025:静かに白く
2007.10.11 [Thu] 14:45


静まり返った世界を形容するのに一番相応しい色は白だ。無意識下での認識の共有。潔白。純潔。白という色が含有する共通のイメージ。自分ですら持っているそれらに、しかし彼は相容れなかった。

確かに「白い」と感じたのだが。
その白は、喩えて言うならば有毒の白。
どんな場所にいようとも、どんなに望もうとも、けっして他の色に染まらない苛烈なまでの白。

アルビノ。その単語が頭に浮かぶ。自然界における奇形、その不快な奇という字。他者と違えば排斥される、その対象に彼がなり得たのかは分からないけれど、彼が世界から浮いてしまっている、悲しい程の境界線が見えるようだった。水に浮く油のような、世界からの柔らかい拒絶。

その白はだからこそ美しい。そう思った。誰にも染めることのできない色。もし自分に、それができたなら。

誰もがそう思うに違いない。彼を何かの色に染めたいと。願わくば、自分の手で。

その時を思い描いてXは微笑んだ。


美しい白には、きっと赤が良く映える。


 

031:眼鏡の傷
2007.07.24 [Tue] 12:54


この前落とした時についたのだろうか。何度服の袖で拭っても取れず、指でなぞればそこには随分と深い傷があった。
「あちゃー…」
横一文字にくっきり刻まれている。多分金取られるよな…と匪口は心中で呟いて、大きくため息をついた。
「笹塚さーん…眼鏡に傷ついたー…」
目の前にいる笹塚は、匪口の言葉に一拍の間のあと緩慢な動きで顔を上げた。そして首を傾けるいつもの仕草。最近は彼が口を開かなくても分かる。たぶん、いや絶対、彼の目は「それがどうした」と語っていた。
「不便なんだよこれー」
「じゃあ直してもらえばいいだろ」
「えーでもこれ多分タダじゃ無理。レンズ変えなきゃだよ」
あからさまに溜め息をついてみせて、ちらりと笹塚の顔を伺い見るが、やっぱり彼はいつもの無表情のまま同情の色は全くない。まあそれが欲しいわけでもなかった。ただ、彼の表情を変えることができない、そのことを少しもどかしく思うだけで。
どちらにしろ作業を続けるには眼鏡をかけるしかない。だが予想以上にその傷は視界を妨げて、匪口は小さく舌打ちする。片目を瞑ればいいかとも思ったが、生憎閉じられるのは右目だけなのだ。傷は左側についていた。
ふと視線を感じて顔を上げると、見るともないような目で笹塚が見ていた。なんとか片目を閉じようと悪戦苦闘していたところを見られていたらしい。なんだか気恥ずかしくなって、匪口は頬を掻くと椅子に寄りかかる。
「なんだよー」
「別に」
含みを持たせるでもなく、本当に何の他意もないと知らしめる言葉。それでいつも会話は途切れてしまう。今も、また。切れて宙に浮いた会話の切れ端に手を伸ばすように、いつもいつも言葉を探している。彼の気を引ける言葉。彼を留めておける言葉。
「あ、この傷さぁ」
言葉は宙を上滑りしていく。解っている。意味などない。
申し訳程度の反応で笹塚が顔を上げる。それに向かって笑いかける。
「ウインクすると、丁度笹塚さんの目が隠れるんだ」
何をくだらないことを、笑ってすらくれないかもしれない。案の定動かない彼の表情に向かって、匪口は右目を閉じる。
「お前…ウインク下手だな」
「うるさいなぁ、いーじゃん別に」

そこで気づく。

レンズ越しの景色。傷に隠された彼の表情。それはけして、無表情などではなく。
(口元…笑ってるや)

それは彼なりの感情表明。誰にも気づかれることのない、ささやかな、けれど明確な表情。
それは僅かでも自分が彼に与えられるものがあるということ。

「…何ニヤニヤしてんだよ」
「別に?」

眼鏡の傷を指先でなぞった。今は手に取るように判る彼の表情を眺めながら。
 

230:迷わずに生きていけるなら
2007.07.02 [Mon] 22:47


『例え貴方が望んでいなかったのだとしても』
彼は一言もそんなことは言わなかったのだけれど、言葉よりも雄弁に語るその濁りのない瞳が一瞬逸らされた、その仕草だけで充分だった。
「また、会えて良かったです」
放たれた言葉の残響が耳の奥意識の底、重く沈んだ。発せられなかった、言葉も。

