一年間のベスト・オブ・読書やっと最後! 

2005年12月28日(水) 16時07分
きりがないので、この回でベスト・オブ・読書はここまでということで。
ほんと、こんなマイナーな読書日記、読んでくれる人はいるのかしら(笑)

夏からは、フィリップ・K・デックが多かった。
ほぼ前作を読んだ。
一番好きなのは「パーマー・エルドリッチの3つの聖痕」
この作品がすきなのは高校生から大学生の層が多いそうで、
私の精神年齢の低さをあらわしているが、気にせず、これが一番好き。

  

買って読まなかった本も多い。
リリーフランキーという人がいるのだろうか、
書表欄に炭坑にまつわる話とか取り上げられていたから、
読んでみようかと思ったが、本屋で手に取ってあまりのバカっぽさにやめた


最後に。

私の好きなマンガ「チョコミミ」
女の子が最高のキュートで可愛い。
絵の感覚では太田うにっぽいが、うにより「ちょこみみ」ほうが断然オシャレなので。
カラーだともっと可愛さが増すに違いない。
私は「ちょこ」と「ムムちゃん」のファンです(笑)





一年間のベスト・オブ・読書その5… 

2005年12月28日(水) 15時57分
まだ続きそうな予感。
お暇な方は年末年始の読書ガイドにどうぞ。


捕物帳から探偵小説にはいって、
春ごろ、鮎川哲也の「三番街のバーテン」シリーズを読んだ。
創元推理文庫で手軽に読めるのは知っていたが、
全6冊帯つきでそろえようと思っていた私は、
見つけても帯がなければ買わず…という状態続きでなかなか読めなかったが、
この春ようやく帯つきで6巻そろえることが出来たのだ。

作品は安楽椅子探偵の名作。
定番。
今、手元にないが
「タウンドレスは赤い色」や「クィーンの色紙」「軽井沢・・?なんか」あたりが、
鮮やか見事な推理のできばえであったと記憶している。
途中何作か探偵小説の枠組みを破るような、異色作もあった。

それから佐野洋で、初期の後半くらいのあたる作品の「燃える炎」。
これまでにないような謎の設定に、最後あっさり解決して見せるあたりがさすがであった。
「燃える炎」は子供の誘拐事件を扱っているのだが、
昨今身代金をどうこう…という話はきかないな。
今は、身代金よりもつかまってしまうとすぐ殺される事件が多い。
佐野洋では、今年の読書ではないが、
競馬を扱った探偵小説の「穴」も傑作である。
エピグラフに広辞苑から、「穴」とは、
1)競馬の穴
2)過失
3)思いがけない事故
(これもうろ覚えですよ、皆さん、正確なことは辞書を引いてください)
と言葉の意味が掲げてあって、
作品中、この全ての意味の「穴」の話が展開する。

ただの競馬にまつわる話…ではなく、
心理描写ありの探偵小説ありの、
途中はらはらする大傑作。
佐野洋では初期の名作「銅婚式」も傑作の呼び名高いが、
あまりあげられることのない「穴」をここでは、傑作としてあげておこう。

れれ…
その5まで書いてまだ終わらなかった・・・

一年間のベスト・オブ・読書その4 

2005年12月28日(水) 15時36分
今日が御用納めのところが多いだろうが、
皆さんはいかがですが?
わたくしめは掃除…それとまだまだ所用を足しております。
暮って、なんでこんなにせわしないんでしょうね?

それでは続き…
いつまでたっても終わらなさそうなので、さくっと行きたいと思います。


今年の初めは探偵小説と捕物帳でもっぱらあけた。
捕物帳は、岡本綺堂の「半七捕物帳」からはじまって、
まぁこれは許せるとしても(個人的には好きではない。推理がしっかりしている反面、文章が読んでいて面白くない)、
佐々木味津三の「右門捕物帖」、
最悪面白くなく、人物が類型的、
作品が人情に寄りかかりすぎ、
しょうもなさの点では野村胡堂の「銭形平次捕物控」と双璧をなす。

誰が読むのだろうか。まったくくだらん…
性に合わないのか本当に面白くなかった。
駅の売店で売ってて、ヒマつぶしに買うのだろうか?

