愛猫クッキーが永眠しました。 

May 20 [Wed], 2015, 21:21
本日、2015年5月20日19時に、愛猫クッキーが永眠しました。自分はどうしても嬉しい事も悲しい事も、文字に書くことで消化する人間のようで、大事な猫との日々も記録しておこうと思い、久々にブログページを開きました。

クッキーとの出会いは2001年の1月6日。4歳から18歳までミニチュアシュナウザーという犬を飼っていたのですが、若かった自分はその犬の最期の時を認めることができず、それ以来動物好きでありながらも、8年間ペットを飼うことができませんでした。にも関わらず、なんとなく気が向いて、正月明けに友人と近所の大型ペットショップへ見に行ったのでした。オスのアメショが良かったのですが最初の店にはメスしかおらず。「すぐ近くの店舗に男の子がいますよ」とテレビ電話を立ち上げて見せてくれました。よくある話ですがその時にテレビ電話越しに目が合いまして、「にゃー!」と声をかけられたので「すぐ行きます!」と近隣の店舗へ。とてもイケメンで活発なアメショ君と出会うことが出来ました。割と直感ですぐに決め、お支払いをして、「じゃあ明日迎えに来ますね」と店を後にしました。当時、庭に埋葬した犬が嫉妬しないように、「猫を飼うけど堪忍な」とお参りしたことを覚えています。



翌日、雪の日の朝に、長いこと病気と戦っていた父が亡くなりまして。非常にバタバタしはじめたので店にはしばらく預かってもらうことにして。葬儀その他終えるのに、5日ぐらい非常に家の中が忙しくなりました。全部終わり、母となんとなく虚しさと静寂を感じている中、「あ、そうだ、猫を取りに行かなくては!」と迎えに行ったのが彼でした。アイスのクッキーアンドクリームの模様に似ているので「クッキー」と名づけました。そこから4年間、母と自分とクッキーとで実家で暮らしていました。お客さんが大好きで必ず玄関に出迎え、誰にでも愛想を振りまいている猫でした。病気らしい病気もなく、去勢手術とワクチン注射以外で病院にも行ったことがない健康優良児でした。寂しくなった我々に癒やしと生きがいを与えてくれて、ひょっとしたら父が亡くなる前に遣わしてくれた猫なのかもなと思いながら大切に育てました。



2005年に自分が婚約し、実家からすぐ目の前のマンションに引っ越して一年間一人暮らしを始めました。その時にもクッキーは自分と一緒に来て、その後一年間、2人でのマンションぐらしが始まりました。RIDE on BABYのラジオ録りをやったり、友人が飲みに来たり。どんなときも猫タワーから見守っていました。翌年に結婚して、そのマンションに嫁さんも一緒に住むようになってからも、仲良く暮らしてきました。



2009年3月に実家を建て替えて完全別施設の二世帯住宅を作ってから、2回目の引っ越しをしました。新しい家に住み始めたタイミングで、三毛猫のやんちゃ姫「おかか」も家族の一員に。歳の差8年近い若猫にいじられながら共に生活をしました。それから1年後の2010年7月には長男も生まれ、自分と猫との二人暮らしだった時はかなりのんびり暮らしていたクッキーも、沢山の賑やかな家族に囲まれて暮らすことになりました。大きな変化があったのは2012年の5月。たびたび喘息に苦しむ長男のアレルギー検査をした所、猫アレルギーがかなり強力に出て。小児科の先生に「ただちに2匹の猫を手放しなさい」と言われ、とても悩んだものでした。ペットは飼い始めたら最期の日まで面倒を見るのが当然と思っていましたし、それまでの自分の生活の中で、明日までに2匹の猫と別々に暮らさなければいけないなんて考えもしなかったからです。悩んだ末、幸い、おかかは猫を多頭飼いしている姉夫婦の家が預かってくれることになり。クッキーは自分にいつもとても甘えていてこの頃には11歳を超えた老猫になっていたこともあり、3階の母の家が預かってくれることになりました。大変近いところで世話をすることができてほっとしたものでした。



しかし、翌年の2013年に、年齢からかなんなのか、腎臓を悪くし、結石が出やすくなるための大手術をしました。幸い手術は成功し、その後1年半、元気に過ごしていました。ところが昨年末から腎臓機能はどんどんと悪くなっていき、近所の動物病院に入院・退院を繰り返すようになり。だんだんとその通院頻度は上がっていき、年明け2月くらいからは毎週病院に行かないとダメなようになりました。4キロちょっとあった体重は3キロくらいまで落ちて。キャリーケースに入れて病院まで運ぶケースの重さがどんどんと軽くなっていくのを感じていました。最期は2.6キロまで落ちていました。3月位には血液検査の結果も絶望的な数字が出て、体中に毒素が溜まっていていつなにがあるかわからないと言われるまでに。その時から覚悟はしていたのですが、なぜか腎臓以外はとても強靭で、獣医が驚くぐらいに元気でした。遠征が増え、家にいない日々も続いていましたが、うまくスケジューリングをして、東京に帰ってきた時にはすぐに病院に連れて行き、必要ならば何日か入院させ。最初はSNSなどにも記録していましたがあまりにも頻繁になったので書くのを自粛していました。自分の中では「本人が自主的にご飯を食べ、排泄をし、動き回っているうちはなにがあっても面倒を見る」と決めていたので何十往復も病院に行ったり戻ったりしていました。



GWは非常に元気で。高い所に登ったり、甘えてきたりもしました。でもなんとなく、最期の時は感じていました。それが遠くはないんだろうけどいつになるのかなと思いつつ、また滋賀と京都に遠征し、釣りイベントと拾得ライブを終え、翌日に車で戻ってきました。母からの連絡で「今までになく弱っている」ということを知り、翌朝いつものように病院に連れて行きました。先生からはなるべく一緒にいてあげて欲しいと言われ、これまでと違うことを悟りました。水曜と木曜の予定をキャンセルし、一緒にいることを決めました。19日の夜は、母のフロアの猫部屋に一緒に入り、久し振りに一緒に寝ました。とても静かに寝ていましたが、明け方、クッキーが歩く音がしたので「クッキー!」と呼んでみたら最近になく大きな声で「にゃー!」と返事をしました。その声は若かった頃の彼の声と同じでした。もしかしたらあれは夢だったのかもしれませんが、20日の朝になって起きてみたらもうぐったりしていて、鳴き声も出さず、立ち上がることもありませんでした。でも前の犬の時も最期にそういうことがあったので、きっとこれがいわゆる最後の挨拶なんだろうなということを直感しました。病院に行った朝にはまだ意識も有り、時折顔を上げたりしっぽを振って返事をしたりしていましたが、夕方に病院に戻った時にはこんこんと眠り続けていました。何時間か撫でているうちに次第に体温も下がり、呼吸も弱くなっていくのがわかりました。昨年末からずっと通院してきたので突然の思いは無いにしても、急激な衰弱からの死に対してやっぱり寂しさはこみあげて来ました。それでもこのスケジュールの中、しっかりと主人が帰るまで待っていてくれて、一緒に近くにいる間に旅立っていったのも立派だなと思いました。なきがらを病院から受け取り、帰りに馴染みの花屋さんに経緯を話したら、きれいな花をたくさん選んでくれまして。それらを連れて、自宅の地下室へ。クッキーは3年ぶりに自分の家に帰ってくることが出来ました。仕方のない事とはいえ、11年以上連れ添った彼と、ある日突然明日までに別の所へ移せと言われたのは当時とてもショックだったし、ずっと共に寝てきた仲だったので、今日はこれからクッキーと地下室で眠ることにします。明日は焼き場に行き、お骨にしてもらったら、しばらく家に置いておいて、それでまた犬の時と同じように庭の大木の下に埋めてあげようと思います。