望んでいなかったわけじゃないんだよ。きっとそう言ったところで嘘にしかならないのだろう。言葉は全て何よりも自分自身に裏切られていた。

切り捨てたのは紛れもない事実。それを愚かな選択だったと思うことはできない。今だって、思う。例えあの時に戻れたとしても、きっと自分は同じ道を選んだだろうと。

迷わなかったわけではない。愛していた。あの日々を。あの時間を。何より、彼自身を。それも代え難い真実だった。あの凍てつくような闇の中で、何度、何度想ったか。

何の迷いもなく生きていけたのなら、間違いなく選んだのはお前だったよと、何の救いにもならない言葉を心の中で繰り返した。後悔しないわけがなかった。求めないはずがなかった。けれど。

それでも自分は選んだのだ。
あの日、知ってしまった、天秤を傾ける絶対的な質量を。

その片皿はどこまでも沈み続け、今はもう手が届かなくなってしまったもう片方に、それでもまだ彼が居たという事に切なさにも似た感慨を抱きながら、噤んだ口の中で傲慢な祈りを繰り返し繰り返し、反芻した。


 

268.ヒトクイウサギ
2007.05.29 [Tue] 15:02


「問題。ヒトクイウサギが存在しないことを証明できるか?」
「………は?」

それは散々飲み明かした夜もたけなわ。
床に転がる空き缶の真ん中で至って真顔で笹塚は筑紫に問いかけた。
「…先輩、酔ってるんですか……?」
「いや、俺は素面だ」
確かに呂律は回っているが、またひとつ缶ビールを開ける笹塚の目つきはだいぶとろんとしてきている。
どう反応したものか困って黙っていると、笹塚は眉根を寄せて筑紫を見上げた。
「おい、筑紫聞いてんのか?」
「え、はい?」
「だから、ヒトクイウサギの存在の真偽とその証明について。お前はどう思う?」
何故か笹塚はだんだん不機嫌になって
きている。その勢いに押されて、筑紫は取りあえず当面の疑問を呟いた。
「あの…なんですか?ヒトクイウサギって…」
「そのままだろ。人を食うウサギだよ」
何を当たり前のことを、と言わんばかりに笹塚は憤慨した。そんな彼に聞こえないように筑紫はボソッと言う。
「ていうか…それ以前に、ウサギは草食動物なんじゃ…」
しかしその当然すぎる疑問はあっさりスルーされる。
「そうか、筑紫はヒトクイウサギはいないって言うんだな」
「え…いや……まあ」
勢い良くビールをあおると、笹塚はカンッと音を立てて缶を卓上に打ちつけた。
目元が赤い―これはどうやら、酔いが回ってきたようだ。
「よし、じゃあ筑紫、ヒトクイウサギは『存在しない』ってことを証明してみろ」
「えー…いやそれは…」
筑紫は口ごもる。出来ないから…と認めたくないが、実際できないのだから仕方がない。そもそもが不毛な問いだ。なんだよヒトクイウサギって。
そんな筑紫を見て、笹塚はさも楽しそうに笑った。
「出来ないだろ?」
「いや…だって、『存在する』ことを証明できないんですから、それは存在しないことにはならないんですか?」
ニヤニヤと笑われ悔しくなる。負け惜しみとわかっていながらも、取りあえず言い返した。それをいとも簡単に笹塚は論破する。
「それは『存在することを証明できない』ことを証明した事にしかならないだろ?『存在しない』ことを証明するには、地球上に存在する全てのウサギについて人肉を食べないことを実証しなきゃならない。それにかかる労力を考えたら、『存在する』ことを証明するのは遥かに簡単さ。一匹でも人肉を食えばそれで証明完了だからな」
なんだか詭弁のようであったが、反論できない。黙り込んでしまったらそれは敗北を認める、そういうことになると思ったのだけれど、結局筑紫は笹塚の笑顔の前に沈黙した。
言い負かすのが目的だったのではないかと思う程に嬉しそうにニヤニヤと笑って、笹塚は筑紫の頭を小突く。
「な?分かったろ筑紫。『あること』を証明するより、『ないこと』を証明する方が難しいんだよ」
「はぁ…」
「というわけで、こないだのお前のレポートはボツ」

