【演出・脚本:鈴井貴之 出演:飯野智行・小橋亜紀・北川久仁子 他】
承諾殺人――認知症を患った母を殺した青年の供述。
ここは取調室。
彼と母、二人きりでの長く苦しい時間の中で起きてしまったそこ事件の背景と葛藤と経過が、淡々と読みあげられていく。
昨年に引き続き、第2章として公開された本公演。
まずその舞台装置と演出に目を奪われる。
設置されたみっつのモニターに、ぽつんと置かれたふたつの机、そして揺れる水面、更に組み合わされた階段と日常生活を送ってきた生活の場。
黒い幕によって仕切られ、音と光と映像によって描き出され、ふとした瞬間に転換される場面は、演劇とは違った世界と感覚を提供する。
文字が語る事実。
彼によって語られる真実。
供述書に添って浮き彫りになるのは、青年の苦悩、そして、認知症を発症した母親の介護に対する絶望にも似た何かと、それでも感じられる優しく温かい何か。
挿入される神話、童話、そして四つの歌詞に込められた意味が、更なる痛みと深みを与える。
母を殺してしまった青年は、何故そうせざるを得なかったのか。
あってはならないのに、起こってしまう悲劇。
背中で語る男―飯野智行。
彼の存在は、三人の流麗な言葉を操る彼女たちの間で、世界をよりリアルに構築させてみせるのだ。
わずかに発せられた台詞や悲痛な叫びによって、ただひとり演技する彼は、
哀しくて、苦しくて、切なくて、彼の居た場所、彼が抱いた苦しみ、そんな息子を思う母の姿に、架空の出来事は現実感を伴って常に自分自身へと返ってくる。
号泣―してしまうほど、胸に迫る。
以下ネタバレを含む感想を。
承諾殺人――認知症を患った母を殺した青年の供述。
ここは取調室。
彼と母、二人きりでの長く苦しい時間の中で起きてしまったそこ事件の背景と葛藤と経過が、淡々と読みあげられていく。
昨年に引き続き、第2章として公開された本公演。
まずその舞台装置と演出に目を奪われる。
設置されたみっつのモニターに、ぽつんと置かれたふたつの机、そして揺れる水面、更に組み合わされた階段と日常生活を送ってきた生活の場。
黒い幕によって仕切られ、音と光と映像によって描き出され、ふとした瞬間に転換される場面は、演劇とは違った世界と感覚を提供する。
文字が語る事実。
彼によって語られる真実。
供述書に添って浮き彫りになるのは、青年の苦悩、そして、認知症を発症した母親の介護に対する絶望にも似た何かと、それでも感じられる優しく温かい何か。
挿入される神話、童話、そして四つの歌詞に込められた意味が、更なる痛みと深みを与える。
母を殺してしまった青年は、何故そうせざるを得なかったのか。
あってはならないのに、起こってしまう悲劇。
背中で語る男―飯野智行。
彼の存在は、三人の流麗な言葉を操る彼女たちの間で、世界をよりリアルに構築させてみせるのだ。
わずかに発せられた台詞や悲痛な叫びによって、ただひとり演技する彼は、
哀しくて、苦しくて、切なくて、彼の居た場所、彼が抱いた苦しみ、そんな息子を思う母の姿に、架空の出来事は現実感を伴って常に自分自身へと返ってくる。
号泣―してしまうほど、胸に迫る。
以下ネタバレを含む感想を。
挿入された物語は、ギリシャ神話の【大熊座と小熊座】―これは母殺しを寸前で留まることのできた青年の話。
もうひとつは童話の【幸福の王子】―これは、その人の願いを叶えるためにその身を犠牲にし、優しい嘘をついたつばめの話。
結局の所、承諾殺人を犯してしまった青年を縛り続けていたのは、幼い頃にこの世を去った父の、『ヒト様に迷惑をかけてはいけない』という言葉。
誰かに相談することで、誰かを頼ることで、回避されたかもしれない悲劇の根本がここにあるのだとしたら、ギリシャ神話が暗示するのは、『諸悪の根源たる父(ゼウス)の罪』だろうか。
そして、母を思い、自らを犠牲にしていく姿は、まさしく幸福の王子の願いに縛られ、いつしか逃れられない事態を察しながら自分から望んで留まり続け、最後に死を迎えたつばめのようで。
これは私の感覚ではあるのだけど、そう思えて仕方がなかった。
また、彼は供述によって語る。
愛情をもって介護するつもりだった。
大切な人に忘れ去られるのがなにより辛い。
この言葉の意味の重さがひしひしと伝わってくる。