たとえ犬や猫などのペットでも、毎回「生きること、死ぬこと」について深く考えさせられます。もうこんな悲しい思いはしたくないとも思います。それでもペットが与えてくれる癒やし、教え、いろんなことを考えると、それを乗り越えてでも共に暮らしていくことの価値を毎回感じます。もし子どもたちが、さすがに猫はアレルギー的に無理かもしれないけど、犬とか飼いたいと言い出したら前向きに考えてあげたいと思います。クッキー、その時は生まれ変わって、また俺の所においで。今までありがとう。いつか自分がそっちに行くその日まで、さようなら。最初に飼った猫が君で、とても幸せでした。



音伝に関しての大切なお知らせです。 

January 07 [Wed], 2015, 14:27
さて、皆様に残念なお知らせがあります。2003年3月から、約12年続きました中目黒の「音伝」(現在はONDENと名前が変わっていますが、敢えて私の中での店名で呼ばせていただきます。)ですが、今月末、2015年1月末をもって閉店することといたしました。

理由につきましては、どこまで書くか迷ったのですが、きちんと皆様にご説明するべきだろうと思いまして、全てを書くことにしました。2011年10月におでん屋としてのスタンスをクローズ、店長だった藤原くんも店をやめることとなりました。その時点で私としては店を完全閉店するつもりでいたのですが、ミュージシャンのキクチくんより、プロデューサーとして店を続けていきたいので貸してくださいという要請がありました。おでんは続けないが店名は英語表記にして残し、内装もほぼそのまま、コンセプトはBARとして再出発という形になり。当初は売上も大変だろうから毎月内容の報告だけしてもらい、収益の分配は一年やってから考えようということになりました。再立ち上げ当初はキクチ君も希望に満ち溢れ、やがては店を買い取りたいとか、他のプロジェクトとのトータルブランド設立企画などを立てていましたが、そんな簡単に行かないのはわかっていましたので、まあまあ様子を見ようと伝えました。

いざ店が始まってみると、やはり最初からはキクチ君の思うようには売り上がらなかったようで。ようで、というのは、当初約束していた毎月の売上の報告が、実際はほぼ無かったのでわからないというのが事実です。時々厳しく催促すれば、適当に作ったペライチの数字の羅列が手渡しで渡される程度で、中身は大人が少し計算すればすぐわかるぐらい矛盾した数字でした。こういう内容が必要で、こういうふうに作ると良い、と今までの飲食店事業の資料を彼に渡して手ほどきをしましたが、その後も一度もそのクオリティで報告が来ることはありませんでした。そして店にとって肝心な、誰にどのぐらい人件費を払っているのか、何をいくらで売っているのか、最終的にいくら利益があり、いくら現金があるのか、まったくわからない状態でした。そのうち、今まで私達が大事にしていた取引先などへの支払い遅れや未払いもありました。具体的には、大事にしていた固定電話番号も未払からいつのまに勝手に解約して店の電話は一切不通だったようですし、貸与した音伝のURLドメインに関してもいつの頃からか解約し、叩いてみれば婚活サイトに飛ぶようになっていたり。ドメインも色々探して取ったものでしたし、電話番号も覚えやすいようにといろいろ申請して取ったものでした。それらを貸与して、いつかは返してもらおうと思っていたにも関わらず、持ち主の了解を得ず勝手に解約されていたとは全く知りませんでした。

雇用に関しても、人を雇ったら責任が発生するから、必ず履歴書を出すようにと毎度言っていましたが実行されず。ある日はオカマさんが店長をやっていて人生相談コーナーをやっていたり。いろいろ試行錯誤する中での苦労だということは分かりますし、その事自体が悪いとは思いませんが、名前も素性も知らない人が店のイメージをガラリと変えてコンセプト営業するならそれはそれで事前にきちんと伝えてもらいたいと何度も思いました。ある頃からか行くたびに違う若い男女が働いていて。名前を聞いたことがあるバンドのボーカルの男の子に「いらっしゃいませ、初めてのお客様ですか?」とか聞かれたり。オープンして一年半後には店でメインで働いていた人や、キクチくんの掲げる「FATHER MUSIC」グループとしてひとくくりにされている周りの人たちから「高橋さん、知っていますか?」と悲鳴や愚痴に近い話が届くようになり。もちろん私は全て知らない話だったので、それぞれ電話をしたり、会社に来てもらったりしていったい今何が起こっているのかをヒアリング、責任者として謝り、対応をしました。

FATHER MUSICのコンセプト自体は応援できるものであったし、私自身も必要なこと以外は口出しせず、保証金差し入れと家賃立替というお金の責任だけを取り、遠くから見守る父親のようなポジショニングでいました。しかし、そのことが結局は周りに迷惑をかけていたことになってしまい、上記のことも3年経っても一つも解決せず。それでもその間、更新時に大家さんや不動産屋と金額条件などの交渉をしたり、時折キクチ君から彼の友人に「ONDENのオーナーです」と紹介をされることに違和感を感じ。私としては「オーナー」とは実務をやっている店長に全てを任せてその収益の一部をシェアするか、収益はなくても店のコンセプトや楽しみをシェアするかどちらかだと思っています。そのどちらも無いことに対し、周りの経営者にも相談しまして。「いやいや、ありえない、高橋さん、これ以上付き合ってあげる必要はない。強い意思を持って続けないと高橋さんらしくないし、当初の彼の希望通り、彼に売却したらどうか。」というアドバイスなどをもらい、一年前の2014年1月にキクチ君に店をやめるか買い取ってもらうか決めてくれと伝えました。その後半年は全く結論に関する返事がなく、まいにちツアーが始まる前に決着付けないと気持ち悪いからとこちらが再度催促しましたが結論は出ず。「店はこれからもやりたいが、引き続き今後も利益などはシェアできないし、当然のごとく買い取る余裕もない。でも店は続けたい。」というやりようのない返事があり、仕方なくこちらで物件解約日を設定し、そこから逆算してタイムリミットを決めてもらうことにしました。

私自身はファンクラブ運営会社も、音楽事務所も、ミュージシャン専用アパートも、そして飲食店も10年以上続け、その全てに責任を取ってきました。20代の頃に勢いで始めたものばかりですが、続けることに意義があると思って頑張ってきました。それらの10年以上続けてきたものを辞めるというのは初めてのことでとても落胆していますが、しかたのないことかなとも思います。当初の「中目黒のおでん屋」は2011年で終わったわけですし。それらを形を変えて続けて今の店長に委任したのも自分ですし。いつか自分が年をとって引退したらお店に立ってBARでもやろうと思っていましたが、ま、それはまた仕切りなおしで考えることにします。私としてはたとえ売上が少なくてなんとか維持出来てるレベルのものだったとしても、正しく営業し、強い理念を持って仲間と連携できていればそれでもいいかなと思っていました。しかしながら、上記の通り、それらも長期間無かった中で、店を漫然と続ける理由もなく。ま、飲食店にかぎらず、「人に任せる」ってのはとても難しいし、色々と奇跡のチームワークじゃなきゃ金と時間や人などの問題を乗り越えることはできないんだと再勉強になりました。現店長のキクチくんに関しては今後もplaneのボーカルとして、ミュージシャンとして応援をしていくつもりでいます。

