秋田→仙台生活 

2004年11月06日(土) 11時13分
仙台生活は、当時(20歳)付き合っていた彼氏との、1年半にわたる遠距離恋愛に耐え切れず(と言う事にしといて下さい)、その時にバイトしていたカラオケ屋で一緒だったマキちゃんと「いっちゃおうか!!」って事で急きょ決定した引越しから始まりました。

あたしもマキちゃんも、ちょっと前に仙台には住んでいたことがあって、お互い
目的は違えども「もっかい仙台住みたいねぇ〜」って気持ちでは居たんだけどね。

そうなってからは、マキちゃんと仙台での職探し・部屋探し(ほとんどマキちゃんに頼ってしまった)から、とんとんとあっという間に準備が整っていき、引越しの日を迎えたのでした。
(タイミングよかったのかナァ)
当初、あちこちから「友達同士でのシェア暮らしなんて、
もって2ヶ月か?!」なんて言われながらね。

結果的にあたし達は5年、一緒に暮らしたよね〜・・・。
何で!?、って聞かれるといろいろ理由はあるんだろうけどそれは
たまたまあたしが「相手に恵まれていた」とでも、言っとこうかな♪
しみじみ振り返ると、いろいろあった5年(楽しい事も、悲しい事も)、
でも、今になって思うことは、「相手がマキちゃんでヨカッタ」って事カナ?
これは、これから例えば「友達と一緒に暮らしたい」とか、そうする予定のある
人にとっては何の役にも立たないアドバイスだけどね(^O^;)

ネイルに目覚めた日 

2004年11月06日(土) 11時15分
仙台生活も普通に順調に過ぎていった頃、悲しい出来事は起きました。

あたしが「仙台に行くんだ!」と行き勇んでいく理由になった当時の彼氏と、
別れることになってしまいましてねえ

秋田に居た時から仙台に行ってからも、あたしは彼が大好きで、シアワセで、
楽しい毎日を送っていたのは確かです。
でも、多分今思うと、「あたしも若かった&お子ちゃますぎたなぁ」って(笑)。

マァ、それはいいとして。辛かったけれど、マキちゃんや友達の存在も大きくて、
「秋田に帰ろうかな」と思っていた気持ちもなくなっていき、
仙台で今までどおり過ごしてました。

で、とある日、ひさぁしぶりにコンビニかどっかで買った、安ぅいポリッシュ(ポリッシュ=マニキュアのことです)を爪に塗り塗りしていた時の事。
「彼と付き合っていた時は、こんな事にすら興味なかったナァ」なんて思いながらね。
(なにせ趣味が「彼氏です」、頃でしたから・・・。)
別なカラーを取り出して、特に何の意識もなく、お花をちょんちょんって
お遊びで描いてみたんですね。

・・・・・・・・・・・・・びっくり!!!その時すごくびっくりしたんですよ。
「へぇ〜〜〜!!爪って模様描くと、こんなに印象変わっちゃうんだぁ〜〜!!!???」みたいな、
今までにない感動がぐわぁ〜!!っとこみ上げてきたんですよね。

もともと、そういう細かい事とか、手紙書くこととか、
絵描く事とかは好きだったあたしなので、そこから興味が沸いてきて

・・・・というのが、目覚めのきっかけです♪

通信教育でネイル 

2004年11月06日(土) 11時50分
で、時期を同じくして、とある雑誌で「ネイルアート通信講座」というものを
見つけてしまったの。
心は決まってたんだけど、そういう「ちょっと決心したい時」→マキちゃんに話すと
「やってごらん♪」って背中を押してくれるのが分かっていたあたしは、
「聞いて!!こういう講座があるみたい!!」って、仕事帰りのマキちゃんと、
マキちゃんの大親友(あたしも☆)のいる隣の部屋に走っていきました。

「へぇ〜!!やってごらんよ(^。‐)‐★!!」・・へへへ、案の定、しかも2人に背中を
押してもらい、早速申し込み!!


