アメリカ合衆国における最古級の火災保険マップ:E.Petrie作「Ichnography of Charleston」 

2012年02月09日(木) 7時59分
最近のデジカメは3000万画素と目覚ましく高画素化しつつある。今回話題にするのはそれを大きく上回る超高精細画像の話題だ。

5300万画素の画像資料(アメリカ合衆国における最古級のFire insurance map(1788年調製、サイズは49×70センチ) ;Ichnography of Charleston, South-Carolina : at the request of Adam Tunno, Esq., for the use of the Phoenix Fire-Company of London, taken from actual survey, 2d August 1788 / by Edmund Petrie.)
1788年当時アメリカ合衆国南部が英国の経済圏の中にあり、史料の中身は南カロライナ州チャールストンの火災保険の評価額算定用に調製された図面(Ichnography )。ロンドンのフェニックス海上火災保険会社(the Phoenix Fire-Company of London)がEdmund Petrieに委嘱して作ったもので、貴重な社会経済史・資料なのだ。

所蔵先はアメリカ連邦議会図書館
検索語句「Ichnography of Charleston, South-Carolina : at the request of Adam Tunno, Esq., for the use of the Phoenix Fire-Company of London, taken from actual survey, 2d August 1788 / by Edmund Petrie」
を入力すると表示される。
画像のリンクURLは以下のようになる。
http://memory.loc.gov/cgi-bin/map_item.pl?data=/home/www/data/gmd/gmd391/g3914/g3914c/ct000423.jp2&style=gmd&itemLink=D?gmd:1:./temp/~ammem_I8mh:&title=Ichnography%20of%20Charleston,%20South-Carolina%20%3a%20at%20the%20request%20of%20Adam%20Tunno,%20Esq.,%20for%20the%20use%20of%20the%20Phoenix%20Fire-Company%20of%20London,%20taken%20from%20actual%20survey,%202d%20August%201788%20%2f%20by%20Edmund%20Petrie.
だが、これは史料として「読解」していく。眺めるだけならこんな感じで十分。



記載された文字を逐一読んでいくには

海龍寺の木製千手観音(身代守り)@尾道市 

2012年02月05日(日) 7時32分
杭荘の故地である久井町の『久井町誌』を購入する必要があるかないかを確認のため市立中央図書館にいくが、瀬戸田か向島の図書館支所にしかないとのことで急きょ後者の子供図書館の方へ。
必要なところは複写し、購入は止めることにした。
向島の小歌島地区に行ったのは生まれて初めて、工場跡地に市民センター・大型スーパー、総合病院、私立中核高校が転入し 街並みも新装・・・。渡船に乗って、途中海龍寺によったということになる。
例の名物犬が石段のところで出迎えてくれた。眼もとに目やにが付いている感じで、そうとうに高齢のようだ。
文化財保護のため、木札型の「千手観音」 (身代守り、¥1000)+首掛け出来るなで仏(¥350)などを買った
前者の大きさは縦横7×4(糎)、厚さ0.9糎、最近はやりの合成樹脂や金属製でないところがよい。
飴玉を2個もらった。

これはお薦め!木札型の「千手観音」 (身代守り)


海龍寺門前の名物老犬




瀬戸田の横山修氏の制作(横山石材店, 0845-27-3198, 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田519 )が制作した「慈母観音像@海龍寺」

御蔭山(龍王山)の山麓の石造物たち 

2012年01月25日(水) 13時04分
旧県道沿いに明治40年に建てられた「百番供養塔」。形状的には自然石を利用した板碑型だが、笠塔婆のごとく、宝珠と笠付きのユニークな形状。あるいは自然石を利用した笠塔婆を意図したものか、その辺は不明。
彫り込まれた文字列の内容は・・・・・

表面には百番・不動明王像が彫られ、その左右に「先祖代々為菩提」「西国秩父関東巡拝」とある。西国33ヶ所、秩父34ヶ所そして関東(坂東)33ヶ所を巡礼し、その合計が100ヶ所であるところから100番という言葉が使われたのだが、その目的が先祖供養という極々私的なものだったとは・・・・・。したがってこの石造物は巡礼供養塔(特に100観音巡拝を記念した「百番供養塔」)ということになるのだが、問題は側面の金石文だ。



