北海道(結構重い話題です)

October 22 [Thu], 2009, 22:14
全然更新してなかった。誠君との付き合いにうつつを抜かしてしまっていたのか…
でもやっぱり落ち着いて考えをまとめることも大切だ。題名にもあるとおり
重めな内容なので、心に余裕のあるときに読んでくださることをおすすめしますm( _ _ )m


でも誰かまだチェックしてくれてる人いるのかな。見てくれる人、ありがとうございます。


誠君を訪ねて、伝道会議に一緒に参加するために北海道に行った。
そこで男はつらいよみたいな出会いを体験をしてしまった。

この旅はなぜかいろいろと泣けることが連発だった。それも全部嬉し涙だ。こんな旅は
生まれて初めてだ。神様、一体こんなに一気に何なんですか?と思ってしまった。


まずは誠君のご家族との出会いだ。誠君のお母さんは今まであった人の中で
一番まっすぐで正直で人に対する思いが強い人だと思った。しかもすごい苦労人だ。
合計2日一緒に過ごさせていただいたが、最初から最後までテンション高くニッコニコ
していて二人の訪問を言葉と体で喜んでくれた。最後は泣きながら別れを惜しんでくれて
分厚い手紙までくれた。
ここまで自分の存在を喜んでくれる人っているのかと驚いた。この方に比べたら自分の
人を思う気持ちがものすごくちんけに見えた。

お父さんも、疲れてる中たくさんもてなして下さった。誠君や弟の写真を沢山携帯に保存
していて、かわいがっているんだと感じられてとても嬉しかった。

次は北見の教会の方達との出会いだ。伝道会議に一緒に参加し初対面ではあったが
寝食を共にした。最初は緊張していたが、彼らの主と教会、そして牧師への愛の
半端無さに感動するようになった。いつも楽しく話しているんだけど、それでいてすぐに
お互いの深い部分や神様の話を分かち合えるような信頼関係がある。

初めて会ってそのまま一緒に銭湯に行ったが露天風呂で一人のおばさんが
こんな小娘相手に熱く証をしてくれた。普段ものすごい早風呂の私だがその時ばかりは
嬉しくて必死にのぼせそうなのを耐えて聞き続けた。

ディボーションの時間もそれぞれものすごく真剣だ。一人ひとりが自主的に
神様との関係を築こうとしているのが伝わってきた。

その中で一人のおばさんと親しくなった。彼女は自らをサマリヤの女と呼ぶ
波乱万丈の人生を送ってきた人だった。そんな事情を知らなくても話しているだけで
何か気迫を感じる人だった。たまたま彼女と同じ分科会に出たきっかけで弟の話をした。

そしたらその夜私が一人のときに話しかけてきてくれて、弟の名前を聞いてくれた。
そこでぼそっと「もったいない命だ」とつぶやいた。

なぜかそれを聞いて、彼女の人生の辛酸がこの一言に凝縮されて、そしてその人生でもって
この出来事に共感してくれているのだという気がした。

その後自分でもどこから湧いてくるんだろうと不思議なくらい涙が後から後から出てきて
(その時の感情はどう頑張っても言葉にまとめられなそうだ)心が平安で一杯になった。
イエス様の癒しはこういうものなのかもしれない。「傷ついた癒し人」だ。
メールで別室にいる誠君にそのことを報告したら泣いたらしい。この女性の持つ癒しを
感じるのは私だけじゃなかったんだとわかった。


後は聖餐式を伝道会議の参加者約2千人で行ったこと。
上に書いたことがあった後だったので余計に、この一人ひとりの人生のすべて
の重荷はイエス様が十字架で負ってくださったのだという思いが湧いてきて
涙がとまらなかった。


書いていたらキリがなくなってきたし何か恥ずかしくなってきたのでこのへんでやめておく。

見方によってはメソメソした湿っぽい旅かもしれないが、私にとっては一生忘れたくない旅だった。
いつもはこんなに頻繁に泣いたり、感情が大きく揺れ動くことがないので、びっくりもした。

