運命。 

2005年12月26日(月) 0時45分
運命論。
それは漠然としたもの。
そう思う。

私が中学生の頃か。
或いは、もう少し幼かった時かも
知れない。

他人と自分との境界線について、よく考えた。
幼かったので、論理的に・・とかではなく。

ただ、目の前にいる、相手の存在が不思議に思えることが
多かった。

今でも、度々思う。

仲良し・腐れ縁・同級生・先輩・後輩・犬猿の仲 等
人間関係にはいろいろな種類がある。

それは、時を重ねることによって、忘れる。
忘れるということは、つまり、
おぼろげになるということ。

つまり、相手が目の前にいることが当たり前に思えてくる。
まるで、ずっと昔からそういう関係だったかのような錯覚に
陥る。(私だけか?

それは、相手の中に自分が入り込むからだろうか。
相手と同じ空気を共有することによって、
空気と一緒に溶け込んでしまいそうな。


これはメンタルなことじゃなく、肉体的な同化とでもいうのかな。
表面的な認識。


ところが、自分を高い位置から観察すると(つまり客観的に見ること)
自分の存在すら、幻のような気がしないでもない。

目が2つあることに違和感を覚えたり、
息をしている奇跡を信じられなくなる。

相手の姿が宇宙人では?と疑いたくもなる。

何もかもが、偽者なのでは?夢なのでは?と自問したくなる。

もし、仮にこれが幻の世界だったとしたら、
私と関わった人も幻な存在なんだろう。

幻だけど、つながっている。
話が抽象的この上ないけども。


私は運命という言葉を、あまり好まないが、
やはり、目の前にいる相手を観察すると
運命なんてありえない等と言い切れなくなってしまう。


幻の世界に私と貴方。
この世界は誰によって形成されたのでしょう。
誰のため?何のため?

もしかしたら、生きているうちには気づかないことかもしれない。

けれども、もしこの世界が幻だったとしても
そうじゃなかったとしても
やっぱり、変わらず、私は、私に影響する貴方や、
私を変える貴方、私を嫌いな貴方と出会ったことでしょう。

根拠はないけど。それが運命だということ。

目の前にいる貴方をみると、
どうも、そればかりが頭に浮かんでしまう。

親。 

2005年12月24日(土) 1時18分
私の父は、厳しい。
言うならば、真っ直ぐな人だと思う。
亭主関白で、四角四面と言えるだろう。
もちろん、自分が何よりも正しい。
そう思っている人。

しかし、その考えの方向性が度々疑わしくなる。

先にも述べたとおり、自分が何よりも正しいという人。
言い換えるならば、自分が理解できない人には
言いがかりをつける。

父には私の弟の生き方が理解できないようだ。

俺が正しい。
お前は、俺と一つも似てない。
俺の家系はな・・。
俺は・・俺は。

俗に言う、俺俺詐欺とはこのこと。(違

別に、父を否定しようなんてことは、これっぽっちも思わない。

それは、私は父と母により、生を授かったから。

憎まれ口を叩こうが、親には変わりない。


しかし、個々人の思考・個々人の生き方を否定することは
例え、親だとしても、許せることではない。

弟は、マイペースで、何かと親を振り回す。
つまり、だらしないということ。

でも、それは家での弟の一面であり、
それが外でも、そうかと言うとそうでもないだろう。

不正があれば、はっきりと先輩にも意見を言う。
後輩には手を差し伸べる。

そういう一面を、知っているのか。

家での一面を見て、彼の将来を否定し、お前は一生出世できない等と言うなんて。

親はこの世に生を授けてくれた。
だから、子を最後まで思うことは、うなずける。
責任を持つのも、わかる。

でも、見守ってやることも大切ということ。

見守ることがどれ程の愛情かをご存知ですか。
見捨てることとは違うのです。
見守りは愛がなければ、決してできません。
監視するとは、これまた、大いに違いますし。
見張るとも違う。
守る。そのまなざしで、子の存在を信じて、
姿を確立して、そして、それを受けた子は
自分が親になったときに、子を見守ることが出来る。
かといって、見守り過ぎて、放置するのも、駄目ですが。(難しいなぁ・・。

あなたと同じように生きなくても、同じ道筋を辿らなくても、子は子なりに生きる。
わが道を生きるために生まれてきたのです。

同じ道を通ることなんて・・。それほど重要とは思わない。
それって、つまらない。
分身じゃないんだから。ね?