音伝開店当初よりとても良いお酒を仕入れさせてくださった秋田や岐阜の酒屋の皆様。沖縄から毎度美味しいゴーヤやニガナを送ってくださった根間さん。音伝に惜しげも無くおでんの味を教えてくださった自由が丘「まる」の故・加藤さん。歴代店長だった熊谷君、藤原君、キクチ君。オープン時に人手が足りなくて皆で店のカウンターに立ってくれた当時のうちの会社の社員達。雑誌やテレビにおでんを紹介してくださったメディアの皆様。そしてお店を愛して通ってくださった皆様。本当にありがとうございました。少し前の知識と経験になりますが、自ら体得した飲食店営業の経験を、またどこかで活かせる機会がありましたら。約12年間、ありがとうございました。

ちなみに現「ONDEN」の最終営業日は以下のとおりだそうです。
2015年1月29日(木)までランチ・BARタイム営業(不休)
ランチ:12:00-14:00
BARタイム:18:30-24:30

1月30日(金)はONDEN常連様向けの特別営業となるそうです。1月31日(土)は営業いたしません。と言いつつ、WEBも無いので、お店の住所を改めて記載しておきます。電話番号もないので予約やお問い合せはできませんがよろしくお願いします。

目黒区上目黒3-6-25 (中目黒駅徒歩数分)
「ONDEN」

店の終焉はバンド解散と同じで、実際はそんなに綺麗に終われるものではありませんが、多くの感謝と思い出を胸に。笑える話も沢山逸話が有りますが、そんな話もいつかまた。閉店するその日まで、それまでよろしくお願いします。

2015年1月15日
おでん音伝・オーナー 高橋卓也




ナインアップが設立9年を超えました。 

October 05 [Sat], 2013, 0:00
音楽事務所である有限会社ナインアップが、本日10月5日で9周年の記念すべき日を迎えました。普通は企業の節目なら10年でお祝いですが、この会社は「9up」という表記のとおり、「設立9年以上」が一つの目標だったのでこのタイミングで節目とします。

元々は藤田兄弟のバンド「RIDE on BABY」のマネジメントをするために2004年に、自分を入れて3人で立ち上げた会社でした。当時の私の考えとは違っていましたが、色々な提言があり、その頃既に私が経営していたファンクラブ運営会社とは関連を持たせず、名前もまったく別物でやることになりました。共同運営者がスラングの「whole nine」(すべてを手に入れる)と「crack up」(大爆笑)という言葉を気に入り、それを組み合わせて「nine up」という社名になりました。本当はそんな野望の高い会社ではないのですが。(笑)今となってはこの社名の由来を知っているのは自分だけじゃないかなと思います。(笑)なんとなく「ゲームとかも1up9回ぐらいすればクリアできるんじゃない?」とか「9upって表記するとヘッドフォンみたいなロゴができるからいいんじゃない?」と後から追加の理由も付けてスタートしたものでした。

RIDE on BABYはBIGCATでの自主イベントなどを成功させたりしていましたが、2007年3月に兄弟バンドの兄の大介がリタイアし、祐介だけが残ることになり。それまではあんまり自分自身、弟のほうとはじっくりと話したことはなかったのですが、彼の「東京に残り一人ででも音楽を続けたい」という熱意を買って会社を続けました。なかなか何を考えているか見せない男でしたが、次第に本音を語り、共有する時間が増えていきました。私の尊敬する、とある超大型マネジメント会社の大先輩が「マネジメントとは雑用をこなす役ではない。アーティストとできる限り共にいて、その気持ちを最も理解し、小さい異変でも察知できる立場にあるべきだ。家族を超える存在にならなければご家族からお預かりした意味が無い。」と言っていまして。その言葉に感銘を受けてからは、なるべくそれを実行できるようにしています。まあ自分的には勝手にユウスケは尊敬する立派なうちの看板であり、弟的存在の家族であり、趣味やマインドを共有できる親友のように思っています。

「フジタユウスケ」としてソロワークスを始めてからは6年半になります。しかしその間に、共同運営者たちは次第に別の仕事をすることになり。現在は経理関係からブッキング周りやイベントアイデア構築、アーティストたちとの交渉、車の運転に至るまで全部一人でやっています。なんとなく、自分が名づけていない子供を今でも一人で育てているような気分になることもありますが、この会社を守ってきたことで得たものも非常に多く、大変ながらも続けてこれています。どこまでやれるかはわかりませんが、表面上のほほんと遊んでるように見せつつ、楽しく、矛盾せず、強引な手を使わず、自分にしかできないミュージシャン達のサポートが出来ればと思っています。

ファーストアーティストであるユウスケが、サポートや自身の活動で国内外を問わず、沢山の場所や大きな舞台を経験してくれるのはとても嬉しいことです。周りのベテランミュージシャン達が「ユウスケは人間的にも立派だし、作る音楽も素晴らしいから純粋に手伝いたいんです。」と日々言ってくださるのも大変ありがたいと思っています。今後も可能な限り立会っていけたらいいなあと思います。また、よく「所属アーティストを増やすつもりはあるんですか?」と聞かれるのですが、それはそういうアーティストに出会うことができたら考えます。でも多くのマネジメントの先輩たちを見ていると、人と人との出会いや組み合わせってのはなかなか奇跡的なもので、沢山のアーティストを抱える事務所の社長さんというのはよっぽど器が大きくないと無理なんだろうなあと思います。それが自分にできるかはまだわかりません。

ファンクラブ運営会社を始めて13年5ヶ月、ミュージシャン専用アパートを始めて10年10ヶ月、(8年8ヶ月目でほぼ自分の手を離れましたが)飲食店を始めて10年7ヶ月、そして音楽事務所が9年ちょうど。続けることって難しいなあと思いつつ、今でもこれらを続け、その全てにミュージシャンがなんらか関わっていることに少しだけ誇りを持ちつつ。気力と体力とほんの少しの運が続く間は、これからも頑張っていきたいです。

無事に9年を超えたちょっとしたお祝いで、本日からフジタユウスケとタカタクのTwitterアイコンを変更します。自分はLINEやFBなども色味を合わせて変えます。このアイコンは今までのユウスケアイコンも描いてくれたイラストレーターのトリバタケハルノブ君の作品です。私は彼の描く絵がとても好きで、RIDE on BABYのプロフィールにも使わせてもらっていたし、自分の結婚式のウェルカムボードなども描いてもらっています。音伝で個展を開いてもらったこともありました。ユウスケの今までのアイコンは彼が20歳の時のもの。彼は新しいアイコンを見て自分が年取ったことをなによりも実感したそうです。(笑)でも9年前と同じ人に描いてもらい、同じ人達とそれを見て笑い合えることは、とても価値あることなんじゃないかなと思います。皆が続けてないとできないことですから。

この記事をスタッフブログに書くかここに書くか迷ったのですが、書き始めたらけっこう個人的な話が多くなってしまったので。久しぶりに個人ブログに記すことにしました。今後ともナインアップならびに所属アーティスト、フジタユウスケをよろしくお願いします。

2012年を個人的に振り返る 

December 27 [Thu], 2012, 17:36
さて、2012年も終わりです。今年も「旅と出会い」の一年でした。しかしながら、昨年末に突然交通事故死した親友のことがどうしても引っかかり、「生きるとは、死ぬとは。」を考える一年でもありました。Facebookで自動的に「一年を総括する」サービスをいくつか使ってみたのですが、なんともうまくまとまらなかったので削除し、結局は自分でブログでつらつらと書いてみることにしました。

