AR詩 2011年3月11へそして 日本具体詩更新宣言

March 16 [Fri], 2012, 21:03
AR詩 『2011年3月11日へ向けて、わた詩は浮遊する From東京』 
ni_ka  第7浮遊

そしてni_kaによる日本具体詩更新宣言 第1宣言



とりつかれたようにTOKYOとわた詩は呼ぶし勝手に自分をAR詩と名づけるし、
「東京都」という行政単位はわた詩の故郷だけれども、それでも<元来「わた詩」でしかないTOKYO>ですら
<本当はどこにもないTOKYO>にむりから席を譲らせるために、浮遊彷徨してきただけで、この浮遊彷徨は「喪の限界」にあたってなにをもたらしたのか

言葉として輩出されたならばそれはもう詩ではなく死に言葉となる
発っしようとした瞬間とその瞬間の以前にのみ、生が宿り、発せられた瞬間に言語は死んでゾンビと化す

ゾンビ(本当は死んでいるのに、死んでいることに気がつかないもの)が殴り合いをしているのをネットや思想書で読むことは「自覚なき死」の戯れの見学にすぎない

お気に入りのkittyちゃんのマグカップやユニクロのコラボTシャツの原材料も、今日食べた樹から捥がれたリンゴも全て死んでいる

わた詩とあなたは死に囲まれて生まれてきたしゾンビと死の大気でlife

いつだって生者は元々死に囲まれ死を読んで死を食べて生きているのに、あっちにある大量死と現在進行形の「喪の限界」

「汚れちまった悲しみという記号のゾンビに/いたいたしくも生きるものは怖気づき/汚れ血舞った悲しみのゾンビに/存在しているのかすら危うい日を暮れさせない」


死者を本気で弔う宗教者が足りない/死者を本気でカウントする言説も表現も涙もお墓も足りない気づかない気づかせない
穢れ(けがれ)ごとをおこなってくれているのはあっちの有志の方や消防士さん警察や自衛隊の決して高い階級にはいない現場の人たち


ゾンビの津波が溢れ出ては今も尚止まらない
浅く土葬された遺体は仮埋葬なので春になり暖かくなったらば
きっと本格的にあなたが想像するハリウッド映画のようなゾンビになるだろう
詩に切れなかった思いも怨念としてゾンビになるだろう
そうここに浮遊させ続けたAR詩の祈りの念の積重のように
仮埋葬場には、去年の3月11日まで一緒に生きていた仮埋葬場のゾンビたちにお花やお菓子やお酒をお備えし合掌するために出向く人もたくさんいるけれども、肝試しやお化け屋敷のような土地として活用する人も後を絶たない

わた詩はあっちの新しい土地は負の場所にして欲しくないのだけれども、
差別も被差別も超えて神聖な場所として勝手にひとつに物語ってはならないと思う
もしも絶対的なひとつという物語を叫ぶものがいるのならば、その時には、他の多くの超えるべき声にとびつかなければならない

死におののく生者のもやもやを生者が発し続けるゾンビの海
「FUKUSHIMA」や「東日本大震災」や「東北」や「311」は生者が造りだした模型ゾンビであり、
そのシンボル化=模型ゾンビ製作作業にわた詩も加担しながらそれでも浮遊する

そして同時並行してやはり象徴としてのトポスやモニュメントが必要になるわけだけれども、
この<TOKYO>都市では中心が喪失しスライドし、中心のスライドを重ねるたびに責任も次の中心も喪失し続けるので、たとえモニュメントが模型の中の模型として人びとをそこに振り向かせるために作られても、永劫ではなく……

事象の象徴、といえば、思い出すのが去年わた詩のお父さんと行った、かつての形を失くしたお父さんの故郷のガレキの新しい土地/あっちに数え切れないほど立って、海風の勢いを浴びて飛び散る血液のようにのようにはためいていた紅い旗たち
あの紅い旗たちは、人の遺体/痛いのマーキングだったので、あの紅い旗のはためきの数や立ち込める腐臭の分だけわた詩の視野の距離の中で人が死んだ

