偉大なる煙草 

2004年08月18日(水) 0時33分
禁煙奮闘記を読んでください…。
私はある日を境に禁煙をしようと決意した…。お気に入りのちょっと高い灰皿も1年半しか使用していない、安価なジッポも用無しになってしまう…かと思うと寂しい思いもしたが、健康ブームと禁煙ブームに肖って、この際、小生も頑張ってみようかと思った。私の体は何だか普通の人より軟弱体質と言う事が判明した為、このような経緯になったのだ。元々、ヘビースモーカーじゃなかったので禁断症状はないと思っていたが、「タバコの力」は私が思っているほど安易なものではなかった…。
最後のタバコを吸い終わると、希望と勇気で心が洗われました。しかし、数日が過ぎると突然、前触れも無しに口寂しさと物足りなさが私を苦しめ、喫煙したい欲求に駆られ始めた。私は自殺を考えた。何度もリストカットしようと思ったが、臆病者の私はそれも出来ず、十日ほど経った頃には、ノイローゼ気味になっていた…。他人の吸っているタバコやタバコの先から出る副流煙、口から縦横無尽に吐き出される紫煙・・・。それら全てが、悪魔の形となって私を襲うのである。頭の中が暗転し、辺り一帯が見えなくなり、吐き気を感じ一目散にその場から走り去る。たった十センチほどしかない紙筒が私の人生を狂わせた…。お菓子のチョコレートタバコを見るだけでも恐怖心に煽られ、スーパーの陳列物を投げ倒し、警察沙汰になる始末。もうこんな生活は耐えられない。私の禁煙によって周囲の人達に迷惑がかかるくらいならいっそ、タバコを吸った方がマシだ!そう思い、なけなしのお金でスーパーライトを買ってみる…。初めてエロ本を買った時のように、一心不乱で家路へ向かう。家のドアを開けるや否や、一本咥えてみる…。乾いた唇に円状の筒が懐かしさを与えてくれた。棚にあるたくさんの安価ライターを手にとり、火をつけてみる…。勢いよく燃え盛る炎は、私の心を安堵の気持ちで一杯にしてくれた。火先をタバコの先に近づけ、以前の記憶を辿るように円筒を軽く吸ってみる…。優しい火音と共に紫煙が口一杯に広がる、むせる事はない…、懐かしさもない。美味しさや幸福感も込上げてこない…。ただ根拠のない達成感だけが傷んだ肺を満たしてくれたが、その達成感も吐き出す煙と共に宙を仰いだ…。

ヘモグロビン・アタック! 

2004年08月18日(水) 0時20分
私は今、腸を疾患している…故に死を目の当たりにしている。尋常じゃないほどの痛みに耐えながら、借りていたエロビを苦悶の顔をしながら返却に行った時は自分の屁タレ具合に言葉が出なかった…。さらにそれを助長するように雨が降っていた。痛みに耐えかね病院に足を運ぶが、皮と骨しかない死臭のプンプンする老人とも言えぬ生き物達が右往左往している。地獄絵図かのように…。通院を幾度と重ね、終いには検査の結果が芳しくないと言う事で胃カメラ検査と腸内X線検査を敢行しなければならなくなった。前者の検査にはさほどの苦痛はなかったものの、後者の検査の時は筋肉注射から始まる壮絶たるストーリーで幕開けとなった…。中年ババァによる肛門への執拗なまでの「指入れ」 有無も言わさず、やりあがったのだ。思わず私は悶絶し、異様な感覚を味わう事となった。中年ババァの人差し指が第二関節ほど入っているのであろうか、「早く抜けよ」と叫びたくなる自分を押し殺し、ただ痛みに耐えたのだ。ババァの何知れぬ指が抜かれたと思いきや、次は腸内に空気を入れるための装置を肛門に填めたのだ。室内には誰もいないが大きな硝子を隔てて、担当医がにんまり顔で遠隔操作を始めたのだ。合図と共に私の肛門から腸内へと空気が送り込まれてくる…。答えは「NO!!」である。それをお構いなしに、ドンドンと私のお腹が膨れ上がると共に、こんな拷問を受けるくらいなら死んだ方がマシだと思わせるほどの羞恥の念を覚えた。検査が終り、備え付けの便所に急いで駆け込む…まさに寺子屋的便所で私は爆風とも言えるほどの強烈な屁を延々と奏でたのである。

