お引越ですっ! 

January 01 [Tue], 2008, 1:31
とうとう一年間、何とか走り続けることができたこのブログ。
平成20年突入ということで、引越を致しました。
元旦号からは

http://takekawa-ism.seesaa.net/

にて、お楽しみ下さい。

yaplog様、大変お世話になりました

ブログ連著、もうすぐ1年達成か? 

December 31 [Mon], 2007, 10:21
実際にはもう書いていられない…。そんな日もあったように思う。
出張であっても、どうしてもアクセスしてブログをアップしなければ!という思いが強かった。急いでいても、やはりどうしても、ここまで続けてきたのだから!と、モバイル片手であったり、ある時は、出先に設置してあるPCを使って書いたこともあった。
今年の元旦から書き始めていよいよ大詰めだ。卒業は自分で決めないと、どこまでも続くことになるわけであるが、とにかく1年やってみよう!という初志が、もうすぐ貫徹されようとしている。
我ながらよく毎日書き続けてきたなぁと、感心するところもあるが、このブログのおかげで「無形の」サービスを提供している人間が、どういうことを考えている人間なのか?について、ある程度お知らせできたのではなかろうか。
フェーズ毎、工数毎にコスト計算し、「はい、お見積りです」という大企業ではない。生身の人間が、今ある企業・事業・人に対して、こういう考え方の人間であるということを何とか示したかったというところが本音だ。
HPを書き換えていくにも限度がある。基本路線を変更するわけにはいかない。となると、日々の出来事の中から、どのような考え方、対処法をとる人間なのか?ということをお伝えすることが一番であろうというところから、ブログという方式をとってみたわけだ。
様々な経営課題を抱える方々に対して「モノ」を申し上げるということから、やはり自らの決めたこと、つまりブログをとにかく1年間、書き続けてみるということができない輩であっては、その発言力に信頼がおけないというところが現実ではなかろうか。地道で、決して派手ではないが、「毎日綴ることができる人物」である証を、自ら課し、達成しようとしている。
自分に強いた(誰からも強いられたわけではない)このブログを書くことによって、自分自身も非常に勉強をしなければならないということが、更に自覚できたと、現代におけるこのブログ文化に対して感謝の気持ちすら今はもっている。是非とも一日一つの話題で結構、一年間継続してみることをお勧めしたい。
やはり私は、これらを一年間通して書いてきて、その上で考えていることは、一日に一つである必要はないのではなかろうか?ということと、毎日である必要性という点で現在検討中である。つまり、一日にブログにしたい事柄が二つ、三つあってもそれらの中から一つしか選択して「書けない」ようなルールづくりは無用だと思い始めた。そして、毎日とはいうものの、「書けない日」が本当はあるということを、知った。つまり、丸一日いろんな出来事があったとしても、本当に「機密」に関する部分にばかり触れる一日がある。そういう一日を振り返ってみても、また、朝一番で想像してみても、公開されるブログに書くわけにはいかないのである。
従って、2007年の目標としてきた「一年間毎日ブログを一日二種類書き続ける!」ということを完成させた後には、2008年の目標として、一日二つ以上書いてもいいじゃないか?という点と、機密等に集中すべき時には、その業務に集中し、ブログのことは落ち着いてからでいいじゃないか?という考え方に基づいていこうと、目標設定を変更しようと考えている。
当然、毎日更新されていれば、読んで下さっている方々におかれては、常にコンテンツがフレッシュになるわけだから、開いて下さっていることを十分に認識してはいるが、更なる業務への集中と、コンテンツの濃度の向上というように捉えて戴きたいと思う。