テレビではこの手の捕物帳はよく放映されているが、
活字で読むとなんてくだらないのかイライラした。

横溝正史も捕物帳を戦時期書いていて(なんて題名か忘れた)、
それも主人公が女ったらしで、
周りの登場人物が類型的過ぎて、
推理も何も、悪いのは罪を犯させた社会のせいですみたいな決着のつけ方が多くてこれもイライラ。

捕物帳で唯一面白かったのが城昌幸の「若さま捕物帳」くらい。

これは正体不明のちょっといい男(いいところ出のボンらしい。金とバック(権力)がついている)である通称「若様」が酒をぐだぐだ飲みながら、ちょちょいのちょいで事件を解決していく捕物帳で、
何となく好きだった。
まぁ好みの問題といってしまえば、それまでだが、
若様に味方したくなるのである。


しかし捕物帳をこの春にまとめて読んで、
捕物帳というジャンルは「江戸」という虚構のユートピアの世界に、
「季」を織り込んだ亜流の探偵小説とよく言われるように、
探偵小説の推理の冴えがなく、
面白くなかった。
人物描写の面白さはあるのだが、それも大衆受狙いの度がきつすぎて、
鼻についてしまうように思う。


おっと、忘れていた。
久生十蘭の「顎十郎捕物帳」シリーズは文章が洒脱で、謎の設定もフェアで面白かった。



そうしてまだ続く…

一年間のベスト・オブ・読書その3… 

2005年12月27日(火) 15時55分
途中で切れてしまった。
時間の許す限り、ガンガン網羅。

リチャード・ロジャース『都市、この小さな惑星の』
なーーーーーんておしゃれな都市論、またはインフラへの提示論なんでしょう。
大好きなこの本。
建築本にありがちな変形盤で、書棚に収まりきらない感があるが、
とってもおしゃれで刺激的、未来への展望に満ちた都市論です。
中でもロンドンの交通事情に関する論の展開は必読。
建築関係は安藤忠雄の『連戦連敗』『建築を語る』も、
コンペで勝っていくことがいかに大変か語られて面白かった。

どうも、一作一作にコメントが多くなってしまうが、次。

知らなかったこと、わからなかったことが、
平易に語られて、かつ刺激的な論考が展望される…という点では
エドワード・W・サイードの『パレスチナ』もよかった。

(また続く)

一年間のベスト・オブ・読書その2… 

2005年12月27日(火) 13時26分
あーさっき、ようやく歯医者の予約が取れた…
やはり年内はいっぱいいっぱいで、年明け5日そうそうの予約となったが、
一仕事すんだ気分。
って、おおげさか。
でも歯医者がニガテなので、どうも決断するまでに時間がかかってしまうのだ。

では前回の続き。


円寺文子『食卓のない家』
うちの指導教官が薦めた。
面白かった…けれど、特筆するまでもないような…
連合赤軍の浅間山山荘事件をベースに、
事件の犯人の親が謝るべきかといった問題から始まる。
確かに事件が起こったとき、その家の親や上司といった、
本人とは関係のない?上のものが謝罪するのが世の常となっているが、
そんなことは本人の犯罪意思とは関係ないのではないだろうか。
主人公の男性は円寺の理想像ではないかと思うくらい、
力強い主人公であった。
共感するところも多かったが、まぁ、まぁ、最後と主人公と絡み合う若い女性が納得行かなかった。

うちの教授は他に『マルクスだったらこう考える』も推していた。


松本清張『黒い福音』
面白かった。
実録物。
実際に起こった神父によるスチュワーデス殺し事件を、松本清張の推理を交えて構成したもの。
やはり実録物には、フィクションにないある種の「力」があると思うのだが、
こんな事言ったら、
「虚構の世界が現実の世界より力を持つことがる」
と言っているうちの教授に刺されそうである。
しかし、実録事件物、といったものが私は好きである。
(そういう意味では今年の読書ではないが、ドロシー・L・セイヤーズの「ジュリア・ウォレス殺し」も面白かった。実録物は、作りものの探偵小説にない犯罪の「稚拙さ」「隙間」が、かえってリアリティを感じさせる)