認知症がどれほどのものかを知れば、現実の過酷さが痛くてたまらなくなる。
たったひとりで介護をする重さがどれほどのものなのかを知ってしまえば、助けを求められないが故に追い詰められていく過程がもっともっと痛くなる。
物語の中で、挿入された歌はよっつ。
『無縁坂』『ギプス』『言葉にできない』『LAST SONG』―ここに込められていた意味を深読みすれば、温かさと哀しさがあふれだす。
歌だから表現できてしまうのかもしれない。誰かの言葉と誰かの感覚で語られた歌詞でもって、登場人物たちの、その瞬間のどうしようもない思い達が具現化される。
個人的には。
無縁坂の歌でやられ、作文でやられた。
幼い日、少年は語る。
自分はお金持ちになって母に楽な生活をさせてあげるのだと。そして、母にはずっと長生きしてほしいと。
その言葉の最後に重なるように、舞台の上で彼は、現実として母の首を締める。
楽をさせたかった、長生きして欲しかったと望んだ母を、彼は、その手に掛けてしまう。
果たされなかった願いは、悲劇という終焉を迎えてしまう。
そして。
彼には恋人が居た。彼女の人生を自分のせいで歪めるわけにはいかないといって、母のことを言わずに別れてしまった恋人。
すがることができたら、やはり悲劇は回避されたかもしれない存在。
その彼女が、警部補として彼の供述を書き綴っていた。
彼女は最後に、かつて彼から別れを告げられた日の自分の日記を読みあげ、そして、あなたを忘れないと語る。
このラストシーンに、何故か救いを見出してしまった。
重い、けれどいい舞台だった。
もうひとつは童話の【幸福の王子】―これは、その人の願いを叶えるためにその身を犠牲にし、優しい嘘をついたつばめの話。
結局の所、承諾殺人を犯してしまった青年を縛り続けていたのは、幼い頃にこの世を去った父の、『ヒト様に迷惑をかけてはいけない』という言葉。
誰かに相談することで、誰かを頼ることで、回避されたかもしれない悲劇の根本がここにあるのだとしたら、ギリシャ神話が暗示するのは、『諸悪の根源たる父(ゼウス)の罪』だろうか。
そして、母を思い、自らを犠牲にしていく姿は、まさしく幸福の王子の願いに縛られ、いつしか逃れられない事態を察しながら自分から望んで留まり続け、最後に死を迎えたつばめのようで。
これは私の感覚ではあるのだけど、そう思えて仕方がなかった。
また、彼は供述によって語る。
愛情をもって介護するつもりだった。
大切な人に忘れ去られるのがなにより辛い。
この言葉の意味の重さがひしひしと伝わってくる。
認知症がどれほどのものかを知れば、現実の過酷さが痛くてたまらなくなる。
たったひとりで介護をする重さがどれほどのものなのかを知ってしまえば、助けを求められないが故に追い詰められていく過程がもっともっと痛くなる。
物語の中で、挿入された歌はよっつ。
『無縁坂』『ギプス』『言葉にできない』『LAST SONG』―ここに込められていた意味を深読みすれば、温かさと哀しさがあふれだす。
歌だから表現できてしまうのかもしれない。誰かの言葉と誰かの感覚で語られた歌詞でもって、登場人物たちの、その瞬間のどうしようもない思い達が具現化される。
個人的には。
無縁坂の歌でやられ、作文でやられた。
幼い日、少年は語る。
自分はお金持ちになって母に楽な生活をさせてあげるのだと。そして、母にはずっと長生きしてほしいと。
その言葉の最後に重なるように、舞台の上で彼は、現実として母の首を締める。
楽をさせたかった、長生きして欲しかったと望んだ母を、彼は、その手に掛けてしまう。
果たされなかった願いは、悲劇という終焉を迎えてしまう。
そして。
彼には恋人が居た。彼女の人生を自分のせいで歪めるわけにはいかないといって、母のことを言わずに別れてしまった恋人。
すがることができたら、やはり悲劇は回避されたかもしれない存在。
その彼女が、警部補として彼の供述を書き綴っていた。
彼女は最後に、かつて彼から別れを告げられた日の自分の日記を読みあげ、そして、あなたを忘れないと語る。
このラストシーンに、何故か救いを見出してしまった。
重い、けれどいい舞台だった。
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