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ゾロアスター教の町@ / 2005年12月08日(木)
 昨晩、僕とソナはヤズドに行くため、夜行バスに乗った。カメルとカトリンとの4人旅はシラーズで終わることになった。急きょ、訪れた別れ。タクシーに乗り込む前に二人と抱き合った。「今度はパリで会おう」

 そしてヤズド。午前3時半。やれやれ。どうしてイランのバスはこんな中途半端な時間に到着するのか。早朝というより夜中だ。こんな時間に宿が開いているはずがないと、半ば諦めながら目当ての宿に行くと、電灯が点いていてすぐにチェックインできた。どうやら宿の人もバスの到着時刻くらい熟知しているようだ。「コンニチワ」「アンニョンハセヨ」となぜか二カ国語であいさつしてくれる感じの良い兄ちゃんが宿の主人だ。

 ヤズドはゾロアスター教の寺院が数多くある割と名のある観光地。日本人や韓国人の旅行者も多いのだろう。外国人旅行者が集まる宿はあまり好みではないが、情報が多かったりと便利なのは確かだ。
 
 トイレとシャワーは清潔。部屋はストーブで暖かく、すぐ気に入った。部屋のカーテンを開けると、ヤズドのシンボルであるジャーメ・モスクが目の前に立っていた。ライトに照らされ、神秘的な青色のタイルをを誇らしげにアピールする姿にしばらく見とれてしまった。
 静かな夜。部屋はロマンチックな雰囲気に包まれようとしていたが、旅人の二人はすぐに眠りについた。
 
 【写真はヤズドのシンボルのジャーメ・モスク】 
 
   
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Are you journalist?B / 2005年12月07日(水)
 連行されたのは、軍の詰め所。若い兵士が3,4人いて、長いすに座らされる。デモで捕まった学生らも十数人いた。兵士は外国人の扱いに困ったらしく、英語ができる人を電話で呼び出す。僕はとりあえず余裕のふりをして、ガイドブックの巻末のペルシャ語会話帳で、意志疎通を試みる。場の雰囲気は和んだ。
 しかし、腰に付けたカメラのフィルムが気掛かりで仕方ない。昨日のペルセポリスの写真も入っているし、没収は避けたい。一人になって巻き取ろうと、トイレに行きたいと言ってみた。兵士らは相談してから上司を呼んだ。
 上司がやってきた。開口一番、”Open your eyes!”。ん?僕は彼を見つめた。すると、彼は同じ言葉を何度も繰り返す。”I’m opening my eyes!”(開けてるやんけ)。東洋人の目の細さをバカにしているのか、と思い力を込めて言い返すと、彼は指で僕のまぶたを無理やり閉じさせた。おいおい…。イラン人の英語って…。
 目を閉じたまま手を引かれ、中庭に出た。こっそり薄目を開けると、学生らが目隠しをされ手を縛られ、軍人と一対一で向かい合っているではないか。「拷問でもされるんだろうか」。身震いした。
 トイレに入ると、速攻でフィルムを巻き取った。カバンやポケットに入れては絶対に見つかる。どうしよう。一瞬のひらめきで、防寒ジャケットのフードをしまう襟に隠した。と突然、ガチャ!とドアが開けられた。驚いたが、僕はすべての作業を大便スタイルで進めていたので、怪しまれずに済んだ。
 
 しばらく後、英語ができる人が到着し別室へ。渡航目的や宿泊先など詳しく聞かれ、突然のデモに巻き込まれた旨を説明する。が、質問は止まらない。「なぜデモの現場にいたんだ」「なぜ写真を撮ったんだ」「君はジャーナリストか」―。ジャーナリストに間違われるのも悪くないな、と思いつつも学生証を見せて説得する。予想通り、かばんやポケットの中を調べられたが旅行者の持ち物以外は出てこない。彼は割と紳士で、「すまなかったな。イランを楽しんでくれ」。「ここに来なければもっと楽しかったんだけどね」。

 釈放されたが、宿に帰る道、まだ尾行されている気がして怖かった。この国では何でも起こり得る。
 宿で話をすると、カメルが僕に言った。「お前は日本のジェームス・ボンドだ!」
 
 【写真はフィルムとジャケット。襟に隠して難を逃れた】

 
   
