海外スクールA 

2004年11月08日(月) 16時39分
そしてある日、会社の営業の男の人が「シノブちゃんて、英語得意だヨナァ、
俺の行きつけの居酒屋に、昔NYに10年位住んでたっていう親方夫婦がいるんだけど、
行ってみないか?」というお誘いをもらいました。

その居酒屋は、仙台のチョイっとしたビルの中にある小さな
「常連さん専用」みたいな居酒屋で、カウンター越しに親方やおかみさんが
相手をしてくれるようなところでした。

親方の手があいて、あたし達とおしゃべりが始まり、「ハジメマシテ〜」から、
「実はあたし、ネイルで留学したくて〜。バイトも始めようかなんて思ってて〜」みたいな、
何気ないトークをしていました。
なにしろ「留学」といっても、
あたしにはまったく蓄えがなかったからね。そしたらおかみさん
「え!?うちでバイトしたら!!?ちょうど探してたのよ〜。」
みたいに、急きょそこでバイト商談成立してしまったのでした。

あたしのシフトは、週2〜3回、仕事の後夜の10:00位まで、というものだったけど、
お客さんのいない時間はよく、親方やおかみさんからアメリカ話や、
あたしの夢を叶えるにはどうしたらいいかのお説教をもらったりしていました。

飲食店&お皿洗いのバイトでも、ネイルアートをやめろとは言わない2人で、
「よく描くもんだなあ」って感心してくれたり、
逆にアートが消えないようにとゴム手袋まで用意してくれたりしてね。

いろいろあって、最後は「ケンカ」のような状態で
そこのバイトはやめちゃったんで
徐々に現実に戻りつつあったシノブになっていきました。

(海外スクールは???って感じ

スクール決定 

2004年11月09日(火) 11時16分
さて、それからです。
ある日またふっと「スカルプチュア」についての、やりきれない思いが浮かんだか、
何か別な理由があってか忘れましたが
「スクールに通うぞ」と急に決意したシノブになりました。

いざ気持ちが固まると、とにかく行動しないと!! この気持ちが変る前に学校決めないと!! 
という性格だったあたしは1度、前に「生徒の練習台になりにいった」スクールへと
足を運んでみました。

カリキュラム、うんぬん、よりなにより、あたしは「もうスクールに通いたいんだ」という
気持ちが強くなっていました。
留学はとりあえず保留・・。

そこのプロネイリスト養成コースというコース説明を聞いているうち
いつのまにか契約書を書いてるあたしがいました。
今は何の本を見ても「スクール選びは慎重に」とか書いてるのにね。

なにはともあれスクールに通うんだ!! の気持ちはそこで叶えられ、
既にそのコースはスタートしていた後だったので、あたしは補習授業を何日か受けに通い、
コース生に追いつくことができました。
それからは毎週月曜、仕事の後に道具や教材をチャリに積んで
駅前のスクールへ通う、というスタンスを続けました。
一緒に受けている受講生とも友達になり、週1楽しいレッスンがスタートしていました。

あたしの場合は目的が何、とはっきりせずに入校したため、学校のコースが目指すのは
「受講中にネイリスト検定3級をとりましょう」というものだったので、
授業は検定を意識したものでした。

しかも、当時あたし達(何期生だったんだろう)を担当してくださる先生は、
あのエアブラシで有名なジーンラポートの小笠原 弥生先生
その東京校の先生(小笠原先生のお弟子さん?)だったんですよね。
コレは今でもかなりラッキーだったと思います。
スクールのよしあし・・それはその生徒それぞれの感じるモノや目的の違いもあるだろうし、
なによりネイルに対する思い入れがあれば、よっぽどのことが無い限り
差異はないんじゃないかしら。
(いいスクール出たらいいネイリスト、とは限らないと思うなあたしは)