そして、紅の旗、象徴といえば日の丸だけれども、こっちでの日の丸はまったくはためいていなかった
2012年3月11日に、地震や津波から一年も経ってようやく東北から遠く離れた<TOKYO>で行われた政府主催の「東日本大震災一周年追悼式」というものをわた詩は知覚した
それは、二万人近い人の追悼式とは名づけれているのだけれども、一人分のお骨も遺体もないし、死者の記憶のアーカイブや遺影さえも、ないないないないなにも本物の物質realがない

臨場わた詩のmental image には、「抽象」を抽象化させてさらに抽象度を極限まであげてゆき、
ない場をなにか神聖ものがある場に見せかける臨場アート、TenporaryなInstallation Artなのか、演劇なのか、が行われ、それが列席者をふくんでイベントの羽音として映っていた

その羽音式はわた詩はゾンビそのものだと感じた
けれども、政府が、今更でも、ゾンビ式でも、弔いをしてくださるだけありがたかった
そして、こっちのここでもまたたくさんの象徴は必要とされていて、日本の象徴の天皇陛下、皇后陛下も参列していらした

ご病気なのにご出席してくださっていた天皇陛下(または宮内庁)は「御霊(みたま)」という言葉で死者と行方不明者を名づけられた
天皇陛下に合わせるように、首相もご遺族代表の方も「御霊(みたま)」という言葉を死者に宛てた

「御霊(みたま)」とは、キリスト教の新約聖書・福音書の中に出てくる「神の霊」をさすギリシア語プラウマの翻訳らしい
この国土や東北から関東にかけての古来の死者への概念ではなく、敢えて作られた言葉/擬似死者用語/fake/ゾンビ言葉だった


ニュース映像やニュースの記事や参考写真でご覧になっていただければわかるのだけれども、

<TOKYO>の解体されたはずの象徴としての中心、「千代に八千代」の千代田区の『国立劇場』の舞台上に、
政府が創り上げた舞台(まさに舞台)は、まだある生々しさ(自然リズム)総てを抽象化と象徴化により消去し、
あまりにも震災の全てが美しく抽象化/象徴化/記号化されて(象徴リズム)、
それはいつかはそうされる宿命なのだけれども、政府としての公式の「喪の限界」に向かう姿勢、弔いはあまりにも遅かったのに、まだあまりにも速過ぎるこのサンボリズムの速度はむごいと思った

けれど、逆に、その現在進行形の生なましさや自然、ありしままを隠蔽するための抽象化はあまりにもあまりで、白、白、白、主に白、黒、黒、だからこそそのインチキの徹底が見事で美しかった
存在する多様な悲劇はいつだって望まれる美しさなど持っていないのだから

舞台の中央、左右対称のあまりにも均斎な図像の不思議な式壇があり、舞台の上手(かみて/客席から見ると右側stage left)には、国の象徴の天皇陛下と皇后陛下がお座りになっている

わた詩が臨場性をちょっと取り除いて、感覚浮遊しながら引いて遠くからこの式壇を平面=二次元にしてみると、この式壇と式典という儀式は完全なる具体詩だった
スライドさせられ続ける中心がここではfakeとして存在し、全ての意味を文字に吸収し、人々の生活に馴染んだ詩になっていた

式壇の中央には、「東日本大震災之犠牲者之霊」と荘厳に墨字で書いてある木(斬られた木・死体の木)の大きな標識が一本立っている
その標識の真上に(三次元で正確にとらえたら「奥の上」なのだけれど二次元=平面=詩図の感覚で捉えると)日の丸の旗が美しく飾られているように見える配置で

標識の上側の文字の「東日本大」の文字は「空=天=日の丸の旗」に向かい浮き延びているようにも見える

「震災犠牲者之霊」の字の高さまでには、半円型(日の丸の中の○が割れて皹(ひび)が入り、白く塗られたようにも、アーチ型の白い架け橋のようにも見える)のオブジェ=舞台美術があり、
それを横に引き伸ばしていったようなものとあわせていくつか、一番大きく舞台の左右を結ぶその皹割れたように見える半円型のアーチ(死んだ材料や塗料で作られたもの)は、白い地平線のようにも見える設計

感覚浮遊をし、遠目の拡張現実空間から再度見てみると、
舞台の下半分は日の丸を綺麗に半分に折りたたんだ白い生の象徴世界、舞台上方の黒い部分は天で点で「神」であの世の象徴世界だった(ただしここのそれらは総て記号というゾンビにされている)


