マイ・ガール
2012年03月20日(火) 9時49分
先日、僕のマイ・ガール『マコちゃん』が天国に旅立った。
僕がツイッター、YouTube、ユーストリームなどで事あるごとにマコの写真や動画を披露していたので
竹内電気ファンは知ってる方も多いと思う。
悲しい話しをするのは好きじゃないんだけど、
マコがどれだけ僕にとって大事だったかをここに残しておきたいし、
みんなにマコってすごい犬なんだって知ってほしいから自己満足だけどここに書かせて下さい。
マコは僕が高校一年生の時に家に来た。
きっかけは僕の姉ちゃんが一目惚れしてマコを連れて帰ってきたのがきっかけ。
生まれてまだ3ヶ月のマコは耳がまだ立ってなくて今とはずいぶん印象が違うけど目がクリクリした可愛い子犬だった。
名前はその当時放送していたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主人公の名前を僕がノリでそのまま付けた。
ドラマのマコちゃんは男で、家のマコちゃんは女の子なのに
家族誰も反対しないまま『マコちゃん』という名前が定着し、
家族みんな人懐っこいマコちゃんを可愛がった。
そしてマコが来てから約一年後、姉ちゃんが病気で亡くなった。十六歳だった。
家族みんなが悲しみに暮れている中、マコが、その天真爛漫な明るさでみんなを元気付けてくれてた。
姉ちゃんはすごい形見を置いていってくれたと思う。
特に両親はマコにすごく助けられたんじゃないかと僕は思う。
もちろん僕もずいぶん助けられた。マコが居ると空気が明るくなるから、僕達家族は本当にマコが大好きだった。父さんなんて子供の下の世話はしなかったのにマコのウンコは片付けてたから。
父さんは本当の娘みたいに可愛がってた
それからしばらくは何事もなく過ぎて行き、僕はメジャーデビューをして全国ツアーに出た。
僕はツアーの出先から家に帰ると、まずマコを探してマコをなでなでした。
これをやると家に帰ってきたんだなーって感じがして、僕は家に帰る度にまずマコを探した。
マコは久々に帰る僕を歓迎してくれた。
でもある日ツアー先から戻るとマコが居なかった。
何処を探してもいないから母さんに、
『マコは?』って聞いたら
母さんは、『マコは今入院してる。自分で血が作れない病気になって、持って一年かもしれない。』
と言われた。
でも、
その後、薬の投与や手術を繰り返して徐々に回復していくマコを目の当たりにして僕は安心しきっていた。
何故か、マコは居なくならない。なんてそう思ってた。
長く生きれないなんて全く信じてなかった。
でも着実にマコの体は弱っていた。繰り返し薬の投与や手術をしてもう体力も限界だった。
結局は僕らのエゴかもしれない、マコはもう薬飲んだり、手術したりしたくなかったかもしれない。
でもマコに生きてて欲しかったから、母さんも父さんも必至だったと思う。
それからしばらくの間もマコはみんなの前で元気だった。
竹内電気のメンバーみんな来るたびに飛び付いてた。もちろん斉藤にもね。
いつも誰にでも人懐っこいマコ。
みんな大好きだった。
そして、去年の冬、
斉藤が竹内電気を脱退して、僕らは東京に拠点を移した。
愛知でライブがあれば、その度に実家に帰りマコと遊んだ。
マコは本当に元気だった。なんの心配もしてなかった。
僕らは今年の2月に4人で初めてのアルバムを出して、
3月からは4人で初めての全国ツアーが始まった。
初日の札幌公演が無事終わり、帰りの飛行機から降りて、
携帯のメールをチェックすると母さんから、
『マコはさっきお姉ちゃんのとこに行きました。』とメールが入っていた。
僕は、『???』て感じですぐ電話した。
結局、僕がまたツアーに行っている間にマコは僕の前から居なくなってしまった。
信じられなくて、空港の荷物受け取りの人がいっぱい居る中で
膝から崩れ落ちてワンワン泣いてしまった。
ショックで体から力が抜けるというのは初めてだった。
メンバーはいきなり僕が倒れて泣いてるのを見てびっくりしたと思う。
