短詩型文学賞の日 

2007年05月06日(日) 16時19分

高知県短詩型文学賞授賞式(H19・3・25)
10年間の挑戦もこの日で終り。
嬉しくてちょっと寂しい。
前列向かって左から北村泰章、久保田真子、清水かおり
後列はお祝いに来てくれた高橋由美と山本三香子

 

2006年06月22日(木) 22時32分
友人Aが恋をしている。
もう何年もだ。
魂の半分と出会ったような恋だという。
誰にもわからないだろうと言う。

川柳を書くとき
私も恋をする
私の魂の求めるもの
その言葉に・・

影絵 

2006年06月16日(金) 22時55分
藤城清治のカラー影絵は誰でも一度は
目にしたことがあると思う。
影絵と呼ぶには美しすぎる光の芸術。
海の中のピアノとか、雪の中の温室とか
詩的な世界に魅了される。


馬のモチーフが大好き。

 

2006年05月21日(日) 23時15分
アナスイのティッシュケース。
娘から母の日のプレゼントです。
人からプレゼントをもらう機会は年とともに少なくなってきたので
とてもうれしい。

母の日の前々日、通勤途中の私の車の前を荷台いっぱいに
カーネーションの鉢を積んだ軽トラが走っていた。
カーネーションは可愛い花だけど、おきまりのように
母の日=カーネーションではちょっとさびしい。
その人の好きな花とか似合う花を贈られるほうがぜったいうれしい。
花を選ぶ数分間、その人が自分を思ってくれた時間を感じるからだ。
昔、誕生日に職場へ花屋から花束が届けられたことがある。
ちょっとしたサプライズで職場の女性達からうらやましがられた。
日本の男性は花を贈る習慣がないのが残念だなと思う。
花は意外なほど心を伝える役目をしてくれるのに。

モク 

2006年05月14日(日) 10時35分
モクです。
動物愛護協会でもらいました。
朝から晩までべたべた
くっついてくる猫です。
おかげで私の服には
この子の白い毛がいつも・・・。

山頭火 

2006年05月12日(金) 23時07分
小学校の頃の通学路に駄菓子屋があっていつも寄り道をしていた。
駄菓子より、その店のたこ焼きが目当てだった。一個5円くらいだったかな。
2個でも3個でも売ってくれた。店にテーブルと椅子が置いてあって夏には
カキ氷も出していた。小さいお皿にほんの少しのカキ氷。小学生のお小遣
いで買える量を売っていた。
その店の両隣は酒屋と旅館だ。3軒ともひなびた店で私の年の日本人な
ら誰もが感じるノスタルジックな風情である。しかし数年前に駄菓子屋は
店をたたんでしまった。が、酒屋と旅館は今も健在だ。こんな田舎のさび
れた旅館に宿泊する客がいるのだろうかと思うが、いわゆる遍路宿として
けっこう流行っているのだ。
最近その通学路を通ったときのこと、酒屋の店先に手作りらしきイーゼル
のようなものが置いてありそこに小さな黒板がたてられていた。
見ると白墨で山頭火の句が書かれていた。「分け入っても分け入っても青い山」。へ〜っと思いながら、又、数日後通ってみると、「立ちどまると水音のする方へ道」。
そういえば、その店の中では大人がよくコップ酒を飲んでいた。決まってひとりの客であった。
旅館も、酒屋も、そしてあの少しの量でも嫌な顔のひとつもせずに売ってくれた駄菓子屋も、この地を
訪れる旅人のための店だったのだ。

民族文字 

2006年05月10日(水) 16時58分
中国の奥地にトンパという民族がいてそこではトンパ文字という
独特の象形文字が伝承されていると本で読んだことがある。
絵画性の強い文字でかなり自由な書き方をするのだそうだ。
同じ物事を10人で書けば10人が違う書き方をするらしい。
そして書かれたものを声にして読むときにも人によって
ちがう読み方をするのだという。それはトンパ文字が表意
文字で表音文字ではないからなのだそうだ。
この表意文字というところに、川柳がすこし重なった。
句を詠むとき、あるいは読むとき、文字に反応する意味の
変化は人によってずいぶんと幅があるものだ。
「雨」と書いて想像する雨は10人いれば10人ぶんある。
私たちはその雨に繋げる日本語でつくるイメージの授受を楽しんでいる。けれども
その意味が実際に授受されたかどうかは不明なのだ。90パーセントくらいはいくこと
もあるだろうがそういう句はつまらないことが多い。本当のところはその不明な部分を
ものすごく楽しんでいるのが私たちなのだ。独特な共通意味語みたいなものもあるので
ちょっとした川柳民族みたいなものだと思ったりする。

機能美 

2006年05月07日(日) 14時58分
体重が増えると動きにくくなる。
「機能と美しさは比例しているといえるね。
 人間を見ているとよくわかるよ。」
自己管理をいっている。
欧米的な考えかたをする人だとおもう。
ぼんやりとその口元を見ながら
考えていた。
川柳も似ているな。
肥えた句は審美的でないと思うことがある。
生き方もだ。
説明くさい生き方はしたくないのだが。

かたち 

2006年05月05日(金) 15時58分
はじめて句会に行ったとき「選者」というのはこの道のプロで、先生と呼ばれる雲の上の人達なのだと思った。2回目に行ったとき、いや、そうでもないらしいと思いはじめ、何回か回を重ねるうちに、選者はその大会の主催者がイメージした「大会のかたち」に近づけるための人選なのだと理解した。
2年前、自分達が川柳大会を主催しようとした時この「大会のかたち」のイメージが統一できていなくて最後まで混乱したままだった。
「選者で大会の重みが決まる」という意見が出た。重厚な大会を意識した意見だ。
「いや、旬の人、未来を感じさせる人にお願いしたい」
「今まで本誌を支えてくれた人に」
「多数決で決めよう」「いや、絶対承服できない」
自分達が望んだ「大会のかたち」は何だったのだろう。おそらく誰も答えられないと思う。
混乱そのものが想定外だったからだ。
その日、私たちは何かを残せたのだろうか。ただの記念日になってしまったのではないか。
もう一度、話し合ってみたい。

見えざる悪意 

2006年04月30日(日) 13時51分
「振りまく人と吸い取る人がいるんですよ」
その人は言う。
ダークな気分の話だ。
どうしてそんな話になったのか覚えていない。


吸い取った人はどうするんですか。
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