるのではないか。完成度の高いシステムの中で完全無欠とも思える選手育成を推進する中で、現代サッカーが要求するような強く、速い選手が育ってはいる。しかし私にしてみれば、それらの選手の能力は極めて没個性的であり、規格品化(もちろんその品質は恐ろしく高いが)されているように感じるのである。

 育成システムの中では、ステップワークからボールを受ける時の姿勢まで、一つの理想像が用意されている。戦術的な概念の中にも、一つの好ましい結論がある。そんな環境で育てられた選手は、非の打ち所はない完成品なのかもしれない。しかしそれはまるで工業製品であって、アートではない。精巧で故障が少なく、仮に故障しても規格が統一されているから他の部分とすぐにでも交換ができ、交換後も以前と寸分たがわずに機能するマシンのようだ。そこからは、熟達した達人の手作業でつくられる、世界に2つとない味のある手工芸品が生まれることは望めない。ムダなく、合理的に効率良く動く選手は生み出されている。しかし、その動きは予め描かれた設計図に従っているようなものである。その設計図とはすなわち、どんなに密度の濃い討議の果てに完全無欠なものとしてつくられたにしても、過去のプレーが材料になっている。そして、過去のプレーから「最良」と判断された理想像を目指して恐ろしく計画的な育成が進む以上、その育成の中から「過去の最良」を越えるプレーが育つことを望むのは難しい。

 つまり、現代の超合理的育成システムの中では、教科書的な優良選手は次々に生産されても、それまでの常識を覆すような、創造力に富んだ天才的プレイヤー、例えばペレ、マラドーナ、クライフを生み出すのは困難に思えるのである。,p59



 日本に押し寄せる不気味な波 ユース世代に感じる不安

 さきほども触れたように、オランダ、フランスを筆頭とする世界の優れた育成システムのエッセンスは日本にも導入されている。90年代に入り日本のサッカーが急速に力をつけた一因として、こうした育成システムの導入による若手の強化の成功があげられる。11月7日のイタリア戦の日本代表スタメンにも、森岡隆三、宮本恒靖、小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら、このシステムを通過してきた面々が連なる。彼らの才能を順調に引き出したという点で、日本の育成システムは成果を上げた。また、日本のサッカーが世界の強国と肩を並べるために、統一した方法論を確立したという部分も、大きな進歩である。しかし、不安もある。

 森岡、小野、稲本らが通過してきた育成システムは、その後も継続的に活動を続け、優秀な素材を長期的視野で育成している。育成の方向性は、サッカー協会が提示する「指導指針」によって定められており、それは日本代表に加わる優秀な選手ばかりでなく、日本全国津々浦々、すべてのサッカー指導における共通の「道標」となっている。およそ日本でサッカーにかかわる者は、全て同じ基準、同じ目標を見据えて活動していこうというものである。こうした“挙国一致”の体制づくりが選手のレベルアップをもたらしたのだだ、それが一方で、さきほど挙げた「何か」を奪っていないかと心配になるのである。

スポーツ若手育成システム研究会 アルゼンチン編 

January 08 [Tue], 2013, 15:08
アルゼンチン編 2003/02/05/

 2002KOREA/JAPANワールドカップでは予選敗退だったアルゼンチン。それでもアルゼンチンが弱いとは誰も思わない。マラドーナはアルゼンチンの選手だったし、2002年ワールドカップの南米予選では、本大会で優勝したブラジルよりも圧倒的な強さで勝ち上がった。ユースレベルでの活躍はお墨付きなのだから、当分は安泰というわけだ。

 さて、この圧倒的なユースの強さ。これは国内のユース年代の大会を充実させたグロンナード氏の功績だといわれている1)。アルゼンチンの若手育成は、「テクニックは教えるものではない。自然と身に着けるもの」という考え方で、各クラブはそれぞれの方針に則ってセレクションしたユースチームに、とにかく多くの試合をさせ、選手に競争させる。どのクラブも練習時間の多くをトレーニング・マッチに使う。そして、13歳の「9軍」から、14歳の「8軍」、15歳の「7軍」……と18歳の「4軍」までの1年区切り(3軍以上は年齢制限なし。「1軍」がプロのトップチーム)のユースチーム同士がホーム・アンド・アウェーの公式リーグを行っているのだ。育成の伝統があるロサリオの2つのクラブは各「軍」ごとに3チームを保有し、セントラルなどはユースの選手を800人ほど抱えているという。各「軍」はそれぞれ専用のフィールドを使って、トレーニングができる。そして、トレーニングの大半は練習試合なのである。(後藤健生,世界サッカー紀行2002,文藝春秋,p229)

 マラドーナも通った時期があるというクラブチーム、クラブ・パルケに関する情報。クラブパルケに通う選手は7歳から13歳まで.クラブは地元のボカ・ジュニアーズと太いパイプを持ち,13歳までに頭角を表した選手の多くは,ボカとプロ契約を結ぶ.パルケがこれまで輩出した選手は数百人に及ぶ.かのディエゴ・マラドーナもこのクラブに通った時期があり,クラブの入り口にはプロで成功を納めたあとにクラブを表敬訪問した際のマラドーナの写真も飾られている.(Soccer Clinic,1999,11,p8)その育成に関するチェックポイントに関する話。「選手を育成するためには,4つの基本原則があります.左右両足でけれる技術力,ボールを追うときとポジションに戻るときのスピード,プレーの緩急,そして力強さです」とラモン監督.(Soccer Clinic,1999,11,p9)

 育成に関してはユースの成功を見て分かるように素晴らしい実績があるアルゼンチン。才能を潰さない育成システムとはどのようなものだろうか。

才能を潰さない育成システム,

 ではなぜリーベルからこれだけ優秀な選手が多くでるのだろうか。先のも述べたように、アルゼンチンのクラブにも育成が上手いところとそうでないところがある。

 それぞれのクラブのインフェリオーレス(下部組織inferiores)には、指導方針のようなものがある。それは「どういった選手たちでチームを構成し、最終的に何を目標にするか」といった感じのものだ。

 リーベルの場合の指導方針は、「技術のある選手たちで、最終目標はトップチームに上がること」である。決して、「リーグで優勝すること」が目的ではない。もちろん、チームを作っていく上で試合での勝敗も大事なことではある。しかし、そこに

重点を置きすぎてしまうと、体格差で勝負がつきやすい少年期に体の大きい選手だけを集めて簡単にリーグで勝つことが可能になる。これが果たしていいことなのか。体が大きい選手が悪いといっているわけではなく、ここには未来を見据えていない指導者の質の低さが見られるのだ。リーグで勝つためだけに、そのような選手だけを集めること。これは優勝したその選手たちのためにもならない。

 リーベルは体格などに関係なく、テクニックを最も重視して選手を集める。また、リーベルのサッカーを見ていると、技術とインテリジェンスさえあれば小さかろうが一流の選手にされるということをまざまざと教えられる思いだ。

 実例としてあげると、ここ最近リーベルで愛されてきた選手は、ほとんどが170センチにも満たない非常に小柄な選手である。オルテガ、ガジャルド、アイマール、サビオラ、ダレッサンドロといった選手は体格的に決して恵まれていないが、上記したふたつの要素を兼ね備えているので、大柄な選手を相手にしても十分やっていける。

 そのなかでもFWのサビオラは最も小柄である。彼は9歳でリーベルに入団し、バビーフッボルと11人制の両方でその技術を培った。育成段階でサビオラを受け持ったホルヘ・ブスティ氏はこう語る。

「技術は教えられるものではないんだ。それは選手個人個人が生まれながらにして持っているもので、インテリジェンスのある選手はそれをどう生かせばよいかを知っている。上手い選手はたくさんいるが、技術と頭の良さの両方を持っている選手はそう多くはない」

 サビオラのエピソードで興味深いものがある。ブスティ氏によるとサビオラは体格的な問題から、自分のカテゴリー(81年生まれ)でレギュラー出場したのは、16歳になってからだという。それまではいつも後半に投入されていた。後半に出場することによって、疲れが見え始めた相手に武器であるスピードで勝負することができる。そういった状況で得点を重ねさせることで、サビオラ自身に自信をつけさせていったのだ。また、16歳といえば、彼がトップチームに上がった歳でもある。自分の所属しているカテゴリーでレギュラーを取ると、その数ヶ月後には当時の監督だったラモン・ディアスに引き上げられ、デビュー戦でゴールを挙げたのだ。

 しかし、長い期間レギュラーで出場する機会がほとんどなかったにもかかわらず、サビオラは他人にはない非凡な才能を持っていたため、育成スタッフの間では「どんなことがあってもクラブに残す」という方針で決まっていたという。毎年ディビジョンが上がる度に厳しい振るいにかけられ、レギュラーだった仲間たちが次々とクラブを去っていくなかで、サビオラは大切に育てられたのである。

 サビオラと同じカテゴリーで、全く同じ境遇だったのが今リーベルで最も期待されているダレッサンドロだ。彼もまた、体格に恵まれてはいなかったが将来の伸びしろを買われてクラブに残った。ちなみに、彼らの在籍していたカテゴリー81は、リーグ戦で一度も優勝したことはない。サビオラにしろダレッサンドロにしろ、技術を大切にするリーベルから育った典型的な選手といえるだろう。(サッカー批評,issue16,2002,双葉社,ワールドカップ最終出口,それでも、未来は輝いている,今井健策,p86-91)

 「世界の育成システムを語る」という企画で対談も行われている。

世界の若手育成システムを語る,(後藤健生,加藤久)

加藤 ブエノスアイレス市内にクラブが15くらいあるんですが,それらをとにかく見られるだけ見ようと.結果的に9クラブを回りました.ブエノスアイレスのリーグ構成は上からプリメーラA,ナシオナルB(全国2部リーグ),ここまではだいたいプロですよね.そしてプリメーラB,C,Dと続きます.



後藤 ナシオナルBとプリメーラの関係が複雑で,上にあがる時にまたトーナメントがあるんですよね.加藤 そうなんです.逆に降格の場合は何年間かの成績のトータルで決めるようですが.あの国はいろいろと複雑なんです.後藤 大きいところから小さいところまで駆け足で回ったわけでしょうけれど,クラブ施設や,地域との関わり方はいかがでしたか?



加藤 リバープレートやベレスなどは,東京のひとつの区のスポーツ施設ぐらいの規模を持っていますよね.スタジアム,それからトレーニング場を含めて.ただ,そんなに豪華ではないですけれど.

後藤 だからスポーツクラブというよりは,コミュニティーセンター的な役割を担っていますよね.

加藤 フェロカリル・オエステ(以下フェロ)というクラブもそうでした.鉄道の会社がもともと経営していたところなんです.中程度の規模ですが,僕が回った中では一番活気がありましたね.夕方に行ったら幼稚園ぐらいの子供からおじいさん,おばあさんまで入れ代わり立ち代りクラブに入ってきて.

後藤 小さなクラブというのは,本当に近所の人たちだけが来るという感じですね.

加藤 そういえばオールボーイズってクラブで元PJMフューチャーズのバチスタが監督をやっていると聞いて,会いに行ったんですよ.でも着いたら時刻が遅すぎたのかグラウンドの鍵が閉まっていて,前で近所のおじいさん達が集まってチェスをやっている.その中の顔役が「バチスタに会いにきたのか?」なんて言うから「いや,今日はいないみたいだ」って返事したんです.すると彼が「ちょっと待っていろ」と携帯電話の番号を紙に書いて持ってきてくれたんですよ,バチスタの(笑).普通,日本だったら絶対に教えないでしょ?監督のプライベートの電話番号なんて.

後藤 監督のなんて一番ヤバいですね(笑).

加藤 小さなクラブは,まさにそのエリアの人とともにあるんだなと感じましたね.

後藤 システム的には,例えば若手育成という面ではどうなんですか?

加藤 プリメーラAでいうと,1チームに9軍まであるんです.生まれ年でカテゴリーが決まっているんですよ.その中の1,2,3群がプロです.以下4,5,6,7,8,9軍と続いていく.9軍は一番下の年齢で,先程お話したフェロでいうと今年なら85年生まれが9軍なんです.84年生まれが8軍.83年生まれが7軍.チームの子供達にどのカテゴリーの選手なのと聞くと,彼らは「9軍だ」とは言わないで「85年だ」と答えるんです.選手の生まれ年でカテゴリーを呼ぶのが一般的なようです.もちろん飛び級もあって,実年齢より上のカテゴリーにも入れるシステムになっている.

後藤 すると,85年の子でも8軍,7軍に入れるわけですね.

加藤 そうです.この1歳ごとのカテゴリーの中に指導者がちゃんといて,大きなクラブではコーチ,フィジコ,医者,物理療法師,それに心理カウンセラーみたいな人もいる.普通のクラブでもカテゴリーごとに少なくとも指導者は置かれていて,お金のないところに2歳ごとに1人.そしてプリメーラA加盟チームは全カテゴリーでリーグ戦をやっているんです.8軍や9軍のリーグ戦もあるわけですよ.『ゲームは最良の師』という言葉がありますが,それを常にやれる仕組みを持ってる.そこがアルゼンチンの強さを支えている要素のひとつじゃないかと感じました.日本の場合,例えば中学の部活で全国大会に進むと,試合が終わるのが8月末ですよね.中学3年の選手はそこから3月までの期間,つまり7ヶ月間はほとんどボールを触れないことになる.

後藤 受験勉強でね.やっと高校1年になってすぐにレギュラーになれるかといったらその保証はない.すると1年半くらいの期間,一番伸び盛りの時にゲームができない.これは大きなブランクだと思うんです,あの年代にとっては.はやり継続的にゲームを…最良の師と出会う機会をいかに作るかというのは非常に大きなテーマだと思うんです.

後藤 だから日本のU-19はこのところいつも世界大会に行くけれど,U-16はアジア予選で勝てない.これはまさに,中学でのブランクが大きいんですよね.

加藤 15歳の選手を集めても,みんなコンディションが全然整っていないから,アジア予選がある年度は,トレセンで集めた選手の部活動が継続できるように指導していますけどね.体を動かしていないと,走れなかったりゲーム勘が狂ったりしますから.『やり過ぎ』の問題はいつも指摘されるけど,あの年代では逆に『やらなさ過ぎ』の問題が出てくる.

後藤 『やりすぎ』の問題も,結局は『やらなさ過ぎ』の裏返しですよね.1年生の時は球拾いばかりさせて,3年生の時には選手権があってやり過ぎになってしまうわけですから.毎年アルゼンチンみたいにリーグ戦をやっていれば,そんな心配もないですね.アルゼンチン以外の国ではどうなんですか?

加藤 あれぐらい細密にカテゴリーを分けて子供達を育成している国はあまりなんじゃないですか.ブラジルではインファンチウとかジュニオールとか,そういうカテゴリーは聞いたことがあるんですが,1年区切りでチームを作っている国は聞いたことがないですね.

後藤 ヨーロッパではだいたい2歳単位でやってますね.ところでトレーニングの中身は,アルゼンチンの場合どうですか?

加藤 下のカテゴリーではレフェリーを一人しか置かないんです.しかもフェロの練習を見に行ったら小6か中1くらいの子供達が試合をしていたんですけれど,ボールがタッチラインを出てもレフェリーが笛を吹かないんですよ.「なんで吹かないんだ」って聞いたら,「子供達には『笛がなるまでやる』という習慣をつけさせる必要がある」と.多少揉み合いがあってファウル気味でもほとんど流す.オフサイドの場合でも流す.1対1の争いで体を入れたり入れられたり,そういう中での揉み合いの強さを養うためには,すぐ笛を吹いたらだめなんだというわけです.それは他のチームでも同じで,タッチラインを大きく出てボールが止まったりしたらさすがに笛を吹いてましたけど,ボコボコした草むらの中へボールが転がったってみんなそのままやってるんですよ.

後藤 確かにアルゼンチンのサッカーというのは,そういう土壌から出てくるような…(笑).

加藤 だから明らかにオフサイドの場面でも選手はプレーを止めないですよ.小さい時からの習慣としては,僕は悪くないなと思いましたね.日本の子供達は笛であまりにもガードされている.折りしもコパ・アメリカで,日本選手のフィジカルコンタクトが弱いと指摘されましたが,それは小さい時からの習慣の影響ですよ.ちょっと当たったら笛がなる世界と,そうじゃない世界差がでている.

後藤 それをアルゼンチンは意図的にやっているわけですね,育てる過程で.

加藤 もちろん汚いファウルはやらせないです.でも局地局面の1対1の勝負になった時の粘り強さとか,いわゆる狡さという部分ですよね.そういうものを知らず知らずに身につける機会がいっぱいある.

後藤 その育成システムというのはアルゼンチンの場合,クラブが責任を持ってやっているわけですか?

加藤 いえ,リーグ全体でやっているそうです.個々のクラブではなく.もっと広く言えば,アルゼンチン全体が下の年齢はそういうふうに育てているってことです.

後藤 僕はこの間フランスに行ってクラブの育成施設を見てきたんですけれど,すごく体制が整っていた.

加藤 フランスは今,どんな感じなんですか?