・・・・・・講座自体は、道具と、ビデオと、テキストが送られてきて、
アートの課題(確かフレンチ・デコレーション・ペイント)を学校に送る、
評価が送られてくる、修了、みたいな「え!?それだけ?」みたいなものだったけど、
何とかまぁ、ネイルアートって、アクリル絵の具で描くんだな、とか、
ひととおりのネイル道具がそろったかな、位の収穫でした。

講座の料金とは別に
「アナタはめでたく修了しました。あと5千円でディプロマ(修了書)を発行しますヨ」
という通知が届き、「はぁ?5千円?!・・・・・・・ボッタクリじゃないのか、コレ」・・・・と、
ちょっとした不信感と、せっかくだしもったいないかなぁっていう気持ちとで、
結局5千円払ったあたしなのでした。

あっぱれソニプラ 

2004年11月08日(月) 12時28分
ネイルに目覚めたシノブは、通信教育も終わり、すっかり「ネイルグッズ」に魅了される毎日を
送るようになっていました。

その頃あたしはメインでは、派遣会社の派遣先の会社でOLをしていました。

当時仙台のソニプラことソニープラザは、一番町の「141(イチヨンイチ)」という
ファッションビルの中にあり、もともとそこはアメリカン雑貨が豊富な所なので
大好きだったんだけど、そこにある大量のネイルグッズを入手するのにハマリ出して
いました。

実際輸入品ばっかりで、ネイルの本場アメリカ製品がたくさんだったので
「コレは一体何に使うんじゃ?」とかいうものまで沢山ありました。

当時使用していたポリッシュは、ドラッグストアでは「KATE」シリーズ、
ソニプラでは「MAVARA(マヴァラ)」とか、あとちょっとした雑貨屋さんで
「VOGUE(ヴォーグ)」というメーカーのポリッシュを半額処分しているところに、
会社のお昼休みに出くわして、そこにあるポリッシュを全部買い込むということもありました。

にしてもソニプラ、懐かしいナァ(秋田にはナイもんね)・・・。




ネイル講座めぐり 

2004年11月08日(月) 15時52分
そうそう、言い忘れましたが、当時の仙台は今ほどたぶん、サロンもネイルスクールも
そんなになかったように思います。

そんな時、仙台のフリーペーパー(OLしてると会社に定期的にくるヤツ)で
ネイル講習会を発見。
それはお化粧品やサンの中にネイルバーがあるお店の1日講習会でしたが、
その後も某ネイルスクールで、そこのスクール生による1日講習会
(要は生徒の練習台だったようだ・・・)、何だか「あたしをネイルが呼んでいるぅぅ〜♪」っていう気持ちになっていきました。

そんな中、ひときわ「おおぅ!!★」と目を引いたのは、とあるやはり「美容系」の会社が主催で、アメリカ在住の先生によるネイルケア講習会というものでした。

それは今までの1日講習会とはまた違い、費用も¥40,000(くらいはかかったはず)
とかいう、何となく本格さを感じさせる講習会でした。

今思うと「すばらしい先生」だったんです(クリスティーナ池田先生という、有名な先生)が、
当時は何もわからず、「NY在住か〜・・いいなぁ・・・」とか思ってました。
先生の爪にはフレンチネイルのスカルプチュアが施されていて、
ものすごい衝撃を感じたのを思い出します。
当日の生徒はあたしを入れて4人。そこで初めて「ニッパー」や「フィンガーボウル」や、
ネイルケアにつかう道具はほとんど配布されました。

初めて手にするものばかり・・・。

自分はネイルアートしか知らなかったから、「ネイルってこういうこともするんだなあ」って、
あっという間にその日の講座は終わってしまいました。

数日後、エアメールで大きな荷物が届いて、中を開けるとパネルに入った
ディプロマが入っていました

あたしの名前も当然のことながら「Shinobu Sato」なんて横文字になってて、
「ひょえ〜かっこいい★」って感じでした。

趣味のチップ作り 

2004年11月08日(月) 15時59分
すっかりネイルのとりこになったあたしは、昼間の仕事が終わって家に帰ると、
チップ描きをする毎日が続いていました。
その頃はネイル雑誌とか、Happie(ハピー)のネイルmaxとか、
後は自分の自由な発想で、ヒマさえあればネイルチップ作り、という夜を過ごしていました。特に週末は、やりだしたらいつのまにか「チュンチュン」・・あ,朝だ・・・。
みたいな生活でした。

当時一番「今をときめくアート」といったら、ギャル最盛期の頃だったので
「ハイビスカス」とか「プルメリア」とか?だったような。
渋谷109の「ロコネイル」が、一番取りざたされていた頃だったかなぁ〜。
あたしのアートは自由〜でしたねぇ
自分が吸っていた赤マルボロのネイル、とか。