1月
旅に行ったのは札幌、小樽、福岡、大分でした。携帯をF-04Dへ機種変。これに周りも続きました。(笑)年明け一発目のライブが札幌、というのも例年にない展開でした。同行のキクチくんが酔っ払って札幌で5時間近くも延々ライブしたのが印象的でした。「なるほど!ザ大百科へおこしやす」というタイトルで手島いさむさん、西村晋弥君、ユウスケで何箇所か回ったのもこのあたりでした。オフで行った大分の別府温泉で、なぜか勘違いして「地獄巡りの各地は入浴できる」と思い込み、ユウスケと二人でフェイスタオルとバスタオルを首に下げて「天然 坊主地獄」に入場したものの、どこを歩いても坊主頭みたいに泥がボコボコしているだけで、「どこで脱ぐんだろ?あれかな?」と最後まで勘違いしていたのが思い出です。(笑)この話はジワジワとずーっと今年の「恥ずかしい話」として残りました。いや、だって、張り切って男二人が坊主地獄に入ろうとしているんですから。(笑)

2月
旅に行ったのは大阪、新潟、台湾、名古屋でした。第1の会社の次期システムのための打ち合わせも多かったあたりでした。親友の追悼会をONDENで開いたり、彼の車を引き取りに行ったりもしました。新潟では今年数が少なかったユウスケのサポート業務に立会いました。台湾に行った時、「SUPER DRY 極度乾燥(しなさい)」というブランドを見つけ、ユウスケと「これは面白い!日本未発売だから買っていく?」などと盛り上がっていたのですが、結局買わず。帰国してテッシーさんと名古屋でライブをしたら、テッシーさんがほぼ全てSUPER DRYブランドで服を固めていたという偶然。(笑)テッシーさんも海外で面白いと思って買われたのだそうで、視点の近さを感じました。

3月
旅に行ったのは箱根、京都、大阪、広島、香川、高知、名古屋でした。母、姉夫婦とおいっこ、うちの家族で家族旅行し、いちご狩りに行きました。自分は全く果物には興味ないのですが興奮した長男が印象的でした。次男を授かったのを知ったのもこの頃でした。旅はその後の旅三昧を象徴するような長旅でした。川西さんに広島や高知のことを教えてもらい、合間に行った香川の弾き語りでは非常に個性の強いマスターのいる不思議な空間で演奏。しかしながら弾き語りと旅に対する価値観を大幅に上げた出来事でした。「ガラパゴス」の名前もこれらの旅の合間に思いついたものでした。この辺りから、毎回数千キロ以上車で走るのが当たり前になりました。(笑)

4月
旅に行ったのは大阪、沖縄でした。なんだかこの辺りはやたら心がざわざわしていた時期でした。でもまあ、その気持ちも後々には良い経験だったと思えるようにはなったのですが。普段あまり過ごし方がわからない大阪では、Twitterで教えてもらった鶴橋の焼肉屋へ行ったり、吉本新喜劇を観たり。急遽決まった沖縄社員旅行では雨の中、可能な限り社員達をねぎらったり。ユウスケがこの月は3アーティストのサポートをやりましたが、これ以降今年はサポート業務はありませんでした。

5月
旅に行ったのは大阪と京都でした。ゴールデンウイーク中、ずっと体調不良だった長男が喘息で入院しました。原因は猫アレルギー。これまで10数年一緒だったクッキー君と、家ができてから3年一緒だったおかかさんを退院までに直ちに家から出すようにと医者から指示されました。これには抵抗もかなりありましたが、結局はクッキーを母が、おかかを姉が引き取ってくれることになり。これはとても辛く、寂しい出来事でした。しかし以後、徐々に長男の健康状態が良くなったので仕方なかったかなと思います。

6月
旅に行ったのは京都、名古屋、マカオ。マカオはホテル好き、ギャンブル好き、怪しいもの好きの自分の好奇心を大いに満たす旅となりました。空港から歩いてホテルまで行ったり、中国・珠海まで歩いて国境を超えたり。今年の海外旅行はここの印象が最も強かったです。ユウスケとしては誕生日記念に初のオールナイトイベントをやりましたが、ゲストがそれぞれに大いに力を発揮し、非常に面白いものとなりました。今年の人間関係を象徴するようなイベントだったように感じます。Androidも使ってみようと白ロムのGALAXY NOTEを買ってみましたがそれほどハマりませんでした。

7月
旅に行ったのは沖縄、札幌でした。大学の部活の後輩の女の子がクモ膜下出血で急逝。同い年、そして年下が相次いで突然死したことにショックを受けました。この辺りからダイエットを開始。高尾山登山などにも一人で行ったり。結果的には5キロ痩せました。前々からそうではありましたが、この頃から旅中毒になり、旅してないと都内で廃人のようになってしまうようになりました。(笑)こればかりは慢性的なものとなり、今後も治りそうにもありません。(笑)

8月
旅に行ったのは大阪、広島、京都でした。京都でユウスケとザ・ビートモーターズの秋葉くんと弾き語りツーマンをやったのですが、その翌日に行った琵琶湖でのバス釣りで、やるつもりはなかったのになんとなく皆に付き合ってボートに乗ったら釣れず。ユウスケも「せっかく興味を持ってくれたのならなんとか釣ってもらいたい」と凄く努力してくれ、その思いに応えたかったのですが。この時やたら悔しく感じてしまい、どうしたら釣れるのかを後日DVDなどでひたすら研究。結果、釣りが趣味になってしまうのでした。(笑)しかしまあ2日連続でこの時期に湖に行き、ものすごく日焼けしましたね。

9月
旅に行ったのは香川、広島、岡山、福岡、山口、大阪、名古屋、京都、新潟、福島、仙台でした。(笑)16泊地方外泊でした。前の月から「まいにちうたがうたえたら」としてキクチユウスケ君と大柴広己君とユウスケと自分とで4人で旅に出まして。ほとんど大柴くんのことを知らないままに旅に出て、なんとなくお互いを探っていたような最初でした。長いこと一緒にいる中で本音を聞いたり、音楽で感じ合う所もあり。自分で仕掛けたイベントや企画ではないものの中で、この旅は今年最も印象的なものでした。こと大柴君とユウスケのつながっていく感じは、眼を見張るものがありました。月末の東北は被災地に近いところで色々なことを聞き、また感じることができました。「旅」のことで言えば9月は特別な月でした。SIM Free iPhone4SからauのiPhone5にセカンド機を機種変しました。

10月
旅に行ったのは大阪、京都、沖縄でした。なんといっても22日に次男が誕生。急に長男が大人っぽくなった瞬間をみました。久しぶりに新生児を抱き、その軽さにびっくりしました。そして嫁さんが非常に頼もしくなり、初産の時よりも色々とスムーズだったのが印象的でした。釣りは相模湖と琵琶湖へ行き、琵琶湖でようやく自分の道具でブラックバスを釣ることができました。しかもこの日はユウスケと木下さんがペアでボートに乗っていたので自分一人でボートに乗って四苦八苦していました。ま、こういう時にぐっと物事は進むんだろうなあと痛感しました。他にも印象的な出来事もありましたが、結果的には全て悪くない結果となりほっとしました。