後藤 2部リーグ以上の各クラブは,必ず義務として育成センターを持っています.グラウンドがあり,指導者があり…そこで学校教育まで全部できるというのがすごいと感じました.個人教授の先生を呼んできてやるわけですが,クラブの中で教育まで面倒見ているから,練習の時間,学校の勉強の時間,また練習の時間と,一日のスケジュールがきちんと組んである.

加藤 僕は幼稚園しか見なかったんですが,アルゼンチンも学校と一緒になっている感じですね.スタジアムの下に教室がグルゥーッと作られているクラブもありますから.そういう意味ではすごく効率的というか,合理的に考えてあります.スタジアムそのものが複合施設というか,教会みたいになっている.

後藤 スタジアムが試合をするだけの場だと,ウィークエンドには試合があるけれど,それ以外の時には全く使えないことになってしまう.でも中に色々な施設が入っていれば,毎日使える,町の本当の中心になれるわけですよ.(サッカー批評,issue05,1999,双葉社スーパームック,p90-93)

 このようにアルゼンチンの育成システムに関する文章は多い。ゲームしてなんぼっていう考え方も大事といえば大事なのかも。試合に出れない多くの部員を抱えている部活動では考えて欲しい問題である。



参考文献

1)後藤健生,世界サッカー紀行2002,文藝春秋,p214-229



スポーツ若手育成システム研究会 ブラジル編 

January 08 [Tue], 2013, 15:08
ブラジル編2003/02/01/

 私がサッカーに触れたのは、兄貴がサッカーをしていたからである。ペレの名前だけはよく覚えている。サッカーのウォーミングアップで行われるブラジル体操も教わった。カズが単身渡って活躍したことも知っていた。ワールドカップで活躍する国であることも知っていた。だからこそ、ブラジルにおける育成システムはどうなっているのか関心があった。

 ブラジルではワールドカップの試合中は会社も学校も休みになるという1)。そんなサッカーの国・ブラジルでは、11人制のサッカーの他、室内でのフットサル、ビーチで行うビーチサッカー、バレーボールのコートで行われるフットバレー、ハーフコートほどの大きさで行われる7人制サッカーなど何種類ものサッカーがある。人数もコートも違ういろいろな種類のサッカーが、プレーヤーの体力や技術や使えるスペースに応じて行われている。こうして、広いブラジルの津々浦々で子供から大人までサッカーを楽しんでいる。だから子供たちはボールを蹴ったり止めたりといった基本テクニックは小さい頃に覚えてしまう。一方、プロ選手を目指す者は、6〜7歳くらいからサッカースクールやサッカークラブに入って本格的な指導を受ける1)。

 サッカースクールの月謝はだいたい20ドルから50ドルくらいで、誰でも入団できる。下は4、5歳から上は17歳くらいまで、年齢別、レベル別にチームが編成されてプロコーチの指導を受ける。サッカースクールで練習して、うまくなってからサッカークラブの入団テストを受ける者も多い。

 サッカークラブには、月謝を取って教える「エスコリーニャ」(サッカースクール)と、月謝を取らずに逆に一切の用具を支給してクラブ丸抱えで選手を養成してゆく「チーム」(プロ予備軍)がある。

 一般のサッカースクールと同様、「エスコリーニャ」には月謝さえ払えば誰でも入団できる。しかし、「チーム」に入るには入団テストがある。入団テストには、数百人の子供たちを集めて選抜する集団テスト方式(「ペネイラ」=ふるい=と呼ばれる)と、めぼしい子供が現れるとテストする個別テスト方式がある。テストのやり方は、試合形式で実際のプレーを見ると至って単純なものだ。かつては「ぺネイラ」が一般的だったが、最近のビッグクラブはブラジル全土に「オリェイロ」と呼ばれるスカウトを配置しており、「オリェイロ」が地域のめぼしい子供をクラブに推薦して、クラブがその度に入団テストを行うことが多くなっているという。

 「チーム」には年齢別のカテゴリーがある。「デンチ・デ・レイチ」(「乳歯」の意味。12歳〜13歳)、「インファンチル」(幼年。13歳〜15歳)、「ジュペニール」(ジュニア。15歳〜17歳)、「ジュニオール」(ユース。17歳〜20歳)である。ビッグクラブではそれぞれのカテゴリーにだいたい30人から50人くらいの選手がおり、プロのコーチ、フィジカル・トレーナー、GKコーチなどが週3回ほど指導する。土曜日と日曜日にはカテゴリー別の公式戦があり、そこで選手たちは実戦経験を積む。遠隔地から来ている子供たちはクラブの寄宿舎に住み込み、学校に通いながら練習に励む。

 上のカテゴリーに上がるたびに選別は厳しくなる。例えばサンパウロFCの場合、「デンチ・デ・レイチ」から「インファンチル」へは大多数の子供がそのまま上がるという。しかし、「インファンチル」から「ジュペニール」に上がれる子供は半分より少し多いくらいとなり、代わりに入団テストを受けて入ってきた子供が補充される。「ジュペニール」から「ジュニオール」に上がれるのはせいぜい半分程度で、残りは入団テストによって補充される。「ジュニオール」の選手で、クラブとプロ契約を結んで「アスピランチ(見習い)」と呼ばれる二軍、あるいはトップチームに入れるのは数人に一人だけだ。

 ブラジルでは、20歳までにプロ契約を結べなければクラブを退団することになる。どこのクラブともプロ契約を結んでもらえない場合は、サッカー選手をあきらめて他の職業を探すしかない。(沢田啓明「情熱のブラジルサッカー」(平凡社),p106-108,2002年)

 サッカー王国・ブラジルを支えているのはクラブであるといっても過言ではない。スポーツを愛する一般市民と,その頂点としてのプロ,あるいはアマチュアのトップ選手が,一つのクラブのなかで一体となっている.ビギナーレベルからトップクラスに至るピラミッド型の組織図が頑強に完成されている.セミプロ,トッププロの選手はいうまでもなく,アマチュアレベルの一般会員もクラブに対する高い誇りと愛情の念を持っている.底辺を支える一般会員レベルが磐石であることが,トップクラブの高みを支えている.(Soccer Clinic,1999,11,p5)トレーニングに関して先陣となってきたクラブチームであり、最近では少年選手の育成にサッカースクールが大きな役割を果たしている。「今までのブラジルサッカーは,草サッカーから育ってきた有望な素材を集め,有力なクラブチームが買い取るという図式で成り立ってきました.私がスクールを創ろうと思ったのは,クラブとは違った考え方で,子供たちを育てたいと思ったからです. 選手はプレーヤーである以前にひとりの人間です.残念ながらブラジルでは犯罪が増加傾向にあり,犯罪に巻き込まれる青少年の数も一向に減るようすが見えません.私はブラジルの未来のためにサッカーを通じた人間教育を考えようと思いました. 優秀な選手は,もちろん名門クラブへ推薦し,プロの世界へ羽ばたきます.それとは別にジーコ・サッカースクール独自にCFZ(センター・フットボール・ジーコ)というチームを持っており,一般のスクール生とは違うカリキュラムでさらに専門的なトレーニングも行っていきます.CFZはサンパウロ州やブラジル国内のユース年代の大会にも積極的に出場し,交流を図っています」ジーコ談(Soccer Clinic,1999,11,p5〜6)

 ブラジルは多くのスーパースターを輩出してきた。彼らのマネをする中で、次の世代の子どもはより高いレベルのサッカーを目指すと言える。サッカーを発展させるためには,みんなの目標となるアイドルが必要不可欠です.カズ,中田,最近では小野伸二,そういった選手を目標にして,子供たちはサッカーに取り組むでしょう.その子供たちがやがて大人になり,今度は指導する立場になる.そして自分たちの手で,新しいアイドルを育てていく.そのアイドルを見て,さらに次の世代の子供たちがより高いレベルを目指す.こうした繰り返しによって,強くなっていくのです.(Soccer Clinic,2000,1,p94)

 また、ブラジルでは経済的に恵まれない子どもにスポーツを通した教育の機会を与えている人、機関が存在する。2002年ワールドカップ後の日本代表を率いるジーコ氏もその支援をする1人である。「今までのブラジルサッカーは,草サッカーから育ってきた有望な素材を集め,有力なクラブチームが買い取るという図式で成り立ってきました.私がスクールを創ろうと思ったのは,クラブとは違った考え方で,子供たちを育てたいと思ったからです. 選手はプレーヤーである以前にひとりの人間です.残念ながらブラジルでは犯罪が増加傾向にあり,犯罪に巻き込まれる青少年の数も一向に減るようすが見えません.私はブラジルの未来のためにサッカーを通じた人間教育を考えようと思いました. 優秀な選手は,もちろん名門クラブへ推薦し,プロの世界へ羽ばたきます.それとは別にジーコ・サッカースクール独自にCFZ(センター・フットボール・ジーコ)というチームを持っており,一般のスクール生とは違うカリキュラムでさらに専門的なトレーニングも行っていきます.CFZはサンパウロ州やブラジル国内のユース年代の大会にも積極的に出場し,交流を図っています」ジーコ談(Soccer Clinic,1999,11,p5〜6)ジーコ・サッカースクールの施設は,芝のグラウンド3面+人工芝のグラウンドが1面.宿泊施設も充実している.(Soccer Clinic,1999,11,p6)監督就任後も契約金を支援に使うようである。

 ちなみに最近、ブラジル国内では、日本でのように、ジーコの契約金などに関する話題は全くといってよいほど、取り沙汰されない。ジーコが、自分の収益の多くを、経済的に恵まれない子供たちのサッカー環境育成のために、惜しみなく援助していることが周知の事実となっているからだ。「確かに、自分のお金のことが話題になっていることは知っているよ。でも、僕の名前がお金を呼んで、結果、才能がありながら、サッカーができない環境にある多くの子供たちにチャンスを与えられるのであれば、それは気にならない。今は、僕がサッカーから得た感動や夢を、次の世代に残すことを考えているだけさ。でも、こういったことを宣伝するつもりはないんだよ」(Number,556,文芸春秋,Mission2006,リカルド・セティオン=文、中谷綾子・アレキサンダー=翻訳、指揮官ジーコの可能性p29)アイルトン・セナ財団も支援の活動をしている。アイルトン・セナ財団は,F1界のスーパースター,セナ亡きあとに彼の妹が個人の遺志を引き継ぎ,経済的に恵まれない10歳から16歳までの子供たちにスポーツを通した教育の機会を与えている.サンパウロ州立大学を始めとする6つの大学,30の機関の協力を得,子供たちを指導・教育している.サッカー,バスケットなどのスポーツに加え,芸術系のスクールもあるとのことだ.財団の補助を受けている児童・生徒は総勢400名いる.(Soccer Clinic,1999,11,p7)ブラジルでは選手自らが出資して,恵まれない子供に基金を募り,スポーツ施設を設立するケースが増えています.このコーナーでもロナウドやロマーリオの活動を紹介しましたが,今回はかつてアントラーズで活躍したジョルジーニョが設立しました. 今回,彼が設立した”ジョルジーニョ教育センター”は12月27日に開校しましたが,その実現には資金面をはじめ多くの問題があったのは言うまでもありません.それだけに開校の瞬間はジョルジーニョ自身も感慨深かったことでしょう.このセンターはリオ北部の街グアダルーペに位置し,常時1000人以上の子供がスポーツを楽しむことができるそうです.サッカースタジアムはもちろんフットサルコートや空手道場まで用意されており,子供たちの指導は各スポーツのトップ選手が行うことになっています.(WSG,2000,02,Vol.79,p48)

 そして、総合型のクラブとしての参考例としてフラメンゴのクラブを挙げてみたい。午後はフラメンゴのクラブ施設を見学.施設の総面積は約7300平方メートル.ブラジルの学校は午前または午後の半日制である.児童・生徒は,部活動の代わりに学校が終わるとさまざまなクラブへ通い,スポーツ系や芸術系など自分が得意な分野で才能を伸ばす.フラメンゴはサッカー以外にも,競泳,飛び込み,シンクロナイズドスイミング,バレーボール,バスケットボール,柔道,陸上競技など,専門のスタッフが多くのスポーツを指導している.家族会員の年会費は500USドル.家族会員を登録すると,会員の配偶者,子供は何人でも25ドルの月謝だけで施設を利用できる.個人会員は月謝の他,メンテナンス料も必要になる.また個人的にコーチについて個別指導を受ける際も,別途コーチ料が必要になる.クラブ施設は,広大な一大スポーツ基地といった感じだ.いわゆる日本のスポーツクラブやフィットネスクラブとは,規模も雰囲気も違う.市民なら誰でも入会できるという意味においては,非常に開放的で,「市民のクラブ」という親近感がある.事実,会員の大多数は,趣味や娯楽としてスポーツを楽しむ目的でクラブに通っているに違いない.(Soccer Clinic,1999,11,p4)

 ブラジルでは個人や財団が子どもへのスポーツ活動を支援することが最近の傾向のようである。選手の能力を伸ばすサッカースクールと、教育機関としてのサッカースクールとが存在していることを、私は大事だと思う。底辺拡大のための事業と、エリート養成のための事業は、必ずしも一致しない。どちらかといえば相反するものだろう。結果としてプロ選手が誕生するかもしれないが、ジーコ氏がサッカースクールを開いているのは人間教育を第一の目的としているのである。これは、日本でずっとこれまで行われてきた部活動の趣旨と似ていると感じるのは私だけだろうか。今後の日本における部活動、そして地域におけるクラブとの関係にも、ブラジルの例も参考になるのではないかと考えている。



参考文献

1)沢田啓明「情熱のブラジルサッカー」(平凡社),p1-223,2002年



引用文献は文中に示した通り(赤字で示す)。



スポーツ若手育成システム研究会 スペイン編 

January 08 [Tue], 2013, 15:07
スペイン編 2003/01/23/



 攻撃的サッカーで知られるスペイン・リーグ.今シーズンロナウドが加わり,さらなる進化を遂げ,トヨタカップでも世界一に輝いたレアル・マドリードはスペインのクラブである.スペインのクラブは数万人もの会員(ソシオ)に支えられている1).財政面での成功している原因として,積極的なテレビ放映による巨額の放映権料が挙げられる.ヨーロッパ大陸においては,ドイツでも,イタリアでも,フランスでも,スタジアムは自治体の所有であるのが普通である.しかしスペインでは,巨大スタジアムもクラブ所有となっている.また,通常クラブはバルセロナのように総合スポーツクラブの形態をとっているが,レアルなどは財政難に襲われた際に規模を縮小し,現在はサッカーとバスケットのみとなっている2).

 スペインにおけるトップクラブが成功を収めているのは「カンテラ(下部組織)」のお陰であると言われる.アスレチック・ビルバオはフランスの国境近くのバスク地方に位置し,大工業都市として知られているビルバオにあるチームである.さて施設の面では芝のグラウンドを6面,人口芝を1面,そして雨の多いこの地方にはなくてはならない人口芝の体育館1つを保有し,またトップチームはもちろん下部組織の各カテゴリーに対しても,それぞれしっかりとした更衣室が用意されている.さらに教室が3つ用意され,算数,理科といった教科ごとの先生と心理学の先生が常駐する.こうしたチームの特徴,そして環境などにまず触れたのは,このチームがカンテラ(下部組織)の教育,育成に並々ならぬ力を注いでいるかをわかっていただくためである3).このようにスペインにおけるカンテラの重要性に関する指摘はあったが,今回のトヨタカップで来日したレアル・マドリードに関するカンテラの秘密と題したレポートも報告されている.



 史上最強!レアル・マドリード,ストライカー特別編集,GAKKEN

・下部組織“カンテラ”の秘密,円理(Madori),p86-87

 ポイント1 選抜方法

 ヒエルデス氏 

カンテラは年齢によって12チームに分かれている(飛び級あり).

  選抜方法は2つ.1つは全国のスカウト網が探してくる方法.もう1つは選抜試験.こちらは,現在は最年少のクラスでしか行っていない.マドリードとその近郊の子供も集めて4日間テストする.ボールを使い,テクニックがどれだけあるか,正確な判断ができるかなどが基準.成長期の前だから,フィジカルは問題にしていない.

 マルティネス氏

  スカウト担当者は,地方大会はもとより,毎週末の各地の試合,毎日の練習を視察に行き,新しい才能を探している.もちろん全部を把握するのは無理なので,地方のサッカー関係者から情報を受け,いい選手がいると聞けば,すぐにスカウトを送る.また,レアル・マドリードに来たい子どもがいたら,すぐ見に行く.もし優秀ならば,2ヶ月もすればその子のインフォメーションは完全にそろう.外国にも情報提供者はいるが,これはカンテラの選手を対象とはしていない.

  選抜試験を(最年少以外で)行っていないのは,試験をしても,そのとき実力を十分発揮できない子供がいるから.それよりも所属クラブで,いつもの仲間とプレーしているのを,本人に知られずに見るほうが評価しやすい.プレーだけでなく行儀や態度もより分かるし,それらも評価の対象になる.



