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ねこぢる / 2005年07月11日(月)
ねこぢる日記

不思議な日常生活を綴ったファン必読のイラスト&エッセイ集。

ねこぢる
かわいい猫が繰り広げる不条理で残酷な話で一部から絶大な支持を得ていたガロ系作家。
1998年5月29日に自殺。夫は山野 一。

山野 一 (やまの はじめ)
1961年生まれ。福岡県出身、立教大学文学部卒。
1983年、月刊ガロでデビュー。障害者、差別、電波などを題材にした作風を得意とするガロ出身の作家。ねこぢる死後はねこぢるyというペンネームでその作品を受け継いだ。

ねこぢるライス
 
   
Posted at 22:34 /  / この記事のURL
さだまさし / 2005年07月10日(日)
さだまさし ベストデビュー30周年記念リマスター盤
 
   
Posted at 22:32 / 音楽 / この記事のURL
つげ義春 / 2005年07月09日(土)
ねじ式

紅い花

つげ義春
漫画家。ガロに叙情性の強い短編を数多く発表し、マンガ表現の可能性を広げた。貧しくみじめな風景を愛おしく味わい深く、そして恐ろしく描き出す。
実弟のつげ忠男も漫画家。一時、水木しげるのアシスタントをしていた。

「つげ義春」
つげ義春の隠れ家
 
   
Posted at 22:28 /  / この記事のURL
さくらももこ / 2005年07月07日(木)
神のちから

さくらももこ
1965年5月8日 牡牛座 A型 静岡県清水市
静岡英和女学院短期大学国文科卒。『りぼん』の編集者宮永正隆さんと、1989年に結婚、1998年に離婚した。
高校生のときから漫画を描き始め、作文のテストでエッセイを評価されたため独自のエッセイ漫画を考案し、1984年短大在学中に、教師を絵日記調で描いた「教えてやるんだありがたく思え!」(『りぼんオリジナル』でデビュー。卒業後、出版社に就職するが、執筆活動が忙しくなり退社。1986年から「ちびまる子ちゃん」(『りぼん』)を連載。小学生3年生のまる子の日常をコミカルに描いて、子供から大人まで幅広い人気を博し、『りぼん』の部数増加の吸引力となる。1991年にアニメ化されると、視聴率は20%を常に越え、“平成のサザエさん”と言われるようになる。作詞も担当した「おどるポンポコリン」もミリオンセラーになり、1990年度のレコード大賞を受賞した。RMCの通巻最大部数は「ちびまる子ちゃん」である。漫画以外の分野でも活躍しており、TVアニメの脚本・劇場公開用映画の脚本を担当。1991年には初エッセイ集「もものかんずめ」もミリオンセラーになった。1992年には、「COJI-COJI」(『月刊カドカワ』・『幼稚園』)というメルヘン作品をかけ離れた2誌にオールカラー連載。1997年「COJI-COJI」はアニメ化された。
さくらプロダクション
 
   
Posted at 22:53 / コミック / この記事のURL
ナンシー関 / 2005年06月12日(日)
ナンシー関の記憶スケッチアカデミー

ナンシー関の記憶スケッチアカデミー(2)

ナンシー関
本名・関直美。消しゴム版画家。1962年7月7日、青森県青森市生まれ。
高校卒業後、1年の浪人を経て昭和57年法政大学第二文学部入学。
1983年、自主的に作った「丁稚シリーズ」のはんこがコラムニスト・えのきどいちろうの手に渡り、編集プロダクション「シュワッチ」に参加。
1984年、「ホットドッグプレス」誌で連載「ナンシーの漢字一発!」が開始。この時、当時編集部員であったいとうせいこうに「ナンシー」というペンネームをつけられる。以降、消しゴム版画家としての活動と同時に、テレビ・ウォッチングを軸としたエッセイ/批評もスタートさせる。
主な連載に「チャンネルオフ」「迷宮の花園」「顔面至上主義」(噂の眞相・1990年5月開始)「小耳にはさもう」(週刊朝日・1993年1月開始)「テレビ消灯時間」(週刊文春・1993年10月開始)など。
2002年6月12日、虚血性心不全のために死去。享年39歳。