11月
旅に行ったのは福島、新潟、グアム、京都、岡山、広島、名古屋でした。相模湖、福島、グアム、琵琶湖、河口湖と毎週釣りに行っていました。(笑)グアム旅行は17年ぶり。取り残された観光地という印象もありましたがホテルも素晴らしく良く、トローリングでは初挑戦で1m級の魚も釣れてテンション上がりました。38歳の誕生日に車をVOXYからアルファードに乗り換え、より快適な車移動手段を入手しました。青江くんとのツアー「すんでたところで」シリーズはワンマンを除いて、自分で仕掛けたイベントとしては最も満足の行く内容でした。合間に小学校の同窓会が開催され、何十年ぶりに会う人達もいました。大きな決断を了承いただき、第3の会社での立場が大きく変わりました。

12月
旅に行ったのは京都、名古屋でした。ワンマンのための「ギタリスト"A"」さんのレッスンが多かった印象です。2回目のワンマンツアーは、ほぼ昨年と同じ日程で、一年前を色々と思い起こさせるものでした。十数名で移動をし、いつの間にこんなことになったんだろうと何度も言い合ってました。京都でのアフターショーパーティー、名古屋でのクリスマスパーティーもアットホームに開催することができ、テッシーさんやカナメさんとも来年も色々やりましょうと確認しました。合間に親友の納骨、一周忌法要などに参加しました。どうぶつの森をいろんな人に勧められ、ハマってしまいました。(笑)そしてNintendo好きとして、Wii Uも購入しました。おかげで?物欲はすっかり落ち着いてしまいました。(笑)

とまあ、こんな旅でした。まったくもって家族の理解がなければあり得ない日々でした。(笑)そしてこの一年、毎月のように親友が夢に出てきました。夢ででも会えることに嬉しくもあり、寂しくもあり。行く先々の旅先も一緒に行った場所ばかりで色々思い出されました。そしてこの一年、「生きるとは、死ぬとは。」について考えてきた結論は明確には出ませんでした。いくら死ぬことが身近にあっても、体験できたわけではないですし。しかしながら、祖父が生前大事にしていたガンジーの言葉、「永遠に生きるが如く学び、明日死するが如く生きよ」がもっとも近い答えのような気がします。明日死んでも悔いがないぐらい、好奇心を持ってなんにでも挑戦し、言いたいことや会いたい人を後回しにせず、いなくなった人たちの分も精一杯生きる。これしか無いんだろうなと思います。

来年も無茶していきたいです。(笑)今年も各方面で皆様、お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

7/27,28はタカタク&キクチでONDENのカウンターに立ちます。 

July 19 [Thu], 2012, 12:58
そろそろここも更新していきましょうか。さて、昨年11月以来、おでん屋からBARへと形態を変え、名前も「音伝」から「ONDEN」になった中目黒の店ですが、7/27-29は主力メンバーである工藤くんと若葉さんが二人ともフジロックへ是非行きたい、ということで、営業をどうしようかと店長のキクチユウスケ君から相談がありました。

んで、じゃあオーナーと店長とでカウンターに立ってボーイズバー風に営業しよう、ということになりまして。

2012年7月27日&28日 「ONDEN主力がフジロックでいないのでオーナーと店長でボーイズバーやります。」
18:00からLASTまで

というのをやってみることにしました。どうぞ皆様お気軽に遊びに来てください。ちなみに29日はどうするのかっていう話になりそうですが、自分はこの日は青江好佑君のイベント、フジロック、じゃなかった、フジンロックフェスへ是非行きたいと思っておりまして。(笑)この日はキクチ君がまた別なものを考えるそうです。

ボーイズバーなのでお酌もしないしおさわりも無しですが、どうぞお気軽に冷やかしに来たりしゃべりに来たりしてください。さて、どんな服装でやりましょうかねえ。(笑)よろしくお願いします。

ONDEN(東横線・日比谷線 中目黒駅より徒歩数分)
http://onden.jp/

親友 佐久間賢治への弔辞 全文 

December 24 [Sat], 2011, 16:58
佐久間、まさかこんなことになるなんて、夢にも思っていませんでした。不慮の出来事の前日まで一緒に会っていて。その日、俺のライブ制作現場を見てくれて、打ち上げにも参加して、ユウスケや俺のことも褒めてくれて。帰りに家の近くまで俺が車で送っていった時も、名残惜しそうに隣で缶チューハイを飲んでいたのに。「じゃあ次回は恒例の元旦におせち食いに家に行くからな」と言っていたのに。とても残念です。君は賑やかなことが好きだったけど、いくらなんでもクリスマスイブに君の告別式だなんて、冗談かと言いたくなります。



君は大胆だけど繊細で、わざと馬鹿な振りをするけど本当は博学で、実はとってもシャイで、仕事や人脈の自慢も一切しない、他人の悪口も全く言わない、人に親切で優しい男でした。俺にとって自慢の親友でした。誰に紹介しても「いいキャラだね」「素敵なお友達がいていいですね」と言ってもらえたし、「卓さんとさくちゃんのコンビの空気感が理想だ」と言ってくれる人もいて、俺はそれがとても嬉しかったです。9年前、君がシアトルマリナーズの担当だった時、俺はシアトルまで遊びに行きました。佐久間は全然英語が出来ないはずなのに、ジェスチャーだけでマリナーズの選手やレストランのウエイトレス、セフィコフィールド球場の用務員さんに至るまで仲良くしていて、君のキャラクターはワールドワイドに通用するんだなと感心しました。



中学時代はホームルーム議長として活躍、高校は野球部員からマネージャーに転向し野球部を支え、大学時代は高校野球の史上最年少監督として大活躍していました。その合間に、共通の趣味であるギャンブルも楽しみ、二人でテレビ東京のパチンコ大会に出演してペアで優勝したり、中央競馬の競馬場全箇所に行ったりしました。移動の車の中ではいつもお互い新しく見つけた音楽を聴かせ合い、音痴だったけどよくカラオケにも行きました。俺は今、あの時君に教えてもらった音楽を演奏していたバンドミュージシャンたちと一緒に仕事をしていて、まさに今の仕事の道筋を作ってくれたのは佐久間にほかならないです。



学生時代はあんまり酒が飲めなかったけど、社会人になってからはもの凄くよく飲むようになって。コミュニケーションツールとして、また自分のシャイな性格をごまかす手段として、欠かさぬ日々を送っていました。どこそこの店の店長と今から飲んでくる、どこそこの店の常連が集まる忘年会に行ってくる、と毎日のようにお酒をきっかけにした仲間たちと交流していました。



佐久間とは学生時代から本当にいろんなところへ行きました。北は北海道から南は沖縄まで、国内の主要な県はほぼ全て行ったと思います。美味いもん食って、酒飲んで、時々ギャンブルして、夜は夢を語る。そんな旅でした。海外にも何カ所か行きました。就職して忙しくなっても、お互い一年に一回は約束をして旅行に行っていました。出発の時点から俺が運転し、君は助手席でお酒を飲んでいました。宿泊先でも君は「おまえと飲んでると安心しちゃうからすぐ酔っちゃうんだよな」といつも先に酔いつぶれ、俺がそれを介抱するのが常でした。でもそんな関係性が俺は好きでした。ついこないだ会ったときも「そろそろ次の旅行先を考えよう」と話していたばかりなのに、君は突然遠くへ旅立っていってしまいました。「おい、佐久間、そっちじゃねえだろ」って突っ込んだら「おー、わりーわりー、勘違いしてたわ。」と笑顔で戻ってきてくれないかな。いつものように変な土産とか買ってきて、笑い話とかしてくれないかな。