忘年会と新年会 

December 30 [Sun], 2007, 9:12
これらを並行して使っているところが非常に多いが、少し考えてもらいたい。
忘年会ということは、その会はその年を「忘れる」ということか?そして新年会ということは、新年を「祝う」会ということか?これらがどうして同時並行して存在しているのだろうか。
そもそも忘年会という言葉は、企業や行政、学校など、わが国の多くの「年度」は4月はじまりの3月終わりのはず。であれば、12月でもってそれまでの年を忘れられてはたまったものではない。
こういう場所で一番騒ぐのは、およそ働きの悪かった連中であることが多い。本当に地に足がついている人は、それなりに付き合って、さっさと帰路につく。そして翌日も朝早くから出勤して、しっかりと普段と同じように働く。およそだらしない連中は、ここぞとばかりに深酒をし、翌日にまで影響させ、醜態をさらすことと相場は決まっている。
できる人間は、「忘年」などしない。むしろ「年末反省会」といった方がいいのではなかろうか。人並みに年末を迎えられる、越年できる感謝をする会であってもらいたいものだ。
これに対して新年会とは、その名の通り、新年に会を催すから新年会である。だからといって、やはりだらしのない連中は、正月ボケを修正することが優先なのに、またはしゃいで醜態をさらす。
これらに人事考課をつけるとなると、一番態度が変わるのも、こういう面倒な輩である。無礼講などといわれると、それを真に受ける連中もこれらに含まれるだろう。
何かにかこつけて、盛り場に出ようとすることはわからないでもない。しかし、自分のペースを乱してまでも、ストレス発散とばかりに路上で大声で騒いでいる連中をみると、それらの集団の中で、しきりに時計を気にしている人が数人いることが目に付き、それらの人達を早く帰してあげたい気持ちになるのはお節介だろうか。
日々の生活リズムというものがある。これは本人にしかわからない。そんなの関係ねェ♪と言っている連中が、およそ牽引して、人の日常をぶち壊す。それこそ「品格」のない飲み方で、最期には迷惑をかけて、酒が醒めた時に反省を強いられる。
私は酒は楽しく飲むものだと思っている。誰一人としてつまらない、或いは迷惑だと思ったら、その酒の場は無意味になると考えるタイプだ。ほどほどで、強制せず、話題もリラックスできる飲み方。これが理想だ。
また、食事のマナーの状態も、忘新年会を通してよくわかる。普段はそれなりに見えていても、こういうところでボロが出るものだ。
忘年できる人、資格のある人が忘年会をするものということにはならないだろうか。そして、誰もが新年を祝うという意味で、新年会こそ全員参加(希望者限定、強制不可)という形が望ましいと思うのだが、いかがだろう。

思い込みを捨てるということ 

December 29 [Sat], 2007, 11:37
自分の知識の範囲内でのみ、ものごとを考えようとすると、自己満足はできるかもしれないが、客観的に見た場合に著しく非効率な場合が少なくない。
例えば、年始の会合に招待されていて、毎年私は当然のことと思ってそのルートを検索して会場へ伺っていた。主催者の所在からみれば、当然の経路ではあるのだが、実は私は新幹線で向かうため、ほとんど新幹線の駅1つ分を、4つの公共交通機関(鉄道等)を乗り継いでいた。
このたび、その場所の名称が変わり、場所も慣れてきたということで、ご案内頂いた中に地図がなかったので、ふと(何を思ったか)マピオンで検索をかけてみた。するとこの、新幹線1駅乗り越せば、そこからわずかタクシーで10分以内の場所であることがわかった。ということは、所要時間が相当短縮でき、私も乗り継ぎの手間が信じられないほど省けるということに驚いた。
ある程度、自分でわかっていると思っていた先入観を、こうして見事に打ち破られると、思い込みや固定概念でものごとを捉えることの、非効率さというものをひしひしと感じると同時に、それらが偏ったものの見方を創造するのだということを痛感した。
基本的に、私の業務には「柔軟性」が求められる。そして思考回路においては、常に「自然体」である必要がある。何がいつ、飛び込んでくるかわからないということが少なくないから、どこから突付かれても冷静且つ沈着冷静な対応が必要だからだ。
「仕事」と思うと、それはおよそできているうちに入っているとは自画自賛するものの、いざ自分のこととなると、これがなかなか同じようにならないことに情けなくなる。その昔、銀行員であった頃、相続についてのアドバイスをしながら業務に結び付けていたにもかかわらず、我々銀行員の仲間うちでは、まさに我が事は「争族」を招いていたことが往々にしてあるということを言われていた。
実際、自己破産者の公示リストにある職業欄で、「ファイナンシャル・プランナー」という現象すら現実となっているが、いかに他が見える逸材でも、我が事となると、手抜かりがないとは言い切れない。つまり、だからこそ他の目、第三者の目というものが、いかに必要かということなのだと、私は良い方向で解釈している。ここでも、いかに有能な側近や、アドバイザーがいたとしても、思い込みや固定概念に捉われていては、すなわち柔軟に耳を傾けることをしなければ、何の役にも立たないというわけだ。
およそ、人というものは都合がよくできていて、(私も含めて)困った時には困ったというけれども、だからといって本当に助言をそのまま受け入れるだけの、「真なる困難」に出会うという機会は案外少ないもので、その手前の段階では、大体が自分の思い込みや固定概念で乗り切ろうとかたくなになってしまいがちである。その段階で、「聞く耳」を本当にもっている人は、「真なる困難」から、少しでも遠ざかることができることは、傍からみればよく見えるもの。
昔の男は、背中でものを言うといわれていた。今の世の中で、恐らく同じ背中を見せたとしても、それがどうした?と理解すらされないだろう。確かに格好はいいかもしれないが、それこそ「これぞニッポン男児の…っ!」と言ったところで、これも時代に即応していなければ、自己満足であり、思い込みであり、固定概念なのである。
それらを悪いと言っているわけではない。時の流れと協調するように、柔軟な姿勢を持つことは、自らにとっても有益であるということを、自分が感じたので、お伝えしたかっただけである。

