日々 熱くいる 

October 22 [Sat], 2011, 22:00
フロンティア定例会メッセージ
「日々 熱くいる」

メッセンジャー:佐々木拓也先生(大阪・エレベートチャーチ






今、最も売れている本があります。
「NEXT GENERATION 〜ユースミニストリーの変革」です。
よかったら買って下さい。(笑)
若者について書いていますが、全世代に読んでほしいです。







ある人が講演でこんなことを話しました。

 あることを週1回しているなら、
 それは趣味だといえます。
 週5回しているなら、それは仕事です。
 週7日ならライフスタイルです。


僕たちは日々礼拝者でいる必要があります。
今日は、「日々 熱くいる」ことについて話したいと思います。





聖書の中で、もっともクリスチャンが開かない場所は黙示録です。
ここがチョー好きな人は変わっている人です。
その人は、相当神様を愛していますね。(笑)
しかし、黙示録を読まないのは損です。
だってふつう、本の最後に書いてあるのは、「結論」ですよ。
結論を見ずに満足しているのはおかしいでしょう。

たとえば誰かが映画を見て、
ああえらい面白い話だったわ、って感動して
最後まで見なかったから犯人は誰かわからないけど、
よかったねぇ、すごかったねぇ、ってわいわいしてる。(笑)
それはおかしいでしょう。

黙示録にはサタンの正体が書いてあります。
サタンの敗北について書いてあります。
それは本来神様しか知らないはずですが、
神様が預言者に語ったことで、
結果的にサタンは自分の結末を知りました。
サタンは聖書をよく知ってるんです。
神様はどういう方で、自分はどういう最後を迎えるか。
それでは、
黙示録3章14節から22節まで
読んでみましょう。

また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。

『アーメンである方、忠実で、真実な証人、
 神に造られたものの根源である方がこう言われる。

 「わたしは、あなたの行いを知っている。
  あなたは、冷たくもなく、熱くもない。
  わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
  このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、
  わたしの口からあなたを吐き出そう。
  あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは
  何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、
  盲目で、裸の者であることを知らない。
  わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、
  火で精錬された金をわたしから買いなさい。
  また、あなたの裸の恥を表さないために着る
  白い衣を買いなさい。
  また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
  わたしは愛する者をしかったり、懲らしめたりする。
  だから、熱心になって、悔い改めなさい。
  見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
  だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、
  わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、
  彼もわたしとともに食事をする。
  勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。
  それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに
  父の御座に着いたのと同じである。
  耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』






僕は最近、黙示録を意識しながら生きています。
サッカーで言うと「ロスタイム」です。
今は、イエス様がいつ来てもおかしくない状態です。
使徒の働きの箇所で、
「同じところ(シオン)にイエス様がまた来る」と書いてあります。
イスラエルは離散し、国がなくなりましたが、
1948年5月14日に再建され、
その場所(シオン)が用意されました。
これはふつうに考えるとありえない話です。

どこの国へ散らされても、ユダヤ人はユダヤ人です。
日本人なら染まってしまいますよ。
たとえば日系3世とかになると、たいてい日本語は話せませんね。
ところが唯一、ユダヤ人だけが染まらないんです。

ユダヤ人はすごいですよ。
聖書を読むと、アブラハムがイサクをささげる話が出てきます。
それと、おしっこをちびりそうなダニエルの話。
逆さ十字架にかかるペテロ。などなど。
僕は、天国に行ったら会いたい人がいっぱいいます。
ペテロに会ったら、聞いてみたいです。
イエス様に「下がれ、サタン」って言われたとき、
どんな気分やった?(笑)
俺サタンちゃうよ! 人間やで! て思わなかった?(笑)





でも、福音のアンカーは僕たちなんです。
アンカーですよ。
リレーでも何でも、アンカーって大事じゃないですか。
僕たちは神様から信頼されてるんです。
バトンはアブラハムから受け継がれてきましたが、
ゴールテープを切るのにふさわしい、最後の人が僕たちなんです。
僕たちは、死なないまま天に挙げられる可能性が多いにあります。

黙示録を読まないとダメですよ。
けれど、まず、ひとつシェアしたいことがあります。

正直に言います。
僕はあるときまで、心のどこかで「自分は熱い」と思っていました。
しかし、神様から、黙示録3章を読みなさいと言われました。
そのとき、自分がどれだけおろかで
しょうもないやつかということが分かったんです。
ここ(黙示録)に出てくる、
ラオデキヤの教会について話したいと思います。

ラオデキヤという町には、3つの特徴がありました。
まず、大変なお金持ち
ここは、世界の金融センターのようなところで、
裕福な人がたくさん集まっている街でした。
それから、有名な特産品があった。
毛織物です。デザイナーとかがいてて、とにかく、
ファッションの最高級のものはみんなここにありました。
そして、8キロ先にヒメロポリスという温泉があって、
その温泉水で目薬を作っていたそうです。
薬科大学もありました。薬のことならラオデキヤというわけです。