そんな中、「あたしって細かいアートほど燃える」って事に気づいて、
何気なく「千代紙アート」っていうのを思いついたんです。

きっかけは忘れたけど、描いてみたら「おお、なかなか上手く出来たんじゃん?」
なんて。で、ネイルmaxの「みんなのアート大募集」っていうコーナーに送ってみました。
本の発売日が待ち遠しくて、「掲載されてたらドウシヨウ(←勿論期待大)」
なんて思って過ごしていました。そして発売日、そのコーナーをおそるおそる見てみると
「きゃぁ〜ん★載ってるぅ〜!!」

でも、あれ!?」・・・・・「仙台市 佐藤忍」なはずなのに「福島市 佐藤忍さん」、って、
オイオイ・・・・。どこのあたしよ。
でもアートはまぎれもなくあたしの千代紙ネイル。
ちょっと嬉しさ半減だけど、かなりあの事があたしに「自信」をくれたっけなぁ〜さらに。


定規で爪を・・・ 

2004年11月08日(月) 16時09分
あたしがネイルを始めるも始めないもまだ全然無かった頃の話です。

あたしは仙台に引っ越してきて、英会話スクールで1年働いた後、
派遣会社でその時の会社に勤める事になったわけですが、
英会話スクール時代と違ってやはり「会社組織」「OL」というのはなかなか
慣れるのに時間がかかりました。(何しろその前はカラオケとかケーキ屋とか
ばっかだったしね)

会社でもまだ勤めて間もない頃、めったに無い事爪にポリッシュを塗ったまま
出社した日があったんですよ。
今思うと別にだからって何?なんだけど、はじめはかってが分からないから怖いじゃない?

会社で制服に着替え、さて仕事につこうとした時「はっ!」と思ったんです。
「やばい!」って。
自分の爪がどうみてもピカピカオレンジ。「うわぁ、怒られる!!」って。

あわてて定規を片手に、給湯室へ。そこであたしの取った行動は・・・・・・
ガリガリガリガリ・・・・・・・・・そうです。爪の上のカラーを削りだしたのです。
今思うと、「お昼までなんとかやり過ごして、お昼休みに近くのドラッグストアででも、
携帯用リムーバー買えばよかったジャン」なんですけれども、ね(笑)。
ボロボロになったあたしの爪。かわいそうだったナァ・・・〜。

それから数年してあたしがネイルを始めるようになってからは、所長どころか
たまに本社からいらっしゃる社長まで「どれどれ今日の爪はどんな感じなんだい?
ニコニコ」って。そんな感じでした。そのたんびにあの時のガリガリが、
懐かしく心で響いていました。


爪を定規で、なんて・・・
絶対しちゃだめですよ!!

フリマに出る!! 

2004年11月08日(月) 16時14分
チップ描きもどんどん順調に楽しくなっていった頃でした。
仙台でパナマボーイという古着屋に勤めていたお友達とお茶してて
ふと「シノブちゃん、今度榴ヶ岡公園で、こんなのあるみたいだよ」と
1枚のフライヤーをくれたのでした。

それは、とあるフリーマーケットの開催と、出展者募集のフライヤーでした。
仙台でもよく大きなフリマはあったけど、今回のそのフリマのコンセプトは、
ズバリ「手作りの物や美術品・作品を出展する」というものでした。
ほほう、面白そうだなぁ確かに・・。
しかもそのフリマは今回が初の試み、というもの。へぇ〜楽しそう!!

あたしはとりあえず問い合わせ先に問い合わせ、エントリーをして、いつにも増して作品作りに精を出し始めました。
あたしが考えたのは、当時はやっていたサーフィン形の小さなコアウッドにアートをし、
キーホルダーのチェーンや携帯ストラップの部品をつけたアクセサリー、
それからもちろんネイルチップの10本セット、後はその場でネイルアート、というものでした。
とにかく描く、描く、描く!!みたいな毎日♪

当日はネイルとは全く関係ないけど「うわぁあたしもついて行く〜」っていってた
友達を連れて、2人で大荷物を運び込みました。

ネイルってまったくばかでかいスペースも要らないし、
テーブルと椅子さえあればできちゃう。
ワクワクでした。思った以上に作品は売れてくれたし。
初めて自分のネイルでお金をいただいたような、くすぐったい感じでした。

