メール

August 17 [Thu], 2017, 10:26
メールに支配される、ってつくづくいやな、無駄な時間と思う。
時間は大切なもの。
自分にも、他人にも。
だから、書き言葉には気を付けなくてはいけない。
読み返せるから。
容易に、不本意に人の心を乱せるから。

そして、初めから筋書きは決まってたみたいに、ありきたりな、想定内の、平凡な終着点があった。
あっけないほど。私の方がせっかちだから、もう少し引っ張っていたとしても結論はきっと同じ。でも、一人で頑張って結論出せて、とりあえず良かった。人として、今を生きる人として間違いは犯してないと思う。
まるでフランス映画みたいな、まるで『隣の女』みたいな熱い感情が何年か前にあったというなら、また話は違うのかもしれないけれど。
文面から最初から見えていた事があった。この人の崩せないプライド、この人の、この人自身も気付いていないかもしれない逃げ腰、ピュアだと言えば全部が美しくなる、もうそんな年齢じゃないでしょう。
きっとこの人にもちゃんと着地点は見えていた。私にそこまで誘導してほしかっただけ。「ずるさ」とまでは言わないけど、最後まで引き受ける覚悟も、最後まで行ってみせるという熱さも感じない。
だから、私はこの人に、あの頃引き寄せられなかったんだと思う。結局「最後は自分が一番」(それは誰しも当たり前にそうだけれど)が透けて見えてあまりにも簡単に透けて見えて、こんな何十年後の告白を聞く身にはシラケる…もう少し夢をみせてくれなければ、こちらもどんどん冷静になるばかり。あの頃の情感にだけ引きずられる私ではもうなかった。
物事を前に進めようとする時、カッコ悪さも引き受けなきゃいけない時がある。そしてそこから始まる地味で淡々とした「生活」を引き受けなきゃいけない、継続と忍耐、とふてぶてしさ(笑)なのかな。
私が隣にいる人に「あの頃は、幸せだった?」と聞いたら「あの頃は、夜になると別れて家に返らなきゃいけなかったけど、今はずっと一緒にいられるから今のほうが…」と答えた。
この言葉は、この何十年何度も聞いたけど、昨日は胸に響いた。この人といた人生で良かった、この人と続いた人生、これはこれでたいへんだったし、今もたいへんだけど、他人にたいへんな顔をみせなくちゃいけないほど苦しんでいないだけでも、良しとできる。一緒に乗り越えてきたし…としみじみと思った。

メールって所詮手紙よりも、何よりも簡単なツールだ。そこに乗っかって何かを伝えようとすることに憤り。ネガティブな感情や、遠い昔の伝えきれなかったというとりとめのない感情を、どうしてメールで伝えられるとして相手にぶつけるのだろう。そこに甘えがある、「読め、理解しろ」という強制がある。
温かいもの、伝えるべき情報のみ、メールに載せられるもの。

答えなど出ない

August 02 [Wed], 2017, 10:49
勇気を出して何かを提案したり、心にしまっておくのが苦しくて、思わせぶりなことを言ってしまったりした後で、あれこれ思い悩む。
言わなかったら、言わなかった自分を責めたり後悔したり。
今のこの国の息苦しさの中で、
無邪気に生きてる人なんて、いない気がする。
特にこんなに人が群がるように暮らす街だったら。
用心深く、耳をそばだて、得をしないまでも、損をしないように生きている。
人と真正面からぶつかることを避けて、知らず知らずため込んだストレスに押しつぶされそうになって。

彼女の意図は「いい人でいたら、損をする」ってこと?
「私がやります」と手を挙げて、いざやる段になると投げ出したり、キレたり。
「大人になれていない」と彼女を評した人。ただ、そうは見えないところが曲者で…私が見る初めてのタイプかも。自分を抑えて爆発して、周りはもう驚くばかり。
彼女にとって、一体あのグループにいる意味があるのだろうか。
これからどう接していけばいいのか。
答えは出ない。

Iwanami 90周年

July 21 [Fri], 2017, 14:24

「わたしと岩波文庫の出会い」

白いトルコ頭巾、真紅のマント、ラクダにつけた銀の鈴の音・・・。広大な砂漠を渡ってカイロに向かう隊商の一団の前に現われた謎の男ゼリム・バルフ。さっそく仲間に加わった彼の提案で、休息地ごとに商人たちが摩訶不思議な物話を披露していく。十九世紀ドイツ人作家ウィルヘルム・ハウフ作『隊商』は、今はもう岩波文庫のリストにはない。 