 ポイント2 各段階での目標,教授法

 ヒラルデス氏

  我々の目的はトップチームにたどり着く選手を育てることだが,9歳の子供には遠すぎる目的だ.まずサッカーを楽しませる.現在,都会ではサッカーのできる環境が減ってきている.なるべく長い時間プレーして欲しいので,我々はその場を作る.11〜13歳くらいになると,テクニックの向上を図る.その年齢では,さまざまな動きのテクニックをマスターしやすいので,それをプレーの中で使いこなせるようにする.同時に,試合のオリエンテーションの初期(基礎)を教える.パスの出し方,守備の位置取り,攻撃の分割,サイドの使い方など.14〜15歳はそれらの発展.求められる選手とは,優れたテクニック,ゲームコントロール,それにフィジカルが加わってくる.

  練習は試合に近い形で行う.いつもボールを使って,味方と敵の選手を組ませる.練習だから,試合だからといってこの形を変えることはない.



 ポイント3 子供の成長に関して

 ヒラルデス氏

  子供の成長には個人差があり,生まれ年からは割り切れない.手根骨をX線で撮って,計算法にしたがえばほぼその子の最終身長を割り出せる.もちろんサッカーはどんな体型でもできるが,もし我々がその子の身長に疑問を持ったら,この方法を使う.しかし,身長は重要ではない.GKやセンターバックなどのポジションから外すだけ.

  選手は1人ずつ見ていかなければならない.全員を同じ環境に置いて練習させることはない.練習のベースは同じでも,それぞれに個人差があるから.

  カンビアッソの例で言えば,短期間で大きく体型が変わった(1年で16センチ伸びた).すると身体のコーディネートが狂ってくる.筋肉が弱くなったり,筋が伸びなかったり.そんなときは注意して,個々の状況を見ながら体の作りを整えていく.これらの手法は,それだけのスタッフがそろっているクラブしかできない.小さなクラブや学校のチームではその用意がないから.育成システムの整っている,カンテラの重要性を考えているクラブだけが可能.



ポイント4 生活面

 マルティネス氏

  ほとんどの子供はマドリードやその近郊から週3回の練習に通ってくるが,地方から上京してきた子もいる.彼らは13〜14歳以上で,寄宿学校が用意されている.クラブはマドリードでも有数の私立学校と契約している.家から通っている子は親の管理下に置かれているが,寄宿舎に入っている子供たちの保護者はレアル・マドリード.だからその子の生活や成績に対する配慮も我々の務めになる.毎学期の成績表もこちらに提出され,勉強が遅れた子には補習をサポートしている.子供たちは選手として育っていくだけでなく,人間として育っていかなければならない.将来,プロの選手になれない子も出てくる.その子たちが,また別の人生に進めるよう,人格形成を助けるのも我々の努めだ.子供は必ず大人になるということを忘れてはいけない.

  成人(18歳)に達した選手は寮から出て,何人かでマンションを借りて生活している者もいる.彼らには,希望すれば大学進学への補助もある.これもクラブと提携している私立大学が,両立できるように授業時間などを考慮してくれている.もちろん,他の大学へ進む選択も自由(カシージャスのようにトップチームでも大学に籍を置いている選手もいる)



 ポイント5 カンテラでの経験の長さ

 ヒラルデス氏

  もし,その子が10歳で入ってきたら,15歳になったとき,彼は十分に成長しているだろう.しかし,14〜15歳で来たとしても,素晴らしく育つ子はいる.最終的には,その子の持って生まれた才能.それが最も決定権を持つ.



 ポイント6 選手の国籍

 ヒラルデス氏

  すべてスペイン人.エクアドルとカメルーン生まれの子が1人ずついるが,2人ともスペイン国籍を持っている.スペインの子供たちは才能に恵まれている.彼らを主としてカンテラを作る方針なので,外国までは求めてはいない.カンビアッソのようにワールドユース選手権で見つけた選手もいるから,全くないとはいえないが.



 ポイント7 コーチ陣

 ヒラルデス氏

  コーチ陣は,サッカーを教えるだけではなく,サッカーを通じて人間形成にも関与する,教師の立場も含んでいる.レアル・マドリードは,人間形成の中に(学校の)教育の重要性を認識している.だから,決して勉強を疎かにしない.サッカー選手は一生の仕事にはなりにくいが,勉強は一生ついて回る.

  サッカーの練習を言い訳に勉強を怠ることは許さない.まず,生活計画を立てさせる.大きくて優秀なクラブの一員となれば,時間の束縛も大きい.だからこそ,時間の整理が必要になる.レアル・マドリードで選手を続けるならば,自分の生活を正す訓練も自分自身に課すべき.サッカーも勉強もコンセントレーションが重要なのは同じ.だから,ここの多くの選手が勉強を続けている.

  コーチの中には元レアル・マドリードの選手もいる.



ポイント8 カンテラのその後

 ヒラルデス氏

  大抵,21歳前後でカンテラの生活は終わる.レアル・マドリードのカンテラで過ごした選手の多くはプロになり,残りもセミプロとして選手を続けている.セミプロとは2部B(ほとんどプロ)や3部で,大抵はサッカー選手に関する仕事をしながら選手活動を続けている.だが16〜17歳で,もうウチには残れないと思われる選手も少なくない.彼らの多くは他のクラブに移り,そこで活動を続けている.



 ポイント9 クラブの望み

 ヒラルデス氏

  クラブはカンテラに,マドリディズムの精神,誠実さ,礼儀,誇りなどを小さい頃から身に着けるよう望んでいる.また,トップチームの選手を間近で感じることで,より向上心を沸かせている.いつかトップチームにたどり着けると,目標を持たせるのもクラブのやり方だ.



 ポイント10 カンテラの意義

 マルティネス氏

  カンテラの選手たちは,将来トップチームの選手となって,クラブを担うために育てられている.必要な投資は惜しまない.プロ選手を他のクラブから呼ぶのにかかる費用は膨大.それに比べれば,カンテラにかかる費用は微々たるものだ.トップチームに残らなくても,よそへの移籍金や貸出料はクラブに大きな利益を生む.現在,クラブは必要な選手以外と契約しない方針に動いている.カンテラの選手が抜擢され,足りないポジションの選手だけを他から足すということ.4〜5年後には,50%のトップ選手はカンテラ出身で埋めようと思っている.彼らのメリットは経済効果だけではない.小さい頃からマドリディズムを植え付けられ,レアル・マドリードの選手でいることに大きな誇りを持ち,忠誠心も強い.そのことが経済面よりもずっと大きな意義を持っている.,p86-874)



 スペインにおける育成システムに関しては、レアル・マドリードを知れば一目瞭然!



参考文献



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1) 後藤健生「世界サッカー紀行2002」(文藝春秋),p192-203

2) World Soccer Graphic,1999,Vol.68,p56

3) Soccer Clinic,2000,06,p41

4) 円理(Madori)「史上最強!レアル・マドリード(下部組織“カンテラ”の秘密)」,ストライカー特別編集,GAKKEN,p86-87

諸外国におけるスポーツ振興施策 イギリス 

January 02 [Wed], 2013, 22:29
イギリス (UNITED KINGDOM)
面積:243,610 km2 人口:6,270 万人 (2011 年)

T スポーツ政策の基本制度
1.歴史的背景、今後の動向および現状
(1)スポーツ政策の歴史的背景および今後の動向
イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4 つの地方政府(Nation)から構成された国(State)であり、それぞれに独立性が高い。スポーツ政策は文化・メディア・スポーツ省(Department of Culture, Media and Sport:DCMS)が所管するが、具体的な政策は地方政府ごとに設けられているスポーツカウンシル(Sports Council)が推進する。こうした背景には、アーツ(芸術)カウンシル(Arts Council:1945 年に設立され、イギリスの文化政策を担っている。現在はスポーツと同様に上記の4 つの地方政府にそれぞれのカウンシルをもつ。)、田園委員会(Countryside Commission:1949 年の国立公園と田園への接近法によって設立された。国立公園や田園へのレクリエーション的な関わりと農地保護などを検討する)などと並んで1940〜70 年代に普及したネオ・コーポラティズム(政府と企業そして労働組合あるいは民間組織、住民組織との連携のもと
に政策の作成、推進を意図する政治体制)の影響がある。
ここでは主にイングランドにおけるスポーツ動向について報告する。イングランドは近代スポーツの発祥地であるというプライドがイングランドのナショナリズムとして強く定着している。1960 年代以降、西欧・北欧の福祉国家を中心にスポーツ・フォー・オール(生涯スポーツ)が展開された。また、アマチュアリズムの発祥地でもあり、政府のスポーツへの介在を控える傾向が強く、スポーツ・フォー・オールへの参入が遅れたが、1970 年代以降になって他の西欧、北欧諸国に追いついた。
多民族地域での融合政策の逼迫化、1980 年代以降の福祉軽視や格差拡大による地域の不安定化、国民の肥満化、上昇する医療費問題は、大きな政治的課題となっており、2000 年代に入って地域的貧困問題は「ソーシャル・インクルージョン」政策(貧困により社会的に排除された人々を地域再生政策で再統合する政策)で対応する事になったが、地域のスポーツ政策はまさにその中心的な役割を担うことになった。また、国民の肥満化対策や上昇する医療費対策も喫緊の課題である。
2000 年代以降、これらの政治的課題の克服の一環として「世界一のスポーツ立国」政策を提起し、「子どもスポーツ」「地域スポーツ」「エリートスポーツ」、そして「障害者スポーツ」なども含めて、国民全体へのスポーツの普及において世界最高水準を目指している。そのためスポーツ現場と連携して、施設の確保、指導者の養成、それらの推進のための予算の保証など、綿密に政策を立てている。
そして2012 年のロンドンオリンピック開催へ向けて、スポーツの大衆的普及とエリートスポーツの振興は、オリンピック・レガシー(オリンピックの開催によってその都市や国に残される遺産)の一環に組み込まれ、一層の活気をもって推進されている。
一方で、2010 年6 月に誕生したキャメロン保守党は大幅な緊縮財政を断行しつつあり、2012 年のオリンピック経費を除き、大幅な削減がされようとしている。1996 年に分離したUK スポーツ(UK Sport)とスポーツイングランド(Sport England)が再び合体させられる動向も出てきており、それらの削減がどの程度進むのか、懸念が広がっている。

(2)国民のスポーツ参加動向
1)スポーツ実施状況
スポーツイングランド(Sport England)が2010 年に行ったアクティブピープルサーベイ4(Active People Survey 4)によると、イングランドの成人(16 歳以上)の21.8%(917 万人)が、「週に3 回、30 分以上、中程度のスポーツおよびレクリエーション」を行っている。
同調査のスポーツのみの実施者に注目すると、イングランドの成人(16 歳以上)で、過去4 週間において、スポーツをまったく行わなかった「非実施者」は57.5%であり、42.5%の者は何らかのスポーツを実施していた。実施者のうち、「週3 回、30 分以上、中程度のレベル」で実施している者が16.5%、693 万人であった(図表E-1)。年齢別にみると、16 歳から34 歳の実施が最も多く26.2%(340 万人)、性別では、男性が20.3%で女性(12.8%)を上回っている。

過去4 週間に少なくとも1 回はスポーツを行った者が主に実施した種目は、1 位「水泳」12.9%、2位「サイクリング」9.0%、3 位「サッカー」7.3%であった(図表E-2)。


2)スポーツクラブ加入状況
アクティブピープルサーベイ4(2010)によると、スポーツクラブに加入している者は1,004 万人であり、成人人口の23.9%にあたる。2008 年の調査では1,024 万人(24.7%)、2009 年では1,007 万人(24.1%)と、年々その数は減少傾向にある。
地域スポーツクラブの数はイングランドで106 万クラブ(2002 年調査)、スコットランドで1 万3千クラブ、ウェールズで3 千800 クラブ以上などとなっている。イングランドのスポーツクラブの総会員数は800 万人で、1 クラブに平均で約80 人が所属している。イングランドで最も会員数が多いクラブはサッカー(250 万人)で、以下、ゴルフ、体操、ローンボウルズ、クリケットなどが続く。また、スポーツクラブに所属せずに、自ら運動・スポーツ(ウォーキングを除く)に親しむ愛好者は1,120万人と推計されている。

2.国内のスポーツ担当機関
(1)中央組織
1)文化・メディア・スポーツ省(Department for Culture, Media and Sport:DCMS)
中央政府のスポーツ担当省は文化・メディア・スポーツ省(Department for Culture, Media and Sport:DCMS)であり、その他、イギリスのスポーツ行政は、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各地方政府のスポーツ担当部局、そしてUK スポーツ(UK Sport)やスポーツイングランド(Sport England)に代表されるスポーツに関する非省庁公的機関※、地方自治体のスポーツ担当部局によって担われている。こうしたスポーツ行政機関が、さまざまな民間のスポーツ組織と協働しながら、スポーツ政策を展開している。
※非省庁公的機関とは、政府の担当省庁に管轄される政府機関ではない独立した行政機関である。文化・メディア・スポーツ省は、1997 年の労働党ブレア政権誕生に伴って設立され、現在、芸術、放送、創造産業、歴史的景観の保護、図書館、博物館、観光、国営宝くじ(National Lottery)の運営、ギャンブル、スポーツなど、さまざまな政策分野を担当している。また、同省は2012 年に開催されるロンドンオリンピック・パラリンピックの担当省でもある。職員数(2009 年度)は、常勤換算(パートの人員を常勤に換算する)で、495 人となっている(図表E-3)。
なお、イギリスにおけるスポーツ担当省は教育科学省(Department of Education and Science: 1965年度)、住宅・地方自治省(Department of Housing and Local Government: 1969 年度)、環境省(Department of Environment: 1970 年度)、教育科学省(Department of Education and Science: 1989年度)、国民遺産省(Department of National Heritage: 1992 年度)と移り変わり、現在の文化・メディア・スポーツ省に至る。

文化・メディア・スポーツ省のスポーツ局は、外部の有識者などの特別アドバイザーからスポーツ政策に関する助言を得ながら、UK スポーツ、スポーツイングランド、UK アンチドーピング(UKAnti-Doping)などの非省庁公的機関と連携し、政策を展開している。主な役割はイギリスのスポーツ政策を総合調整することにあり、実質的なスポーツ政策の立案・実施は、UK スポーツやスポーツイングランドなどの非省庁公的機関が担っている。また、学校体育・学校スポーツの担当省である教育省 Department for Education(2010 年4 月までは、子ども・学校・家庭省(Department for Children,Schools and Families が担当)や健康のための身体活動を担当する健康省(Department of Health)など、関連省庁との連携を図っている。

2)非省庁公的機関(スポーツカウンシル:Sports Council)
@UK スポーツ(UK Sport)
UK スポーツは1997 年にロイヤルチャーター(Royal Charter:国王から承諾された特許状)を得て設立された非省庁公的機関であり、イギリスにおけるエリートスポーツ政策を担っている。UK スポーツの本部はロンドンにあり、およそ90 人のスタッフが働いている。
UK スポーツの前身は1972 年に創設されたスポーツカウンシル(Sports Council)である。スポーツカウンシルもまたロイヤルチャーターを得て誕生した非省庁公的機関であり、その設立以来、政府に代わりイギリスのスポーツ政策の策定・展開において中心的な役割を担ってきた。スポーツカウンシルは、1)イングランドという地方政府(Nation)におけるスポーツ・フォー・オール政策の推進、2)オリンピック代表選手の強化等にみられる、イギリス全体におけるエリートスポーツ政策の展開、をその主な任務とし、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各地方政府にはそれぞれの地方政府を担当するスポーツカウンシルが同時期に設立された。
1990 年代になると、より体系的なエリート選手の育成・強化が目指されるようになり、従来のスポーツカウンシルは1996 年にイギリス・スポーツカウンシル(UK Sports Council)とイングランド・スポーツカウンシル(English Sports Council)に分離され、スコットランド・スポーツカウンシル(Scottish Sports Council)、ウェールズ・スポーツカウンシル(Sports Council for Wales)、北アイルランド・スポーツカウンシル(Sports Council for Northern Ireland)と合わせ5 つのスポーツカウンシルが存在するようになった。この段階において、イギリス・スポーツカウンシルはエリート選手の強化・育成に専念するようになり、4 つの地方政府のスポーツカウンシルは各地方政府におけるスポーツ普及に特化することとなった。その後、各スポーツカウンシルはUK スポーツ、スポーツイングランド(Sport England)、スポーツスコットランド(Sport Scotland)、スポーツウェールズ(Sport Wales)スポーツ北アイルランド(Sport Northern Ireland)と改称した(UK スポーツ以外のスポーツカウンシルについてはT-2)Aで詳述)。
現在のUK スポーツの主な任務は、公的資金(国庫・国営宝くじ)を各スポーツ競技団体に分配し、エリート選手の強化・育成を行うことにある。
AUK アンチドーピング(UK Anti-Doping)
UK アンチドーピングは2009 年12 月に設立された非省庁公的機関であり、世界ドーピング防止機構(World Ant-Doping Agency:WADA)が設定した基準に基づきながら、イギリスにおけるアンチドーピング政策を担当している。UK アンチドーピングはUK スポーツの一組織として位置付けられており、32 人の専属スタッフと、UK スポーツからの出向職員20 人によって運営されている。

