ママ・ファタル

September 21 [Thu], 2017, 6:32
眠れず、外に出た。夜気が心地よかった。
少し歩くと、女性と男性のいさかう大きな声と女の子の悲鳴が聞こえてきた。

見れば、外国人、おそらくは中米の女性ではないか、とその娘が警官三名に対峙している。
警官たちは母親の説得に当たっていたが、その内、警官の一人が母親を地面に組み伏せた。二つの体が倒れる鈍い音がして、母親と引き離される娘がヒステリックに泣き出した。

まだ一団とは距離が離れていた僕は、いさかう母親と警官たちの同炉の反対側、斜め後方で宴席に腰を下ろし不安そうに行く末を見守る二人の男の子を見た。暗い目つきだった。
彼らの視野に入ってから、ゆっくりと側に行き、尋ねた。
「ママなの?」
黙ってうなずく二人に、
「大丈夫、怪我したりしないから」
と僕は言った。

婦警が近づいてきて、
「通報された方ですか」
と訊くので、
「お疲れさまです。違います。野次馬です」
と答え、この子たちが気の毒でと、付け足した。
警官は、母親は泥酔していると状況の内、一部を話してくれた。
母親に、パトカーに乗れと説得しているようだ。

母親は、暴力を振るったのだと思う。末の娘に。
騒がしさに近所の誰かが電話したようだ。
娘は、虐待児の方程式の通りに母親をかばう。必死に離れまいとしたようで、無理やり引き離したのは、現場のその時の判断としてはやむを得まい。

会話から、父親が呼ばれていることが分かった。車で駆け付けるという。

通報者だろうか。二階のベランダに出た中年女性は、
「はよ、連れてってぇな。うるそうて寝られへんねん。なぁ!」
鼻息荒く、大声で警官をなじった。

およそ5分後、父親が現れた。同じく中米の方のようだ。
男の子たちは、駆け寄ったが、娘は母親の元を離れるのを嫌がり号泣している。その号泣のまま、父親は娘を抱き上げ、腕の中で暴れるに任せて、乗って来たワゴン車に乗せ、扉を閉じた。

その後、彼は妻を連れて帰ると言い張り、警官とひと悶着あった。
男の兄弟がガラスに顔をくっつけんばかりに父と警官を凝視している。
やがて、妻はパトカーに押し込められ、父親は警官と話し終え、車に乗り子供たちと帰って行った。
誰もいなくなった。

ファム・ファタルは、運命の女という意味で、その説明で、ヨハネの首を欲したサロメを引き合いに出すことが多い。
サロメを引き合いに出す場合、ファム・ファタルは、男を破滅へといざなう魔性の女を指す。

ママ・ファタルというのもあるだろう。そう思った。
子は、親を選べない。
そして幼な子は、どんな親であっても愛する。

眠れず、深夜外に出たら、異国で肩寄せ暮らす三人の子らの、一途な悲しい愛に遭遇した。
朝まで起きることになった。










些細なこと

September 14 [Thu], 2017, 22:03
昨日のことだ。
ヒロコさんを天王寺の駅に迎えにナナと行く道すがら、守衛のおじさんに挨拶して、公園を縦断する道へと入ったら、西の空の鮮やかさに気が付いた。公園に向かうべく逢坂を50メートルほど駆け上がったたときも、東に向かっていたからか、気づかなかった。

僕は、市立美術館への急階段を目指して左に折れ、ナナにがんばれと一声かけてそれを駆け上がった。息を乱したまま振り返ると、秋の夕暮れが眼前に広がっていた。時代は移ろえど清少納言の言う通り、や、と独り言ちた。

どうやっても縦になってしまいます。記事を書く画面ではちゃんと横になっているのに。あ、ちゃんと横になりました(10/16)

ポケットをまさぐって、おもちゃのようなPHSを取り出し、写真を撮って、ヒロコさんに送った。
しばらくすると、電車の窓からも見えていて、見入っていたと返事が来た。誰かの歌ではないが、同じ空を見て、同じことを考えていたことが、楽しかった。