言葉。 

2005年10月24日(月) 23時33分
私達を縛るもの。
それは時間と言葉。
結局、それが最大の束縛。


あの人が嫌い

こう口にすると、
まるで、前世の頃から犬猿の仲のような気がしないでもない。

そして口にする度に、前回の軽い『嫌い』よりも
一層増して嫌いになっていることに気がつく。

口にすることによって、自分の耳が、脳が
相手を嫌いと言うことをインプットする。

逆のパターンでも言えること。

それ故、恋に恋するなんて言葉も生まれるわけで。


頭で考えると事が曖昧にぼやけてしまう。
よって、人は言葉にしようとする。
書くことも、もちろん言葉。

言葉にすると、具体化され、
言葉にされることによって
安心する。

言葉に頼ることも、あります。


そして、何気なく発する言葉によって
自分自身も、相手も大きく影響される。


物事は、言葉に換言できるほど単純じゃない。

しかし、単純な言葉を人は求める。
それで、喜ぶ。
安心する。

言葉に左右されるのは、もっとも人間的な感情とも言える。
(一言居士・口は災いの元なんて言葉もある。)

やはり、言葉とは只ならぬ存在。

しかし、言葉を操る術を人は得ている。
よって、言葉一つで、自分自身の幸・不幸が決められる。
また、相手を平和的な気持ちにさせることだって。

どうせ、発するなら
自分の耳と脳に聞かせるのを意識した
優しい言葉を吐きたいものだ。

意見。 

2005年10月21日(金) 12時08分
人は、やはり、どうしても自分がかわいい。
それはしょうがない。

自分を守るのは自分。
自分の将来を支えるのも自分。

自分を愛して、かわいがって
時には自分をだましてまで、演技をしないと
後で苦しむのは、自分だということ。

それは授業で習ったわけではないのに、
次第に身につく、一つの戦法ではないか。

私は、意見を口にすることは少ない。
やはり、自分を守る体制に入っているからだろう。

しかし、かわいく演じるのが苦手で
上の動向に納得がいかない、或いは間違いに気づいたとき、
無言の反抗をする。

意見を言う方がまだかわいいだろうなぁ。とか思いつつ。笑

意見を言うのはとても勇気がいること。
下のものに言うのは簡単。
しかし、上に物を言うとなると、やはり、まず損得を考えてしまうのが
人間の性。

『いつだってそう。意見を言う人が悪いの。』


そう。
意見を言う人が悪い。
そう、思われる社会。

結局、上の人達は、肉まんで言うならば
外の皮でしかない。

中で支えて、動いてるのは実質上、下の人達なんだから。

肉が腐ってたら、その肉まんは不味く、売れない。
皮ばかり、立派で中身が伴っていないのも駄目。

つまりは、そういうこと。

上が威張るのはおかしい。
だからといって、下が偉そうに言うのも違う。

要はね、一つの目的に向かって、皆が助け合うこと。

誰かが偉いんじゃない。

怖がって、意見や間違ったことを言えずにしたら、
いずれ、潰れる。

そう思う。

もしかしたら、ぶつかってみて、当たりが出るかもしらない。
いつだって、希望的観測は行動をうつすときに大事なもの。

もし、ぶつかってみて、潰れるのが自分だった場合、
それまでの会社ってこと。

もちろん、ただ言うだけじゃ駄目。
誰よりも一生懸命で、仕事を愛している人ね。

さて、どっちがもろいのか。



封印 5。未完成の絵。 

2005年10月19日(水) 14時51分
飽きたのか。
ある日を境に、いじめっ子の声が消えた。
私達が見えない存在として、扱ったからだろうか。

いじめっ子は『もういいや。飽きた』で済んだかもしれない。

しかし、いじめられた私達はどうなる。
置いてけぼりにされたんだよ。
辛かったんだよ。泣きたかったんだ。
一緒に楽しく笑いたかった。普通に過ごしたかった。

それを奪った。

私は一気に人間不信に陥った。
私達のグループの一人であった、女の子。
実はそこそこ美人だったのだ。
それで、クラスの先端、おしゃれグループに声をかけられた様子。
『あなたってかわいいよね。前から思ってたんだ。
今日、一緒に帰らない?』