(2)地方組織
1)地方政府(スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)のスポーツ担当部局
冒頭にも述べたように、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドはそれぞれが地方政府(Nation)であると同時に、国(State)の中においては、地方と位置付けられる。
@スコットランド行政府(The Scottish Government)
スコットランド行政府におけるスポーツ担当部局は、平等とスポーツ庁(Equalities and Sport Directorate)である。平等とスポーツ庁は、非省庁公的機関であるスポーツスコットランド(Sport Scotland)と連携しながら、スポーツ参加の促進、エリートレベルにおけるパフォーマンスの改善などに取り組んでいる。
Aウェールズ行政府(Welsh Assembly Government)
ウェールズ行政府におけるスポーツ担当部局は遺産省(Department of Heritage)である。この省は、すべての人々に芸術、文化、スポーツ、観光、歴史的景観を楽しむ機会を提供することを目的としており、スポーツに関しては、スポーツ・身体活動への参加を奨励している。具体的な政策の作成、展開については、非省庁公的機関であるスポーツウェールズ(Sport Wales)が担っている。
B北アイルランド行政府(Northern Ireland Executive)
北アイルランド行政府におけるスポーツ担当部局は文化・芸術・レジャー省(Department of Culture, Arts and Leisure)である。この省は、北アイルランドにおけるスポーツ政策をリードする非省庁公的機関であるスポーツ北アイルランド(Sport Northern Ireland)の運営に対して責任をもつ。

2)非省庁公的機関(スポーツカウンシル)
@スポーツイングランド(Sport England)
スポーツイングランドは文化・メディア・スポーツ省(DCMS)との契約関係のもとで、イングランドにおける草の根スポーツの振興と、タレント育成のための「経路(pathway)」の構築を目指している。また、「1993 年国営宝くじ等に関する法律(the National Lottery etc Act)」(「1998 年の国営宝くじに関する法律(National Lottery Act)」により改正)に基づき、イングランドにおける国営宝くじからの助成金を分配する役割も担っている。本部はロンドンに置かれており、ベドフォード(Bedford)、ラフバラ(Loughborough)、ロンドン(London)、ダラム(Durham)、マンチェスター(Manchester)、ビシャム・アビー・マーロー(Bisham Abbey Marlow)、クルーカーン(Crewkerne)、バーミンガム(Birmingham)、リーズ(Leeds)の9 都市に地方支部(local offices)がある。スタッ
フはおよそ240 人とみられる。
Aスポーツスコットランド(Sport Scotland)
スポーツスコットランド(Sport Scotland)とは、スコットランドのスポーツ政策を担当する非省庁公的機関である「スコットランド・スポーツカウンシル(the Scottish Sports Council)」の通称であり、本部はグラスゴー(Glasgow)にある。また、スポーツスコットランドの関連機関としては、スポーツスコットランドスポーツ研究所(Sport Scotland Institute of Sport)がスターリング(Stirling)に存在する。スコットランド政府に対してスポーツ政策に関する助言を行うとともに、その政策の実施を支援すること、国営宝くじからの助成金を分配する役割等を担っている。
Bスポーツウェールズ(Sport Wales)
1972 年2 月にロイヤルチャーター(Royal Charter:国王から承諾された特許状)を得て誕生した非省庁公的機関であり、その正式名称はウェールズ・スポーツカウンシル(Sports Council for Wales)である。その本部はカーディフ(Cardiff)にある。スポーツウェールズは、ウェールズ行政府に対してスポーツ政策に関する助言を行うとともに、ウェールズの国営宝くじからの助成金の分配等を行っている。
Cスポーツ北アイルランド(Sport Northern Ireland)
スポーツ北アイルランド(Sport Northern Ireland)とは、北アイルランドにおけるスポーツ政策を担当する非省庁公的機関である「北アイルランド・スポーツカウンシル(Sports Council for Northern Ireland)」の通称であり、この機関は1973 年に北アイルランドの1973 年のレクリエーションと若者サービスに関する法律(the Recreation and Youth Service (Northern Ireland) Order)第3 条(Article 3)に基づいて設立され、ベルファスト(Belfast)に本部が置かれている。また、トリーモア国立屋外センター(Tollymore National Outdoor Centre)とアルスター大学(University of Ulster)にある「北アイルランドスポーツ研究所(Sport Institute Northern Ireland)」の運営も行っている。文化・芸術・レジャー省(The Department of Culture, Arts and Leisure)とのパートナーシップのもと、スポーツ政策を展開すること、北アイルランドにおける国営宝くじからの助成金を分配する役割等を担っている。

3)地方自治体
@地方自治体におけるスポーツ担当部局
各地方自治体(州・郡など)には、レクリエーション局(Recreation Department)やレジャー局(Leisure Department)といった名称の部局が存在することが多く、その部局が地域においてスポーツ教室の開催などを通じてスポーツ・身体活動の普及に取り組んでいる。
A公共スポーツ施設の運営管理
イギリスの公共スポーツ施設の多くは、1970 年代になって、各地方自治体によって建設された。公共スポーツ施設は当初、各自治体のレクリエーション局(Recreation Department)やレジャー局(Leisure Department)などのスポーツ担当部局によって直接運営されていたが、保守党サッチャー政権のもと、1988 年に強制競争入札制度(Compulsory Competitive Tendering:CCT)が導入され、1989 年にはスポーツ・レジャー施設に対する競争入札条例(Competition in Sports and Leisure Facilities)の施行により、公共スポーツ・レジャー施設も当該制度の対象となった。だが、実際は公共スポーツ施設の運営・管理に関する契約の多くを自治体の直接サービス組織(Direct ServiceOrganisation)が落札し、また、当該制度はコスト面を優先しがちで必ずしもサービスの質を担保することができず、公共サービスの質の低下が問題視されるケースも数多く存在した。
こうしたCCT の問題点を踏まえ、2000 年にはブレア労働党政権のもとで、新たな制度である「ベストバリュー(Best Value:公共と民間・ボランタリーセクターが連携し、効率的・経済的・効果的な政策を提供する制度)」が施行された。この制度のもとでは、各自治体は「自治体による直営」、「トラスト(trust:振興事業団)、民間企業との契約による施設運営」など、公共サービスの提供方法を再考する必要に迫られる一方で、施設運営の効率性とともに施設で提供されるサービスの質もまた重視されるようになった。このベストバリューは2002 年になって、公共サービスの提供に対してより包括的な評価を行う包括的業績評価制度(Comprehensive Performance Assessment:CPA)へと発展している。
Bカウンティスポーツパートナーシップ(County Sports Partnership: CSP)
イングランドの各県(county)において形成された、スポーツ政策に関係する諸組織のネットワークである。現在49 のカウンティスポーツパートナーシップが存在し、地方自治体、各種目の国内統括団体、地域のクラブ、学校スポーツパートナーシップ(School Sport Partnership)、プライマリーケアトラスト(Primary Care Trust:イギリスの国民医療事業のおもに初期治療を担当する)等によって構成されている。
カウンティスポーツパートナーシップは、スポーツイングランドやスポーツコーチUK などから助成金を得ながら、各地域におけるスポーツの普及や指導者育成に対して主導的な役割を果たしている。
さらに、各自治体レベルにおいて、地域のスポーツ政策関係団体の集まりであるコミュニティスポーツ・身体活動ネットワーク(Community Sports and Physical Activity Network:CSPAN)の育成を推進している。
(3)その他
1)スポーツ・レクリエーション同盟(Sport and Recreation Alliance)
イギリスにおける民間のスポーツ・レクリエーション組織を代表する組織であり、300 を超える国内のスポーツ・レクリエーション組織が加盟している。スポーツ・レクリエーション同盟の前身は、英国スポーツ・レクリエーション中央協議会(Central Council of Physical Recreation:CCPR)である。
現在、スポーツ・レクリエーション同盟は地域のスポーツクラブに対する支援やその現状に関する調査、2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックに関するキャンペーン、イギリスへのスポーツイベントの誘致活動などを行っている。
2)英国オリンピック協会(British Olympic Association: BOA)
イギリスにおける国内オリンピック委員会である。同協会は夏季26 種目、冬季7 種目、合計33 のオリンピック種目の国内統括団体を中心に構成されている。同協会の主要な役割としては、イギリスにおけるオリンピックムーブメントの普及と、オリンピックに派遣するイギリス代表チームの編成があげられる。
3)ユーススポーツトラスト(Youth Sport Trust)
1994 年に誕生した登録チャリティ団体(registered charity:チャリティ委員会に登録された団体。公的援助や免税などの優遇措置がある。)である。政府に対する政策提言を行うとともに、政策の実行を担うことで、「体育・学校スポーツを通じた若者のスポーツ参加促進」政策において中心的な役割を果たしている。(詳細は「V.1.(3)」参照)
4)スポーツコーチUK(Sport Coach UK)
リーズ市に本拠を置く登録チャリティ団体(registered charity)であり、イギリスにおける指導者育成システムの構築を主導している団体である。その前身は1983 年にスポーツカウンシルによって設立された英国コーチング財団(National Coaching Foundation)である。設立当初、同財団はスポーツカウンシルの一機関であったが、1987 年には登録チャリティとして独立した。(詳細は、V-1-(3)参照)
5)スポーツ・レジャー政策研究所(Institute of Sport and Leisure Policy)
ラフバラ大学(Loughborough University)にあるこの研究所は、スポーツカウンシル(当時)からの5 年間の資金をもとに1990 年に設立された研究所であり、1997 年に現在の名称となった。当研究所の現在の研究テーマは、スポーツ・レジャー政策の比較研究・超国家的研究(Comparative and Transnational Sport and Leisure Policy)、スポーツにおけるマネジメントと政策評価(Management and Policy Evaluation in Sport)、オリンピック研究(Olympic Studies and Research)の3つである。また、当研究所は、公共団体(欧州委員会、欧州会議、スポーツカウンシル、地方自治体)、ボランタリー組織(国際オリンピック委員会、国内統括団体)に対するコンサルタント業も行っている。
6)英国オリンピック研究調査センター(Centre for Olympic Studies and Research)
ラフバラ大学(Loughborough University)と英国オリンピック財団(British Olympic Foundation)の共同プロジェクトとして、2004 年7 月に設立された。その本拠地はラフバラ大学にあり、各国のオリンピック研究所と連携を取りながら、オリンピズム、オリンピック競技会、オリンピックムーブメントなどに関する研究を行っている。
7)スポーツ産業研究センター(Sport Industry Research Centre)
シェフィールド・ハラム大学(Sheffield Hallam University)にある研究センターであり、1996年に設立された。当研究センターはスポーツイングランドの「スポーツ経済学」に関する共同センターとなっている。当研究センターの中核的な研究テーマとしては、スポーツ経済学、スポーツ参加、大規模イベント、エリートスポーツ、ボランティア、パフォーマンスマネジメントなどがあげられている。

3._______スポーツ振興関連法令
スポーツに関する主な法律としては、以下のものがあげられる。なお、イギリスでは、多くの法令はイギリス全土で施行されているが、国(State)を構成する一部の地域のみで適用されている法令や、一部の地域のみ適用されていない法令などもある。
(1)1998 年人権法(Human Rights Act 1998)
イギリスは、わが国の日本国憲法のような文章の形式で存在する成文の憲法典をもたない国である。古くは13 世紀に作られたマグナ・カルタに始まり、「権利章典」「権利請願」などの封建的文書・制定法などがイギリス憲法の法源となっている。そして、イギリス憲法における人権保障は、1998 年人権法(Human Rights Act 1998)の制定によって、大きく変容することとなった。同法は、文章の形式で存在する人権章典をもたなかったイギリスにおいて、1953 年に発効したヨーロッパ人権条約の内容を、文章の形式として存在する成文法として取り入れた法律である。同法には次のようなスポーツに関する規定が定められている。
@6 条1 項:「公的機関」がヨーロッパ人権条約の権利に反して行動することは違法であるとする。
イギリスの裁判所はこれまでスポーツ団体を「純粋な(genuine)」公的機関であるとみなしてこなかったため、スポーツ団体にこの規定は適用されない。
A6 条3 項:本条でいう「公的機関」を(a)「裁判所および審判所」並びに(b)「その職務が公的性質の職務であるあらゆる人」であるとし、後者のいわゆる「準公的(quasi-public)機関」にも同法の要件を満たすよう要求している。国内統括団体が本項(b)の「準公的機関」に該当
する場合でも、人権法で適用されるのは公的行為に限られ、私的な行為には適用されない(6 条5 項)。
イギリスの国内統括団体は、団体ごとに「公的」「私的」の性質には違いがある。どのような機能を有する団体が6 条3 項(b)の規定によれば「準公的機関」として認定されるか、その団体によるどのような決定が、違法として司法審査(judicial review)の対象となりうるかが同法制定当初は解釈上の課題となっていたが、現在は、どの団体の決定も司法審査の対象とはならないとされている。
また、同項(a)により、制定法が規律しないコモン・ロー(慣習法・判例法)の領域において私人間で争われる純粋に私的な紛争についても裁判所が当該事件の判決に際して行う法解釈において、条約上の権利に適合するように解釈することが要請されることとなる。さらに、同法2 条1項(a)で、裁判所がヨーロッパ人権条約上の権利に関連して生じた問題に判決を下す場合にはヨーロッパ人権裁判所の判例を考慮するよう求めていることを併せて考えると、スポーツ分野における私人間の紛争についても、ヨーロッパ人権条約上の権利に適合するような解釈が求められることとなる。
その他、同法のスポーツに関する条文としては、第4 条(奴隷および強制労働の禁止)、第6 条(公平かつ公開の聴聞)、第8 条(プライバシーの尊重の権利)、第10 条(表現の自由)があげられる。
(2)スポーツ競技場の安全に関する法律(Safety of Sports Grounds Act 1975)
スポーツ施設の防火・安全に関する法律(The Fire Safety and Safety of Places of Sport Act 1987)これら2 つの法律は、スポーツ競技場・イベントについての建築基準など安全上の基準について定めた法律である。
(3)サッカー観戦者に関する法律(Football Spectators Act 1989)
同法は、「フーリガン」対策として、正式会員として認可を受けた者に対してフットボールの観戦を許可するメンバーシップ制度や、「フーリガン」の疑いのある者が特定の試合開催日に海外へ渡航することを禁止することなどを内容とする。
その他、サッカーの試合において、観衆が人種差別的なシュプレヒコールをすることなどを禁止することを定めた法律や、フーリガン対策のために罰則を強化した法律などがある。
・サッカー観戦犯罪規制に関する法律(Football(Offences)Act 1991)
・サッカー観戦犯罪・無秩序規制に関する法律(Football(Offences and Disorder)Act 1999)
・サッカーの騒動に関する法律(2002年改正)Football(Disorder)(Amendment)Act 2002
・スポーツイベントにおけるアルコール等の規制に関する法律(1992 年修正)
(Sporting Events(Control of Alcohol etc.)(Amendment)Act 1992)
(4)青少年活動センターに関する法律(Activity Centres(Young Persons' Safety)Act 1995)18 歳以下の子どもや青年が冒険的な活動に従事するためのセンターと運営者の規則を定めた法律。
(5)国営宝くじに関する法律(National Lottery Act 1998)
社会貢献費の16.67%がスポーツに配分されることが盛り込まれている法律。
(6)狩猟法(Hunting Act 2004)
キツネ狩りなどの狩猟を禁止する法律。
(7)競馬およびオリンピックくじ法(Horserace Betting and Olympic Lottery Act 2004)
競馬の運営体制の変更と、2012 年のロンドンオリンピック・パラリンピック開催のために、国営宝くじの一部として、オリンピックくじを発行できることを定めた法律。
(8)ロンドンオリンピックおよびパラリンピックに関する法律
(London Olympic and Paralympic Games Act 2006)
同法は、2012 年開催のロンドンオリンピック・パラリンピックが組織されることに関する法的な枠組みを定める法律。また、同法では、ロンドンオリンピック組織委員会(London Organising Committee of the Olympic Games:LOCOG)や英国オリンピック委員会(British Olympic Association:BOA)が所有する同オリンピックに関する商業権を保護する規定などが定められている。
(9)子ども法(Children Act 1989)
スポーツ指導者に関する法の中で近年重要な位置を占めるのが、チャイルド・プロテクション(Child Protection)に関する法である。チャイルド・プロテクションとは、1989 年子ども法(Children Act 1989)などの制定法によって親などによる虐待から子どもを保護する制度であり、この考え方は、スポーツ分野にも導入されてきた。
そして、イギリス政府から資金を提供されているすべてのスポーツ団体にチャイルド・プロテクションの制度を導入するため、子ども虐待防止の専門機関である全国子ども虐待防止協会(National Society for the Prevention of Cruelty to Children:NSPCC)とスポーツイングランドが共同で、スポーツにおける子ども保護局(Child Protection in Sport Unit:CPSU)を2001 年に設立した。
同局は、子どもや青年のための安全なスポーツ環境を創造し危害から守ることなどのために、スポーツにおけるチャイルド・プロテクションの基準として2002 年にスポーツにおける子どもを保護するための基準(第2 版)(Standards for Safeguarding and Protecting Children in Sport, 2nd version)を策定した。同ガイドラインは、スポーツ団体のガイドラインの基準となっており、次のような国内法規等に基づいている。
@ 1984・1998 年 データ保護法(The Data Protection Act 1984,1998 )
A 1989 年 子ども法(Children Act 1989 )
B 1998 年 人権法(Human Rights Act 1998 )
C 1999 年 子ども保護法(The Protection of Children Act 1999 )
D 2000 年 性犯罪(改正)法(Sexual Offences [Amendments]Act 2000)
E 2000 年 刑事裁判及び裁判所サービス法
(Criminal Justice and Court Services Act 2000 )
F 2003 年 性犯罪法(Sexual Offences Act 2003)
G 2004 年 子ども法(Children Act 2004)
H 2004 年 Every Child Matters: Change for Children(2004),Department for Education
and Skills.
(10)放送法(Broadcasting Act 1996)
オリンピックやサッカーワールドカップ決勝トーナメントなどのスポーツイベントを含めた特別指定行事について、独立テレビジョン委員会(Independent Television Committee:ITC)の同意なしに独占的なライブ放送をしてはならないことなどが定められた法律。
(11)放送通信法(Communications Act 2003)
同法に基づき独立テレビジョン委員会に代わる機関として放送通信庁(Office of Communications:OFCOM)が設立され、法律および同庁による規則(Television Broadcasting Regulations 2000/54)により、オリンピックやワールドカップなどのスポーツイベントを含めた「特別指定行事」の放送について、国民の誰もが無料で視聴できるようにするためのユニバーサル・アクセスの制度が定められている。なお、ユニバーサル・アクセスの仕組みについては、欧州連合(EU)「国境のないテレビ指令」(97/36/EC)において、欧州連合諸国共通に適用される基準が示されている。