側面に書かれている内容は明治40年段階に成就された内容として「大峰山」への登拝と「四国」の諸神巡拝が記載されている。これは表面の内容とは少し性格が異なる。
恐らく」「西国秩父関東巡拝」と「大峰山」の回峰と四国(は石槌山ではなく)88か所霊場巡りとが別の巡礼の項目として記載されている。おそらく両者は時間的に少し間を置いているのだろう。
巡礼者は77歳の大平さん(「藤原楠木110代大先達弘楽院」を自称)と35歳も若い、その妻(旧姓古志カツさん、42歳)。ここで使われている「行年77才」は享年77才(死亡年齢77才)の意味ではなく、これまで生きてきた年数を示す。供養塔はカツさんの実家のある御蔭山の山麓集落の県道沿いに立てられたものだ。
不動明王像はこの老修験者が制作したものだろう。わたしはそういう印象をもった。


藤原楠木(くすぎ)110代大先達弘楽院俗名太平さんとは一体何者なのか。
「大先達」とは巡礼者にとっては、教団組織からあたえられる称号。西国33カ所では6回巡礼を経験するとこの称号が与えられる。「藤原楠木」だが、地元の古志さんは「クスキ」と発音していた。クスノキではないようだが・・・・、楠木正成を連想させる。近畿地方いや、西国的な響きを持った苗字だ。
この人物については現状では憶測の域を出ない話だが、地方に定住した熊野願職(クマノガンシキ、諸国回遊し、勧進奉加を募ることを職務とする山伏さん)のような方だったのだろうか、それとも半農半僧的なライフスタイルを取る信仰心旺盛な普通のおじさんだったのだろうか。まあ、この人は「先祖代々為菩提」に観音霊場巡りをしたと言う点で熊野願職ではないのだろう。

明治40年のことなので、そういう仮説を立てながらフィールドワーク(聞き取り作業)を今後も継続してみることにしようと思っているところだ。

拡張子JPEG2000用の画像閲覧用Pluginの所在とそれを活用した画像の閲覧方法 

2012年01月18日(水) 22時09分
画像ファイルにはJPEG、TIFFなど様々だ。今回紹介するJPEG2000はJPEGの進化形で、従来のJPEGよりも高圧縮、高品質な画像圧縮が行えるのが特徴
JPEGとJPEG2000比較
このようなJPEG200なのだが、欠点は現在のソフトでは対応していないことである。つまり、現在は標準のブラウザでは表示することができない。表示させるためには、プラグインをインストールすることが必要なのだ。
幸い、最近ではAdobe photoshopのプラグインもあり、photoshopで書いた絵をJPEG2000で保存することができるし、今回紹介するフリーの「Irfan View」というものがあり、このソフトでもJPEG2000を利用することができる。




上の画像をクリックするとIrfanview.comのサイトに移動。これより「Plugins」中より、JPEG2000用のPluginを”2. iv_formats.zip.”より入手し、これをIrfanviewのPlugnisのフォルダにコピーし貼り付ける。


石清水八幡社領藁江荘故地に見られる祭祀遺跡 (再録) 

2012年01月12日(木) 18時22分
御蔭山(龍王山、221メートル)へ再度、訪れることにした。
登山道の入り口で、大村という仏壇屋の幸運にも老主人(下の写真の男性)に出会う。


この地方には仏壇屋の主人の話ではお祖父さんたちが神武天皇上陸の地という石碑(柳津御上陸之地)まで建てたとか・・・。今津というところには近世に創作された神社縁起の中で新羅王が漂着したという伝承が記載されているが、同系のものだろ。ここは京都石清水八幡社領藁江荘(中世には製塩し、京都に運搬)の隣接地に当たり、また地名のごとく瀬戸内水運の湊であったから、貴人寄港・漂着伝承が語り継がれてきても少しもおかしくはない。
写真中の「荒神社」は貴船荒神のこと。



紀元2600年を祝って建てられた神武天皇の上陸地を示す石碑がこれ




紀元2600年奉祝事業の中で郷土史の再発見がはかられた

これから、国学系神道史観うずまく、柳津地区住民にとっての龍王山Aを訪れる訳だが、ネット情報を検索していて、解ったことだが、どうも龍王山一帯(この龍王山西方、藁江荘の北西部山中、緑陽公園=金江地区の住民にとっての狭義の龍王山Bに立地)には7世紀ごろの古墳群があるらしい。そういうこともあって、県立の青少年の家のウォークラリーコース上に「祭祀遺跡(立石)」という標識があっても、妙に納得するところがあったのだ。

しかし、百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、実際に訪れてい見ると・・・・。
祭祀遺跡とされた付近には花崗岩の採石場がある。よく見ると、一つの石切り場で半加工の石柱が放置されていた。

  