この作品を初めて読んだのは確か高校一年の夏休み。カサカサと音を立てる乾いたパラフィン紙にくるまれた古びた一冊の本。それが私のとって初めての岩波文庫だった。小学校高学年の頃から、毎夏一人で電車やバスを乗り継ぎ母方の叔父の家を訪れていた。生真面目な両親の下で育った当時の私にとって、好きな映画や本について熱を込めて話をしてくれる叔父の存在はたまらなく刺激的だった。

ただただ楽しく一週間ほどが過ぎる頃になって宿題の感想文の話をする私に「これならすぐ読めるよ。」とこの本を手渡してくれた。

そんな叔父も、亡くなって二十二年が過ぎた。『隊商』は、一九七七年に岩波少年文庫に移った、という歴史を知って、近くの図書館の書架にひっそりと並んでいる背表紙の中に懐かしいタイトルを見つけた。

ストーリーは,と言えば魔法のランプも大魔神も出てこない。子どもの童話という枠を超えた伏線と展開。あっと驚く仕掛けはまさに叔父の大好きなどんでん返しである。

戦後間もない時代に少年期をすごした叔父にとって、きっとこの本は、創刊の言葉の中の、『豊かな水分』や『明るい陽光』そのものだったに違いない。その意味で岩波少年文庫はこの物語に最もふさわしい場所だった、とも思う。『幸いというものがどんなにたよりなく、富というものがどんなにはかないかを知りました。』登場人物たちの言葉が、叔父の亡くなった年齢を過ぎた私には、人生の苦みを含んで響く。国も時代も越える普遍性、これこそが古典と呼ばれる作品の持つ力だろうか。
死と隣り合わせの過酷な旅だからこそ、人を信じることの難しさと信頼を得る喜びがある。『ほんとに、知らないうちに午後がすぎてしまった。』長いあごひげをさすりながら物語の余韻に浸る商人たちと、いたずらっぽい笑顔でうなずく夏の日の叔父の姿が私の中で重なった。

イーグルス

July 21 [Fri], 2017, 9:26
Take It Easy - Eagles

Well, I'm running down the road
tryin' to loosen my load
I've got seven women on
my mind,
Four that wanna own me,
Two that wanna stone me,
One says she's a friend of mine
Take It easy, take it easy
Don't let the sound of your own wheels
drive you crazy
Lighten up while you still can
don't even try to understand
Just find a place to make your stand and take it easy

深夜のラジオで、イーグルスの『テイク・イット・イージー』を聴く。
なんでもない、音も良くない、昔ながらの小さなラジオから流れてくる曲は、歌詞もメロディも力強かった。
知っているから、懐かしいから、だけじゃない。
雑踏の中にいたとしても、微かな音量だったとしても、届く音。
一音目のギターから持っていかれる。「これは何なんだろう」、この感じ。
ちょうど映画『男と女』の世界のような、まるで偶然出来た、かのようなみごとな調和、自然さ。
この詩をまだ10代だった自分が、半ばヤケみたいに、その時のやさぐれ感?かな、年賀状に引用したことが
今となっては、必然、のような気がしてしまう。
理想を追いかけては疲れてみたり、勝手に好きになったり嫌いになったり…
真面目になったり、ふてくされたり。
そんな自分の今までを振り返ったら、やはりあったのはこの詩の中の『自分をすり減らすな、肩の力を脱いていこうよ』みたいなこと…所詮、酔っ払ったり恋をしたりって弱い、ヘタった自分と似たような仲間との日々、そんなに大上段に構えるなと。
今の自分に、こんな古い歌が、遠くからメッセージをくれた。
30年前もそうだったな。生で見たジャクソン・ブラウンが、私の中の何かを呼び起こした。上手く言葉にできない、『決して否定されない温かい気持ちを持ったまま生きていっていい、私』を感じる。誰も私を否定しない、温かい場所が欲しかった。「自分という人間は、唯一無二の貴重品」という言葉をよく読むツイッターの中に見つけて、心にしみたこと。
何度となく、このフレーズを繰り返すと温かみが少し取り戻せる。
やはり、誰にも傷ってあるんだな。それを見てみぬフリをせず、自分で手当を時間をかけて、血が吹き出しそうになったら、また手当をする、くらいの扱いをまず自分にしなくちゃね。キズつくことに敏感になろう。まずはそこから始める。