終わった時はくたくただったけど、すごく充実した経験になりました。(仙台ではあれ以来、毎年春と秋に行われているようです♪
その後、フリマを主催したところから電話取材を受けて、発行された仙台の本に載りました。
あたしが一番大きく載ってたんだ♪ルン

恐怖のスカルプチュア 

2004年11月08日(月) 16時23分
スカルプチュア(特殊なリキッドとパウダーで作る人工爪)に興味を持ち出したのは、
雑誌を見ているときでした。

頭では分かっていても、
「チップじゃない人工の爪を、パウダーで?リキッドで?筆で?」どんなもんなんだろう。

そうこうしているうちに、得意のソニプラで「自宅でスカルプチュアセット」というものを
見つけてしまったから大変。
「コレでやってみよう!!」ドキドキわくわくのあたし。

今となっては、リキッドの量もパウダーの量も、それが混ざって出来る
ミクスチュア(固まる前のプルプルした状態のものね)の堅さも、のせる厚さも、
何もわからなかったもんだから、とりあえず爪にフォームをはめて
「ほほう、この上にミクスチュアをのせていけば固まってくるんだな」と、
知識ゼロで取り組み始めました。まずは人差し指1本でお試し〜・・・・

「・・・・・・・・・・・・なんだこれ」
・・・・・・・初めの感想。爪の上に、ブ厚い不透明のでこぼこの塊が。
爪ではがそうとしてももうはがれない。
「ミクスチュアが固まったら削って表面を滑らかに・・・」説明書を読んで、
なるほど、これを削って磨けば爪になるわけね。シャコシャコシャコシャコ
・・・・・・・・・「何か・・・爪痛い・・」ハッとしました。
もう遅かった。

あたしはミクスチュアの下の自分の爪まで、一生懸命削ってしまっていたのでした。
みると自爪は真っ赤に、しかも表面はペラペラに薄くなっていて、
上から「ツン」と触れただけで「痛い!!」

・・・・おそるべし、素人の怖いもの知らず、という気分でいっぱいでした。
筆を洗うリキッドなんかもしらなかったので、筆はカチンカチンに固まり、再生不可能。
・・・・あ〜・・・無駄遣い。
こうしてあたしのスカルプチュアセットは、闇へと葬られたのでした。

海外スクールその@ 

2004年11月08日(月) 16時27分
あたしはスカルプチュアにすっかり自信を無くし、今までどおり自爪にアートをしたり
チップを描いたりして楽しんでいました。
別にいいもんね、でも、ほんとはドウヤルンダロウ???なんて思ったりもしたけどね。

ある日、またパナマのお友達と会社のランチ一緒にしながら
こないだあったスカルプチュアの失敗談や、ネイルの本場ってアメリカだからさ、
説明書読むにしても何か過去にあたしが英語バカで良かったよぉ〜みたいな
話題になっていきました。
そのうちふっと、

「そっか!何か今って、過去のあたしと今のあたしが合体したみたいだ!!?」って
感じるようになりました。
友達も「そうだよそうだよ!!」って言ってくれて、何となくあたしは、
例の別れた彼氏の別れ際の捨てゼリフを
思い出しました・・

「お前さぁ、俺と付き合ってから、大好きな英語もやめて、英会話スクールの会社もなくなってさぁ。あの頃みたいに
何かに打ち込んで頑張れよ」

あたしは、はっと何かに目覚めました。ランチを終えて会社に戻り、
仕事をしつつ「海外のネイルスクール」をネットでこそこそ調べてました。
そうです、心の中に
「どうせスクール通うなら、過去の夢、アメリカ留学と合体させちゃおう!」っていう
気持ちが芽生えていたのでした。

その頃からだんだん、仕事しながらカリフォルニア州(ロスとサンフランシスコ)と
ニューヨークのビューティースクールを「WEB イエローページ」で検索し、
エアメイルと返信用の封筒と、簡単な資料請求の手紙を何10通も
送る日々が始まりました。

数日するとあちこちの海外のスクールから案内や資料が届くようになりました。
一番親切で感じのいいスクールが1件サンフランシスコにあり、
「行くならここがいいな」なんて、勝手に思ってましたねぇ。

届いたスクール資料たち
続く・・・・