君は学生時代は全然女性にモテなくて、「俺には一生彼女が出来ない気がする」なんて言っていて。俺は「佐久間の優しさは、ある程度年齢が上にならないとわからないって。30過ぎたらモテるよ」といつも言っていました。その言葉通り、君は30歳を過ぎてからお酒を飲んで気が合った女性を何人か紹介してくれました。「まず最初におまえが認めてくれないとなあ」なんて、まるで父親に紹介するように丁寧に紹介してくれました。君は嬉しくなっちゃって交際後すぐに紹介するものだから、俺に紹介後すぐに別れてしまうなんてことも何回かあって。俺が「これだと思う子と、気持ちが固まってからでいいよ。」と言ったら「わかった、そうだよな、わりーわりー。」と言っていました。君の旅立った後、いろんな人に君が今後どうしようとしていたかを断片的に聞き集めました。君は来週、いつも行く美容室で髪を綺麗にして、元旦にうちに遊びに来る際に俺にサプライズで、今お付き合いしている人を初めて俺に紹介するつもりでいて。その後ご両親に親戚のお寿司屋さんで紹介し、来年中にでも結婚しようと決意していたんだね。それなのに突然こんなことになり、それが叶わなくなってしまい、さぞや無念だろうな。君や、君の大切な人や、君のご両親のことを思うと、かわいそうでかわいそうで、涙が止まりません。そのうちお互いの子供を遊ばせたり、家族ぐるみでどこかへ遊びに行ったりしたかったよな。俺もそうなることをずっと待っていたんだけどな。二十歳ぐらいから「俺の結婚式の時は卓さんにスピーチを頼むことになってるから。」と口癖のように君に言われていました。俺もそのつもりでした。でもまさか、君に弔辞を読むことになるなんて。悲しくて悲しくて、とてもやりきれません。



君の遺影をどうするかでお母様から相談があって。君は生前、サービス精神が旺盛だったから、写真を撮る時はいつもなんかおいしそうに食っていたり、酒飲んでたり、わざとしかめっ面したり、おどけた顔ばっかりで。なかなか自然な君らしい笑顔の写真が無く、本当に困りました。その中で一枚、満面の笑みの写真が見つかりました。それは去年、俺に子供が生まれて、初めて抱っこしに家に来てくれた時の写真でした。こんなに喜んでくれていたんだなと思うと、もうなんだか有り難いやら悲しいやらで、なんとも言えません。



3年ぐらい前に、とても嫌なことがあって君の前で落ち込んでいたとき、君は突然俺の背中をばちーん、と平手打ちし「おい、背中が丸まってるぞ!元気出せよ!よし、もう一軒行くぞ!」と力強く励ましてくれました。あの時の背中の心地よい痛みと暖かみ、忘れることが出来ません。なあ、佐久間。俺は今、一番の親友を突然失い、あの時よりもずっと辛い思いだよ。本当に、心が折れそうだよ。またあの時みたく、ばちーん、とやってくれないかな。一生の親友のはずが、君との付き合いがたった25年弱で終わってしまったこと、本当に残念で仕方がありません。



君が突然この世を去ったことはなかなか受け入れられるものではありません。それでも、残された人たちは君のことを思い、君の分まで生き続けていきます。そして今日、佐久間の為に集まった沢山の人達の心の中に、いつまでも君は生き続けるでしょう。それもとびきり楽しくて、濃いエピソードばかりに囲まれて。佐久間、今までありがとう。君のおかげで俺の人生はとても濃く、楽しい物になりました。毎年、元旦におせちを食いに来てくれていたけど、これからも君の席とお酒は、ずっと用意しておくことにするよ。いつか俺がそっちに行くその時は、乾杯しようや。それまで待っていてくれ。

その時が来るまで。ありがとう、さようなら。

平成23年12月24日
高橋卓也




追記:佐久間賢治のご会葬に来ていただいた皆様、ありがとうございました。本人に代わりましてお礼申し上げます。また、不慮の出来事の後、亡くなるまでの間、無事を祈ってくださった方々もありがとうございました。式の前と後には彼が会社の忘年会などでカラオケをする様子なども流れていました。学生時代から歌ってる歌が変わってないんだなあと思いました。また、彼がTRAIN-TRAINで「世界中に定められたどんな記念日なんかより、あなたが生きている今日は、どんなに素晴らしいだろう」と絶叫していました。本当に、今、自分は彼にこれを大声で歌ってあげたいなあと思っています。

彼の出棺後、焼き場まで一緒に行きました。信じられないことですが、彼の焼き場の隣は、同時期に亡くなった森田芳光監督でした。生前、いろんな現場に居合わせてスクープをつかんだ彼ですが、亡くなった後でもしっかりと張り付くんだなあと感心しました。今ごろあちらで密着取材とかしているかもしれませんね。

TwitterやFacebook、ブログなどで訃報や縁起の悪いことを書くのはどうかなと思うこともありましたが、「そのおかげで彼の葬儀を知ることが出来た。知らせてくれてありがとう」とお礼の言葉も沢山頂戴しました。また、彼の書いた本や記事の愛読者様からもご連絡をいただきました。ひとまずは良かったのかなと思っております。

葬儀の準備ならびに弔辞については、「さすが俺の親友だ!」と彼に思ってもらえるよう、精一杯つとめました。短い期間で推敲したため、彼の良さを伝えきれていない部分が多々ありますが、彼の魅力を知り、彼を偲ぶ文章の一つととらえていただけると幸いです。本文にもありますが、今日までは「きっちり送らねば」と気丈にふるまっておりましたが、一番の親友を突然亡くし、相当がっくり来ております。是非どこかのタイミングで、お声がけいただき、彼を偲ぶ飲み会でもできたら幸いです。本人もそこに酒持って現れるんじゃないかなーと思います。お読みいただきありがとうございました。

(1/11更に追記)佐久間くんの納骨が、ご遺族の意思で忌明けを早め、1/21に行われることになりました。あいにく私は札幌へ遠征中で伺えないのですが、お母様にお墓の場所をお聞ききしました。偶然にも、佐久間家の墓は多磨霊園だそうで、うちの母方の繭山家と同じでした。しかも私の祖父たちが眠る22区の隣、21区に彼は眠るそうです。最後まで強い縁を感じて嬉しいです。今後は一緒に墓参りできます。厳密には佐久間家はご夫婦でそれぞれのお墓に入ることになっており、彼のお墓はしばらく無いそうです。それでも、本当の四十九日あたりに、一度行ってみようと思っています。以上、追記のご報告でした。

(1/31の追記) 2/18(土)に中目黒の私の店、ONDENにて、佐久間賢治君の追悼会を行うことにしました。彼の好きだったナンバーにちなみ、「3939会(サンキューさく会)」とします。18時からラストまで、私がカウンターに立ち、皆様と彼を偲ぶ楽しい話をしようという企画です。よろしければ、是非。参加は自由です。混雑していた場合はお席を譲り合っていただくか、時間を調整した上でご参加いただければ幸いです。

故 佐久間賢治 葬儀について 

December 21 [Wed], 2011, 20:32
各位

訃報

佐久間 賢治 儀 12月20日午後11時51分永眠致しました(享年37)
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます
つきましては通夜並びに葬儀・告別式を下記の通り執り行います



 通夜:12月23日(金)午後6時 〜 7時
告別式:12月24日(土)午前10時30分 〜 12時
 場所:帝都典礼 碑文谷会館
(目黒区碑文谷4-21-10 TEL03-5722-9111)
交通/東急東横線「都立大学」駅下車 徒歩8分
バス・目黒駅より大岡山小学校行き「平町」バス停下車
  ・新代田駅より大森駅行き「平町」バス停下車
 喪主:佐久間道雄(父)