会社名の命名 

December 28 [Fri], 2007, 7:33
新しい命が誕生すると、当然「名前」をつける。子供ができた時には、その名づけについても、むしろ前々からわかっていて、最終的に一つに絞るものの、その将来への期待であるとか、時代のトレンドにあわせていじめられない格好良い名前であるとか、或いは苗字とセットで画数のバランスがいいように等々と、楽しんで付けることができるもの。
実は今回、本当に実現するかどうかわからないが…というコンペに、当社顧問先企業が参加したところ、いとも簡単に(もちろん受託できるようにプロポーザルを作成したのだが)落札できてしまった。その上、会社名や発足時の役員構成など、一切の会社設立を任せられてしまったのだ。
有難いことではあるが、さて、薄々考えていたとはいえ、いざデッド・エンドという動かせないリミットがある中で、急に一つの企業を誕生させることになったわけで、しかもそれなりの出資者群が控えている中、その命名というものはむしろ「楽しい」という枠を超えて「どうしよう!」という心理状態が先行している。
やはり将来的にも生き続ける、いわゆるゴーイング・コンサーンという観点からも古びれることなく発展性や勢いを感じるネーミングがいい。およそ社名から、事業内容がわかるような側面をかもし出せたらいい。しかし、トレンドというものもあるから、一概に漢字だけがいいとも限らないのではなかろうか。やはり最終的には、それなりの易者にみてもらった方がいいのでは…等々、考えをめぐらせている。
これが、私が例えば子会社として、楽しんで作る会社であれば、もっと別の角度から考えていたであろうが、自社ではなく、顧問先が受託したものであり、しかも出資予定者がそれなりであり、会社内容も立派なものであるというところからして、下手なアドバイスはできないのだ。
実印を作ろうとしても、まずもって社名が確定しないことには、印鑑の発注ができない。この顧問先企業の社長は、私と同じく、やはり実印というものにはそれなりにこだわりたいというご意志をお持ちなので、となるとそれなりに印鑑ができるまでの時間というものが設立期間に参入されることになる。定款を先に…と思っても、名称がない企業の定款は完成しないし…。
それと同時に、プロポーザルとして出した資本政策や将来予想というものを、再度見直して、どこから取り掛かるべきであって、どういう人材が具体的に窓口となり…という組織編制もしていかなくてはならない。
本来は楽しいはずの「名づけ」も、ビジネスとして考えると、なかなかやはり途中で変更するのも難しいから、CIができるまで…という考え方も避けたい。となると、今!決定しなくてはならないのだ。これが案外辛い。
所在地も、株式会社にすることも決定してはいるが、やはり社名は今後、呼ばれる名前であるということからして、馴染みやすいことが必要だとも思うし、かといって長いと略されてしまったりするし、短いと覚えにくかったりもするし…。
魂を込めたいがゆえの、産みの苦しみであろう。しかし希望には満ち溢れている。
しばらく、ポケットメモ帳との戦いになると思う。これは楽しい。