浮遊しながら三次元的に感応すれば、勿論こっちのそこには奥行きがちゃんと存在している
一番手前に献花台(切られた木、死体で作られたもの)があり、その向こう側に半円型の大きな舞台美術の隙間を埋めるように、段々畑というキャンバスの絵の中の記号として白いお花(おそらく白水仙)がたくさん植えられている
これが生きたお花なのか、摘まれて既に死んだ白いお花を生きているものなのかは、わた詩にはわからない

そしてこの白い死者と生命を抽象化=記号化させたお花畑も、感覚浮遊の中で、
二次元=平面=詩図の感覚で捉えれば、標識の文字をあの世とこの世の媒介として、日の丸を頂(いただき)、
あの世としてこの二つの象徴に向かって広がる平面の白い大地記号ゾンビ(この世のゾンビ=舞台下半分)
そしてあの世=舞台上側には日の丸の白以外、死者を記号化した白は無く、泣くなり、そこには日の丸の紅と白以外は、ただひたすらに同じ黒が広がり、堂々と「神」の位置に日の丸が飾られている
白、白、消えた命、勝手にゾンビ、白、白、文字、日の丸、違う白と赤、それが天

二次元におとしこんで全てを抽象化するこの表現は、まことにいんちきで死者や遺族の痛みややるせなさに誠意なんて欠片もないのだけれど、わた詩はやはり美しい平面の極東のArtであり詩だと思う
この隠蔽の清清しさは美しい

 
一回性のこっちに臨場している人にとってはインスタレーションであったり象徴主義的美術であったり今にも拍子木の音が白々しく響きそうな演劇の要素が強い、静的かつ儀式的なそれ

引きの画で見れば、村上隆氏がなづけたスーパーフラットでもよいのだけれど、その概念、
それからもれこぼれたこっちのこれらは偶像美術イコン/遺恨であるし具体詩、まさに詩だった、けれども残念なことにゾンビ詩

洋の東西を問わず、上手(かみて)には偉い人が座るようだけれども、お能の舞台や日本庭園は左右や上下の非対称が特徴なはずだよねと問いかける
こっちの舞台のこの左右の対称性は、「御霊」の語源が同じ洋でも、西洋のそれのようなので、世界地図の極東の太平洋で起きた悲劇で、「東日本大震災」と、象徴として名づけられているのものの追悼式典なのに、
なんだかキリスト教や西洋の舞台やお庭のそれのエッセンスが強いfeelingが<ここ>なのだなとふと思う

どうして、わた詩がこの式壇を頑なに具体詩だと名づけるのか
そして、新国誠一や北園克衛らのVOUとASA以来、日本の具体詩運動は途切れたと言われてきたけれど、それは事実ではなく、「象徴化されたお葬式」の中に具体詩は誰も気がつかないうちにインストールされて消費され続け擦り切れたので、わた詩がそれを継ぐものなのだとわた詩はあなたとわた詩たちへ説明する


東日本大震災という文字は縦書きになると、「震」という文字以外はほとんどが左右対称に近い文字で、
たくさんの分裂していたもの(それぞれの個の性質)、人の命や魂として記号化された白いたくさんのお花(記号ゾンビたち)が、
その「東日本大震災」という縦書きの文字が書かれた言葉の意味の中にグググ! と無理からに、そして静かに、
ゆるるりと恐怖の音なき音を詩的にたてながら、三次元にしかも左右に分かれていた白いお花(死体なき死者しかし記号ゾンビ)が「御霊」というものの抽象表現として上に持ち上げられて、天/空に吸いあげられてゆくように「わた詩たち」の網膜には映る構成で、そして、その天辺には「神」の記号として日の丸の旗がはためきもせずに美しく張られている

「霊」という左右対称の文字に霊の抽象されたものたちが無理から吸い上げられた「御霊(みたま)」と天皇陛下(もしくは宮内庁)が名づけた死者の記号たち(ゾンビ化した言葉と同じ)の意味総てが、
中心になる標識の文字の、災震、のアシンメトリーな文字でちょっとまだぐちゃっとしていて暴れていて覚束ないのだけれども、
大本日東というほぼ完璧に近い左右対称の文字群で整えられ、