朝起きて、ご飯を食べて、働いて、お昼ご飯を食べて、働いて、晩御飯を食べて、本を読んで眠る。隙を縫ってギターを弾きながら、これを繰り返す。単調な毎日。
単調を繰り返していると、心は些細なことに反応するものだと思った。










「熱い」夏

August 24 [Thu], 2017, 15:52
表向きは11日から先日16日まで夏季休業であったが、12日を除いて、ほぼ全期間働いた。
一件の電話もなかったことが、何ともありがたかった。
ADHDの僕は、電話で集中を途切れさせられることが、大変なストレスである。同時に、ややもすると、電話の前にやっていた仕事を放置してしまったりして効率を大きく損なう。そのストレスと実害ががなかった。
幾つかの案件は消化したが、なおも複数の案件を抱えて、期日をにらんでいる。

ヒロコさんも、もうずいぶん、まとめて休むということをしていない。
彼女は、昨年の11月に乗馬のインストラクターコースに入って以来、正月も黄金週間も盆休みも他人事で、週休二日を保っているものの通学する五日の内、三日は朝6時過ぎには、残る二日も8時には学校に居て、帰宅は常に18時過ぎという暮らしを続けている。
競技に出たいと、彼女は願っている。10月にコースが終わると、指導員のアルバイトをしながら、更に上の選手養成の学校に進むつもりだ。そのためのもう一段上の級を取るべく、奮闘している。

次女は一昨年来、資格取得に挑んでおり、二年目の今年はずっと休みには縁遠い暮らしを続けている。長く、日曜日は終日、貴重な通学日であった。
間もなく試験に臨む。
不安にさいなまれながらも、最後の追い込みに余念がない。

図らずも、三者三様、勝負の夏になっている。
だから、依然として毎日暑いのだが、今年は特に、熱い夏でもある。












「いずこか」へ行きたしと思へども

August 02 [Wed], 2017, 14:35
今日、お昼過ぎ、お客様のオフィスで、昼までに終えられたはずの仕事の目途が、少し遅れつつも立った時だった。最後、更新ソフトをインストールした。が、肝心のソフトの動作が安定しない。

アンインストールとリインストールをしても解決しない。PCの問題のようだ。
昼食をとらずにこのトラブルに対応することにした。午後の仕事は諦めることにして、久々のパソコン屋稼業だ。

と、面前のPCは忙しく働いているが、手待ち時間がふと訪れた。職員の食後の歓談の声が遠く聞こえる。間隙をついて、この記事の下書きを書いた。

多忙を理由にしたくないが、長く書けずににいた。年度変わりの辺りからずっと多忙に過ごしている。
こんな時代に、オファーがひきも切らないのは、本当にありがたい。

先々月の半ばより次女が僕の事務所の職員となった。もし彼女がいなかったらと思うとぞっとする。入力業務が片付いていることがとても有難い。健康を、とりわけ心的なそれを損ねずに済んでいる。

事業主に労働法規は関係ないが、今年の残業時間を仮に算定すると、毎月、過労死ラインを超えている。
自分でこの状況を作り出して働いているから、文句は無い。不平もない。出来なければ、その仕事を失うだけである。命に別状は、もちろん、無い。
とにかく、必要とされることをよろこんでいる。

よく武勇伝のように、かつてそれ相当の過重労働を経たことを語り、長時間労働で健康を損ねる方々に批判的な意見をする人がいるが、自ら望んで飛び込むことと、無理やりやらされることの違いに思いをいたしてほしい。経験上、こういう人は、ことに経営者に多い。

「俺はもっと働いた」というのは、当を得ない。「働かされた」経験ではないから。
その当を得ない経営者が多いことを思うと、チャップリンの「モダンタイムス」は、その先見性も含めて、やっぱり普遍を獲得した芸術作品だと、今更ながら思う。

閑話休題。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

少し前の記事でも引いた朔太郎先生の、この「旅上」は、数少ない愛唱する詩だ。何故か、すんなりと憶えられたからである。
先生は、お金と時間があれば、必ずや彼の地に行っただろう。どちらかが、或いはどちらも無かったか。
そして、当時、朔太郎先生はきっと忙しかったに違いないと思う。

多忙は、倦怠と同じくらいに、旅の動機になる。現実逃避というか息を抜くのに、現在地を離れたくなる。

ヒロコさんの誕生月の七月に旅行できればと、五月ごろから思っていた。

波のフーガの聞こえる宿、星降る夜に散策できる郷、もやのたゆたう早朝の草原、湧き水の冷たい雑木林。
自然の中、ゆっくりできる所。だから、移動時間の短い所ならいずこでも。
お金は、近い分不足ないだろうが、あいにく、二人とも時間が無かった。

せめて。
3月に買ったチャップリンの「街の灯り」を今月中に見られたら、とても嬉しい。











しんちゃんあそぼ!

