骨と精神

August 15 [Fri], 2014, 16:29
 母のお骨を食べたいというエッセイ漫画がセンセーショナルに本屋の棚を彩っている。
理解できる、カニバリズムとは本来そういうものだからだ。愛するものを「たべる」という行為によって自己の体内に取り込み永遠に一体化する。それは愛だ。誰が何と言おうとも。

 僕は自分の死後、意識なき我が身体がどのように扱われようと構わない。Cogito ergo sum. われ思う故にわれあり、意識ない身体はわれではない。そんな物は生きているものが気の済むように処理すればよい。

 叶うことならば。僕はお骨を踏みにじりたい。炎天下、陽炎立つアスファルトの道路に骨壺の中身をぶちまけて、その一つ一つをその日のために用意した固い厚底ヒールで踏んで粉々にすりつぶすのだ。粉になったお骨は夏のぬるい風に吹き飛ばされてどこへともなく霧散するだろう。骨壺は墓石にたたきつける。白い陶器は粉々に砕け散るだろう、その破片の上から、墓石に汚水をかけたい。糞尿を、しかしこの現代そんなものは手に入れにくいから泥水でも構わない。とにかくきれいでない液体をかけたい。甘ったるいお酒でもいい、きっと虫が湧いて見苦しいことになるだろう。

 そうしたら、そうなったらどんなに気が晴れるだろうか。それとも、全く気が晴れないのだろうか。死者に口なし、あるいは毎晩枕元に立たれるのだろうか。それはそれで構いやしない。そこまで考えて、僕は缶ビールの2缶目をあけた。
P R
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