上へ、上へ、と一文字ずつ全ての意味をぶわっと天辺にある完璧なる左右対称の形をした日の丸という国旗という象徴の意味の中に吸い上げてゆくゆく(インストールしてゆくゆく)、
記号ゾンビではあるのだけれども、ごちゃごちゃでそれぞれな人や気持ちも、死んだらこんなに抽象化され続けるのだと、死んだらさらに形骸化した記号にされてどんどんゾンビ化が止まらなくされるのだとわた詩は恐ろしくなった
けれども、
この大量死と「喪の限界」にわた詩が臨む前までにも、
既に日本のお葬式の多くはそうされてきたし、記号化したり抽象化、シンメトリーの祭壇の真ん中に戒名やお経などの文字を置いて、天辺に吸収させる構成が多く、

そうしなければ生きるものは弔いごとはできないのだと、わた詩は一年浮遊し続けてきて、なんとなくわた詩が感じ続けたもどかしさはここにあったし、
さらに伝統的なフォーマットというゾンビにおしこめられたこの儀式と自分の無力さにとても感傷的になりやるせなくなる

政府が催した式典では、皺一つない美しい白紅の日の丸の中に無理から死者たちの記号/fakeは吸い上げられ、個性やごちゃごちゃやノイズのない、完璧なる左右対称の日の丸という、世界で一番シンプルな美しい形と世界で一番シンプルな色の組み合わせの「象徴」の中に詩に切れなかった彼ら彼女らは具体詩として、または美術として、または演劇としてインストールされた

それでも天皇皇后陛下を敬愛していたり国の儀式を愛している東北のおじいちゃんやおばあちゃんは意外と多いので、溺死してしまったり、凍死してしまったり、衰弱死してしまった死者や、死者の周囲にいる方の何割かの方の慰めになれば、
なんていうか、右も左も象徴もゾンビ化も隠蔽もどうでもいいのかもしれない、とわた詩はちょっぴり思う

慰めになれば、鎮魂になれば、弔いになればそれでいい

そして「象徴」の宿命で、生あるうちは、完璧な様式を生き続けなければならない美しい天皇皇后両陛下にも、
もしもあの世があるのならば、あの世で、東北で亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんたちや他のわた詩たちと、
お饅頭を食べたり、お喋りしたり、freedomを苦しんだり、叫びながら泥んこの中で遊んだりして欲しいなと、詩の身だけれども、なんとなく願った


たくさん足りなくて、たくさん相変わらずな感じのパーフェクトsymmetry象徴ゾンビ追悼式なのだけれども、ここで慰めされない分、弔えない分は、自分のような「神」とも「象徴」とも関係なくって、小物な野良詩のわた詩が担えばいいと思った
色々を背負っていない不自由なやり方で精一杯これからも「喪の限界」を、二次元でもなく、三次元でもなく、拡張現実空間で想い弔い、ゾンビでない言葉を生起させるしかないと思った


magnitudeナイン、超える業、もたらしたあの日からの負や思想闘争の見えすいたラインを見極めて、magnitudeナインを超えるエネルギーをほとばしらせ、アイフォンとセカイカメラを揺らしはねながら飛びながら、常に日々と時間が人間と連動し生きてゆくこととどこかでイコールであり、ゾンビの記憶の言葉を技術で並びたてたり、俗=生きセルもののみと結託することはせず、生きるものだけのために向けた言語活動では発見できないものを発見することはできなく、泣く、啼く、死者となった者たちと生きるわた詩たちのもやもやを、既存のゾンビ言葉では表現できない言語として先取りするために
わた詩は未曾有の言語の次元を血の涙を漲らせながらこじ開けてゆく
言語が無化されるまでわた詩は祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る
到達まで祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る
折られるまで祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る祈る
言葉は言語化されたその瞬間、わた詩の複雑なもやもやの弔いや祈りや感覚とは離れてゆき、
すべて抽象化され記号化され、模型になる
どんなに細密に言葉を捜しても見つからない
細密さに拘れば拘るほどみつからない