February 28 [Tue], 2017, 23:15
先日、ジャズギターのレッスンを受けた。月に三度教室に通う。
いつものことだが、21時半からのレッスンなど、一般には考えられないが、二つ返事で引き受けてくださる師に感謝しつつ一緒に教室を後にした。
さよならを言って時計を見ると23時半。前後に多少談笑したが、みっちり100分は弾いた。これもいつものことだが、良心と熱心に感謝しかない。
礼を言うと、これもまたいつものことだが、笑顔で手を振ってくださった。胸のあたりがあったまる。

うらはらに引き締まる冷気の中、あれこれ考えながら、最近買った買い物用の小径自転車をゆっくり進めたので、帰宅すると日付が変わっていた。この日は、朝5時過ぎから活動を始めた。時期もあるがとても多忙だった。

遊んでいるつもりはないが、仕事ではないという意味で、ギターを遊びに含めて考えた。
多忙の故にやりたいことが出来なかった、とは自分に言いたくない。
せめて、多忙を理由にやらなかっただけだ、と言いたい。
何より、多忙だろうが何だろうがやりたいことはやった、と言いたい。

遊びをせんとや生まれけむ、と古の人が謡っている。
もっともだと思う。


しん 拝


以下、レッスン日誌です。万一、初級ジャズ理論に興味がありましたら、どうぞ。
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レッスンは例によって、まず、メトロノームを裏で聞きながら運指練習。馴れると反転。脳をリフレッシュして、また反転。
このトレーニングは体調が作用するなと昨夜は感じた。不調。
メトロノームを少し落としてもらって感覚を取り戻した。

この日から、Blue Bossa を題材の講義が始まった。
師曰く、「厳密なBossa Novaのリズムで演っていない録音が多いが、がっちりこのリズムでやる」ことになった。
従って、バッキングの太鼓が2−3や3−2のソンクラーベで鳴る。
これだけが鳴る状況を初めて味わう。小節の頭を失わない様集中した。いくつかの休符のうち、とりわけ一拍目の4分休符を聴くイメージか。

Duoでアドリブの練習。
前回、単音ばかり、或いはオクターブを含む二声を混ぜるだけではなく、ところどころコード弾きを混ぜて弾くよう考えてこいとの宿題だったが、業務多忙につき、予習不足で臨む。

マイナーのU−X−T、課題曲の場合、Dm7♭5→G7→Cm7の進行の際、最初の1小節のDm7♭5が、Ddimと似ている(一音しか違わない)から、Ddimのコードを1拍ずつ、ウエスなどが演っているように短三度ずつ上げ下げして弾いた。耳障りな感じではなかった故。で、考え方が合っているかを尋ねた。

誤り、とのこと。
正しくは、Dm7♭5からG7までの二小節全体をドミナント7と解釈して、G7の代理コードがG♯dimで、これを短3度上げてBdim、更に単3度上げるとDdimとなる。つまり、G♯dim=Bdim=Ddim。
で、これを短3度上げ下げすればドミナントが鳴っている間は、きれいに響く、という理屈。
音としては合っているが考え方は誤り。
納得というよりも感心した。
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桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿

February 26 [Sun], 2017, 22:23
表題のことわざの様なものがあると知ったのは、文章を学ぶ学校に通い始めてすぐのことだった。
梅の木について調べていて行き当たった。
梅は生来、樹勢が強いのだろうか、切って間引かないと養分が分散して花が十分につからないらしい。一方、桜は切り口から菌が侵入しやすく、切ると腐ることが多いのだとか。