自分の適性がようやく見えてきたか 

December 27 [Thu], 2007, 7:32
確か大学を卒業する折に、職業適性検査なるものを受けた記憶がある。細かいことは忘れたが、およそ最も適している業種・職種に、ほとんどボランティアという内容があったことは鮮明に覚えている。
ところが時も時、それはそれとして私はまったく異なる業種・職種へと就職した。その後転職を重ねてもう10年以上、独立している。独立当初は楽しいこともあったが、すぐにやっぱりサラリーマンの方が…などという弱気な部分も出てきた。今ではある種の開き直りというところから、今更どこが拾ってくれようか?と思うようになってきたが。
長引く不況下、私の投資先は自分であった。すぐにはその効果が実感できなかったが、仕事としての幅、人間としての幅を広げるために、徐々にその方向性が変化してきている。
私の独立時のポリシーとして、押し売りは一切しないというものが一つある。これをまだ護っているが、いわゆる営業しないということになるわけで、さすがに苦しい時もあった。
そういう時にも隠れてアルバイトをして繋いだという経験すらもっている(初公表)。
このような流れにおいて、自分というものの視野が相当広がったと思う。まだまだ未熟だが、振り返ってみて、何が一番楽しかったのだろうか?と自問自答してみると、自分の適性がみえてきたように思えるのだ。
敢えてここに書くことはしないが、これから3年、いや5年くらいは、これが私の適性分野ではなかろうか?という、確証を得るために、基軸をそこに置いて活動してみようかと思っている。
やってみなければわからないこと…。確かにあるなと実感している。
そして、時間が経たないとわからないこと。これもある。
しかし、それぞれを、ただ呆然と過ごしていては、これらに気づかない。自分で決めて、没頭して、実行して、そして節目を設定し、振り返り、また歩き出す…。
このルーティンをしなければ、このサイクルを作り出さなければ、ただただ日々を送るだけになるだろう。
ようやく自分自身に「気づき」が芽生えてきたようだ。平均寿命の半分を既に通り越しているが、遅咲きかもしれないけれども更に前へ前へと進んでみたい。
そんな気分である。

「理想像」を手放すな! 