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Are you journalist?A / 2005年12月07日(水)
 シラーズ大学から宿まで歩いていると、目抜き通りに出た。
 何か、様子がおかしい。歩道の所々に警察官がいる。どうやら通りは警察によって通行止めにされている。「ホコ天にして祭りでもあるのかな」。それにしては警察官が多すぎる。いや、彼らは軍隊だ。なんだか武装しているじゃないか。通行人は足を止める。道路は軍隊と若者であふれた。なんだ、この混乱は。
 “バチコーーーーーーーン”
 突然、景気の良い音が鳴った。と同時に、尻に激痛が走った。「痛えー!」。振り返ると、軍人が歩道上にいる民間人を片っ端から警棒で殴っているではないか!
 軍人の服をつかみ、パスポートを見せて外国人だと訴えるが、彼は無視。近くにいたおじさんに建物の塀の中に入れと指示され、従った。
 目抜き通りは大混乱。落ち着いていみると、どうやら学生グループと軍隊とが大規模な衝突を演じているようだった。民主化を求める学生デモだろうか。
 これはシャッターチャンス―。状況はよく分からないが、一枚おさえておけば面白そうだと、道に出てコンパクトカメラでパシャリ。軍人に見つからないようファインダーを覗かず腹のあたりで構えて撮影したのだが、不運なことに周りにいた人がみな私服警官だったらしく、その瞬間に捕らえられた。
 
 二人の警官に腕をつかまれたままデモを見ていたが、警棒で殴られる学生たちが痛々しく、身震いした。
 早く退散しよう。腕を振りほどき、小道に回ってその場を去ったが、先ほどの私服警官が後ろを尾けてくる。しかも無線で誰かと連絡している。道を曲がり曲がって逃げる。今度は前から一人が来る。「まずいな」。タクシーに乗って逃げようと思うが、デモで道路は大渋滞。これでは捕まる。別の通りに向い、タクシーを拾おうとしたところで、突然、二台の車が目の前に停車。中から4,5人の私服警官が駆け出してきて、羽交い絞めにされた。
 こんなこと許されるのか。すごく腹が立ち、日本語で叫ぶ。「離せクノヤロウ!」。車に無理やり乗せられそうになったが、必死に抵抗する。「大使館に連絡しろ。こんな横暴許されるのか!」。が、英語が分からないイラン人。もがいても無駄だった。

 結局、僕を後部座席に乗せた車は警察署へと向かった。両腕はしっかりつかまれていた。
 【写真は学生と軍隊がぶつかり合う(奥)。手前の人は私服警官だった】
 
   
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Are you journalist?@ / 2005年12月07日(水)
 これがイランか―。とても恐ろしい一日だった。
朝からモスク巡りをして、街を歩く。古都らしく美しい街並みだが、やはり政治家や宗教家のポスター、壁に書かれた反米落書きが目についた。

 シラーズは学生の街。昼食は大学でとろうと、シラーズ大学へ向かう。警備員のいる正門は国際学生証でクリアーし、中へ。構内を歩き回った後、学食で昼食。刑務所みたいな銀皿を持って列に並ぶ。米とシチュー。味はイランにしては悪くない。
 食後、テラスで日記を付けていると、学生数人が話しかけてきた。日本人だと答えると矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。ホメイニー師とイラン革命についてどう思うか、現在のイラン社会は日本人から見たらどうだ、日韓W杯やナカタ、イナモトについて…。
 これまで、英語を話せるイラン人との接触がなかったため、会話は楽しかった。学生たちはみな改革派のようで、超保守的なイスラム国家を非難しっぱなしだった。
 イランでは97年に改革派のハタミ大統領が就任。女性のスカーフ着用や禁酒を外国人にも強制するなど、難点はあるが、男性はジーンズや皮ジャンなどカジュアルな服装で歩いていて、パキスタンから来た僕は、伸び伸びとした印象を受けていた。しかし、トップが変わっても国の体質は旧態依然としているといい、学生らはいろいろと「制限された自由」について話してくれた。
 学生らと会話は面白かった。ただ、この国についてもう少し勉強しておけば、さらに有意義なものにできたはずだ。旅行の準備とは、単に荷物をまとめることではない。

