完全復帰 

January 28 [Fri], 2005, 1:08
しました。
がむしゃらにいきます!

隊長! 

January 05 [Wed], 2005, 2:06
前の人がイスを倒してきました!これでは足を座席の上に乗せても、ストレッチ効果は期待できません!
月はあんなにきれいなのになぁ、、、。あんなきれいな月を見ている俺と、月を見ないで寝ている他人様とを比べたら、他人様の方が幸せなんだろうなあ、、、。俺は月見草!

orz 

January 05 [Wed], 2005, 1:45
ムダァ・・・ッ!

これだ! 

January 05 [Wed], 2005, 1:38
この態勢だ!
これなら眠れる!

暑い! 

January 05 [Wed], 2005, 1:12
眠れん!!(*`θ´*)

あけおみゃ〜 ことよにゃ〜 

January 04 [Tue], 2005, 22:35
というわけで大阪に帰省してまして、現在つくば行きのバスの中です。眠れないのでBlogつけてる愛闘哲です。
明日の朝つくばに着きます。もうアホかと。ウ゛ぁかかと。朝速攻で集中授業入ってます。てゆーか氏ね、喪前ら。普段こんな口癖のasatomatoこと、しんたいらんと一緒に授業受けます。~ヽ('ー`)ノ~
もう今から気が滅入ります。
ああ昼寝してえ!

大阪で食べた「かきあげ納豆そぱ」 

January 04 [Tue], 2005, 22:21
劇マズ!

帰省しました! 

December 29 [Wed], 2004, 17:52
しばらくパソコンに触れず、携帯から書き込むだけの日々になりますが、皆様ご了承の程よろしこ。よい御年を!

今頃!映画『マトリックス』評 

December 28 [Tue], 2004, 12:34
信仰・愛・選択―映画『マトリックス』の場合−

 この映画は、未来世界における、人間とロボットの確執を描いた物語だ。しかしそれゆえ、いや、やはり、形而下に留まざるをえなかった。ハイデガー的な、かの「存在の秘匿」なるものには一切触れ得ない。それは本作において、コンピューターのプログラムにすりかえられている。しかし、そのコンピュータのプログラムの「上」には何があるのだろうか?仮想世界「マトリクス」は、数字・記号によってなりたっている。つまり、プログラムから成り立っている。しかし、数字を数字たらしめているもの・記号を記号たらしめているものの根源は何なのだろうか?コンピュータはそれらを利用しているだけで、それらを存在せしめてはいない。さらなる未知なるものについての疑念は、本作においては見過ごされている。
 
 しかしそれにも関わらず、本作は自らの実存を揺るがすものである。世界がプログラムであり、機会に支配されているのだという現実。これは我々自らの根拠の無地盤さを暗喩として示す。我々はマトリクスの住人ではなく、機械に操られてもいない(と仮定しておく)。しかしそれにも関わらず、ときに我々がどこから来たのか、そしてどこへ行くのかという問いを持つ。そこには「存在の秘匿」なるものがある。
 
 このような状況に、映画『マトリクス』はどのような照明を与えてくれるのか。モーフィアスは預言を「信仰」することの道を選んだ。だがそれすらも、プログラムされたものだという。しかし最終的に彼は、主人公のネオを信じた。トリニティーとネオは「愛」という関係性を持った。それはネオを救世主として目覚めさせる力を持った。だが、スミスとの最後の決戦において、ネオはそれすらも超える。ネオの最大の敵であるスミスは言う。

今頃!映画『マトリックス』評2 

December 28 [Tue], 2004, 12:30
「なぜ貴様は戦うのか。それは自由か、真実か、平和か、それとも愛のためか?しかし、それは幻想だ。愚かな人間の知性が意味も目的もなく存在するのを必死に正当化するためのつかの間の幻だ。マトリックスと同じように虚構にすぎない。(中略)なのになぜそこまでして戦う?」

それに対し、ネオは「そう選択したからだ」と答え、最終的にはスミスを倒し、平和をもたらす。

 この二人の問答は、人間が(そして心・知性をもった機械もまた)永遠に回答を導き出せないものである。私とは何か。私とは虚構にすぎないのか。自由や真実や平和や愛なども、単なるまやかしにすぎないのではないか。哲学者のデカルトは方法的懐疑という懐疑(「われ思う。ゆえにわれあり」)を思考の根本においたが、今やその土台すらもが崩される。思考する「私」というのは、確固たるものなのか。「私」とは誰か。
しかし、その揺れ動きの中で、人は「選択」する。「私」は誰か、わからない。しかし、「選択」によって、「私」は私を創造する。世界を創る。そしてそのことによって、自らの存在をまっとうさせようとする。

人間はこの無地盤な世界において、究極的には「信仰」するしかない。その各々が仰ぎ、信じるものにかけて「選択」を行っていく。それは、闘争の世界である。人間同士の闘争、人間と機械との闘争、天使と悪魔、「神」との闘争・・・。そこにおいて、人間は愛を求めもする。何らかの愛ゆえに闘争し、闘争を通じて自己の愛、信仰を確認する。そのことで「私」は私を創造し、自らの存在(実存)をまっとうさせる(「選択」する)のだ。たとえひきこもる(マトリクスの只中で生きる)としても、そこには「選択」があり、存在論的には差異がない。が、そこから創造される私の差異はあきらかであり、その差異をどのように価値付けるかも各々の「信仰」によるのであり、そのことは、各人の存在完遂によっているのだ。
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