ボン研究所
 
   
Posted at 22:21 /  / この記事のURL
吉田豪 / 2005年06月11日(土)
元アイドル


人間コク宝

芸能本史上最強のインタビュアーによる濃厚インタビュー集。怒濤のインタビュー18連発。

吉田 豪 (よしだ ごう)
1970年生。プロ書評家&プロ・インタビュアー。
編集プロダクション・アートサプライ入社後、『紙のプロレス』編集部へ。「プロレスを見ない、プロレスライター」として、その文章の異常な面白さが評判となる。
水声社の『マンガ地獄変』のメイン・ライターをつとめた後、芸能人本紹介の第一人者として、20数誌に連載する売れっ子となる。
「月刊TVチョップ」の連載をまとめた「男気万字固め」は、芸能人インタビュー本の最高作として評価を受けた。
 
   
Posted at 23:51 /  / この記事のURL
バミリオン / 2005年06月11日(土)
バミリオン・プレジャー・ナイト

映像クリエーター・石橋義正が繰り出す、奇抜な映像とシュールな笑いでカルト的な人気を集めた、テレビ東京深夜バラエティ番組『バミリオン・プレジャー・ナイト』をDVD化。

吉本興業Fandango
 
   
Posted at 18:53 / DVD / この記事のURL
蛭子能収 / 2005年05月25日(水)
地獄に落ちた教師ども

蛭子能収 (えびすよしかず)
1947年生まれ。長崎県出身。O型。漫画家。役者。映画監督。映画好き。ボート狂。
サラリーマンだった時の経験を生かし、サラリーマン漫画を描く事が多かった。

オフィシャルHP
 
   
Posted at 18:20 / コミック / この記事のURL
山田花子 / 2005年05月24日(火)
自殺直前日記

1992年高層住宅の11階から飛び降り自殺し、24年の短い生涯を終えた漫画家・山田花子。いまだに熱狂的なファンをもつ彼女が、死の直前まで書き記していた作品の集大成ともいえる日記を公開。

山田花子(やまだ はなこ)
1967-1992。東京御茶ノ水生まれ。
2歳の時に世田谷区経堂から東京都日野市百草団地に引越し、21歳まで育つ。5歳の頃に絵本作りに夢中になり、小学生時代に赤塚不二夫、楳図かずお、小林よしのり、里中満智子、ジョージ秋山、新田たつお、日野日出志、水木しげるらを愛読した。中学に入り、いじめに遭い自殺未遂、人間不信に陥る。この頃から漫画に没頭していく。
中3の1982年9月に投稿した「明るい仲間」が『なかよし』ギャグ漫画大賞の佳作に入選する。当時のペンネームは裏町かもめ。この作品が翌1983年に『なかよしDX』1月号に掲載される。同誌の1983年4月号に実質的なデビュー作となる「大山家のお子様方」を掲載。その後も「人間シンボーだ」を連載した。この時期にペンネームを山田ゆうこに変更する。この頃から画風が一転してシュールになる。愛読していた『ガロ』の根本敬にファンレターを出し推薦を受けるも連載はもらえなかった。
その後1987年、「人でなし」が『ヤングマガジン』の月刊奨励賞を受賞、同誌で「神の悪フザケ」を連載する。1989年5月に初の単行本『神の悪フザケ』を出版、同年8月から『ガロ』に連載を開始、仕事が増える一方で精神状態は悪化する。
1991年頃から自分の描くためにバイトで生活して漫画を趣味にしようとするが、うまく適応できずに精神分裂症になり桜ヶ丘記念病院に入院する。退院した翌日、1992年5月24日に百草団地11階から投身自殺し死亡。享年24歳。
 
   
Posted at 00:41 / コミック / この記事のURL
丸尾末広 / 2005年05月17日(火)
丸尾地獄

丸尾末広 (まるお すえひろ)
優美な絵と細かい線で、エロ・グロ・ナンセンス風味溢れる不条理漫画を描く。
関係ないけど、「ちびまるこちゃん」の「まるおくん」は、この丸尾末広から名付けられた。
代表作は「少女椿」。

MARUOJIGOKU
 
   
Posted at 18:12 / コミック / この記事のURL
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