当時、このことわざを童話のモチーフに使った。
パソコンのデータを見ると2012年の7月末日に書き終えている。

昨日、ヒロコさんとナナと散歩の足を延ばしたら、高津さんの北側にいつの間にやら回り込んでいた。そこでは、満開の梅が公園を飾っていた。寒風の中、春は遠くない、と笑っているように感じた。
源氏物語の当時、歌などに梅とあればそれは白梅をさすのだと習ったなどと話しながら、満開をPHSのデジタルデータに切り取った。


切り取りながら、童話のことを思い出した次第。
読み返すと、拙さに声を出しそうになった。
久しく小説を書いていない。だから、ここに書いたものを載せることもなくなった。
書いてはいないが、恥ならかける。手を入れずそのまま載せることにした。

どうぞ、お時間のある方は目をお進めください。

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お姉ちゃんのうめ

 お正月のおかがみをわるころに、おじいちゃんは、きまってうめの木のえだを切る。はじめて見たとき、ぼくはおじいちゃんの回りでおろおろした。だって、元気にのびている木のえだをバッチン、バッチン切っていくんだもの。
「うめの木がしんじゃうよう」
 ぼくは、さけんだのに、おじいちゃんは、
「よし、いいぞ。ことしもいっぱいみをつけておくれ」
 なんて、切ったところにくすりをぬりながら言った。

 だめだよ、いっぱい切っちゃうと、花がさかないから、みがなるわけがないよ。ぼくはしょんぼりした。
 でもね。いっぱい花がさいたんだ。

 うめの木は、ぼくのお姉ちゃんのみほちゃんが生まれたときに、おじいちゃんがにわにうえたと、お母さんがおしえてくれた。はじめはおじいちゃんのこしの高さくらいだったのに、ぐんぐん大きくなって花がさき、おととしなんて大きなみがいっぱい。お姉ちゃんは、お母さんがこのうめのみでつくるいいにおいのジャムが大すきだって。

 それなのに、きょ年、おじいちゃんはうめを切らなかった。ちがう。切られなかった。
 春に中がくせいになったお姉ちゃんにびょう気が見つかり、それですぐ入いんして、夏がすぎて、秋になってもお姉ちゃんは帰って来なかった。

 木のはっぱがぜんぶなくなって、風がうんとつめたくなったころ、お姉ちゃんは帰って来た。ぼくはすごくうれしかったのに、みんなないている。おじいちゃんは、なみだをぽろぽろこぼして、うめの木を見つめていた。
 おじいちゃんはぼくをなでながら、ふるえる声で
「しょう、みほはしんだんだ」
と言った。ぼくはどうしていいかわからなくて、おじいちゃんの足にくっついた。

 ぼくはしば犬という犬で、お姉ちゃんはぼくが生まれて半としくらいして、ぼくを家につれて帰った。ぼくはお姉ちゃんの友だちの家で生まれて、お姉ちゃんはぼくに「ひとめぼれ」をしたんだって。ぼくに「しょう」というすてきな名前をつけてくれたし、うんとかわいがってくれた。

「いらんえだを切らんと、うめは花をつけん。うめは切られて花がさく。強いんだ」
 ことし、おじいちゃんはこんなことを言いながら、きょ年の分もたくさんえだを切った。そうか。強くて、それにおいしいみがなるから、お姉ちゃんが生まれたとき、おじいちゃんはうめをうえたんだ。ぼくはおじいちゃんのねがいが、今、わかった。

「いのちの強さは、みんなちがう。さだめられたものには、だれもさからえん」
 そう言って、ちょっとわらったおじいちゃんのなみだが、ぽつりとぼくのはなにおちた。
「力いっぱいさいてね」
 ぼくは、ひとこえ、強くほえた。

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下らぬものにお付き合い下さり、どうもありがとうございます。