臨床的意義
 便中ヘモグロビン検査はヒトヘモグロビンを特異的に検出する免疫便潜血検査で、食事による影響を受けにくい長所をもつ。RPHA法・ラテックス凝集法があり、どちらもスクリーニング検査として広く使用されている。免疫法は、潜血反応で用いられるオルトリジン法やグアヤック法などの化学法に比して感度・特異度ともに良好で、食物中の血液、鉄分等との交差反応はほとんどないとされている。しかし食道や胃の出血では、ヘモグロビンの抗原性が失われる場合もあり得る。便潜血陽性者に対しては、まず免疫法を行い下部消化管出血をまず考え、大腸内視鏡や注腸造影を行う。大腸に出血源のない場合には上部消化管の検索もすすめる。

軌道修正 

2004年08月18日(水) 0時12分
それにしても世の中は不思議なものだ。毎年、「ボジョレ・ヌーヴォー」が巷に出回り、血管の中にワインが流れてると自称(自傷)している阿婆擦れがテレビ画面いっぱいに醜い顔をさらけ出し一般大衆から非難を浴びている。ワインを10本くらい飲んで気持ち悪いくらい泥酔してる気分になる。こんな時はコンビニにお菓子でも買いに行こう!とお菓子の陳列棚に行くと昔好んで食べていたヌーボーがむしょうに食べたくなり、店員や他の客の目線を気にしながら一目散に探した・・・。しかし一向に見当たらない。頭を押さえつけながら一生懸命考えてみた・・そうかぁ〜わかった。きっと田代まさしの事件で販売禁止になったんだ!と気付いたのだ。確か田代まさしはヌーボーのコマーシャルに出ていた…。私は嬉しくて「よっちゃんいか」4つと 「ティラミス」を買って帰ったのだ。これからはヌーボーを我慢するしかない。きっと田代まさしが復活すればヌーボーも発売再開されるはずである。そうボジョレ・ヌーヴォーが解禁される時のように華やかに…

「モグラの会」〜哲学を考える〜 

2004年08月13日(金) 22時12分
映画の書き込み欄で私が書いた「エル・トポ」は読みましたか…?この映画の冒頭では、モグラについて語られている。ここではその話をします。−モグラは土の中を太陽を目指し歩き回る そう彼らモグラは太陽の下、つまり地上に辿り着いた時、太陽光線によって視覚作用が喪失してしまうのである。− これはこの映画「エル・トポ」のストーリーを助長している。人間どもによって地底での生活を強いられたフリークス集団が数百年の時を得て地上に這い上がり、街に繰り出した瞬間に銃弾の雨を受ける。歴史に残るワンシーンである。 我々人間は何か夢や目的を目指して生きている時が有意義であって、それを達成してしまうと充実感と共に虚無と脱帽の世界に足を踏み入れる。それは或る意味「死」を意味する。それを恐れ、人間は新たな「何か」を追い求めるに違いない。何も求めない俺はフリークスなのである。

あんなこといいな♪できたらいいな♪ 

2004年08月11日(水) 23時12分
才能は神から授かったもので、自ら創造することは不可能である…(前振り)。学生時代、よく自分は可愛いから誰にでも相手にされると思ってるビッチが白目を向いてキャンパスを闊歩しているのを目にしていた。これはこの上ない卑劣な行為。もし俺に「スキャナーズ」の一人としてこの世に生を成していたなら、確実にアバズレ集団を寄せ集め、脳内爆破の連発をしてたはず。仕掛花火のように彼女達の脳内を爆破…。私が何度学校へ足を運ぼうとアバズレ集団は一向に減らず、私はどうする事も出来ないのだ。アバズレのウンコの付いたパンティを見るたびに私の方が脳内爆破されそうだ。どうすれば「人を凝視するだけで脳内爆破をする能力(スキャナーズ)」を手にすることが出来のでしょう。この能力があればどれだけ人生が有意義なものになるかな〜。想像しただけで夢現だな…ムフフ。 能力の自己創出は不可能であるため映画を見て自己欲求を満たしてるんです。今夜もぐっすり眠れそう…