こんな朝は

May 15 [Mon], 2017, 12:03
アリダ・ヴァリの出演するヴィスコンティの映画。この年齢だけ重ねた貴族の女性の初恋みたいな情事を見ているのが辛いんだなあ…
盲目なのはわかるけれど、こんな純情さは痛々しいまでに惨めである、と感じてしまう。最後までみていない映画。ヴィスコンティの映画ってどれも豪華絢爛な雰囲気中で、胸をかきむしるようなドロドロした感情むき出しの人間同士の葛藤を描いている。
お金も暇も腐るほどあるからこその、ピュアすぎるむき出しの感情が見ていられないほど痛い、のだ。
愚かで、惨めで、自分勝手で、大人げなんてない。
大人、なんて結局後付けの殻でしかない。
午前中のスーパーのレジは、赤ちゃんを前抱っこして袋詰めする若い母親がたくさん。
堅実で真面目で、道を踏み外したりしない。守るべき小さな命を大切に、日々を生きている。息苦しい社会でも、不平を言わず淡々と。私もかつてそうだったように。

今まで

May 11 [Thu], 2017, 17:50
反省、後悔とは無縁。
振り返らず来た道。
今までよくやってきたよ。
これからも今まで通り、でいいんだよ。
楽しいことを見つけて、楽しんでいこう。
なかなか見つからない時もあるけれど、特に新しいことに挑戦することもない。
自己流でいいか。
料理も、家事全般も、趣味も全部世の中の主流から外れていたとしても、照れることなく、勇気を持って。
身体のことはまた調子の良くなる時も来るさ、と。
何もできないわけじゃない。出来ることを…

日常

May 10 [Wed], 2017, 14:26
どこも痛くない、ってありがたい。妙な不調や恐怖感や…まだまだ時々感じるけれど、以前よりずっと少なくなった。少しワインも飲めるようになった。
何もかも、身体が自然に動くことからしか始まらない。
自分があまりにも人目を気にして、したくないことを
無理して(無理をしている自覚もないのだけれど)やっていることにも気付いた。
この半年、ずいぶん用事を断った。でも私は社会から追放されたりしていない。誰も私を嫌ったり(表立っては)していない。
こうしたことを学ぶべき時期だったのかもしれない。
時には好きなように、してみること。好きなように。
立て続けに2週フランス語を休むけどそれもいいかも、と思う。気ままにしたい。少しだけ…とあえて振る舞うこと。
『ここぞというときこそ照れないように。人の目を気にせず行動できる勇気を持つことです。』という松浦弥太郎氏の言葉が心に染みる。そして、自分のした辛い経験が同じ経験をした人の気持ちを理解することに繋がる、ということも。

クレオのように

March 27 [Mon], 2017, 0:31
『5時から7時までのクレオ』1961年制作の仏映画
冒頭のシーンからとてもスタイリッシュ。タロットカードの大写し。画面にタイトルロールが重なる。このシーンだけがカラーだったと後で気付く。カードが指し示す過去、現在、未来が語られ、クレオのプロフィールもこの映画のラストまでもが予言されているという、作りになっている。
今の日本で言うなら、藤原紀香か米倉涼子か、みたいな大味な感じの若い女優さん。この人がクレオ…か。
ゴダール映画によく出てくる女優さんのような演技や演出を想像して、「わあ苦手…」とばかりに、初っぱなから気が重くなり、時々画面から目がそれる。苦手な部類を早めに予測して拒否してしまう、せっかちな私の悪い癖。
その後も、「どうも自分は悪い病気かも…」と落ち着かないヒロインは、誰とどこで何をしていても不安で仕方なく、泣いたりわめいたり…パリの街の喧騒は、そんな彼女のどんな感情も吸い取って、いつもと変わらない。
途中、帽子屋さんに寄るシーンなど重ねられるエピソードがなかなか良いな、と思いながら見る。
中盤以降、免許をとったばかりの女友達の車の助手席から降りて、一人モンスーリ公園に向かうあたりから彼女の表情や彼女の振る舞いに徐々に引き込まれていく。
それまでは、一人になるのがこわいと思っていたのに、黒い服に着替えウィッグを外したら彼女の輪郭がくっきりと見え始めた。このあたりで流れる音楽は印象的だった。
そして、そんな彼女にさり気なく話しかけたのが、休暇中の兵士だった。何気ない会話から、過酷な戦場へ今夜戻っていく彼にもまた、『確実に来る明日』なんてないと知る。少しおしゃべり気味な彼とバスに乗り込み、やっと2日前の血液検査の結果を確かめに病院へ向かう勇気を持つクレオ。
彼と一緒に結果を聞く、クレオ…あっけない幕切れ。彼は涙を流しているようにも見える。冒頭、お人形のように見えていた彼女が、病気に立ち向かおうとする人間味ある存在としてそこにいた。
これまでの、軽くて華やかな日常と、結果を待つ間味わい尽くした「非日常の時間」
世界中で、ただ一人、自分だけが死を間近に感じているようなヒリヒリした孤独な2時間…。