イエス様はこう言ってくれる

「わたしが与える水を飲むものはだれでも、決して渇くことが
ありません。私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命への水がわき出ます」

こんなに沢山泣いたのに、心は満たされていた。こういうことなのかもしれない。

最近人生に起きる辛いことの意味について考える。

洗礼式

May 23 [Sat], 2009, 12:28
洗礼をついに受けた。

ともちゃんが言ってくれたが、新しい牧師が初めて会堂でメッセージをする時に
洗礼式が重なったことは神様の備えであるということだ。
人が救われイエスを主だと告白する洗礼式というもっとも基本的喜びの中で
教会に集う者同士が神の家族としての一致をはっきり感じたと思う。
これからの教会の歩みにとても期待できる礼拝になったと思う。
新しい牧師さんも「これからの教会の祝福の歩みを象徴するような時になった」
と言ってくれていた。

礼拝は洗礼がテーマだった。あまりにもそのまま洗礼のことだったので
びっくりしたが、洗礼式に来てくれた未信者の家族や友人にとってとても素晴らしい
理解の助けをしてくれて、洗礼式を目撃する準備が整えられたような気がする。

式はとても緊張していた。ほとんど笑えなかった。でも証はゆっくりとしっかり
話そうと心がけた。最後のイエス様の素晴らしさの箇所に来たところで胸が熱くなり
涙が出かけた。

誓約は、一番最後に先生のオリジナルで確か「あなたはイエスキリストに見習い、家族、友人
すべての隣人を愛することを誓いますか」という内容だった。
とても思い誓約だと思ったがこれが神様が人に求めていることであり
そのためにイエス様が命を投げ出してくれたのだ。ここでも感極まってしまった。

何て言えばいいのかわからないのだけど、礼拝も、賛美も、証も、誓約も、交わりも
全てに「命」が満ち溢れていた。全てが生き生きしていた。体の芯から熱くなり
思わず叫びだしてしまいそうな喜びが湧き上がってきた。

私はいつも神様のすばらしさを求め考え話していてもまだまだ神様のすばらしさの
ほんの少ししか知らないし実際に「体験」をしているのかわからない。
というより生活の中でこれほど神様を意識していかないと心から神様を喜んで
求めるようにならないのではないかと気付くようになった。

これからどういう人生の試練が待ち受けているのか全く見当もつかない。
今こんなに近く慕わしく感じているイエス様が遠く感じてしまう事態がいつか
起こるかもしれないということも全く想像がつかないししたくもない。

洗礼式の時のような良いときも、これから待ち受けているかもしれない悪いときも
変わらずイエス様を慕ってついていきたい。

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
(詩篇133:1)

受難礼拝(Good Friday)

April 11 [Sat], 2009, 1:44
今日はイースターである明後日日曜日の、前の金曜日に行われる
受難礼拝でした。

「イースタ」ーはキリストの復活の意味なので 

その前の金曜の「受難」礼拝はキリストが十字架に釘付けられたことを
もう一度思い返す礼拝でした。


私の教会には今まだ牧師さんがいないので、集まった何人かで
聖書の、受難のことが書いてあるところを読んで、古い賛美歌歌って
ひとりずつ祈って1時間くらいでひっそり終わりました。

本当に地味で静かな集まりだったのですが
自分にとってはクリスマス以上に心に染み入る礼拝でした。



「彼には私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、

 私たちが慕うような見ばえもない。

 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で

 病を知っていた。

 人が顔をそむけるほどさげすまれ、

 私たちも彼を尊ばなかった。

 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

 だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、
 
 苦しめられたのだと。

 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、

 私たちの咎のために砕かれた。

 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって

 私たちはいやされた。

 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな

 道に向かって行った。

 しかし、主は、私たちのすべての咎を

 彼に負わせた。」


 (↑キリスト誕生の400年位前に、キリストについて 
  予言された旧約聖書の箇所)