浄土寺@広島県尾道市探訪 3 

2012年01月10日(火) 18時56分
浄土寺の「延命地蔵」(明治6年制作)を中心にご紹介。

まず、浄土寺の本堂と阿弥陀堂の間にある六地蔵と慈母観音(

これほど立地場所的に優遇された六地蔵さんも珍しいのではなかろうか。



瑠璃山(浄土寺山,Jodoji mt.)@尾道探検(Onomichi) 2 

2012年01月09日(月) 19時37分
本日は大般若法会が開かれた。20人ほどの信者(全員が老女)があつまり、複数の僧侶が大声(むしろ絶叫にちかい大声)をあげ大音響とともに経典を転読していた。



浄土寺の東隣にある海龍寺門前の名物犬



浄土寺の境内全景・・・・本堂(本尊:十一面観音)・阿弥陀堂・多宝塔。護摩(不動)堂は多宝塔の向こう側にある。





新年、明けましておめでとうございます! 

2011年12月29日(木) 20時58分


原画→「10/29/2010 11:43午前 1,011,186 ESC_large_ISS025_ISS025-E-9998.JPG」

時間の形 

2011年12月13日(火) 22時09分
時間を変動・不動のうちの不動というか持続性という局面から形象化するとテンポとかDuration(期間、持続時間)という時間の形が浮かびあがってこよう。
例の本川 達雄:「ゾウの時間・ネズミの時間サイズの生物学 (中公新書)

スケーリングの話をここで展開する余裕はないがたとえばナノ秒〜光年まで時間スケールにはかなり幅がある。
日本の説話の中には興味深い時間観念が語られる。
たとえば、お伽ばなしの『浦島太郎』の中ではこの世とあの世(竜宮城のある場所)との交通が話題とされ、この世とあの世(この場合はある種の神仙郷)との間には3年対300年程度の時間スケールの差があった。
今昔物語集 巻16の17』には家の床下に住むキツネが化けた女との蜜月生活をおくる長者(地方の金持ちのおっさんこと賀陽良藤)の説話が登場するが、ここでは確か人間の世界での2週間程度の浮気期間が動物(キツネ)の世界では十数年程度の期間として語られていた。

今昔物語集 文献
今昔物語巻16
たくさんの類例をチェックする必要があるが、どうも前近代における日本人の文学的思惟の中には動物の世界・人間の世界・神の世界の3者間にはたとえば時計の秒針・分針・時針のようなテンポのことなる複数の時間スケールが存在したようだ。

つまり動物の世界では「移ろい行く季節」は秒針の動きのようにせわしなく変化する。それに対して竜宮城のある神仙の世界では時間が相当の長周期で、時針のごとく、ゆっくりと経過していく。そういう意味ではここには”悠久の時”があったのだろうかぁ(笑)

そういう思惟の仕方をすると、この世の「樹齢300年」は神仙の世界の高々樹齢3年程度に収まってしまうものなのだろ。

哲学的には時間論はベルグソンに始まるようだが、皆さま方はベルグソンって全く知らないか、知っていたとしても何処かの珍獣君だと思ってませんでしたか。
そういう意味では下の写真は複数の時間性(週末というweeklyな時間性、昼下がり否朝方というdailyな時間、親子という世代間の生活時間・動物園に類人猿を閉じ込めそれを人が眺めるという図式が完成する世界時間中の「近代」そしてサルとヒトとの間の進化論上の時間性)を含んだなかなか面白い写真だと思う。





復刻版『芸藩通志』いろいろ 

2011年12月06日(火) 18時11分
『世羅郡下調べ書出帳集成 : 芸藩通志編集資料』は幕末期の庄屋の提出した村明細帳を世羅郡に限定して集成したもの。『芸藩通志(1825)』は広島藩内の村明細帳の内容を取捨選択の上、郡単位に編成して公刊したもの

お隣の『防長風土注進案』(山口県)に比べるとこちら『芸藩通志』の地域情報は、支配者側が藩領の全体像把握を目的として編纂されたものであり、現代的視点から言えば史料的にはそこそこのものだが、安芸国8郡、備後國8郡ごとに郡・村図、地勢、道駅・村里・田畝歳額・租税、戸口・牛馬舟船・山林・河川・島嶼・池塘・社倉・物産、祠廟、古蹟名勝・孝義・故家、土官流寓・廃墟・墳墓となっており、中々ユニーク(地図情報満載)で私的には研究上の利便性がとても高いと思っている。

全159巻で、巻別の構成は次のようになっている。
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