お口、否、お目なおしに、歌を紹介します。
先日、上述の、梅すなわち白梅であるということを教えて下さったときに、教授が拾遺集から引いた歌です。

わかやと(わがやど)の梅にならひてみよしのの
                  山の雪をも花とこそ見れ

遠からぬ春を待ちつつ、皆様、急な寒の戻りなどに負けませぬよう、ご自愛のほどを。

しん 拝



時の流れは「みえ」である

February 10 [Fri], 2017, 22:47
昔、パソコンの画面がブラウン管だった当時、スクリーンセイバーというものがあった。画面の焼付を防止するため、一定時間動かない画面が続くと、勝手に画面が切り替わり、いろんな動きをする、それだけのソフトのようなものだった。
そのソフトの機能の中に、自分の好きな言葉を好きな背景色の上を好きな速度で流せるものがあった。

シラーの言葉が好きで、スクリーンセイバーに書き込んで流していた。

時の流れは三重である。
      未来はためらいつつ近づき、
            現在は矢のように速く飛び去り、
                    過去は永久に静かに立っている。

というものだった。こんな風に流れてくれた。

当時、小学生だった次女がその流れている文字を見て、声に出して読んだ。
それが今日のブログのタイトルだ。

いや、「みえ」とちごおて、「さんじゅう」やねん、と笑いながら直したことと合わせて覚えている。静かに立つ過去の一つである。

年末から1月末日までの、毎年の給与所得者の年税額の確定とその報告に忙殺された後、気が付けば、もう2月で、今度は給与所得以外の所得を得た方たちの年税額の確定の仕事が始まる。正確にはもう始まっている。

そんなさ中に、もう一つの就業規則を作ったり、社内規程を作ったりする方の仕事もいくつかをいただいて、かなり心的にはゆとりのない日々を、今日も気づけば愛犬を散歩に連れ出してやる時間になったとぼやきながら、暮らしている。
ノートに記し始めて数か月の日記も「週記」のありさまで、ため息が出るが、日々の昼食を、週の半分は仕事をしながら取っているような始末で、どうにも時間が足りない。

相変わらずのADHDは、地下鉄の入り口まで来て財布を持っていないことに気づいたり、資料を持参せずに訪問してしまい、仕切り直したりと、更に状況を追い込んでくれるのに役立っている。

それでも、仕事でへまをやらかさないで済んでいるのが、唯一の救いである。

「矢のように飛び去る」って、シラーさん、ちょっと表現がオーヴァーフロー気味やで、とかつてよく思っていたが、そんなこともないのだなと、だから、最近は思う。

今、僕のパソコンのスタート画面の写真は、去年の5月に28年ぶりに還った故郷の、朝の浜の写真だ。一泊二日の旅で、車に自転車を積んで帰り、あちこち走り回った。
それでも飽き足らず、というよりも朝日見たさに同窓会の次の日の早朝、いそいそと出かけて撮った。


五月の朝の東雲
うら若草のもえ出づる心まかせに

朔太郎のこの詩の冒頭を「ふらんす」ではなく「ふるさと」に置き換えて声に出してなぞった。寝そべって柔らかな海風を胸いっぱいに吸い込み、昔の僕は、違いもわからぬままに、こんないい空気を吸っていたんだな、と思った。

夜半、仕事を終え、パソコンの業務ソフトを落とすと、過去を見に行った旅が、もう過去になってたたずみ、僕の目を慰める。
シラーの言葉が沁みる。











Le Roy という名のギター

January 05 [Thu], 2017, 9:52
あらたしき年の始めの初春のけふ降る雪にいや重け吉事
新年之始乃波都波流能 家布敷流由伎能伊夜之家餘其謄

家持による万葉集最後の歌を新年のご挨拶に代えてしたためます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年のクリスマスの連休中にマイドーム大阪でサウンドメッセというものがあり、出店するStringphonic Guitar Company というショップのLe Roy というギターを見に出かけた。

ヴィンテージギターも扱うこのショップは、今は長女が暮らす、かつての僕の事務所だったマンションの一室から歩いてすぐのところにあり、当時、幾度か目の保養に訪れていた。

ボディの薄いフルアコを探していた。
個性的で、軽くて、薄くて、安くて、できれば国産で、などとつぶやきながらネットをさまよって見つけた。値段以外、全部の条件に適うものだった。

期待しつつ、一本しかない物だから売れちゃうとどうしようもないので、初日の会場に30分ほど前に行き並んだ。10名くらいの先客が並んでいた。自分を含めてこだわりのきつそうな野郎ばっかりで実に味気ない光景だった。