December 26 [Wed], 2007, 7:30
あらゆる職種に言えることである。
あれこれと、実態としては関門があることは誰もが承知のこと。中には「難関」と思われる関所もあるだろう。しかし、企業の改革前進にとって、必要な理想像について、足を引っ張る存在は不要とされるのが常識となりつつあるご時世である。
時代のスピードはその速度を増すばかり。これらについていけない人材がたくさん溢れている。何故ついていけないのか?その答えが今回のタイトルである。
これからどうあるべきであり、どうするべきか?
この問から逃避した時点で、既にリーダーシップを持つ資格を喪失したことになる。更に、スタッフとしてもその資格要件を満たさない状態といっても過言ではあるまい。
誰しも現状がそのままルーティンで、何も変化なく、そして大過なく過ごせたら、そんなに幸せなことはあるまい。そもそも現代のスピード社会を語る前に、このような人材は、わが国における高度成長時代ですら不要な人材といえよう。換言すれば、昭和初期でも不要な人材と位置づけられるのだ。
そのような時代から随分と年月が経過し、めまぐるしく変化を遂げるニーズの、更にその先を提供しなければ、その存在意義、存続すら危ぶまれる今日に至っては、「現状維持」は衰退どころではなく、私に言葉を選択させれば「没落」である。
言葉遊びはこれくらいにして、モチベーションというものが脚光を浴びている。単なる「やる気」というように捉えてはならない。自ら問題意識を発し、それを公言して、取組み、達成する。この一連のプロセスが必要だ。従って冒頭タイトルのように、決して自らの「理想像」を手放してはならないのである。この「理想像」がないようでは、もはや「人材」としての価値すらない。すなわち、「どうありたいか」を、常に自問自答する日々を繰り返すことが、自らと、その所属する事業体の今後を位置づける。仮にこれがまっとうできないと判断した時には、いさぎよく、自ら身を引くべきであろう。人間、何もできない無能な人間であっても、「引き際」さえ心得ていれば、それなりの評価は受けることができると私の尺度では位置づけが可能だ。日常業務において、いかに劣悪であり、先頭を切って進むことができない状態で、且つ、うだうだと「できない理由」ばかり吐いていたのでは、周囲にすら迷惑をかけるどころか、事業体にとってマイナス要因である。ただ、こういう人材が一つだけ光を放つとしたら、それは「自ら退路を進むこと」でしかあるまい。
およそ、その必要性のある人間ほど、自らの退路すら選択する勇気がないことが多い。該当する人は、指差しできるほど、周囲からは明白であることが多いのだ。
自分がどうありたいか?自社はどうあるべきか?そして今、何を、どうするべき時か?について、その「理想像」が持てないということは、前進しようにも、どっちが「前」なのか、傍からみていてわかっていないように見える。触角を取られた昆虫にも劣る。
目標あっての努力ではないのだろうか。理想を失った時、その人間は、魂をも抜き去られるように見える。まずもって「覇気」がない。挨拶が小さい。反応が鈍い。態度が劣悪である。このように、その兆候は、誰の目にも明らかなのだ。ただ、周囲が大人だから、怒鳴りつけられないだけのこと。口にされないだけで、実際には、怒鳴りつけられていると同等の待遇を受けていることに気づかないことが悲しい。
安倍前総理が「職を賭して」「総理の職を辞することに」と、世論の批判を受けた。しかし彼は、自ら決断する勇気と、客観性を持っていた。
貴方に問う。この客観性をもってして、本当に安倍前総理を批判できるのだろうか?
響く人には響くであろう、抽象的な文章を、今日は書いてみた。

私のクリスマスの過ごし方 

December 25 [Tue], 2007, 7:12
3年前のタイミングを除いて、およそ毎年私のクリスマス・イヴの過ごし方は決まっている。
よく、クリスマスのご予定は?とか、年末・年始のご予定は?と聞かれることが多い時期になってきた。そういう話題が似つかわしい、つまり気分は仕事から離れつつあるという時期である。
どうやら周囲では、クリスマスとか、年末年始に、私は海外などへ行くような印象があるようで、そういった質問が日常会話の中に出てくる。が、実は毎年恒例の過ごし方なのだ。
それは、「本物のクリスマス」である。

また久々に画像を添付するが、クリスマス・イヴには、必ず毎年教会へ出向く。そして聖書や賛美歌に包まれ、何故このクリスマスを祝うのか?について、牧師の話を聞く。キャンドルサービスにおけるろうそくの炎は、とても優しく、この世がずっと続いてきていると同時に、人々の生活に関わり続けてきているその炎という灯りは、時代を通り越して、語りかけてくるような気にすらなる。
賑やかなクリスマス・パーティーもいいだろう。しかし私はこの日、どうしてクリスマスなのか?について、凝りもせず、毎年同じ過ごし方をする。
教会に伺うのは、一年の間で、毎年この日一日だけである。その日だけでも入れてくれる。そして、本当のクリスマスに参加させて戴ける。この環境に感謝している。押し付けもない、強制もない、ただただ出向く人を快く迎え入れてくれる。お金も必要ない、聖書だって賛美歌だって、用意されているのだ。身一つで本物に出会える場所。
年明けの寺院の賑やかさとはまったく異なる、粛々とした静かでおごそかなクリスマスを過ごすと、ふと日頃の雑踏に追われる自分が過ごしている時間の流れから解放される。
3年前のクリスマス・イヴには、実は朝9時から産まれて初めての、全身麻酔による手術の日だったから、参加することができなかったのだ。意味のある12月24日に手術をしたことは、決して忘れないだろう。
こうして、世間一般の方々とは異なった、しかし自分としては年間行事として当然という位置づけされているクリスマス・イヴを過ごしているのだ。
年を経るにつれ、「本物嗜好」が自分自身、強まってきているような、そんな気がする。