 楽しい時間を過ごし、軽やかな足取りで宿へ帰る途中、事件は起こった。
 【写真は壁に落書きされた反米メッセージ】
 
   
Posted at 23:34/ この記事のURL
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イランのハシシ / 2005年12月06日(火)
 遺跡の帰り道、出口あたりで会った若者2人組みが、バス停まで僕らを送ってやろうと話しかけてきた。僕は面倒だったので遠慮したかったが、他のメンバーに従って同乗した。ところが、途中でキャサリンの体調が急に悪くなり、2人組みは休憩のためにと家に招いてくれた。
 
 家は金持ちだとすぐに分かる豪華な造りで、室内はペルシャじゅうたんがぎっしり敷き詰められていた。キャサリンは若者の部屋で横になった。しばらく休憩する間、若者の一人がトランプ遊びに誘ってきた。僕とソナは知らないゲームだったが、カメルはよく知っているらしく、2人で盛り上がっていた。やはりイランは欧州に近いのだろう。あるいは、東アジアが国際的なゲームを知らない孤立した地域なのだろうか。

 しばらくして親父さんが帰ってきた。アフガニスタンのウズベク系軍閥のドスタム将軍に似たぽっちゃりヒゲ面の気の良さそうなおじさん。「よっこらせ」と座るやいなや、せっせとハシシの葉を紙で巻き始めた。イランのハシシは上質だと聞いていたが、香りが良くおいしそうだった。仕事の後の一服は最高だと満面の笑みを浮かべるおじさんに勧められるまま、僕も何度か深く吸い込んでみた。これまで吸ったことのあるのとはぜんぜん違う味だ。 
 カメルは「気を付けろ。イランのは強烈だぞ」としきりに注意してくれたが、遅かった。体中の血管が動き出すような感覚が始まり、完全にキマッた。どーんとペルシャじゅうたんの上に寝転んだ。
 
 【写真はハシシのジョイントを手際良く作成するイランのおじさん】

 帰り際、彼らはバス停まで送ってくれた。良いイラン人もいるものだ。その一方で、ソナはバスに乗る前、「朝から何も食べていないのよ。サンドイッチでも食べよう」などと、病人のカトリンをよそに信じられない発言をする。「この子は韓国でも相当わがままなんだろうな」。帰りのバスでは、ハシシのせいか太陽の光が異常にまぶしかった。
 
 夜、ソナの希望で買い物に出かける。食事の後、ジーンズを買い、映画を観た。刑務所を題材にした映画で面白そうだったが、疲れがたまっていたのかすぐに眠ってしまった。
 
   
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中東の3P、その一角や / 2005年12月06日(火)
 7時起床。顔と歯を洗い、洗濯も済ませた。3人の準備が整うのを待ち、出発。
 バスターミナルまでタクシーを拾おうとすると、ソナが「通りを渡ってからのほうが安いと友人が言っていた」などと言い出す。そんなものどうでも良い。大して値段も変わらないだろうし、前に来た旅人の後を追い掛ける必要がなぜあるのか。ソナだけがそうなのか、韓国人旅行者全員がそうなのか、彼女は事前に得た情報に左右されすぎる。朝から腹が立った。
 そんな気持ちだったので、ペルセポリス遺跡への車内では、ソナとの会話が面倒だった。バスのエンジン音が異常に大きかったのがかえって好都合だった。
 
  ペルセポリスにはそんなに期待していなかった。正直、胸は躍っていなかった。
 チケットを買って中に入ると、確かに壮麗な建物跡と美しい彫刻からペルシャ文明の華麗さを感じ取ることはできたが、案の定、心には響かなかった。
 遺跡内はフランスなど欧州からの団体旅行者が多い。ここはアジアといえど日本からかなり遠い。当然か。中東の三大遺跡の一つに数えられるペルセポリスや、バム遺跡、古都イスファハーンなど、観光資源には事欠かない国だが、イスラム文化圏というのは日本人には旅行の目的地として魅力的ではないのかも知れない。
 
  カメルやソナは遺跡を見回っては写真を盛んに撮っているが、僕は何となくシラけていた。好奇心が薄れてしまったのか。あるいは、歴史を知らないために魅力が分からないのか。何にせよ、高校時代に世界史をもう少し真剣に勉強すれば良かったのかな・・・。
 【写真は(上から)ペルセポリスの遺跡は心に響かなかった/真剣な表情で遺跡を写真に収めるソナとカメル】
 