誠に勝手ながら御香典の儀は固くご辞退申し上げます
生花を承ります場合、直接下記取扱店へお申し込み下さい
(株)テイハナ TEL 03-3357-1187 / FAX 03-3357-0087
駐車場は手狭の為、なるべくお車でのご会葬はご遠慮下さい

「音伝」店長交代とコンセプトチェンジのお知らせ 

October 06 [Thu], 2011, 16:12
いつも音伝をご愛顧いただきありがとうございます。皆様に、音伝に
関する大切なお知らせがあります。

2003年のオープン後、翌年から2代目店長として7年半にわたり店長を務めてきた藤原店長が2011.10.19(水)をもって卒業することとなりました。長年委任してきた経緯もあり、とても残念ではありますが、様々な事情を双方で話し合い、このタイミングでの卒業ということになりました。

藤原店長は初代店長の味をしっかりと引き継ぎ、そこへ藤原店長の故郷である岩手の味も加えた上で、おでん屋としての基本を守ってきてくれました。今年は店長の故郷で大変大きな地震災害があり、愛する故郷を思いながら東京でのお店を維持していくのもとても大変だったと思います。彼の卒業を機に、音伝自体を一緒に閉めることも考えましたが、皆様から続けて欲しい、やめないで欲しいという有難いご意見もたくさんいただきました。その上で色々検討した結果、おでん屋としての店舗運営は一度藤原店長の卒業と同時にお休みさせていただき、新しい店長の元でまったく新しいコンセプトを考え、「音伝」という名前と藤原店長が守ってきたお店を引き継ごうということにいたしました。

新しい「音伝」は店長にミュージシャンであり、プロデューサーであるキクチユウスケを迎え、2011.11.11(金) から正式営業をスタートさせる予定です。名前の表記を「音伝」から「ONDEN」に変えて、Cafe Time / Dinner Time / Bar Time それぞれ違う顔を持つ、そんなお店を作っていければと思っています。詳細はWEBなどを中心に随時お伝えしていく予定です。

藤原店長と彼の作るおでんを卒業までの残る期間に是非お楽しみいただければと思います。また、11月からの3代目キクチ店長とその仲間たちがお送りする今後の新しいコンセプトにもご期待ください。

これからも「ONDEN」をどうぞよろしくお願い致します。ご来店、お待ちしております。

2011.10.6
音伝オーナー 株式会社データリーフ 高橋卓也

音伝2代目店長 藤原玄伸
ONDEN3代目店長 キクチユウスケ



以上のようなプレスリリース的なものを順次出していきます。8年半もやってきたおでん屋を一旦休みにするのはとても残念なのですが、いろいろ考えた上での決断です。上記の通り辞めることも考えましたが、弊社、データリーフの創業時からの理念である「人と人とのつながりを大切にしたい」「音楽業界の、これからの人材たちを支援していきたい」という変わらぬ自分の思いを、planeのボーカルであり、自身のソロ活動や様々なコラボで的確に活動をしているキクチユウスケ君が意思継承の表明をしてくれまして、彼に新しい「ONDEN」を一任することになりました。詳しくは新しいONDENのサイトで順次発表されていくことと思います。キクチ君は昨年のシュノーケルの活動休止ツアーで知り合い、それからよく飲む間柄ですが、彼の人と人をつなぐ力と、もちろんミュージシャンとしての才能もとても好きでして、とても興味を持っています。当然、今後も両方の活動を続けてもらうつもりでいます。(笑)自分としては11年前に会社を作るときに掲げた思いにまったく矛盾すること無くいれることがとても嬉しいです。

今でも元々のおでんも好きでして、なんとか今月の3スケツアー前日、10/19の現音伝最終日には確実に駆けつけたいと思っています。その前にもおそらく名残り惜しい思いもぶつけに行くと思います。また、11/11からの新生ONDENにも夢を持って手伝っていきたいと思っています。何かを終わらせることは何かを始めることよりも大変だったりしますが、その両方がまたいっぺんに来るという、なんとも自分らしい経験をさせていただいています。

両店長への変わらぬご支援、ご声援、よろしくお願いします。一緒に飲みましょう。
しかしあれですね、8年8ヶ月前、音伝開店前の当時28歳の自分はちゃんと当時の記録をこのブログに残していましたね。(笑)なんともこれも自分らしいというかなんというか。

http://yaplog.jp/takataku777/monthly/200302/
http://yaplog.jp/takataku777/monthly/200303/

HyperJuice Micro使用レポ 

August 14 [Sun], 2011, 14:54
海外で無線LANルータやiPhoneを使っているとどうしても電池が途中でなくなり、苦労していました。もちろん国内でも長距離移動の時はやや節約気味に使っていましたが。んで先日韓国に行ったときにオプションでUSB給電端末を借りたらけっこう便利だったので、んじゃ一台持っていようかなということになりまして。日本だとeneloopのモバイルブースターが有名ですが、容量にちと不満があり。

色々探しているとたまたま「HyperJuice」にぶちあたり。MacBook Airに給電できるもので大きいのから小さいのまであったんですが。でもたぶんMBAに給電しなくてはならないことは自分の中ではなさそうだったので、他に無いかなあと思っていたら、そのHyperJuiceを日本でWEB販売、店頭販売している「act2 store」のサイトの一番下にMiniやMicroなどがあることを発見。デザインも色もかっこいいなと思いつつ、「近日入荷」とのことでがっかり。

どうやら検索するとアメリカから個人的に購入している人もいるようで。またTwitterの過去ログを検索していると「実は店舗で売ってます」的な発言が7月あたりに。なにー、と思って、さっそくお店に電話してみました。とても感じの良い女性が「はい、実はあるんです、しかも、全色。しかも格安で!内緒ですよ。」とのこと。(笑) 説明の仕方も面白かったし、現物も見てみたいのでさっそく行ってみました。場所は道玄坂の交番の向かいぐらい。

お店はとても小さい店でしたがめちゃめちゃかっこいいiPhoneケースなども販売していて、だいぶ好みの店。最初に気になっていたMBA給電できるHyperJuice自体も全種類置いてありました。その中にMiniとMicroが重なって売っているのを発見。色も10色全部ありました。

色のラインナップ
http://www.hypershop.com/HyperJuiceMicro-3600mAh-Battery-for-iPhone-iPad-iPod-USB-s/166.htm

要はiPod nanoに合わせた色のようですが。Microのほうはサイズ的にはiPhoneよりちょっと横長で縦が短いぐらい、重さが134g。Miniのほうは小型の外付けHDDと同じぐらいで237gでした。容量はMicroが3600mAh、Miniがその倍の7200mAh。これは例えばMicroで言えばiPhone4を3回フル充電、iPadを5時間連続操作の容量だそうで。(Miniは当然その倍。)

また、それとは別にライター型のようなNanoというモデルもありました。これはUSBではなく、iPhoneのケーブルしか付いていないようです。

とにかくデザインが良く、かっこいい。そして大容量。しかも数日前に値下げしたようで、Microが5,980円、Miniが8,980円。これは買いでしょう。んでどっちにするか迷ったのですが。うーん、補助的に使うとしてiPhoneを6回もフル充電することはなさそうだし。そしてMicroはこの波状の凹凸が表も裏もあるのですが、実はMiniは裏面はつるつるなことを発見。あと、たまたまですが、Microは自分が持っているWiMAXルーターとほぼ同じサイズでした。