「愛」を考える 

December 24 [Mon], 2007, 12:01
ひと言で「愛」といっても様々なものがある。
実は日曜日と重なった国民の祝日、三連休ということと、クリスマス・イヴが休日になったということで、はしゃいでいる人達…。実はこの日は「国民の祝日」が優先するはず。
いわゆる「旗日」と言われているように、本来はわが国の国旗を掲揚していた。それが、このところでは、あまり見かけないようになってきたのは気のせいか。
車を走らせていると、道路に向かって日の丸がたくさん出ている場所を通過した。この地域の方々は、恐らく商店街ではあろうけれども、こういった「何故今日がお休みなのか」について、その過ごし方をよく心得ておられるな…と感じた。
車だったので、じっくりその様子を見ていなかったが、赤信号で停車した時、その国旗が、実は街頭のポールから一律に出ていることに気づいた。老舗の商店街だと思っていたが、結局は誰かが当番で扱っているのだろうと思うと、むしろ余計にガッカリした。
こういう点から見た愛を「愛国心」という。
およそ普通に生活している人達には、あまり縁がなくなってきたといっても過言ではないのではなかろうか。せいぜいオリンピックなど、競技の最中に日本の選手を応援するため、「配られた」国旗を振るくらいのような気がする。そもそも各家庭に国旗があるかどうかすら疑わしい。こういう点はアメリカなどではまったく逆で、愛国心という名のもとに行われている諸々が非常に多い。歴史的背景から異なるということもあるが、そのような意味であれば尚更、長年鎖国主義をとってきたわが国にあっては、独自の民族、独自の文化という観点からも、愛国心があってもよさそうなものだと思う。こういうところはなかなかアメリカから輸入されていないようだ。これが日本人である、世界に向けての誇りと発展することを心から願う。国際社会であまりにも小さくなりすぎていると感じるからだ。
昨日、親子二人暮らしの家庭において、常識ではとても考えられない縛りを、子に課していた様子の解消に努めた。子は、実は親からの、半ばいじめであり、親の性格上、反抗したところで口論で勝ち目はないし、更に飯を食わせてもらっている限りにおいては、従わざるを得ないと、人生そのものに関わる重大事に嘆いていた。この親子間においての会話のなさが原因であり、そこを私が間に入ってとりもった。当然、出入り禁止になることくらいは覚悟の上で。
結果、やはり親はギリギリ(本当に時間的にギリギリだったのだが)まで待って、子が自分から真剣に申し出てくることを待っていたかのような結末になった。結局は仲介した私の余計なお世話からだが、子はその時、親の大きな愛情に涙し、鼻水とともにグチャグチャになった。ギリギリまで待ってみたこの親も大したものであるが、それを理解した子も立派である。今後の人生が明るくなるように期待する。こういう親子の愛情に触れると、感動は果てしないものがある。
さて、もう道路を走っている車には、カップルがどんどん登場してきているが、これらの中には、明らかに運転が浮ついてしまっていたり、格好つけようと威勢をはった、無茶な運転をする人などもいる。ボケているのも、威勢をはっているのも、危険運転には違いない。本当に同乗させている方に愛情があるならば、まずは安全運転が当然だ。ここに気がいかないということは、それなりの器しかないというしかない。
私が中学生の頃、足をやけどし、毎朝学校へ行く前に母親に遠くの、しかしやけどで有名な医院へ通っていた。忘れもしないが、その頃はまだエアバッグもなく、シートベルトはついていても、強制されていなかった。そこに急停車する場面があったのだが、私の母親は、何を放っておいても、私より身長も低く、体重も少ないくせに、その左手は私を支えていた。
このとっさの時の動き。半ば反射的に動けるということが、母亡き今でも鮮明に思い出される。果たして左手が助手席に出るか?およその人は、ハンドルに力が入っておしまいであろう。親子ということもあろうが、同乗している人に対する、本当の愛情とは、こういう形で現れるものなのだと感じた。
会社が賞与を支給するも、「スズメの涙」とぼやいているタクシー運転手がいた。私がもし関係者だったらどうするつもりなのだろうか。それこそ関係者であって欲しい!くらいの勢いがあった。そんな勢いがあるならば、仕事で稼げば良いのに…と感じながら、こちらも非常に気分の悪いひと時を過ごした。
愛社精神というもののかけらもない。会社が、まるで敵のようだ。他の企業でも、会社というものに対して、雇用者である社長に対して、敵対者か、或いは邪魔者のような発言をする人がいる。これが少なくないから不思議だ。まったくもって今では、愛社精神などというものがナンセンスなのか?とすら思えるくらいに。
いろんな愛がある。
ひと言では語りつくせない。
どうか、クリスマス・イヴには、「本当の愛」について考えてみてはいかがであろうか。