一年間のベスト・オブ・読書… 

2005年12月26日(月) 16時25分
忙しいのに、寒くて所用が足せない…
 
この一年で読んだ中で印象強かったものを、
あげてみる。

高田衛『完本 八犬伝の世界』
先日の読売の年間書評欄にもあげられていた。
さすがである。
八犬伝を知る人、必読、
新たな謎が解明されているらしい(まだ3分の2しか読んでないのね)。

中井英夫『虚無への供物』
探偵小説。
おもしろかった。
読んで、読んで、どっぷり物語の世界に浸った。
戦後責任、戦後問題を問う作品になっているが、探偵小説としても秀逸。
私はもちろん、最後の最後まで犯人がわからなかった。


続きは23日続く予定。
次回に。


師走のとある一日 

2005年12月16日(金) 10時48分


朝、大学にまわらず百貨店にお歳暮を買いに行った。

もうちょっと遅いかもしれないが、
どうしても挨拶に行かなければならない事務所があって、
しかもこの時期の今日しか時間がない。
ビールの箱詰めを頼む。
(顔見せもかね、手で運ぶので5.5キロが限界か…)
本当は事務所の人数も多いので22缶詰めくらいを持っていかなければならないのだが、
7キロあると聞いて断念した。

暮れの挨拶もつつましく、
銀行の所用もそつなくすませ、
師走のどことなくあわただしく時間が過ぎ行く街中を、
流れに沿って忙しく歩きながら、自然と早足。

かかわっている仕事柄、12月が一年で一番忙しい。
加えて部屋の掃除と、年賀状を書くのだけは、
どうにかならんのかと思う。

大学に戻って、仕事を済ませ、
夜は上司を忘年会。
(最初はいいが、コイツは酔いが深くなるとからむのだ…)
適当・・というかしっかり呑んで、
からみだした気配を見計らって、帰ってきた。
ほとんど食い逃げだ。

帰ってファックスと郵便物をチェックして、
夜食しながら返事を済ませて風呂へ。
スキンケアするのも、12時を過ぎると眠たい一心でおざなり気味…
肌をぺちぺちやりながら
「明日もこんなのかな〜」と思いながら。

一日ずっと外で人に会ったり、雑用、仕事をしていると、
当然のごとく自分の時間が取れなくて疲れてしまう…
一般企業の人に比べて、
まだまだゆるやかな時間を送っていると思うのだが、
拘束時間が長いのはシンドイ。
特に本を読む時間がないと。

一年でこの時期だけなのだが。
年末年始がんばろう…と思う毎朝。

画像は、知り合いの奥さんからいただいたキーケース。
運がいい人からの贈り物は、その人のご縁に与れるよう必ず持つことにしている。
またこれは大きいので鞄の中で迷子にならず便利。



こちらは忙しい合間をぬって買って来た本。
ウィリアム・アイリッシュの探偵小説と
レイ・ブラッドベリの短編集。
どちらも帯が付いているので買ってしまった。
落ち着いたらまたゆっくり読みたい。



神さまはどこに?…フィリップ・K・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』 

2005年12月15日(木) 13時19分


『黒い福音』から『カラマーゾフの兄弟』にまで流れてきて、
どうも話の収拾がつかなくってきた。
神の罰とは、裁定者だけでなく、
己れに刃向かった者にも下される場合と、
知恵に実も食べていない子供にまで「罰」、というか
過酷な試練が与えられなければ
ならないのか…というところまで話が流れてきた。

神がいるのかいないのか、
宗教も持たない私に深い言及は出来ないが、
この話の最後の締めくくりとして、
次の本を上げておきたいと思う。
私の大好きなF・K・ディックの『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(1984年4月 ハヤカワ文庫)である。


はるかプロキシマ星から、星間実業家のパーマー・エルドリッチが、
新種のドラッグとともに地球に戻ってきたところから、
話は始まる。
ドラッグは、ほかの惑星への移住者にとって、
なければならない物になっていたが、
エルドリッチのドラッグは既存のものよりも始末の悪いものであった…

