平成29年7月27日木曜日の修法記

August 02 [Wed], 2017, 11:39


本日の修練では、鎮魂行及び基本修練の後、科目の復習を行いました。


「木葉送」
相手が崩れるここという場所があるので、そこに触れる。ばちっと触れに行くのではなく、肘から順に触れるようなイメージで行う。手がものを言わないように、こちらの肘を相手の指先の延長線上に持ってくるイメージで行う。
相手が崩れたところを体側に添わせて極め、相手の体重が頸を通って頭の方まで抜けるようにすると、自然と崩れる。


「吊上捕」
相手の肘を中指あるいは薬指を使って返す。この時、肘で止めずに相手の肩を相手の顔に当てに行くようにして返す。
ここという立ち位置があるので、そこに入って自分が相手の軸の一つになるようにする(相手に依存してもらう)。手首は背骨に添わせていき、それ以上上がらなくなったところで吊り上げる。胸椎の7番を通って極める。
攻者は左右の手が正中線上にあるように意識し、蹴りを警戒しながら吊り落とす。


「閂送〜連行」
木葉送や吊上捕と同様に、手がものを言わないようにして、相手が崩れる位置に入る。
連行を行うときは、(相手の左手を捕る場合)こちらの右手はあくまでも支点である。左手を引くように使って送る。


本日は「相手が崩れるここという場所を探す」ということをやっていました。触れて倒すというプロセスにおいて、どうすれば相手を動かせるのかではなく相手が動いてしまうのか、つまり本当の意味で影響を与えるというそういったアプローチの研究です。これは真のコミュニケーションであり、武道を通して磨かれる感性の1つだと思います。
この時「手がものを言う」という自我意識が強い状態では対立の構図になりやすいため、必要なのは相手の状態を深く正確に観ずること、ひいては自分自身を消していき、ものごとを離見する意識であると言えます。この訓練を数を掛けて行うことで意識の癖づけが行われ、虚実を見極められる感性と思考回路が養われてきたように思います。

「ここという場所」で自然と崩れるのと同じように、日常の会話の中でも「これという一言」でふと何かに気付かされたり、殻が破れたり、一瞬前の自分とは抜本的に何かが変わってしまうということがありますが、そうした「あり方」こそ目指すべき境地だなと再確認させていただきました。


(梅田 海来 記)
  • URL:http://yaplog.jp/takatsuki-m/archive/381
2017年08月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:金剛禅総本山少林寺 高槻南道院
  • アイコン画像 現住所:大阪府
読者になる
高槻南道院について詳しく知りたい方はこちらへどうぞ。
高槻南道院ホームページ
ヤプミー!一覧
読者になる