4.スポーツ関連予算、財源、税制
(1)スポーツ関連予算
文化・メディア・スポーツ省(DCMS)全体の支出とスポーツに関する支出の予算推移については以下の図表E-4 のとおりである。2005 年のオリンピック招致決定以降、スポーツ関連予算が大きく伸びていることが伺える。2004 年度の1 億3,281 万5,000 ポンド(約172 億6,500 万円)から2008 年度には8 億1,093 万4,000 ポンド(約1,054 億2,100 万円)と6 倍化した。また全体予算に占める割合も3.45%から2007 年度以降は11%を超えている。
なお、直近の2010 年度の予算は国家予算が6,970 億ポンド(約90 兆6,100 億円)、文化・メディア・スポーツ省全体の予算が51 億5,921 万7,000 ポンド(約6,706 億9,800 万円)であり、そのうちスポーツに関する予算は5 億7,666 万1,000 ポンド(約749 億6,500 万円)で、全体予算の11.18%である(DCMS, 2010: HM Treasury, 2010)。 ※1 ポンド=130 円で換算

UK スポーツからの国内統括団体に対する補助額(夏季オリンピック種目)は28 競技全種目で2000年のシドニー期の5,890 万ポンドからアテネ期の7,000 万ポンド、そして北京期2 億3,510 万ポンド(約305 億円)へ急増した(図表E-5)。これは2005 年に2012 年のロンドン大会開催が決定したことから、イギリスの選手強化策が加速したからである。2012 年のロンドン期は、2 億6,404 万ポンド(約343億円)を計上する予定である。

次いで、2009 年度のスポーツイングランドの予算をみると、図表E-6 のとおりである。総収入は2億6,130 万ポンド(約339 億円)であり、一方、スポーツ組織などへの助成金の総額は3 億7,010 万ポンド(約481 億円。ただし、2009 年から2013 年までの4 年間にわたる各国内統括団体に対する助成などを含んでいる。

一方、図表E-7 のとおり、2009-2013 年度の各国内統括団体(46 団体)に対するスポーツイングランドからの助成金の総額は3 億8,621 万2,950 ポンド(約502 億円)である(先述の2009 年度の国庫と国営宝くじからの3 億7,010 万ポンドに加え、その他の年度からの追加が加算されている)。
これはスポーツ参加100 万人増計画の推進へ向けた補助を含んだものである。最高額はクリケットの3,800 万ポンド(約49 億円)、次いでラグビーユニオンの3,122 万ポンド(約40 億円)、ラグビーリーグの2,940 万ポンド(約38 億円)である。競技人口の少ないレスリングでは33 万ポンド(約4,290万円)である。
2009 年度のスコットランド政府の予算は347 億ポンド(約4 兆5,100 億円)であり、そのうちスポーツに関する予算は5,390 万ポンド(約70 億700 万円)である(The Scottish Government, 2008)。
一方、2008 年度のスポーツスコットランドの支出は総額5,436 万8,321 ポンド(約70 億円)であり、そのうち、スコットランドのスポーツ統括団体に対する助成額は1,458 万4,922 ポンド(約18億円)である。収入に関して、スポーツスコットランドはスコットランド政府から4,147 万7,000 ポンド(約53 億円)、国営宝くじから1,759 万9,000 ポンド(約22 億円)の助成を受けている。
Welsh Assembly Government(2008)によれば、2009 年度のウェールズ行政府の予算は152 億2,527万6,000 ポンド(約1 兆9,700 億円)であるが、そのうち、遺産省の予算は1 億6,146 万3,000 ポンド(約209 億円)、スポーツ関連予算は2,829 万7,000 ポンド(約36 億円)である。
Sport Wales(2010)によれば、スポーツウェールズの年間支出(2009 年度)は3,080 万1,000 ポンド(約40 億円)であり、そのうちスポーツ統括団体や地方自治体への助成金の総額は1,981 万4,000ポンド(約25 億円)である。また、当該年度、スポーツウェールズは国営宝くじから1,113 万3,000ポンド(約14 億円)の助成を得ているが、そのうち516 万1,000 ポンド(約6 億7,000 万円)が各スポーツ関連団体への助成に使われている。
北アイルランド行政府の年間予算(2009 年度)は99 億9,000 万ポンド(約1 兆2,900 億円)であり、そのうち文化・芸術・レジャー省の予算は1 億8,780 万ポンド(約244 億円)、スポーツ関連予算は4,670 万ポンド(約60 億円)である。

スポーツ北アイルランドの財政規模に関しては、2007 年度の支出は1,705 万4,739 ポンド(約22億円)であり、その主な用途はスポーツ組織への助成金1,201 万8,170 ポンド(約15 億円)である(Sport Northern Ireland, 2008a)。一方、当該年度のスポーツ北アイルランドに対する文化・芸術・レジャー省からの助成金の総額は1,095 万420 ポンド(約14 億円)である。
該年度のスポーツ北アイルランドに対する国営宝くじからの助成金は564 万2,987 ポンド(約7億円)であり、そのうち447 万6,022 ポンド(約5 億円)が各スポーツ関連組織への助成金として使われている。
また、UK アンチドーピング(2010)によれば、2009 年度の支出は309 万9,000 ポンド(約4 億円)であり、一方、主な収入は文化・メディア・スポーツ省からの助成金336 万6,000 ポンド(約4 億3,700万円)となっている。

(2)財源
1)スポーツくじ等による財源
文化・メディア・スポーツ省はスポーツへの補助金を2 つの財源で賄っている。1 つは国庫金であり、2 つめは国営宝くじ(National Lottery)からの分配金である。後者は1994 年11 月から実施されており、その目的は、あくまでも社会貢献(Good Causes)のための財源の発掘にある。国営宝くじの監督官庁である同省は、年間売上総額から払戻金(50%)、税金(12%)と運営費などを引いた残りの28%を「社会貢献」のための財源に割り当てており、その6 分の1(16.67%)がスポーツカウンシルに配分されている。各スポーツカウンシルへの配分は人口規模に応じており、スポーツイングランドが総額の8 割を受けている。くじの財源は、スポーツカウンシルを通じて、各地域で以下の事業に使われる。
・国民のスポーツ施設の整備
・才能のあるアスリートの養成の援助
・国際スポーツイベントの計画
・すべての青少年がスポーツに参加し、向上し、学ぶために質のよい指導を受けられることを保障するための費用
2004 年度の配分が17 億683 万5,000 ポンドから2008 年度は15 億4,829 万7,000 ポンドへと多少の上下動を繰り返しながら推移している。2010 年度の国営宝くじからの分配金予定額は17 億9,954万3,000 ポンド(約2,300 億円)である。この国営宝くじからの分配金を文化・メディア・スポーツ省からの国庫配分と比較すると2004 年度は約13 倍だが、2008 年度は約2 倍と縮小している。これはオリンピックを控えて、国庫からの配分が大幅に増加したものである。


2)フットボール財団(Football Foundation)
フットボール財団は、イングランドサッカー協会(The Football Association:The FA)、プレミアリーグ、政府(文化・メディア・スポーツ省およびスポーツイングランド)から、1,500万ポンドずつの資金提供を受けて、それを地域のグラウンドやクラブハウス等の施設整備・改修、地域のサッカーやその他スポーツ参加者と運営ボランティアを増やすプログラム等を援助するために2000年7月に設立されたイギリスで最大のスポーツチャリティ団体である。毎年、草の根のスポーツ推進に必要な施設建設・改善費に3,000万ポンド、姉妹団体であるフットボールスタジアム改善基金(FSIF)をとおしてより安全なスタジアム建設へ600万ポンド、合計3,600万ポンド(約46億8,000万円)が補助されている。2000年の設立以来、施設プロジェクトに1,500件以上、地域計画に2,400件以上、更衣室に690件以上、人工芝ピッチに350件以上、30万人以上の子どもたちにサッカーのユニフォームの提供を、それぞれ行ってきた。これらによって、この間、スポーツへの参加率は上昇している。たとえば、サッカーは20.8%増、成人は23.9%増、女性は21.3%増、ボランティアでは18.3%増であった。
フットボール財団は、社会参加計画、健康、教育、平等政策のような社会的なチャレンジ政策にも援助しており、財団の目的として、スポーツ施設の改善、スポーツ機会の創造そしてスポーツを通じた地域形成を掲げている。

3)民間資金
民間企業のスポーツ・スポンサーに関しては、イギリスでは現在2,000 社以上の企業が年間2 億ポンドを超えるスポンサー料を使っているといわれている。企業の寄付金による競技スポーツ充実のための「スポーツ助成基金(Sports Aid)」は1976 年の設立以来、イギリスを代表するトップアスリートに対して、総額2,000 万ポンド(約26 億円)を支給してきた。2003 年度は25 万6,000 ポンド(約3,300 万円)の寄付を集めている。
政府が民間企業をスポンサーにする「呼び水」として1992 年11 月から実施しているスポーツ・マッチ計画(Sportsmatch Scheme)は、地域レベルでのスポーツ振興運動の促進プログラムとして注目されている。このプログラムは、地域レベルでのスポーツ振興プログラムに対して、文化・メディア・スポーツ省からの補助金と同額を民間企業に出資してもらうもので、出資しやすいように、500 ポンド(約6 万円)から5 万ポンド(約650 万円)の範囲のプログラムに限定している。いわば官民一体となって、草の根レベルでのスポーツ振興を図ろうとするものである。現在までに、地域レベルでのスポーツ振興プログラムのため、総額で4,800 万ポンド(約62 億4,000 万円)以上が6,000 のプログラムに使われている。
(3)税制
政府の進める「地域アマチュアスポーツクラブ計画(Community Amateur Sports Club scheme: CASC)」に基づき登録したクラブはその資産と運用資金の両者に対する減税を受けることが出来る。

U スポーツ政策の施策事業
1.スポーツ基本計画
(1)勝利を楽しむ:スポーツの新時代( Playing to win: A New Era for Sport)
文化・メディア・スポーツ省は2000 年に「すべての人のスポーツの未来(Sporting Future for All)」を提起した。これは2008 年に「勝利を楽しむ:スポーツの新時代( Playing to win: A New Era for Sport)」に継承された。当該計画は「子どもの体育・スポーツ」「地域スポーツ」「エリートスポーツ」の3 つの領域からなり、それらを推進する組織として対応するのがユーススポーツトラスト、スポーツイングランドそしてUK スポーツである。主な目標としては、@定期的なスポーツ活動の参加者を4年で100 万人増加させる、A学校から世界トップレベルへの育成を滞りなく行えるような制度を設立する、Bスポーツ活動を行うすべての機関がそれぞれの役目を果たすようにする、等があげられる。
また、それぞれのカテゴリーについては、以下のような目標を掲げている。
学校体育:5 歳〜16 歳の子どもが、少なくとも週2 時間は学校で質の高い体育やスポーツ活動が受けられ、さらに週3 時間のスポーツ活動を学校か地域でできるような制度を策定する。

地域スポーツ:16 歳の義務教育卒業時にスポーツをやめてしまう人口を減少させる。才能ある選手を育てられるよう、地域スポーツクラブの質を高める。
エリート:2012 年オリンピックでメダル獲得数4 位。パラリンピックで2 位。2016 年もこれを維持する。2012 年オリンピックのために、4 億ポンド(520 億万円)を超える資金を準備する。
さらに、スポーツ機会を提供するために、16 歳以下と60 歳以上の者に、公共プールの利用を無料にしており、今後財政が許せば全年齢の無料化を実施する。
それらを受けて学校スポーツと子どもスポーツに関しては2002 年、首相が率先し、文化・メディア・スポーツ省と子ども・学校・家庭省(DCSF:現、教育省(DfE))が共同で「体育・学校スポーツ・クラブリンク(National Physical Education, School Sport and Club Links Strategy:PESSCL)」を提起し、2007 年にはその成果を踏まえて新たに「子どものための新体育・スポーツ戦略(The New Physical Education and Sport Strategy for Young People:PESSYP)」を提起した。
2000 年代に入って、政府は地域融合、国民の健康問題、子どもの非行、さらに雇用促進等の対策として地域振興政策を大きく位置付け、その一環としてスポーツが採用された。これは「世界一のスポーツ立国」を目指して「子どもスポーツ」「地域スポーツ」「エリートスポーツ」の3 領域での全面的な基本政策となった。
しかし2010 年6 月の総選挙で、かねてから大幅な予算の削減を標榜していた保守党が勝利したことで、2012 年のロンドンオリンピック・パラリンピックの推進事業は継続されるものの、現時点でUK スポーツとスポーツイングランドの再度の統合やスポーツ普及事業の予算削減、事業縮小が推進されようとしており、スポーツ界に大きな影響を及ぼしている。

2.スポーツ振興施策
(1)生涯スポーツ振興施策
1)スポーツ参加促進施策
イギリスでは、2008 年から2011 年までの4 年間で、新たに恒常的なスポーツ参加者を100 万人増やす計画である「勝利を楽しむ:スポーツの新時代( Playing to win: A New Era for Sport)」を打ち出している。その具体的な推進をするのが地域の各スポーツ種目連盟のクラブである。そこでは施設の整備と指導者の養成を行いながら、現会員の維持を重点にしつつ、新規会員の獲得のために、これまであまり手の届かなかった女性や障害者をも対象にしている。
@子どもの体育・スポーツ
週5 時間の運動時間を確保するために体育の授業を2 時間、その他の3 時間は部活動か地域スポーツで保証する。そのために6〜7 校の中等学校を中心に40 校近くの小学校を包み込んだ全体で50 校程度のファミリーである「学校スポーツパートナーシップ」を形成する。ここにはスポーツ活動推進の専任職員を配置し、授業や部活動そして地域スポーツ活動への子どもたちの参加を容易にするための援助活動を行う。体育・スポーツ専科担当のいない小学校には中等学校の体育教員が学校スポーツコーディネーターとなって、週2 日、自分の授業から離れてそうした小学校の指導や自校の授業、部活動の促進の活動や地域スポーツクラブと連携などに従事する。専門職員や授業を離れた教員の補充教員の給与も学校スポーツパートナーシップの財政から保証する。
A地域スポーツ
2008 年から2011 年までの4 年間で、新たに恒常的なスポーツ参加者を100 万人増やす計画である「勝利を楽しむ:スポーツの新時代(Playing to win: A New Era for Sport)」の達成のために国内統括団体から具体的な計画を出させ、それを予算配分の指標として審査したうえで、補助金を交付した。この具体的な計画は「新規加入」「現状維持」「エリート」の政策内容で進める。予算の配分はそれぞれ15%、60%、25%の割合である。「現状維持」に最大の重点が置かれているが、それだけ現状維持が困難であることを現している。現在、参加者の満足度をいかに高め、活動を持続させるか、それに直接に関わる各スポーツ団体やクラブはこれらの課題遂行に邁進している。地域スポーツの推進に参加する各競技種目の46 団体は、そのための補助金として4 年間で4 億8,000 万ポンド(約624 億
円)を交付されている。たとえば、クリケット連盟の現状競技人口は20 万4,900 人であるが「新規加入」に7 万2,549 人を計画している。「現状維持」では現状への満足率の78.7%を5 ポイントアップさせ、約20 万5,000 人の定着をはかる。そして「エリート」では女性、少女、障害者の公認基準の指導者数を現状の2,112 人から3,168 人へ拡大する。これまで参加の弱かった分野を積極的に開拓しようというものである。ちなみにこのクリケット連盟には最も多い3,777 万5,000 ポンド(約49 億1,000万円)が補助された。それらの施策を遂行するための施設整備、指導者の養成も計画に含まれている。
B地域クラブ開発プログラム(Community Club Development Programme:CCDP)
文化・メディア・スポーツ省は、スポーツイングランドをとおして草の根のスポーツ施設の改善のために、このプログラム資金を設けた。19 の国内統括団体が参画し、2003 年に始まった。地域コミュニティにおけるスポーツの機会創出やインフラ構築のため、スポーツクラブの施設整備等に助成金を交付しており、2007 年度、スポーツイングランドから1,850 万ポンド(約24 億500 万円)が拠出された。
イギリスカヌー連盟は、その恩恵にあずかる典型例とされる。これまで第1、2計画のもとで、36の施設プロジェクトが地域クラブ開発プログラムによる直接的な資金援助を得ている。たとえば、リーズ・白バラカヌークラブでは、以前はプールで活動していたのでクラブの発展は困難であった。しかし資金援助によるクラブハウスの建設によって会員は増加し、現在は市の最大の湖(Roundhay Park)を本拠に活動している。
第1計画では3年間で166万ポンド(2億1,500万円)が、第2計画では2年間で130万ポンド(1億6,900万円)が支給された。