この物語にも最後になって「神」が登場し、
色々好きなエピソードも多いのだが、
いつもいいなぁと思う挿話をあげて、
この話題の終わりにしたい。


『「はじめて宇宙船が太陽系を離れてほかの星へでかけていったときー
おぼえていらっしゃる?−−
いまにきっとーー」
彼女は口ごもった。
「…まだ子供だったんです。だから本気でそう信じてたんですわ。
きっとそんなに遠くまでいけばーー」
「うつむいて、レオ・ビュレロのまなざしを避けるようにしながら、
彼女はいった。
「神さまが見つかるんじゃないか、と。」』

神と罰…ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 

2005年12月14日(水) 10時54分


前回の続きである。

『黒い福音』では、
個人財産は持たず、
妻帯不可で、質実、清廉の身で神に仕える神父が、
一人の女性とつきあい、
はてにはあやめてしまう話であった。
中で、本題とは少しずれるが、
「神は人間が己れに対して犯す罪を罰し給う」
という箇所を引用した。

私は今までぼんやりと、はなはだ乱暴に言うと、
罰とはこの世の最高の裁定者である神が、世の善悪…に対してくだすものだと思っていた。
そして神とは、私の場合、
キリスト教に限らず「未知なる畏敬の存在」としてとらえている。

神が絶対の判断者で、世の公平者とばかり思っていたのだが、
上記の様に「己れに対して犯す罪」を罰する場合もあるのだろうか…
それとも私の文脈の読み違いだろうか…。


「神」…の存在を考えるとき、あまりにも有名なくだりだが、
私はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(上巻 昭和53年7月 新潮文庫)を思い出す。


「…教養豊かな両親はありとあらゆる手で痛めつけたんだ。
理由なぞ自分でもわからぬまま、殴る、鞭打つ、足蹴にするといった始末で、
女の子の全身を痣だらけにしたもんさ。(略)
お前にはこれがわかるかい…
血をしぼるような涙を恨みもなしにおとなしく流しながら、
《神さま》に守ってくださいと泣いて頼んでいるというのにさ」


幼い子供が意味もなく虐げられてまで、
神は世の調停を求めるのか…という箇所である。
ああ、また字数がつきた。

忙しいと読む本…松本清張『黒い福音』 

2005年12月13日(火) 11時30分


ほんとにまぁ、私みたいなだらしない人間が
「忙しい」
なぞとほざいたら怒られるのだが、
そうは言っても12月が一年で一番忙しい。
これから年末、年始にかけて一番ばたばたする時である。

忙しいとどうしても、まとまった時間が取れないので、
新しい本を読んで知識を吸収することが出来なくなる。
頭も疲れているので、
既読の何度も読んで筋も覚え、
ただほんの世界につかりたいだけで読むか、
読み流しできる本…を読む。

今日は出しなに松本清張の『黒い福音』(昭和45年12月 新潮文庫)を持って出た。
解説を中島河太郎がしているので、
解説を引きながら作品を説明しよう。

作品は昭和34年実際に起こった、スチュワーデス殺人事件を元に、
サレジオ会は、バジリオ会に、
主要人物のベルメルシュは、トルベックにと、
名前をぼかして、
清張の推理のもとに書かれたものだ。
教会の聖職者である主人公が、信者の女性と知り合い、
どういう経緯で彼女を殺さねばならなかったかが、
清張独自の非常に丁寧で、
かつ現実感を感じさせる文体でつづられている。

今回再び読み直して、
例えば聖職に付く人間が、ゆがんだ女性観…
もしくはこのような生い立ちであったら、
これもゆがんだ性欲をもつのではないか…
といったことが、奇妙にリアリティを感じさせる。

そして物語とは別に一箇所気になった箇所があるので、引いておこう。

「神は人間が己れに対して犯す罪を罰し給う。
人間は神に向かって罪を犯すとき、
同時に己れの魂に向かって邪悪を行うのであるから、
人間の不幸はそれ自身を欺くのである。」


読んでいて、
あれ?罰とは、神が己に対して犯したときに下るものなのか??…
と思った。

次数が尽きたので、
続きは次回に。