なんとかあなたにわかって欲しくて、だからわた詩は仕方なく震災以降、今ここに記しているような模型の言葉を使うことが多くなったのだけれど、言語化された瞬間、わた詩とわた詩たちの言語活動は終了し、言葉は死で、死で戯れるゾンビごっこにはずっといらいらがつきまとうし、言葉にならないものこそが言葉で、真の言述行為/幻術行為そのものをここに到来させるためには、「言葉」を発見し、その言葉の周囲に浮遊するものをなんとか吸収して寄せ集めてわた詩に集約し、「言葉」の生起に立ち会わなければそれは詩ではなく死だろうって思う
自分のもやもや、ここで起きているもやもやをつかまえるために、プラトンではないけれど、わた詩は浮遊しながら別の言葉を捜し、君の元に届くために彷徨浮遊することしかやはりできない

トピカが言葉のために場所を構築することを任務とし、そして、その場所がargumentum/論拠を構成するのであるのなら、その語源となったargu/光輝、明瞭さ、その動詞arguo/明らかにする、光への回路を開く、そしてそれは時をこえてaugmented reality/AR詩/拡張現実詩/わた詩が言葉を照らし出す出来事そのものになり、言葉の生起そのものにほからないと浮遊しながら彷徨いながら言葉を捜し求め、言葉と詩の生起する様子をわた詩たち、あなたのために光り明らかにしたいと弔いのためではあったけれどもわた詩は繰り出す

言葉を生きられたものの平面においてのみつかまえようとしてみても、
それは
愛にも知にも詩にもなりえないないないない
わた詩の切に弔いたいという死者への独りよがりで孤独な強い強い愛の欲求を通してのみわた詩に言葉そのものがやっと結びついてくる
そしてこれが「動詩」となり、やっとそこでのみ言葉の生を蘇らせる
だからわた詩の独りよがりな愛は、平面詩/定型詩/ゾンビ詩/現代性をなくしたフォーマット現代詩ゾンビや様々なゾンビを本気の弔いのために、愛のために、あなたたちは死んでいる、と、ちゃんと今ここでゾンビたちを葬る

さよならゾンビたち


<TOKYO>という都市そのものにAR詩として浮遊し続けて、なんとかやっと震災からの想いを模型ゾンビではなくって、ARという空間、もしくはモニタ、紙、体、あらゆるmedia、あやゆる空間、それらの裂け目に命をかけて到達し、そこに裂け目を生じさせ、そのわた詩の根本的な浮遊経験そのものを弔いの言葉として生起させることでしか弔えない
弔えない弔えない弔えないんだよ

あの日にぶっ壊れた日本列島の各地にある原発の兄弟原発から発せられた東京タワー
このの格差に胡坐をかいている<ない>TOKYOのこのたちこそがわた詩なのだから

                  
                   にか


ni_kaによる日本具体詩更新宣言 第一宣言 2012年3月15日 

 追伸
 わた詩は、一人ぼっちでもこの具体詩の更新の彷徨者だけれども、希わくば、
具体詩・ゾンビでない現代詩・モニタ詩・AR詩・光詩・ni_ka詩・動詩・生詩・言葉そのものの更新、蘇生、言葉にならない言葉を生起させる運動をなす他の儚いトリックスターのわた詩たちが同時多発にこの世界に現れることを

    


  • URL:http://yaplog.jp/tipotipo/archive/266
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{アップ{アップ{アップ{アップップ}}}{アップ}{1ばん
June 28 [Thu], 2012, 22:25
佐々木雅弥
ここにこれを書いた。
April 05 [Thu], 2012, 15:29
LNLY
読んだよ。全部読んだよ。受け取った。
March 25 [Sun], 2012, 11:44
アメリカ、ドイツあたりのキュレーターの空気を読んだつもりなんですか。
あんまなんも考えてない、キ印の文章にキ印の写真で、これで詩壇はのれないでしょう。
具体自体が無価値。
March 19 [Mon], 2012, 8:30
通りすがり
現代詩は高級なものです。
ゾンビなどという俗語をあてないでいただきたい。
March 19 [Mon], 2012, 0:16
ちょっと調べればわかること。
「御霊(みたま)」の件ですが、
一体誰のどんな説を参照されたのでしょう?

おそらく初出だと思うのですが、万葉集に、
「我(あ)が主の御霊(みたま)賜ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げ給はね」
という歌があるんですが。。。
March 18 [Sun], 2012, 23:08
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