どこまでが子供で、どこからが大人なのか 

December 23 [Sun], 2007, 9:39
大学受験を控えた高校三年生。これは、高校生ということから、通常は自然に子供の分類に入る。しかし、この進路問題に関しては、果たして次なる大学という学府の真ん中で成人することからすると、果たしてすべてにおいて親が決定していいものだろうか。
私は将来に対する希望という面での意見は述べたとしても、進学する時点で子供であろうが、将来を見越すという親の視点には、大学卒業時を想定する必要があるのではなかろうかと思う。その時には既に成人しているということを。
年齢的には、わが国の法令によって成人は20歳ということが決定されている。世間でいうところのコンプライアンスという意味からも、この20歳という年齢の前と後では当然社会的な扱いが異なっていい。しかしそう簡単に、人間というものは「はい、今日から大人です」というわけにはいかない。
精神的な成長の早い子供もいる。しかしこれは客観性に欠けるため、いかに精神面で大人に近いと、誰もが判断できようが、実年齢が未成年であれば子供ということになってしまう。
ここで、未成年が子供か?という視点も新しく出てくる。大人というのは、成人を指すのだろうか?であれば、ほとんどの企業人、社会人という人達は、皆、大人という定義になる。が、実態としてその立ち居振る舞いや、思考内容によっては、どうしても大人として考えられない局面が出てくる。となると、成人と大人というものは異なるのであろう。
18歳という区切りがある。これもまた微妙な局面での区切りと言えるのであろうが、これを大人とか子供という区切りとしては通常使用しない。しかし男子の結婚はこの年で許されるし、女子においては16歳という区切りまで存在する。ご承知の通り、これらの人達が仮に婚姻をすると、そこで法律的に成人となる。直後に離婚しようとも、一旦成人になった場合には、それが取り消されることはない。
となると、お酒やタバコの年齢認証という話になるわけであるが、およそ健康被害という観点から定められたものであろうに、これらは成人であれば購入できるとすれば、婚姻によって購入の権利が与えられる。しかしそうなるといちいち証明するのに戸籍を持ち歩く必要が生じてくる。自動販売機においては更に判定が難しくなるだろう。
過保護に育ち、進路をおよそ親が判断し、就職にまで関与してきていざ転職となった時に、わけのわからない状態になっている大人子供を見かけることがある。いわゆる社会的常識から逸脱した大人という、厄介な存在だ。精神面では、自分で決定するという能力に乏しく、明らかに子供の能力しかもっていないけれども、年齢やキャリアからすると、完全に大人という具合だ。
大人同士の会話でも、君は大人だなとか、君はまだまだ子供だよという言葉が自然に使われている。成人が大人なら、このようなことはあり得ないはず。だが、現実に飛び交っている言葉であるから厄介だ。
大人の条件とは一体何なのだろうか…?
気づいたら、いい「おっさん」になっていっている自分を振り返りながら、本当に大人と呼べるかどうかを考え始めた時、ふと疑問に思った。
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