明日になればもう今の気持ちが薄れて、朝ごはんがしょぼいとか
しょうもないことで一喜一憂しそうな嫌な予感がするけど

去年の今頃は(しょうもなくなかったことだけど)社会人一年目
で研修のことばっかり考えて受難礼拝とか一切頭になかったし…

でもそういうしょうもないことを、当然見越されてもものともしない
「受難」は人生を揺るがす出来事だと改めて思わされました。



言い切っちゃうマザーテレサ

April 06 [Mon], 2009, 16:28
今日下記のマザーテレサの詩初めて知って覚えておきたかったので、更新します。


●『あなたの中の最良のものを』  マザー・テレサ


人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
けり返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。



この詩を読んでこうも言い切れるっていうのはすごいと思いました。
私がもし同じこと思いついたとしても例えば「善を行いなさい」っていうんじゃなくて
「善を行ったほうがいいと思う」とか逃げ道を作っちゃうでしょう…。

最近、特にこのような、生き方や人生の課題の向き合い方に関して言い切ることには勇気が
いるとよく感じます。その言葉に自分が責任を持たなくてはいけなくなるとやっとわかってきたから。
その言葉が果たせない時に恥ずかしかったり、自分の非を見なくてはいけないから。
それにその言葉そのものが正しいのかも疑問だからです。

この詩が彼女の人生のいつの時点で書かれたのかわかりませんが、この言い切り方は
彼女自身が、この詩そのもののイエス様の人生を歩もうとするなかで数え切れない経験と試練を
経た中で自然と口から出てきたものだろうと思いました。

人は自分自身で経験したことしか言い切れないのでしょうか…


クリスチャンとして、人生の経験の中で最も言い切るべきことは
「私の罪はイエス様の十字架のあがないで救われて、今も生ける神様と交わりを持っている」
ということなのでしょう。

そして聖書の言葉を一つ残らず信仰と愛をもって言い切ることが本当は出来るはずなんでしょう。

牧師さんは日々の説教でそれを実践しているのでしょうか…。だとしたらすごいしうらやましいです!


神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。(民数記23:19)





便所掃除の奇跡

April 02 [Thu], 2009, 15:17
mixiと同じ内容です。


今週の月〜水に、私が通っている教会と、関東内の教会と
合同で中高生用のキャンプにスタッフとして参加しました。

そこで最後に宿舎の掃除をしていた時に、トイレ掃除をしようと
してたのですが、トイレに向かうとなんと参加者の一人の
女の子が既に黙々と掃除をしていました。

ちょっと感動して一緒に掃除をしていたら前寅さんの中で読まれた
便所掃除の詩っていう詩が思い出されてどんな詩だっけなー
と考えていたら彼女がおもむろに「そういえば便所掃除っていう
詩がありましたよね」って話しかけてきました。

なんかめちゃくちゃ嬉しくて、自分も同じこと考えてたよと言ったら
「便所掃除中じゃなかったら抱きついてましたよ!」
と言ってくれました。

こういう瞬間ってそう無いんじゃないかなと思ったので書き留めてみました。




「便所掃除」       濱口國雄

  扉をあけます
  頭のしんまでくさくなります
  まともにみることが出来ません
  神経までしびれる悲しいよごしかたです
  澄んだ夜明けの空気もくさくなります
  掃除がいっぺんにいやになります
  むかつくようなババ糞がかけてあります

  どうして落着いてしてくれないのでしょう
  けつの穴でも曲がっているのでしょう
  それともよっぽどあわてたのでしょう
  おこったところで美しくなりません
  美しくするのが僕らの務めです
  美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

  くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
  静かに水を流します
  ババ糞に おそるおそる箒をあてます
  ホトン ホトン 便壺に落ちます
  ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します

  心臓 爪の先までくさくします
  落とすたびに糞がはね上がって弱ります

  かわいた糞はなかなかとれません
  たわしに砂をつけます
  手を突き入れて磨きます
  汚水が顔にかかります
  くちびるにもつきます
  そんな事にかまっていられません
  ゴリゴリ美しくするのが目的です
  その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
  大きな性噐も落とします

  朝風が壺から顔をなぜ上げます
  心も糞になれて来ます
  水を流します
  心に しみた臭みを流すほど 流します
  雑巾でふきます
  キンカクシのうらまで丁寧にふきます
  社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