   
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旅の解放感 / 2005年12月05日(月)
 シラーズ着は早朝5時。イランのバスはどうも到着時間に難がある。ぼってくるタクシーで街に移動し、宿探し。カメルと2人で10軒くらい回ったが、カメルは値段に納得しない。100円ほど余分に出せるか出せないかのラインでもめているわけだが、旅が長い彼らには重要なのだろう。何にせよ、節約は良いことだ。悪いのはケチだ。結局、安い四人部屋にチェックインすると、みんなバタンQで床に就いた。
 10時。三人が眠っているのを横目に部屋を抜け出して、街へ。シラーズは大学の街らしく、若者が多く、にぎやかだった。人も車も多い。イランで初めて生きている街に来た。体制的な横断幕や写真とともに、反米メッセージの落書きも目に付いた。
 何となくバスに乗る。イランに入ってからほとんどソナと行動をともにしていたので、自分の気の向くままに自由にできる久しぶりの解放感を味わった。旅の醍醐味はこの感覚だ。 

 宿の近くで日本人旅行者に会った。日本の携帯電話を世界に普及させようとしている一風変わったカタノさんと、同宿の大学生。彼らはイランで、引ったくりや強盗に遭ったといい、しきりにこの国の治安の悪さを強調した。そういえば今日、街で歩いているときに若者の集団に囲まれそうになった。怪しいと気付いて難を逃れたが、今後も注意が必要だ。

 キアロスタミ映画に出てくるような田舎町に行きたかったので、適当に郊外行きのバスに乗った。砂漠を走るバスは揺れが心地よく、眠ってしまった。何となく降りた場所は本当に何もない小さな町。歩いたが、珍しい東洋人を見つめてくるイラン人がうっとうしく、サンドイッチを食べてシラーズに戻った。
それでも、一人旅を楽しんだ一日だった。
 
 【写真は郊外行きのバスで。一人の解放感を味わった】
 
   
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一期一会 / 2005年12月04日(日)
 昨晩夜更かしをしたので、起きて身支度を済ますと11時を回っていた。3人で外出し、サンドイッチを食べた。その後、ツネが郵便局へ行ったため、ソナと2人で町を歩いた。
 イランは宗教指導者や政治家の顔写真がいたる所に飾られている。少し道を歩けば、ハタミ大統領やホメイニー師などと対面することになる。中でも、通りの壁一面に描かれたホメイニー師の似顔絵には圧倒された。まるでイラン人の生活が彼の監視下に置かれているかのようで、イラン革命以来続く抑圧的な体制がうかがえた。それでもその芸術的な絵には魅了された。

 宿に戻って荷造り。2年ほどの長期旅行を予定しているツネはかなり旅慣れていて、僕の荷物を見ると「多すぎる。バスタオルなんて今すぐ捨てろ」とアドバイスをくれた。いらない物は一切ないと思っているのだが…。ツネは夕方の船でUAEへ、ボクとソナ、フランス人の2人はバスでシラーズへ向かう。昼下がりの宿で、それぞれが次の目的地へ進む準備をする。2日間、幸せな時間をともに過ごしたので別れがつらかった。ソナは記念にと、日韓W杯の半ズボンをツネにプレゼントしていた。
 インターネットや友人への絵はがき送付を終えると、最後に5人で海辺を散歩しながら、魚を食べられるレストランを探した。毎日チキンとサンドイッチばかりだったので、飽き飽きしていたのだ。
 食事中はこの日も和やかだった。ツネはアラビア半島やアフリカを通って欧州へ、ソナは西に進んでロンドンへ向かう。フランス人の2人はトルコや東欧を通って国へ帰る。「来年にでも、パリあたりでみんなで会いたいね」。それが実現したら本当に楽しいだろうなあ。楽しい会話に、ワインの一本でもあれば最高なのだが、この国で望めることではなかった。 
 

 ツネと別れ、バスターミナルへ。バンダルアッバースは良い町だった。そしてまた、夜中のバス移動が始まった。
 【写真は(上から)壁一面に描かれたホメイニー師の似顔絵と、その前を通る黒服の女性/バンダルアッバースの海岸では、船で買い物に来る人をよく見かけた】
 
   
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仮面の町 / 2005年12月03日(土)
 今日はフランス人のカメルとカトリンと一緒に、近郊の町ミナーブへ行く約束をしていた。朝7時半には宿を出て、タクシーに乗り込んだ。僕とツネが前の席、カメルら2人とソナが後ろに乗った。
 1時間ほどかけて到着すると、そこは坂道に石造りの家が並ぶ小さな町。アッバス・キアロスタミの映画などから想像していた「イランの町」とぴったり重なり合った。この町は、女性が奇妙な仮面を付けていることで知られる。
 