…あぁ、それが言いたかったのか。

筑紫は苦笑でそれに答えた。まぁ確かに、笹塚の言っていることはおかしくはないのだが…。
「…分かりました。適切なアドバイス、ありがとうございます」
「お前、絶対そう思ってないだろ」
言いながら、笹塚はだらんと筑紫の背中にもたれかかる。夏の真ん中、熱帯夜でもひんやり冷たい体。
「なぁ、筑紫…」
「…はい?」
「俺が思うに、ヒトクイウサギはイースター島にいる…」
笹塚の言葉は、そのまま気持ちよさそうな寝息に溶けた。

…結局この人は、何が言いたかったのだろうか。


 

024:今日の雨は冷た過ぎる
2007.04.15 [Sun] 10:06


雨は好きじゃないというと、おれはそんなことないけど、そう言って彼は透明なビニール傘をくるくると回した。

春は暖かな季節と表されるが、その実質雨の日も多い。雨が降れば当然キャンパス内を移動する時濡れるし、何より洗濯物が乾かない。だからこその言葉だったのだが、それを口にするとまた「所帯じみてる」なんてからかわれるだろうと思って黙っていた。

学校なけりゃな、傘なんてささねぇんだけど。ビニールに覆われた空を眺めて彼は不満げに口を尖らせた。今そんなことして風邪引いたらどうするんですか、そういうと、筑紫は優しいなぁ、そう彼は笑った。


「じゃあ試験終わったらな、傘ささないで帰ってくるよ。予報じゃその日雨なんだ」



−そう言っていた彼の言葉は半分しか実現しなかった。予報通りの雨が降りしきる中、傘をささずに立ち尽くしているのは彼ではなく自分。

酷く冷えるのは何故。雨が冷たいからだ、そう一人呟いた。今日の雨は冷た過ぎる。

 

023:かごめの見る空
2007.04.02 [Mon] 18:08

両手で目を塞いで輪の真ん中。ぐるぐる回る手を繋いだ子供達。真っ暗。唄だけが響く。幼い頃一度は口ずさんだ唄。

真ん中にいるのは誰?それは自分、幼い自分。目を背けている。全ての現実から逃れたいと目をつぶるもう一人の自分。いついつ出やる籠の中。

周りにいるのは誰?それは本当に知っている人達なのだろうか? 笑いを含んだ歌声。荒れ果てた心象風景を嘲笑うかのように。夜明けの晩に、あぁ夜明けはいつくるんだろう。

唄が終わる。後ろの正面だぁれ。振り向かない。それは誰の声?信じられる要素を、くれないと、

「だぁれだっ」


不意に響く明るい声。鳥肌が立つ。今はもう、聞こえるはずのない声。

振り返った、その先。




最愛の顔が微笑んで、真っ赤に染まった。






空は、快晴だった。
彼女は微笑んだまま、ゆっくりとその姿を変




(夢はそこで終わる)


 

022:声が聞きたい
2007.03.28 [Wed] 21:22


『もしもし…笹塚先輩ですか?』

久しぶりの着信は聞き慣れた後輩の声。携帯電話なんだから、誰か確認する必要などないというのに、律儀に訊いてくる彼に少し笑って、笹塚は言葉を返す。
「俺じゃなかったらどうするんだよ」
『あ…いえ、つい癖で』
電話の向こうで困ったように頭をかく仕草まで目に浮かぶようで、笹塚は目を細めた。
確かに彼は滅多に携帯電話というものを使わない。電話も、メールも。
 まぁ、それはただ、自分たちが何かの通信手段で繋がっている必要のないくらいに、常に近くに居たことの証明でしかないのだけれど。
筑紫の言葉にひとしきり笑って、笹塚は電話を持ち直した。彼が電話をかけてくる時は大体、いや必ず用があるのだと知っていたからだ。長く話すことができるように、笹塚は部屋に一つだけ置かれた座椅子に座った。
「それで?何か用あるんだろ?」
『………』
「………?どうしたんだよ」

何故か筑紫は押し黙った。言い出しにくい話をしようという沈黙ではない。それは虚を突かれたような。そう、まるで話すことがない、そのことに今気づいたように。

「………筑紫?」
笹塚の問いかけに、ややあって筑紫は答えた。
『あ、あの…レポートについて質問が…』
「それは昨日終わったろ」
『あっ……あぁ、そうでしたっけ!』
「そうだけど…」
『…………』
「…………」

何かが変だ。用があるなら早く言えばいいのに。筑紫は困ったように黙り込んだまま喋らない。
 笹塚はそれでも黙って待った。口下手な後輩が可愛く思えたのもある。しかしそれよりも、からかってやろうという考えが首をもたげたのだ。