まあというわけでスクールは、1講義も休むことなく通いつづけました。
行くたびに、いろいろな発見と、身につくものがたくさんあったなぁ。

ネイリスト検定3級 

2004年11月09日(火) 11時26分
検定が近づいてきて、スクールのレッスンもほぼ大詰めになりました。
(ネイリスト検定の詳細は別ページに書いています)

今や3級は、日本全国各地で受験できますが、当時は東京まで行かなければ
いけなかったのでした。
実技のハンドモデルさんを連れてね。

あたしのモデルは、当時仙台に引っ越してきてまもない実のお姉ちゃん。
あたしのアパートから、地下鉄で何駅か乗りついでお姉ちゃんのアパートへ行き
練習を重ねました。
当日はお姉ちゃん(面倒くさいから普段の呼び方にします)→愛ちゃんと待ち合わせ、
もちろん東京行きの新幹線代とかホテル代はあたし持ち。
(ね、ネイリストって貧乏なるのよぉ〜)。切符を渡して2人でいざ東京へGO!!

前日東京入りをしたあたし達は、赤坂にホテルを取っていたので、
近場の居酒屋でディナー。
それからちょっとお散歩して夜は愛ちゃんの爪を最終チェック。
あしたいよいよ検定ね★って、真っ赤な爪の愛ちゃんと仲良くzzz。

朝、悪夢がおきました。
朝起きて、「カチン」とトマトジュースの缶を開けた愛ちゃんの爪が折れちゃったの!

「あああああ〜〜!!!」と慌てて愛ちゃんの爪を見ると、
真っ赤なポリッシュがはげて、爪がちょっと欠けていました・・・。
本番には多少の長さの爪と、真っ赤に塗った状態で挑まなきゃいけないので
とりあえず修正、修正っ、って。

焦るとろくな事がなく、塗ろうと出したポリッシュがホテルの部屋のじゅうたんにこぼれるは、リムーバーはこぼすわ、あたしたちはギリギリにホテルを出発するハメに。
とほほ・・・。

試験会場は品川の大井町にある美容学校。
その近くのマック(てゆうかマックしかない)には、赤ポリッシュと道具を持った
人が1セットとなり、うじゃうじゃ受検者と思われる人たちがいました。

初の緊迫した状態でのネイリスト検定。緊張しないように、といっても無理な話で
最後のポリッシュ10本塗る時なんて、愛ちゃんが驚くほどあたしの手は震えていました。
残り時間ギリギリでトップコートまで塗り終えて終了。

結果は大体1ヶ月後、通知が届くのですが、あたしは合格できました。嬉しかったナァ〜。

美容室のヘアーショー 

2004年11月09日(火) 11時38分
検定も無事終わり、ちょっとノンビリしていた頃の事です。
これまたパナマの友達からのオススメで
「シノブちゃん、美容室のヘアーショウのモデルのネイリストやってみない?」

友達がパーマをかけにいつもの美容室で仲良しの指名の美容師さんと話してた時の事。
「今度ね、ショーやるんだよね」って話を聞いたんだそうで・・。

ショーのコンセプトを聞いて、友達が「じゃぁ、そのモデルさんのネイルとかもやっちゃったらどうですか?」と助言してくれたらしく、美容院側が「それは面白いかも!!」という
運びになっていったようなんですね。
もちろん、友達からその話を聞いたあたしは「うん!おもしろそう!やってみたい!!」ということになり、
事前打ち合わせでその美容院へ。ショー当日に使う衣装のポラや、イメージ、説明、そして時間等打ち合わせでした。

ネイリスト検定は終わったものの、スクールはまだまだカリキュラムがあって続いていたため、あたしはスクールでその友達たちに「ネイリストとして初仕事、してみない?」って
誘いました。結果あたしを含め、当日ネイリストは5名決定!!
詳細を説明し、日にちと時間と道具と、事前にチップを何セットか各自作ってこよう!
ということで、皆でワクワク当日を待ちました。

そして当日。それぞれの道具をメイクボックスに入れて集合しいざ出陣!!