2)子どものスポーツ振興に関する施策
@子どものための体育・スポーツ戦略
(The New Physical Education and Sport Strategy for Young People:PESSYP)
子どもスポーツの振興は文化・メディア・スポーツ省(DCMS)と子ども・学校・家庭省(DCSF:現、教育省(DfE))が共同で推進する「体育・学校スポーツ・クラブリンク(National Physical Education, School Sport and Club Links Strategy:PESSCL)」(2002)とその改訂版である「子どもたちのための体育・スポーツの新戦略(The New Physical Education and Sport Strategy for Young People:PESSYP)」(2007)に基づき、首相が率先して取り組んでいる。ここでは学校体育の週2 時間の保証を100%達成し、さらに週3 時間の運動を部活動や地域スポーツクラブで保証する「週5 時間提供」政策をとっている。そのため学校では「学校スポーツパートナーシップ」を設け、スポーツ推進の専任を配置している。彼らは体育の授業や部活動の促進ばかりでなく、学校外での地域スポーツクラブとの連携を取りながら、地域での子どもスポーツを振興している。「学校スポーツパートナーシップ」は4〜5 校の小学校の中心に中等学校を置く。中等学校の体育教師がそれらの小学校の学校スポーツを指導する。そして7〜8 校の中等学校の1 つをスポーツカレッジ校として、そこにはパートナーシップ・ディベロップメント・マネジャー(PDM)とコンペティッション・マネジャー(CM)を置き、その7〜8校のセンターになる。こうして小、中等学校合わせて約50 校が1 つのファミリーとなって、スポーツの推進に邁進する(図表E-9)。
2010 年10 月の総選挙で政権を奪取した保守党は、従来の労働党のそうした政策を大幅に変更する旨が伝えられていたが、2010 年12 月20 日のBBC 放送のデータによれば、教育省政務次官のマイケル・ゴーヴ氏は、学校での競争スポーツの振興を継続する必要性に鑑み、「学校スポーツパートナーシップ」について当初の削減案よりも、幾分緩和したものにすると表明した。具体的には、PDM やCM は廃止し、週1 回の巡回指導をするスクール・スポーツ・コーディネーター制度は残すとしている。一方で、この制度の存続を巡る現場や教育界、スポーツ界からの抗議や要望が続いており、2011 年4 月段階では流動的である。


3)学校体育施策
@学校スポーツパートナーシップ
前述の「学校スポーツパートナーシップ」は学校体育施策が具体化されたものであり、部活動などで、子どもたちの要求に出来るだけ応えることにより、地域の指導者や親たちの積極的な参加を促進している。部活動で提供している種目はイングランド全体で約50 種目に及ぶ(たとえば伝統的なスポーツ種目に加えて、トランポリン、スケートボード、チアリーディング、ノンコンタクトボクシング、フリスビー等)。なお、各学校での平均種目数は18.6 であり、学校に関わる地域スポーツクラブ数は8.2 である。
4)スポーツ団体・クラブの振興施策
イギリスのスポーツ団体やクラブのスポーツ振興施策については、勝利を楽しむ:スポーツの新時代(Playing to win: A New Era for Sport)(前述)の計画にすべてが集約されている。政府から補助金を得ている46 の国内統括団体では会員の「新規加入」「現状維持」と「エリート」養成を目標としており、施設の整備、指導者養成をはじめとする組織の確立、組織のガバナンス全般にわたる確立が不可避となっている。2011 年段階での行政評価ではこうした計画に対する補助金の成果も評価される。
5)女性のスポーツ振興に関する施策
地域スポーツ推進の中では、女性のスポーツ参加の条件整備も進められている。特に家庭婦人のために午前中のスポーツ教室の開催や、小さな子どものいる母親にはクラブ内に保育所を設置するなどの工夫が凝らされている。そしてそうした女性たちのクラブ参加費の特別待遇も措置されている。
6)マイノリティ(障害者、民族など)のスポーツ振興に関する施策
多民族国家であるイギリスにおいても民族的少数者(racial minorities)問題は深刻である。特に2005 年7 月のロンドンでの自爆テロの実行犯がイギリス生まれのマイノリティであったことが、その心配を増幅した。事件以降は特に、民族的少数者の社会参加機会の創造と保証が大きな政治的課題となった。地域スポーツはその対策の中心的役割を果たしており、各自治体ではスポーツ連盟と協力しながら、積極的な参加策を推進している。
(2)国際競技力向上施策
1)競技力向上施策
勝利を楽しむ:スポーツの新時代( Playing to win: A New Era for Sport)(2008)の計画の中の3 本柱の1 つとして「エリートスポーツ」があげられており、2012 年のロンドンオリンピックの開催国として、従来にない強化策を採用している。
@エリートスポーツ
従来、オリンピックでのメダルの獲得数では10 位水準であったイギリスが、1996 年のアトランタオリンピックでは一気に36 位に転落したことにより、イギリスのプライドの減退につながっている。
これを克服し、近代スポーツ発祥国としてのプライドを保持するために、2012 年のロンドンオリンピックではメダル獲得数を世界第4 位、パラリンピック同2 位、そして2016 年リオデジャネイロ大会もその水準を維持することを課題とした。そして、そのための世界的なコーチ制度を確立する。
Aワールドクラス・パフォーマンス・プログラム(World Class Performance Program:WCPP)
ワールドクラス・パフォーマンス・プログラム(WCPP)は、UKスポーツによるトップアスリートの支援・育成プログラムであり、1997年から実施されている。対象はオリンピックの夏季・冬季の種目だけでなくパラリンピック選手も含む。援助の内容は、3段階のレベルで異なる。
まず、「表彰台」レベルは、次のオリンピック・パラリンピックで表彰台が確実に狙える選手であり、「発展」レベルは、同様に表彰台が期待される選手である。そして「有能」レベルが国際的水準に到達しそうな選手である。「表彰台」と「発展」レベルだけで年間1,200人、そして約1億ポンド(約130億円)が各スポーツ種目連盟をとおして支援されている。
「表彰台」と「発展」レベルでは、コーチング、トレーニングと競技会サポート、医療的・科学的援助、優良な施設使用権などの競技対策プログラムを得ることができる。
選手はアスリート報奨金の資産調査(means-test)を受けて、場合によってはスポーツ関係費用ばかりでなく、生活費の支給も得られる。
Bアスリート報奨金(Athlete Personal Award:ATP)
UKスポーツ主体のエリートアスリート支援プログラム。前述のワールドクラス・パフォーマンス・プログラム(WCPP)の一部である。最長1年ごとに各競技団体から推薦されたアスリートが、UKスポーツの審査を受けた後、指導やトレーニングキャンプ等のプログラムが受けられる他、支援レベルに応じて、スポーツと生活に必要なコストを合わせて、年間最大26,142ポンド(約339万円)の支給が受けられる。特定の競技会後にレベルの変更がある。このAPTだけの支援を受けているアスリートは所得税がかからないが、別の所得を得ているアスリートはプロ選手とみなされて、このAPTにも課税されることがある。
Cエリートアスリート奨学金制度(Talented Athlete Scholarship Scheme)
政府が実施主体となって、高等教育機関の学生の学業とエリートスポーツの両立を支援するプログラムである。ここには50以上のスポーツ種目連盟との連携の元に、次の資格を有する学生を支援する。
資格と賞の種類は次の2種類である。
奨学金は、年間3,000ポンド(約39万円)を支給する。「TASS 2012」は、既に国際的レベルに到達しているアスリートへの奨学金であり、年間1万ポンド(約130万円)が支給される。この支援の中にはコーチング、コンディショニング、生理学、栄養学、心理学他の専門指導も含まれている。
これらの奨学金は直接本人に渡されるのではなく、各大学、学校そしてスポーツ種目連盟をとおして支給される。支給は10月1日から9月30日であり、次年度への継続申請は可能である。
2)スポーツ指導者関連施策
@英国スポーツ指導者資格(UK Coaching Certificate:UKCC)
スポーツの指導者資格制度として、スポーツコーチUK の英国スポーツ指導者資格(UK Coaching Certificate:UKCC)がある。UKCC では、ワークショップを開催して、スポーツ指導者に必要な知識やスキルを教えている。ワークショップの1 カテゴリーでは、指導力の向上(Develop Your Coaching)コース」では、「子どもや若者の指導」「モチベーションとメンタルタフネス」「パワーとスピードの改善」など、バラエティに富んだ講習が用意されている。2007 年度は2,800 以上のワークショップが開催され、その参加者はのべ40,021 人であった。
現在イギリスでは、UK コーチング・フレームワーク(The UK Coaching Framework)という呼称で指導者養成・認定の体制作りを進めている。UKCC の発展などを通じ、スポーツを行うすべての人々のために優れた指導者を育成し、2016 年までに世界をリードする指導者システムを構築することを目指している。
この他には、英国スポーツ基金(British Sports Trust)の青少年のボランティア指導者のための資格制度であるスポーツ・リーダー・アワード(Sports Leader Awards)などがある。
2003〜2004 年にかけて実施された調査によると、イギリスでは、120 万人が625 万人にスポーツを指導し、その約4 割の47 万人が何らかの資格をもった指導者である。そのうちの23 万人は有給で指導をし、6 万人が指導者としてフルタイムで働いている。
Aチャイルド・プロテクション(Child Protection)
チャイルド・プロテクションとは、1989 年子ども法(Children Act 1989)などの制定法によって親などによる虐待から子どもを保護する制度であり、この考え方は、スポーツ分野にも導入されてきた。スポーツ分野のチャイルド・プロテクションを推進する機関として、子ども虐待の専門機関であるNSPCC(National Society for the Prevention of Cruelty to Children)とスポーツイングランドが共同でCPSU(Child Protection in Sport Unit)を2001 年に設立した。CPSU は、イギリス政府から資金を提供されているすべてのスポーツ団体にチャイルド・プロテクションの制度を導入するために設立された。
同制度の中核となる制度として、刑事記録局(Criminal Record Bureau:CRB)によるチェック制度があり、これにより、あらゆるスポーツの全国的な統制団体において子ども達と関わる資格のある指導者は、過去に子どもに対する性的な犯罪歴がないかどうかについてチェックを受けなければならない。
また、同制度の重要な特徴は、この制度がスポーツ指導者の公的な資格制度と結びついていることにある。すなわち、イギリスではスポーツだけでなく、他の職業でも認証制度が存在する。これは全国職業資格(National Validation Qualification:NVQ)と称される制度である。指導者の質は、段階的に専門的な指導者の資格を定める同制度によって保証される。スポーツ分野での公的な資格制度として「英国コーチ資格(United Kingdom Coaching Certificate:UKCC)」が創設され、スポーツ指導者の技能レベルに応じてレベル1 からレベル4 までの4 段階の認証制度となっている。そして、UKCCの資格を取得するコースの中に、チャイルド・プロテクションの知識の修得が含まれている。
(3)スポーツの保護関連施策
1)ドーピングに関する施策
UK スポーツにあったアンチドーピング部(Drug-Free Sport Directorate)が前身であるが、2009年に「UK アンチドーピング」が引き継ぎ、イギリス国内のドーピング問題の対策を一元的に引き受けるようになった。役員会は6 人で、文化・メディア・スポーツ大臣の任命を受ける。執行委員は5 人。
アンチドーピング政策(National Anti-Doping Policy)にもとづき他の国家機関と情報交換を行いながら、ドーピング検査、アンチドーピング教育などを行う。これは世界ドーピング防止機構(WADA)と連携している。またドーピング違反に関する国内での係争は国立アンチドーピングパネル(National Anti-Doping Panel:NADP)が引き受ける。国際大会などでの係争ではスポーツ仲裁裁判所(CAS)に上訴できる。
選手は国内スポーツ団体の競技大会に出場した場合あるいは国内スポーツ団体の会員となることによってNADP やCAS の管轄に服することを同意したものとみなされる。
薬品の販売、流通を規制し免許制とした薬事法(Medicines Act 1968)や、指定薬物の所持、販売、輸出入を禁じた薬物不正使用禁止(Misuse of Drugs Act 1971)等の薬事規制もアンチドーピング活動と併行している。
2)スポーツ紛争解決制度
日本のようなスポーツに関する仲裁機関は存在しない。ドーピングを理由とする出場停止などの争いについては、国際仲裁裁判所(Court of Arbitration for Sport:CAS)に訴えることができるが、
一般的にイギリスでは、スポーツの分野は、国(State)が法によって介入するのではなく、民間の自主的な活動に主に委ねられる分野であると考えられている。このため、スポーツ団体相互の関係やスポーツ団体と団体に所属する競技者との間の関係も国が規制する法ではなく、当事者間の契約に委ねられている。
イギリス法においては、法的な紛争を解決するための裁判規範として、慣習法や判例法などの不文法源が重要な位置を占めており、スポーツ団体相互の関係やスポーツ団体と競技者との関係において法的な紛争が発生した場合、不文法源の中でも、裁判所が解決のための拠り所とするのが、過去の裁判所が下した判例である。そして、国内裁判所だけでなく、ボスマン判決など、ヨーロッパ人権裁判所の判例もスポーツに関する紛争解決についての重要な先例となっている。
民事手続き規則(Civil Procedures Rules)54 章によれば、地方当局のような公的団体(public body)の立法や決定によって意に沿わない影響を受けた者は高等法院(High Court)に訴えを提起する(司法審査を求める)ことができる。これに対して、国内統括団体については、現在は、その決定が公法上の司法審査には服さないとされている。このため、団体と競技者との間で法的な紛争が起こった場合、競技者は、私法上の契約違反(breach of contract)や取引の抑制(restraint of trade)を理由として裁判所に訴えを提起することができる。
(4)スポーツ産業関連施策
1)スポーツ雇用関連施策
UK スポーツのウェブサイトには、「スポーツにおける仕事(Jobs in sport)」というセクションがあり、各種研究機関、地域のクラブ、各スポーツ種目連盟での求職情報を常時掲示している。
3.スポーツ政策の構造および体系
図表E-10 は、2000 年代に入ってからのイングランドにおけるスポーツ政策の大きな動向である。
まず政府レベルでは、文化・メディア・スポーツ省(DCMS)が2000、2002、2006、2008 年と立て続けに長期的な政策を提起した。一方、子ども・学校・家庭省(DCSF:現、教育省(DfE))も、学校体育と子どものスポーツ対策で決定的な政策を提起した。
こうした政府の主導性と連携して、非省庁公的機関のスポーツイングランドは2004、2005、2008年の政策でそれらの提案を積極的に受け止めた。そしてこれらの政策の遂行にユーススポーツトラストがスポーツイングランドからの補助金を得ながら大きな役割を果たしている。また、地域でのスポーツの推進は各スポーツ種目連盟の地域スポーツクラブが主体となっている。
より具体的な振興施策は以下のとおりである。スポーツイングランドでは2000 年代に入って文化・メディア・スポーツ省から提起された、「みんなのスポーツの未来(Sporting Future for All, 2000)」、「ゲームプラン:スポーツ・身体活動目標達成の政府戦略(Game Plan: a Strategy for delivering Government’s sport and physical activity objects, 2002)」を受けて、2004 年には2020 年までの長期計画「イングランドのスポーツの枠組み−イングランドを活発で成功したスポーツ国に:2020年までの基本計画(Framework for Sport in England- Making England an Active and Successful Sporting Nation: a Vision for 2020)」が出され、2008 年には上記の基本計画を受けて、「スポーツイングランドの戦略2008-2011(Sport England Strategy 2008-2011)」を設けて、いっそう具体的な戦略目標を立てた。この背景には、2005 年に2012 年ロンドンオリンピックの開催がロンドンに決定したことを受けての、国民のスポーツへの関心の高まりに沿って、目標の具体化を迫っている。