対面した。触れた。抱えた。弾いた。※写真は Stringphonic Guitar Company のウェブサイトよりお借りしました。

※写真は Stringphonic Guitar Company のウェブサイトよりお借りしました。

買った。

試作品で、中に貼ってあるラベルのシリアル番号欄にも、Prototype と手書きされている。Le Roy は、ルロアと読むのだろうか。
手練れのプロに試奏され評価され注文を付けられ、改善されたものがラインナップされ、その時点で役割は終わった。

変更は微細なものだったときく。よく見ると、かすかな弾き傷が残る。試作器と弾き傷分なのだろうか、正規品より2割ほど値引されていた。そういう身の上にもそそられた。

昨年の秋より、Jazzを勉強し直している。甥から信託されたレスポールにフラットワウンドの弦を張って弾いているのだが、師から箱ものを持つと気分が変わってフレーズも変わると勧められていた。様々、変えたいと願っている。

日本の職人さんによる丁寧な仕事はもちろん、ヘッドのマークにさりげなくOsakaと記されていることもとても嬉しい。
見合うだけの腕になる、という一年の計をたてた次第。









ADHDを得て暮らす〜その2

December 22 [Thu], 2016, 16:56
20日にADHDを得て暮らすというタイトルで書いた。その翌々日のことだ。

財布の中を見たら、お札が無く、小銭入れに500円足らず。
そんな状態に気付かない自分にあきれつつ、
「一万円入りまぁす」と家人に告げて、お金を持って出る。S市のお客様のところで終日業務の日だ。10時の約束に珍しく時間通り着きそうだ。

S駅に着いたところで、業者から電話。数日前から、さらにその数日前に薦められたシステムの導入を悩んだ末に決めたのが、前日。
改札にポストペイカードの入った財布を押し付けつつ、電話で話す。

この営業マン、勘が鋭い。僕の行動パターンというか意思決定のプロセスを完全に読まれていたかのようだ。いいタイミングでかけてきた。僕はその電話で、買うことのあれこれを決め始めた。

まずは契約日を決めようということになり、駅の外に出たばかりの僕は、視野に入ったベンチをまたいで座り、バックパックを降ろしてスケジュール帳を出す。
契約日と納品日を決め、決済方法やシステムの移行についてあれこれ話した。

時間がさし迫り、お客様のところに急いだ。
ぎりぎり間に合い、仕事にかかった。その後移動して不動産売買の交渉に立ち会い、更に移動して、法人運営会議を終えると午後3時半。昼飯を食べていない。

お客様の事務所近くの弁当屋さんの店頭で何を食べようかとメニューを見つつ財布を出そうとバックパックをまさぐる。弁当を引き続き仕事しながら食べるつもりだった。

無い。財布が無い。何処にも無い。慌てて、運営会議をやった場所に戻りかけて、気付いた。朝の電話だ。ベンチだ。
戻ったが、ある筈がない。

そこから、お客様のところに電話をかけ、かくかくしかじかで財布を落としたので交番に行きたいと告げた。電話の相手は知的障害者を支援するNPOの理事長で、ADHDについて熟知しており、僕が帰る際はいつも忘れ物がないかをさりげなく見てくださる。従業員の内には数人の同志もいる。

丁寧に、交番の場所を指示くださり、落ち着きを取り戻す「支援」をして下さった。
財布を落としたことをただの事実として、急にやらなければならない仕事ができたかのように対応下さった。慰めの言葉などなく、淡々と対応下さり、そのおかげで僕は、自分の失敗に過度に集中しなくて済んだ。