ロイヤルストレートフラッシュ 

2000年09月19日(火) 22時38分
日本は不況不況と<潤い>の行き届かない今日この頃。映画業界は汚い銭がどさどさと舞い込んでくるほど好景気ざんす映画業界が盛況すれば自ずとビデオレンタル業界も芋づる式に銭が入ってくる…。これは前振りで、俺が言いたいのは陳腐で寒い恋愛映画というのは、いつの時代も湧いて出てくるがアメリカで物凄い興行収入出し、日本に入って来ると(俺的には関係のない)付加価値が付いて上映されるのだ。それは「吹き替え版」である。「字幕スーパー」と「吹き替え版」という選択肢が日本人にはあり、どっちを選ぶかは本人次第だと思う。しかし、日本の配給会社と言うのは更なる大金を求め「吹き替え版」に人気女優や有名タレントを阿呆みたいに使ってくるんです。「エリン・ブロコビッチ」という寒い映画でも血生臭い飯島直子を使ってたり、「フォールームス」ではティム・ロスの声を田代まさしがやってるし…。この「有名人声優病原菌」は日本に留まらずアメリカにまで蔓延しているのだ。最近のCGアニメでもキャメロン・ディアスやエディ・マーフィーが声優として奮起している…。皆さんはどうでしょう?こんな安い病原菌に冒されてはなりませんよ。もっと自分を大事して映画を見て下さいね。

暗殺の森 

2000年07月27日(木) 22時26分
ベルナルド・ベルトリッチ監督が製作した映画。退廃的思考が凝らされていていい映画だった。となぜこんな他愛もない前振りをしたかと言うと、私の通ってる学校で殺人事件があったたから…。絞殺で見事に女子大生を殺したのである 彼女は私と同じ学部の子である(ここでは身元や名前は控える)。完全犯罪などありえない…ホントにそうなのか?いやいや完全犯罪は存在するのである。周囲の人間に気付かれないように人を殺める…殺害というよりも抹消するのである。単に殺人者にとっての人殺しとは「破壊」である。人はモノを破壊する時に快楽を得ることは医学的に解明されていて、「破壊」がどれだけ開放的な感覚に捉われるかみんなもわかっているはず。映画でも爆破のシーンや火薬の量が多い映画はヒットする割合が高いのである。しかしながら、最近の映画はCGを売り物にしているのが数知れず…。爆破や破壊のシーンはとりあえずCGで!みたいなノリになってきてるしさ。俺はCG映画を見たいんじゃない!生の爆破で肉片が画面いっぱいに飛び散るような映画を見たいんです。肉片が飛び散ってカメラレンズにべっとり血糊が着くような際どい映画がこの時代だからこそ見たいんです。もし映画関係者の人でこの書込を読んでたら、是非肉片映画の紹介をお願いしますね。そして現実へ…今年の夏、私の知らぬ間に女子学生を殺した犯人は逮捕され、殺した方も殺された方も中国人であったため一波乱もなく万事休すとなりました。こんな結末じゃまともな映画は作れない。もっと奥深いストーリーを期待していた俺が馬鹿だったかな

ドイツの鬼才・・・ 

2000年05月09日(火) 21時52分
世の中には相反する事物がある。この男の作る映画もその1つである。映画は今やインカムを主軸としているエンターテインメント基幹産業として君臨しているが、どの時代にも無法者はやはり存在するのである。その一人がユルグである。私は彼の作品を全て見たが、拱手傍観させるくらいの芸術性を映像の中に誇示している。「ネクロマンティック」「死の王」「シュラム〜死の快楽」とまさに栄光の3部作である。ストーリーに関連性はないが同一線上に描かれている「人間の死」というよりも「死体そのもの」に対する「関心や興味」をユルグ節に乗せて描写されている。「そもそも死体には存在価値はないのか?」などの何の埒も明かないような題材をモチーフにしている。分りやすく言えばチンコにチンカスは必要なのか?と言う事である。何とも分りやすい。フランスの奇才ギャスパー・ノエよりも社会的要素が低く、メキシコの奇才アレハンドロ・ホドロフスキーよりも哲学的要素が低い。何が見所かと言うと非情なまでの低次元ワールド。 学校で会うたびに「今日の服可愛いでしょ〜」とか「今日はちょっとメイク変えてみたんだぁ〜」とか、ほざいてる女こそ死体同然である。
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