国立能楽堂企画講座「現在七面」
2005年09月23日(金) 8時57分
昨晩、つつがなく公演が終了いたしました。お運び下さいました皆様には心より御礼申し上げます。九月六日の研究講座の時にシテの浅井師が「つまらないですから」を連発されたので、「どれぐらいつまらないのだろう」と却って興味をかき立てられた方、「とんでもないチケットを買ってしまった」と後悔なさった方、さまざまだろうと思いますが、全体的にはかなりコンパクトにまとまっていたのではないかと思います。
以下、ネタバレ込みの感想です。
通常、ワキは一畳台の上に居るのですが、今回は半畳台にしました。あれぐらいの大きさの方が高座石の雰囲気が出るのではないかと思います。また、前場は法華経の難解なことばが沢山出てきて、現代のわたし達には詞章なしには理解することが出来ないところが多いため、思い切って詞章をカットすることにしました。「実盛」風に日蓮の説法の最中に前シテが登場する方がドラマ性があっていいのではないかという浅井師のご提案で、そのような形になるよう手を加えてあります。シテの中入した時の笛は六郎兵衛師のアイデア。池の大蛇を髣髴とさせるどろどろ感が良く出ていましたよね。
後場、白頭に大きな龍戴の後ジテがゆっくり歩みを運ぶ姿は、重い罪障を背負わされた女人の苦しみとオーバーラップするようですらありました。あの長袴姿で半畳台の周りを回るところはなかなか圧巻。七面大明神縁起の舞台化という意味ではあれぐらいやってもいいでしょう。そして天女への早変わり。歌舞伎チックな外連味を出すよりはもっと正々堂々と物着をしようということで、物着アシライの間に脱皮?したわけですが、後見の手際が良かったので、とてもスムーズでした。天女姿になった後シテの可愛いこと。本当に嬉しそうに軽やかに神楽(直らず神楽留にする)を舞う姿が印象的でした。この部分も、意識的にワキに向かって受ける型を多くなさっていたのですが、お気づきになりましたでしょうか。
終演後、「面白かった」と言って下さる方もいらっしゃって、台本検討に関係した者としましては肩の荷が下りたような気がいたしました。文言をカットすることで法華経(ひいては日蓮宗)の宣伝という色合いは若干薄まってしまいますが、舞台を見ずに詞章と首っ引きで謡を聴くだけ、というのではあまりに勿体ない。このような試みもたまには悪くないのだろうと思った次第です。
以下、ネタバレ込みの感想です。
通常、ワキは一畳台の上に居るのですが、今回は半畳台にしました。あれぐらいの大きさの方が高座石の雰囲気が出るのではないかと思います。また、前場は法華経の難解なことばが沢山出てきて、現代のわたし達には詞章なしには理解することが出来ないところが多いため、思い切って詞章をカットすることにしました。「実盛」風に日蓮の説法の最中に前シテが登場する方がドラマ性があっていいのではないかという浅井師のご提案で、そのような形になるよう手を加えてあります。シテの中入した時の笛は六郎兵衛師のアイデア。池の大蛇を髣髴とさせるどろどろ感が良く出ていましたよね。
後場、白頭に大きな龍戴の後ジテがゆっくり歩みを運ぶ姿は、重い罪障を背負わされた女人の苦しみとオーバーラップするようですらありました。あの長袴姿で半畳台の周りを回るところはなかなか圧巻。七面大明神縁起の舞台化という意味ではあれぐらいやってもいいでしょう。そして天女への早変わり。歌舞伎チックな外連味を出すよりはもっと正々堂々と物着をしようということで、物着アシライの間に脱皮?したわけですが、後見の手際が良かったので、とてもスムーズでした。天女姿になった後シテの可愛いこと。本当に嬉しそうに軽やかに神楽(直らず神楽留にする)を舞う姿が印象的でした。この部分も、意識的にワキに向かって受ける型を多くなさっていたのですが、お気づきになりましたでしょうか。
終演後、「面白かった」と言って下さる方もいらっしゃって、台本検討に関係した者としましては肩の荷が下りたような気がいたしました。文言をカットすることで法華経(ひいては日蓮宗)の宣伝という色合いは若干薄まってしまいますが、舞台を見ずに詞章と首っ引きで謡を聴くだけ、というのではあまりに勿体ない。このような試みもたまには悪くないのだろうと思った次第です。


