蒼天航路〜三国志夜話〜(上) 

2006年02月14日(火) 8時28分
 先日、蒼天航路の最終巻が発売された。詳しくは読んで頂きたいが、最終回に相応しい颯爽たる仕上がりであった。原作者の李學仁が98年に亡くなられたため、中盤以降は王欣太氏が一人で書き上げたことになる。本来悪役であるところの曹操という人間を、善や悪という価値基準を超えて描ききった姿勢は感嘆させられる。

 そもそも、三国志「演義」が流行り始めたのは、魏の後を継ぐ晋が異民族に都を追われてからだ。以降、異民族が中原(華北、古来より中国の中心地域であった)を制する度に、漢民族のナショナリズムは傷つけられてきた。なぜなら、中原を制することが中華の支配者の証であったからだ。

 しかし正統なる王朝、漢の名を冠しながらも、事実上は地方政権で終わった国がある。それが蜀漢だ。蜀漢の正当性を認めることは、そのまま中原を追われた自分達を認めることになる。そんなナショナリズムを背景にしてか、蜀を主役にする三国志が流行り始めた。宋や明の代に三国志演義として完成される。

 それが現代人の良く知る三国志である。まったく史実に基づいてはいない訳ではないが、キャラクターに個性を与えるために誇張も多くみられる。特に、関羽や張飛ら蜀の武将や諸葛孔明らに著しい。逆に、魏や呉は不当に悪く描かれ続けるはめになった、それも千年単位で。日本では昔から曹操ファンが少なくないが、それを中国人に語ると怪訝な顔をするという。
彼らの中では、曹操は未だに全面的悪玉であり、劉備は善玉、関羽は武神、張飛は愛すべき好漢であり続けている。


 日本では、三国志輸入の歴史も古いが、はっきりそれが現われるのは太平記である。三国志も太平記も講談を背景に成立した。しかしながら、現代日本の三国志と言えば吉川英治氏の三国志が主流であろう。それをほぼ忠実に漫画化した横山光輝氏の三国志に触れた方も多いだろう。日本版とも言える吉川氏の三国志演義は、日本人向けの表現に改めた上で曹操と諸葛孔明にスポットを当てたと序文にもある。このように、曹操受容の受け皿は成立していたのだ。

蒼天航路〜三国志夜話〜(下) 

2006年02月15日(水) 10時05分
 さて、そういった背景を受け、日本の三国志ものは吉川氏の内容をなぞったものか、史実考察を無視した奇抜なものかに別れてきた。その是非は問うまい。ただ、蒼天航路における直接原典に当てる姿勢は三国志のリニューアルに大きく貢献できた。もちろん、苦悩も深い。自身も、極力自分の物語に持っていこうとしながら、演義に絡めとられそうになる苦悩を巻末で述べる時もある。

 ただ、それによって既成概念を叩き潰しながらも、愛すべきキャラクター曹操が出来上がった。曹操はよく笑い怒る。詩を詠み、戦場を駆け、政務をこなした。料理人に混じって作業する場面は微笑を禁じえない。それは現世、ひいては人間そのものへの興味を全開にした姿だ。

 良くも悪くも人を押さえつける儒教への反発は、どこか劉邦を思わせる。40過ぎまで酒場で管を巻き、行き当たりばったりで天下を取った劉邦。人間への興味と、人間をそのまま受け入れる器の違いはあるにせよ、人間にスポットを当てる時、儒教はどうしてもその魅力を失う。劉邦は儒家の頭巾に小便を垂れて罵倒したという。

 それでも広大な国家を支える秩序を形成するのに、これほど便利なものはない。かくて儒教は既成勢力の牙城となる。ただ、これも善悪では計れない。ただ、彼らが一種の特権階級と化したことは事実である。彼らを根こそぎ揺るがす曹操は、天下を取っても皇位に付かなかった。家臣の反逆を恐れた等仮設は色々立つが、ここで息子曹否を後継者として継がせた時の場面を取り上げたい。

 死んだ魚のような空ろな目で、「もう、心に潤いは望めぬぞ」と告げる姿は曹操という人間をよくあらわしている。権力闘争は、人間の心を枯らす。特に、既成概念を叩きつぶそうとする改革者には、常に現実という厚い壁がつきまとう。酒と詩を愛し、人を愛した曹操は、そうすることで平時も絶え間ない戦場を戦いぬいた。それが、超人的でありながら、どこか愛すべき魅力を感じさせる所以ではないかと思う。

 蒼天航路は、新しい三国志の描き方を示した。三国志ものは巷に溢れるが、安直な模倣の域を超えていないものが大半だ。ぜひ、今後の全てのクリエイターに期待したい。現在、少し期待しているのは武論尊の覇〜LOAD〜である。これについてはまた後日触れるとしよう。

丑三つ時に、思ふ事 

2006年03月05日(日) 3時23分
 暇である。こんな時間に目覚めてしまっては、大人しく寝るのも退屈だ。暇に飽かして色々ネットしていると、こんな記事を見つけた。

 勉強冷めた日本 米中韓7割超…高校生意識調査。よくあると言えばよくある話。けども、気になったのはその中の一文。



―「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、「一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか」と話した。



 直球すぎる。ここまでド真ん中に投げられたストレーートは近年マレに見る。まぁ、バイト先では苦労させられているので、言いたいことは分かる。家康って何だっけ、と問う高校生もいれば、英語ってどこで使われているか知らない中学生もいる。まず、知識がないのは大問題だ。

 一方でやり過ぎの詰め込み教育には、高校時代に辟易させられた。受験のためとはいえ、10時間ほど授業があったわりに、数十人を除いてはさほど偏差値の高い大学に行っていない現実もある。無闇に詰め込むにも問題だ。ここで共通しているのは、自分から頭を使おうとしない人間の存在だ。


 もっと、頭の使い方を教えて欲しい。道徳の授業は「はい、こういうのが善良な人間ですよ」と、愚にも付かないイデオロギー教育になる。誰もそんな話が現実だとは思っていない。「どっちも正しいんだけど、どう思う」というように、矛盾を与えねばなるまい。


 そのためには教師のレベルの向上が第一だが、入り口が狭いばかりで無知蒙昧の魑魅魍魎が巣くうのが教育現場の現状だ。目覚めよ、日本人!頭を使え!鵜呑みにするな!
 かといって、付和雷同の国民性には長い歴史があるので、簡単には行くまい。せめて、間違えていると思ったことは改められるよう。
2006年02月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28
最新コメント
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:thor-thor
読者になる
Yapme!一覧
読者になる