またあとで出てきますんで、この特徴を覚えておいてください。





中途半端なクリスチャンから脱却してほしいと思います。
外からは分からないけれど、
自分のことは自分で一番わかっていると思います。
ひとりでいるとき何をやっているか、ですね。

神様は、冷たくも熱くもない状態を悲しむんです。
中途半端が一番きらいです。
でも、僕たちは、心の中で
「だれそれに比べれば、自分はまぁまだましや」
と思ったりする。
「ノンクリスチャンよりええわ」
とか。
しかし、実は、中途半端はもっとも最悪な状態です。
変に知っているだけに、扱いにくいです。
日本人はグレー大好きですよね。
「元気?」「うん、まあまあ」・・・とか。
なんやそれ?って感じです。(笑)
でも神様は白か黒か、という方です。

僕自身は見た目だけ信仰的で、やっていることは全然でした。
けれど、なぜか自分では熱いと思っていました。
車でヘッドライトつけてない人いるでしょ?
街中で。危ないですよね。
簡単に言うと、あれなんです。
周りが明るすぎるから、
自分もヘッドライトつけてるって勘違いしてるんです。
熱い人と一緒にいることによって、「自分が熱い」と勘違いするんです。
素晴らしいコミュニティ、熱心な集会、そこにいると、
自分が輝いているんだと勘違いします。
けれど、神様は個人を求めているんです。
礼拝じゃなくて、礼拝者を求めている。
個人的な関係を求めているんです。





ここで聖書に出てくる言葉に、こういうのがあります。
惨め。哀れ。貧しい。裸。盲目。
バルテマイはこのすべてが当てはまる人物でした。
彼は家もない路上生活者でしたし、盲目で裸同然だったとあります。
その彼がイエス様に叫ぶんです。

「イエス様。私を哀れんでください」

こら黙っとけと周りはたしなめるわけですが、
彼はさらに大声で言います。

「哀れんでください」

イエス様は来て彼を癒されました。

バルテマイは確信したので、叫んだんですよ。
自分にとっては、人生の中で最大のチャンスでした。
バルテマイはそれまで、ひどい扱いを受け続けて、
もしかすると
「自分なんか生きる価値もない」
と思っていたかもしれないです。
けれど、イエス様が目の前を通ったそのとき、チャンスがきました。
みなさんも、助けてほしいなら叫ぶでしょう。
おぼれかけてたら叫ぶでしょう。

ラオデキヤに、
「信仰があるのに、なんで求めないの?」 
と神様は言うわけです。
バルテマイは求めたよ。あなたも自分が貧しいって知ってるでしょ、と。

ラオデキヤの特産品はなんでしたか。
お金。毛織物。目薬。
この特産品、全部持ってるはずのラオデキヤに、神様は
「私からこれを買いなさい」といいました。
イエス様に彼らは犠牲を払っていないといけなかったんです。





私たちは忙しくなると
祈る時間、神様との時間を削ります。そうでしょ。
学校の課題、子育て、仕事。
迫ってくることに忙しすぎると、イエス様との時間を作れなくなる。

心のどこかで「祈れば用いてもらえる」と信じてませんか。
しかし、祈らなくても用いられる人はいるんですよ。
神様は、はじめからご自分の計画を遂行するんです。
たとえば、今僕が牧師辞めます言うても、その計画は進んでいきます。
自分がいるからやと思いやすいけど、そうではない。

僕は、祈らなくてもメッセージの奉仕させてもらっていました。
でも、あるとき、神様って
「そういう見捨て方」することがあるなと気がつきました。
これは怖いです。
本当に怖い。
仮に、祈らない人が長く用いられていったとしましょう。
でもその人には
悔い改めるチャンスが来ないんですよ!
隠れているものが表に出ないと、人間は悔い改められないです。
悔い改めないけれど、その人は用いられていくんです。
神様なしに成功しちゃう人がいるということです。
けどそれは、神様から最悪の見捨てられ方をしていると僕は思います。

用いられるために祈るわけではないんです。
神様の働きが遂行されるために祈るのです。
シンプルにイエス様を愛する人だけ用いられます。
教会が大きいからではないです。神様に対して熱いかどうかです。
勘違いしやすいのはここです。
まわりが明るいから気づかなかったけれど、
自分が光ってなかったことを一人のときに知るんです。





ラオデキヤの教会に最後、神様は何を言ったか。
「熱心になって悔い改めなさい」です。
「懲らしめる」とも書いてあります。懲らしめるって何ですか? 
表に隠していたことが現れるんですよ。

熱く、悔い改めるんです。
今までの自分を捨てて、方向転換するんです。
悔いる人はいるけど悔い改める人は少ないです。
「ごめんなさい」じゃなくて、「気付いた」じゃなくて
そのとき方向転換するかどうかです。
神様と個人的な関係を持っているかです。
これが気をつけないといけないポイントです。