美容室内は人、人、人でごったがえしていました。衣装を着替えたり、髪をセットしたり、
10人近くはいる美容室のスタッフさんに混ざって「ネイリストさんたち〜!!こっちこっち!!、
ハイ、こっちこっち、ハイもう1人!!」みたく、流れ作業でどんどん準備は進んでいきました。

・・・・・・ショーは夕方から会場で始まり、ネイリストたちは無料ご招待していただきました。
そういうショーをみるのは初めてだったんだけど、フリードリンク片手に、
前座ではゴスペルの合唱やらマジックショーやらいろいろ楽しいエンターテイメント
状態でした。そしていよいよメインのヘアーショー始まり始まり!!

もう、やまとなでしこ七変化(古い?)といった感じで、ステージの上で様々に変化していくモデルたち・・・。見た目目立たなかったけど、このみんなのネイルには、あたし達5人の作品もちゃんと存在してるんだよな、ってことが嬉しかった。

いい経験と、いいもの、見せていただきました。

思いがけない展開 

2004年11月09日(火) 11時52分
ネイルスクールもとっくに修了し、あたしのスカルプチュアのナゾも解け、
すっかりスカルプチュア大好きっ子になっていたあたしでした。

そして年末。毎年年末は秋田に帰省して過ごしていた(思えば仙台で年越ししたことは7年のうち1度も無い)
あたしは、今年最後の美容院!と思って、会社の近くの美容室にいました。
当時あたしは髪が結構長くて、その頃毎日思っていた「したいヘアスタイルNo1」は、
パフィーみたいな、くりくりのボリュームたっぷりのスパイラルパーマ。
髪が痛んでいるのでコレを落としたら短く切ろう、という覚悟でした。

美容師さんも「痛んでるから、かかるかなぁ〜」なんていいながら、一生懸命コイル状になっていくあたしの髪。
仕事帰りだったので時間も遅くなったけど、ちゃんとかかるまで根気良くやってくれたっけ。
(美容室名は、マーマレードスカイといってとっても可愛いオレンジ色がメインの美容室)

そしてふと話題がネイルに。

あたしのネイルを見て、だったかどうかは忘れたけど、そのかかりにくい髪に見かねて(?)、オーナーさんらしき男の美容師さんがきてくれたんだけどね。
「ん?ネイルやってるってことは、どっかで働いてるの?」
「いえいえ、昼間OLですからねぇ。」なんてたあいもない話から

「あれ?知り合いの美容室で、ネイリスト探してたナァ〜・・・、電話してあげようか?」

え!!!!マジですか!!!?みたいな、くりくりパーマになったあたしは「あのさぁ、うちのお客さんでさぁ・・・」と、
すでに電話をかけてくれてたその人の脇で、ドキドキしていました。
そしたら「ちょっと電話代わってくれる?直接話したいみたい」って。


「じゃぁ、年明けにでも一回こっちにきてみてくれる?」

ひょえぇぇぇぇぇ〜・・・・・・・なんだこの展開は!! と思い、あたしはパーマがかかった願いともう1つ、新年のお土産をいただいて秋田でハッピーニューイヤーを迎えたのでありました。  

美容室でネイリスト!? 

2004年11月09日(火) 11時55分
年明け、いよいよあたしはその美容室へと足を運んでみました。履歴書を持って。。。
場所は仙台駅東口(というと、駅裏になります。ヨドバシカメラ〜とか代ゼミとかが
あるところだよ)にある美容室。

でてきたオーナーさん(男性)は、ネイルスペースを新たに自分の美容室に取り入れたいと考えていたらしく、そのコンセプトや人材を考えていたそうな。
一番あたしの履歴書で目を引いたのは「フリマネイル」だったそうな。
そっか・・フリマやってよかったなあたし。