  もう一度水をかけます
  雑巾で仕上げをいたします
  クレゾール液をまきます
  白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
  静かな うれしい気持ですわって見ます
  朝の光が便器に反射します
  クレゾール液が 弁壺の中から七色の光で照らします

  便所を美しくする娘は
  美しい子供をうむ といった母を思い出します
  僕は男です
  美しい妻に会えるかも知れません



こんなひどいトイレじゃなかったですけど…笑

雨宮処凛

March 05 [Thu], 2009, 13:21
Big Issueを学生の時よく買っていた。今は最寄の駅で売ってなくていつも買いそびれている。

そこに毎回雨宮処凛という人がコラムを連載していて印象に残った。

彼女のプロフィールは、北海道生まれの団塊ジュニア。

アトピーが原因で小・中校でいじめられリストカットを始める。

高校生の時にビジュアル系バンドの追っかけにはまりライブハウスで
自分の居場所を見つける。

美大を二浪したが落ちたので、バブル崩壊後の就職氷河期のさなかフリーターになる。
不安定・低賃金・人権無視という非正規雇用のデメリットを受けまくって
将来はこのままだとホームレスになるという不安から自殺未遂をたびたび図る。

自分のこの貧困の原因を知りたくて右翼に入ったり北朝鮮に行ったりイラクに行く。

次第に現代の日本の格差が、政策の誤りや行き過ぎた資本主義による、
構造的なものではないかと考え始め、その観点から、非正規雇用で超底辺の
生活を強いられている人たちやホームレス達を取材をし著作活動を始め現在に至る。

趣味はデモ活動。


だそうだ。

彼女の著作は、ギリギリの生活をしていた人が同じくギリギリの生活をしている人たちを
なんの衒いも無く、ただ事実のみが書かれていてそれがかなりこわい。
だってこんな人たちが日本の、自分と同じ社会に実際に苦しんでいて、自分もいつそうなるか
わからないからだ。全て現実なのだ。

ただ彼女はそれだけでとどまらず、解決策を具体的に模索したり、怒って当然の相手である
国や、何十億円もの給料をもらっていて非正規雇用でかれらを都合よく使う大企業の社長
へ向けたデモ活動をするなど前向きですごくたくましいのだ。多分彼女はもう孤独じゃないんだろう。

そんな彼女が参加した非正規雇用で明日食べるものにも事欠く人たちの集るデモで
叫ばれた言葉の数々を読んで、涙が出てきた。以下引用すると、


「貧乏人は黙って野たれ死にしないぞ!」「貧乏人は黙って餓死しないぞ!」
「貧乏人は黙って過労死しないぞ!」「もう誰も餓死させないぞ! 」「もう誰も過労死させないぞ!」
「もう誰も自殺させないぞ! 」「競争なんかしないぞ! 」「戦争なんか行かないぞ! 」
「戦争なんか行かないで家で寝てるぞ! 」「人を蹴落とさないぞ!」「みんなで生きのびるぞ! 」
「みんなで生きのびる道を見つけるぞ! 」「みんなが生きられる社会を作るぞ! 」
「貧乏人はみんなで生きのびるぞ! 」「俺たちはここにいるぞ! 」「生きてるぞ! 」「バカにすんな! 」
「無視すんな! 」「俺たちの訴えを無視すんな!」「生きてるぞ! 」「生きさせろ! 」


経済大国といわれる日本のど真ん中の東京で、こんなに真摯な叫びがあるんだと思った。
なんでこんな当たり前なことが当たり前に無視されているんだろうと思った。


雨宮処凛はBig Issueのコラムで「世界の当事者になる」というタイトルをつけているが
そこにこの問題の解決策があると思う。

ルカ 6章31節 「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。 」
という御言葉が思い浮かんだ。