今まで地球上に700億人の人が生きてきて、
救われた人がたくさんいました。
しかし、これからは鎌を持っている人、準備している人が、
それ以上にたくさんの人々を刈り取っていきます。
いちばん大切な時間を神様にささげることです。
僕のいちばん大切な時間は朝です。朝をささげることでした。

ラオデキヤには水源がありませんでした。
コロサイから冷泉を引いていました。
なので、ラオデキヤにきたら、
冷たいものもぬるくなり、熱いものもぬるくなった。
そして、10キロ先のコロサイから水道をひっぱるために、
その間に通らなければならない国々と妥協して、
揉め事をさけていたんです。

こういうこと、ありますね。





妥協は捨てましょう。
熱心さを失うだけです。
イエス様は決して妥協しなかった、
だから十字架にかかったわけです。

イエス様はあなたと話がしたい。
神の姿を捨ててでも、降りてこられたんです。
あなたのいない天国なんて考えられない。
だから、天国にあなたが来るためには何も妥協しなかった。
十字架じゃなくてもいいんじゃない? 
即死でいいんじゃない?
そういう選択肢はなかったんです。

妥協をしているかいないか、これは自分がよく知っています。
でも、イエス様は妥協しなかったわけですよ。

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
 だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、
 わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、
 彼もわたしとともに食事をする。」


この箇所、よく伝道にも使われます。
神様があなたの心のドアをノックしてる。だからお迎えしましょう、とか。
ラオデキヤの教会はイエス様を追い出してたんですよ。
ありえないと思うでしょ。そんなことありえない。
教会からイエス様を追い出すなんて。
神様は私を決して見捨てない。ずっと一緒にいてくれる。
でもラオデキヤの教会から、神様は追い出されました。
意識的に思っていなくても、メッセンジャーが
態度でそういう姿勢をとることがあるんです。
神様、私に語らしてください。私の好きなように。
ありえない話ですが、僕もしていました。

これを悔い改めましょう。
自分がイエス様を外に出す生活をしているなら、やめないといけない。
勝利を得るものは、主の御座に座らせる、と聖書に書いてあるでしょう。
天での最大の報いはイエス様を得ることです。
イエス様と同じ座に着くことです。
それを地上で体感することができる。
これは、イエス様と時間を過ごすことで得られます。
過ごさないなら、その人は死んだメッセンジャーです。
言葉をたくみに使えたとしても、
生活の中でイエス様を外に出しているなら、
それは決して証とはならないんです。
ただあなたと一緒にいたい。
それがイエス様の願いです。





こういう牧師先生がいました。
午前中はイエス様と一緒にすごし、午後は信徒のカウンセリング。
教会はどんどんおおきくなり、これで成功している先生でした。

ところが、午前の時間にアポが入り始めました。
11時ならいいかな、・・・10時ならいいかな・・・
そのようにして、神様との時間をどんどん減らしていったそうです。
ある日、神様によく祈るひとりのクリスチャンから、
牧師先生のところへ電話がかかってきたんです。

「神様が、あることをあなたに語りたいと言われたので、
 私と会ってほしいのですが」

教会をこれだけ大きくしてくれて、信徒を増やしてくれて
神様は、これから私にどんなことをしろというんだろう。
どんな素晴らしいことを語られるんやろう、
そう思って楽しみにして会いにいったそうです。
すると、そのクリスチャンがこういいました。

「イエス様の語っていることはひとつです。
 あなたと会いたい。話がしたい

その言葉は、牧師先生にとって衝撃的だったそうです。
私はあれだけ素晴らしいことをしてきたのに、と。
けれど、忙しくなればなるほど、
神様との時間が減っていったのは事実でした。

リーダーのために、まず祈ってほしいと思います。
イエス様を最優先する時間をとってほしいです。

働きに対して熱いということではない。
イエス様に対して熱いか。シンプルに熱いか。
今までいろんなことを祈ってきたと思います。
しかし、イエス様のなされることではなく、
イエス様ご自身を求めましょう。





生ぬるさが生まれるもうひとつの理由は、
自分と他人を比較するからです。
比較する人生から脱却しましょう。

ひとつ覚えてほしいのは、
「大きなことをすることが、
 目立つことをすることが、
 素晴らしいことをすることが大切なのではなく、
 自分に与えられた役割を果たすことが素晴らしい
ということです。

自分もああなりたいとか思ってはダメです。
本当は違うことに召されているのかもしれません。
目の前の、自分に任された役割を受け入れましょう。
それを理解するとき、比較から脱却できます。
全力で、与えられたものをやり遂げましょう。
収まる場所に収まるとき、
神の素晴らしい絵は完成されます。
与えられたものに、忠実になれるように祈りましょう。






(文責:小田嶋キノコ)


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