ってなことでMicroの赤を購入。他の色もとてもかっこよかったです。「お客さんが日本で2番目ぐらいの購入者ですよ」と言われ、本当かと聞いたら本当らしく。というのも全然宣伝していないかららしい。「宣伝していいですか?」と聞いたらどうぞどうぞとのことだったので、今回ブログに書かせて頂きました。(笑)

中身はこんな感じです。



ケーブル2本は両方共充電用。miniUSBとDCINにつなぐケーブル。どうやらDCケーブルで繋いだほうが充電は早いようです。チャージ中はランプが虹色に光ります。電源などのスイッチは特になく、OUTのところにUSBケーブルをつなぐとランプが付きます。残りのバッテリー量に合わせて緑(80%ー100%)、青(60−80%)、黄(40−60%)、赤(20−40%)、赤点滅(20%以下)となります。当然のことながらUSBでつなげるものはiPhone、iPad、WiMAXルーター、ガラケー、だいたいいけました。強者はこれにUSB扇風機をつなぐそうです。(笑)

iPhoneで撮影したのでそれだけ写っていませんが、iPadや13インチMBA(給電できませんが)との大きさ比較です。



これは値段的にもデザイン的にも相当「買ってよかった」部類に入ります。心置きなく使えるので、逆にiPhoneの使用時間が増え、ほぼ確実に毎日途中充電が必要になっています。(笑) またWiMAXルーターもNECのやつでただでさえ8時間バッテリー持ちますが、これにつないだら最強です。(笑) なぜあまり知られていないのか逆に不思議なぐらいのナイスな製品だったので、おすすめとして紹介しておきます。また、Twitterにも書きましたが、電話応対もしてくれた店員さん(後に店長さんとわかりましたが)がとても良い方で、親切な上に面白いので、是非Twitterや店頭で色々アドバイスもらってみてください。またお気に入りが一個増えました。しかしなんでまた店頭でしか販売していないんでしょうか。(笑) 通販したらすげえ売れそうな気がします。

act2 store道玄坂
http://www.act2.com/mobile/

セカンドカーを買い、そのカーナビを新しくする 

July 04 [Mon], 2011, 17:13
セカンドカーを買いました。中古のVOXY Z煌です。色はシルバーであれこれオプションが付いていて走行3万キロ。なかなかの良い買い物でした。これで姉の家族と母を含めて移動できたりしますし、フジタユウスケチームとしてもようやくレクサスではない機材車を入手できたということになります。恒例のレクサストランクにマーシャルアンプヘッドみっちり積みもこれでもうしなくて済みます。(笑)



VOXY自体の機能に関しては概ね不満がないのですが、付属していた純正のDVDカーナビがどうしても古く、遅く、賢くない。これだけしか使っていなかったらそんなに気にならなかったのかもしれませんが、一台目として使っているLEXUS IS250のナビが相応に高機能でそれに慣れてしまっているのでどうしても見劣りする。いくらセカンドカーでも、これはちょっとなあというレベル。解像度も低く、いつも慣れてる200m縮図も変な感じ。DVDナビなので、DVD見るときはナビ使えない。音声操作ができないのに走行中は一切動かない。アナログ放送しか映らないのであと2週間しかテレビが映らない。(笑)



とりあえず、最初は地デジ化対応のみを考えていたのですが、今、レクサスのナビでできていることのうち、いくつかはきちんとやっぱり出来ていてほしいなと思いつつ。レクサスのナビは

・地デジ対応(電波弱いときはフルセグからワンセグに切り替わる)
・Bluetooth携帯電話接続(便利。これのためにガラケー選ぶときもBluetooth対応探してしまう)
・iPod接続(AUX付のDC電源でつないでいるがFMトランスミッターよりもずっとまし。)
・DVD6連装(別に連装じゃなくてもいいが、けっこう長距離移動の時にDVDかけてることが多い。)
・ナビが高解像度、詳細案内可能(最初はシンプルすぎると思ったが、慣れた。)
・非常ボタン装備。携帯無くても緊急連絡可能。(2回使った。でもこれは必須ではない。)
・コンシェルジュ機能付。案内してもらった場所を遠隔でカーナビにセット可能。(これも凄いが、必須ではない(笑)。)

このあたりが便利。なのでこれをある程度踏襲できて、かつセカンドカーなので安価にまとめたいなと。昔からカーナビはカロッツェリアのCDROMだったりDVDROMだったりを使っていました。最初に買った三菱RVR→3年後フォードのマスタング→突っ込まれて廃車になってフォードエクスプローラーと乗り換えるたびに新しいカロッツェリアサイバーナビを買っていましたが、10年前に乗り始めたBMW 320iから純正ナビが搭載され、しばらく後付のカーナビとは縁遠かったので、今回一生懸命勉強。Twitterで深夜に友人にアドバイスももらいつつ。その結果、これがいいかなと。



カロッツェリアの楽ナビLite AVIC-MRZ99。サイバーナビほどハイエンドではないが、フラッシュメモリで動く割に、24GBHDナビ相当と同じ動きをするとのこと。しかもオプションではなく標準でBluetooth対応。SDHCカードでPCからデータを持ってくると最大3年無償地図アップデートできる、ケーブルを買うだけでiPodと連携し、ナビ上で操作できる、GPSもテレビアンテナも窓に貼り付けるタイプで地デジも4*4の強力なチューナーとアンテナが付いてくる、ケーブル買えば今のバックカメラもそのまま使える(ガイドラインはなくなるようですが)。ということでこれしかあるまい。一番良いのは安いというところだ。(笑)これだけ付けて10万切る。

渋滞情報に関してはBluetoothで接続した携帯からパケット通信で拾ってくるようで。電波ビーコンが拾えないのは残念だが、毎日乗るわけではないからこれでもいいかと妥協。7インチワイドVGAモニタもバックライトLEDがとても明るい。ってなことでこれに決定。昨年10月に販売したモデルらしく在庫も潤沢な上、売れ筋ランキングも1位のようで。2時間ほどで取り付け完了。前のナビはマニュアルごと廃棄してもらいました。(笑)



懐かしのカロナビの操作感と画面の感じを味わいつつ。レクサスのほうでもリモコン無しなので特に違和感もなく。ナビ自体も音や声が心地よい。んでテレビも綺麗、DVDも問題なし、CD周りの音もグッと良くなっていた。んでiPhone(iPod)周り。iPod内のリストを呼び出したり、普通にナビ上で操作できるし、iPod側での操作に切り替えることも可能。ジャケットもきちんと表示される。



と、ここまで使って思ったのだが、いわゆる純正ナビのようにサイドブレーキのリミッターってまったく無く、全ての操作がいつでもできてしまうんですね。いやいや、大満足。さりげにフィルムアンテナもかなりスリム化されていて良い。GPSもそれに含まれていて、なお良い。携帯電話を使ったスマートループ渋滞情報はまだ登録していないので使っていないが、それも近日試してみようかと。

カーナビは地図案内として使いつつ、オーディオとの連携や携帯電話との連携、その他より便利に使うための機能がいっぱい詰まっている割に、昔よりだいぶ安くなったなあと実感しました。車を2台使用時に、2台のカーナビなどの機能差があまりにもあるとかなり気になってしまうということも今回よくわかりました。(笑)早速3日後から京都・大阪まで運転があるので色々試してみたいと思います。車、ナビ共に良い買い物ができました。ここまで一晩、かなり集中して一気に行動した自分はかなりの男性脳だと思います。(笑)