イギリスにおけるスポーツの概念
スポーツの概念:「勝利を楽しむ」の表現からみれば、もっぱら競技スポーツをイメージするが、実際はそうではなく、たとえば子どもたちのスポーツ参加を促進させるために、競争性の緩いゲーム的なものも視野に入れ「学校スポーツパートナーシップ」などによって指導されている。この点からみれば、身体運動を伴うもの全般を「広義のスポーツ」に含めているように思われる。


V スポーツ関連団体組織とスポーツ政策の関係
1.国内のスポーツ統括団体
(1)スポーツ・レクリエーション同盟(Sport and Recreation Alliance)
@設立背景・特徴
スポーツ・レクリエーション同盟は、イギリスにおける民間のスポーツ・レクリエーション組織を代表する組織である。
スポーツ・レクリエーション同盟の前身は、英国スポーツ・レクリエーション中央協議会(Central Council of Physical Recreation:CCPR)である。CCPR は1935 年に設立されたレクリエーション的身体訓練中央協議会(Central Council for Recreative Physical Training:CCRPT)を前身とし、1972年にスポーツカウンシルがロイヤルチャーター(国王から承諾された特許状)を得て非省庁公的機関となるまでは、中央政府に対する政策の提言・諮問を行い、また、予算の執行権を保有するなど、イギリスのスポーツ政策において極めて重要な役割を果たしていた。1972 年のスポーツカウンシル誕生以降は、スポーツカウンシルへの人材の移行などを受け、その影響力は低下した(内海, 2003)。
現在、スポーツ・レクリエーション同盟は地域のスポーツクラブに対する支援やその現状に関する調査、2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックに関するキャンペーン、イギリスへのスポーツイベントの誘致活動などを行っている。
A組織構成
スポーツ・レクリエーション同盟には300 を超える国内のスポーツ・レクリエーション組織が加盟している。
(2)英国オリンピック協会(British Olympic Association:BOA)
@設立背景・特徴
イギリスにおける国内オリンピック委員会(NOC)は、英国オリンピック協会(British Olympic Association:BOA)である。同協会は政府から自立した組織であり、政府による助成・コントロールは受けていない。主要な役割は、イギリスにおけるオリンピックムーブメントの普及と、オリンピックに派遣するイギリス代表チームの編成があげられる。
A組織構成
イギリスのスポーツ界における位置付けは図表E-11 のようになっており夏季26 種目、冬季7 種目、合計33 のオリンピック種目の国内統括団体を中心に構成されている。
B予算
英国オリンピック協会の、2008 年の歳入は1,588 万ポンド(約20 億円)であり、歳出は1,619 万4,000 ポンド(約21 億円)であった。


2.その他のスポーツ組織
(1)国内統括団体(National Governing Bodies:NGB)
オリンピック種目を始め、国内統括団体(NGB)が存在し、それぞれのスポーツ種目の普及と選手の強化・育成を担っている。各団体には、地方(region)、県(county)、基礎自治体(local)、各レベルの地域支部が存在するのが一般的である。
イギリスにおけるスポーツは民間の基盤に基づいて組織されており、国がスポーツ活動の運営に直接介入することはほとんどない。イギリスの国内統括団体は、「『私的』と『公的』の間のスペクトラムに基づくさまざまな形式をとっている」(Adam Lewis etc.)と表現されるように、団体ごとにその法的な性質には違いがある。そして、各団体は、イギリス法において特別な地位をもっているわけではなく、その権限は、各団体の規範に従うという各構成員の合意に由来する。その結果、各団体やその構成員であるクラブや競技者などとの関係は、明示または暗黙の契約に基づいている。
各国内統括団体はUK スポーツのワールドクラス・パフォーマンス・プログラム(World Performance Programme)やスポーツイングランドからの助成を受けて活動している。イギリスの財政年度の2009-13 年(ロンドンオリンピック期)におけるUK スポーツの「ワールドクラス・パフォーマンス・プログラム」の助成金は、28 競技に対して総額2 億6,403 万6,503 ポンド(約343 億円)である。
(2)ユーススポーツトラスト(Youth Sport Trust)
ユーススポーツトラストとは、1994 年に誕生した登録チャリティ団体(registered charity)であり、「体育・学校スポーツを通じた若者のスポーツ参加促進政策」において中心的な役割を担っている。
本部はラフバラ大学(Loughborough University)のキャンパス内にあり、職員数は150 人を超える(日本体育協会, 2010)。
イギリスの登録チャリティ団体の管理を行うチャリティ委員会(Charity Commission)によれば、2010 年度のユーススポーツトラストの収入は3,340 万4,246 ポンド(約43 億円)、支出は3,264 万6,321ポンド(約42 億円)である。主な収入源は、子ども・学校・家庭省(DCSF:現、教育省(DfE))からの助成金(1,777 万2,541 ポンド:約23 億円)、スポーツイングランドからの助成金(700 万668 ポンド:約9 億円)などである(Youth Sport Trust, 2011)。当該年度の主な事業としては、体育と学校スポーツの質の改善(1,591 万6,000 ポンド:約20 億円)」、「スポーツタレントの育成(713 万ポンド:約9 億円)、学習と達成に向けた体育と学校スポーツの活用(474 万2,000 ポンド:約6 億円)あるい
はブリティッシュ・カウンシルをとおして諸外国から要請されるそれぞれの国の子どもスポーツ振興策への助言などがあげられる。
(3)スポーツコーチUK(Sports Coach UK)
スポーツコーチUK(Sports Coach UK)はリーズ市に本拠を置く登録チャリティ団体(registered charity)であり、イギリスにおける指導者育成システムの構築を主導している団体である。その前身は1983 年にスポーツカウンシルによって設立された英国コーチング財団(National Coaching Foundation)である。設立当初、この財団はスポーツカウンシルの一機関であったが、1987 年には登録チャリティ団体として独立し、現在は70 人のスタッフがいる。
2010 年度のスポーツコーチUK の収入は1,367 万8,421 ポンド(約17 億円)であり、主な収入源はスポーツイングランドからの助成金436 万8,081 ポンド(約5 億円)と、UK スポーツからの助成金214万5,995 ポンド(約2 億7,800 万円)である。一方、同年度の支出は1,267 万7,947 ポンド(約16億円)であり、その主な事業は「コーチングの発展」(200 万6,000 ポンド:約2 億6,000 万円)、「コーチング支援ネットワーク」(223 万3,000 ポンド:約2 億9,000 万円)、「コーチの教育」(157 万2,000ポンド:約2 億400 万円)となっている。
(4)女性のスポーツ・フィットネス基金(Women’s Sport and Fitness Foundation:WSFF)
女性のスポーツ・フィットネス基金(WSFF)は、1984 年に誕生した登録チャリティ団体であり、ロンドンに本部を置く。その目的としては女性・少女に対するスポーツ・身体活動の普及があげられる。
Charity Commission (2011a)によれば、2010 年度のWSFF の収入は99 万6,806 ポンド(約1 億2,900万円)、支出は96 万4,672 ポンド(約1 億2,500 万円)である。収入のほとんどがスポーツイングランドからの助成金であり、その額は94 万ポンド(約1 億2,200 万円)にのぼる。

3.スポーツ団体またはクラブ
(1)地方スポーツ連盟(Regional Federation of Sport)
イングランドには9 つの地方(Region)が存在し、それぞれにスポーツイングランドの支部と「地方スポーツ連盟」が存在する。地方スポーツ連盟とは、その地方に存在する、各スポーツ種目の地方、県、基礎自治体レベルの種目連盟や、ボランタリーのスポーツ組織の集合体である。たとえば、地方スポーツ連盟の1 つである「ヨークシャースポーツ連盟(Federation of Yorkshire Sport)」には、正会員(Full Member Organisations)として64 団体、準会員(Associate Member Organisations)として105 団体が加盟している。
(2)地域のスポーツクラブ
地域のスポーツクラブは古くからイギリスでのスポーツ普及において重要な役割を果たしてきた。
スポーツ・レクリエーション同盟によれば、イギリスには15 万のスポーツクラブが存在する。その多くは、スポーツカウンシル(現スポーツイングランド)による助成や、地元自治体の援助(施設の貸与・使用料減免、助成金、減税措置など)を受けて、活動を続けてきた。現在、地域のスポーツクラブは、その活動をより効率的で効果的なものにすることを目指し、コミュニティアマチュアスポーツクラブ(Community Amateur Sports Club:CASC)もしくは「チャリティ」の地位を獲得するよう奨励されている。特にスポーツイングランドはその事業の一環として、地域のスポーツクラブに対して、CASC の認定を受けるよう呼び掛けている。
コミュニティアマチュアスポーツクラブ(CASC)とは、2002 年4 月に導入された制度であり、2010年4 月の段階で同クラブに認定されたクラブの数は5,693 クラブにのぼる。これに認定されることにより、地域のスポーツクラブは大幅な減税措置を受けられるようになる。
(3)民間のフィットネスクラブ
以上で述べた地域のスポーツクラブの他に、イギリスにも民間営利のフィットネスクラブが数多く存在する。Downward(2010)によれば、民間のフィットネスクラブの状況は図表E-12 のようである。
この図表の範囲内でも、クラブ数は606、会員数は207 万8,301 人であり、1 クラブあたりの平均会員数は3,430 人である。


4.その他
(1)スポーツ界全体とスポーツ行政との関係・パートナーシップ連携
イギリスのスポーツ行政の特徴としては、スポーツ政策におけるさまざまなアクターが、UK スポーツやスポーツイングランドに代表される非省庁公的機関を介して連携している点があげられる。たとえば、生涯スポーツ(コミュニティスポーツ)に関して、スポーツイングランドは、パートナーシップを通じたコミュニティスポーツの提供を目指しており、そのパートナーとしては、1)スポーツ担当省である文化・メディア・スポーツ省(DCMS)や他の関連省庁(DCSF やDoH)、地方自治体などの行政、2)UK スポーツやスポーツコーチUK などの非省庁公的機関、3)ユーススポーツトラストや国内統括団体、地域のスポーツクラブに代表されるボランタリー/民間のスポーツ組織、が想起されている(Sport England, 2008)。特に、文化・メディア・スポーツ省(2008)やスポーツイングランド(2008)
などの政策文書の中では「スポーツイングランドと国内統括団体とのパートナーシップ」の重要性が強調されている。
この「非省庁公的機関を媒介としたパートナーシップの形成」という特徴は、イギリスのスポーツ政策の固有性に由来すると考えられる。前述したように、1990 年代に至るまで、イギリスのスポーツ政策の中心的な政策主体は、中央政府ではなく、非省庁公的機関であるスポーツカウンシルであった。
しかし、1990 年代に入ると、中央政府は「小さな政府」の方向性を維持しながらも、スポーツに対する関心を急激に高めていく。その理由としては、メージャー政権期の「スポーツによるナショナリズムの高揚」に関する施策や、ブレア政権期の「スポーツによる社会的包摂(social inclusion:社会的弱者の自立や社会的参加を支援する政策)の促進」にみられるような、スポーツの「手段的利用」があると考えられている。
こうした中で、文化・メディア・スポーツ省は、「国営宝くじからの補助金の分配」をめぐって、非省庁公的機関と「契約関係」を構築することで、政策実施における「身軽さ」を追求しながらも、スポーツに対する介入の度合いを強化してきた。具体的には、UK スポーツやスポーツイングランドなどの非省庁公的機関は、国庫と国営宝くじからの補助金を財源とした公的資金を受け取る際に、同省と協定を結び、双方で合意された目標の達成に向けた戦略を履行することが求められている。
さらに、このような「契約関係に基づく助成金の分配」という仕組みは、UK スポーツやスポーツイングランドと、各国内統括団体との間にもみられる。たとえば、生涯スポーツの振興に関して、スポーツイングランドは文化・メディア・スポーツ省に、国営宝くじを財源とした各スポーツ種目連盟への補助金の分配を一任されているのであるが、国内統括団体は、スポーツイングランド(国営宝くじ)から助成を受けるにあたり、今後4 年間の活動計画と目標を記した「全体スポーツ計画(Whole Sport Plan)」を提出することが義務づけられている。この計画の中で国内統括団体は、「スポーツ参加におけるジェンダー間の格差是正」といった、スポーツイングランドがその戦略において提示した目標の達成に対して、いかに自分たちが貢献できるかを説明することが求められる。そして、スポーツイングランドが各国内統括団体から出された「全体スポーツ計画」を評価し、助成金の額を決定する仕組みになっている。この計画の進捗状況は、スポーツイングランドによって6 ヵ月ごとに評価されることになっている。
同様の手続きは各国内統括団体がUK スポーツの「ワールドクラス・パフォーマンス・プログラム」から助成を受ける際にもみられ、それぞれの団体はUK スポーツに「パフォーマンスプラン(Performance Plan)」を提出し、これに対するUK スポーツの評価をもとに助成金の額が決定される。
仮に、メダル獲得数など、パフォーマンスプランに提示された目標に達しなかった場合は、当該団体に対する助成額は削減されるという。
(2)スポーツ団体のセカンドキャリアに対する取組み
たとえば、英国オリンピック協会は『英国オリンピック協会に対する我々のビジョン』(2009b)の中で、セカンドキャリアを含めた選手のキャリア支援に関して、「英国アスリート委員会(British Athletes’ Commission:BAC)」と密接に協働していく姿勢を示している。同委員会は、1)イギリスのアスリートの「声」をスポーツ界の主要な意志決定者に届けること、2)各スポーツ種目におけるアスリートの代表性を維持すること、を目的に2004 年に設立されたオリンピック、パラリンピック、世界選手権の代表選手によって構成された団体であり、そのミッションは、「世界クラスのパフォーマンスシステムにおいて競技するイギリスのアスリートが、公平で、支援的で、透明なシステムの中でトレーニングを積み、競争することを保証する」ことであり、これにより「各選手の目標に到達するための最高の機会をアスリートに与えるとともに、スポーツ選手引退後の生活での成功に向けた準備を手助けする」ことを目指しているという。

W 特定スポーツ政策の状況
1.障害者スポーツ
(1)障害者スポーツの歴史
イギリスの障害者スポーツ政策の最大の特徴は、メインストリーム化されたスポーツ環境の推進である。イングランド障害者スポーツ協会によれば、メインストリームとは「一般のスポーツ協会や健常者向けのプログラムを推進する協会(国内スポーツ種目連盟を含む)が、障害者に対しても同様の運営をすること」である。スポーツにおけるメインストリーム化を目指したイギリスの障害者スポーツ史を、ここでは主にイングランドについて記す(図表E-13)。
1944 年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に着任したルートヴィヒ・グットマン医師は、脊髄損傷者に対する機能回復訓練プログラムにスポーツを取り入れ、1948 年には病院内でスポーツ大会(ストーク・マンデビル大会)を開催した。第1 回は16 人(男14 人、女2 人)のみが参加する小規模な大会だったが、1952 年にオランダが参加したことを機に、国際的な競技会(現在のパラリンピックの起源とされる障害者のスポーツ大会)として歩み始める。多くの傷痍軍人に対する戦争責任が問われたことや、イギリス初の障害者(雇用)法(1944)が制定され、障害者を職業人とすることが法的にも推進された背景もあり、グットマンの新しい試みは徐々に受け入れられていった。
1961 年には、グットマンが中心となり、障害者へのスポーツ機会の提供、振興、コーディネートを推進する英国障害者スポーツ協会(British Sport Association for the Disabled:BSAD)が設立された。しかし、同教会は脊髄損傷を中心とした団体であり、他の障害種別は関心の外に置かれていたことから、1968 年に脳性まひ者のグループは同協会を脱退し脳性まひ者スポーツ協会を設立し、他の障害種別もこの動きに追随した。こうした歴史が、競技種別の組織ではなく、現在の障害種別の組織の設立に至らせた背景である。なお、現在、この英国障害者スポーツ協会は組織として存在していない。さらに、この時代は1972 年の隔離に反対する身体障害者連盟からの宣言や1981 年の教育法改正での障害児の平等な教育の必要性など、障害者を排除する社会の変革を求める声が高まりつつある頃で、1981 年の国際障害者年も障害者の権利への関心を高めさせた。
1985 年、英国障害者スポーツ協会が中心となり、政府機関、障害者団体、国内統括団体が一堂に会し、障害者スポーツ振興に関する初の公式会議(マン島会議)が開催された。スポーツカウンシルの出席者は「英国障害者スポーツ協会は既にスポーツカウンシルとしての機能を果たしているにも関わらず、十分な資金が配当されていない」と指摘したが、当時のスポーツカウンシルは障害者スポーツへの介入については消極的であった。1989 年に障害者スポーツに関するはじめての報告書「能力を生かして(Building on Ability)」が発行された。この報告書には、障害者の現状と英国障害者スポーツ協会の運営のありかたも含めたさまざまな課題、さらには国内統括団体が障害者スポーツも支援すべきであるとの提言もなされた。なお、国際的には、1987 年にヨーロッパ評議会にて、障害者のスポ
ーツ・フォー・オール憲章が採択されており、加盟国は障害者スポーツの推進に取り組む責務があるとされた時期であった。
1993 年、イギリス初の障害者スポーツに関する政策文書「障害者とスポーツ:政策と最新行動計画(People with Disabilities and Sport: Policy and Current/ Planned Action)」がスポーツカウンシルより発行され、「障害者スポーツを発展させるためには、各国内統括団体の支援は必須である」とメインストリーム化への考え方が示された。1995 年には、障害者差別禁止法( Disability Discrimination Act)が制定され、障害者に対するあらゆる差別撤廃が謳われた。この差別禁止法はスポーツにも適用され、スポーツカウンシルは、障害者のスポーツ権を法的立場から主張するようになった。しかし、2001 年実施の障害児のスポーツ参加率に関する実態調査によれば、障害者がスポーツ活動に参加できる環境が十分に整っていないことが報告されている。この報告を受け、スポーツカウンシルは、地域のクラブや競技団体がもっと障害者差別禁止法を理解すべきであると説いている。


(2)障害者スポーツの現状
2001 年の国税調査では、約20%の人が何らかの障害認定の申請をしている。イギリスにおいては、慢性的な糖尿病患者など、障害だけでなく疾患により長期に就労が難しい人も障害者差別禁止法の対象である。しかし、障害者スポーツでは、主に身体障害と知的障害が対象であり、支援対象は限定的である。
スポーツイングランドによれば、16〜59 歳の障害者が1週間に散歩を除く運動を行う割合は38%である。また、障害をもつ若者がスポーツに参加できない主な理由は、図表E-14 が示すとおり、社会環境が整えば参加できうる可能性があることを示唆するものであった。一方で、成人の障害者の34%が、健康を理由に定期的なスポーツ活動に参加していない。さらに、Collins(2004)※によれば、障害者の約75%が貧困層であり、社会経済状況も影響しているとの指摘もある。いずれにせよ、最新の調査では、健常者の参加率が16〜34 歳で平均27%であるのに対し、障害者は、6.5%と低い。健常者の参加率で最も低い55 歳以上で7.8%と比較しても、低いという結果であった。
※ Collins Mike(2004) Driving up participation : Social inclsion, In ‘Driving up
participation : the Challenge for sport’, Sport England.