人は時間の経過ではなく、経験の深さによって大人になるのかもしれない。
このクレオの複雑な感情の流れ、を丁寧に追いかけられるのは女性監督ならではの感性なのかもしれない。最後まで見ると、無駄なシーンなど一つもなかった、と。そして、どこまでもスタイリッシュで、だから、時代を超えて響く映画に、なってる。決して古びることなく。
さすがフランス映画!これは私のいつかの、いつの日かの、心象風景でもありえる、と思える映画だった。

映画感想

February 22 [Wed], 2017, 22:53
『ピュア』(2009,スゥエーデン)
初めてのスゥエーデン映画。スゥエーデン語の響き、は特別な感じがなく自然に耳に入ってきた。
『リリィのすべて』でアカデミー賞助演女優賞をとった女優さんが主演、ここから注目されていったらしい。
北欧→ゆったりとした生活、豊か…という貧しい、ステレオタイプの私のイメージを覆される、女の子の過酷な人生。
母親が入院し、ボーイフレンドの家から追い出され、背伸びした恋に破れたら、一気にホームレス生活…過酷すぎる。公園のベンチ、トイレでの洗面、図書館…ここから結末への展開は、そして結末は決してハッピーエンドと一口で言えないし、支援員の彼女は「あなたは本当に努力したわ」と褒めてくれたけど、この先彼女は本当の意味で幸せに生きていけるのか、疑問だ。アリシア・ヴィカンダーの演技は、熱を帯び、切なく胸に迫る。仕事を得た喜び、自分を認めてくれた人への笑顔。ああわかるなあと思う、自己投影できるということは、「カメラワークの良さ」もあるのかなと感じた。彼女の出た『りリィのすべて』、『ジェイソンボーン』もまた見てみたい。

映画 感想

February 20 [Mon], 2017, 10:53
WOWOWで、『ディーン君がいた瞬間』を見る。
最初の30分くらいを見逃したので、感想とは言えないけれど。
主役、カメラマン役は、あの『トワイライト』の吸血鬼の役者さんとは最後まで気付かなかった。ジェームスディーン役の人と一緒でふっくらして(役作りで増量とか書いてあるのを読んだ)いて、印象が変わっている。そこに、どこか年代の古さや今よりのどかだった時代の雰囲気を出そうと試みたのかもしれない。
私はよく心の中で、「この役をジョニー・デップならどう演じるか?どう捉えて、役の芯を作るかな?」と想像してみることがある。彼が、アクターズスタジオで受けたインタビューではまさに彼の出演作(私の大好きなエドウッドやスリーピーホローなど)についての役への彼独特の近づき方について話していてとても面白かった。あの海賊ジャックスパロウをローリング・ストーンズのキースリチャードをイメージした、というのと、同じ面白い話。生まれながらの役者としか言いようがないけれど、それプラス衣装やセットなど役に入るのを助けてくれる、と。
実際のディーンの映像をよく知っている人間から見ると、ふっくらが逆に似ていないことにもつながるような。でも、それが、故郷に帰った彼の少しまだ、垢抜けない、野暮ったさ?を強調しているなとも感じる。
インディアナでの2週間、やっと息ができたようにいきいきと振る舞う彼。
一番印象的だったのは故郷へ向かう列車の中での少年時代の思い出(母の死)を語る独白の長いシーンだった。間の取り方とかが自然でこのデハーンという、知らなかった役者さんの力量を感じた。『エデンの東』プレミアへの参加をあんなにすっぽかしていいのか(笑)くらいに自由な行動。古き良き時代…か。ちょい役ではあったが映画会社の重役で、ベン・キングズレーが出ていた。ジェントルマンに見せて、実はかなり押しの強い感じを上手く見せていた。
デハーンさん、アンドリュー・ガーフィールドとの共演作『スパイダーマン』も見たくなった。(2015 原題、Life,カナダドイツオーストラリア合作)
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