みんなトイレ行ってて戻ってきたらそんな風だったからね。
心配かけた、申し訳ない。
そこからはもうよく分からない状態。
とにかくマコに会いたくて札幌帰りのその足で始発に乗り実家に帰った。
斉藤が来てくれていた。でもそれどころではなくてすぐマコに駆け寄った。
もう冷たかったけどずーっとマコを抱き締めた。
マコとの思い出は沢山ある。
撫でられるのが大好きで、撫でるのをやめると、
『もっと撫でて』って吠えて、鼻で人の手を持ち上げようとするマコ。
リンゴが好きなマコ。
散歩に行きたがらないマコ。
父さんに叱られてしょんぼりするマコ。
抱っこされるのが嫌いなマコ。
おしっこする時照れ臭そうにしてるマコ。
雨と雷が嫌いで布団に入ってくるマコ。
ギターの弦を替えてると邪魔しにくるマコ。
耳がピーンとしてて触るとぷにぷに気持ちいい、
目がクリクリで、鼻がスラッとしてて、毛の色がキレイで、
ちょっとお腹がぽっちゃりしててお腹を触ると気持ち良さそうにして喜んで
手足としっぽが短くて、とにかく可愛い可愛いマコ。
最後の寝顔も綺麗だったマコ。
もっといっぱい撫でてあげればよかった。
りんごもいっぱい食べさせてあげればよかった。
もっとマコと一緒に居たかった。
マコの最後を見届けて僕は東京に帰ってきた。
今は不思議な気持ちだ。愛知を離れたら現実感が無くなるのね。
まだ家に帰ったらマコが居る気がしてしまう。
マコは本当に頑張った。
もう長くないって言われてから3年も生きた。奇跡だ。
マコは奇跡みたいに僕らに会いに来てくれて、奇跡みたいに生きてた。
マコがそれだけ頑張ったんだから僕もこんなとこで失敗るようじゃマコに申し訳ない。
だから僕はマイ・ガールの宣言通りやりきってやる。
『目の前の君のことだけを今は夢中で追いかけていたいのさ』
今はそれだけを胸にツアーを走りきる。
それが終わったらゆっくり受け入れていこうと思う。
僕の元気な姿を天国に居る姉ちゃんとマコに
これからも見せて行きたいです。
いつかまた会えると信じています。
さとしより。
僕がツイッター、YouTube、ユーストリームなどで事あるごとにマコの写真や動画を披露していたので
竹内電気ファンは知ってる方も多いと思う。
悲しい話しをするのは好きじゃないんだけど、
マコがどれだけ僕にとって大事だったかをここに残しておきたいし、
みんなにマコってすごい犬なんだって知ってほしいから自己満足だけどここに書かせて下さい。
マコは僕が高校一年生の時に家に来た。
きっかけは僕の姉ちゃんが一目惚れしてマコを連れて帰ってきたのがきっかけ。
生まれてまだ3ヶ月のマコは耳がまだ立ってなくて今とはずいぶん印象が違うけど目がクリクリした可愛い子犬だった。
名前はその当時放送していたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主人公の名前を僕がノリでそのまま付けた。
ドラマのマコちゃんは男で、家のマコちゃんは女の子なのに
家族誰も反対しないまま『マコちゃん』という名前が定着し、
家族みんな人懐っこいマコちゃんを可愛がった。
そしてマコが来てから約一年後、姉ちゃんが病気で亡くなった。十六歳だった。
家族みんなが悲しみに暮れている中、マコが、その天真爛漫な明るさでみんなを元気付けてくれてた。
姉ちゃんはすごい形見を置いていってくれたと思う。
特に両親はマコにすごく助けられたんじゃないかと僕は思う。
もちろん僕もずいぶん助けられた。マコが居ると空気が明るくなるから、僕達家族は本当にマコが大好きだった。父さんなんて子供の下の世話はしなかったのにマコのウンコは片付けてたから。
父さんは本当の娘みたいに可愛がってた
それからしばらくは何事もなく過ぎて行き、僕はメジャーデビューをして全国ツアーに出た。
僕はツアーの出先から家に帰ると、まずマコを探してマコをなでなでした。
これをやると家に帰ってきたんだなーって感じがして、僕は家に帰る度にまずマコを探した。