それから、その子は帰ってこなかった。
それより、4人の秘密だったことを、いとも簡単に
新しいグループに明かし、広めた。

私達は3人になった。
しかし、とても楽しくすごした。
喧嘩もした。帰り道は歌を歌った。
部活ももちろん楽しかった。私はいじめられっこなんて
思ったことはない。

でも、今思えば、別にどうでもいいことだった。


個人の思うように生きればいいよ。
私は泣いたことがない。
学校はよく休んだけど。

滅多に人を信じられる性格じゃない私。
でも、それも別にそれでいいじゃないか。

完璧な人なんて存在しない。
むしろ欠けてるほうが人間味がある。

私は、少し欠けている。
欠けているが、それを埋めようとは思わない。

思わないが、こうして書くことにより
何か一つ埋まったかもしれない。

パズルのピースのように、記憶をばらばらにして、
今まで封印してきた、これまでの思い出。

今、こうして書くことにより、大方完成が見えてきた。

残りのピースはこれからの未来。

全てのピースがぴったり自分の位置を確保したとき、
きっとそれは

今までに見たことがない、淡く綺麗な絵になっていることだろう。


丁度、幼稚園の頃に私を励ましてくれた絵本の中の絵のように。
老いた頃に、私の絵を見て微笑んでみよう。

封印 4。 

2005年10月19日(水) 14時39分
それからは、ひたすら暗かった。

私を除き、まず3人に被害が及んだ。
Aちゃんは、毎日いたずら電話がかかってくる。
Bちゃんは、授業中に後ろからペンで背中をさされる。
Cちゃんが廊下を歩くと笑い声。

私ももちろん、被害にあったが、
なぜか私は泣かなかった。
それを初め被害とも思わなかった。

そして、3人の友達は私に悩みを相談する。
『辛い・・。どうしたらいい?』
『どうして、私達ばかり・・』
『もういやだ・・。学校なんか来たくない。』

散々聞いた。
そして、いつもこう言った。
『あんた達は、誰一人悪くないんだ。
いつまでも幼稚なんだよ。ほっとけ。相手する価値もないよ。』と。

しかし、私だって、辛かったんだ。
3人の友達には私という相談相手がいるが、
私は誰にも相談しなかった。
まして、3人の友達に相談するなんて出来ない。
余計不安を煽るから。

ずっと我慢した。親にも言わなかった。

いつも聞き手に周り、相手の悩みを少しでもやわらかくしようと試みた。
しかし、思った。
何がそんなに悲しい?私だって・・。
黙れ・・。泣き言を言うんじゃない。
そんなもの、いらない。

高校に入ってもいじめられた。
私は胸を張って歩くようにしたし、
いじめっこが存在しないかのように、普通に友達と
笑いながら廊下を歩くように試みた。

『やーいやーい。きもちわりぃ。』
『おや、お嬢さん。僕と付き合ってくれない?』

そんな言葉を全部聞き流し、話す。
『それでなー。聞いてよー!昨日ねー。』
『あっはっは!そうなん?おもろいなぁー』
さも、いじめっこが存在しないかのように。

封印 3。 

2005年10月19日(水) 14時23分
そして、中学校に入る。
小学校でようやく話せるようになり、友達も出来た為、
中学でも変わらず楽しいだろうなと、思った。

私は、中学に入ってすぐに友達ができた。
小学校の頃、バレーをしていて、他校の子とも
何度か試合をし、それで顔も知っていた。
試合が終わったあとに、よく話した子と
同じ中学だったのだ。
その子の友達も、私と仲良くなり
一気に3人も友達が出来た。嬉しかった。

慣れない環境。周りの子達もどことなく緊張した毎日を過ごしていた。
しかし、徐々にグループがあちこちで成立していく。

そんな中、ふと気がつくと、いつも一人ぼっちな子を見つけた。
私は(この子も私みたいな子なのかもしれない)と思い
声をかけてみた。

そして、仲良くなり、毎日一緒に登校し一緒に帰った。

これから、どんなことが起きても
私には友達がいる。大丈夫。


しかし、そう簡単にいくはずもなく。
時はことごとく私を裏切った。

中学校生活が馴染み始めた頃に、
私は、周りの異様な視線に気づいた。

明らかに私達4人に注がれる冷たい視線。
こそこそ話。

授業中の手紙交換。


そして、小学校から同じの子が
どういう気持ちでか、私に教えてくれた。
『みんな、貴方達4人を悪く言っているみたい。
暗いとか。気をつけた方がいいよ。』


私は驚いた。
何を馬鹿なことを。
聞き間違いとも、もちろん思った。

何より、幸せだった私に、何の好意かは知らないが
真実を明かしてくれた、その子が憎かった。

真実は決して知ったほうがいいってわけではない。
知らないほうがいい場合も多くある。

封印 2。 

2005年10月19日(水) 14時21分

小学校に入学。
相変わらず、学校では大人しく、いつも客観的に観察しては
時間をもてあましていた。

『先生ー。なんであの子はしゃべらへんの?』
『病気?』
『なぁー。なんかしゃべってー。『あ』って言うて。』

(あぁ・・。うっとおしい。しゃべられないわけがないだろう。
そもそも、『あ』って何。。あっちへ行け。)