『…あぁそうだ、食事でも一緒にどうかと思って……』
「筑紫、いま日付変わったから」
『……あ、あぁそうですよね!すいませんもう食べちゃいましたよね!』
「…………ん」
『…………………、あの、先輩?』
「ん?」
『…………天気、いいですね』
「……………」
『……………』


ちなみに外は久しぶりの雨である。

笹塚は腹を抱えて声を出して笑いたいのをこらえた。そして、思ってもいないがわざと怒った声で言う。

「…筑紫、用事あんなら早く言えば?」
『……………あ…えぇと…』
「………筑紫?」

またしばらく沈黙が続いて、その間笹塚は必死で笑いをこらえていた。息が苦しい。

しばらくして、観念したように、筑紫は弱々しい声で言った。
『…………その、ただ、』
「ただ?」

『ただ、なんとなく…先輩の声が聞きたかったんです…』


「……………」
笹塚は黙り込んだ。ただ単に話すことを忘れたとか、そんなところだろうと思っていたのである。
『……あの、すいません、迷惑でしたよね…?』
筑紫が気まずそうに尋ねるのに、笹塚は苦笑を浮かべてため息をついた。けどそれはどこか幸せなもので。

「あのな、筑紫」
『……はい?』

そんなことを大切にしていけるような関係が、心地よいと思うから。

「次からは、そうならそうと、ちゃんと言えよ」
 

021:隠密行動
2007.03.22 [Thu] 07:26

イライラと速度を速めて廊下の角を曲がると、匪口は振り返った。

どういう訳かさっきから後ろを石垣が尾けてくる。彼が笹塚を追いかけているというのなら分かる気もするが、どうして自分なのか。追いかけられる理由など全く思い当たらない。かと言って廊下には自分以外誰もいないのだが。

溜め息をつくとまた速度をあげた。そして角を曲がったところで立ち止まる。後ろから分かりやすい足音。全く下手な尾行だ。角を曲がってきた石垣に不敵な笑みを浮かべると、匪口は言った。
「俺を尾けて楽しい?ふんどしソムリエ」
「お前じゃねぇよ!ていうかふんどしソムリエって呼ぶな!」
自分などよりもよっぽど子供の様に、石垣は声を上げた。それを鼻で笑って匪口は意地悪くいい返す。
「じゃあ誰尾けてんの?」
「笹塚先輩に決まってんだろっ」
「え、笹塚さんいるの?」
悪びれもせず石垣は言った。その言葉に匪口は思わず確かめようと走りだそうとした。
そしてその襟首を石垣に掴まれる。
「っ…!何すんだよふんどしソムリエ!!」
「バカ、先輩に見つかるだろ!?」
「バカにバカって言われたくない…」
言いながら、匪口はズレた眼鏡を直した。それに何か石垣が喚いているのをあからさまに無視して、匪口は当たり前の疑問をぶつける。
「てか、一応相棒なんだろ?こそこそ後尾けたりしないで普通に行きゃいいじゃん」
年上を年上と思わない匪口の態度に石垣は頬をひきつらせて、これまた不機嫌な声で答える。
「だって先輩がお前は待ってろって言うから!」
「それで!?ストーカーじゃんそんなの!みなさーんここにストーカーがいまーす!」「わ!!バカバカ、先輩に見つかるだろ!?」
「うわっ、触るなよふんどしストーカー!」
「なんかそれすごい変態みたいじゃん、変な名前つけるな!」

(……てか、後尾けてんのバレバレなんだけど…)
廊下の真ん中で言い争いを始めた二人を眺めながら、笹塚は溜め息をついた。

(似たもん同士、かな……)
 

020:つたないことば
2007.03.17 [Sat] 13:30


思いを伝えるために選べる言葉が、この世界には多すぎる。
無数に枝分かれする選択肢。容積の小さな脳には収まりきらない、同義語の数々。コンピュータに収められたそれらを眺めて、匪口は頬を歪める。

役に立たない。どの言葉も。繕えば繕うほど、綻びが見えてくる。いっそプログラミング言語の方がどれだけ解り易いだろう。導き出したことばに正答があれば、どれだけ。

もしかしたら何処にも無いのかもしれない。この感情を言い表すことば。匪口が知っているのは、ひとつだけだった。けれど、と匪口は思う。そのことばを使うことなど、自分にはできないと。

そのことばは、遠い昔に置いてきてしまったから。