マコは久々に帰る僕を歓迎してくれた。
でもある日ツアー先から戻るとマコが居なかった。
何処を探してもいないから母さんに、
『マコは?』って聞いたら
母さんは、『マコは今入院してる。自分で血が作れない病気になって、持って一年かもしれない。』
と言われた。
でも、
その後、薬の投与や手術を繰り返して徐々に回復していくマコを目の当たりにして僕は安心しきっていた。
何故か、マコは居なくならない。なんてそう思ってた。
長く生きれないなんて全く信じてなかった。
でも着実にマコの体は弱っていた。繰り返し薬の投与や手術をしてもう体力も限界だった。
結局は僕らのエゴかもしれない、マコはもう薬飲んだり、手術したりしたくなかったかもしれない。
でもマコに生きてて欲しかったから、母さんも父さんも必至だったと思う。
それからしばらくの間もマコはみんなの前で元気だった。
竹内電気のメンバーみんな来るたびに飛び付いてた。もちろん斉藤にもね。
いつも誰にでも人懐っこいマコ。
みんな大好きだった。
そして、去年の冬、
斉藤が竹内電気を脱退して、僕らは東京に拠点を移した。
愛知でライブがあれば、その度に実家に帰りマコと遊んだ。
マコは本当に元気だった。なんの心配もしてなかった。
僕らは今年の2月に4人で初めてのアルバムを出して、
3月からは4人で初めての全国ツアーが始まった。
初日の札幌公演が無事終わり、帰りの飛行機から降りて、
携帯のメールをチェックすると母さんから、
『マコはさっきお姉ちゃんのとこに行きました。』とメールが入っていた。
僕は、『???』て感じですぐ電話した。
結局、僕がまたツアーに行っている間にマコは僕の前から居なくなってしまった。
信じられなくて、空港の荷物受け取りの人がいっぱい居る中で
膝から崩れ落ちてワンワン泣いてしまった。
ショックで体から力が抜けるというのは初めてだった。
メンバーはいきなり僕が倒れて泣いてるのを見てびっくりしたと思う。
みんなトイレ行ってて戻ってきたらそんな風だったからね。
心配かけた、申し訳ない。
そこからはもうよく分からない状態。
とにかくマコに会いたくて札幌帰りのその足で始発に乗り実家に帰った。
斉藤が来てくれていた。でもそれどころではなくてすぐマコに駆け寄った。
もう冷たかったけどずーっとマコを抱き締めた。
マコとの思い出は沢山ある。
撫でられるのが大好きで、撫でるのをやめると、
『もっと撫でて』って吠えて、鼻で人の手を持ち上げようとするマコ。
リンゴが好きなマコ。
散歩に行きたがらないマコ。
父さんに叱られてしょんぼりするマコ。
抱っこされるのが嫌いなマコ。
おしっこする時照れ臭そうにしてるマコ。
雨と雷が嫌いで布団に入ってくるマコ。
ギターの弦を替えてると邪魔しにくるマコ。
耳がピーンとしてて触るとぷにぷに気持ちいい、
目がクリクリで、鼻がスラッとしてて、毛の色がキレイで、
ちょっとお腹がぽっちゃりしててお腹を触ると気持ち良さそうにして喜んで
手足としっぽが短くて、とにかく可愛い可愛いマコ。
最後の寝顔も綺麗だったマコ。
もっといっぱい撫でてあげればよかった。
りんごもいっぱい食べさせてあげればよかった。
もっとマコと一緒に居たかった。
マコの最後を見届けて僕は東京に帰ってきた。
今は不思議な気持ちだ。愛知を離れたら現実感が無くなるのね。
まだ家に帰ったらマコが居る気がしてしまう。
マコは本当に頑張った。
もう長くないって言われてから3年も生きた。奇跡だ。
マコは奇跡みたいに僕らに会いに来てくれて、奇跡みたいに生きてた。
マコがそれだけ頑張ったんだから僕もこんなとこで失敗るようじゃマコに申し訳ない。
だから僕はマイ・ガールの宣言通りやりきってやる。
『目の前の君のことだけを今は夢中で追いかけていたいのさ』
今はそれだけを胸にツアーを走りきる。
それが終わったらゆっくり受け入れていこうと思う。
僕の元気な姿を天国に居る姉ちゃんとマコに
これからも見せて行きたいです。
いつかまた会えると信じています。
さとしより。