 行き交う女性はみな、鼻が高い黒や赤の仮面を着けていて、不思議な雰囲気が漂う。世界は広くて多様だなあ、としみじみ思う。アフガニスタンのブルカと発想は同じくイスラムの戒律を厳守しているのだろうが、彼女たちは表でよく働いていた。市場の店番はほとんど女性だった。
 カメルたちは、彼女たちに平気でレンズを向けている。「あーあ、嫌がってんのに撮ろうとするんだから。フランス人は分からないんだなあ」とツネ。僕も同感だったが、彼らを見ていると、デジカメの映像を見せたりしながら地元の人と向き合っている様子が伝わってきた。一緒に行動するうち、僕もこのスタイルを見習おうと心に決めた。
 昼飯はサンドイッチとコーラ。この国に来てこれを食べない日はない。アメリカ嫌いの国で、毎日アメリカのような食生活をしている。つい笑ってしまった。
 その後、丘に登って5人でいろんな話をした。英語圏出身者がいないので、英語力にほとんど差はなく、話がスムーズに進み楽しかった。帰りのタクシーは眠った。夕食をみんなで食べる約束をして宿に戻った。
 
 
 旅の途中で港町に寄ると、海辺で夕陽を見ながら煙草を吸うことにしている。マニラでも、シンガポールでもそうした。この日は一人でペルシャ湾に行くつもりだったがソナがついてきた。堤防に腰掛けて恋愛話をした。夕食は5人で盛り上がった。フランス語も日本語もない。とても温かい雰囲気だった。

 夜、部屋ではツネとソナの3人で世界の国や首都を使ったビンゴゲームをして盛り上がった。「カイロ」「ブエノスアイレス」「テヘラン」など、様々な地名を言い合いながら、今この瞬間も異国にいるのだと思うと、笑えた。
 【写真は奇妙な仮面を付けた女性】
 
   
Posted at 21:54/ この記事のURL
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ペルシャ湾 / 2005年12月02日(金)
 起きると、もう陽は高くなっていた。昼まで寝るのは嫌いなので、準備をして町へ出る。ソナもついてきた。
 この町はかなり気温が高く、過ごしやすい。Tシャツ一枚で十分だ。宿からまっすぐ海へ向かった。ペルシャ湾だ。綺麗なビーチではなく、タンカーなどが停泊している汚い海だったが、「ペルシャ湾を見た」という事実が心を昂ぶらせた。
 フェリーで近くのホルモズ島へ。小さいボートに地元民をいっぱい乗せて出発。ペルシャ湾の上にいるのだなあと考えると、なぜか特別な気持ちになった。旅の良さを感じた。
 
 ボートを降りるとミニバスに乗る。バスは乗客一人ずつを家の前まで送り、最後に僕ら二人を岬にある城まで連れていってくれた。ソナが中国で知り合ったというスイス人とばったり会い、二人は楽しそうに話を始めた。ソナはネイティブのような話し方をしたいようで、やたらと「プリーズ」「ファック」「シット」という言葉を使う。それが僕は気に入らない。
 海沿いの雑貨屋でトイレを借りた際、女性らが家の中に招いてくれた。中で茶をいただいたが、彼女らはまったく英語が話せない。ソナは英語で次々に質問を投げかけるが、会話はまったく成立しない。僕は退屈で仕方なかった。なんとなく地元の人と仲良くなったように思い込んで、「それが旅の面白さ」みたいにいう旅行者もいるが、僕は決してそう思わない。まったく何も理解し合えずに、面白みなどない。
 帰りのボート。太陽は西に傾き、紺碧のペルシャ湾に沈んでいく途中だった。縁につかまった僕とソナの左手は赤く染まり、美しかった。
 

 夜、ツネという日本人が、同室の一つ空いていたベッドに入った。ソナと二人きりもどうかと思っていたのでちょうど良かった。三人は夜遅くまで、サッカーのW杯や日韓関係、それから世界の国々の話で盛り上がった。「旅は面白い」。素直にそう思った。
 【写真は(上から)ホルモズ島で見た真っ青なペルシャ湾/ペルシャ湾に沈む夕陽がきれいだった】
 
   
Posted at 21:48/ この記事のURL
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