そして「じゃぁ次回、道具一式持ってきて、俺のネイルケアしてみてくれる?
実際にどんなものか見たいから」

はぁ。

そして「ヒューマンかぁ。こないだ断ったネイリストさんと同じ学校だね」という
プレッシャーまでかけられ、ちょっとあたしはひるんでしまいました。
たしかにスクールをでたからといって、検定をとったからといって、
それでOKというものではないことと、検定中心だったスクールが、
サロンワークにおいて果たして順応できるのか、
という不安は実はあたしも感じていたのでね。

とりあえず日を決め、あたしは帰路につきました。

スクールディプロマ

実技面接と合格 

2004年11月09日(火) 12時01分
当日、検定以来久々の緊張で、あたしはオーナーさんのハンドケアを始めました。

「思った以上に時間がかかるんだね
(美容師さんだから、手指の痛みがひどかったんだもの)、
ああ、やっぱりダメかぁ。。と思いつつ、例のクリスティーナ先生セミナーで
教えてもらった「ハンドマッサージ」を、
最後にゆっくりゆっくり、肘下から指先まで丁寧にやりました。

続いては女性の美容師さんの爪に「アートをしてみてください」。
いわれるがままにポリッシュを塗って、
お花のアートを10本。気持ちはなえてたけどね〜かなり・・。

終わって、オーナーさんがスタッフルームから出てきて一言。

「一緒にこれから、頑張りましょう、よろしくね」

「うそ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?!マジ?」 なんともいえない気持ちでいっぱいでした。
「いやぁ、マッサージがねぇ、気持ちよかったんだよね。アートも文句ないよ。
いろいろ面白い事、これから一緒にやっていきましょう!!」

・・・クリスティーナセミナー・そして朝までチュンチュン状態のアートチップ作り、
それまでの自分のネイル人生全てが合体してあたしに訪れた、ご褒美のようでした。

「まずオープンは4月って考えて、マメに打ち合わせしていきましょう」ということでその日は
帰りのタクシーで涙があふれたシノブでした。

Brightest Nailオープン 

2004年11月09日(火) 12時09分
打ち合わせも2度目位になって、オーナーさんより「佐藤さんは土日だから、
平日のネイリストさんを紹介します」と言われました。

彼女は仙台のネイルサロンで、ネイリスト歴5年というベテランの子でした。
かけもちで夜ホステスをしながらという事で、条件はクリア。
これで週日ネイリストが常にいる体制が整いました。

経験のある彼女(Aちゃんとします)はとても頼りになり、サロンでのノウハウや、
必要道具・機材・ネイルの材料の発注問屋まで教えてくれました。
あとはオーナーを混ぜて3人で打ち合わせしたり、椅子やテーブル、
照明器具の準備。シノブはOLだったので、パソコンを使って準備する物
(チラシやメニュー表、カルテ、名刺などなど)を徐々に買い揃えていきました。

Aちゃんと2人で、お食事しながら「2人」での打ち合わせもマメにしました。
まずはサロン名。あれこれ出し合って、「うん、それがいい!」と決めたのが
「Brightest Nail(ブライテストネイル)」 
Bright(輝き)の最上級、そのネイル・・・。なんて素敵な響きなんだろう!! 
(美容室では「ネイルはネイルで孤立したサロン名つけてやっていいからね」
という契約だったの)

それからメニューの内容、値段、施術の仕方の細かい打ち合わせ、
オープン日、オープンの記念イベント等々、
徐々に話は進んでいきました。毎晩、11:00位までは打ち合わせをしてた気がしますね。


1つ心配は、「実際にお金を頂いて、お客様に施術する、いわばサロンワークは
これが初体験」というあたしの技術についてでした。A子ちゃんにも相談して、
オープンまで練習したり、自宅で練習したりしてました。
でも実際やってみない事にはどうしても勝手がつかめないヨナァ・・・と、ちょっとオープン目前で
あたしはひるんでしまっていました。「逃げたい・・」とね。