交番で遺失物の届けを済ませ、仕事場に戻ると理事長がお弁当を買っていてくださった。
ものすごく美味しかった。元気を得て午後7時過ぎに仕事を終えた。

11月22日のいい夫婦の日に、妻に財布を落とした話をしないといけないのは何とも情けなかったが、翌日の休日に新しい財布を買いに行こうということになった。

買った。偶然、素敵なカード入れと出会ったので、ポストペイカードを財布に入れるのをやめてカード入れも買った。


ふと目を移すと、偶然、素敵なブックカバーと出会ってしまった。


「『ヴィレッジバンガードで財布を買う』って、なんで店を特定するんやと思おたら・・・」とヒロコさんにはあきれられた。




・・・だらだらと長いのですが、まだ少々続きがございます。どうかお付き合いください。

財布を無くして交番から戻った後、僕は遅れを取り戻そうとくだんのNPOで過度に集中した。くたくたになって帰った。翌日は休日で電話が鳴ることはなかった。

財布を買って家に戻り、財布の写真を撮ろうと電話を取り出すと22日の夕方に不在着信があり、メッセージが録音がされていた。
S市警察署からだった。財布が届けられたとのことであった。

「確信犯である訳がないことをよく知ってはいるものの、上手くやったもんだ」
と、ヒロコさんは、ヒラメのようなはすかいの白い目で、写真を撮る僕を見た。

S市警察に行き財布を受け取った。拾って届けてくださった方は初老の男性で名乗らなかったそうだ。
使い慣れた財布の中で、諭吉翁が一人476円を携え、笑っていた。

善意の方々に支えられる機会が多いのは、ADHDを得たからなのだとつくづく思う。
毎年のことなのだが、今年も「ありがとうございます」とお礼をたくさん言った。

毎年のことながら、でも、今年はありがたいことに毎年以上に業務多忙につき、年の瀬にブログを書くことは無理かと存じます。
今年は中断も多かったにもかかわらず、相も変らぬつたないものを読んでくださり、どうもありがとうございます。
お返事の仕方などよくわからないのですが、「いいね」とポチッとして下さる方々にも、この場を借りて御礼申し上げます。

いささか早いのですが、皆様、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

しん 拝








記事というよりは、個人的な記録です

December 19 [Mon], 2016, 1:42
このままだと、
「今後、ブログを中断すれば、「あ、こいつ、また仕事と事務所がぐちゃぐちゃになってるんや」とご理解を賜りたい。」
と書いた手前、ぐちゃぐちゃになっていますと宣言する事態になる。

ぐちゃぐちゃではないが、時間が無く、書けずにいる。其れを証明しないといけないので、とりとめなく、備忘録代わりにここを使うことにした。

以下、備忘録である。結論も何もない。推敲していない。箇条書のようなもので、前後の脈略が無かったりする。

=================================================

ビキニ環礁でのブラボー実験により第五福竜丸以外にも被爆した船舶と乗組員がいたことを知らなかった。
今年10月13日、訴訟が始まった。
賠償の実効性などに鑑み、労災を申請する訴訟だそうである。
国は国の不法行為に基づく行政賠償責任は20年の消滅時効であることを盾に争う構えである。

当時、アメリカは、労災に絡めて言うのなら労基法の「打切り補償」と言っていいのだろう、一時金を支払い、日本政府はアメリカに賠償責任を求めなかった。
金額の多寡は問題ではないので触れないが、この国家間での金銭のやり取りで決着した後、被ばくした方々は歴史の闇に埋もれさせられ、その闇の中で発症する病に苦しみ、次々と亡くなって行ったそうである。

アメリカは今も、これらの発症すべてについてブラボー実験による放射能との因果関係を認めていない。
被ばくしたとされる方の歯から、セシウムが検出され、それはヒロシマの被爆者の方の数値に匹敵するほどであるのに。

被ばくされた方たちに補償する国であることを誇りに思っても、嘆く者は居ないのではないか。
首都五輪の浪費的計画があれこれ取りざたされているが、その無駄遣いを止めて補償することに国家的損失などないと思う。
何より、国は放置してきた責任を負うべきだと思う。

放置して、原発を50基作った。そのうちの一基の廃炉ですら、目途一つ立たない馬鹿げた負の遺産を。

労災は、場所的要因と業務関連性の二点で判定される。場所は問題ない。業務関連性も勿論、問題ない。
アメリカという第三者による災害であるが、労災であることには変わりはない。
だから時効か。あざとさに舌を巻く。

エイズ薬害訴訟、ハンセン氏病訴訟、水俣病訴訟、国家が守りたい威信そのものが基本的人権を踏みにじってはいないか。
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