誰でもいいから誰かと話したい、そんな時期らしいです。
今日も一人、道端でばったり出会った後輩を、無理やり拉致してあることないこと話してしまいました。
私の口から出たことが、全部妄想だったらどうしよう…
そう思うくらい、話していることに一貫性がないような気がします。
こう思うけど、こうも思うんだよね。
アレはあれで正しいと思うけど、でもこっちはこっちで認めたいっていうか…。
世の中には大事にすべきことが多すぎて、結局自分が何を大事にして生きてきたのか、生きていけばいいのか、たまにけむに巻かれたようにわからなくなることがあります。
大事にすべきことが多すぎるなら、全部大事にすればいいよね。
そうすれば誰も傷つかずに済むし、何より自分が傷つかないよね。
って言うのは、私たちの世代(20代?)特有のものでしょうか?
最近、「世代」ってものを意識するようになりました。
「世代」なんてあいまいなもので何かを語るのはすごく危険なことだとは思うんですけど、そうやってカテゴライズすることが相互理解を阻んでいるんだ、とも思うのですが、うん、やはり「世代」による差異っちゅうものは、この世に歴然と存在しているのですよ。
今日話した後輩も脚本を書く子だったのですが、彼がお客さんに言われたといいます。
「若者らしく、もっとなにかをぶつけるような芝居を書け」
たぶんそのお客さんにとっての「若者らしさ」は、あふれんばかりの情熱があって、メッセージがあって、それを放出したくて仕方がない、みたいなことだと思います。
でも正直、そういう「若者」って、今はあまりいないんじゃないか、そういう若者はもはやリアルじゃないんじゃないのか…という気もするのです。
そのお客さんが求める「若者らしさ」はもはや、若者の芝居を見ることでは得られないのかもしれません。
価値観が多様化しすぎて、大事なものが多すぎて、結局寄る辺のなくなってしまったこの世の中で、「創作」という行為にできることっていったい何なのでしょうか。
「あなたと私は分かりあえない、だから私は、あなたの事を分かりたいと思う。」
私ができることは、そう叫び続けることだけ…かもしれない。