(3)障害者スポーツの組織構造
1)障害者スポーツの担当行政組織
現在、障害者のスポーツを所管しているのは、健常者同様、文化・メディア・スポーツ省である。資金は、2006 年度以降、競技スポーツについては、競技スポーツを統括しているUK スポーツ、英国パラリンピック委員会(商標登録として“GB Paralympics”という表記を用いている場合もある)から、それぞれの競技の成績に応じて分配されている。原則的に国内統括団体(一部の競技は、国内統括の障害者スポーツ団体)と連携し、国際大会などへのコーチ派遣を行っているが、その程度は、連盟の資金量に依存している。特に、資金力の弱い国内統括団体の場合、障害者のスポーツ振興の資金も限られ、障害者スポーツの支援も限定的になされるなどといった課題もある。
生涯スポーツについては、2006 年度以降、各地方政府のスポーツカウンシルが担当している。イングランドは、原則としてスポーツイングランドから国内統括団体へ分配され、各団体内で障害者スポーツへの資金を配分する。スポーツイングランドは、国内統括団体の資金査定の際、障害者に対してスポーツ振興をしているかどうかも査定項目としている。なお、イングランド障害者スポーツ協会の本部は、直接的に障害者スポーツ団体への資金分配は行っていない。ただし、各支部が、障害種別のスポーツ団体や国内統括団体(支部)と連携し、障害者の生涯スポーツを推進する。
2)障害者スポーツ団体
障害種別による国内統括の障害者スポーツ団体と、競技種目別の国内統括団体が存在する。障害種別による国内統括の障害者スポーツ団体は、英国切断者肢体不自由者スポーツ協会(British Amputee and Les Autres Sports Association)、英国視覚障害者スポーツ協会(British Blind Sport)、英国車いすスポーツ協会(British Wheelchair Sports Foundation)、英国脳性まひスポーツ協会(Cerebral Palsy Sport)、英国知的障害者スポーツ協会(UK Sports Association for People with Learning Disability)の5 団体である。さらに英国障害者卓球協会(British Table Tennis Association for the Disabled)や英国車いすバスケットボール協会(Great Britain Wheelchair Association)のような特定の競技の国内統括の障害者スポーツ団体も存在する。一方で、英国ボート協会(British Rowling)
やイングランドサッカー協会(The FA)などのように健常者の支援とともに障害者も支援する国内統括団体がある。国内統括団体が障害者スポーツを主体的に振興する場合、イングランドサッカー協会などのように、障害者担当理事を置く国内統括団体もある。ただし、すべての国内統括団体が障害者担当理事を置いているとは限らない(図表E-15)。とはいえ、それぞれが単独でスポーツ振興に努めているのではない。たとえば、英国車いすバスケットボール協会は、イングランド地域を統括するスポーツイングランドやイングランド障害者スポーツ協会の支部などと協働し、車いすバスケットボールの推進に努めている。
@英国パラリンピック委員会(The British Paralympic Association:BPA)
英国パラリンピック委員会は2003 年に設立された団体で、UK スポーツからの財源に加え、ワールドクラス・パフォーマンスプランのための国営宝くじ財源、スポンサーなどにより運営されている。
パラリンピックスポーツの20 団体(国内統括団体と、英国車いすバスケットボール協会などの特定の障害者スポーツ競技の国内統括団体)、さらに前述した障害種別による5 つの国内統括の障害者スポーツ団体が登録団体となっている。同委員会は、パラリンピック・ポテンシャルデータ(Paralympic Potential Day)を開催し、13〜38 歳までの障害者がパラリンピックスポーツに触れる機会を設け、選手育成に努めている。
Aイングランド障害者スポーツ協会(EnglishFederation of Disability Sports:EFDS)
1998 年に設立されたイングランド障害者スポーツ協会は、イングランド地域の障害者スポーツ振興に関わる団体である。障害者が居住地域においてスポーツ活動が可能となるよう、9 つの支部があり、それぞれの支部にコーディネーターを配属している。コーディネーターは、スポーツイングランドに登録する国内統括団体や国内統括の障害者スポーツ団体の支部と連携し、障害者スポーツのさまざまなプロジェクトやイベントを実施している。


(4)障害者スポーツ関連法と基本政策
1)障害者とスポーツ:政策と最新行動計画
障害者スポーツ政策では、1993 年の「障害者とスポーツ:政策と最新行動計画」が障害者スポーツにおける初の政策文書である。その後、1995 年の保守党政権下の「Sport: Raising the Game」、2000年の労働党政権下の「Sporting future for All」、2002 年の「Game Plan」など、イギリスのスポーツ政策において鍵となる政策文書には、いずれも障害者のスポーツ推進が明記された。また、イギリスの障害者スポーツ推進においては、障害者差別禁止法(1995)のもたらした影響は大きい。(ただし、この法は、障害者のスポーツを含めたさまざまな社会活動への機会均等には大きな影響をもたらしたが、競技スポーツの推進には十分ではないとの報告もある。)

(5)障害者スポーツ施策・事業
1)施設
基本的に、障害者は地域のスポーツ施設などを利用している。障害者が地域のスポーツ施設を利用できるためのガイドとして、「アクセス可能なスポーツ施設2010 年修正版」がスポーツイングランドより発行されている。このガイドの初版は、障害者差別禁止法が改正された2004 年に出版されている。
ちなみに2004 年の障害者差別禁止法の改正では、地域のクラブは障害を理由に障害者の利用を断ってはならないと明記された。これは、1995 年に障害者差別禁止法を制定したものの、図表E-14 のグラフに示されたように多くの障害者が地域のクラブや施設を利用することに何らかの障壁を感じていたためである。この障害者差別禁止法改正により、各地域のスポーツカウンシルは、障害者がスポーツ施設のアクセスがより可能となるよう、障害者を受け入れることのできる施設のためのマニュアルを作成したのである。
マニュアルには、障害別の対応が具体的に示されている。なお、施設整備のための財源は、地方自治体の財源(たとえばノッティンガム市では、公共スポーツ施設のアクセス整備に市の予算3 万ポンドを助成)や国営宝くじからの補助などで賄われている。
また、障害者が優先的に利用できる施設もある。たとえば、1982 年に設立されたロンドン郊外にあるアスパイアナショナルトレーニングセンターは、脊髄損傷者を中心に考えられた施設であり、生活支援からスポーツの推進まで、幅広く事業を展開している。この施設には、25mプール、体育館、フィットネスルーム、ダンススタジオなども完備されているが、旅行やマラソン大会、キャンプなど館外のプログラムも用意されている。ちなみにプールの使用料は、利用者登録をしている者、していない者とも1回につき3.30 ポンドである。
2)指導者
英国コーチ協会(The UK Coaching)は、「平等と社会的包摂」の組織のコンセプトのもと、国内統括団体や国内統括の障害者スポーツ団体と協働して、障害者のスポーツも推進するとしている。また、地域のスポーツカウンシルと協働して、コーチングのためのカンファレンスを開催するなどの対応をしている。障害者担当理事を置く国内統括団体は、各地域のコーチの教育にも携わる。たとえば、英国ボート協会などは、障害者担当者が障害者の指導の経験をあまりもたない地域の指導者を訪ね、障害によっては必要とする器具の取り付け方を説明したり、障害の特徴を説明したりする。


2.ナショナルスタジアム
1923 年のFA カップ決勝戦がこけら落としとなった旧スタジアムは、「ツインタワー」と呼ばれる2つのタワーをもつロンドンの名所でもあった。以降数々の歴史的試合の場となり、2000 年に改修工事のために閉鎖、取り壊しとなった。
新ウェンブリー・スタジアムは2007 年に開場した。収容能力は9 万人であり、スペイン・バルセロナのカンプ・ノウに次いでヨーロッパ第2 位の大きさであると同時に、屋根の着いたスタジアムとしては世界最大である。かつてのツインタワーに代わって、新ではスタジアム上部のアーチがシンボルであり、新たな観光スポットとなっている。
スタジアムの総工費は7 億5,700 万ポンド(約984 億円)であるが、図表E-16 のように56.3%はWestdeutsche Landesbank が出資し、イングランドサッカー協会が19.5%、そしてサッカー協会の子会社Wembley National Stadium 株式会社が2%出資した。公的資金として、文化・メディア・スポーツ省が2.6%、ロンドン市発展局が2.8%、スポーツイングランドが15.8%、合計21.2%を出資した。
2007 年にアメリカのナショナル・フットボールリーグ(NFL)の公式戦がアメリカ大陸以外ではじめて開催され、欧州サッカー協会(UEFA)チャンピオンズリーグ2010/11 の決勝戦や2012 年のロンドンオリンピックのサッカー決勝戦などが開催予定である。スタジアムの直接的経営者はイングランドサッカー協会であるが、国立のスタジアムとしても機能している。

3.ナショナルトレーニングセンター(NTC)および強化拠点施設
スポーツイングランドのナショナルセンター局はロンドンにあり、5 つのセンターを管理している。
(1)ビシャム・アビー:Bisham Abbey National Sports Centre(Buckinghamshire)
テニスコート、ホッケー場、柔道場などを備え、94 人が宿泊できる。テニスの選手育成の拠点として知られている。面積約17 万m2。
(2)クリスタルパレス:Crystal Palace National Sports Centre(London)
陸上競技場、50mプールを中心とする施設。競技場には芝生のピッチもある。この他、室内陸上競技施設、バスケットボール・バドミントンのコート、ボクシング・武道の施設やプールなどがある。
135 人の宿泊が可能。面積約81 万m2。2012 年ロンドンオリンピック開催主会場のオリンピックスタジアム(2011 年完成予定)に置き換えられる予定である。
(3)リレシャル:Lilleshall National Sports Centre(Shropshire)
体操場、アーチェリー場、グラウンド(芝生、人工芝)、テニスコート、体育館などを備え、200 人の宿泊が可能。面積約40 万m2。
(4)プラシーブレニン:Plas-y-Brenin, National Centre for the Mountain's(North Wales)
登山、クライミング、カヌーなどのトレーニング施設。スノードニア国立公園の中心にある。山岳、クライミングのコースに加え、カヌーのトレーニング用の室内プールなどもあり、65 人分の宿泊施設とコテージを備える。数々の登山家やカヌーイストを輩出している。
(5)ホルムピエーレポント:Holme Pierrepont National Water Sports Centre(Nottingham)
水上スポーツの競技的施設を提供している。トレント川の脇にボートコースと人工の渓流(流れの操作可能)をつくり、気象条件が多少悪くてもトレーニングや大会などを開催できる。ヨット、ウィンドサーフィンやボートの世界選手権が開催されたこともある。人工の水面は、長さ2,125m、幅135mのレガッタコースの他、水上スキー専用プール、カヌーのスラローム用のコースなどがある。カヌーのコースは、動力を使用せず、水門の開閉具合や川底の凹凸で渓流を設定する。世界各国のトップアスリートがトレーニングに集う施設である。水面の他に、多目的体育館、トレーニングジム、キャンプ場、公園なども備えており、85 人が宿泊できる。面積約109 万m2。なお、このセンターは2010 年に所在地のノッティンガム市に委譲された。
(6)英国スポーツ研究所(English Institute of Sport:EIS)
英国スポーツ研究所(English Institute of Sport:EIS)は、トップアスリート強化のために2002年に設立された。シェフィールドのドン・バレースタジアムに隣接した室内陸上競技場(200m トラック)などの施設を中心に、全国のスポーツ施設(ナショナルスポーツセンターなど)とネットワークを結び、選手を医科学的にサポートしている。運動生理学、動作分析、栄養指導、スポーツ心理学などの最新の知見が提供され、選手のパフォーマンス向上に役立てられている。2006 年にスポーツイングランドからUK スポーツへと所有権が移動した。現在40 種目以上1,500 人がサービスを受けている。

X まとめ
イギリス、特にイングランドは近代スポーツの発祥地であり、それにアマチュアリズムの発祥地でもある。戦後、西欧諸国が福祉国家化する中で、スポーツ政策もその一環として取り上げられたが、イギリスは近代スポーツの発祥地にも拘わらず、スポーツは誰からも援助されることなく、自らの私財で享受するものというアマチュアリズムが災いして、スポーツ・フォー・オール政策では後進であった。しかし、高度経済成長による機械化は国民生活の省力化、食事の高栄養化を招き、体力構造が歴史上はじめて「大量摂取・少量消費」の時代に突入した。こうしたパラダイムシフト(社会の規範や価値観が劇的に変換すること)は肥満や糖尿病などの生活習慣病を増加させ、医療問題を深刻化させた。こうして国民のスポーツ参加は国(State)の健康政策としても重要な内容となった。また、高
度経済成長は先進国での国民の諸権利意識を高揚させ、スポーツに参加する権利(その条件整備をすることは公共機関の義務)という「スポーツ権」を誕生させた。西欧の先進諸国における「スポーツ・フォー・オール」政策はその具現化である。こうして「西欧先進諸国=福祉国家」は福祉の一環として「スポーツ・フォー・オール」を誕生させ、その推進母体としてネオ・コーポラティズム(政府と企業そして労働組合あるいは民間組織、住民組織との連携のもとに政策の作成、推進を意図する政治体制)の一環で非省庁公的機関のスポーツカウンシルを誕生させ、「福祉向上の手段」としてスポーツ政策を充実させてきた。
1997 年に発足したブレア政権は2000 年代に入ると「世界一のスポーツ立国」へ向けて、学校スポーツ、地域スポーツ、エリートスポーツ、そして障害者スポーツなどのすべてに渡って、空前の政策を推進し始めた。
ここで重要なことは、スポーツが福祉向上、具体的には国民の健康促進、地域融合等の課題、さらにスポーツ関係者の採用による雇用促進の有力な手段として位置付けられていることである。そしてエリートスポーツはイギリスのナショナリズムである「活力あるイギリス」の推進を担っている。
ここで、ネオ・コーポラティズムの結果として生まれたスポーツカウンシルに政策策定、予算執行、政策推進の実際を委ねている。スポーツ連盟やスポーツクラブとの関連においては、厳密な会計監査が6 ヵ月ごとに行われ、業績が評価されて、次年度の補助額も決定される。スポーツ団体は、いまだに強い自治意識を保持しており、かつて1980 年のモスクワオリンピック時に、サッチャー政権下でボイコット圧力に抗して参加した経緯からも明らかである。
いずれにしても、「世界一のスポーツ立国」政策の中では、国の多大な援助にスポーツ団体も全面的に呼応して、国とスポーツ団体が一体となってその政策を推進している。そうした状況の中、2005年にロンドンオリンピックの2012 年開催が決定した。これによって、イギリスはオリンピック・レガシーのスローガンのもとに、オリンピックで残すべき遺産として国民のスポーツ参加の向上にいっそうの努力を払っている。

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諸外国および国内におけるスポーツ振興施策等に関する調査研究 組織図および比較表 

January 01 [Tue], 2013, 22:25