パラダイス・ナウ
2007年02月11日(日) 17時22分

※映画感想です。お気をつけ下さい※
『パラダイス・ナウ』見てきました。
パレスチナ人の監督とイスラエル人のプロデューサーによる、イスラエル占領下に暮らすパレスチナ人の幼馴染みのふたりが自爆攻撃に向かうまでの48時間を描いた本作は、何かと話題も多かった去年の第78回アカデミー賞で、外国語映画賞にノミネートされたものの自爆攻撃犠牲者の遺族などからノミネート取り消しの署名運動が起きたことで特に注目されていました。
今回、来日中のハニ・アブ・アサド監督のティーチインにも参加することが出来たのですが、パレスチナの抱える問題をドキュメンタリーではなくあくまでもフィクションとして映像化することによって、より多くの人にパレスチナのことを知って欲しかった、ということばに切実さが感じられました。ドキュメンタリーは悲劇を正確に伝えるけれどまだまだ見る人を選ぶ(見る人がドキュメンタリーを選ばない)。フィクションで、というアプローチは選択される可能性を広げ、作品の中に込められた真実の部分を人が知るきっかけになる。映画の力の有効な使い方ですね。
とはいえ本作はパレスチナ(自爆攻撃者)側を肯定しているわけでは無く、「物事を"邪悪"と"神聖"にわけるのはナンセンス」との監督のことば通り、悲劇的な結末を迎える主人公たちを、感傷的に描写することもなく非常に淡々と描いています。
そこで何が起こっているかを明示し、それをどう判断するかは見るものに委ねる、というスタイル。
監督が強く主張したようにこの作品はあくまでもフィクションで、サイードとハーレド、自爆攻撃の実行犯に選ばれたことによって引き裂かれる幼馴染みはこの世には存在しない。けれど決して目にすることの少なくはない自爆テロのニュースの影には、多分同じように悩み、実行する以外の選択肢を与えられず、友人や家族や恋人と引き裂かれる人がいるのだろう。もちろん、罪の無い人をも巻き込む自爆攻撃という行為それ自体は肯定出来るものではないけれど、攻撃者もまた中東紛争における攻撃と報復の果ての見えない連鎖の犠牲者に他ならないのだという事実には胸が痛みます。…と、私の判断はそんな感じです。
ちなみにタイトルにあるパラダイス(天国=死)とナウ(今)。監督のお話に依れば、生きている以上決して辿り着くことは無い「天国」と、生きているからこそある「今」、同時には成り立ちようの無いふたつが、任務を遂行したその一瞬、自爆攻撃者の上にはほぼ同時に訪れるのだそうです。ラストシーン、バスに揺られるサイードにカメラが徐々に寄って行き、アップになる目が映すものが何だったのか、タイトルの意味を知った後に再度考えさせられました。
3月10日より、東京都写真美術館、アップリンクにてロードショー。重い題材に反して残虐なシーンなどは無く、死すらも直接的には描写されません。監督が意識した通りフィクションとしてもとても興味深い作品です。「パレスチナで起こっていることを知るきっかけになれば…」という監督の控えめな、けれどとても切実な望みの為にも、多くの人に見てもらいたい作品です。
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