こういうことを言われ続け、余計心は離れていった。

学校を出ると、私が王様なんだよ。
近所では4.5人の子供の中のリーダーなんだ。
誰も知らないくせに。

しかし、幼稚園の頃から障害福祉センターに通ってたのが
効いたのか、2年生になったとき、話したい衝動にかられた。

よく覚えている。
丁度、昼ごはんが終わって、休み時間の時に
私から声をかけにいった。
話した内容は覚えていない。それほど、つまらなく、些細なことだと思う。

しかし周りの反応は凄かった。
クラスが騒然とした。
それより、何より、話したことに皆が喜んでくれ、
そして私を迎えてくれた。

それから、私は常に遊びに参加し、それこそ駆け回り
鬼ごっこでは、自分から鬼になったりと
活発だった。話すことによって、喧嘩もした。
しかし、わだかまりがすぅっと溶けてく気がした。
今でも忘れない。

封印。 

2005年10月19日(水) 13時49分
私が今にたどり着くまで、どのような道を
歩いてきたのか。

もちろん、誰かに見せる為なんかじゃなく、
ただ、これから生きる上で踏み台にしようと思って書く。

今までも踏み台にしてきた。
しかし、どこかに残さなければ、幻想化され
忘れてしまう。

過去は忘れてはいけない。どんなことがあっても。

主に誰かに残すため、伝えるために、文字が作られ
書物ができた。

私は自分に残し、あの頃の自分へ伝える。


私は、幼い頃、話せなかった。
具体的なことは、あまりわからないため伏せるが
大きく言うと、心の病気だったようだ。

幼稚園の頃から、そう。

幼い子供達は、おもちゃを振り回して駆け回り、
楽しそうに遊んでいる。
男の子は、戦隊になりきって遊び、女の子は、砂でお団子を作る。

私は、その頃の記憶を鮮明に思い出せる。
忘れたことがないからだ。

楽しそうに遊んでいる姿を、いつも本棚の近くに座り
じっと傍観していた。少し冷めた気持ちで。
(何がそんなに楽しいんだろう。)

私は本が好きだった。当時は絵本しか読めなかったけど、
絵が私を元気づけてくれた。
みんなで遊ぶよりも、とても楽しいことだと思った。
幾度が遊びに誘われることもあった。
しかし、私は上手く遊べなかった。

しかし、幼稚園が終わり、家に戻ると
そうでもない。

近所の子供達を神社に呼び集め、
私が、遊びを考え、いつも先頭に立ち、
よく悪さをしたものだ。
『みんなで画用紙に地図を書こう。
今日はここ。太陽の国まで冒険に行こう!
私とあなたがリーダー。あとは家来。私達についておいで。』

時。 

2005年10月17日(月) 22時21分
最近、時間が過ぎるのがとても、早い。

つい最近、高校を卒業したばかりではないか。

つい最近、月曜日を迎えたばかりなのに。

時の正体は、もしかしたら、一番恐ろしい存在なのかもしれない。


誰も逆らえない。


未来は、突然、やってくる。
全てに置いて予測不可能。


また、物語は
時が遠くへと運ぶ。

時に運ばれた昔話は

運ばれる際に様々な気持ちや、周りの刺激により


美化される。(たまに、汚染される)


流れの速い川。
流れは絶えず、速度も変わらず。

その川の流れにより、
川の辺の土や岩は削られていく。

地面は動かない。
陸は広く、地に足をつけている。
まるで、人間のよう。


時だってそう。

動かない、今のこの瞬間を
速い川の流れのように、
素早く、流してしまう。


その川の流れに上手く乗れた人を
成功者

上手く乗れず、溺れかけた人を
敗北者

そのように世間はレッテルを貼る。


しかし、その2種類だけが存在するのではない。


人は、たまに川の流れに逆らいたくなる衝動にかられる。

立ち止まりたくなることもある。


そして、その時、気づくのだ。




動かないものの不思議さに。



話が抽象的この上ないけど、


時の正体が不思議で仕方がない。



人類最大の支配者だろう。


一瞬は、すぐに目の前から消え去る。


この時、この場所で、このようなコンディションで
このような気持ちで、こう思い、こう考える


上記を足して、今のこの一瞬が存在する。


何か一つでも、変化すると
それがもう過去になる。


今は、今でしか過ぎない。それ以上も、それ以下もない。

今の気持ち、今の行動、今の自分、今の貴方・・



全部の今を輝かせる必要はなく、
それは、不可能に近い。


この日に、一度だけ輝けばいい。

例えば、笑顔を一瞬だけ浮かべる
そんな些細なことでも。



今を大事に大事にしようとするが故に、
疲れてしまう。


大事にするという、あやふやな言葉のために。



今、やろう。
今、笑おう。今、話しかけよう。

それだけでよいのでは?


そう思うだけで、十分、価値ある『今』が存在するのだから。


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