とはいえオープン4月1日!! めでたくわがBrightest Nailはオープン!! たくさんのお花と、知り合いがオープン記念に駆けつけてくれたのでした。

うちのママからは(秋田からは)、ハンドケアの時に使うお湯を沸かす「電気ポット」をもらいました。
「やるっきゃないなぁこれは!!」(^0^)

オープン時並べたポリッシュ達

検定2級合格 

2004年11月09日(火) 12時23分
そんな中、今度はネイリスト検定2級を受験する事にしていたあたしでした。
修了してしまったスクールでは「2級対策コース」というものを開催すると聞いていた
のですが、何しろギリギリの金銭状況の中、追加講座をとる余裕なんて&
時間的にもあたしにはなかったのでした。

とりあえず要項をもらって申し込んだものの、前回モデルをしてくれた愛ちゃんからは
今回の検定モデルは断られ、前の日ギリギリに昼の仕事の職場の看護婦さんに
急きょモデルになってもらうことになり、ろくに練習も勝手も分からないまま、の受験でした。

今回は3級と違って仙台で受験ができるようになっていたので、2人で前の日練習をして、
そのまま会場へ。

3級の種目にプラスでラップ(爪の修理する技術)と、ネイルアート1本、という
種目が増えるのが2級。(その頃はね)
時間内に終われない・・・・と、ホント終わった瞬間は「また秋に受けまス・・・」
という手ごたえのないボロボロのものでした。

ところが、なぜか1ヵ月後、あたしに届いたのは「合格通知」
なんでだろう〜なんでだろう〜。ぶっちゃけ最後のトップコート、
間に合わなかったのに(時間オーバーしたらいくら上手くても落ちるのよ。
ポリッシュの輝きが良かったのかしら・・・ホ)

初めての壁とCherryさんとの出会い 

2004年11月09日(火) 14時12分
サロンオープンから、1ヶ月ほどたち、すっかり平日・土日をフルで働くようになってました。
結局あたしは、技術的に「サロンワークとしてのネイル」が困難な状態でした。

2級はとったとはいえ、どうもA子ちゃんとの技術に差を感じていたし、
日本ネイリスト協会派のあたしと、A子ちゃんの前職場の、「ニューヨーク州スタイル」
とではどうも違いがあったし、もちろんキャリアも技術も比較にならなかったし・・。

私は自分に自信がなくなっていたばかりか、昼の仕事が終わった後にサロンで練習、
なんてものもせず、ただチップを描いて
お客が入るとびくついて・・の繰り返しでした。

これじゃいけないなぁ。。。と悩みました。
である日、ネットサーフィンをしていたら「仙台市泉区(仙台では北の方です)」に、
マンションの1室でサロンとスクールをやっている人のHPを発見したんです。
「へぇ〜」と思って、何気に見入っていました。

彼女のプロフィールを見てこれがまた、あたしが以前、数ある海外スクールの資料集めをしていた時に「いくならココがいいナァ」とひそかに思っていた、サンフランシスコのビューティースクール、そこが彼女の出身校だったのがもう決め手
あたしは何かの縁を感じ、さっそく彼女に会いに行くことにしました。

彼女はチエさんといって、とても気さくな人でした。あたしよりも2つか3つ年上の。
あたしがサロンを始めた事、今の自分の技術、サロンでの自分の至らなさ・・・。
彼女は「じゃぁさ、少しの間うち来てみる?いいじゃん、スクールの事でたとか検定取ったとか、そいういうのは忘れて、1からやり直し!!くらいの気持ちでやってみな」って。

あたしは迷いませんでした。ここで何かが変わるような気がしていました。

「じゃぁ毎週金曜日、仕事が終わってから(そこへは地下鉄で20分くらい)ってことにしよっか!」

ということで、あたしはCherryさんの下で修行し直すことに決めたのでした。