雨宮処凛のブログはこちら
かなり読み応えがあってこのブログを読む前の自分の考え方がちょっと嫌いになる。

神様と人との会話

February 20 [Fri], 2009, 11:56
憧れの先生や先輩方から何気なく声をかけていただくだけで
ものすごく嬉しくなるのに

聖書読んで神様からの言葉を読んでもそこまで興奮したり踊りだしたくならないのは何でだろうと思った。

直接声を聞いてないからなのかもしれないが

やっぱり神様がどれだけ偉大で素晴らしい存在かわかってないからだ。

やっぱり目の前に見えるものに弱い。確かに先生もかっこいいし先輩がたもきれいだ…

でも神様の荘厳さは次元レベルなんだよな。っていうかレベル化さえも出来ない存在なんだろう、想像を働かせるしかない。

目をつぶって祈ると想像しやすいのかもしれない。

BSF

February 12 [Thu], 2009, 15:00
先週から朝ちゃんに誘われてついにチキっていたBSFを再開することにした。

大学生の時に一ヶ月くらいで、
難しい&周りがほぼ社会人&わざわざ家から渋谷まで出るのが大変で
挫折してしまった苦い記憶がある。

朝ちゃんも気を遣ってくれてあまり強くすすめることもなかったので
社会人になってからも気にはなっていたが自分から再開することが出来ずにいた。

ところがこの前同期の子がいずみんに誘われてBSFにいきたいと
声をかけてくれたので、覚悟を決めた。

ということで二年以上ぶりに行ってみた。
大久保の大きな教会の地下は何かカタコンベみたいだがものすごく広い。
照明も白熱灯で雰囲気がいい。

職場の人をはじめものすごい沢山の知り合いがいることに今更ながら驚き、
なんか備えられてるのだと思う。グループリーダーの方も
とても親切で熱心な日本の方で、しかも同業だ。

レクチャーはまったく理解できなかったが、もしかして続けられるかもしれないと思った。
配られたnotesの量に又びびってしまったが朝ちゃんが
なんと忙しい中職場で解説してくれた。
自然に人を助ける姿を尊敬する。おかげでquestionsも進み今週充実した
discussion timeを持つことができて嬉しかった。

幸い職場でものすごい余裕があるので続けられると思っている。
交わりにも期待したい。

ちなみに同じグループのあれいさんのつつましさと優雅さに驚かされている。
皇室以外であんな人がまだこの現代にいるんだなーと思った。いいな…

千家元麿の詩

February 10 [Tue], 2009, 23:59
中学の時に配られた「これだけは読んでおけ」っていう感じの一冊の詩集が結構好きで
年に一回くらい読み返していた。

そこで特に千家元麿という詩人の書いた詩が大好きになった。

「秘密」

子供は眠る時

裸になった嬉しさに

籠を飛び出した王子のように

家の中を非常な勢いでかけ廻る。

襖でも壁でも何にでも頭でも手でも尻でもぶつけて

冷たい空気にぢかに触れた嬉しさにかけ廻る

母が小さな寝巻きをもってうしろから追いかける。

裸になると子供は妖精のように痩せている

追いつめられて壁の隅に息が絶えたようにひっついている

まるで小さく、うしろ向きで。

母は秘密を見せない様に

子供をつかまえるとすばやく着物で包んでしまう。




繊細なのに暖かくおおらかな詩だと思う。

今日は職場の先輩が持っていてとてもいいと思ったPepter Mcmillan著の
英訳百人一首本を買ってみた。届く日が楽しみだ。

ふりかえり

February 10 [Tue], 2009, 23:45
一年半以上ぶりの更新だ(誰か読んでるのかな)…読み返してみると何か気取っていて恥ずかしいけど
記念に残しておく。

今年度から社会人になった。某大手法律事務所にて。説明会などで感じたかっこよさより
暖かさや自由さに日々魅了されている。仕事自体はroutine workで単調ではあるが
周りの人たちの魅力のおかげで毎日楽しい。つまらなくて転職する人もいるらしいが
私は長い間いたいと心底思っている。

社会人になってかなり「考える」時間が減ってきている。暇な時間が多いとはいえ職場に
8時間以上いるわけだから当然だと思う。ちょっと鈍くなったかと思う時もあるが
仕事以外の時間は結構いろいろ考えていることに気付く。プライベートの時間が
濃くなったのかもしれない。



P R
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